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お知らせ

なぜ間もなくお迎えが来る人に時間とエネルギーを注ぐのですか?

ぐさりと刺されるような問いですが、これは先日行われた「日本死の臨床研究会」のシンポジウムのテーマでした。
もともとはあるジャーナリストがマザー・テレサに向けて発した質問だったそうです。

この問いには正解はなく、考えるプロセスが大事。これから医療の道に進む学生さんに、緩和ケアについて説明する気持ちで、皆さんも考えてくださいと司会の小澤竹俊先生(めぐみ在宅クリニック)が言われました。

私は長いこと急性期医療の場にいたので、救急車で運ばれてくる患者さんの治療や処置が優先されることが当たり前、スピードと効率、もれなくなされるべきことができていることが成果だと捉えられていました。そして治療ができない状態というのは医療における敗北というようなニュアンスが、なんとなくですがありました。
自分がスタッフだったときも、患者さんの最期の時にじっくり関わりたいという気持もありましたが、頭の中は次にすることで一杯であって、常に時間に追われっぱなしで、心からその場に向き合えずにいました。
中堅の看護師が退職する時、「もっとじっくり患者さんに関わりたい」という風に言われる背景には、こういう困難感も含まれていたのだと思います。

ですから、私は昨年この病院に来て緩和ケアの実際をこの目で見た時に、これは「じっくり関わりたい」看護師たちが、心からやりたいと思っている仕事ではないか?と思いました。
患者さんの傍らに座り、辛い場所に手を当てる。
五感を働かせて患者さんを知ろうとし、その方が望み、喜んでくれるような援助をする、ということを。
本来それが当たり前のケア、なんですけどね。

シンポジストの市橋亮一先生(総合在宅クリニック)は、現代医療の背景を「トリアージ主義・延命主義」と述べ、「生産性」や「治る人は治す」ということが重視される中では、残り時間の少ない、治らない病気の人に対して「やることがない」という風に考えられてしまっているのだろうと述べられました。

しかし人生で体験する苦痛がその時期に集約され、そこを支える資源が少なく、限られた時間だからこそ、幸せと思える人生を生き切ることを支える私たちの仕事は、無限にあるのだとおっしゃり、私は大きくうなづいたのです。

全ての人が100%死を体験します。
がんであっても、がんでなくても。
最期を選ぶことは叶わないけれども必ず死が訪れる。
自分の想いを伝えられて、少なからず死や死後の準備ができると考えれば、がんで逝きたいと私は思う。

人生の最終段階は人と人の暖かいつながりの中で、愛と感謝に満ちて、「いい人生だった」と感じてもらえるひと時にしたいと思います。
そういう時間を支えるのが私たちの仕事だし、ひとりとして同じ人生はないし、だからこそこの仕事は魅力的なんだろうとも思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
安心してゆだねられる、あたたかいHOMEでありたい。

[ 病院前は落ち葉のじゅうたん ]

日本死の臨床研究会in秋田に行ってきました

このところインプットするものが多くて、速やかにアウトプットしないとどんどん忘れていく工藤(^^ゞです。

10月7~8日、秋田で行われた「第41回日本死の臨床研究会」に行ってまいりました。
昨年は当院が事務局をした会なので、今年は参加者としてたっぷり浸かってこようと思っていました。
秋田空港から市内に向かうバスの運転手さんが、「今日はね2500人のお客さんが来るんですよ。すごいんですよ」ととてもうれしそうに話していたのが印象的。

この人たちは発表者。頑張ったね!

 

会場は3つの建物、7つの会場に分かれるので、どの会合に向かうかはあらかじめ考えてから行きました。
初日は「マギーズ東京」の秋山正子先生の出るシンポジウムに向かったところ、エレベータに秋山先生が乗り込んでいらしてなんと二人っきりに!光栄です!とお声をかけて、次の階でそのお背中を見送りました。I’m happy!

真ん中の人も発表者。おつかれさま~

 

午後からは秋田市内の病院で、ボランティア・コーディネーターを20年も続けておられる方の講演を聞きました。
御年70代後半かと思いますが、常勤として毎日出勤されて、連日80名の活動を運営されているそうです。すご~い!

痛みや症状緩和、ADLとセルフケアの改善までは医療者の関わりが重要だけれども、そのあとの日常そのものの改善や、社会生活の取り入れはボランティアとご家族の役割が大事だと説明されました。これはマズローのニーズ論にも似て、なるほどと思いました。ホスピスで行われる行事やアクティビティは非常に数が多く、「何がその方の希望かわからないので、多岐にわたって準備している」そうです。
座右の銘は「人生とは他者の生に貢献することの中に本質を持つ(アドラー)」とおっしゃり「地位や名誉やお金ではなく、相手に求められていることを一心に行うことで、真に自分を育み他者に貢献することになるんだ」という言葉に、膝を打つ心持ちになりました。

ババヘラアイスと言います。

 

20年もの間、ボランティア・コーディネーターを続けていられるのは、「活動が楽しく、生きがいを感じる」からであり、努力の成果を相手に求めるのではなく、自分を育むためだとおっしゃいます。
その言葉は以前当院でフルート演奏のボランティアをされているKさんが、
「ボランティアを7年続けて思うのは、ボランティアは他者からの賞賛をじぶんのご褒美にしてはだめなのよ。他者からの賞賛をヨロコビにしていたら、賞賛がないと続かないの。形の見えないご褒美を自分でみつけられることが必要なの。自分にしか見つけられないご褒美がここにはあるんだよね。だから7年も続いている。」とおっしゃった言葉とぴったり符合して、ますます膝を叩きたくなったのです。

その夜の懇親会で、もちろん講師の方にご挨拶させていただきました。
そして当院のお話をさせていただいて、ずいぶん勇気づけていただきました。
よおし、まだまだやることあるぞ~と思った夜でした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
発信は素早く。心がアツいうちに。

学ぶ楽しさを!看護管理研修

先日、道内グループ病院の師長を対象に、管理研修が行われました。
今年はこういう研修の企画者側にいます。
忙しい中、現場を部下に託して勉強に来るわけですから、最高に魅力的な研修を企画しなきゃね、と腕まくりして準備したのです。
私はイベントとか研修とかを考えるのが結構好きでして、参加者にどうやって楽しんでもらおうかなあとか、この講義がしみ込むにはどうしたらいいかなあとか、参加者がいかに体感できる研修にするかという視点で、いつも作ろうとしています。
院内研修は人材育成の場であり、顧客へのサービスでもありますから。

7月の研修は副主任を、9月は師長、11月は主任を対象にしています。
年度初めに北海道ブロック長と念入りに打ち合わせし、研修の目的・目標をしっかり作りました。
構造が明確だと、何をすべきかわかりやすいですね。
そしてその意図を伝えて、応えてくださった素晴らしい講師の皆様・・濃い内容の講義に感謝しかありません。

自分の企画構想以上に講義内容が充実して、受講生が食い入るように聞き入っているのを見ると、後ろでついニマニマしてしまいます。
ついでに、先生方の講義の技術というか、人を引き付ける手法や技術をちょっとでも盗もうと思ったりして・・。

学習する人たちのレディネス(準備段階)は様々ですが、共通するのは組織の理念や使命を理解して、現場でひとりひとりが良いケアを実践することに尽きます。
そのために知っていてほしい知識は何か、身につけてほしいことは何か、プラス学ぶ楽しさや交流することで得られるものを体感してもらいたい。
そして「よし、元気もらった!明日からも頑張る」って思って帰ってもらいたい。
できれば「お、なんかちょっと変わったね。最近いい感じだね」と周りが気付くようになるといいなと思います。
だから事後レポートは「明日から私は何をする?」というのがテーマになっています。

それぞれの上役の方にはぜひともそこのところをしっかり読んでいただいて、それをテーマに対話をしてもらいたいなあと思います。
受講生が学びから何を実践しようと決心したのか、実際やってみてどうだったのか、が話に上って初めて研修が完成するのだと思います。

アンケートには
「管理者として行うべきことが、行動レベルで認識できた。業務に行き詰っている中で、とてもよいリフレッシュになった」
「グループ間の顔の見える交流はとても大切だと思いました」
「とても身にしみた意見や講義、もう少し早く参加する機会がいただけたら、目標管理や労務管理を深く考え実践できたのではと感じています」
などと書かれており、企画者冥利に尽きたのでした。

今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
えーと、自画自賛てやつです。図々しいですね。

手放す勇気と快感と

個人的な話で恐縮ですが、この春から自宅の断捨離を始めています。
家一軒丸ごと、片づけてます。
休みの度に使っていないものを片づけては処分していますが、使ってないから=いらないとはいかないのが面倒なところでして、これを「執着」とか「愛着」というのでしょうね。
他人から見るとなんの価値もないものですが、私にとっては歴史に残る子供の作品(笑)だったりして。
「愛おしい」という気持は自分だけのもので、捨てがたいものです。

私の断捨離はこれからの、たぶん長くなるであろう、老年期を過ごすために今年やろうと決心しました。
ですから本当に必要なものを厳選して、少量だけ持つことを目標にしています。
今流行のミニマリストには到底なれそうにはありませんが、心意気だけは「起きて半畳、寝て一畳」のつもりで片づけています。

朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の主人公、谷田部みね子ちゃんの住んでいるお部屋は、住み始めたころから見ると地味に家財道具が増えています。最初は布団一組と少量の着替えくらいしかなかったのが、折り畳み式のちゃぶ台や電気スタンドなどが置かれて、ちょっとした小物が増えてきています。演出のこだわりですね。
ただ持ち物スペースは質素で、実に掃除しやすそうです。

昔訪問看護をしていた時に、一人暮らしの高齢者が入院してご自宅に帰れなくなるのを機に、家財道具を処分する苦労を何度となく聞いていました。離れて暮らすご家族が、ときどき来ては片づける際に、「あ、それは捨てないで、大事な思い出なの」「あ、それは○○さんにいただいた大事なものなの」と言われてなかなか片付かないとか、喧嘩になったとか。
その気持ち、今はよくわかります。
だからこそ、元気なうちに自分で始末をつけたほうがいい。
捨てるか捨てないか、決めるのは自分でした方がいい。
離れて暮らすお子さんは、さりげなく「これもらっていい?」なんて聞いて持っていくといい。
そして自宅に持ってきてから処分すると角が立たないですね。
でもまあ、やたら時間がかかりますが。

私は自分で買い集めたかわいい食器を処分するのが結構きつかったです。
ぎりぎりまで迷って、自分では処分せず、業者さんに頼みました。
業者さんが無造作に食器を取り出し、麻袋にがしゃんがしゃんと放り込む音は、隣の部屋にいて聞かないようにしていました。
そんなにも愛着のあった食器でしたが、翌日はもう何とも思いませんでした。

ある意味、執着から解放されたのかも知れません。
逆に、それはちょっとした快感でした。

今日もこのブログに来て下さりありがとうございます。
ひとつ買ったら、ひとつ捨てる覚悟で。が理想だけど言うは易く行うは難し・・・。

これは取っておいて、いつか読み聞かせる予定。

SNSで誰でもできることを、地道に継続すると決めた!(下)

「ソーシャルメディア塾」に通ってわかったことは、ブログを書き、それをSNS(フェイスブックやツイッターなど)と連動させることで、自分の人柄や考え方を表現し、発信することの大事さです。

普段の仕事の様子、お客様(私の場合だと患者さん)に対するサービスについてや、単純に自分の好きなことなどを「誰かのために」発信して、それを継続することが大事だと何度も言われました。
ホームページを作って、ブログのスペースを作り、何回か書いてみて反応があんまりなくてやめてしまう人も多いそうです。
またFB(フェイスブック)も、自分が投稿するだけじゃなく、友達の投稿にも「イイね」をつけ、コメントを発信してくださいと細かい指示の宿題が出されました。
そしてこれらはそんなに簡単に効果は出ないから、3年は続ける気持ちでやってみましょうと言われました。

院長と事務長も協力的なのがありがたい♡

 

なので、私は自分のルールを決めたのです。
ブログを読んでもらいたいのは、未来に一緒に働く看護師さん。
FBは一日1回投稿する。
友達への「イイね」は出来る限りつける。
コメントは心を動かされたらすぐ書く。
ブログは週に1回投稿する。
それらを3年続けてどんな効果が生まれるか、実験しようと。
まずは信じて素直にやってみる。

[楽しいことを発信するのが楽しい]

で、もうすぐ始めてから1年です。
ブログのネタは病院の中にいくらでもあるんですが、文章表現が・・・公開してから後悔することも(あ、ダジャレに・・)。
とりあえず上手い・下手は置いといて(汗)、今は場数を稼ぐことに専念し、いずれ見えてくるものがあるだろうと思っています。
おかげさまで看護部ホームページは訪問者12522人、総閲覧数19051人(平成29年9月16日現在)となり、就職の面接では「ブログを読んでいます」と言っていただけることが増えてきました。
ありがたいことです。
ウレシイのは、ブログを読んでてくれる方と面接すると、私は初対面ですが相手の方は私のことをなんだかよく知ってて下さるので、院内を案内してても「ああ、これがあの飾り付けなんですか」とか「このトマトの話が大好きです」などと言っていただけることなのです。
つまり初対面であっても感性の部分で共感できる人が来てくれているので、私という人間の説明が省けるのです。
そういうとき、「ああ、途中で投げ出さずに続けてて良かったな」と思います。

[FBネタとしてはもう定番]

 

SNSで発信するって、お金もかからず誰でもできるんです。
でも顔や名前を出すことに抵抗があったり、何を書いていいのかわからなくて手を出すのが怖い、と思う人もたくさんいると思います。
大事なのは画面の向こうにいる誰かを喜ばそうとか、誰かのためになる、と思って発信することだと白藤さんは言います。
私もようやく最近そのことがわかってきました。

今日はあえて書きますが、私はこの戦略を3年続け、いわゆる紹介会社経由での看護師採用をせずに済んだなら、その分のお金を看護ケア用品や寝心地のいいマットレスや研修費に充てたいと思っています。
これを白藤さんは「誠実な下心」と言っていたような・・。違ったかな?

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
毎週一回元気に発信できるのは、現場のみんなが頑張ってるおかげです。ありがとお~~♬

SNSで誰でもできることを、地道に継続すると決めた!(上)

先日、久しぶりに「ソーシャルメディア塾」へ行ってきました。
平成28年6月から、6回コースで開かれたこの塾は、ITとSNSによって個人と仕事を発信し、つながりによってマーケティングを行うという目的で開かれました。
それまでSNSもホームページも「見てるだけ~」の中途半端だった私ですが、当院に1月から着任し、病院のホームページに看護部サイトを作りたいと手がけ始めたところでした。
私どもの病院は小規模ですから、はっきりいってあまりリクルートにお金はかけられません。
大規模な病院説明会への出店や、豪華なパンフレット・ノベルティグッズなどもちょっと・・いや対象者も違うし大病院とは違って一時に大量採用するわけではないのでね。

さて、じゃあどういう戦略でいこうか・・と考えていた時に 白藤沙織さんのことを知り、ブログやホームページを見て、ソーシャルメディア塾のことを知りました。
白藤さんは、「広告にお金をかけられない、中小企業の経営者にこれを学んでほしい」と書いていました。
http://www.websuccess.jp/jissenjyuku/

これを読んで、私は確信めいたものを感じました。
そして白藤さんのブログを過去に遡って読み、等身大で書かれた内容から、この人は(会ったことはないけど)信頼できる人だ、という風に思いました。数日後、私はホームページから塾の申し込みボタンをぽちっと押しました。

受講料はけして安い金額ではないし、病院から頼まれたわけでもないんですが、自分の中に「あ、これやってみたい。勇気と根気がいりそうだけど、試してみたい」という気持が湧いてきました。

そして入塾。
塾生は少人数で、ひとりひとりの仕事も背景も違います。講師の白藤さんと、スタッフの方たちがアットホームな感じで気さくに対応してくれて、緊張もほぐれました。
そのころすでに看護部のホームページを制作しかかっていたんですが、その時の発想は言って見ると「ありきたり」なホームページでした。いわゆるきれい目のモデルさんの写真を使ったもので、ちょっとよそよそしいというか、現実的じゃないというか。

白藤さんのアドバイスを受けて、私はモデルさんの写真をやめ、働く職員のイキイキした表情を載せることにしました。
できればひとりひとりのエピソードも載せたい・・今仕事を探している看護師さんに、ここで働きたいと思ってもらうためには、仲間になる人たちがどんなに親しみやすいかを表現したい。そう思うようになったのです。
それで一人一人の承諾を得て、写真を撮りエピソードを加えました。職場の写真も同じように、みんなのイキイキした顔が伝わるように。

11月にようやくホームページが完成し、さてそこからが私の本当のスタートとなりました。(つづく)

あるグリーフ(悲嘆)ケアの形〜遺志をつなぐ〜

家族を亡くす、ということは大きな喪失体験です。

悲しみや辛さはその人それぞれの喪失体験の積み重ねや、愛情、旅立つまでの間にどんな体験を共有したかによってもずいぶん違うものです。突然なのか、予期されたことなのか、生前の関わりに対する後悔の度合いが強いかどうか、旅立ちを受け止める時間があったか、故人との関係性がよかったかどうか、本音で語れたかどうか。
本当に、それぞれのストーリー(物語)があって、どれひとつとして同じものはありません。

大切な人を亡くした場所に再び足を踏み入れて、ボランティアをするということ。
以前のブログでも触れましたが、故人を取り巻くご家族やご友人が共に過ごし、語り合い、悲しみを共有しながらも旅立ちを受け入れてしっかり見送ることが出来た時、ひとつのグリーフ(悲嘆)ケアの形として、他者への支援をする行動につながるような気がします。

ボランティアの存在は、医療者でもなく家族でもなく、ちょうどいい距離感を持って、自分が一人の人であることを鏡のように思い出させてくれます。香り高いコーヒーを落としてくれて、病気であることをふと忘れてしまうような時間を作ること、音楽、対話などがどれだけ患者さんやご家族の力になっていることでしょうか。

ある患者さんがこうおっしゃって下さいました。
「私が元気になったら、ここの看護師さんたちを癒してあげるんだ」って。
それを何度となく聞いていたお身内の方が、ボランティアとして申し込んでくださって。
「自分にできることで、彼女の遺志をつなぎたい。きっと彼女自身がそうしたかったと思うから」とおっしゃって、8月から週に1回、職員のために若石式リフレクソロジーというマッサージをしに来て下さっています。
30分の足裏マッサージには、自分でも気づいていない体の不調に気づき、いたわり、ケアしてもらったという以上の効果があるようです。
マッサージをしてくれるボランティアさんのそばに、亡くなった患者さんのにっこり笑った姿が見えるようでした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ケアする人もケアされて、またいいケアができる。

朝礼スピーチは気合で行こう

こんにちは。人前で話すのが苦手な看護部長の工藤です。

当院では朝8:30から朝礼を行なっています。
病院という職場なので、現場を離れられない職員も多数いますが、出られる人は出来るだけ出る、というルールになっています。

連絡事項のあと3分間スピーチがありまして、幹部は月に1~2回、所属長は半年に1回、その他の職員は1~2年に一度くらいの感覚で当たります。
スピーチするのが好きな人ってあんまり聞いたことがなく、たいていの人は「いやだな~」と思いつつも根が真面目なので、メモを片手に一所懸命しゃべります。

先日のスピーチはホスピスのナースでした。
姪っ子の1歳の誕生日に親戚が10人以上も集まり、わいわいとお餅を担がせて楽しいお誕生会だったという話からはじまりました。
そして先日の「エンゼルケア」の研修会の話に飛び、自分の仕事「人の死を看取る」ことへとつながり、誕生会も死の瞬間も、愛する人が集まって時間を共有するのが大事なことだとわかり、そこへの援助こそ、私たちにできる大事な仕事だ・・・といういいお話でした。
う~ん 朝から勉強になるなあ~~。

そうこう言っている私も実はスピーチは苦手・・
学生さんの前で講義だとちいとも上がらないのに、朝礼スピーチは心臓がどきどきします。
実は数日前から気が張って、時におなかを壊したりします(笑)。

立場上、いやでもそういう機会はありますから場数はそれなりですが、やっぱり話すより聴く方がいいし、書く方が何度も推敲できるので気が楽です。
ええかっこしいなんですな~。
いつも一度手で書いてまとめてから話すようにしていますが、用意していたのとは違う方向へ行くこともあって・・
しゃべり終わったあとに、いつも自分ひとりだけが裸になったような、恥ずかしさを覚えます。

ホスピスナースは、あんまりにもスピーチのことを考えすぎて、夢にまで出てきたそうです。
夢の中の院長が「もう朝礼スピーチやめよっか」と言ってくれたとか(笑)

でもね、このスピーチで人の考えや新たな側面を発見したりしているのも事実。
この人はこういう趣味を持っていたんだ、とか料理が得意なんだなとか、食べ歩きが好きなんだなとか・・・
なかなかじっくり職員同士が話す機会がないだけに、私はなくなったら寂しいんだよ・・
年に1回だもん 気合で行こう!

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
好きなことをしゃべればいいのさ!(誰も覚えてないから!)

院長は記憶力がよくて、ちゃんと準備してるんだよね。

楽しいところに人は集まる

日本一、幸せに働ける病院を作りたいと思っている工藤です。

2017年7月現在、当院のボランティアさんは登録29名となりました。
いっとき存続の危機があったことを考えると夢のような人数です。
ありがたいことに、今は特別募集をしなくても、ぽつりぽつりと応募いただくことがあって、大変助かっています。

今日はその中の「飾り棚部隊」(注:勝手に命名)の方たちを紹介します。
ボランティアさんの中には「元看護師」さんや「現役看護師」さんが合計7名いらっしゃいます。
「元看護師さん」の場合、現役で働いていたときには時間に追われて、じっくり患者さんに関わることができなかったけれども、今はゆとりを持って関われるとおっしゃって、認知症患者さんのそばにいて声をかけながら手をマッサージしてくださったり、お茶会の時に隣に座ってゆったりとお話をしてくれたりしています。


しかし「現役看護師さん」の場合、職場でも目いっぱい働き、家では家事をこなしているはず。
さらに別の病院でボランティアをするという発想には、私はなかなか至らないのですが、驚くことに現役看護師の方が5名もいらっしゃるのです。

「飾り棚部隊」の方は2名いまして、現役の看護師さんたちです。いろいろなボランティア活動の中で、飾り棚を装飾するのが好きかも知れない、ということでやってもらったらすっかりハマってしまったそうです。
1~2か月に1度くらいの感覚で来られて、季節の飾りつけをしてくださるんですが、回を追うごとに舞台レイアウトが凝ったものとなり、おふたりの独自の世界観やストーリーが出来てきました。
お二人は、それぞれ別の病院にお勤めですが、休みを合わせて一緒に来られます。

7月下旬に現れたおふたり。
今回は海水浴がテーマとか。


私 「これ、いつアイデアを考えているんですか?」
Aさん「もう、四六時中(飾り付けの事)考えています!」とのお返事・・

しかもこの方、夜勤明けに来たんですって!!

参りました。
すごい情熱とエネルギーです。
Aさん「これやってると患者さんやご家族の方から”楽しみにしてます”って声をかけてもらえるんです。それがうれしくて来ています」

そして、このお二人があんまり毎月楽しそうにここに来るのを知った知り合いの看護師さんが
「今日は見学にきました」と言って参加。
さらに「飾り棚部隊」が増える予感です。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
楽しいって言って何かをしていると必ず人は集まってくる気がします。
それが仕事に直結してもしなくても。

エンゼルケアの研修会

7/31に院内で「エンゼルケア」の研修がありました。
講師の緩和ケア認定看護師市川佳代さん(千葉徳洲会病院)とは、昨年院長とグループ病院を見学した際に、初めてお会いしました。
別な仕事で市川さんの札幌出張を知った私は、図々しくも当院での講義をお願いしたのです。

「エンゼルケア」というのは看護師の用語で、患者さんが亡くなられた後に体を清潔に整え、点滴など身体に入った医療器具を取り除き、メイクをすることを指しますが、広い意味ではご家族の悲しみへの対応も含まれていて、生物学的な「死」よりも前から少しずつ準備教育を始めるとともに、自然な状態への整えと、ご家族が死を受容するための援助を行うものなのです。

市川さんは緩和ケア認定看護師としてご勤務中に、ご自身のお母様ががんの末期であることを知りました。
職場の理解と協力を得て、在宅で看護し自分で看取る決心をしました。
その生活とお見送りした体験が、写真で克明に記録されていました。
ご家族やお母様のご友人たちが集まり、ともに過ごした日々がスライドに映し出されました。
趣味でフラダンスをしていたお母様の死に装束は、一番似合っていたドレスでした。
市川さん渾身のメイクでとても明るく満ち足りたお姿となり、その後のハワイでの散骨に至るまでが、一貫した納得の「エンゼルケア」でした。

こうして講義室に集まった私たちは、市川さんとお母様の最期の日々を追体験させていただきました。
最期の時までを精一杯生き抜いた、一人の女性の息をのむようなお話でした。
一方、看護師として娘として、様々な角度からお母様の姿を見つめ、思いを込め、最善のケアをやりきった姿がそこに映し出されていました。
うらやましい!すばらしい!私はこんなことできなかったなぁ!

市川さんは自分の体の斜め横を手でぐるぐるしながら「今もこのへんに母が漂っていて、ちゃんと私がお話しできるように支えてくれているんです」と茶目っけたっぷりにお話しするのですが、聞いている私にもお母様が笑って隣にいるような気配が感じられ、それが幽霊だとしても温かくほほえましい光景に映りました。
これが生きている人の中にいつまでも生き続ける、ということだなあと思うのです。

市川さんの講義は、終わった後になんだか人と話したくなります。
皆、何かしら誰かを失った喪失感を抱えながら生きていると思うから。
普段はそのことに蓋をして、仕事をしたり生活したりしている。
でも、ときどきこうして蓋を開けて、泣いたり懐かしんだりして悲しみをちゃんと味わうことも大事だなと思います。

市川さん、来ていただいて本当によかった。
グループ病院にこんなに優秀で素敵なナースがいることに感謝します。
また来年もぜひ続きを聞かせてください。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「大切なのはどれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」(マザー・テレサ)

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