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2019年4月

主任昇格のお祝いをしました

先日、この春昇格した主任さん、異動してきた副主任さんたちとお祝いの会を開きました。
当院は看護師総数60名の、小ぢんまりした病院です。
4年前に私がここに着任したときは、各部署の責任者はいたけれども、その下の主任・副主任はほとんどいませんでした。
「これはやりがいがあるなあ」と思ったものです。

看護師の世界は終身雇用というよりは、興味のある分野で転職を繰り返す人が多く、女性が多いのでライフステージによって働き方や場所を変えざるを得ない人も多いです。
そんな中、次の世代の看護部長になるかも知れない人を育てるというのは責任のある、楽しい仕事です。

病院の近くにこんな穴場のレストランがありました!

病院の方向性ははっきりしているし、そこで貢献できる人かどうか、そこが一番のポイントです。
リーダーシップのタイプがどうのこうの、はあまり気にしない。
表現がはっきり明るく華やかなリーダーもいれば、静かに言葉を選ぶリーダーもいる。おっちょこちょいだけど患者さん思いで誠実なリーダーもいる。
いろんなタイプの人がいて、それぞれの考えを言える場があって、お互いに支えられたり影響されたり。
それでいいと思っています。

おしゃべりに夢中で写真はサラダだけ

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
一緒にご飯食べるのって大事だよね。

人生最期に聴きたい曲はなんですか?

4月20日札幌かでる2・7のホールで、NPO「ホスピスのこころ研究所」の講演会が開かれました。

小森康永先生の講演会とアンサンブルグループ奏楽さんの演奏会があり、小森先生がリクエストされた曲がレナード・コーエンの「ハレルヤ」でした。

https://www.youtube.com/watch?v=YrLk4vdY28Q

奏楽さんの、チェロとピアノの哀切なメロディはどこかで聞き覚えがあると思い、家に帰って調べたところ、私が聴いていたのはジェフ・バックリーという夭折のアーティストのカバーで、その哀愁のあるギターと声は、耳に残っています。
「ER 緊急救命室」や「クリミナルマインド」「The OC」など大好きな海外ドラマの中で使われていた曲でした。

https://www.youtube.com/watch?v=y8AWFf7EAc4

ドラマでは、懸命に頑張っても報われないような時、物事や人の気持ちは変わっていくから止められないという時に、悲しみや無力感を味わったあと、それでも人生は続いていくんだ、と前を見るようなシーンで使われることが多い気がします。
歌詞の和訳も調べてみましたが、正直私にはちょっと理解不能。
ただ「ハレルヤ」は主をほめたたえよという、神への感謝や喜びを表す言葉ですから、歌い上げる感じで終わるのが、涙を拭いて立ち上がるイメージに合っている気がします。

レナード・コーエンとジェフ・バックリーの曲も全く別物のように聞こえます。たくさんのアーティストがこの曲をカバーしているので、聴き比べてみると面白いです。

「2chellos」の演奏するこちらがとても心癒されます。
https://www.youtube.com/watch?v=Z3649dq6boA

サビの部分は中島みゆきさんの「ヘッドライト テールライト」と同じメロディで、それも「聞いたことがある」感じになるのかも知れません。

もし自分が死ぬときに好きな音楽を聴きながら旅立てるのなら、この曲ともう一曲、この方も夭折のアーティスト、イズラエル・カマカヴィヴォオレのウクレレと切ない歌声の「オーバーザレインボウ」
https://www.youtube.com/watch?v=y5JicO2bKec

を聴きながら逝きたいとひそかに思っています。
あ、実はこれも「ER 緊急救命室」でマーク・グリーン先生が脳腫瘍で亡くなるシーンに使われています。
はい、影響されやすいです(^^ゞ

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あなたが人生最期に聴きたい曲はなんですか。

「やるべき」仕事「やれる」仕事、そして「やりたい」仕事

サイボウズの社長青野慶久さんの本「会社というモンスターが僕たちを不幸にしているのかも知れない」を読みました。
仕事には「やるべき」仕事、「やりたい」仕事、「やれる」仕事があって、それらの交点を探して自分の意思によって決めた、と覚悟することが楽しい仕事につながる、と書かれています。
会社の新入社員は、組織の考えで働く場所を決められて、必ずしも希望通りの場所に配置されるとは限りませんが、与えられた場所で懸命にトレーニングしていくうちに、それが「やるべき」で「やれる」仕事となり、「やりたい」ことが広がっていく可能性を秘めています。

病院にいても、同じことがあります。
医師や放射線技師などの医療技術者と違って、看護師はその病院の診療科や全体の人数によって、配置を変えられることがあります。

私自身も新卒の時に外科系に行きたいと思っていたのに内科に配属されて、がっかりしたことがありました。
けれども内科は検査データと症状をじっくり見ることが求められるので、看護師としての観察力は鍛えられるし、ある意味結果は明快なところがあって、面白いとあとから気づきました。
自分がやりたいと思うことが必ずしも向いているかはわかりません。
むしろ若いときは得意不得意にかかわらずなんでも経験したほうが、自分で気づいてない分野に目覚めるかもしれないですね。

いろいろな経験を積み、自分の思う方向と違う方へ流されたとしても、そこで自分が役に立ち、誰かを喜ばせることができたら、「ま、ちょっと違ったけど、これでもいいか」と思えることもあります。

その仕事に納得がいかないとき、どうして自分が納得していないのか、深く考えてみることが大事です。
「やりたい」「やれる」「やるべき」のどれかが欠けているはずだ、と青野さんは言っています。

納得いかない違和感を覚えるときこそ、考えるときです。
この後も与えられた場所で楽しく働けるのか、自分の夢を押し通して環境を変えるのか。
どの道を選んでも責任は自分で取る。
人のせいにしているうちは本物の働く喜びを手に入れることはできません。
組織の価値観と相いれない、と思ったらそれはもう環境を変えるしかない。
そして、転職せざるを得ないとなったときに、初めて自分の市場価値に気づくのです。

しかもこの仕事、患者さんを対象にしているので、ただ自分のためだけに「やりたい」のだとすると、すぐメッキがはがれてしまいます。
患者さんのためになるのかどうか、が根底にないと結構簡単にバレてしまいます。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
やっぱり真摯さ、だと思う。

「ナースのためのシシリー・ソンダーズ」を読む

いきなり言い訳っぽいですが、私はホスピスの病院に勤めていますけれども、この道の専門家というわけではありません。この病院に来てから初めてホスピスに接し、働く人たちから日々教わっています。
「グリーフ」(悲嘆)ということばも知らなかったぐらいです。
ですからその都度わかったことやすごいなあと感じたことを、ここで書いたりしています。

ただ今この本を予習中です。これは今年NPO法人「ホスピスのこころ研究所」で開催するセミナーに登壇される、小森先生が翻訳された本です。
英国人のシシリー・ソンダーズさんは、看護師・ソーシャルワーカーの資格を取った後医師の免許も取り、セント・クリストファー病院を建てられて、ホスピスの母と呼ばれる方です。
この本は医師になって2年目に看護師向けに書かれた本なのですが、その視点・洞察・表現に驚きます。
少し引用してみます。

―「彼ら(患者)は、ケアのよい技術と同様、温かさと友情を必要としていた。私たちは痛みがどんなものかを学ばなければならない。重い病気になるというのはどういうことか、仕事を辞めて人生から撤退するのはどういうことか、身体精神機能が低下することや、大切な人やいろいろな責任を失うことについても知らなければならない」
(第12章 私と共に目を覚ましていなさい)―

当院の前野総長が、緩和ケアを学びに来た学生や医療者によく言うのは、このことです。
「私たち医療者は健康で働いていて、重い病気を持った人の気持ちになろうとしてもなることはできない。ましてやがんの末期になったこともないのだ。だから患者さんひとりひとりに教えていただくしかない。このケアでよかったのかどうかを常に問い続けなければならない」と。
それからこんな一節も読んでいてこころが温まります。

―「人々がありのままに受け入れられて、安全の中でリラックスできる、良い家庭にみられる歓迎とかホスピタリティを提供できる家庭のようなホームにならなければならない。」(同)ー

これは病院全体がこうでありたいといつも願っていることです。
職員同士も家族のように、お互いを尊敬しあえるチームでなければ、患者さんに気持ちを緩めてもらうことはできないですから。

そしてここも。

―「私たちは彼ら(患者)が鞄に正しいものを詰め、大切なもので満たし、彼らの必要とする物を入れることができるようになれば、と祈るべきだと思う。ここにいる間に、彼らは人生のこの最後の時期に、自らの和解、成就、そして意味を見つけるだろう。」(同)ー

最期のときを温かく穏やかな中に包まれて旅立てますように、と願いながら。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
4月20日(土)13:00~札幌 かでる2・7で翻訳者である小森康永先生の講演があります。
お時間がある方お運びください。

小さなサービスと新しい病院と

ただ今私どもは新築移転に向けて設計の話し合いをしているところです。設計士の方々と定期的に話し合い、段々設計図が出来てくるのはとても楽しいプロセスです。
設計士さんにも良いものを作りたいという意気込みがあり、専門的な視点を教えられます。
医療者側の視点ではわからない、一般の方の視点やこれからの病院のあり方についても既成概念ではないところをたびたび教えられています。
一方で私たちの使いやすさ・動きやすさに対するこだわりも伝えていくと、おや、これは医療で言うところの「説明と同意」「納得のいく意思決定支援」と一緒だなと思います。
なんにせよみんなが思いに蓋をしないように対話できることが大事だな~と思います。
設計図を見ながら、どんな風に患者さんがこの通路を通るのか、それに合わせて職員がどう動くのか、という運用の辺りは話が1番盛り上がるところです。

例えば現在の病院では、外来の診察を終えた方は、終わった印としてプリント入りのクリアファイルを会計に持っていく仕組みがあります。
ご高齢の患者さんの場合は、職員がクリアファイルをさっと会計に届けています。
なにせ狭い外来ですからちょっとかけ足するともう会計に着きますので。
患者さんは立ちあがるだけで「よっこらしょ」ですし、手荷物もあり、さらにファイルを持つのが大変でしょう。
職員が先に運んでおけば、患者さんが会計に歩いている間に計算が終わり、素早く会計が終了します。
これは当院で実践している小さなサービスの1つです。

しかし新病院では外来から会計までの動線が長くなるので、ファイルを運ぶために看護師が診察室を空にする事が多くなるのはどうだろうかという話になりました。
新病院では患者さんにご協力頂いたらどうだろうか、いやいやシステム上ファイルの持ち運びをなくすことは出来ないだろうか、やっぱりこの小さなサービスは大事なことだから、運ぶ通路を裏側でショートカット出来ないかという意見が出てきました。
私は面白いなあと思いながらこの経緯を見守っています。
今の人数で、患者さんへのサービスを低下させないために何が出来るか、とても大事な議論です。
こういう話、組織が大きくなるととかくセクショナリズムや、自部所の負担増を避けたいために、割と感情的になりやすいポイントです。
組織のトップが「ああしろこうしろ」というのもひとつですが、
「患者さんのために」
を見失わずに、しかも誰かが我慢するのではなく、納得して合意形成するとどんな着地点になるのか。
今はだまって見守っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今日から新年度。フレッシュな果実のようにいきましょう♫