お知らせ
不要不急のものごとの中に
北海道では一時コロナ感染が落ち着き傾向になりましたが、再び第2波が来ています。
私たちの病院でも、毎週コロナ対策のための会議を持ち、すでに定例化してきました。
マスクの在庫も少なくなり、現在はひとり10枚を1か月間自己管理してもらっています。
患者さんに直接対面しない部署の職員には、ボランティアさんの手作りマスクが配布され、口元の彩りがほほえましくもあります。
会議や食堂でもソーシャルディスタンスを考慮し、席の間隔をあけるようにし始めました。
これらが正しいかどうかはわかりませんが、今できる最善を尽くし患者さんと職員を守ろうと思っています。
「不要不急の」ということで、出張を伴う会議や研修会が軒並み中止となっています。
会議や研修のオンライン化は、むしろチャンスと思って積極的に切り替えていきたいと思います。
救急蘇生などの演習も動画に切り替えていけたら、とドクターから提案をいただきました。
朝礼も休止してからひと月以上経ちました。
形式的なものは減らしたいものの、研修生のあいさつや3分間スピーチというのは、その人を知る上で大切な時間でしたから、朝の始まりが物足りない感じです。
ボランティアさんが運営してくださるお茶会やイベントも休止しているので、賑わいが薄く静かな時が流れています。一方マスク作りや花壇の整備などはどんどん進化し続けています。
日常の挨拶やちょっとした雑談、家族の話、昨日のテレビの話題、そういう小さな営みが途絶えることによって、人々の心が分断されなければいいなと思います。
終息したときにあらゆる価値観・意識や行動がどんなふうに変化しているのか、自分なりに書き留めていきたいと思っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
できること マスクしながら 声かけよ
転職リアリティ・ショック
今年も新たに仲間を迎えました。
コロナウイルスの影響で入職時オリエンテーションの開催も迷いましたが、机の間隔や換気を十分に行って開くことにしました。
大学院を修了して戻ってきた梶原師長にもたくさん手伝ってもらい、いい段取りができたと思います
(自画自賛)。
いつもならオリエンテーションの終わりは茶話会を行って、対話の時間を大事にしているのですが、今年は各師長と入職者の自己紹介にとどめました。
時事ネタとして「コロナウイルスの影響で変わった私の生活」というテーマでも一言答えていただきました。
外飲みを自粛している人、お子さんとゆっくり関わってる人、お子さんがご飯の支度をしてくれている人などなど、人となりが垣間見える自己紹介でした。
私は看護管理者になって今年で8年目になります。
毎年退職者を見送り、新たに迎えるということを繰り返しています。
就職を希望される方には、病院見学に来られたときに理念である「ホスピスのこころを大切にする病院」のお話をしています。
自分としては熱をこめて語っているつもりですが、初日のオリエンテーションで総長や院長からも聞くことで「看護部長の言ってることは本当だった」という風に思ってもらえているようです(笑)。
前野総長はホスピスを始めた人ですし、院長もホスピスをやりたかった人なので、最後に来た私の説明にはなんの矛盾もありません。
ありがたいことに入職者がたった一人の時でも、院長たちは熱を込めて話してくれるのです。
こうして毎年、同じ志を持つ仲間が増えてうれしいです。
転職というのはエネルギーのいることです。
それまでの経験や仲間とのつながりを一旦終えて、一度ゼロにすることから始まります。病院に対し期待感いっぱいだったり、あるいは厳しさを覚悟していたり、さまざまでしょう。
リアリティ・ショックというのはどちらかというとネガティブな反応について言われることですが、いい意味でのショックも感じられるといいなと思っています。
私は5年前にこの病院に着任したときがまさにそうでした。
優秀なソーシャルワーカーの働きや、院内の誰もが親切だったこと、緩和ケアを見て感じたこと。
今でも新鮮に思い出すことができます。
外から来られた人の新鮮なまなざしで当院の不備不足を教えていただき、なおかつ「ここへきて良かった」と思ってもらえるように願っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
春はいつもエネルギーに満ちている。
最近読んだ本 直木賞受賞「熱源」
自粛要請の影響で、自宅で本を読んだりオンライン講義を受ける時間が増えています。
連休中に直木賞を受賞した「熱源」を読み終えました。
歴史は不得意ですが、史実に基づいた人間ストーリーだと俄然興味が湧いてきます。
しかし世界の動きがわからないとだめですね。
なぜ日露戦争が起きたのかとか、世界大戦に続いた背景とか、こんな年になってお恥ずかしいですが今頃勉強をしているところです。
アイヌの人々の歴史も、北海道で生まれ育ちながらよくわかっていませんでした。
読んでいて思うのは、家族のため民族の誇りを守るために何かを成し遂げようとする人の「熱」についてです。
今をもっとよりよくしようと人生を賭ける人の「熱」は、それ以外の人にも影響し心をアツくさせます。
それが人から人へ営々と続いて、今ここで私たちが生きているということ。
これは奇跡だなと思います。
今私たちは未知なるウイルスと闘っています。
これも大いなる歴史の一部となるでしょう。
目には見えず音もなく忍び寄り、広がっている。
国全体、世界全体が状況に合わせて変化を強いられています。
私たちは今できる最善のことをして、自分や自分の周りの大切な人を守る。
それを日々繰り返していきましょう。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ドラマになるといいな、熱源。
わくわくの春・もぐもぐの夏と秋・ゆらゆらの冬
今年に入って何度かのドカ雪に見舞われましたが、ようやく春の匂いがしてきましたね。
来年移転を予定している当院。
「この病院では最後の・・」というのが、今年のイベントの枕詞になりそうです。
今年もボランティアさんの力をお借りして、花壇の手入れから種や苗の植え付けを4月の終わりから5月にかけて行います。
「あ・ぐり~んプロジェクト」も今年4回目。
すっかり当院の恒例行事になりました。
イチゴにミニトマト、ジャガイモに枝豆。
昨年も初夏においしいイチゴを摘み、秋にはホクホクのじゃがバターを味わいました。
今年もみんなで楽しく作って収穫しようと思っています。
冬には、アイスキャンドル・ナイトを計画しています。
ただ、ろうそくの火の揺らめきをみんなで見るだけ。
そんな夜の過ごし方があってもいいですよね。
火を見るって落ち着きますし。
あ、音楽もあるといいな。
いや、ワインもあるといいかな。ココアもいいな。とかとか。
妄想が広がっていきます。
そしてこういう活動を手伝ってくださる、ボランティアの方を今年も募集してます。
新病院では、院内のあちこちにボランティアさんがいてくれる。
そこここで温かい笑顔のやり取りが見える。
そんな風な夢を持っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
キャンドル作ることを考えただけでワクワクする~
試される日々
コロナウイルスという未知なるもののために、当院でも毎週臨時の会議をしています。
2020年3月、全国で一番感染者の多い北海道。
いつどこで出会うかわからないというのは、人の行動だけではなく心も委縮させるものです。
今、私たちが一番守らなければいけないのは患者さんと職員です。
先日、今しばらくの間ご家族の面会を控えていただけるように、苦渋のお願いをしました。
ご家族の存在が患者さんにとっては生きる力であるし、ご家族にとっても面会することが自分の日々の役割と感じておられる。
自分の家族だったらどう思うかな、洗濯物を持ってきたときに一目会いたいと思うだろうな。
そういう思いを理解しつつ、師長や看護師がご家族おひとりおひとりにご相談させていただきました。
ご家族に会えないことで気持ちがしぼんでしまわないように。
患者さんに会えないことでご家族の不安が増幅しないように。
つなぐ役割を、看護者が担っています。
そして患者さんと一番接触する職員の身も守る必要があります。
それでなくとも多少の発熱なら働いてしまう医療者の傾向がありますので、出勤前に熱を測ることを当面のルールとしました。
渦中にいるときに今できることは、正しい情報を共有すること、対立せず一番いい方法を話し合えること、みんなに周知すること、リーダーシップ、スピード。
私はじっくり考えたいタイプなので、いろいろ試されているなと感じます。
日々現場で働いてくれている職員や、会議で意見を言ってくれる頼もしい師長たちには本当に頭が下がります。
みんなで「今」を乗り越えていくしかありません。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
数年後か数十年後か、未来の人が2020年のパンデミックを振り返ったとき
「昔はそんなことしてたんだね。面会なんて禁止しなくてもよかったのに」と言えるようになってるかな。
マスク今昔
週末にイオンで買い物をしてきました。
お客さんの人出は普段の半分以下、マスク装着率はざっと見たところ9割というところでした。
当院でもマスクなどの感染予防グッズについては、日々残量を気にしながら仕事をしています。
先日私の師匠と「まさかこんなにマスクのことで困るとは思わなかったよね」と話題になり、そこから記憶が喚起されたので一看護師目線の感染対策の歴史について、書いてみたいと思います。
年数は勘違いしているかもしれませんがご容赦を。
私は1980年代後半に看護師に(というと年齢がわかってしまいますが)なりました。
そのころはマスクと言えば手術室の人がするもので、頑丈な木綿製、使い捨ての手袋は医師以外は使ってはだめ、という時代でした。
病棟に勤めていた私にとって、記憶にあるのは何といってもガラスの注射器です。
カストという金属容器から「鉗子」という器具を使って、素早く慎重に取り出しました。
カストの蓋を長く開けていると不潔になるので、もたもたしていると怒られたものです。
当時は感染症といえば、この注射器で抗菌薬を溶かして生理食塩水の点滴に詰め、それを週単位で数種類使っていました。
その後MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)という感染症が問題となり、病室を隔離しマスクにガウンを身につけてシーツは別に消毒対応するようになりました。
それらは限られた特定の時だけ使うのであって「無駄にしないで大事に使いなさい」という暗黙のルールのようなものがありました。
抗生物質の多用が原因だと知ったのは後のことです。
1996年の診療報酬制度改定で院内感染対策加算が付くようになり、委員会が開かれ各病室に速乾式手指消毒剤が設置されるようになりました。
同じころ日本看護協会では感染管理認定看護師コースの研修が始まり、2年ごとの診療報酬改定で体制が強化され、病院は感染管理対策を行うのが当たり前になっていきました。
私が当時働いていた病院では2002年ごろから採血時に使い捨ての手袋を使うようになり、指先の触感がより素手に近いものを求めて、ゴム手袋の品質がどんどん向上していきました。
2008年頃、感染管理認定看護師が専従で配置されるようになってから、病院内がみるみる整備されていきました。
看護師が患者さんのところで何か処置やケアをする際にはマスク・手袋・エプロンを身につけることが標準予防策となりましたが、始まったころはまだまだ「もったいない」とか「面倒だ」という意識の方が強くて今ほど厳密にしておらず、使い捨てることへの抵抗感のようなものがありました。
ですから日常的にマスクを使い捨てするようになったのはこの10年余りということになります。
患者さんへ感染症を移さないのはもちろんのこと、自分たちの身の安全も守るという意識が少しずつ醸成されていったのです。
いまやマスクやエプロンなどを身につけていないと無防備に感じますから、意識改革とともに日本の感染管理は進化してきました。
その反面、これまでの大量生産大量消費について考えさせられてしまいます。
輸入に頼っていると、こんな風にいともあっさりと流通がストップしてしまうことを、私たちは改めて知りました。
コロナ騒動の後には価値観の変化とともに、機能とコストを兼ね備えた進化系マスクや空調システムが開発されるのではないかと期待しています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
他にもいろいろ見直す機会かも知れませんね。
あたりまえのことを粛々と
北海道では鈴木知事が国よりも早く小中校の休校を宣言し、外出の自粛という緊急事態宣言を出しました。
小学校が休校になるということは、低学年のお子さんを育てている親御さんにとっては大きな問題です。
子供を預けることができないと、安心して働くことができません。
何もしないと何が起こるか。
患者さんへのケアの質量に直結します。
帯広の病院では、看護師が多数休まざるを得ないため、外来の一部診療停止という事態が生じていると聞きました。
当院でも働くお母さんが多いため、どうするべきか悩みましたが、診療体制を維持継続するために、保育所で低学年児童の学童保育を拡大することにしました。
保育所の限られたスペースにお子さんを集めることには大きなリスクが伴います。
身内に預けられる人がいるときには協力してもらっていますが、支援を得られる職員の方が少ないのです。
コロナウイルスというのは今の時点で検査も容易ではなく、治療薬もわからず、連日情報のパンデミックともいうべき状態が起きていて、人々の不安を増大させています。
しかし、コロナウイルスという存在が例外的なのであって、インフルエンザでも対応は同じと考えれば、リスクをできるだけ最小限にして行動するしかないと考えます。
うがいして手洗いして掃除して、ちゃんとしたご飯を食べる。熱があったら休む。
日々その当たり前のことの繰り返しです。
今、病院の機能は保育士さんの双肩にかかっているといって過言ではありません。2018年の地震のときにも臨機応変な対応をしていただきましたが、ここが病院の要です。
落ち着くまで子供たちを守り、みんなが元気で働けるように支援しようと思います。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
普段から地域のコミュニティの力を蓄えて支えあえる関係性が必要だね。
聞き書き部~もっと親の話を聴きたかった~
昨年始めた聞き書き部、部長の工藤です(^^)/
2~3か月に1回の活動というゆるい部活です。
初回にNPO法人「とものむらいとし会」の森旬平さんをお呼びして「聞き書きとは」について講義を聴きました。
あれから2か月が経ち、今回第2回目はそれぞれが自分で活動したことをシェアしあう会ということで集まりました。前回のお話↓
今回は「聞き書きを意識することによって聴く姿勢が能動的になった」という意見から始まり、
「もっと(亡くなった)親の話を聴いておけばよかった」という話になりました。
聞き書きというのは高齢者の記憶を引き出し、その人の言葉で文字に起こし、記録をすることです。
私たちは医療者なので日ごろからよく高齢者のお話は聞いていますが、いかんせん親子となると人それぞれスタンスが違います。
それまでの親子の関係性だとか、日ごろからよくおしゃべりするかどうか、にもよりますね。
親に反発したり、親とは違う生き方をしていても、年を取ることで違う見方ができるようになってきた、という意見も出ました。
私はもうすでに両親が亡くなっているので、聴きたくてもかないません。
二人とも戦争の話は一切しなかったし、触れてはいけないことのように感じていました。
今は亡くなった母の年齢に近づいてきたせいか、歴史に翻弄された一人の女性の人生として興味が湧いてきます。
参加したメンバーが、これからご両親の話を聴こうと考えているというので、みんなで見守ろうと思います。
そして第三者だから話せるのもまた事実なので、身近な高齢者のお話を聴かせてもらいましょうと言って終わりました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
話し合うだけで、すでに深いです。
「寄り添う」研修のこと つづき
先週の続き・・・
冊子の次の問いは「あなたが思う『寄り添う』とはどのようなものですか?」と続きます。
ここにもたくさんの回答が寄せられました。
・その人の悩みや苦痛を理解しようとすること
・その人をわかろうとしながら傍にいること
・そばにいて安心できる存在になること
・この時間を一緒に共有したいと思う人と共有すること、相手が「寄り添ってもらえた」と実感できれば、どんな行動も「寄り添う」なのではないかと思う。しかし、看護の「寄り添う」ということはどのようなことだろうと、日々疑問だ
・相手を理解すること、相手の立場に立つということ、その方の心に関心を持って関わること
・心の声に耳を傾け、常に向き合っていること。言葉に出さなくてもボディー・タッチや目を合わせることだけでも寄り添っていると考えます
などなど、66もの回答が寄せられていました。
それから次の問いは「スタッフが患者さん、ご家族に『寄り添っていた』場面を見かけたことはありませんか?その場面を教えてください」で、58の回答が寄せられていました。
・スタッフが姿勢を低くして患者さんやご家族と目線を合わせて話している場面
・ケアワーカーさんがいつも笑顔で声かけしてくれたことにより、怒り口調だった患者さんがそのワーカーさんの顔を見ただけで笑顔で話しだしてくれた時に、常に寄り添ってくれていたんだと感じた
・ご家族の面会時には必ずお声がけをし、患者さんの近況報告をしていた
・クラーク(看護事務)さんが認知症の患者さんのそばに座り、仕事をしていてくれる。いつもありがとう。
・ご家族が病状説明を受けたあと、涙をこらえきれずそこに寄り添って過ごしている看護師。本人の気持ちのつらさを話される時、マッサージしながら寄り添い傾聴する看護師。
・ご家族が詰め所前を通られたとき、師長が話しかけているのをみます。患者さんの様子やご家族を気遣う優しい声かけは嬉しいことだと思う。日ごろスタッフは多忙でゆっくりお話をする時間がない中、師長が見てくれている。
全文お見せできないのが残念ですが、一文ずつそれぞれのストーリーがあることと、こうありたいという思いや、仲間を応援しリスペクトしていることが伝わってきます。
ひとりひとりが「寄り添う」ことを考えた1年でした。
現場で日々の小さなケアを積み上げてくれた師長たち、そしてスタッフに感謝の気持ちでいっぱいです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
こういう話をもっともっとしたいね。
あなたが今年患者さん、ご家族に「寄り添えた」と思うエピソードを教えてください
今年度看護部のテーマである「寄り添うこころ」。
この研修会が先月末に行われました。
事前に表題にあるような質問をいくつか看護職員に投げかけ、提出してもらったものを教育委員が冊子にまとめてくれました。
患者さんに寄り添うということはどういうことか。
物理的に寄り添うということ、その人を想い心で寄り添うこと、誰かに寄り添っている仲間の姿を見たとき、いい仕事してるね、って仲間を応援すること、そっと手を握ること背中をさすること、そんなことを意識する一年であってほしいと考えていました。
少しその中から抜粋してご紹介します。
*お看取りの直前で、ご家族が見守っているときに今の患者さんの状態、これから起こるであろうこと、今までの思い出話をしながら過ごしてもらった。当時は「寄り添えた」とは思っていなかったが、後日ご家族が病院にいらしたときに「お会いしたかった」と言っていただき、ご家族に寄り添えていたのかなと思うことができた。
*救急車で来院した患者さん。痛みが続き薬を使用したが効果が乏しく、入院まで体をさすっていたこと。
*ずっと怒っている患者さんが転院してきた。なかなか心を開いてくれなかったが常に笑顔で接することと、めげずに話しかけ、昔の仕事やその方の思い出話をいろいろ引き出していった。最後には冗談も言って一緒に笑いあい、会いに行けばいつも笑ってくれるようになった。
*「ひとりは寂しい」とおっしゃった患者さんのところに、なるべく行くようにしていた。目を開けたときに私を見て、笑ってくれることがあったり、手を握り返してくれることがあった。
*笑顔のない患者さんが、自分の一言で笑ってくれた時に、少しは自分が役に立てたのかなと思ったことがあるが、「寄り添えた」という風にはなかなか感じがたい。
*慣れない環境に戸惑っている患者さんに付き添って、状況を説明したり心配はいらないことを伝え安心できるようにかかわった。
*「寄り添う」という概念がわかりませんが、入院したばかりで不安を抱えた患者さんに対し、少しでもその気持ちを受け止めるため、ゆっくり話を聴いて他のスタッフとも共有した。必ずしも成功とはいえないが、その時患者さんの立場に立って一生懸命寄り添ったつもりだった。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ここ大事なんで、来週も続きます。