お知らせ
アツクカタルin仙台
週末は仙台に来ています。
法人グループは全国に病院がありまして、地域ごとブロックごとに分かれて普段合同の研修会を開いてます。
今日は年に一度の業務改善発表会。北海道と東北ブロック合同で催しておりまして、今年は開催地が東北ということで、やってまいりました。
今回当院から発表するのは、緩和ケア病棟の認定看護師さんです。
この日のために1年前から準備してきました。
病院というところは、病気と症状に目が行きがちですが、私どもの病院はそれと同じ位に、その方が生きてきた人生や価値観、社会生活というものを大事にしていきたいと考えています。
それを具現化するための取り組みについてまとめたものです。
パワーブレックファストを食べて、いざ!行ってまいります。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
仙台は雪がなくていいなあ。
モニターがない、ということ
研修された方から、終わりごろに感想を聴くのを楽しみにしています。
先日も緩和ケア研修に来られたナースに、印象に残ったことは何ですかと尋ねてみましたら「(心電図)モニターがないこと」と言われました。
患者さんの命の残り時間が少ないと判断したら、たいていの一般的な病院では、体にモニターをつけて、心電図の波形がピッピッピと音を立てています。
これが病室にあると、ご家族はモニターをじっと見てしまいます。
波形の形が変わったり、アラームが鳴ったりするとドキドキするものですね。
心拍数も数字で出ているので、どうしても画面から目が離せなくなってしまいます。
そうしてご家族はモニター画面で生命の終わりを知ることになります。
私自身、長く急性期病院にいたので、それが普通のことだと思っていました。
当院の緩和ケア病棟にはモニターはありません。
置いていません、という言い方が正しいのかな?
ご家族はそばにいて、じっと患者さんのお顔を見ています。
呼吸の状態を見て、声をかけて、最後の時を共に寄り添って過ごします。
大きく息をついた、あれ、止まったかな、いやまた息を吸った。
手を握る。身体をさする。話しかける。
痛みや苦しいところがないと、命が閉じる瞬間は自然で穏やかです。
人が産まれる時も呼吸を合わせ、見守りますよね。
何もすることがなくても、ただそこにいるということ。
こういう時間を過ごせるように症状を緩和できていたら
モニターはいらないのです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
実は他にもないものがあります。
早朝ラウンドはゴキゲンの源
朝のラウンドが好きです
といってもゴルフの話じゃありませんよ
ラウンドってかっこいい言い方してますけど、ただの歩き回りです
私はだいたい朝7時過ぎくらいに出勤して花達を一回り点検し
週に1,2回は院内を歩き回ることにしています
目的はいくつかあって、ひとつは夜勤者をねぎらうこと
当院は2交代制の夜勤なので、一晩中患者さんを守ってくれている
あなたのおかげで私は夕べ眠ることができました、
ありがとう
そんな気持ちで声をかけています
忙しかった夜も
落ち着いていた夜も
眠れない患者さんがいた夜も
救急で運ばれた人がいた夜も
くたびれた夜も
誰かが旅立った悲しみの夜も
くりかえしくりかえし
守ってくれる人がいる
仕事とはいえ、ありがたいことだなと思う
それから
スタッフが何かちょこっと話してくれるときがあります
研修の提案だったり
仲間を思いやる言葉だったり
お礼の言葉だったり
私はそれらを忘れないように手帳に書き留めておきます
いつか叶えられるように
やさしい気持ちが伝えられるように
また何かできるように
そして患者さんがどんな朝を迎えているか
よく眠れたか
寒くなかったか
匂いや
空気を感じながら
歩くのが好きなのです
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます
始まりがよいとゴキゲンです
初!ハロウィン・イベント
10月30日(水)ホスピスのイベントは初ハロウィンでした。
秋のイベントと言えば「お月見」が定番でしたが、今年はぜひハロウィンをやってみたいってことで、若者の発想はいいなあ、やってみなはれ~と言っておりました。
私世代はハロウィンと言ってもなじみが薄く、バレンタインデーやホワイトデーのように、お菓子メーカーに踊らされている感があります。
ネットで調べてみると秋の収穫を祝うお祭りであるとか、地獄の門が開いて現世と異界がつながり、お化けが人をさらっていく日なので、お化けの仮装をして身を守るんだと書いてありました。
「地獄の釜の蓋が開いて、悪い子はさらわれる」と脅かされた日本のお盆とちょっと似ています。
北海道では七夕に「ろうそく出せ出せよ、出さないとかっちゃくぞ」と子供たちが大声で歌いながら家々を訪ね歩き、ろうそくとお菓子をもらう風習がありました。
(今もあるのかな~~)
ハロウィンの「Trick or treat!」(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ)と近いものを感じます。
でも今、日本では「仮装の日」みたいなことになっていますね。
それはさておき。
事前準備はボランティアさんにも協力していただきました。
かぼちゃの衣装・・・構想はこんな感じ。ざっくりしてますね~
小さなプレゼントを作っていただき
歌の準備は音楽療法士さん
そしてかぼちゃだんごの入ったお汁粉
当日は新しいかぼちゃユニットが活躍したそうです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しんだもの勝ちですね!
余韻の続く小説「平場の月」
しばらくぶりにいい小説を読みました。
このところ小説から遠ざかっていたので新鮮でもありまして。
主人公は50代の女性です。
「平場」という言葉は初めて知ったのですが、文字通り「平たい場所」とか「普通の場」という意味があり、小説の登場人物も目立たないごく普通の生活をしている一市民で、特別大きな事件が起こるわけではありませんが、日々の生活と心情の中にひたひたと迫りくるものがありました。
早く全部を読みたいのに(またそうできる分量なのに)、主人公の気持ちをゆっくり味わいたい気持ちになり(あるいは友人の気持ちになったり)結末は冒頭に出てくるので、読みたいのに読み終わりたくないという相反した感情になってしまうという、不思議な小説でした。
今これをお読みの方は、あらすじも書かずに何を言ってるかわからないと思います。
キーワードなんかを書くと陳腐になりそうで・・自分の筆力のなさをすみません・・。
話し言葉が小見出しにもなっていて、「ちょうどよくしあわせなんだ」とか「誰に助けを求めるかは自分で決めたいんだ」とかシビレル言葉が随所にありました。
物語に通底しているのは「自分のことは最期まで自分で決めたい。自分で選びたい」という人間の尊厳であり、日々の暮らしの中にこそ幸せがあり、それを小さく刻んでは味わっていくということでした。
読後しばらく余韻が続きました。
今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
予備知識なく読んだほうが喜びが大きいかも。
親指同士の会話
患者さんやご家族の中には「誰かに気持ちを聴いてもらいたい」と思っておられる方が、おそらくたくさんいらっしゃいます。
けれども医療者では忙しくて聴いてもらうのは申し訳ないとか、医療者にはわかってもらえないだろうと、あきらめてしまっていることがあると思います。
こういうとき、病気やそれ以外のつらさを話せる人がいたらいいですよね。
誰かに聞いてもらうことで心が楽になることはよくありますから。
確かめたことはないけれど、おそらくほとんどの方が大なり小なりそういう気持ちを持っておられるのではないかなと想像しています。
私自身、家族が病気のときに、病気そのものの心配ももちろんあるのですが、自分の心細い気持ちを誰かに聴いてもらいたいと感じました。
そう感じる一方で「こんなこと話しても相手の人は聴くのが楽しくないだろうな」と思って呑み込んでしまう、そうも思いました。
「みんな忙しいのだから、こんな愚痴みたいなこと聞きたくないだろう」。最初は小さな感情でも、徐々に溜まってくると、だんだん苦しくなるものです。
そこで看護師がじっくり腰を据えてお話を聴けたらいいのですが、現実はなかなか難しい。
そんな時は傾聴ボランティアさんの出番です。
患者さんの気持ちをキャッチして、傾聴ボランティアの方をつなげるのは看護師の役割です。
いくら誰かに聴いてもらいたいと思っていたとしても、突然知らない人がやってきて「さあどうぞ、なんでもお話してください」と言われても面食らってしまうでしょうから。
「この方は傾聴ボランティアの〇〇さんと言って、とても聴き上手な方なんです。お話した内容はもちろん守秘義務がありますのでけして他の人に話すことはありません。よかったら△△(患者)さんのお話を聴かせてもらえませんか?」などと紹介し、少し世間話などしてから聴くことの承諾を得るようにしています。
この傾聴ボランティアさん、当院には数名いらっしゃって、病棟それぞれに担当が決まっています。
先日そのうちの3人の方と「傾聴ワークショップ」を開き、それぞれが傾聴の際に気をつけていることや、患者さんから教わったことなどをシェアしあう場を設けました。
その中の話が、きらきら輝く宝石のような言葉だったので、再現してみます。
「世間話から始まりますが、ときに沈黙が続くときがあります。そんな時は薄れかけた遠い記憶を思い起こしている場合があるので、邪魔をしないようにじっくりとそこで待ち、たたずむようにしています」
「病室の入り口にカーテンがかかっていて、看護師さんの足が行ったり来たりしている。うらやましいなあ、動きたいなあ、私にもあんな風に元気に動いていたときがあったのに、とおっしゃる方がいました。無力感や孤独感をわかってもらいたいという気持ちが強く伝わってきました」
「認知症の方でベッドの柵をぎゅっと握りしめている方がいました。その手に自分の手を重ねてリズムを取るようにしていたら、いつのまにかぎゅっと握りしめた手が緩んで、その方の親指が柵から離れて私の親指に合わせてくれて、親指同士で会話をしたんです」
「たとえ一度限りの出会いでも、その方に自分が受け入れてもらえたときに、魂が触れ合う瞬間がある」
「病気を抱えながら生きる時間の中で、傾聴ボランティアの関わりはほんのちょっぴりの時間。でも、今日はちょっと笑ったな、とか聴いてもらって楽になったな、と思ってもらえたらそれでいい」
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ほんとに、人として学ぶことが多い。
秋山正子さんとの対話
9月1日に当院の関連施設である「緩和ケア訪問看護ステーション札幌」がオープンしました。
これまでは「ホームケアクリニック札幌」でみなし訪問看護事業を行っていたので、それを継承する形です。
あえて名前に「緩和ケア」とつけて、山崎美恵所長の強い気持ちを表しました。
2008年のクリニック開設時からずっと在宅緩和ケア一筋にやってきたので、ケアそのものには大きな変わりはありません。
ただ、ステーションになることで、訪問看護師としてのステイタスが変わるものだと山崎さんは言います。
診療所の付属的な訪問看護から、自律した看護経営者としての組織になり責任が大きく感じられます。
10月6日には訪問看護界のパイオニアである秋山正子さん(マギーズ東京代表)をお招きして特別講演を行いました。
講演前に昼食をご一緒させて頂きましたが、秋山さんのお話は病院の臨床現場で陥りがちな、医療者の偏った目線について気づかせてくれるものでした。
偏った目線、たとえば食事制限が守れない患者さんに対して「どうしてできないのか」と正論で闘うのではなく、さりとて「患者さんを家族だと思ってかんがえてごらん」というようなありがちな物言いでもなく、その方の生活文化や習慣を踏まえたうえで、一歩違う角度から見ることを促すような自然さ。けして無理をしない、医療者もきりきりとしない。そんな風に私たちは導かれました。
こういう穏やかで無理のない対話が、もっと臨床現場でできるといいのになあと心から思いました。
講演会直前にスタッフミーティングをした終わり「エールはしないの?あ、ハカかな?」という話になりました。
秋山さん自らハカのポーズをなさろうとして、なんて気さくでチャーミングな方だろうと思いました。
それにしても、2年前マギーズ東京を見学した時には新病院のことも訪問看護ステーションのこともまだまだ全然動いてなかったのに、そして秋山さんと間近にお話できるようになるとは想像もつきませんでした。
マギーズ東京で初めてお会いした時に、秋山さんは小さな声で「つぶやいてたらね、いつか叶いますよ」とおっしゃったんです。
3回くらいそうおっしゃって。
そのことがとても印象に残っていたのです。
2年前のブログ↓
https://sapporominami.com/nurse/2017/02/06/
院長や総長がつぶやいて新病院が実現に向けて動き出し、山崎所長がつぶやいてステーションが立ち上がり、色んな人の協力があって夢に近づいている、とても幸せなことです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
プロセスを楽しもう!
緩和ケアは「聴く医療」である
札幌は急に気温が下がり、朝晩冷え込む季節になりました。
10月5日(土)に徳洲会グループの緩和ケアセミナーが札幌で行われました。この会合は当院が言い出しっぺで始めたもので、今回が3回目。
全国に70以上ある徳洲会グループに呼び掛け、緩和ケア病棟のあるなしに関わらず、参加者は年々増えて今年は約100名になりました。
当院総長の前野のあいさつと基調講演でスタートし、一般演題の発表、特別講演では最新の疼痛治療と続きまして、シンポジウムは「Advance care plan:ACPをどのようにしていますか」をテーマに5人が自施設の発表をしてその後多職種でのグループワークへと続きました。
急性期病院では多職種で患者さんからお話を聞く時間がなかなか取れず、また聴けても共有する場を持てないこと、救急の場でのACPと終末期医療でのACPとはアプローチの仕方がちがうと現場の医師が感じていること、電子カルテを使っているのだから、患者さんのACPについて知りえた情報はみんなで共有する場所を作ったらどうか、などの意見にうなづくばかりでした。
薬剤師さんのこんな発言がありました。
入院患者さんに処方された薬を配薬するときに、薬剤情報という薬の作用・副作用を書いた紙を持っていって説明するのだが、患者さんの中には細かい字で書かれた紙を欲しいと思わない人がいて、それは顔を見ればわかるのだそうです。
患者さんがどんな情報を欲しがっているかは、患者さんから聴くしかない。
そこには医師には遠慮して言えなくて、ついうなづいてしまったがために処方された薬が入っていて、本当はいらなかったとか、そういうコミュニケーションの問題なんかも含まれています。
緩和医療自体が「聴く医療」だが、これからは緩和に限らずますます聴くことの重要性が高まっているんじゃないか、という話が印象的でした。
私は薬剤師さんがそのように考えて患者さんと向き合っていることに、新鮮な感動を覚えました。
他のグループの発表では「聴く人を専任で配置したらどうか」という発言もありました。
急性期病院ではどうしてもそういう分業の発想になってしまうのはよくわかります。しかし聴くことは誰かに任せても、大事なのはそれをどう共有して同じ方向に向かっていくか、であり、その時間さえとれなくなっているのだとしたら、私たち医療者は一体どこへ向かっていくのだろうか、などと考えさせられました。
少なくとも看護師は、聴くことを手放してはいけない。
そう思います。
それにしても、徳洲会といえば救急医療と認識されてきていた中で、これだけの人が緩和ケアに興味関心を持ってくれているのがうれしいです。孤軍奮闘している人も多くて、壁にぶち当たりながら自分だけは折れないようにと頑張っている人の努力をひしひしと感じます。
この緩和ケアセミナーの場が、これからも安全安心に発言できる温かい場であり続けるように、と願っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
全国ご当地みやげフェアも楽しかったです。
テンプレートにない質問
私どもの病院には様々な研修生が来られます。
研修医・看護師・薬剤師・ソーシャルワーカー、それらの学生さん、中高生。
緩和ケアを学びに来る方が多いのですが、皆さん一様に驚かれることが2つありまして、一つはカンファレンスでもうひとつは入院時に患者さんとご家族にお話を伺う面談「インテーク」についてです。
このインテーク、私も初めて同席した時はおどろきました。
入院してベッド周りのお荷物が片付く頃、患者さんとご家族、医師、看護師、ソーシャルワーカーが面談室に集って、これまでの病気の経過から様々な質問をして確認させて頂きます。
これからのケアの主要な人が揃っているということがこの場合重要です。
病気をどう受け止めているか、今つらいと思うことは何か、これから何を期待しているか、気にかかっていることは何か、叶えたいと思っていることは何か、など質問は病気のことから人生観についてまで多岐に渡り、その方まるごとの振り返りにもつながっていきます。
こうしたお話を聴かせていただくには、それなりにまとまった時間と、質問力も必要です。入院したその日に、これらをお聞きして関係者で共有することで、そこにいる全員が患者さんの思いを共有する大事な時間となり、「私のことはわかってもらえている」と安心してもらえるのです。
私は長く看護師をしていますが、ここへくるまで患者さんから入院時にお話を伺うのは(アナムネーゼを取ると言っていました)、看護師一人でしていました。
医師は医師で、ソーシャルワーカーはソーシャルワーカーで、それぞれに自分が聞きたいことだけを聞いておりました。
だから、患者さんにとっては、何度も同じことを話していると思われたと思います。
あとはそれらの情報をどのように共有するかにかかっていると思いますが・・。
同じ情報でも言い方が微妙に違ったり、受け止める相手によっては同じ話でもニュアンスが違って受け取られることもありましょうから、全員が同じ時間に集うのはその辺りの温度を共有することにもなるでしょう。また、気持ちは常に変化していくものなので、最初は「それでいい」と思っていたことが「やっぱり本当はこうしたかった」という風に変わる場合もあるので、だからこそ最初に複数で聞きあうことが大事だとも言えます。
患者さんは「こんなに私の話をじっくりと聞いてもらったのは初めてだ」とおっしゃったり、「(患者が)あんな風に考えていたなんて知らなかったです」とご家族が患者さんの本心に触れたりすることもあります。
怖くて聞きたくても聞けなかったようなことが医療者と共に聞けて、家族関係が一歩進むような場面に立ち会うこともあります。
さて、最近研修を終えたドクターが、最後の日に朝礼で感想を述べられました。
その中で私が印象的だったのは
「テンプレートにない質問によって、患者さんの病気だけじゃなく人柄に触れたことが大きかったです。」
ということばでした。
そうそう、今はもうどこの病院も電子カルテですから、質問すべき項目というのはテンプレートに一応入ってはいるのですが、それを埋めることを目的としたら、そこにない項目は聞かなくていいことになってしまう。
人に関心を寄せて理解しようと思ったら、患者さんの答えの中に次の質問があるのです。
そこを感じてもらえて嬉しいです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
研修生の瑞々しい感性が好きだなぁ。
ホームホスピス かあさんの家のはじまりの物語
庭のある大きなおうち。
そのおうちは、玄関も居間も台所もひとつひとつが大きな作りだった。
冬の始まる11月頃は廊下が冷えて、足裏から冷たさが上ってくるように感じられた。
居間に続いた和室がYさんの居場所。
たたみの上に厚みのあるマットレスが敷かれていて、一日のほとんどをそこで横になって過ごしていた。
動かなくてもいいように、マットの周りには日常で使うものが所せましと置かれていた。
もう20年位前のことだけれど、私はYさんのお家へ訪問看護に行っていた。
奥さんを失くし、子供たちは独立して本州で暮らしていたので、Yさんは何年も一人暮らしだった。
病気で入退院を繰り返していたが、治ることはないと知ると、家で点滴をしながら暮らすことを選んだ。
朝点滴を刺しに行き、夕方点滴を外しに行く。
私たち訪問看護師が訪れた時だけ短く言葉を交わす。
それ以外はしんとした静寂の中に包まれて過ごしていたのだろう。
家族がみんな揃っているときにはこの家にも隅々まで空気が流れていたのだろうなあ。
まな板で野菜を切る音や湯気の立つ匂い。
食器を重ねる音。
暮らすってそういうことだ。
年老いて独りになる。
できるだけ長く、住み慣れた自分の家でずっと暮らしたい。
それはごくごく当たり前のことだ。
だけどいつか、かなわなくなるときがくる。
9/15にホームホスピスの講演会を聴いてきた。
宮崎の「かあさんの家」の始まりの物語。
私はお話を聞くまで、重大な勘違いをしていた。
先に古民家を借りるか買うかして「かあさんの家」を始めたんだとばかり思っていたのだ。
「かあさんの家」は、そこに住んでいる方丸ごと含めての事業なのだそうだ。
そこに一人暮らしができなくなったお年寄りが5人ほど集まり、まとまって暮らし始める。
その家の食器や家具をそのまま使って暮らすのだ。
理事長の市原さんはこういう。
「家は、もともと住んでおられた「〇〇さんのおうち」という信頼ごと借ります。
地域の中で大事に住んできた古い家は鍛えられて、暮らしとともに信頼が積み重なっている。
家は施設と違って部屋の大きさは不平等だけど、そこに疑似家族として「とも暮らし」をする。
今でいうルームシェア。
自宅ではないけれど、もうひとつの家。」
そこでは朝起きる・着替える・食べる・排泄するという生活の整えをしていく。
医療者は身体面や精神面を注目しがちだけれど「かあさんの家」では、その人がどんな社会で生きてきて、どんな文化や習慣を持っているかを重視する。
その人の生活習慣を理解することはその人の暮らしを尊重することだ。
生活が整ってくると、何か意欲が芽生えてくることがある。
たとえば「あそこまで歩きたい」というようなこと。
それを実現するためにプランを立てて実行するのだそうだ。
この積み重ねで寝たきりだった方が映画を見に行けるようになった、と実例を見せていただいた。
ケアを受ける人もケアする人も共に生きる喜びを感じられて、見ているだけでワクワクが伝わってくる。
日常の延長戦上に看取りもあって、自然な死へのプロセスをたどっていく。
映画「人生フルーツ」みたいだね。
思い出の中のYさんも、こんな「かあさんの家」の提案をしたら、どう思っただろうか。
「他人と一緒に暮らすなんて嫌だよ。静かに一人で暮らしたいよ」と言ったかな。
それとも「それは賑やかでいいね」と言ったかな。
きっと家は喜んだだろうね。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
北海道には「かあさんの家」がまだないのです。