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2020年1月

水やりの時間

ボランティアの方が丹精込めた鉢がサンルームに並んでいる。
週に一度畑の師匠が来て手入れをしてくれて、それ以外の水やりはだいたい私と事務職さんの仕事である。
「暇な看護部長」だと思われているかも知れないが、ここで花を愛でる人のために、枯らすわけにはいかないのだ。と、勝手に使命に燃えている(笑)
時々患者さんとご家族さんが連れ立ってここを使ってくださっている。
古くて小さな病院なので、これといって素敵な場所もないのだが、この場所は陽当たりもよくぽかぽかしていて
「わあ。おかあさん、こんないい場所があったよ。お花がきれいに咲いているね」なんていう声が聞こえると、柱の陰でにんまりしてしまう。


朝「オハヨー」と声をかけながら水をかける。
ここは温かいので、水さえきちんと与えていれば、維持していける。
それでもその植物の個性があり、毎日水を必要とするもの、一日おきでいいものがある。
見ていればなんとなくその加減がわかってくる。
最初の頃はまったくわからなくて水のやりすぎ・あるいは渇きでダメにしかけた鉢がいくつかあった。

「最近は水加減がわかってきたようだね」と師匠からお褒めの言葉をもらった。
そしてたまに肥料入りの水を与えると、次の日葉がぐんと伸び、つやつや光る様子がうれしい。

人間社会も同じだなと思う。
安全で安心な場があれば、それだけで人はのびのびとする。
しかしちょっとでも安全が脅かされるような要因があると、弱ったり曲がったりする。
太陽の光が同じように降り注いでも、素直に受け取れないようになってしまう。
けれどもたまにもらう肥料は、欲しているものならば、ぐんとパワーになるものだ。

最近読んだ灰谷健次郎さんの本にこんなことが書いてあった。
「目をあけるということは、いつ、どこででも詩をみつけてやろうと、すばやく心をひらいておくということです。もっとくだいていうと、詩をかいてやろうという気持ちをたやさずもっているということです。先生がつくってみなさいといったのではじめて、あれやこれやかんがえてみるというのでは、詩はどこにもおちてないということになります。詩はだれにでもひろえるけれど、そのためには、しっかり目をあけていなくてはならないということを、わすれないようにしてください」
~「せんせい けらいになれ」~

この文章の「詩」ということばを「人の良いところ」に置き換えてみる。
こんな風に植物は私の思索の時間にもなるのです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
水やりの 時間がいとし 仕事前(^^ゞ

心の蓋を開けるパラレルチャート

医療者だから一般の人よりはずっと「死」を見てきてはいるのだけど、自分の家族のこととなるとうまくできなかったりするものだ。
父を亡くして10年近くになる。
いろいろな後悔が今もある。
患者さんを見る時に父と重ね合わせてみることもあるが、そういう話は誰ともしたことがない。
感傷的で感情的なものごとだから、仕事上では蓋をしている。
それが医療者としてのひとつの切り替えスイッチなのだが・・。

NPO法人ホスピスのこころ研究所では、昨年から小森康永先生に数回お越しいただき、今回も講演前日に院内勉強会を開いていただいた。
今回のテーマは「パラレルチャート」という聞きなれないものである。

パラレルチャートとは、ナラティブ・メディスンの提唱者リタ・シャロンが医学生教育のために開発したものである。カルテに書くこととは別に医療者自身の患者に対する連想や感情を記述し、それを信頼できるグループ内で共有することで、自分たちの診療を省察し、自分たちの挫折感や悲嘆などの感情にうまく対処できるようになることが期待される、とある。※1

医師・看護師・ソーシャルワーカー・理学療法士らが事前に心に残る患者さんや出来事について振り返り、それぞれに文章を書いてきた。
それを順番に朗読し、みんなで聴きあい、小森先生や参加者がそれぞれにコメントや質問をして深めていった。

普段の仕事でも私たちは結構対話している方だと思うが、ここまで深く患者さんやご家族に対する自分の思いを書いたり話したりすることはない。
発表者は朗読するうちに感情が溢れたり、それを聴いている方も共感の涙を流したりして、会場の空気がアツくなった。
普段の仕事では見られない別の側面を発見して、その人に急に親近感が湧いたりもする。
「何を言ってもいいんだよ」という場でなければこんな風には話せない。
聴いていると、自分がかかわった患者さんの事や亡くなった父のことを想いだし、自分も書いてみたいという気持ちになる。
あの場にいてそう感じた人は多いのではないかと思う。
自分と他者の体験の間で揺れながら振り返る、というのが心地よい。

小森先生も「まず書く、ということが大事なんです。しばらくして読んでまた書く。自分の中の変化を見ることができる」とおっしゃっていた。

会が終わったあと、みんないつまでも名残惜しくしゃべったり泣いたりハグしていた。
いい光景だったな。

※1 小森康永先生の「ナラティブ・オンコロジーをやってみた」:N:ナラティヴとケア 第5号 2014年1月から一部引用しました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
感性・・鍛えないとね。

お椀出せ 茶碗出せ

用事があってボランティア室に入り、ふと壁のホワイトボードを見て吹き出してしまいました。
ちょうどひと月前の12月に、病院の忘年会がありまして。
当院では委託業者の方やボランティアさんも忘年会に参加してくださるのですが、今回ボランティアさんたちが余興で歌って踊ってくださったのです。

そのエネルギーとパワーにみんな驚かされました。
ステージまで行進して、壇上で踊る人、舞台脇で合唱する人、歌詞を大きく書いたのを持つ人に分かれ(これも何か適材適所な感じで)、息ぴったりだったんです。
練習は3回ほどしかしていないそうですが、グループ名の「セラ」からの発想で「聖者の行進」を替え歌にしていることだけはわかりました。

ホワイトボードに貼ってあったのはその替え歌の歌詞でして。

「1 お椀出せ 茶碗出せ
   お椀出せ 茶碗出せ
   手元 足元 アララ
   おぼつかないけど

 2 お椀出せ 茶碗だせ
   お楽しみ お茶会
   看護師さんと先生ラララ
   ありがとうございます
 
 3 お椀出せ 茶碗出せ
   思い出に 残る
   命の唄 歌って
   ケセラセラ せら」

私はボランティアさんに頼まれて夢中で動画を撮っていたので、なんて歌っているのか実はわからなかったんですけど、歌詞を見てひとりで大爆笑してしまいました。
聖者の行進の歌い出し
「Oh when the saints, go marching in」が原詩ですが
まるでタモリ倶楽部の「空耳アワー」のように聞こえる! 笑

こんなことを見つけるのも日々の幸せです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
まったくもって、かないません。

今年を漢字一文字で表すと?

2020年 明けましておめでとうございます。
今年の札幌は驚くほど雪が少なくて、積雪ゼロで大晦日を迎えました。
私は大みそかから3日までお休みをいただき、ゆっくりさせていただきました。
師長だったころはよく大晦日の管理当直を志願したものです。
元旦の当直明けに銭湯に行き、2日3日は大学駅伝を見る。
これが至福の時間でした。

年始めに今年の手帳に予定を入れたり、計画を立てるのが好きなのですが、いろいろやりたいことがあってまとまりません。
一年で達成できることって案外多くはありません。
持続可能で楽しくて実のあることをしようと思うと、唸ってペンが止まります。

そんな時はネットで気分転換。
ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)で「今年のあなたを漢字一文字で表すと」というおみくじをやっていたのでボタンを押してみましたら
「技」ワザ
と出ました。
まあ、遊びみたいなものですが、なんとなくこれにかっこつけて考えてみると

卓越した技を手に入れる
優れた技を披露する・学ぶ場を作る
優れた技で患者さんを幸せにする

てなことが浮かんできました。
看護師たちや介護福祉士たちがそれぞれ得意なことで優れた技を身につける。
口腔ケアの上手な人~。
おむつ交換がモレなく手際のよい人~。
注射のうまい人~。
話を聴くのが上手な人~。
とにかく笑顔が最高にいい人~。
それをお互いリスペクトしあって共有していく。

そして今年は新築移転に向けた重要な年。
そこから連想する漢字は

「備」来たるべきときに備えて様々な準備をする年

「蓄」みんなの心をひとつにして力を蓄える年

「盛」新築移転をとにかく楽しんで盛り上げる年

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あなたの一文字は何ですか?