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看護部からのお知らせ

水やりの時間

ボランティアの方が丹精込めた鉢がサンルームに並んでいる。
週に一度畑の師匠が来て手入れをしてくれて、それ以外の水やりはだいたい私と事務職さんの仕事である。
「暇な看護部長」だと思われているかも知れないが、ここで花を愛でる人のために、枯らすわけにはいかないのだ。と、勝手に使命に燃えている(笑)
時々患者さんとご家族さんが連れ立ってここを使ってくださっている。
古くて小さな病院なので、これといって素敵な場所もないのだが、この場所は陽当たりもよくぽかぽかしていて
「わあ。おかあさん、こんないい場所があったよ。お花がきれいに咲いているね」なんていう声が聞こえると、柱の陰でにんまりしてしまう。


朝「オハヨー」と声をかけながら水をかける。
ここは温かいので、水さえきちんと与えていれば、維持していける。
それでもその植物の個性があり、毎日水を必要とするもの、一日おきでいいものがある。
見ていればなんとなくその加減がわかってくる。
最初の頃はまったくわからなくて水のやりすぎ・あるいは渇きでダメにしかけた鉢がいくつかあった。

「最近は水加減がわかってきたようだね」と師匠からお褒めの言葉をもらった。
そしてたまに肥料入りの水を与えると、次の日葉がぐんと伸び、つやつや光る様子がうれしい。

人間社会も同じだなと思う。
安全で安心な場があれば、それだけで人はのびのびとする。
しかしちょっとでも安全が脅かされるような要因があると、弱ったり曲がったりする。
太陽の光が同じように降り注いでも、素直に受け取れないようになってしまう。
けれどもたまにもらう肥料は、欲しているものならば、ぐんとパワーになるものだ。

最近読んだ灰谷健次郎さんの本にこんなことが書いてあった。
「目をあけるということは、いつ、どこででも詩をみつけてやろうと、すばやく心をひらいておくということです。もっとくだいていうと、詩をかいてやろうという気持ちをたやさずもっているということです。先生がつくってみなさいといったのではじめて、あれやこれやかんがえてみるというのでは、詩はどこにもおちてないということになります。詩はだれにでもひろえるけれど、そのためには、しっかり目をあけていなくてはならないということを、わすれないようにしてください」
~「せんせい けらいになれ」~

この文章の「詩」ということばを「人の良いところ」に置き換えてみる。
こんな風に植物は私の思索の時間にもなるのです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
水やりの 時間がいとし 仕事前(^^ゞ