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強みを活かすことについて

強みを活かすというドラッカーの言葉が好きです。
でも最近の学びで、私の考えている強みはかなり範囲が広いということがわかりました。

ことばで表せば
得意。長所。取柄。好き。特技。関心がある。
ほかにもあるかな。

好きこそものの上手なれ。
ということばがあるけれど、好きなことをず~っとしていって、強みになる。
イチローさんとか錦織圭さんとか。
好きでもそんなに上手にはなれない人も多い。
私は楽器を演奏するのが好きだけど、うまくはなれない。でも好き。

努力しなくてもできちゃうこともある。
絶対音感を持っているとか。
ドリカムの吉田美和さんのように、子供の頃から普通に歌ってるだけで歌がうまかった人は、どんどん磨きをかけていって今があるんでしょうね。

それまでまったく未知の分野だったのに、何かのきっかけで強い関心が湧いて、そのことを勉強するうちに専門家になっていく場合もある。
災害を経験して、防災について勉強するうちにDMATの隊員になるとか。
家族ががんになって、学んでいくうちにがん患者のサポートをするようになるとか。

学校で学んだこともなく、関心もなかったけれど、仕事で何度も繰り返しやるようになってうまくなる。
看護師の注射技術なんてそういうものですね。

ひとりひとりの強みは目覚めているものもあれば、眠っているものもあり。
気づいてないだけのものもあれば、ちょっとしたきっかけで急に開花するものもある。

関心ごとは聞いてみないとわからない。
そしていいタイミングでそれをキャッチし、チャンスにつなげないと。

どうしてこんなことを言うかというと
うちの看護補助者さんたちの、イベントに現れるアイデアが多彩だからなんです。
しかもお金がかからないように工夫してくれていて、ありがたいやら涙ぐましいやら。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
自由に楽しく。

看護の職人の技

医療者も人の子、自分も時々病気になったりします。
そして自分ごとになると、患者と医療者の両方の視点で自然と観察することになります。

先日他院で人間ドックを受けたドクターの話です。
内視鏡検査を受けた際に背中に手を当てて声をかけてくれたナースの手当てにとても感銘を受けた、という話をしてくれました。
そのナースは、胃カメラを受けるときはこの人の介助でお願いしたいと「指名」が入るほどの、卓越した技を持っています。

私も一度彼女の介助を受けたことがありますが、今カメラの先がどこらへんにあって、このあとどうなるかを教えてくれたり、ゲップが出せず苦しくて仕方ない時には「あとどのくらいで楽になりますよ」と予測を教えてくれました。

検査を受けている時間は永遠のように長く感じられましたが、背中に当たる彼女の掌の温度が皮膚から内部に温かく浸透して、そこだけぽっかりと温かく感じられます。
カメラがその辺にある、ということと温かくて気持ち良い、ということが一緒になって、自然と意識が集中します。
苦しく感じるときはリズミカルにさすってくれて、手の圧力が苦しさを軽くしてくれます。
不安な気持ちにぴったり寄り添うようにして、それにこたえるような手。
実に巧みな技です。

ナミダと鼻水とよだれで情けない姿をさらしながら、この人の言う通り素直に身をゆだねていれば、少しでも楽な方へと誘ってくれる、という気にさせてもらえるのでした。
そして終わった後に「お疲れさまでした。がんばりましたね」なんて言ってもらうと、子供に戻った気持ちでうれしくなるものです。

喉麻酔の時に感じる不安な気持ちから終わってほっとするまでの間、彼女が施してくれるケアの流れ。
こういうことは形にならないし、感じて終わったら忘れていくものだけれど、手を通して「ケアされた」という実感は後になっても体に
残ります。

そういう経験を仕事に戻ったときに患者さんに返していく。
こんな風に背中をさすってもらって楽になったなあという経験を。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「君は何によって覚えられたいかね?」ードラッカーの言葉ー

北海道胆振東部地震からの学びをつなぐ

2018年胆振東部地震から早いものでもうすぐ1年になろうとしています。

地震後に書いたブログがきっかけで、北海道看護協会札幌第1支部の石井さんに声をかけていただき、先日医療安全交流会で発表してきました。

北海道科学大学准教授の石川幸司先生はDMAT(災害派遣医療チーム)隊員でもあり、EMIS(広域災害医療援助システム)の現場のお話をしてくださり、とても興味深く聞きました。
地震当時札幌市内の病院のEMIS登録は20%しかなかったことにまず驚きました。
当院は早くからEMISに登録していたおかげで、早々に助けていただいたとわかり、改めて感謝の気持ちがわきました。


午後からは札幌麻酔クリニック副院長の金谷潤子先生が「災害体験から学ぶ在宅医療の本質 大切なことはなんだろう?」をお話になりました。
災害時の備えももちろん大事だけれど、限られた資源を省エネで使うのは病院も在宅も同じ。使っている酸素の量をいつも通りいかなきゃいけないと慌てるのではなく、少し減らしてみて状態を観察して、大丈夫そうなら省エネモードで平常に戻るのを待つというのもありじゃないですか、というお話に大きくうなづきました。

ここにはふたつの意味が込められています。
看護師は酸素2㍑と指示されれば2㍑が守られているか、酸素飽和度は足りているか、ということを通常チェックするのですが、酸素飽和度が90%切っていても、案外患者さんによっては苦しいと感じてない、なんてことは実はよく経験するところです。
何が何でも2㍑を死守することに奔走するのではなく、1,5リットルでちょっと様子を見て大丈夫そうなら省エネモードで過ごしてみて、事態の収束を待つというのもありじゃないか、という意味です。

もう一つは人間の体というのは生きる力が備わっているものだから、平常時と同じケアにこだわらずに消耗を小さくしながら生きる力を支えるのが看護者の仕事じゃないの?ということ。
医師の指示を妄信するのではなく、日ごろから「本当にこれは必要か?」と疑ってみることも大事でしょう、という意味も込められています。

いずれにしてもこれは患者さんとの日ごろからの観察と信頼関係があってのことで、けっして酸素の確保を怠って患者さんに我慢を強いるという意味ではないので、読者の皆様は誤解なきようお願いしますね!

そういえば当院でも地震のあと患者さんに、夜間せん妄が増えたり怯えたりするんじゃないかと心配していましたが、実際は逆で、とても落ち着いていて普段より気を張っていらしたというか、そんな印象を受けました。

もしかして生存本能、のようなものでしょうか?

交流会はその後酸素供給会社さんや、道内あちこちの現場で対応した管理者たちの発表がありました。
みずからも被災者でありながら病院で指揮された管理者の方や、在宅で呼吸器をつけたお子さんを看るお母様の支援など、胸にぐっとくる発表を聴かせていただきました。
重厚にして温かい場に参加でき、いろんなヒントをいただいくことができありがたかったです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あなたは今どれくらい備えができてますか?

自由に跳ぶノミ

7月10日~11日までグループ病院の看護管理者対象の研修を行いました。
「強みを活かした人材育成」をテーマに、講師に山崎敏史先生をお招きしました。

実はこの研修は企画を含めると1年半越しです。
昨年9/6に北海道胆振東部地震が発生し、中止になったからです。
満を持してのこの研修、たぶん私が一番楽しみにしていたかも知れません。

山崎先生の講義はスライドを使って聴く・見る・考える・話す・共有するを何度も繰り返し行い、ひとつのキーワードが徐々にそしてあらゆる方向からしみこむようにできています。
誰もが知っている有名人の言葉を使ったり、映像を使ったり、泣いて笑って感情も揺さぶられました。

私が特に考えさせられたのはノミの映像です。
普通にしていると高さ30センチくらい跳ぶノミたちが、高さ10センチの瓶に入れられて、蓋をされて3日間閉じ込められてしまいます。3日後に蓋をあけたら、自由に跳べるはずの環境でもノミは10センチしか跳ばなくなってしまいました。
3日間、10センチの蓋に全身をぶつけて痛い思いをしたせいで、それ以上跳ぶことをあきらめてしまったとしかいいようがありません。

これを組織に置き換えると、あれはだめ、これはだめ、ここまでしかいけませんと線を引き、ひとりひとりの職員の自由な発想や行動を抑えていると、その線の中の条件でしか動けない人を作ることになります。

ひとりひとりいろんな強みや関心があって、やりたいこと得意なことはさまざまです。
秩序を管理するのも必要なことですが、求められるリーダーは、環境条件に関わらず仲間の能力と可能性を高め、自分自身も学び、発揮し続ける人じゃないか、ということを感じました。

組織が停滞していると感じたら、あるいは部下に何度同じことを伝えても聞いてくれないとしたら、自分自身の見方や捉え方が原因となっているかも知れない。
それが悪いというのではなく、他にどんな見方ができるかな、理想の状態にするには何を加えたらいいかな、を考えていこうということです。
行動を縛っている固定観念を、無理にではなくほぐしていくことを教わった気がします。

さてそのノミ、どうしたら元のように30センチ跳べるようになるでしょうか?
参加者からいくつか面白い考えが出てきました。
答えを書いてしまうと山崎先生のこれからの研修に差しさわりがあるので、ここではやめておきます(笑)

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。

山崎先生のお仕事はこちらをご覧ください↓

http://www.link-c.co.jp/

大事な道具

昭和の男!という雰囲気を持つTさんは職人気質で頑固な方です。
一旦へそを曲げるとなかなか修正はできません。

「女子供のやるようなことは俺はやらん」と言ってイベントにも参加しませんでした。

お食事が徐々に喉を通らなくなって、食べたいけど食べられないという時に、たまたま七夕の会に車いすで来られたTさん。

「綿あめはいかがですか?」と手渡されて、一瞬きょとんとしましたが、何も言わずに受け取りました。

ぱくり。

ぱくり。

あら!おいしそうに食べてくださる!

「Tさん お味はいかがですか?」と尋ねたら
「懐かしいなあ」と小さな声でつぶやきました。

少し前までのTさんなら
「女子供の食べるもんなんかいらん」と突っ返されたでしょうけれども
ざらめの懐かしい味にふと幼かったころを思い出したのでしょうか。

口の中で溶けてしまうから「これだったら食べられる」と思ったのかな。

今年の七夕会では、この大事な綿あめ製造器が壊れていて、残念ながら綿あめがつくれませんでした。
去年酷使してしまったのが原因かも知れません。

私たちにとっては大事な道具。
新しく買ってもらいましょう。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
かき氷も人気があるんですよ。

あ・ぐり~んプロジェクト~いちご狩り2019~

今年もいちご狩りの日がやってきました。
5月の猛暑の影響か、いちごやジャガイモの成長が早い2019年。
6/26にいちご狩りと決めたものの、その2週間前から赤くなり始めていて、当日までにいちごがなくなっちゃったらどうしよう?と心配していました。

しかし小心者の心配をよそに、毎週毎週たくさんの実をつけてくれて、しかも今年はとても甘いいちごだったようです。

当日は入院中の患者さんが次々に訪れてくれて、みんなで分け合って食べていただきました。こんなにたくさんの患者さんと職員が来てくれたのは初めてかも。

2年前に始めたときは風が強く寒い日でして、降りてきたのは患者さんおひとりだけ。
「誰も行かないと部長がかわいそうだな」と同情してくれた(?)師長さんが連れてきてくれたのでした。

そんな始まりだった「あ・ぐり~んプロジェクト」も今や、朝からどの患者さんを連れ出そうかと看護職員が相談しあっているそうです。
外に連れ出して一緒にたたずむには、まあまあまとまった時間が必要です。
日ごろ分刻みで働いている看護師たちにとっては、プラスアルファの仕事となります。
それでも患者さんに目の前でいちごを食べていただき、おいしい笑顔を見て「ああ、来てよかったな」と思う瞬間を共有できることは、きっと価値ある時間になると思います。

病室に帰り際、大きな声で歌ったり、体操をしたり、介護福祉士たちも「がんばって外に出てきた患者さん」の気持ちを盛り上げてくれました。

ちょうどこの日インターネットサイトの「m3.com」さんが取材にいらしてました。職員と患者さんがわいわいしているのでとても驚いていました。そして「他の病院で同じような取り組みをしようと思ったときに、どうやったらこんな楽しいイベントになりますか?」と質問されたのですが、なかなか一言で答えられませんでした。

いちごを植えてお世話してくれるボランティアさん、施設管理の職員、理解してくれる院長・総長、そそるチラシを作ってくれてる事務職員や、当日連れてきてくれる職員たち、みんなの総力を合わせて成り立っていることなのです。
楽しいイベントの陰で、日々いちごが育つように肥料をやったり、虫やカラスを遠ざけたりする地道な活動があるからこそ、この日が迎えられています。
たぶんこの笑顔の時間をみんなで想像し、創造しているからでしょうね。
そしてお天気も味方になってくれました!

「やってみたい」という病院に言えるとしたら「小さく始めて」「続けること」と「楽しそうにしていると人は集まる」ってことですかね~とお答えしました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
来年もがんばるぞ~(^^)/

再び、幡野広志さんの本

病院機能評価の受審が終わったら、あれをしよう、これをしよう、と思っていたことの一つに幡野広志さんの新刊「 ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読む、がありました。

最初の本「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる 」もそうでしたが、私にとって幡野さんの本は電車の中で読むとか一章ずつ毎日読む本ではなくて、たっぷりと時間を取ることができる日に、静かで穏やかな場所で、しかも泣いてもいいような場所で一気に読む、という諸条件を整えてから読みたい本なのです。
決してベッドの中で寝ながら読んではイケマセン。
あ、でも正座はしなくていいです。

うるさいですね(笑)

休日の朝、お気に入りのカフェで一気読みしました。
そして、シビれるコトバに付箋を貼りたくなって、帰宅して二度読みしました。

がん患者さんが病気を知ってからどんな風に感じ、考え、何と戦い(病気以外にも戦うモノゴトがたくさんある)、どんな風に決定していくのか。何を一番大事にすべきなのか。
限られた時間だからこその説得力に満ちています。
それはがん患者ということに限らず、自分の人生を他人に振り回されずに掴み取っていくことを改めて考えさせられます。

ストレートで時に辛らつ、でも自然体な幡野さんの文章は、心にすうっと入ってしみこみます。
そして家族への愛情と悲しみ、こうなってわかった本当の人とのつながりをだいじにし、感謝の言葉が直球で伝わってきます。

がんじゃなくても、生きづらさを感じている人や、他人に振り回されて自分のことを後回しにしている人に読んでもらいたいです。

幡野さんは子どもが大きくなった時に「お父さんはこんなこと考えていた」と伝える記録として、写真や文章を残していると書いています。
体には病を受けているけれども、心は健康で研ぎ澄まされている。
これからも長くたくさん書き続けてほしいと願っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人生は失うことの連続だけど、ところどころ光に満ちている。

鼻腔いっぱいにイチゴの香り

6月も後半となり花壇の花がとりどり咲いています。
4F屋上「ふれあいそらのガーデン」にもプランターの花や野菜がすくすくと伸びて、風に揺れているところです。
先日ちょうどボランティアさんが作業しているところに、お花好きの患者さんがやってきて、しばしの間、花談義で盛り上がりました。

また、別の日にはプランターで育てたいちごが赤くなってきたので、病棟に運んで鑑賞したり摘み取っていただきました。
ある方は、摘み取ったイチゴの新鮮な香りを鼻に吸い込んで、驚いたように目を真ん丸にし、それからにっこりして「こんなところでイチゴさんに会えるなんてね」と喜んでくださいました。

感染予防やアレルギーの問題で、最近は病院から生花が遠ざけられる傾向にありますが、当院では4Fのサンルームなどでこうして植物を育てています。

認知症の方が水やりをしに来てくださったり、リハビリの休憩中に眺めたり。
楽しみの少ない病院で、思い思いに過ごしてくださっている。

先日ネットでこんなデータを見つけました。

https://www.mizuho-ir.co.jp/case/research/flower2012.html

花のある環境は不安やストレスを和らげ、活気を取り戻す効果がある。
いうまでもなく癒し効果があるものです。

「イチゴさんに出会えた」とおっしゃった患者さんも、お顔が和んでいらっしゃった。
つかの間病気であることを忘れてくれたなら幸いです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
6/26(水)には病院前のイチゴ畑でイチゴ狩りをする予定です。
すいません、写真はご愛嬌。
すいません、ご愛嬌。

抵抗勢力に負けない勇気

週末は「行動制限最小化研究会」に出て、当院の「カンフォータブル・ケア」の実践についてうちの棟方師長が発表してきました。
これで「カンフォータブル・ケア」3部作というか3段活用というか(笑)はひと段落しました。
最初は昨年法人内で行われた発表会だったのですが、ここでの評価はいまいちでした。
質の改善につながったのは確かなのにどうしてか伝わらなかった。けれども私たち、言いたいことが多すぎて整理できてなかったんですね。人に伝えるのにはもっとシンプルで直接的なほうがいいね、ということになってかなりそぎ落としたものに修正しました。
それをもって日本認知症ケア学会に挑戦し、発表することができたのです。
今回出席した「行動制限最小化研究会」は精神科領域の看護師さんたちの集まりなのですが、南敦司さんから呼んでいただき、一般病院の管理者として、カンフォータブル・ケアを導入した組織変革を主に発表させていただきました。

手前味噌ですが、私は今とても充実感と満足感いっぱいです。
現場の師長が提案し、導入し、成果をつかんで発表した。
体を通った言葉、つまり主体的に努力して体験した出来事は、説得力という重みをもって人に伝えることができるんです。してきたことをまとめ、人に伝えるためにどう表すか、師長さんたちのチャレンジをサポートしながらワクワクしていました。発表後に質問をいただけるのもありがたいことです。
そういう意味でこれらの発表は私にとって宝石のようなものなんです。

さて、行動制限最小化研究会でも参加者からご質問がありました。
「自分の部署でもカンフォータブル・ケアを取り入れたいが、変化に抵抗を示す人がいると思う。みんなが同じ方向を向くための方法を教えてほしい」というものです。

実は導入前の私たちも、同じ疑問を南さんに投げかけました。

小さな部署でも何か今までにないことをやろうとするとどうしても抵抗勢力というのはあるものです。
でも先にビジョンをよく考えて語り、どんなケアを提供する集団にしたいのか、そのために必要な技術としてこれを取り入れるよ、そうするとこんな未来が見える、ということをきちんと伝える。
そしてぶれずに続けると次第にそれがスタンダードになっていくのだと思います。

私たちも以前、患者さんのことを「ちゃん付け」していました。
長くつきあっているうちに親しみをこめてそうなっていたのです。
でもちゃん付けをやめ「いつも敬語」の原則を伝え続けて「〇〇さん」と言い直すようにしました。
「いつも笑顔」や「目線を合わせる」「ほめる」を意識するだけで、患者さんとのコミュニケーションが変化することを実感した職員は、自然にその態度を継続するようになります。

マーゲンチューブ(鼻から胃までの細いチューブで栄養剤を注入するもの)を患者さんが抜いてしまったとき、数年前は「また?」「まったくもう!」「じゃあ手にミトンはめよう」と患者さんの行動を抑制していました。
今は抜いてしまっても「ああ、すっきりしたお顔ですね」「嫌だったんですね」と言い、ご家族を含めてミトンをするかどうか、その都度話合います。ひと月に何十回もマーゲンチューブを抜く患者さんがいますが、今は「しかたのないこと、抜きたい気持ちはよ~くわかる」という風に私たちは理解してます。

そうしているうちに患者さんの周辺症状(怒ったり拒否したり叫ぶなど)はほとんど見かけなくなり、他所から転院してきた場合には「ここの方がおばあちゃんが穏やかなので、ずっと入院させてください」と言われることが多くなりました。
認知症「ふくじゅそう」外来の田村先生からも「あなた方のケアが良いから患者さんが落ち着いている」と認めていただき、こういう他者からの肯定も職員の自信につながっています。

組織文化の変革は勇気のいることですが、「良いこと」には賛同してくれる人がいるはず。
一人ではなく味方をつくって心を込めて繰り返し言い続ける。
良かったことを共有し、「ありがとう」とフィードバックする。
その小さな積み重ねできっと変わります。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
一つ目がいい評価だったら3度目はなかったかもなぁ。

できないと決めつけずに

Qさんは全身の筋肉が徐々に衰えていく病気にかかり、ベッドから降りることがない日々を送っています。
先日障がい者病棟で行ったイベント「手形でこいのぼりを作ろう」でベッドごとデイルームに連れ出されました。
このイベント、介護福祉士Sさんの発案です。
デイルームに集まって車いすで参加している方は、手に絵の具を塗られています。
赤や青に塗られた手形を大きな模造紙にてんでばらばらに押していて、これだけだと何ができるのかさっぱりわかりません。
でもみなさん目に微笑みをたたえて、何だか楽しそうです。

これだけ派手に手を汚す、というのは病院の生活では普通ないことで、皆さん何が起きるのかなというお顔をしていらっしゃいます。

私の横で田村先生が「手を汚すっていうのは脳にいい刺激になるんですよ」とつぶやいて行かれました。
小さな頃にした泥んこ遊びは、一度手が汚れてしまったら思い切りよく楽しむに限ります。
手形を押した後に師長さんから手相を見てもらい「生命線が長いですね~」と言われて実に楽しそうです。

そんな中、冒頭のQさんはベッド上でつまらないんじゃないかと声をかけると、震える指を動かして親指と人差し指で「OK」のサインを出してくれました。
ただそれだけのことですが、うれしかったんですと涙目になって師長さんが報告してくれました。
その後Qさんの手にも絵の具が塗られて、こいのぼりの絵にしっかり参加されたのだそうです。

私たち看護者は「患者さんにはできない」と一方的に決めつけて制限をかけたりすることがあります。
手指を使う場面を作らないで、先んじて介助してしまっていることもあると思います。
でも実は、患者さんはさまざまな力を持っている。
そのことをよくイベントで感じています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
喜び合える感性を育もう

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