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お知らせ

秋山正子さんとの対話

9月1日に当院の関連施設である「緩和ケア訪問看護ステーション札幌」がオープンしました。
これまでは「ホームケアクリニック札幌」でみなし訪問看護事業を行っていたので、それを継承する形です。
あえて名前に「緩和ケア」とつけて、山崎美恵所長の強い気持ちを表しました。

2008年のクリニック開設時からずっと在宅緩和ケア一筋にやってきたので、ケアそのものには大きな変わりはありません。
ただ、ステーションになることで、訪問看護師としてのステイタスが変わるものだと山崎さんは言います。
診療所の付属的な訪問看護から、自律した看護経営者としての組織になり責任が大きく感じられます。

10月6日には訪問看護界のパイオニアである秋山正子さん(マギーズ東京代表)をお招きして特別講演を行いました。

講演前に昼食をご一緒させて頂きましたが、秋山さんのお話は病院の臨床現場で陥りがちな、医療者の偏った目線について気づかせてくれるものでした。

偏った目線、たとえば食事制限が守れない患者さんに対して「どうしてできないのか」と正論で闘うのではなく、さりとて「患者さんを家族だと思ってかんがえてごらん」というようなありがちな物言いでもなく、その方の生活文化や習慣を踏まえたうえで、一歩違う角度から見ることを促すような自然さ。けして無理をしない、医療者もきりきりとしない。そんな風に私たちは導かれました。
こういう穏やかで無理のない対話が、もっと臨床現場でできるといいのになあと心から思いました。

講演会直前にスタッフミーティングをした終わり「エールはしないの?あ、ハカかな?」という話になりました。
秋山さん自らハカのポーズをなさろうとして、なんて気さくでチャーミングな方だろうと思いました。

それにしても、2年前マギーズ東京を見学した時には新病院のことも訪問看護ステーションのこともまだまだ全然動いてなかったのに、そして秋山さんと間近にお話できるようになるとは想像もつきませんでした。

マギーズ東京で初めてお会いした時に、秋山さんは小さな声で「つぶやいてたらね、いつか叶いますよ」とおっしゃったんです。
3回くらいそうおっしゃって。
そのことがとても印象に残っていたのです。
2年前のブログ↓

https://sapporominami.com/nurse/2017/02/06/

院長や総長がつぶやいて新病院が実現に向けて動き出し、山崎所長がつぶやいてステーションが立ち上がり、色んな人の協力があって夢に近づいている、とても幸せなことです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
プロセスを楽しもう!

緩和ケアは「聴く医療」である

札幌は急に気温が下がり、朝晩冷え込む季節になりました。
10月5日(土)に徳洲会グループの緩和ケアセミナーが札幌で行われました。この会合は当院が言い出しっぺで始めたもので、今回が3回目。
全国に70以上ある徳洲会グループに呼び掛け、緩和ケア病棟のあるなしに関わらず、参加者は年々増えて今年は約100名になりました。

当院総長の前野のあいさつと基調講演でスタートし、一般演題の発表、特別講演では最新の疼痛治療と続きまして、シンポジウムは「Advance care plan:ACPをどのようにしていますか」をテーマに5人が自施設の発表をしてその後多職種でのグループワークへと続きました。

急性期病院では多職種で患者さんからお話を聞く時間がなかなか取れず、また聴けても共有する場を持てないこと、救急の場でのACPと終末期医療でのACPとはアプローチの仕方がちがうと現場の医師が感じていること、電子カルテを使っているのだから、患者さんのACPについて知りえた情報はみんなで共有する場所を作ったらどうか、などの意見にうなづくばかりでした。

薬剤師さんのこんな発言がありました。
入院患者さんに処方された薬を配薬するときに、薬剤情報という薬の作用・副作用を書いた紙を持っていって説明するのだが、患者さんの中には細かい字で書かれた紙を欲しいと思わない人がいて、それは顔を見ればわかるのだそうです。
患者さんがどんな情報を欲しがっているかは、患者さんから聴くしかない。
そこには医師には遠慮して言えなくて、ついうなづいてしまったがために処方された薬が入っていて、本当はいらなかったとか、そういうコミュニケーションの問題なんかも含まれています。
緩和医療自体が「聴く医療」だが、これからは緩和に限らずますます聴くことの重要性が高まっているんじゃないか、という話が印象的でした。
私は薬剤師さんがそのように考えて患者さんと向き合っていることに、新鮮な感動を覚えました。

他のグループの発表では「聴く人を専任で配置したらどうか」という発言もありました。
急性期病院ではどうしてもそういう分業の発想になってしまうのはよくわかります。しかし聴くことは誰かに任せても、大事なのはそれをどう共有して同じ方向に向かっていくか、であり、その時間さえとれなくなっているのだとしたら、私たち医療者は一体どこへ向かっていくのだろうか、などと考えさせられました。
少なくとも看護師は、聴くことを手放してはいけない。
そう思います。

それにしても、徳洲会といえば救急医療と認識されてきていた中で、これだけの人が緩和ケアに興味関心を持ってくれているのがうれしいです。孤軍奮闘している人も多くて、壁にぶち当たりながら自分だけは折れないようにと頑張っている人の努力をひしひしと感じます。
この緩和ケアセミナーの場が、これからも安全安心に発言できる温かい場であり続けるように、と願っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
全国ご当地みやげフェアも楽しかったです。

テンプレートにない質問

私どもの病院には様々な研修生が来られます。
研修医・看護師・薬剤師・ソーシャルワーカー、それらの学生さん、中高生。
緩和ケアを学びに来る方が多いのですが、皆さん一様に驚かれることが2つありまして、一つはカンファレンスでもうひとつは入院時に患者さんとご家族にお話を伺う面談「インテーク」についてです。

このインテーク、私も初めて同席した時はおどろきました。
入院してベッド周りのお荷物が片付く頃、患者さんとご家族、医師、看護師、ソーシャルワーカーが面談室に集って、これまでの病気の経過から様々な質問をして確認させて頂きます。
これからのケアの主要な人が揃っているということがこの場合重要です。

病気をどう受け止めているか、今つらいと思うことは何か、これから何を期待しているか、気にかかっていることは何か、叶えたいと思っていることは何か、など質問は病気のことから人生観についてまで多岐に渡り、その方まるごとの振り返りにもつながっていきます。

こうしたお話を聴かせていただくには、それなりにまとまった時間と、質問力も必要です。入院したその日に、これらをお聞きして関係者で共有することで、そこにいる全員が患者さんの思いを共有する大事な時間となり、「私のことはわかってもらえている」と安心してもらえるのです。

私は長く看護師をしていますが、ここへくるまで患者さんから入院時にお話を伺うのは(アナムネーゼを取ると言っていました)、看護師一人でしていました。
医師は医師で、ソーシャルワーカーはソーシャルワーカーで、それぞれに自分が聞きたいことだけを聞いておりました。
だから、患者さんにとっては、何度も同じことを話していると思われたと思います。
あとはそれらの情報をどのように共有するかにかかっていると思いますが・・。

同じ情報でも言い方が微妙に違ったり、受け止める相手によっては同じ話でもニュアンスが違って受け取られることもありましょうから、全員が同じ時間に集うのはその辺りの温度を共有することにもなるでしょう。また、気持ちは常に変化していくものなので、最初は「それでいい」と思っていたことが「やっぱり本当はこうしたかった」という風に変わる場合もあるので、だからこそ最初に複数で聞きあうことが大事だとも言えます。

患者さんは「こんなに私の話をじっくりと聞いてもらったのは初めてだ」とおっしゃったり、「(患者が)あんな風に考えていたなんて知らなかったです」とご家族が患者さんの本心に触れたりすることもあります。
怖くて聞きたくても聞けなかったようなことが医療者と共に聞けて、家族関係が一歩進むような場面に立ち会うこともあります。

さて、最近研修を終えたドクターが、最後の日に朝礼で感想を述べられました。
その中で私が印象的だったのは
「テンプレートにない質問によって、患者さんの病気だけじゃなく人柄に触れたことが大きかったです。」
ということばでした。

そうそう、今はもうどこの病院も電子カルテですから、質問すべき項目というのはテンプレートに一応入ってはいるのですが、それを埋めることを目的としたら、そこにない項目は聞かなくていいことになってしまう。
人に関心を寄せて理解しようと思ったら、患者さんの答えの中に次の質問があるのです。
そこを感じてもらえて嬉しいです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
研修生の瑞々しい感性が好きだなぁ。

ホームホスピス かあさんの家のはじまりの物語

庭のある大きなおうち。
そのおうちは、玄関も居間も台所もひとつひとつが大きな作りだった。
冬の始まる11月頃は廊下が冷えて、足裏から冷たさが上ってくるように感じられた。

居間に続いた和室がYさんの居場所。
たたみの上に厚みのあるマットレスが敷かれていて、一日のほとんどをそこで横になって過ごしていた。
動かなくてもいいように、マットの周りには日常で使うものが所せましと置かれていた。

もう20年位前のことだけれど、私はYさんのお家へ訪問看護に行っていた。
奥さんを失くし、子供たちは独立して本州で暮らしていたので、Yさんは何年も一人暮らしだった。
病気で入退院を繰り返していたが、治ることはないと知ると、家で点滴をしながら暮らすことを選んだ。

朝点滴を刺しに行き、夕方点滴を外しに行く。
私たち訪問看護師が訪れた時だけ短く言葉を交わす。
それ以外はしんとした静寂の中に包まれて過ごしていたのだろう。

家族がみんな揃っているときにはこの家にも隅々まで空気が流れていたのだろうなあ。
まな板で野菜を切る音や湯気の立つ匂い。
食器を重ねる音。
暮らすってそういうことだ。

年老いて独りになる。
できるだけ長く、住み慣れた自分の家でずっと暮らしたい。
それはごくごく当たり前のことだ。
だけどいつか、かなわなくなるときがくる。

9/15にホームホスピスの講演会を聴いてきた。
宮崎の「かあさんの家」の始まりの物語。

私はお話を聞くまで、重大な勘違いをしていた。
先に古民家を借りるか買うかして「かあさんの家」を始めたんだとばかり思っていたのだ。
「かあさんの家」は、そこに住んでいる方丸ごと含めての事業なのだそうだ。

そこに一人暮らしができなくなったお年寄りが5人ほど集まり、まとまって暮らし始める。
その家の食器や家具をそのまま使って暮らすのだ。

理事長の市原さんはこういう。
「家は、もともと住んでおられた「〇〇さんのおうち」という信頼ごと借ります。
地域の中で大事に住んできた古い家は鍛えられて、暮らしとともに信頼が積み重なっている。
家は施設と違って部屋の大きさは不平等だけど、そこに疑似家族として「とも暮らし」をする。
今でいうルームシェア。
自宅ではないけれど、もうひとつの家。」

そこでは朝起きる・着替える・食べる・排泄するという生活の整えをしていく。
医療者は身体面や精神面を注目しがちだけれど「かあさんの家」では、その人がどんな社会で生きてきて、どんな文化や習慣を持っているかを重視する。
その人の生活習慣を理解することはその人の暮らしを尊重することだ。
生活が整ってくると、何か意欲が芽生えてくることがある。
たとえば「あそこまで歩きたい」というようなこと。
それを実現するためにプランを立てて実行するのだそうだ。

この積み重ねで寝たきりだった方が映画を見に行けるようになった、と実例を見せていただいた。
ケアを受ける人もケアする人も共に生きる喜びを感じられて、見ているだけでワクワクが伝わってくる。

日常の延長戦上に看取りもあって、自然な死へのプロセスをたどっていく。
映画「人生フルーツ」みたいだね。

思い出の中のYさんも、こんな「かあさんの家」の提案をしたら、どう思っただろうか。
「他人と一緒に暮らすなんて嫌だよ。静かに一人で暮らしたいよ」と言ったかな。
それとも「それは賑やかでいいね」と言ったかな。
きっと家は喜んだだろうね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
北海道には「かあさんの家」がまだないのです。

地震から1年・・災害訓練をしました

北海道胆振東部地震からはや1年が経ちました。

あの時の教訓から私たちも防災マニュアルを作り直し、防災グッズなども用意しました。
結構マジメに会議で話し合っております。
防災って想像し出すととめどもなく困難なイメージが湧いてきます。
どんな状況であろうとも「その場でどう行動できるか」を問われるものですね。

それで私たちはマニュアルを覚えないことにしました。
マニュアルを覚えてその通りに行動出来ることを目指すと大変でやりたくなくなります。それよりも、初動1時間にやるべき事に集中したアクションカードを作成して、夜間想定のシナリオを作り、カード通りに行動しようと考えたのです。

誰しもそんな状況になったら、冷静に対処できる自信などありません。
カードに書いてある通りに動いていれば、そのうち仲間が助けに来てくれる。

というわけで、先日地震後初めての防災訓練をしました。

年に一度の計画停電とセットでやったので、午後1時からすべての電気製品の電源コンセントを抜いて、患者・家族・職員・建物の被害状況を本部(医事課)に報告し、紙カルテを使うというところまでを実際にやってみました。

頭で作ったものを実際行動してみると、いろんなことがわかりました。
例えば防災グッズのケースに入っているランタンなどは、あらかじめ電池を入れて動作確認してないと緊急時は動けなくなるとか、ヘルメットがすぐ取れないとか、状況報告は電話か直接持参か迷う、というようなことです。
これらはちょっとしたことなんですが、結構大事な気づきでした。

それからEMIS(広域災害医療支援システム)のログインと入力方法の確認も実際にみんなで共有してみました。去年は副院長がこれに登録してくれていたおかげで、とても助けられました。

そんなことで、地震後初の試みは無事終了しました。

その数日後、東日本大震災で被災された佐藤敏郎さんのお話を聞く機会がありました。佐藤さんは当時女川町で中学校の先生をしてらして、大川小学校に通っていた娘さんを亡くされるという、大変お辛い経験をされました。

現在は「小さな命の意味を考える会」代表として講演活動や、スマートサプライプロジェクトという団体を運営し、必要としている人に必要な支援が速やかに届く活動をされています。
その佐藤さんが防災についてこんな風にお話しされました。

防災とは、結論がハッピーエンドで終わること。
経験したことのない揺れに対しては、「そこまでしなくても」ではなく「念のため」の行動をすること。

私もこの2つのことを胸に刻んで忘れないで行こうと思います。

スマートサプライプロジェクトについてはこちらをご覧ください。
現在、千葉の台風被害を受けた方の支援も行なっています。
http://sspj.jp/smartsupply/

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
被災された方に、一日も早く日常が戻りますように。

いも掘りイベントは今年も大成功!

恒例行事となった「いも掘り」。
今年もいいお天気に恵まれました。

ジャガイモの「きたあかり」10個は、病院玄関横の幅50センチくらいの、かつては植え込みだったところに植えられました。

隣のミニトマトと一緒にすくすく育って、早くに枝葉が枯れてしまったので、「こんなに長くそのままにしてていいの?」と質問した私です。
土の下のジャガイモが新たな芽を出すんじゃないかとハラハラしたものですから。

当日ボランティアの方が早めに出てきてくれて、あらかじめ買っておいたきたあかりを栄養課で塩ゆでしてもらって、紙コップに入れバターを載せて準備してくれました。

畑の方では一旦ジャガイモを掘り出して、個数を数え、再度土に戻しておきました。こうしておくと手のチカラの弱くなった方も容易に掘り出せるのでね。

予定の14時よりも早くから、患者さんが降りてきてくれました。
ジャガイモを土から掘り起し、手でつかみ掲げてにっこり。
「3つも出てきたよ」
「いい形だね」
「横のトマトも収穫してくださいね」
「トマトもいいの?」
「どうぞどうぞ。無農薬だから、ちょっと拭いてそのままパクっといっちゃってください」

収穫が終わったらボランティア・コーディネーターの鈴木さんが
「はい、収穫してくれてありがとうございます。これはアルバイト代です」といって、紙コップに入れたじゃがバターを手渡したので大笑い。
「これはアルバイトだったんだ!」
「みんなだまされて働いてしまったね~」

みんなでおいしいおいしいと食べていただき、花壇をながめておしゃべりして、こうして今年のいも掘りがおわりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
おまけ。この日は院長の誕生日でした。ボランティア室でお祝いしました。

認知症相談窓口をはじめます!

認知症の始まりはささやかな違和感で、それに気づくのはたいがいご家族です。

お父さん、最近様子が変なんだよね。
少しぼんやりするようになったっていうか。
話しかけてもすぐに返事が返ってこない。
耳が遠くなったのかな。
同じ話を繰り返すんだよね、初めて話すみたいに。

この間も車を擦って帰ってきたの。
そのことを聞くと、あわててごまかそうとするの。
大丈夫かな、運転。

認知症患者は全国で500万人を超え、2025年には高齢者の5人に一人、700万人を超えると言われています。
昨年から当院で始めた医療講演ですが「認知症」の関心が高いことがわかりました。
今年は3回シリーズで、医師・看護師・ケアマネージャーが講演をしておりますが、来られた方はそれぞれ個別のお悩みを持っているため、講演と質疑応答だけでは十分お答えできないことがわかってきました。

そこでこの9月から「認知症相談窓口」を開設することになりました。

日常生活の中で「あれ?」と思う小さな兆し。
診察を受けるべきかどうか?
どうやって診察に連れてくればいいのか?
など、お悩みをご相談ください。

介護施設にお勤めの方のご相談も承ります。

毎週金曜の午後。
あらかじめお電話で予約をいただき、時間を取ってお話を伺います。
お力になれるように一緒に考えていきたいと思っています。
ご相談は無料です。

電話011-883-0602 看護師の棟方までご連絡ください。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
できることを少しずつ。

喪失と回復または再獲得 (グリーフケア研修会から)

当院にはグリーフ(悲嘆)ケア委員会という組織があります。
何をしているかと言うと、ご遺族の方へお手紙を送ったり、遺族会(ひだまりの会)や慰霊祭(こもれびの会)を開いています。

先日職員向けのグリーフケア研修会が行われました。
病棟師長が「グリーフケアとはホスピスだけの特別なものではなくて、普段から私たちは日常的にしているのですよ。ただ当たり前すぎて気づいてないかも知れません」という趣旨でお話をしました。

老いて病気をすると私たちはいろんなものごとを失います。
できることができなくなったり、楽しみにしていたことをあきらめたり。
愛する人を亡くすのはその最たるものでして、「どうして私の家族が!」と怒りを感じたり、「私がもっと早くに気づいてあげていたら」と自責の念に駆られたり。
できないことにばかり目がいくと、気持ちが落ち込んでうつになることもあります。

アルフォンス・デーケン先生の「悲嘆のプロセス」では12の段階が示されていますが、悲嘆の段階はすべての人に訪れるというものでもなく、また順番に現れるものでもありません。

病気によってできなくなったこと、例えば映画館で映画を見るのを楽しみにしていた方は、家でリラックスしながら見ることに新たな価値観を見出したりします。
愛する人を亡くしたつらい体験も、時間が経過して(日にち薬、という言い方をしたりしますね)、心が落ち着いてくると、他者の話が耳に入るようになり、また自分でも気持ちを聴いてもらいたくなったりします。

こうして人は喪失と回復または再獲得、つまり以前は価値がないと思っていたようなことがらも、失われて初めて気づくことがあり、急に価値が大きくなる。
それをLIFE(人生・生活の意味)の中に組み込んでいく。
大きく小さく波のように行ったり来たりしながら、悲しみは決してなくなりはしないけれども、次第に抱えやすくなる。
これを繰り返していくのです。

悲しみの底から再び立ち上がっていくときに、その方が自らの力でエネルギーを得ていく場面に立ち会うことがあります。

講義では、ご遺族の方からのお手紙が紹介されました。
亡くなられた故人への思い・医療者に対する感謝・現在の近況などが書かれていました。
どんなお気持ちでこれを書いたのか、手紙をわざわざ書き、切手を貼ってポストに投函するまでの行動そのものが、文字通り1歩を歩み出したこと、グリーフケアになるのではないか、という話がありました。

その後グループに分かれてそれぞれが思う「グリーフケア」について語り合い、聴きあう時間になりました。
医療者は誰しも亡くなられた患者さんとご家族との思い出を持っています。
話すきっかけができたことで、こころの中に大切にしている体験や言葉がたくさん出てきました。
終了の声をかけてもみんなの話が終わらない、後ろ髪引かれる研修会でした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
医療者や介護者はみんな、語れると思うのです。

在宅緩和ケアの訪問看護ステーションを開設します

もしもがんと診断されて、いろいろ治療したけれど、これからは緩和ケアを受けてできるだけ家で過ごしたい。
私がその立場になったなら、きっと、いや必ずそう思うだろうなあと考えています。

今日は宣伝させていただきます。
9月1日から当院の関連施設として「緩和ケア訪問看護ステーション札幌」がオープンします。
これまではホームケアクリニック札幌(藤原葉子院長)として訪問看護を行ってきましたが、在宅緩和ケアを中心とした訪問看護ステーションを立ち上げ、在宅療養されるがん患者さんとそのご家族の支援のため、より一層きめの細かいケアをしたいと考えています。

愛する家族やペットと過ごす時間。

家の匂いや温度。

慣れた枕や布団の寝心地。

食べたいものを食べる自由。

窓から見える景色。

湯気の立つコーヒー。

一杯の晩酌。


「最期まで自宅で暮らしたい」と思っていても「家族に迷惑はかけられない」「自分が動けなくなった時、自宅で本当にいいのか自信がない」と考える方はたくさんいらっしゃいます。
人の気持ちは変わることもあるし、絶対じゃない。
家族だって頑張ろうと思ったけど「頑張れないかも」ということもあるでしょう。
そういう心の揺れも大丈夫。
当たり前のことです。

「やっぱり病院にいたほうが安心」
「家族が疲れてきたから、少し休ませたい」
というときにはご相談ください。

そうして無理のない、けれども自分の思うように時を過ごすことを、みんなで話し合いながら支えたいと考えています。

ホームページは9月1日にオープン予定。
お問合せはこちらにどうぞ。

http://homecare-sapporo.com/

またオープン記念講演会として10/6 13:30~秋山正子先生にお越しいただくことになりました。
ぜひお運びください。
緩和ケア訪問看護ステーション札幌 開設記念講演会チラシ

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あ、大事なことを忘れてました。
「在宅緩和ケアをやってみたい」看護師さんを1名募集中です。

今年も盆踊り

8月7日北海道では月遅れの七夕の日に、3F病棟で盆踊りが行われました。

昨年から始まったこの行事、看護師と看護補助者らがアイデアを練り、娯楽の少ない病院の中で何か楽しいことを提供できないか、と発案したものでした。

数日前からデイルームに飾り付けがされて、期待感が高まります。
当日昼過ぎに行くと、真ん中に大太鼓が設置されて気分が盛り上がります。
(ちなみにこの太鼓は中がポリバケツで、外側を100均の包装紙などでそれらしく作られています。)

CDラジカセから花火の効果音とともに北海盆唄が流れて、職員が法被を着て患者さんを次々案内してきました。
みんなでハチマキを巻き、踊らにゃソン、ソンと輪を回りました。

踊った後はかき氷をふるまいます。
いちご・メロン・ブルーハワイ。
蒸し暑さも手伝って大好評でした。

偶然通りかかった施設管理の職員が、即席で手品を披露してくれました。
その後太鼓とラジカセをもって病室を回り、盆踊りの出前をして歩いたようです。
面会に来られたご家族さんも、「盆踊りのチラシは見ていたけど、まさか病院で盆踊りをするとはねえ」と驚いていました。


今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
一服の涼になったなら幸いです。

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