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看護部からのお知らせ

雨雲の調節

私の母は54歳でがんと診断され、59歳の時に亡くなった。
「入院すると主体性が奪われるから、できるだけ入院したくない」と言い、亡くなる前日まで家で過ごしていた。家での暮らしは父が支えていて、慣れない食事の支度からトイレまで、つきっきりで看護をしていた。
自分で動けなくなってからは、葬儀のことや遺影に使う写真を母が自分で決め、それをひとつひとつ父が形にしていった。
今なら在宅緩和ケア診療所や訪問看護があるし、家で旅立つこともできる。
当時だってできなくはなかったが、死期を悟った母はおそらく家族の負担を考えて自ら入院を希望し、わずか1日で旅立っていったのだ。

亡くなってしばらくの間、父は呆けたようになっていた。
体が一回りしぼんでしまったかのように精気を失い、時間をどう使えばよいのかわからなくなってしまったようだった。
伴侶を失い、話し相手を失い、食べさせる喜びをいっぺんに失ったのだ。
「毎晩夜中の2時ころに、母さんをおぶってトイレに連れて行ってたんだ。眠くて辛いときもあったけどな、今それがなくなって、朝まで眠れるはずなんだが、毎晩2時になると目が覚めるんだよ。トイレに連れて行かなきゃって・・・困ったもんだな」

ゆっくりする間を与えず私たちは引っ越しの準備に父を巻き込み、スープが冷めないどころかあっついままの距離で暮らすようになった。
家で主夫業をお願いし、やがて地域の活動に自ら進んで行くようになっていった。
その時はグリーフ(悲嘆)ケアという言葉さえも知らなかったが、父が生きる力を持ち直して本当にありがたかった。

お墓参りに行くと、それまで雨が降っていてもお墓の前では必ず雨が止んだ。
お墓参りを終えて車に乗り込むと、待っていたかのようにサーっと雨が降り出すことが何度かあった。
「不思議だよね、誰か晴れ男か晴れ女なんだね」と言うと、父はあの世にいる母と連絡を取り合い、墓参りの間だけ雨雲を調節するよう頼んでおいたんだ、と笑っていた。

その父も鬼籍に入ってもう9年が過ぎた。
いまだにお墓参りに行くと雨に遭わずに済んでいるのは、父と母が調節してくれているおかげなのだろう。
空を見上げてありがとうと言う。家族にしかわからない話だ。

先日当院が主催する遺族会「ひだまりの会」に出席して、ご遺族の方の心境を聴かせていただいた。
当たり前だけど喪失の感じ方はその人それぞれで、温かい思い出を振り返る方もいらっしゃるし、頭がまっしろになったまま時間が止まっている方もいらっしゃる。
喪失感との向き合い方はいつか必ずこうなる、というものでもないし、正解もない。
ただここへ集って思いを分かち合ってくださり、心から感謝いたします。
私たちもみなさんのこと、気にかけています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
時間と共に少しずつ、悲しみが抱えやすくなっていきますように。