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わたしも、欲が出ました

ヨシタケシンスケさんのエッセイに「欲が出ました」という本があります。
人があまり気が付かないようなところを掘り下げた文章とかわいいイラストで、ついクスっと笑ってしまう本です。
今日はその題名にあやかって、書いてみます。

もう3年以上も前になりますが、私どもの病院で「認知症対応カンフォータブル・ケア」を取り入れました。
過去のブログにもその経緯を何度か書いたのですが、このたびその取り組みが「精神科看護」という雑誌に掲載されました。
呼びかけてくれた棟方師長さんと、看護管理者の私にそれぞれ書いてほしいというご依頼、ありがたくお受けしました。
頼まれごとは試されごとですものね。

そして軽い打ち合わせだけでお互い書きだしたのですが、結果的には同じことを違う視点から書いた形になりました。
実践したことってこうなっちゃうんですね。
3年間を総まとめという感じで、out putしてすっきりした私たちです。

カンフォータブル・ケアというのは、認知症の方に対して「快」の刺激による対応を心がけることと、相手に敬意を払い温かく接することを中心としています。
看護職者は環境の一部なので、これが常にキープできるように、そして劣化しないようにこれからも気をつけていきたい、と思っています。

当院は緩和ケアを前面に出しているのですが、私は高齢者医療の場としても質のよいケアをしている病院だ、と認知されたいのです。
自分の中だけでそう思っていても、言葉で表していかないと人には伝わらない。

何をもってそう表せるだろうか。
独自性を出すにはどうしたらいいのだろうか。
てなことを、連休中は家にこもって考えておりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「自分の親を預けたいと思う病院」だよなあ。

頭をやわらかく

先日法人グループの中で業務改善発表会が行われました。
毎年札幌と仙台を交互に行き来して開催したのを、今年はオンラインで開催することになりました。
11施設からの発表はどれも現場の困りごとを題材にしていて、興味深いものがありました。当院からは患者さんの排便について薬に頼らず自然の力を使うテーマで発表されました。
業務改善発表会とは、いま起きている現象を違う視点から捉えなおし、データを活用して分析し、改良した結果どうだったのかを表すものです。
日ごろ臨床で働いていると、ルーティンワーク的な業務に慣らされてしまい「そもそもこれってなんのためにするんだっけ?」ということを考えずに、いわば思考停止のまま何年も過ぎてしまうことがあります。

先週のブログでご紹介したような「POOマスター」も、カチカチに固まった私たちの思考をほぐしてくれるものでした。
本来の患者さんの体が持つ力を引き出そうよ、そうすると患者さんも看護師もハッピーだよ、という至極当たり前の結果をもたらすのです。

その日の発表会で1位に選ばれたのは、看護師の前残業(始業前に早く来て先に残業すること)を減らすことに取り組んだものでした。
今日の受け持ち患者さんの情報を早く収集して、スタンバイしておきたい。
それは真面目な看護師たちに受け継がれてきた習慣で、働くスタイルだったりします。
先輩が早く出勤しているのに自分があとから来るなんて、という気持ちも働くかも知れません。
けれどもそのために前残業が習慣化するのはよくないのではないか、と主任たちは考えました。
これも「スタート時間をちょっとずらす」だけでずいぶん効果が出たという結論でしたが、「ちょっとずらす」ことを論理的に説明して、上と下に納得してもらうエネルギーが、相当必要だったろうな~と想像します。

「こうあらねば」とか「いままでずっとこうやってきた」とかいう声も聴きつつ、頭をやわらかくして業務を改良していく。
無駄な時間が減った分、患者さんのベッドサイドに行く時間が増えて、患者さんをどれだけハッピーにしたのか。
そう考えるとテーマは無限にありますね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
だからいろんな本を読み、人と対話するのが役に立つんだな。

人を幸せにするケア・POOマスターが2人誕生!

お食事しながらこのブログを開いた方にはごめんなさい。
今日は「便」がテーマのお話です。
石川県で保健師をしている榊原千秋さんと出会ったのは2年前。とある講演会の後の懇親会で、私はたまたま榊原さんの真向かいに座りました。
初対面だったので、お互いの仕事を自己紹介したときに、榊原さんが排便ケアのPOOマスターという取り組みをしていると教えていただきました。
病院や施設にいる高齢者の多くは排便がスムーズではなく、下剤を服用したり、3、4日便が出なければ浣腸をかけて出しています。
私も長年看護師をしていて便を柔らかくする薬と、腸の蠕動を促す薬を調節するのが当たり前と考えてきたのですが、薬に頼ると量が増えていきますし、その人の持つ排泄の力が失われてしまうのだそうです。
排便のメカニズムやその人の排便習慣を観察して、適切なケアを提供できると、気持ちよく出すことができる。
すっきりすると自然と食欲が湧き、元気になっていくもの。
その力を取り戻すために「POOマスター」(POOは“うんち“の意味)という講座を立ち上げ、全国で指導されていたのが、榊原さんだったのです。

私はお話にぐいぐい引き込まれました。
便秘と下痢を繰り返したり、おむつで排泄される方が看護師のケアで「気持ちよく」排泄できたら、どんなにいいでしょう。排泄は人間の尊厳にかかわることですし、できるなら人の手を介さず、自然にすっきりしたいものです。

「工藤さん、札幌で講座を開くときはきっとスタッフを来させてね。スタッフも元気になる講座だから」とにっこり笑っておっしゃったので「はい、わかりました」と即答しました。
このキラキラしたオーラは只者ではない。
実践に裏打ちされた自信と誇りに満ちている。
私はアンテナがピンと立って「絶対スタッフを出そう」と心に決めていたのです。

そして2020年。
当院から2名のナースが無事この講座を修了しました。
こういう時は関心のある人が行くのが一番です。
POOマスター講座は、単なる座学と違い、学んだことを実践して次の回を迎えるようなプログラムになっています。
当然「自分だったらどうやってこのことをみんなに伝えようか」と能動的な受講になるでしょう。
副主任Oさんの講義は、榊原さんが乗り移ったような迫力がありました。

そのあと日をあけて2度目の講座の後は患者さんの排便日誌をつけて、それに合ったケアを提供するという宿題でした。
詳しいことは割愛しますけれども、はっきり申しますね。
これは確実に患者さんを幸せにするケアです。

二人の受け持ち患者さんが教えてくださいました。
「やや硬めのいいうんこがすっきりと出て気持ち良かった」と。
健康な人にとっては当たり前の言葉ですが、これは私たちにとって、とても価値ある言葉なんです。

そして彼女たちの看護記録が明らかに変わりました。
お見せできないのが残念ですけど、排泄ケアのプロフェッショナルの記録です。
いろんなケアのプロがいて、だんだん高齢者ケアがアップしていく。
患者さんが喜んでくださると看護師も喜び、もっとよくしてあげたいと思う。
ご縁が結んでくれたケアに感謝です。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
POOマスターについてご興味のある方はこちら↓

https://sorabuta.com/wp/product/poo_unchicchi/

新たな「こもれびの会(慰霊祭)」の様式

当院では毎年秋に「こもれびの会」という慰霊祭を行っています。
当院で旅立たれた患者様のご遺族をお呼びして、院内で慰霊を行う式典です。
毎年40名くらいの方が集って下さり、職員の顔を見て懐かしんでいただいたり、近況を教えていただいたりします。
いつもなら黙とうの後、院長から「悲嘆について」のお話や、ピアノとフルートの生演奏を聴いていただき、祭壇に献花をして厳かに行われていました。

今年はコロナウイルスの感染拡大のため、ご遺族をお呼びするのはあきらめ、その代り職員だけで慰霊祭を開こうということになりました。
そこにご遺族がいらっしゃるようにして、前野総長、臨床宗教師の米本智昭さんのお話が続きました。

そして今年は献花に新しいアイデアが生まれました。
これまでは祭壇の上に一人一輪の白いカーネーションを置く形でしたが、今年は祭壇に4つの花器を用意し、一人一輪の花をそこに挿してみんなでアレンジメントを作り上げる、というものです。
当日勤務していた100名ほどの職員が、仕事の合間に会場を訪れて参加しました。

このアイデア、園芸療法士としてボランティアに来てくださっている、Tさんにご協力いただきました。
花の選択から、ふさわしい花器の準備、花の挿し方まで教えていただき、最後に手直しをして美しく彩りのやさしいアレンジメントが4つ完成したのです。
出来上がったものは、外来受付と各病棟に飾られました。
この様子は後日ひだまりブログでもお知らせする予定です。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
これもひとつの新しい様式です。

札幌南徳洲会病院の緩和ケアで働きませんか?

今日は看護職員募集のご案内です。
いつもブログを読んで下さっている方には「あれれ?」の内容かも知れません。
でも大事なことなので書かせていただきますね。

おかげさまで当院は来年7月に新築移転に向けて着々と準備を進めております。
そこで今は来春の募集とともに、年初めから働く人を若干名募集しております。

現在緩和ケア病棟は1つ(18床)ですが、移転後は2つ(20床×2)になります。
2021年度は引っ越しもあり、新しい環境になるので少々忙しくなると思っています。
その忙しさを一緒にワイワイしてくれる方が嬉しいです。

来てくれた方と和やかで温かいチームを作り、よいケアを継続するためにどうしていけばいいか、一緒に考えていけたらいいなあと思います。

私たちはなにより、最期までその人らしく生きることを大切にしています。
そしてご家族のことも丸ごと考えるようにしています。
私たちのケアがその人にとってよかったのかどうか、患者さんに教えていただき、それをふりかえっては考える、を繰り返しています。
そのため日頃から臨床心理士や音楽療法士、臨床宗教師などの専門家も交えて話し合いをしています。
それからボランティアさんのチカラも借りて、ふだんの暮らしやこころからのおもてなしにできるだけ近づくようにしたいと思っています。

こういう価値観に共鳴し、一緒にやってみたいと思う人を仲間にお迎えしたい、それが私たちの願いです。

今現在募集しているのは
看護師さんと看護補助者さん。

2021年1月からと4月からのふたつの時期で募集しています。

説明会は11/7(土)と12/19(土)行います。

詳しくは採用のページをご覧いただき、お問い合わせください。

https://sapporominami.com/nurse/careers/
ご応募、お待ちしております。

今日もこのブログ(?)に来ていただきありがとうございます。
たまには看護部長らしいことも。

臨床宗教師 米本智昭さん 苦しみを共に感じて寄り添う人

当院には医療職者のほかに、ひとの心や魂を支える専門職が在籍しています。
「ケアする人びと」今日は「臨床宗教師」の米本智昭さんを紹介したいと思います。

―「臨床宗教師」という職業について説明していただけますか?

簡単に言うと「公的な場で活動する宗教者」のことをいいます。
昔はお寺も公共の場でしたが、東日本大震災をきっかけに、この活動が広がってきました。

―臨床宗教師になろうと思ったきっかけはなんですか?
遺族ケアももちろん大事ですが、生きていく間いっぱい苦しみを抱えていて、その苦しみを一緒に感じて一緒に答えを探しに行くこと、もともと生と死をつなげたいという気持ちがあって、亡くなってからではなくてその前の物語を知っていれば、たとえばお葬式だって自分の知っている身内のように涙を流しながら送ることができると思っています。

―東日本大震災での活動について教えてくださいー
3・11の後の宗教者は、自分の利害じゃなくて本当に苦しんでいる人たちに寄り添いたいという風に思いました。そこで宗教者と宗教学者が手を取り合って臨床宗教師というのが誕生したんですよね。
東北の震災の、一度に多くの人を見送らなければならなかった人の、残った人たちの苦しさ・・無念で亡くなった人たちを宗教者として弔う。
多くの宗教者たちが手をつないで、できることがあると感じたのがきっかけなんですよね。

―「臨床」って付くのはなぜなんですか?
岡部武先生と言う東北大学を出たドクターが在宅ホスピスをやっていらして、「死にゆく人にとって医師はなにもできない。暗闇に降りていく人にその先を示してあげられるのは宗教者だ」と言って、それで「臨床宗教師」が必要だ、と言ってくれたんですよね。ですから医療者側からの提言と言うか、それが先にあってそのあとに大震災が起きたんです。
ですからそこから公的な場で活動するという中に、病院も当然含まれていくという形になった。病院に入ることだけが臨床宗教師ではなくて、現実的にそういう要請があったし、そうおっしゃっる方がいたんですね。ただ急に宗教者に来て下さいと言って来たとして、いろいろなことを踏まえた人じゃなきゃ難しい場面もあったでしょうし、「宗教者はちょっと・・(困る)」という体験をお持ちのお医者さんのお話を聴くこともあります。
ですから現場の方に私たちは寄り添わせていただいて、受け入れて頂けるように変化していこう、という感じです。

―ここではどんな活動をしているか教えてください。
13時頃に来て13:30からのカンファレンスに同席しています。カンファレンスのあとに私を必要としてくれている人がいたら、師長さんから声がかかる。そのお部屋に担当ナースと医師と一緒に行って「初めまして」から入っていく。スタッフから一緒に考えてほしいんですと言われることもあります。

―カンファレンスで意見を求められることは?
あります。心がけていることは(自分が)医療者じゃないので、医療的な意味での介入ではなくて、その人らしさやその人の人生について焦点を当てたことをことを言わないとならないと考えています。
たとえば医療的には当たり前の行為だったとしても、その人の人生にとってはあるいは家族にとっては普通ではないことがあります。
その人の尊厳を考えた時にそれは正しいのか、医療行為としては正しくても患者さんは我慢しますし、そのルールに従わなければならない。
ということは(カンファレンスで)言うようにしているし、必要なことですよね。

米本さんが当院の職員になられてから早1年。今や欠かせない存在となっています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
詳しくは「ケアする人びと」の欄をご覧ください。

https://sapporominami.com/wp/wp-content/uploads/2020/10/%E8%87%A8%E5%BA%8A%E5%AE%97%E6%95%99%E5%B8%AB.pdf

記憶の遺産~ドローン撮影しました~

今の病院のことを記録に残そう、と活動しているチームがあります。
M先生とふたりの師長さんで構成されていて活動は密かに行われています。
チーム名は忘れました・・たしか「今年〇歳」をフランス語に訳したような、そんな名前でした。

先日そのチームから職員にお誘いがありました。
病院の玄関前に集合してドローンで撮影しましょうという企画です。
最初は自分たちでドローンを買って撮影しようという話でしたが、技術的にむずかしそうということで挫折しかかりました。
そこに救世主登場です。
新病院を建設してくださっているN社のYさんがドローン撮影の達人でして。
図々しくもお願いしてみましたらご快諾いただけました。
(たびたびすみません)

お忙しい中かけつけてくださって、匠の技で10分ほど病院全景を撮ってくださいました。
飛び上がったドローンを見上げると両手両足を精一杯伸ばして飛んでいるように見えます。
なんともかわいい姿!
撮影された映像を見ますと天井があまりにもボロボロでびっくりしましたが、集まった職員が笑顔で手を振っている姿に、なんだか「きゅん」とします。

私たちが慣れ親しんだこの地域、住宅が立ち並ぶ風景が見渡せて、これからの大切な宝物・記憶の遺産になります。
Yさん、N社のみなさん、ご協力いただきありがとうございました。

今週もこのブログに来てくださりありがとうございます。
やぐらといい、ドローンといい、善き人に恵まれています。

粋なはからい

わたしたちの新しい病院は、もう3階部分まで立ち上がっています。
外側は雪が降る前に出来上がり、冬の間内装工事をする予定です。
基礎工事が始まってから半年、設計から建築という仕事は、なんと美しくてち密な作業なんだろうと感じています。
建築士と工事の方とはすっかり顔なじみになりました。
院長はほぼ毎日のように建築現場を訪れ、子供の成長を見るように嬉しそうにしています。

実は私どもは建築会社の方に図々しいお願いをしていました。
建物が完成するまでを記録に残したいと言って、建築事務所2階の柱に定点カメラをつけさせていただきました。
途中でデータを見てみると、土を掘っているところから徐々に地下部分が作られ、1階、2階と日々変化していく姿が写っています。
にょきにょきと姿を変えていくのを見るのは本当に楽しいものです。
建物が3階建てなので、いずれカメラの位置より建物の方が高くなってしまうことはわかっていたのですが・・・。

先日定例会議で現場を訪れたら、建築事務所にやぐらがくっついています。
なんだろうと思ったら、なんとそのてっぺんにあの定点カメラが設置されていました。
私たちの意図をくみ取って、建築事務所の方がご厚意でやぐらを建ててくださったのです。
建築事務所の屋根をはるかに超える高いところに設置されたカメラ。
データを取りに行くのは?院長?? 事務長??
と思ったら「僕たちが行きますから」とおっしゃって、事務所の方が高所用の器具を使いながらさくさく登ってくださいました。
その親切な心遣いと熟練した動作に「うわ~~」っと感動してしまいました。
なんてかっこいい!
そして何も言わず黙って相手の喜ぶことをする、粋な姿に心打たれました。

今週もこのブログに来ていただきありがとうございます。
設計も建築も人対人、なんだなあ。

雨雲の調節

私の母は54歳でがんと診断され、59歳の時に亡くなった。
「入院すると主体性が奪われるから、できるだけ入院したくない」と言い、亡くなる前日まで家で過ごしていた。家での暮らしは父が支えていて、慣れない食事の支度からトイレまで、つきっきりで看護をしていた。
自分で動けなくなってからは、葬儀のことや遺影に使う写真を母が自分で決め、それをひとつひとつ父が形にしていった。
今なら在宅緩和ケア診療所や訪問看護があるし、家で旅立つこともできる。
当時だってできなくはなかったが、死期を悟った母はおそらく家族の負担を考えて自ら入院を希望し、わずか1日で旅立っていったのだ。

亡くなってしばらくの間、父は呆けたようになっていた。
体が一回りしぼんでしまったかのように精気を失い、時間をどう使えばよいのかわからなくなってしまったようだった。
伴侶を失い、話し相手を失い、食べさせる喜びをいっぺんに失ったのだ。
「毎晩夜中の2時ころに、母さんをおぶってトイレに連れて行ってたんだ。眠くて辛いときもあったけどな、今それがなくなって、朝まで眠れるはずなんだが、毎晩2時になると目が覚めるんだよ。トイレに連れて行かなきゃって・・・困ったもんだな」

ゆっくりする間を与えず私たちは引っ越しの準備に父を巻き込み、スープが冷めないどころかあっついままの距離で暮らすようになった。
家で主夫業をお願いし、やがて地域の活動に自ら進んで行くようになっていった。
その時はグリーフ(悲嘆)ケアという言葉さえも知らなかったが、父が生きる力を持ち直して本当にありがたかった。

お墓参りに行くと、それまで雨が降っていてもお墓の前では必ず雨が止んだ。
お墓参りを終えて車に乗り込むと、待っていたかのようにサーっと雨が降り出すことが何度かあった。
「不思議だよね、誰か晴れ男か晴れ女なんだね」と言うと、父はあの世にいる母と連絡を取り合い、墓参りの間だけ雨雲を調節するよう頼んでおいたんだ、と笑っていた。

その父も鬼籍に入ってもう9年が過ぎた。
いまだにお墓参りに行くと雨に遭わずに済んでいるのは、父と母が調節してくれているおかげなのだろう。
空を見上げてありがとうと言う。家族にしかわからない話だ。

先日当院が主催する遺族会「ひだまりの会」に出席して、ご遺族の方の心境を聴かせていただいた。
当たり前だけど喪失の感じ方はその人それぞれで、温かい思い出を振り返る方もいらっしゃるし、頭がまっしろになったまま時間が止まっている方もいらっしゃる。
喪失感との向き合い方はいつか必ずこうなる、というものでもないし、正解もない。
ただここへ集って思いを分かち合ってくださり、心から感謝いたします。
私たちもみなさんのこと、気にかけています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
時間と共に少しずつ、悲しみが抱えやすくなっていきますように。

静かな個展

札幌はひと雨ごとに気温が下がり、街路樹も紅葉してきています。
すっかり季節は秋になりましたね。

今私どもの病院のサンルームには油絵が10点ほど飾られています。
富良野のニングルの森、オンネトー湖と雄阿寒岳などいつか見た風景や、琵琶湖の蓮の群生やこんもりした川辺の紫陽花など、温かく心が休まる絵ばかりです。
この病院で以前看護部長をされていたSさんが、退職後の趣味で絵を始められました。

季節の変わり目にいつもお持ちいただいて、外来の待合室を彩っていただいていたのを、今回まとめて展示し静かな個展を開いています。
リハビリ中の患者さんがときどき足を止めて、絵に見入っている姿を見るとうれしくなります。
「ここに行ったことがあるよ」とお話くださると、自然と会話も弾みます。

9月・10月と私どもでは「ひだまりの会」というご遺族の会を催します。
故人を偲び、闘病を支えられたご家族を労う会ですが、私ども医療者にとってもご遺族にお会いするのは、共に伴走した「同士」をお迎えする気持ちで胸が高鳴ります。
大切なご家族が亡くなられた場所にまた足を踏み入れるのは、勇気がいることでしょう。
通り道に飾られた絵で心休まることができたら・・。
と、いつも陰で支えてくれているボランティア・コーディネーターの鈴木さんが、これらの絵を運び、飾ってくれました。

今年はコロナの影響で、ひだまりの会も慰霊祭も規模を小さくして行います。
けれども大切な人を思う気持ちはいつもと変わりません。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
どうかゆったりした時を過ごせますように。

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