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2020年10月

臨床宗教師 米本智昭さん 苦しみを共に感じて寄り添う人

当院には医療職者のほかに、ひとの心や魂を支える専門職が在籍しています。
「ケアする人びと」今日は「臨床宗教師」の米本智昭さんを紹介したいと思います。

―「臨床宗教師」という職業について説明していただけますか?

簡単に言うと「公的な場で活動する宗教者」のことをいいます。
昔はお寺も公共の場でしたが、東日本大震災をきっかけに、この活動が広がってきました。

―臨床宗教師になろうと思ったきっかけはなんですか?
遺族ケアももちろん大事ですが、生きていく間いっぱい苦しみを抱えていて、その苦しみを一緒に感じて一緒に答えを探しに行くこと、もともと生と死をつなげたいという気持ちがあって、亡くなってからではなくてその前の物語を知っていれば、たとえばお葬式だって自分の知っている身内のように涙を流しながら送ることができると思っています。

―東日本大震災での活動について教えてくださいー
3・11の後の宗教者は、自分の利害じゃなくて本当に苦しんでいる人たちに寄り添いたいという風に思いました。そこで宗教者と宗教学者が手を取り合って臨床宗教師というのが誕生したんですよね。
東北の震災の、一度に多くの人を見送らなければならなかった人の、残った人たちの苦しさ・・無念で亡くなった人たちを宗教者として弔う。
多くの宗教者たちが手をつないで、できることがあると感じたのがきっかけなんですよね。

―「臨床」って付くのはなぜなんですか?
岡部武先生と言う東北大学を出たドクターが在宅ホスピスをやっていらして、「死にゆく人にとって医師はなにもできない。暗闇に降りていく人にその先を示してあげられるのは宗教者だ」と言って、それで「臨床宗教師」が必要だ、と言ってくれたんですよね。ですから医療者側からの提言と言うか、それが先にあってそのあとに大震災が起きたんです。
ですからそこから公的な場で活動するという中に、病院も当然含まれていくという形になった。病院に入ることだけが臨床宗教師ではなくて、現実的にそういう要請があったし、そうおっしゃっる方がいたんですね。ただ急に宗教者に来て下さいと言って来たとして、いろいろなことを踏まえた人じゃなきゃ難しい場面もあったでしょうし、「宗教者はちょっと・・(困る)」という体験をお持ちのお医者さんのお話を聴くこともあります。
ですから現場の方に私たちは寄り添わせていただいて、受け入れて頂けるように変化していこう、という感じです。

―ここではどんな活動をしているか教えてください。
13時頃に来て13:30からのカンファレンスに同席しています。カンファレンスのあとに私を必要としてくれている人がいたら、師長さんから声がかかる。そのお部屋に担当ナースと医師と一緒に行って「初めまして」から入っていく。スタッフから一緒に考えてほしいんですと言われることもあります。

―カンファレンスで意見を求められることは?
あります。心がけていることは(自分が)医療者じゃないので、医療的な意味での介入ではなくて、その人らしさやその人の人生について焦点を当てたことをことを言わないとならないと考えています。
たとえば医療的には当たり前の行為だったとしても、その人の人生にとってはあるいは家族にとっては普通ではないことがあります。
その人の尊厳を考えた時にそれは正しいのか、医療行為としては正しくても患者さんは我慢しますし、そのルールに従わなければならない。
ということは(カンファレンスで)言うようにしているし、必要なことですよね。

米本さんが当院の職員になられてから早1年。今や欠かせない存在となっています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
詳しくは「ケアする人びと」の欄をご覧ください。

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記憶の遺産~ドローン撮影しました~

今の病院のことを記録に残そう、と活動しているチームがあります。
M先生とふたりの師長さんで構成されていて活動は密かに行われています。
チーム名は忘れました・・たしか「今年〇歳」をフランス語に訳したような、そんな名前でした。

先日そのチームから職員にお誘いがありました。
病院の玄関前に集合してドローンで撮影しましょうという企画です。
最初は自分たちでドローンを買って撮影しようという話でしたが、技術的にむずかしそうということで挫折しかかりました。
そこに救世主登場です。
新病院を建設してくださっているN社のYさんがドローン撮影の達人でして。
図々しくもお願いしてみましたらご快諾いただけました。
(たびたびすみません)

お忙しい中かけつけてくださって、匠の技で10分ほど病院全景を撮ってくださいました。
飛び上がったドローンを見上げると両手両足を精一杯伸ばして飛んでいるように見えます。
なんともかわいい姿!
撮影された映像を見ますと天井があまりにもボロボロでびっくりしましたが、集まった職員が笑顔で手を振っている姿に、なんだか「きゅん」とします。

私たちが慣れ親しんだこの地域、住宅が立ち並ぶ風景が見渡せて、これからの大切な宝物・記憶の遺産になります。
Yさん、N社のみなさん、ご協力いただきありがとうございました。

今週もこのブログに来てくださりありがとうございます。
やぐらといい、ドローンといい、善き人に恵まれています。

粋なはからい

わたしたちの新しい病院は、もう3階部分まで立ち上がっています。
外側は雪が降る前に出来上がり、冬の間内装工事をする予定です。
基礎工事が始まってから半年、設計から建築という仕事は、なんと美しくてち密な作業なんだろうと感じています。
建築士と工事の方とはすっかり顔なじみになりました。
院長はほぼ毎日のように建築現場を訪れ、子供の成長を見るように嬉しそうにしています。

実は私どもは建築会社の方に図々しいお願いをしていました。
建物が完成するまでを記録に残したいと言って、建築事務所2階の柱に定点カメラをつけさせていただきました。
途中でデータを見てみると、土を掘っているところから徐々に地下部分が作られ、1階、2階と日々変化していく姿が写っています。
にょきにょきと姿を変えていくのを見るのは本当に楽しいものです。
建物が3階建てなので、いずれカメラの位置より建物の方が高くなってしまうことはわかっていたのですが・・・。

先日定例会議で現場を訪れたら、建築事務所にやぐらがくっついています。
なんだろうと思ったら、なんとそのてっぺんにあの定点カメラが設置されていました。
私たちの意図をくみ取って、建築事務所の方がご厚意でやぐらを建ててくださったのです。
建築事務所の屋根をはるかに超える高いところに設置されたカメラ。
データを取りに行くのは?院長?? 事務長??
と思ったら「僕たちが行きますから」とおっしゃって、事務所の方が高所用の器具を使いながらさくさく登ってくださいました。
その親切な心遣いと熟練した動作に「うわ~~」っと感動してしまいました。
なんてかっこいい!
そして何も言わず黙って相手の喜ぶことをする、粋な姿に心打たれました。

今週もこのブログに来ていただきありがとうございます。
設計も建築も人対人、なんだなあ。

雨雲の調節

私の母は54歳でがんと診断され、59歳の時に亡くなった。
「入院すると主体性が奪われるから、できるだけ入院したくない」と言い、亡くなる前日まで家で過ごしていた。家での暮らしは父が支えていて、慣れない食事の支度からトイレまで、つきっきりで看護をしていた。
自分で動けなくなってからは、葬儀のことや遺影に使う写真を母が自分で決め、それをひとつひとつ父が形にしていった。
今なら在宅緩和ケア診療所や訪問看護があるし、家で旅立つこともできる。
当時だってできなくはなかったが、死期を悟った母はおそらく家族の負担を考えて自ら入院を希望し、わずか1日で旅立っていったのだ。

亡くなってしばらくの間、父は呆けたようになっていた。
体が一回りしぼんでしまったかのように精気を失い、時間をどう使えばよいのかわからなくなってしまったようだった。
伴侶を失い、話し相手を失い、食べさせる喜びをいっぺんに失ったのだ。
「毎晩夜中の2時ころに、母さんをおぶってトイレに連れて行ってたんだ。眠くて辛いときもあったけどな、今それがなくなって、朝まで眠れるはずなんだが、毎晩2時になると目が覚めるんだよ。トイレに連れて行かなきゃって・・・困ったもんだな」

ゆっくりする間を与えず私たちは引っ越しの準備に父を巻き込み、スープが冷めないどころかあっついままの距離で暮らすようになった。
家で主夫業をお願いし、やがて地域の活動に自ら進んで行くようになっていった。
その時はグリーフ(悲嘆)ケアという言葉さえも知らなかったが、父が生きる力を持ち直して本当にありがたかった。

お墓参りに行くと、それまで雨が降っていてもお墓の前では必ず雨が止んだ。
お墓参りを終えて車に乗り込むと、待っていたかのようにサーっと雨が降り出すことが何度かあった。
「不思議だよね、誰か晴れ男か晴れ女なんだね」と言うと、父はあの世にいる母と連絡を取り合い、墓参りの間だけ雨雲を調節するよう頼んでおいたんだ、と笑っていた。

その父も鬼籍に入ってもう9年が過ぎた。
いまだにお墓参りに行くと雨に遭わずに済んでいるのは、父と母が調節してくれているおかげなのだろう。
空を見上げてありがとうと言う。家族にしかわからない話だ。

先日当院が主催する遺族会「ひだまりの会」に出席して、ご遺族の方の心境を聴かせていただいた。
当たり前だけど喪失の感じ方はその人それぞれで、温かい思い出を振り返る方もいらっしゃるし、頭がまっしろになったまま時間が止まっている方もいらっしゃる。
喪失感との向き合い方はいつか必ずこうなる、というものでもないし、正解もない。
ただここへ集って思いを分かち合ってくださり、心から感謝いたします。
私たちもみなさんのこと、気にかけています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
時間と共に少しずつ、悲しみが抱えやすくなっていきますように。