お知らせ
キリっとして優しい
今年も4月1日に、新しく8人の仲間を迎えました。
人生の転機に当院で働くことを決心してくださり、ありがたく思います。
どうかケアをする仲間として、末永く共に歩んでいけますように。
同じ日、主任1名と副主任が2名、昇格しました。
これまでの頑張りと人柄を認められ、これからの未来を期待されてのこと。
完璧な人などいないので、気負わずみんなの力を借りながら共に学んでいきましょう。
それからこの日は制服を一新した日でもあります。
まっ白い白衣から、カラフルなユニフォームへ。ピンク・ラベンダー・ターコイズブルーの3色から、自分で好きな色を選べる仕組みにしました。初日はみんな照れくさそうにしていましたが、同僚から「似合うね」「いい色だね」と褒められ、患者さんからも「かわいい」と褒められ、なんとなく病院全体が春めいた感じに華やいで、にこにこしている人が多かったように思います。
お友達からは「キリっとして、優しい」と評していただきました。
まさしくそれが私たちの目指したところなのです。
自分たちが専門職としてキリっとできて、でも患者さんから見ると優しく見える。
それが届けばいいなあと思っていたので、うれしい言葉をいただきました。
モチベーションって、着るもので変わるものですね。
さて新しい病院は内装工事が進み、外観もはっきりしてきました。
設計パース図と同じ外壁で、温かく落ち着いた色合いです。
トイレの表示をどうするか?というのが最近の話題。
この頃公共建築物はLGBTや障がいに配慮して、誰でも入れる「みんなのトイレ」という表示が多いのだそうです。
でもまだまだそういう観念に追いついてない私たちは「男性が入った後に入るのは抵抗がある」「いや、女性の入った後に男性が入るのも抵抗がある」というので表示が決めきれません。でもこういう議論は大事だなと思います。今を生きる私たちの感じ方と、少し先の時代とを考えながら、弱さに合わせて最善策を見つけていくのでしょう。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
3色のうちピンクが一番人気でした。
一語一笑(いちごいちえ)
令和2年の春、「一語一笑」を看護部の目標にしました。
たった一言が誰かのこころを救ったり、あるいはくすっと笑えたりするように、私たちは言葉を大切に発しよう、というねらいでした。
1年が終わり「これは一語一笑のシーンだったなあ」と思う出来事を、ひとりひとりから集めました。
その前年は「よりそうこころ」がテーマで、みんなから集めたエピソードがあまりにもやさしさにあふれていたので、冊子にして配布したのでした。
今年は今年らしく、言葉と音楽を使って画像にまとめることになりました。
ほんの一部ですが、少しご披露しますね。
????「認知症の親御さんと二人暮らしの娘さん。イライラして親御さんにつらく当たることも多く、そうすると認知症の症状も悪化していました。お二人が来院時に、“大変だけどよく頑張っていますね” と声をかけたら娘さんは笑顔になり、それを見た認知症の親御さんも笑顔になりました」
????「退院するとき、たくさんのスタッフが外にお見送りをするため集まりました。
(患者さんの)息子さんが “これじゃあ有名人だな” とおっしゃいました。
私は “ええ、有名人でした。私たちをたくさん楽しませてくれました” と伝えると、息子さんは “そういっていただけるとありがたいです” と言って笑顔で帰って行きました」
????「入院してまもない頃、スタッフから患者さんへお誕生日メッセージを贈りました。それを見て涙を流して感謝の言葉をいただきました。入院したばかりでまだコミュニケーションが十分でないときでしたが、一瞬で打ち解けた気がしました」
????「ホスピスに入院したことを受け入れられない患者さんがいらっしゃいました。
私はその方に “ホスピスに休憩にいらしたんですね” と声をかけました。
患者さんは ”休憩“ という表現はいいですね、とおっしゃって、表情が和らぎました」
看護者が救われた場面もあります。
????「病室で、とある患者さんの点滴がなかなか入らなくて苦労していたら、同室の患者さんから “頑張って” と声援がありました。それにつられて他の患者さんからも “頑張れ” と声援があり、心強かったです」
????「私は患者さんに対応するとき、いつも笑顔を心がけています。
何名かの方から “その笑顔に元気をもらえる。ありがとう” と言っていただき、心が温かくなりました」
????「患者さんのご家族に “この病院で看取れてよかった。後悔のない看取りができた。最後きれいな顔にしてもらえて、優しい顔でよかった” と言ってもらえました。お役に立てて、うれしくなりました」
くすっと笑う場面もあります。
????「夕食の献立の紙を見て “今日のお魚はソイですって。あ~ソイソイ!” と声をかけましたら、患者さんも “ソイ!ソイ!” と声を出して笑ってくれました。うれしいですね」
今日もこのブログにきてくださりありがとうございます。
キラキラした宝物です。あ~ソイソイ!
ケアする人びと 公認心理師 阿曽加寿子さん
当院には医療の専門職者のほかに心やスピリチュアルなことを支える専門職が在籍しています。
「ケアする人びと」本日は公認心理師・阿曽加寿子さんをご紹介します。
私(工藤)は30歳くらいのとき、整形外科病棟に勤めていました。
整形外科というところは骨折や加齢による変性疾患を診るところなんですが、手術して痛みが取れて歩けるようになれば、すべての人がハッピーというわけではなく、人が回復するプロセスには身体的なものと心理的なものとのバランスが深く関わっていると感じました。
それで入院中にもっと心理的な援助ができたらと考えて、カウンセリングを学びに行ったことがあります。
カウンセリングで心の奥にあるものを緩めたり解放できたらと思ったのですが、それはずいぶん傲慢なことだったなあと今は思います。
もちろんカウンセリングが役に立つこともあるのですが、聴き方の姿勢としてはそれだけでは足りなくて、経験や手法だけの問題でもないと感じてはいたものの、その時は自分の中で消化できていませんでした。
今回公認心理師・阿曽先生のお話を伺って改めて感じたのは、心理的援助とは、相手のお話をニュートラルに聴いて、相手の方が何を求めておられるのか、それをキャッチして合わせていくことなんだなあという風に思ったのです。
ところで「公認心理師」という職業、ご存じですか?
ー以前は「臨床心理士」という資格だったのですが、2018年に国家資格になり「公認心理師」に変わりました。心の問題で支援の必要な方の相談や援助とともに、その方の関係者に対する相談、心の健康に対する教育や情報提供を仕事内容としています。
「臨床心理士」や「認定心理士」は民間資格で、「公認心理師」は国家資格です。ー
この、国家資格への変更があったこと自体がまだまだ知られていないと思います。
そしてどんなふうにホスピスや臨床と関わっている仕事なのか、詳しくは「ケアする人びと」をご覧ください。↓
少年の夢
新病院の建築がどんどん進んできました。設計開始からもう2年半くらいになります。
計画・実行したことが、明らかに目に見える形になっていく。
棚の位置ひとつ、テーブルの角ひとつまで、私たちの想いがち密に出来上がっていく。
当たり前のことなのでしょうが、正確に立ち上がっていくことに「すごいなあ」と感動しています。
そしてまだまだ寒い中で働く現場の方々にも感謝しています。
先日も現場会議のあとに内部を見学させていただきました。
いつも「ここは透析室、ここはデイルーム」と頭の中の図面と突き合わせながら歩きます。
天窓から降り注ぐ陽の光、病室の大きな窓、広い浴室。
患者さんと職員が喜ぶ姿も、もうあと数か月で見られます。
見学を終えて、案内してくれた建設会社のYさんに、私は一度聞いてみたかったことを尋ねました。
―Yさんは、何歳くらいのときに建築の仕事を目指そうと思われたのですか?―
Yさんの答えは明快でした。
「小学校2年生の時です。東京ディズニーランドができたのが小学校2年の時で、そのときテレビでディズニーランド建設の裏話をやっていたんです。ディズニーランドはもともとおとぎ話なので、設計図は一から作らなければならなくて、日本のディズニーランドが一番正確だとその番組で知りました。それを見て将来は建築に進もうと思いました」
うわ~聞いてよかった。なんだかY少年のキラキラする顔が見えた気がします。
私はYさんの話を聞いて、ドラッカーの石切り工の話を思い出しました。
【ドラッカーの本に出てくる石切り工の話】
三人の石切り工の昔話がある。彼らは何をしているのかと聞かれたとき、第一の男は、「これで暮らしを立てているのさ」と答えた。第二の男は、つちで打つ手を休めず、「国中でいちばん上手な石切りの仕事をしているのさ」と答えた。第三の男は、その目を輝かせ夢見心地で空を見あげながら「大寺院をつくっているのさ」と答えた。(『マネジメント 下』)
Wikipediaで読むと夢の国ディズニーランドを作るプロセスには多大な困難がありました。でも人々を幸せにしたい、笑顔にしたい、という気持ちの人たちがこの難題を乗り越えて作ったのでしょう。
そしてその物語に胸を熱くした少年が、今は私たちの病院を作ってくれている。
大寺院を作っていると言った石切り工は、人々の安寧と穏やかな祈りの場を作ろうとしていたのでしょう。
Yさんの話を重ね合わせて聞きました。
今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
人はいろんな思いを胸に持っている。
マスクをつけた五人囃子
コロナ禍になってから院内のボランティア活動は休止してきたのですが、少しずつ、数人ずつ健康観察をしながら始まっています。
昨年の今頃はマスクが手に入りにくくなっていたので、手作りマスクやフェイスシールド、ビニールエプロンをたくさん作っていただきました。おかげで私たち、心丈夫でした。
院内各所の季節の飾りも、患者さんと接しないように配慮しながら、毎月変えていただいたので、ありがたかったです。
3月3日の桃の節句に先駆けて、ホスピスと外来待合室に7段飾りを出していただきました。
五人囃子にはマスクが付けられているのも今年ならではのことです。
人間お内裏様は着付けチームが美しく着付けてくださいました。
今年は臨床宗教師の米本さんとナースのIさんのお二人です。
ひな祭りのお菓子と甘酒、バラや椿の造花に手作りカードが添えられました。
おひとりずつ届けて、季節の行事を感じていただけたんではないかなと思います。
喜んでくださる患者さんを見て、私どもの病院にはボランティアさんたちの活動が、欠かせないものになっていることを、つくづく感じました。
マスクなしでおしゃべりしたり、集まって何か一緒にするということがずいぶん昔のことのように思います。
その自由さがどれだけ幸せなことなのかを、しみじみ感じられたこの一年でした。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
もしボランティアさんがいなかったら・・?
どんなにか色彩のない、殺風景な病院になるでしょうね。
逃げる!二月の風景
2月某日
ホスピスではいつも通り、ひな祭りを予定している。
イベント告知のカード代わりに、医事課のWさんが折り紙でお雛様を折ってくれた。
とてもかわいいし、こういうことが好きなんだな。また新たな人材発見。
同日。
患者さん用に手作りのお薬箱が完成したので、見てくださいとのこと。
朝・昼・夕・寝る前の一日4回のお薬を、忘れないでほしい方への退院プレゼント。
飲んだら小箱をひっくり返して、はい、飲み終わりましたの合図。
というお薬箱をボランティアさんが作ってくれました。
そのボランティアさんは御年90歳。
2月某日
院内あちらこちらでお雛様の飾りつけ。
ナースや看護補助者が壁面いっぱいに、一生懸命作って飾ってくれている。
見ているだけで春の色合いでぽかぽかする。
移転プロジェクトで小ワーキンググループが立ち上がった。
事務長の旗振りで、総務や医事課職員がリーダーとなって小集団で話しあいを進めている。これから移転まで少しずつみんなで進んでいく。
大変な事業だけどみんなで協力している実感があって、これはきっといい経験になる。楽しんでいこう。
某日
訪問診療している患者さんからお花をいただいてしまいました、と連絡あり。
なんと見事な桃の花と菜の花。ありがたく頂戴して外来のお雛様の横に活けました。
お雛様もきっと喜んでいることでしょう。
同日。
ホスピスラウンド中に楽しそうな回診の声が聞こえてきた。
思わず覗いたら、前野先生がスマホで「瀬戸の花嫁」を流して患者さんと歌っていました。
研修医の先生は生まれる前のヒット曲だから、もちろん知りませんとのこと(笑)
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
昭和は遠くなりにけり、です。
父の命日
命日が近いからか、珍しく父の夢を見た。
とはいっても父の顔は一度も出てこない。
夢の中で私はきれいな総合病院で働いていて、どこかの病棟で師長をしている。
父はその病院の最上階・循環器科病棟に入院している。
外来患者やお見舞い客やらが行き交う1Fフロア。
天井は吹き抜けになっていて、交差したエスカレーターの近くに私は立っている。
急いでどこかへ行こうとしていたが、胸ポケットに入っているPHSが鳴って立ち止まった。
電話の向こうで父の病棟の看護師が言いにくそうにしている。
父はシャワーに入りたいと言い「許可が出ていないから無理です」と看護師に言われたのだけど、「こんなに元気になったんだから大丈夫だ」と言い張り押し問答になっているのだそうだ。
どうしてもだめなら家に帰って入るから、外泊か退院させてくれと言うので看護師が困っているのだという。
私はその光景が目に浮かぶようだった。父の顔は笑っているけど、きっと目は真剣だ。腕の点滴も抜かんばかりの、ただならぬ空気が漂っているだろう。
「わかりました、今すぐに行きます」と言いながらも、私は今処理しなければならない仕事をどうしようか考えている。これをまず誰かに託してから父の病棟に行くとなると、どんなに急いでも20分はかかる。
エレベーターは呪いたくなるほど遅いから、階段を駆け上がるしかない。ここから5階分。そのあと父の病棟はさらに3階分。うへえ。
まだ1階にいるのに太ももの乳酸がたまるような気がした。
父の説得は、娘の私とて容易ではない。
「お父さん、心臓の手術をしてまだ1日しか経ってないから、お風呂はまだだめなんだって」
「風呂じゃない、シャワーだ」憮然として言う。
「シャワーも一緒よ。まだ心臓に負担がかかるから許可できないんだって」
「手術は成功したんだろ。俺はもう大丈夫だ。どこも痛くないし、ほら、今日の血圧だって126の80だ。優秀だろ。苦しくもなんともない。ここの先生は名医だ」
「それはまだ心臓に負担がかかることをしてないからよ。シャワーは負担がかかるの!」
だんだん私の口調がきつくなる。はずかしい。
そばでやり取りをじりじりしながら見守っている看護師・・3年目か4年目くらいだろうか。私が説得できるまでこの場を離れられないのだ。人前で、親子のみっともないやり取りを延々と続けるのも情けないものだ。
こんな時、看護師としての立場と娘としての立場で揺れ動く。いや、もうひとつあった。師長としての立場もだ。
それで私は妥協策を提案する。
「あのね、私が父に付き添ってシャワーに入るのなら許可にならないかしら?」看護師の方に向かって言う。
え?というような顔をして看護師は目を大きく開けた。
「いや、あの、それは先生に聞いてみないと・・」看護師はしどろもどろになる。
「なんで娘と入らなきゃならないんだ。そんなの俺はいやだぞ。それなら入らない!」
「あら、そうなの? お父さん。じゃあ許可が出るまで待てる?」と聞きながら私は看護師にこっそり目で合図を送った。
「何日経ったら入れるんだ?」不承不承という感じで父が尋ねる。
「普通は3日目からですので、明後日になります」
「明後日?そんなに待たせるのか・・」
ぶつぶつ言う父の言葉をさえぎって私は看護師に礼を言い、彼女をここから解放した。
父をなだめ看護師に気を使い、ああ、面倒くさい。
でもこれが患者の求めていることなんだ。
それはあの看護師にもわかってもらいたい。
決められた予定通りにケアするだけが、正しいんじゃないってことを。
父が亡くなって10年、リアルな夢だった。
倒れて1か月、意識不明のまま旅立っていった。
介護の苦労を娘にさせたくなかったのだろう、娘孝行のお父さんだと親せきには言われた。
けれども少しは苦労させてもらいたかった。日に日に衰えていく筋肉を見て悲しくなった。どんな状態でもいいから、生きていてほしかったと思うのは、身勝手だろうか。
きれい好きでダンディだった父。
シャワーに入れぬまま亡くなったのは、さぞかし無念だったろう。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
めったに親の夢を見ない、親不孝者です。
初めてのCANDLE NIGHT
2月10日に「CANDLE NIGHT」というイベントを開催しました。
場所は4階のテラス。普段は花を育てているところですが、サンルームからテラスに並べたアイスキャンドルを眺めるって、非日常的でいいんじゃないかと思ったのです。
1月半ば、私と医局クラークのMさんはアイスキャンドルを作るところからスタートしました。
栄養課で毎日出る牛乳パックと空き缶を利用して、まるで理科の実験みたいに色を付けたり、お湯から作ると透明な氷になるらしいとか言いながら、毎日数個ずつ作っていきました。
無印良品のキャンドルが、中に入れるのにちょうどいいサイズ。
キャンドルだけじゃ物足りないので、途中で小雪像を作ろうと欲が出てきました。テラスに積もった雪が少なく、気温が上がって思うようにいきませんでしたが、施設管理のTさんと看護部有志が手伝ってくれて、オラフやチコちゃん、雪ウサギなどができました。
「CANDLE NIGHT」という素敵なチラシを作ってくれたのはUさん。
さらにそれを拡大して記念撮影スポットを作ってくれました。
音楽療法士の工藤先生がオルゴールのような音色で生演奏をしてくれて、ムードは満点。
病棟ナースはもちろん、他部署の職員やボランティアさんが患者さんの移送を手伝ってくれました。
「患者さんに喜んでもらおう」という目標があって、仕事の中にこうした遊びの要素があるというのは、スタッフも心がひとつになり、お祭りのようでなんとも楽しいものです。
そういうとき、一人一人が自然とリーダーシップをとるんですね。
「このイベントをもっとよくしよう」という人たちがそれぞれにいい仕事をしてくれて、何も言わなくてもいい具合に仕上がって行きました。
まだまだ未完成な部分があるけれど、まずは一度形にしてみるってことが大事な気がします。
夕暮れに温かい炎が揺らめいて、小雪像たちも一層引き立ちます。
患者さんたちが「わ~かわいい」「きれいだねえ」と、まなじりを下げ、感極まって涙を流される方もいらっしゃいました。
思い思いに記念写真を撮り、短い時間でしたが楽しんでくれたようです。
今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
一粒で何度もおいしかった~~
こんな楽しいこと、私ばっかりいいですか?
コロナ禍でも季節の行事はやっちゃうのが当院のいいところ。
恒例の節分鬼コスプレ。研修に来たばかりの先生たちもシマシマパンツを穿いてもらいました。
今年の青鬼はM先生、マスクもアイシールドも青でキメテマス。
赤鬼は今年もSさん。
Sさんは「毎年私ばかり赤鬼をやらせてもらって、こんな楽しいこと、私一人で独占してていいのでしょうか? 他にやりたい人いたらやっていいんですよ」と呼び掛けたものの、スタッフは「いえいえ、Sさんが一番適任。とても楽しそうにやってるから続けてください」。
ということで今年もSさんはつま先まで赤い靴を履いてかわいい赤鬼に扮しました。
患者さんにはあらかじめ折り紙の枡に入った炒り豆が配られていて、鬼が登場したらぶつけてください、と打ち合わせてあります。
さてさていざ出陣です。
最初はやや控えめなトーンで「鬼が来たぞ~」とお部屋に入っていきました。
音楽療法士のK先生が節分の歌をキーボードを弾き、お祭りっぽくなってきました。
お部屋に入るごとにM先生もだんだんノッてきて、声もひっくり返ってしまうので、みんなずっこけてしまいます。
患者さんから豆をぶつけられてはみんなで大笑い。
鬼たちが出て行ったあとは、Iさんがホウキとチリトリを手に、転がった豆を回収。
これも大事、大事。
翌日は3Fの病棟です。
こちらは看護師と補助者たちが鬼やおかめに扮して、お部屋を練り歩きました。
Kさんが赤いセーターにシマシマパンツ、赤い棍棒を手に持ち、なんだかかっこいい!
仕掛け人のJさんは堂々とした鬼の風格があります。
副主任とMさんはおかめのお面をかぶり、手作りの裃を身につけて、若干不気味・・。
午睡中の患者さんは目をまん丸くしてびっくり。
手に握りやすいボール状の豆を用意し、鬼に向かって投げてもらいました。
こんな風にくすっと笑ってもらうことが、免疫力の一助になるのでは?
そしてやっぱりこんな遊びがある方が、心の余白があっていいですよね。
患者さんも24時間患者というわけではないですから。
病院らしくない病院を目指している私たち、これからも続きます。
今日もこのブログに来てくださいありがとうございます。
それにしてもうちの人たちはコスプレが好きなんだな~。
あるご夫婦の姿
「お父さんがまだこの辺にいるような気がする」
Aさんが旅立ってもう数か月が経つ。
病気のため失語症になってしまったご主人の元に、奥さんは日参していた。
奥さんは一生懸命話しかけ、そばで一緒に音楽を聴き、静かに編み物をして過ごしていた。
Aさんからのことばはなくても、奥さんの献身的なケアで通じ合っているように見えた。
「ここに通うのが私の仕事なのよ」とほほ笑み、デイルームで見かける後姿は、仲睦まじい、ということばそのものだった。
Aさんの旅立ちは急なことだった。
ご家族にとってもわれわれ医療者にとっても、予期せぬことだった。
だからそのあと私たちも奥さんのことをずっと気にかけていた。
どれほどの深い悲しみに包まれているだろうかと。
一月ほど経ってソーシャルワーカーが電話をかけたときも、まだ悲しみに沈んでおられた。
それからまたしばらく時間が経った。
吹雪の合間を縫って、ようやく病院に顔を出す気持ちになられたのだ。
大切な人を亡くした場所に、足を踏み入れるのは勇気のいることに違いない。
「来てくれてありがとう」
「顔を見られて安心したわ」
「挨拶もしないでごめんなさいね」
幾人かの看護師がいたわるように声をかける。
数か月ぶりに訪れた病棟で、奥さんは懐かしそうに辺りを見回した。
そして目を細めながら、冒頭のことばをつぶやいた。
私たちも同じように感じている。
いつもお二人で寄り添って過ごした姿が、今も目に焼き付いている。
「奥さんが元気で笑って過ごせるようになるのを、ここらへんで見守っていると思いますよ」
師長が肩のあたりを手で丸く示しながらそう言って、それからやさしく奥さんをハグした。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
悲しみがだんだん抱えやすくなりますように。