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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

私を変えた患者さんのひとこと

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
8月から毎月1回、看護部の役職者研修が行われています。
副主任・副主任フォローアップ・主任・師長と段階的な研修をプログラムしていて、北海道内の病院で受けられます。 さらに上位の師長・副看護部長・看護部長は徳洲会本部が企画する研修があり、看護協会の研修もあります。教育体制が整ってきたなあと思います。

ウン十年前に私が役職をいただいたときは、研修らしい研修はありませんでした。今看護部長の方たちは多かれ少なかれ同じような環境だったかと思いますが、「盗んで覚えろ」の昭和世代は、それが当たり前でした。

副主任のまま師長代行になってしまった私は「師長とはなんの仕事をするんだろう」ということがわからずにいました。勤務表を作る人? 苦情を聞く人? 壊れた備品を修理に出す人? どれも必要に迫られてやっている仕事でした。患者さんとの距離は遠くなり、用事がないと気軽にお部屋に行けなくなったような気がしました。そしてスタッフとも雑談ができなくなったように感じました。
先輩師長の真似をしても、どうも上っ面だけに思えます。

そんな風にもやもやしている私を見透かしたように、ある長期入院していた患者さんがこう言ってくれました。
「あのな、なんにもしてくれなくていいから、週に1回、師長が部屋に来て挨拶してくれたら患者は安心するんだぞ」
その言葉にはっとなりました。用事があるとかないとかに関係なく、患者さんと会話する。それは私が一番できてないことでした。
反省した私は、入院した翌日の朝お部屋に入り「昨夜は眠れましたか」「何かお困りのことや、看護師で至らないことがありましたら、遠慮なくおっしゃってください」とご挨拶しました。 そして週に1度か2度、お部屋を回って短時間でもお話を聴くことにしました。
主治医には言えないような込み入ったお話を聴くこともありましたし、苦情を聞くこともありました。けれども大方は感謝の声が多く、カーテン越しにいる看護師にもそれは伝わっていたと思います。
いつだったかある看護師に「師長が患者さんに“看護師で至らないところがありましたらいつでも仰ってください“と言っているのを聞いて、変なことはできないと思いました」と言われたことがあります。 それはそれは、と二人で大笑いです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今は懐かしい思い出。

10年と20年

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
ついに札幌にも初雪が降りました。雪の降り始めはなぜかワクワクする、札幌っ子。
風がない夜にしんしんと降り積もる雪が好きです。

さて先週は北海道ブロックの主任研修に行ってまいりました。
コロナ禍中はオンライン研修でしたが、今年度からブロック内の病院で開催するようになりました。忙しい現場を離れて、2日講義を受け対話するのは、主任さんたちにとって良い気分転換になったようです。普段ゆっくり話をする暇もありませんが、こういう場だとリラックスしていろんな話ができるものです。

講師はグループ病院で活躍する、5人の副看護部長たちです。お互いに副主任・主任・師長と成長してきた中で、研修でもお互いを知り切磋琢磨してきたので、講師として会場で出会うと「わ~」「きゃ~」と親交を温めています。そんな姿もかわいいですが、20年前初めて出会い、自分の部下だった人が、成長して今講師をしているということに感動しています。
そして最新の知識を熱く講義してくれる頼もしい姿に、ほれぼれして聞いている私です。

一緒に過ごした10年という年月。私の10年と彼女の10年はもちろん違う人生だけれども、その時たまたま同じ場所で働いていました。それぞれの立場で、それぞれの困難さがあって、お互いに影響を受けあって、なんとかやってきて今があるという、その不思議。縁と言ってもいいのですが、少しばかり長いつながりです。
私自身も上司や周りの方から導いてもらい、育ててもらいました。
歴史というには短すぎるけれども、人が育つ・育てるっていうのは、こんな風に細い糸を編むようにして、時間をかけてつながっているのですね。

次代を担う彼女たちの講義から、学ばせてもらいました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今回の学びは「コウモリの目(逆さから見てみる、疑って見てみる、の意)」

看護補助者の「初!」べスプラ研修

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
まあ、毎回同じようなことを書いておりますが、先週道内のグループ病院から看護補助者の方が研修に来られました。

看護補助者のベストプラクティス研修は、今年度始まったもので、お互いに初めて同士です。
今回も2F障がい者病棟に、お願いしました。
特別なプログラムはありませんが、認知症看護認定看護師の副主任が中心となり、カンフォータブル・ケアの活動を一緒にやっていただくことで、何か受け取ってもらえるのじゃないか、ということになりました。

初日はピアノタイムとそのあとのレクレーションをご一緒に。
翌日はカンフォータブル・ケアの講義を聴いてもらい、入浴介助や食事介助などを一緒に動いてもらいました。
お昼は恒例の「ランチョン・ミーティング」。仕出しのお弁当を取り、関わった人達でテーブルを囲みました。夕方は振り返りの時間です。
研修生さんからは「自分がやりたいと思っていたことが、すべてここにはありました」というもったいない言葉をいただきました。
それを受けて当院の補助者さんが、こんな話をしてくれました。
「夜勤に来ると、まず今日の担当は私ですよ、という自己紹介から始まる。食事や排せつのチェックリストを見ながら、今日はお昼にお便が出てないから、夜に出るかも知れないな、と心積もりしながら観察している。私たちの対応ひとつで、夜間のせん妄を防ぎ、安心して眠れるようにと声をかけている」ということでした。

いろんなことを想定しながら、なおかつ自分自身の存在が、患者さんにとって温かく安心できるように、いっぱい考えて仕事をいることがわかりました。
研修生を受けるということは、自分たちのケアや在り方を振り返ることになる。そして実のつまった対話。ここに発見があるなあ。こういうのを聞くとうれしくなっちゃう。
遠くから来て下さってありがとうございました。
一人からでもできるカンフォータブル・ケア。小さく始めましょ。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
種を一粒。

成長を助けるもの

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
食欲の秋です。勉強の秋です。他にも色々、秋ですね。

先日、静岡のグループ病院からベストプラクティス研修生がいらっしゃいました。
今回も認知症カンフォータブルケアを学びに来てくれたのです。うれしいことです。

研修に来てくれた方にいかに良い体験をしてもらうか、迎える側である私たち、の試行錯誤が続いています。
カンフォータブルケアの実際、委員会への出席、ランチョン・ミーティングなどなど。
そして最後に振り返りの会を30分ほど開きます。
私はその振り返りの会、楽しみに参加させてもらっています。研修生の様々な気づきや学びとともに、担当する師長や、認定看護師の言葉にも実はこっそり感動しております。

先日は棟方師長がこんなことを言いました。
「研修生が来ると現場のスタッフは良いところを見てもらいたいと意識するので、普段よりもより良いケアをしています。人が見に来ることで、私たちも育てられているのです」

なるほどほんとにそうですね。カンフォータブルケアは気を抜くとすぐに崩れます。特に敬語が使えなくなる。友達言葉になりやすい。研修生が来ることで、基本に立ち返り、良いところを見てもらいたい、と姿勢をただします。
私たちの行動が誰かの役に立つ。そう信じることで、私たちはまた成長していくのだと思います。
これからも皆さん、どしどしいらしてください 笑。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。見られるって大事だね。

死の臨床研究会 ~ALSのAさんのこと~

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
日ごとに秋が深まっています。札幌もついに初雪が降りました。

先週末、日本死の臨床研究会inSapporoが終わりました。
今回は当院の梶原師長が大会長を務めたこともあって、20名以上の職員とボランティアグループせらのみなさんが、運営のお手伝いをしました。
当院からポスター発表が6演題もあったのです。過去最高かな?
他にもシンポジウムで発表したり、ワークショップに出た職員がおりました。

ポスター発表のうち3演題は看護部から。
その中のひとつ、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者Aさんについての発表は、私にとっても忘れられないものでした。

不治の難病のため、生きる力を失いかけていたAさん。
パソコンという意思伝達の手段を得て、しだいに生きる希望を見出していくさまを共に歩んできました。言葉を言えない患者の代表として、辛さや悲しさ、いろんな思いを語ってくれた、わたしたちの大先生でした。

ラジオ番組にユニークな投稿をして一緒に笑ったり、チャーミングな目元で気持ちを表現してくれました。遅いクリスマスプレゼントに1泊の自宅外泊を、ご家族とスタッフみんなで成功させたこと。最期のときに、大好きだった日本酒で唇を湿らせたこと。

医師からもこの方のことについて別の切り口で発表がありました。
それくらい、私たちの中に忘れられぬ存在となって、心に生き続けています。だから、この「死の臨床」の大会で、Aさんが生きてきた軌跡を、ぜひ発表してほしいと思っていました。Aさんも、きっと会場の中で一緒に聴いてくださっていたと思います。

今週もこのブログに来て下さりありがとうございます。
一区切り、そしてまた前をむいて歩いていこう。

身体を通った言葉

こんにちは。完全に「虎に翼」ロスの工藤昭子です。
毎日の楽しみがなくなってしまいました。ほんと寂しいです。

さていよいよ本格的な秋になった札幌です。果物狩りはまだできそうだし、紅葉もこれから。
秋が長いといいですね。

出張続きで病院をおろそかにしていると、院内のことが見えなくなるものですが、小さな病院のいいところは看護部長と職員の距離が近いこと。
育休から戻ってきた職員と言葉を交わしたり、グループの応援業務から戻ってきた職員をうんと労ったり、入職したばかりの職員に声を掛けたりすると、自分にもパワーが充電されるのを感じます。

台風の中、離島研修に行って来た職員は、ほんの数分の立ち話でしたが、島の人たちのたくましさや親切なことなど、たくさんの気づきを得たと目をきらきらさせて話してくれました。
経験して学習したことを言語化することを、私は「身体を通った言葉」と名付けていますが、その人の持つ価値観やそれまでの経験を刺激して、深く重みを持つものとなり、時にはその人の人生を変えるきっかけになったりします。

普段は多忙だからと互いに遠慮しがちですが、相手が「話したい」というエネルギーを持っているときは、なるべく丁寧に聴こうと思っています。相手の関心ごとに関心を寄せ、相手の生きている世界から見えるものは何か、を頭に浮かべながら質問していくことが、自分自身の想像力も高めてくれるように思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
雨・雨・晴れ・晴れ・たまに夏。

認知症ケアの風景

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
札幌は、すっかり秋の季節に切り替わりました。
銀杏が緑から薄緑に変化してきています。これから紅葉がぐんときれいになる時期です。

今日は、日常的な認知症ケアの様子をご紹介しようと思います。
院内を巡回していると、ナースステーションの中でまるで職員のように混じっているAさんの姿があります。
Aさんは認知機能が低下していますが、日常生活動作は普通にできるので、病棟内を自由に歩くことができます。
カンファレンスに一緒に参加していたり、職員の誰かと一緒に病棟内を歩いたり、廊下のお掃除をしています。
この方は以前は会社勤めをしていらっしゃいました。と同時にとても手先が器用だったので、近所の人に何か頼まれるとすぐに対応してくださっていたそうです。
そのため、町内ではとても人気があり頼りにされていたそうです。


そういう背景を持った人ですから、時々職員と一緒に病棟を点検して回ったり、壊れているところがないかを一緒に見てくださっているのだと思います。
日中はそんなふうに動いてらっしゃるので、食欲もありますし夜はぐっすり眠ってくださいます。
Aさんのこのような行動は、徘徊というふうに言われたりします。徘徊というのは行動する意味が自覚されているか、されてないかわからずさまよっている状態を言うのですが、Aさんのこれまで生きてこられた背景を理解することによって、その方が「今」生きている世界に私たちも入り込み、同じものを見ようとすると、各お部屋を回って困り事がないか確認してくれている、人の役に立つ尊い仕事をなさっている姿が浮かび上がります。
こんなふうに、付かず離れず見守りながら、Aさんの行動を危なくないように支えてくれているスタッフから、私も認知症ケアの醍醐味を教わっています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
相手の関心事を知るということだよね。

ぎりぎり夏か?

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
本州はまだまだ酷暑が続いておりますが、このところ急速に秋になった札幌です。

そんな中、2F病棟の「ぎりぎり夏祭り」は今年も大盛況でした。
院長の篠笛(ご自分で購入!こっそり秘密練習したようです)、山口先生の太鼓(youtubeで練習!インスタにも出ています)から始まったお祭は、綿あめやマグネット釣りなどの縁日が用意されたほか、スタッフのアイデアの「人間もぐらたたき」に「神の手が出てくる」ボーリングなどもあり、患者さんも童心に帰って楽しんでくださったようです。

圧巻はお神輿です。軽くするため段ボール製ではありますが、細工はかなり凝っておりまして、わっしょいわっしょいと患者さんが担いでくれました。今年もお賽銭が入れられたようです。
ボランティアせらのみなさんの協力もあり、お祭は大成功でした。私も患者さんが綿あめを食べるのをお手伝いして、とても幸せでした。
スタッフが楽しんでいると、患者さんにも伝わりますね。

さて翌週9/17はアルツハイマー月間ということで、当院でもはじめて「認知症のつどい」を開催しました。認知症の予防や対応方法、活用できるサービスや知恵などお伝えして、少しでも不安や困りごとが解消されたらいいなあと、認知症看護の認定看護師が中心となっていろいろ企画しました。
あまりお客さんがいなかったらどうしよう、と心配しましたが、思っていたよりもたくさんの方が来られてほっと胸をなでおろしました。

その二日後にはグループ病院から、認知症カンフォータブル・ケアの実際を学びに、看護師さんがいらっしゃいました。2日間、認知症ケアの現場を見学していただき、委員会にも参加しました。その方は現場の身体抑制を減らしたいという気持ちでいらしたのです。
当院の取組が少しでもお役に立てたらうれしいです。

合間には保育園で、先日収穫したじゃがいもを使って「いももち」を作り、みんなで食べておいしかったと写真が送られてきました。三角巾にエプロンを身につけたちびっこシェフたちが、ジャガイモをつぶしている姿のなんてかわいいこと! 園長先生(←私のこと)も一緒に作りたかった!

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あちらこちらで、楽しい秋。

居心地のいい学会・日本死の臨床研究会

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
連休中、雨の日がありましたが、最後は秋晴れの札幌でした。一気に空気が変わり、虫の声が聞こえなくなりました。秋が長いといいなあと願っています。

さて、今日は少し宣伝させてくださいね。
10/12-13の2日間、札幌コンベンションセンターで「第47回 日本死の臨床研究会 年次大会」が開催されます。
毎年開催されているこの研究会、今年は札幌が会場で、大会長の一人が(ジャーン!← 効果音)当院の教育師長・梶原陽子さんなのです。今準備も追い込みに入っており、連日打ち合わせなどで忙しくしているところです。

この研究会、私も当院に来てから何度か参加しておりますが、他の学会とは趣が違います。一言で説明するのはむずかしいのですが、一般的な医療系の学会だと「これが新しい治療法です」「最新のデータによると〇〇です」という感じで発表者がそれぞれの分野で競っています。一方「死の臨床」の方は、「精一杯こんなケアをしてきたが、これでよかったんだろうか」とか、「他になにかできることはなかったか、教えていただけませんか?」というスタンスで発表することが多く、それについて参加者が
「以前出会った患者さんにこんなケアが有効でした」
「難しいケースでしたが、皆さんは精一杯よくやったと思います」
などと、共感しながらコメントを下さるというシーンがあちこちで見られるのです。
つまり発表者と参加者の距離が近いというか、親和性や共感性が高いのです。そして他者へのリスペクトを大事にしているとも感じます。日ごろから、人としての最期の時間をどう生きるのか、どう支えるかを扱っているので、そうなるのは自然なことなのですね、きっと。ですから質問やご意見も温かく、参加するとパワーをもらえる会だと感じます。また、この会は一般市民の方も参加できるというのが珍しい点だと思います。むしろ一般の方ともセッションができると、よりいい会になるだろうなあと思います。

今年は当院からも数名、シンポジウムやポスター発表があり、応援団としても楽しみにしています。
また、前野名誉院長や梶原大会長の講演もあるので、会場巡りで大忙しです。
ご興味のある方は、まだ参加申し込みできますので、ホームページをご覧ください。
https://www.c-linkage.co.jp/jard47/

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
お弁当もおいしいらしいです!←ココ重要

弔いのカタチ

コロナ禍の前後で、かなり変わったなと思うのは、葬儀のあり方です。
以前は一般葬と家族葬に大きく別れていましたが、コロナの間に家族葬が増えて、「直葬」とかお通夜のない「一日葬」という形も出てきました。

私はわりと子供のころから、死やそれにまつわる葬儀というものに関心がありました。

先日ある方のお父様が亡くなられました。仮にAさんとしましょうか。
Aさんのお父様はご自宅で闘病生活を送っておられました。
Aさんはお父様に万一のことがあれば、できうる限り自宅で看取りたいと考えていましたが、病状が急に変化したため救急車で病院に運ばれて、治療のかいなく数日後に亡くなられました。
お父様は引退してずいぶん経つので、自宅で家族葬をしようということになりました。
「家族葬」というと、家族だけで行うので、外の人は行かないのが流儀ですが、ここは図々しくお花を届けに行く私でした。

ご家族で湯灌を行い、愛着のある仕事着を身につけ、家族みんなで思い出を語り合いながらお体を整えたそうです。
お父様のそばに家族が集まり、時に泣き、笑い、お経を上げて、2日目に荼毘に付されました。
いわゆる一般的な葬儀の儀式によらず、家族がゆっくりとお父様の死を受け止めて、旅立ちの準備を整えていく様が、私には少々うらやましくも感じたのでした。

「葬儀というのは、生きている人のためにあるのだよ」と昔目上の人に教わりました。
「大切な人を亡くして悲しみにくれる人を慰める」のが目的でした。

弔いの形は人それぞれです。私はお父様のそばにあるお座布団で添い寝するワンちゃんを見て、そのゆっくりと流れる時間の中でお父様を悼む気持ちを一緒に感じました。そしてせかされずに自宅で弔う葬儀のあり方が、とてもいいなあと感じたのでした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
たまに考えておいたらいいよね。

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