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2019年2月

寄りそうこころの一年に

新年度の計画を発表する時期になりました。
新年度を考えるのは楽しみでもあり、言葉にするエネルギーがいるので、少し心が重い時期でもあります。

私は自分がいつかこの病院を離れて後継者につないでいくことについて、考えています。
組織の存続を線で引いてみて、ご縁とタイミングがあってここにいるんだとよく思います。
A地点からB地点まで。そのあとは別な看護部長がバトンをもらってC地点へ。
駅伝のようにたすきをつないで組織が続いていく。
同じ路線を継承するのがいいのか、旧来にとらわれず斬新なアイデアで新しい風を吹かせるのか。
いろんな妄想をしつつ、私なりに次世代を担うマネージャーを育てているつもりです。

時代の流れに合わせて、変化しながら組織が続いていくってすごいことです。
失敗や成功を積み重ねながら、去年より今年、昨日より今日へとつながってきたんですから。

新年度の病院の目標が「寄りそう」に決まりました。

寄りそうということ。

寄りそわせていただくには、そもそも信頼関係が必要でして。
傍らに座って共に時間を過ごすこと。
患者さんのそばに寄りそっている職員に「いいケアをしているね」と応援すること。
ゆっくりそばにいられなくとも、ほんの数分でもしっかりそばにいること。
やさしく背中や手足に触れること。
ハグすること。
そばにいなくても心で寄りそい、想いをはせること。
その人の人生を大事に思うこと。

私が「寄りそう」という言葉から連想するのはこんな情景です。
少しできているところもあるんだけど、もっとみんながこのことを大事なケアだと思って実践するにはどうしたらよいか、ディスカッションがいるなあと思いました。

そこで先日の師長会で、今年度の振り返りとともに、新年度取り組むことは何か、「寄りそう」という言葉をどう解釈し、私たちの定義にするかを話し合いました。
みんなでブレーン・ストーミングを約1時間半。
日ごろから何を言ってもいい風土なので、書くのが間に合わないくらいみんなから言葉が飛び交いました。
そして「寄りそう」という言葉については、患者さんやご家族さんはもちろん、共に働く仲間に対しても寄りそい思いあう風土にしたい。
一人がみんなのために、みんなが一人のために、それを実現させたいね、という話になりました。

そして最終的に看護部の目標は「寄りそうこころ」に決まりました。
寄りそうこころを持った看護師を育てましょう。
寄りそうこころでケアしましょう。
寄りそってお互いにおもいやりましょう。

「こころ」に、そんな思いが込められました。
魂が、入ったなと思う瞬間です。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
昼寝をしてると傍らにオカメインコが寄りそってくれています。

自分の衰えを認めることについて

ある日のこと、私は地下鉄で札幌中心部へ行こうとしていました。
ICカードをチャージしようと思って誰もいない券売機に向かい、そこでお財布から千円札を2枚とカードを取り出しました。
チャージをするのにまず画面の押すボタンを間違え、
やりなおして今度はお札の入れ方が悪かったのかもう一度やり直しになりました。
機械からお札が戻ってきて、初期画面に戻るまで間が空きました。
そうしたらいつのまにか後ろにいた若い女性が
「あの、先にいいですか?」と言いながら、私と券売機の間にするりと入って切符を買って行ってしまいました。

何だか、心に黒雲が浮かぶような嫌な気分になりました。

地下鉄に乗ってその「黒雲」はなんだろうと考えました。
自分では遅くしようと思っていないのに、結果的に遅くなって他の人の迷惑になったこと。
以前なら券売機に行く前にお財布やカードを準備してもっと素早くできただろうこと。
(今日は誰も並んでないから、と気持ちが緩んでいた)
後ろに人がいる気配をまったく感じ取れなかったこと。(隙だらけ!)
若いときは私もこういうシチュエーションでは「全くおばさんは機械に弱いからなあ」とじりじりして待っていただろうに、あの女性はほんの数分も待たずに、なんというか、爽やかに横入りしたこと。
それをただ見ているしかなかった自分の情けなさ。
そういうことがないまぜになって「黒雲」になったんですね、きっと。

たまにしか乗らない券売機の画面を一瞬で理解することはできないし、できなくなっちゃったんだ、という自分の衰えを受け入れなきゃいけないんだなと思いました。

軽い風邪が治りにくくなったり、取り扱い説明書がさっぱり理解できなくなったり。
長い距離や階段を歩けなくなったり。そういうことと似ている。
それでもパソコンやスマホになんとか付いていってるのは、結構頑張っているんじゃないかと思います。

私たちの世代は人生の途中からパソコンやスマホが出てきて、それ以前の時代を知っている。
電話を持ち歩かなかった時代は、人が来るのをじっと待っていたり、どこかへ行くのに時刻表で調べていた時代。
そのことを知っているから、今がとても便利だとわかるけれども、生まれた時からネットがある世代の人たちは脳科学的に何か違いができるんではないかなと思う。

少なくとも、券売機の前でもたもたしている人にはもうちょっと寛容でいてほしいなあと思う。
なんでもIT化が進むと、こういうもたもたした人が増えるのですよ。
逆に言うと病院は高齢者が多いのだから、もっとやさしい説明を心がけなくちゃ、ね。

この話を30代の人としたら、「オートーチャージにしたらいいじゃないですか~。そしたらいちいち券売機行かなくていいんですよ」と言われました。
そ、そ、そうですね。
こうして世の中はどんどん進んでいくのですね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
これでもその昔、新人類って言われてたんだけどね。

楽しい×人のため=業績

今週ご紹介するのは「すいません、ほぼ日の経営」という本。
私は糸井重里さんの書いたものや考え方が好きでして、うんと若かったら「ほぼ日」で働きたいと思っていたほどです。
糸井さんのようなクリエイティブな方たちの集団で、楽しく仕事している会社がこのたび株式上場したので、なんとなくその堅苦しさとマッチしてない感じがしました。
しかし糸井さんのことだから、株式上場さえも楽しむつもりかな、と想像していました。
ここはネタバレになるので、書きません・・。
この本は経営者としての糸井さんをインタビューしたもので、最後の方に社長の糸井さんが、こんな経営者なんですけれども本なんか書いてもらってすいません、というようなことを書いていて、それもまた楽しからずやなのです。

私自身「仕事とは楽しいもの」という考えがベースにあるものですから、糸井さんのように楽しそうに仕事している人には、自然に惹かれてしまうのです。

少し前に当院に入職された方から「ここの身だしなみ基準を見せてください」と言われドキッとしました。
実は作ってないんです・・と正直に答えました。
私もここへきて4年目に入り、今年は規定や基準などを見直している最中です。
本来は身だしなみ基準は「あるべき」ものでしょうけれども、職員の身だしなみで何かこれまで不都合があっただろうか、、、否。
ちょっとだらしないなーというときはすぐ注意していたし、ものすごい髪の色の人とか派手な化粧の人もいない。
つまりはみなさん自律している職員なので、あえてそこに「身だしなみはこれこれこうしなさい」という校則みたいなものはいらないかな~と思っていました。

こういうところが私、ゆるい看護部長かも知れません。
患者さんやご家族さんから見て不愉快に感じるような姿はよくない身だしなみです。
看護職員は環境の一部ですので、存在そのものが不快になるようじゃ、そもそも人相手の仕事のセンスがないということです。
例がないと困るのなら、航空会社のCAを見習えば大丈夫です。

まあそれよりも患者さんを喜ばすのに次何しようか、とか新しい病院ではこうしたいよね、という話し合いの方が断然楽しい。

糸井さんも「ルールは少ないほうがいい」って書いていたのでうれしくなりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しいことで人のためになって業績につながれば、それが理想の経営だな。

医大生が看護体験に来ました!

今年も某医大の2年生が看護体験実習にいらっしゃいました。
年の頃は19歳か20歳。

数年前までは医師について見学していたのですが、チーム医療が叫ばれているこの頃、身近に一番接点があるのは看護師ということで、看護師の視点を体験してもらうというのが趣旨のようです。

私がその昔整形外科病棟の師長をしていた時のこと、研修医のオリエンテーション時にはリーダーナースにくっついてもらって、リーダーがいかにあらゆることにアンテナを張って患者さんの日常を守っているかを見てもらったり、足にギプスを巻き、松葉杖をついて日常を過ごす体験をしてもらったりしたなあと思い出します。

実習の終わりに学生さんから
「看護師さんの仕事が重労働だということがわかりました」
「詰め所にいる時間がもっと長いのかと思ったら、一人の患者さんから次つぎと回って結構長い時間ベッドサイドにいるんですね」
という感想をいただきました。

院長からは
「医療って、医者だけでは何もできない。MSW(社会福祉士)は患者さんや家族の話しをよく聴き取ってくれるから、僕たちは患者さんの背景がわかる。そして日常の患者さんのことを一番よくみているのは看護師だ。看護師の感性ってすごく大事で、将来doctorになった時に、治療計画の中に看護師から教えてもらったことを加味するといいよ」
というお話がありました。

私が目の前にいるから、ヨイショして言ったのではないと思います(^^ゞ
四十坊院長は普通の人が持っている暮らしの感覚や、人と人の対等性をとても大事にしている方なのです。
看護師含め職員の考えを尊重する姿勢が自然にできているので、ふだんから私たちはよく話し合うし、相互に助け合おうという気持ちになるのです。

車の両輪って言葉があるけど、バスの下にいっぱいタイヤがある感じでしょうか。
この信頼関係が、学生さんに伝わっているといいなと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今度は私が盛りすぎかな?