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お知らせ

2017年、何したかな?とふりかえる

2017年もあと数日ですね。
今年はどんな年だったのか、備忘録として書いておこうと思います。

「安らぎと信頼の看護を提供する」というのが看護部の目標でした。
病院の目標が「Healing」ですから、患者さん・ご家族へのケアに何らかの癒し的な要素が加わればいいなということと、やっぱり安全面で信頼できる看護でありたいという風に考えたものです。

病院にはいくつか物品をそろえていただきました。たとえば・・
新しいエアマットに切り替えていただきました。角度調節や熱がこもらないような機能があり、患者さん一人ずつの状態に合わせてセットできるようになりました。また各お部屋にはPPE(個人防護用具)ボードをつけてもらいました。これまでは患者さんの床頭台のスペースに置いたりしましたが、床頭台はあくまで患者さんのものですから、そこには置かず、出入口に一か所ボードをつけて、マグネットで手袋・エプロン・マスクを整えました。おかげでこれらの物品の回転も良くなりました。それからサクション(吸引)用ワゴンを購入し、物品類をひとまとめにすることができました。

「これがPPEホルダー」

 

ケアに関する勉強会も多数行いました。前年度の教育委員の人たちが、研修会についてのアンケートを取って、職員のニーズに合ったものを企画運営してくれたおかげで、優れた講師の方たちをお呼びして実のある研修になりました。それぞれの委員たちがユニークなスクリーンセーバーを作ってくれて、ミスにつながらないように注意喚起してくれたり、師長さんが主導で朝礼や終礼の在り方を変えてくれたりしました。こういった「モノ」と、「知識や技術の向上」との積み重ねにより、褥瘡の発生率・転倒転落の件数などが前年度より減少しています。

「吸引グッズのワゴン」

 

それからボランティアグループ「せら」のことも欠かせません。今年は人数が拡大し、活動内容もずいぶん広がりました。
職員向けに若石式リフレをしていただいたり、お掃除隊・ハーモニカやバイオリンの演奏などの機会が増えたほか、「あぐり~ん・プロジェクト」でイチゴ狩りや芋掘りなどを行いました。コーディネーター鈴木さんのリフレも、患者さんやご家族に好評です。また院内の飾り付けは職員も交えて、昨年よりも、ものすごく充実しました。

「キタアカリの花」

 

新年も、こうした小さなことをミルフィーユのように重ねて行きたいと思います。
ご縁をいただいた方、さまざまなお心遣いをしてくださった方、心から感謝しています。
今年1年本当にお世話になりました。
みなさまよいお年をお迎えください!

「出番を待つお正月飾り」

Special thanks to
*口腔ケア 葭内歯科:歯科衛生士の武藤さん *グリーフケア:フルート奏者の工藤さん *エンゼルケア:緩和ケア認定看護師の市川さん *おむつケア:大王製紙の松橋さん *カンフォータブルケア:旭山病院の南さん *ストレスケア:上前さん
*セラピー犬のみなさん *札幌徳洲会病院認定看護師:井畑さん・藤原さん・松田さん・田中さん *音楽療法:中山先生
*病院祭 ISD個性心理学コーナー:廣瀬さん・樋口さん・棚川さん・池田さん・小川さん、元ボランティアの伊藤さんと三島さん
*正文舎の白藤さん *フランスベッド株式会社の吉村さん *秋田:外旭川病院の寺永さん
このほかたくさんの方にお世話になりました。

家の力はすごいな!

今年看護部でやってきたことの1つに、介護施設と在宅緩和ケアを見学するという計画がありました。
百聞は一見にしかずと思い、お向かいの施設とホームケアクリニック札幌にお願いして、3〜5日間の見学を7名のスタッフがさせていただきました。
ことわざ通り、想像していた世界とは違っていたことがたくさんあったようで、レポートには新鮮な驚きが書かれていました。
ちょっとご紹介します。

「実際に訪問させていただいた患者様やご家族は本当にいいお顔をされていました。入院中は食事が摂れなかったのに、自宅に帰ったら食べられるようになった。笑顔が戻って生き生きしている。しっかりとした症状コントロールが出来ていることが大前提で苦痛が最小限に援助できているからだと思います。
入院中の患者様にご家族が面会に来られた際にはねぎらいの言葉をかけ、一緒に過ごす時間が穏やかであるように患者様の様子を共有するなどしてもっとコミュニケーションをとっていきたいです。また、今後自宅退院される方には自宅での生活を考え、今以上に細かく準備や指導などをご家族を含めて援助していきたいです。」

「家の力はすごいな!
在宅での看取りとは「療養生活の線上の最期に死がある」という言葉も印象的だった。」

「在宅では患者さんは居間の中や居間の隣にベッドを置いて、庭を見たり家族の動きを感じて過ごすことが出来ていた。朝起きた時に「今日は何ができるのか、何をしたいか」を考え、家事をされている方もいた。在宅では家族の役割が重要だけれども、家族を支える医師や訪問看護の支えがあれば、自分の思うとおりに過ごすことができるのだと実感した。」

「施設は生活の場であり病院とは違うという認識は持っていましたがそれ以上のものを感じました。病気を持っている人とそのご家族が安心して長く生活できるように、病院からのサマリーはもっと工夫が必要だと思いました。
以前入院していた方が元気に笑顔で過ごしている姿を見ることができました。
限られた医療材料しかなく、工夫しながら対応していることがわかりました。病院は恵まれていると思いました。」

この新鮮な驚きと学びは看護師としての厚みにつながるでしょう!
研修させていただいた施設とクリニックには大感謝です!

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
この取り組みは来年も続けたいな(^^)

簡単な仕事じゃないって知っているよ

朝礼スピーチで、あるママさんナースの話したことです。

「わたしは夜勤の時には家族の夕食の支度をして仕事に行き、夜勤明けで帰ったらその日の夕食を支度をしています。
ですが、あるとき夜勤明けでぐっすり眠ってしまって、気が付いたら夕方を過ぎていて、息子がすでに帰宅していました。
あら、大変、ごはんができてなくてごめんねって言ったら息子が
「簡単な仕事じゃないって知っているよ」
と言ったのです。
日頃家族同志で感謝の言葉など言ったことはないのですが、息子が「簡単な仕事じゃないって知っている」と言ってくれたこの言葉がすごくうれしくて、言葉って大事だなと思いました。
私も一番身近な家族に、感謝の気持ちをもっと伝えようと思いました。」

私はこういうスピーチにぐっときてしまいます。

(お母さんのしている仕事は)「簡単な仕事じゃないって知っているよ」(だから今日は特別疲れているんだね。お疲れ様。いつもごはん作ってくれてありがとう)
そういう思いが込められた言葉なんでしょうね。
夜勤のある仕事をしてずっと家族を支えて、きちんと食事を整えてきた母の姿を見てきたからこそ、の息子さんの言葉ですね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
感謝の気持ち、照れずに言おう!

病院名変更の朝がきました!

今年も早師走になりました。12月1日は、私たちにとって歴史の1ページに刻まれる日でした。
旧札幌南青洲病院は医療法人徳洲会 札幌南徳洲会病院へと変わりました。

経緯については院長のブログで↓
https://sapporominami.com/incho_blog/?p=1317

当日の朝礼は、札幌南徳洲会病院として職員に辞令が交付されました。
朝礼を行う講義室は、いつもより多くの職員が参加してわいわいとにぎやかです。

理事長から「総長」になった前野先生より、院長以下所属長一人一人に辞令が手渡されました。

院長はみんなに向けてこぶしを固め、元気に頑張るぞ!というメッセージを送りました。
私は順番を間違え、副院長を差し置いて、張り切って前に出てしまって大失敗!
ごめんなさ~い!ああ、恥ずかし~い!

辞令交付が終わり、前野先生の挨拶がありました。
去年の「日本死の臨床研究会」の事務局、今年は「第1回徳洲会緩和ケアセミナー」そして今回の「生協解散~事業譲渡」と様々な山を乗り越えてきた僕たちは、これから徳洲会という組織全体に緩和ケアを広めていくのがミッションなんだ、という前野先生の言葉に、心がアツくなりました。

これからが新病院に向けての本当の始まり。
日本一のいい病院にしよう。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。

認知症対応カンフォタブル・ケアに取り組みます

少し前のことになりますが9月28日、旭山病院でご活躍中の南敦司師長さんをおよびして、「カンフォタブルケア」について研修会を開催しました。
この研修はある師長さんの発案で実現したもの。道内の医療系雑誌「ベストナース」に掲載された南さんの記事を読み、「この人の話が聴きたい」と言ってくれたのです。こういう発案ってとても大事です。

南さんは関西ご出身で、以前は向こうで病棟師長さんをされていました。
そこで働いていた時に、看護師の厳しい言動や対応によって認知症の患者さんのいわゆる「周辺症状」が引き起こされていることに気が付きました。周辺症状と言うのは、認知症患者さんが不快なことをコトバでうまく表現できないために、徘徊や介護の拒否・異食などで現れる症状のことです。
そこで南さんは認知症の病態生理を徹底的に看護師に教え、看護師の表情や態度を「快刺激」に変える指導を行ったところ、患者さんの周辺症状が落ち着き、穏やかに過ごせるようになったそうです。

そして看護チームの連帯感やコミュニケーションが非常によくなり、チームビルディングにも効果があることがわかったそうなのです。

札幌に移ってこられて、現在いらっしゃる病棟でも実行していったところ、やはり同じ効果が生まれ、患者さんが穏やかになり、看護師たちもイキイキとケアするようになってきました。患者さんによいケアをしていることが広まって、見学者やそこを目指して就職を希望する人が増えたのだそうです。

南さんの講義は身振り手振りを大きく表現するだけじゃなく、近くの人とワークショップも行うので、非常に具体的でわかりやすく、飽きさせません。特別なことは何もいらない。ただ私たち看護者の姿勢や態度を変えていくこと。その人の問題点ではなく、できること、好きなことを探して行動すること。その人を尊重し人生を肯定していくこと。
あら、これはホスピスだってどこだって一緒じゃないか!あったりまえのことじゃないか!
同じくはできてないけど、ウチの病院もかなりいい線行ってると思う。

そして南さんは北海道全体にこのケアを広げて、認知症患者さんが暮らしやすい世の中にしたいんだと公言しているので、なんだか聞いている私たちも、力をもらった気持ちになりました。

うれしいのは研修後にウチの師長さんたちが「あのケアをぜひやりましょう」と言ってくれたこと、そしてアンケートの回答にも前向きメッセージが一杯書かれていたことです。
うん、今がチャンス。南さん ありがとうございました!

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
どの場所に来ても「ここへ来てよかった」と言われるように。

働く場を楽しくするにはどうしたらいいか

私、楽しくゴキゲンに働くのを信条としています。
だから楽しそうに働いている人が好きでして、
糸井重里さんみたいに楽しいことを仕事にしているのが理想なのです。
楽しみながら仕事しながら学んでいる、というのが最高です。

「プレイフル・シンキング 仕事を楽しくする思考法」(上田信行:宣伝会議)
は、尊敬する勝原裕美子さんの講義で紹介された本です。

一度読んで、それから時々ちょこちょこと読み返しています。
示唆に富んだ言葉が随所に書かれていて、親切にも太字になっています。

「プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう。どんな状態であっても、自分とその場にいる人やモノを最大限に活かして、新しい意味を創りだそうとする姿勢」であり、プレイフルな状態を生み出すための思考法が「プレイフル・シンキング」だと書かれています。

私自身、仕事が大好きで、看護師という職業は自分に合っていると思ってこれまでやってきました。
スペシャリストになりたいと思った時もありましたが、タイミングが合わず、勧められるまま管理の方へやってきました。
「どうせやるなら管理のスペシャリストに」という気持もあり、ドラッカーの勉強を始めたところ、すっかりハマってしまいました。
「成果を上げる能力は身につけることができる」と書いてあると、学んでみたくなりますもんね。

いろんな制約があるけれど、看護の仕事は患者さんの日常生活を支える小さな積み重ねの連続なので、その小さなことをいかに大事に続けられるか、とかその行為そのものに意味を見いだせるかだと思うのです。
口腔ケアを、「口腔ケアという看護業務」ではなく、いかに効果的に行って患者さんにさっぱりしてもらうか、合併症を予防できるか、笑顔を引き出す関わりになったかな、と思いながらやってみる。
AさんでうまくいったらBさんにも。
仲間にも広めてみんなでやってみる。
この連続。

そうして時々自分のしてきたことを振り返る。
得意な分野をもっと学んでみる。チャンスをつかむ。

看護師の世界はほんとに時間に余裕がないのです。
やらねばならぬことが目いっぱいあるし、看護師たちはみんなまじめだから、ちゃんとやろうと頑張るので。
毎日走り続けて頑張っている人たちに、時々立ち止まって考えて、楽しく仕事して、成長していける環境を作ること。
そして新たな楽しみを創りだして行けたら最高ですね。
そういう楽しさを現場の師長たちと一緒に「しかけて」いきたいと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
私の友達には天然のプレイフル・シンキングの人が多いな~。
すぐネガティブに陥りやすい私はうらやまし。

死の場面に間に合わないことについて ~ご遺族のお話を聴く~

11/9のグリーフ(悲嘆)ケア勉強会は、いつもボランティアで来て下さっているKさんに講師をお願いし、当院でお母様を見送られたご遺族としての立場から、お話を聴かせていただきました。
普段の講義とは違って、机を取り払い、車座になって対話形式です。医師・看護師・ソーシャルワーカー・薬剤師・ケアマネージャー・介護福祉士・医事課・・・・ほとんどの職種が集まっていました。

私は途中から参加したのですが、Kさんのお母様が当院に入院されていたときに、お母様の臨終に間に合わなかったことについて話している最中でした。
Kさんは家庭やお仕事を持ちながら毎日面会にいらして、つらい症状が少しでもよくなるようにと、看護師と一緒に考えながらお母様へケアを行っていました。
「明日の状態を少しでもよくするための、今日のちょっとした行動」は、状況が厳しい中でも有意義だったと回想していらっしゃいました。

小康状態が続いていたある晩のこと、プライマリーナース(担当看護師)が夜勤の巡回をしているときに、kさんのお母様の呼吸が止まっているのを発見しました。
看護師にとっても予期せぬ急な状態の変化でした。

その瞬間に「どうしよう、あんなに毎日熱心なご家族なのに、死の場面に間に合うように察知して連絡することができなかった」ととっさに思ったそうです。
ご家族が病院に来られるのを待つ間、その看護師は
「どうして”今夜あたりだ”って言ってくれなかったの?わかっていたら夜帰らないで泊まったのに」とご家族から怒られ、非難されることを覚悟していたそうです。
しかしKさんは一言も看護師を責めることなく、亡くなった事実を受け止めたそうです。
それが看護師には不思議だった。責められて当然と思っていたから。

Kさんは「ここに入院してから旅立つまでの間、看護師さんは一緒に悩みながらケアしてくれた。そのプロセスがあったし、あらかじめ突然死が訪れることもあると聞いていたので、間に合わないというのはこういうことかと思った」のだそうです。

五感を働かせて観察する私たち医療者にも、残念ながら前兆をとらえきれない死がたくさんあります。可能な限りお一人ではなく、ご家族に見守られる中で旅立ちができるようにすることで、死の事実の納得と受け入れがしやすく出来たらと思うのは、どの医療者にも共通することだろうと思います。「死に目に会う」ことを大事にするのは、日本の死の美学かも知れません。

ただ、私は若かりし頃先輩からこんな風に教わったことがあります。
「”死ぬとき(タイミング)”はその人が選んでいる。みんなに囲まれて逝きたい人もいるけど、誰もいないときに静かに旅立ちたい人もいる。寝ている家族を起こさないように、夜中にひっそりと逝く人もいる。」と。

Kさんのお話を聴いて、当時のプライマリーナースは長い間の胸のつかえが取れた様に、ほっとした表情を浮かべていました。
ご遺族からこんな風なお話しを聴けるというのは、なかなかありません。
けれども、こうして大切な人を中心に話し合うことが、やっぱり明日のケアをよくすることにつながるのだと思います。
私たちにとっても、グリーフ・ケアになりました。

Kさん 貴重なお話をありがとうございました。

緩和ケアセミナー裏話

11月3日に「第1回徳洲会緩和ケアセミナー」を当院が事務局となって開催しました。
内容については他の方が書くと思ったので、私は裏側の話を書こうと思います。

[開始前のミーティングです]

徳洲会グループは救急医療やへき地医療を支えることを主体にしてきた組織で、緩和ケアを始めたのは当院が最初でした。院内でも「緩和ケア」「ホスピス」という概念を理解されるまでに理事長は相当ご苦労されたと聞いています。
それが時代の変化とともに徐々に緩和ケアが広まり、グループの中にも緩和ケア病棟や緩和ケアチームを持つところが増えてきたので、そろそろ全体で集まって学び合う場が必要ではないかと考え、理事長の発案で開催となりました。

[前野理事長の基調講演]

当院には大きな会議場がないため、札幌徳洲会病院をお借りすることになりました。
慣れない環境・100人位の参加人数・講演依頼・抄録作成・当日の職員の配置・職員への説明・・通常業務をしながらの準備です。
事務局のリーダーにはK君が抜擢されました。
Kくんはネクタイと靴を新調して気合を入れました。

会場は8Fの講堂と2Fの会議室を利用します。前日に、係りの職員が連絡を取り合うのにLINEのグループを急きょ作ることになりました。
19人の職員がこのグループに入り、それぞれの持ち場の状況を報告するツールになりました。
「8割会場に入ってます。誘導受付は引き続きお願いします」
「了解です」
「あと何人来てないか教えてください」
「まだ到着されてない方はあと3名です」
「会場暑いですか?」
「ちょうどいいです」
「ランチ会場の設営完了してます」
「誰かi-phoneの充電器持ってませんか?」
「充電器持ってますよ」
「充電器渡しました」「もらいました。ありがとうございます」
などの連絡が飛び交います。

私はLINEって便利だなとしみじみ思いました。離れていても、みんながお互いのことを理解し、助け合おうという意識がうかがえました。ランチ会場の設営状況も写真で送ってくれるので、全員が共通認識できました。このやりとりを確認しつつセミナーを見守っていました。

[ 分科会ではアツい討議 ]

セミナーが無事終了し、お客様が懇親会に向かわれたあとの片づけ作業にも
「8Fごみ袋がないです」
「今行きます」などと連絡が飛び交う中、
「院長から一言!熱かった。みんなの気持ちが!」という労いのコトバが入り、事務長からも「完了したら連絡ください。ラインの中でみんなでオー!したい」と入りました。
「みんなお疲れ様!」「お疲れ様!」「お疲れ様!」
の連呼の後、理事長から
「本当に今日はご苦労さま。集まった皆さんが良い会だった。また来ますと言ってくれました。皆さんの準備のおかげです。この会をやってよかったね」との言葉が入りました。
最後にリーダーのK君が
「理事長、皆さん今日はお疲れ様でした。個々の能力が発揮され南青洲の良いところが全面に出たセミナーになったと思います。みなさんの協力のおかげです。感謝の気持ちで一杯です。この団結力をこれからの南青洲の業務にも生かして行きましょう。本当に、本日はありがとうございました。みなさんゆっくり休んでください」
という挨拶が入りました。
この経験はK君の一生の宝になるに違いないと思いました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
涙もろい私は、LINEを読み返すたび胸熱くなるのです。

畑と看護と人生と

昨年(2016年)1月にここに着任してから、もうすぐ2年が経とうとしています。早いものです。
ここへきて自分がしたことの一つが花壇と畑です。したことと言っても、ホンの一部分ですけど。

自宅で家庭菜園をしている師匠と、園芸療法士として活躍している方が、ボランティアとして全体の計画や準備をしてくださり、職員と私が日常の水やりなどを行う。時々患者さんに関わってもらって種を植えたり受粉を手伝ってもらったりする。実を収穫し、栄養課で調理してもらって、職員も患者さんもいただく。そこにはうれしい楽しいのコミュニケーションがあります。
2年でこのサイクルができて、一番楽しませてもらったのは実は私なんじゃないかと思います。

先日園芸療法士の土角さんの「花と緑で人を支える園芸療法」と題した講義を聞いて、自分なりに感じたことを書きたいと思います。

「園芸療法」とは植物や植物のある環境、植物を育てる活動を日々の暮らしに取り入れ、心身機能の改善・社会参加・認知症予防・介護予防などに活用する方法です。その効果は気分転換やリラクゼーション、集中力の改善、季節や時間の感覚を取り戻すこと、基本的欲求の充足、達成感、満足感、コミュニケーション能力の向上など多岐に渡ります。
患者さんとご家族から、感謝の言葉をいくつもいただいたのも、活動を続ける大きな励みになりました。

水やりのために外へ出て、花を観察する。ほんの10分位の時間ですが、ただそれだけでずいぶん気分転換になりました。
心が穏やかになり、花を愛でて実を収穫するということがずいぶんと心の栄養になった気がします。
日々の様子を観察し「病気かな?」「水が足りないかな?」「日差しが強すぎるかな?」とアセスメントして行動するのは看護ケアにも似ています。看護は観察に始まり観察に終わるというけれども、日々見ている中で「あれ?」と気づくことが大事です。

芽が出て花が咲いて、やがて朽ちていく姿を見ることは、人の一生にもつながります。
咲き終えて落ちた花殻を拾いながら、人間もいきいきと活動できる時間は限られており、今を大事に生きて身体の声を聴き、変化への備えをして行こうと思いました。
こんな風に、植物と関わることは生きることそのものへの深い思索とつながっていました。
もっと若いときからそのことに気づいていたら、生き方は変わっていたかも知れません。
     

土角さんの講義を聞いて来年の活動に追加したいことができました。
ひとつは、土づくりのところから患者さんに関わってもらおうということ。
それから夏野菜の収穫は主に私がやっていたのだけど、この満足感を患者さんに味わってもらおうということ。
そして新病院に移転したら・・あんな花壇、こんな畑・・と妄想は広がるばかりです。

畑が仕事の一部なんて看護部長は、おそらく日本中探してもそういないのではないかと思います。
それを許してくれている、理事長・院長に感謝してます。
     

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
やったことがないことでも、いい導きがあると興味が持てるね。

 

働かないアリにも意義がある

先日の看護学会で「働くアリと働かないアリの”ありよう”からみる個性と組織の存続」というテーマの講演を聞きました。
講師は北海道大学大学院農学研究院生物生態体系准教授の長谷川英祐先生でした。

なんで看護学会でアリの話??と思いながら聞いてみると・・
アリにも働くアリと働かないアリがいて、働くアリだけを集めてコロニー(巣)を作ると働かないアリが出てくるし、働かないアリだけを集めても働くアリが出てくるというお話でした。全員働けば仕事の効率がよくなってみんなで楽に暮らせるんじゃないかと思うのですが、全員で100%働けばいっぺんに疲れてしまう。誰かが疲れて停滞するときに、普段働かないアリが働くことで、組織が維持存続できるのだというのです。それは(こうなったとき働く、という)個別の「反応閾値」によって決まるそうです。

病院組織もそうかもしれません。
私が仕事をしてきたどの組織でも、常に隅々にアンテナを張って、きっちり仕事をする人と、一見休んでる(遊んでる)ようにみられる人とがいます。一日中走り回って仕事しているときに、のんきに宅配ピザの話をしている人がいると、私は「なんであの人はもっと働かないんだろう?」と腹を立てていました。

しかし、昨年自分が当院へ来てからは、私自身が「働かない人」になっているように思います。なぜかってここのルールや人間関係などが見えない間、ひと渡り見回したときの印象は、自立した看護集団だなと思ったからです。そうすると「私がやらねば」みたいな気持ちは霧散霧消して、内部環境をもっとよくするために、さて、次は何をしようかなと思える。あるいは外に向かって何かをしようと思える。
けれども、何か内部にピンチが起きたらば、いつでもなんでもするよ、という気持はある。できるかどうかは別としてね(笑)

これが働かないアリの気持ちにちょっと近いかも知れません。
だから、働かないアリがいるってことは少し余力があるっていうことじゃないかと思うのです。

転職してきた人もコロニーの違いを感じるだろうと思います。それまでのコロニーでは100%働いてきたけれども、別な場所へ行くとルールや人を覚えるまでは一時的に自分の能力は十分発揮できない状況になります。日々コロニーの状況を観察しながら、自分の働き方を探り、求められているのは何かを考える期間が必要です。何が得意なのかを理解され、適切な役割や目標を見つけたり与えられたりして、自分らしさを100%発揮できたら、「働かされてる」というのではなく、幸せに働く、ということになるのでしょうね。

この話をある人にしたところ、みんなが100%働いて「働かない奴はだめだ」みたいに目を光らせているよりは、「いざと言うときは頼むよ」というくらいのアソビがあった方が、きっと組織は長持ちするのだと思う、という風に言われました。

つまり私もあなたも認め合う組織になるってことが大事なんですね。
参考まで⇒https://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000001082_all.html

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