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お知らせ

ペイ・フォワード

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

最近ようやく外からの研修生をぽつぽつと受け入れるようになりました。
ホスピスや障がい者病棟での研修を受け入れて、研修の終わりに振り返りの時間を持つことを楽しみにしています。
先日終了した方たちと、梶原教育師長と一緒にお話を聴かせてもらいました。
私もかつてはそうだったんですが、急性期の病院から来ると、この病院の対話にかける時間と質に、みなさん驚かれます。

ある研修生の方がこんなお話をしてくれました。
「私が院内の中でちょっと道に迷って、それは迷ったと自覚するかしないかぐらいのほんの何秒間かのときなんですけれども、どこの部署かわかりませんが『どうされましたか?』って声を掛けてくださる人がいるんです。それも1度や2度ではありません。「あ、研修生の人だ。迷ったのかな」ってアンテナを張ってないと、ああは早く声を掛けられないと思います。それがどの職種の人も常に心掛けているんだな、職員みんながホスピスのこころなんだなと思いました。」

これは私自身も体験しました。着任したばかりの頃、職員食堂に初めて一人で入った時に、何からどうすればいいのかまごまごしていると、医事課の男性職員が食事の途中なのにさっと立ち上がって、トレーを取るところから流れを説明してくれたのです。
自分の食事が冷めるのも構わずに、丁寧に説明してくれて私は恐縮してしまいました。
私が食べ終わるころになると、今度は別な職員が食器をどうやって片付ければいいのかを教えてくれました。
誰かに言われたから、とか私が看護部長だから特別に、というのではなく、新しく来た人には誰とは決めてなくても自主的に教える風土がある、と後で気づきました。

人から親切にされると「あ、じゃあ今度は誰か新しい人が来たら私も親切にしてあげよう」と思うものです。「ペイ・フォワード」という映画がありましたけど、たしかそういう話じゃなかったでしたっけ?

こういうことは簡単なことなんですけれども、案外みんなができることではありません。
組織文化と言ってもいいかも知れません。
今や私も当たり前になってしまいましたが、研修生の発見によって改めて気づかせてもらいました。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
小さないい火を消さないように。

おひとり、おひとり。

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

コロナウイルスの状況が少し落ち着いているので、見学のお申し込みが続いています。
内覧会をできなかった代わりに、こうして一組ずつご案内して、私たちの病院の意図をお伝えできるのはとてもうれしいことです。

お一人ずつ丁寧に、というのはどの部署でも大事にしています。

地域看護室では旧病院に通ってくださっていた患者さんお一人お一人に声をかけて、通院の手だてがあるかどうかを、移転前から確認しておりました。ご自分で来られるのか、送ってくれるご家族がいるのか、あるいは訪問診療を希望されるかと尋ねていたのです。
旧病院跡地からシャトルバスも出しています。
停留所の希望を聞いてくれたおかげで、少しずつ乗りやすくなったと感じていただけたようです。

しばらくぶりに受診された患者さんが、「ああ、外来に同じ人(職員)がいてくれてよかった。なんだかすっかり(病院が)変っちゃったから、人も入れ替わったのかと思ってたよ~」と安心された声も聞こえてきました。「私たちはなんも変わってないですよ~安心してきてください」と外来師長が笑顔で答えています。

透析室でも受け持ちナースが新しく通われる患者さんへの説明を行い、広くなった院内で戸惑わないように気をつけていました。「一回じゃわからんな~」とおっしゃる患者さんに「何回でも聞いてください」と職員が答えていました。

病院の構造も、仕組みも、いっぺん来ただけではわかりません。
こうしてお一人お一人、何度でも繰り返し伝え続けることが大事で、それ以上の早道はないのだと思います。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
私も知らないスーパーのセルフレジではあたふたしています。

初めてのオンライン講師@主任研修

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

自転車通勤をしていたのですが、そろそろ雪が降る時期なので最近徒歩で通勤しています。公園や住宅街をポチポチと歩きながら、考え事にふける。これはなかなかいい時間だなと思っています。

先日法人グループの主任研修の講義をさせていただきました。
全国に71の病院があり、そこから180名の方が参加するオンライン研修。
2時間という時間をいただいて人材育成についてお話させていただきました。
リアル研修の時は必ず対話の時間を挟めて、参加者主体になるような構造にするのですが、初めてzoomで参加する人もいるし、ここはまず試みにチャット機能を使うことにしてみようかなと考えました。
zoom初心者の方がひとことでも発信できたらいいなあと思っていたのですが・・。
蓋を開けてみたら慣れている人が多いのか、質問を投げかけたらものすごい勢いでチャットが流れていきました。
軽い質問からディープな質問へ。流し読みするのがもったいないくらい、とてもいい内容のコメントが返ってきて、私にとっては予想以上の面白さになりました。
全国の主任さんたちが、それぞれの現場で悩みながら頑張っている。
それが瞬時にわかるスピード感。
一方で、コメントへの対応をもう少し丁寧にしたかったな~という反省が残りました。

普段参加者としてのオンラインセミナーは多く経験しているのですが、講師側の準備の大切さも同時に知るいい経験でした。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
普段と違うことをするのも大事だな。

充実の秋~方波見康雄先生のこと~

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

今日は、先日当院で講演会をしてくださった、方波見康雄先生のことを書きたいと思います。北海道新聞に毎月一回連載されている、「いのちのメッセージ」。
私は愛読者の一人です。

方波見康雄先生は、よく患者さんとのかかわりを書いていらして、信頼と愛情が行間から滲み出しているように温かく感じられます。
御年95歳になられる今も、奈井江町の方波見医院で週に一度診察に出ていらっしゃると伺いました。講演会のスライドもご自分で作られ、スマホを使い、驚いてしまいました。
先生の講演を聴いたのは初めてでしたが、ひとつのものごとを科学者の立場から、あるいは感情という側面から、また一市民として探究されて、深く思索されていることがわかりました。

冬になると何も言わずにそっと医院の周りを除雪してくれる人がいて感謝していること、若くして亡くなった師長さんのことを想うと今でも涙が出ます、というお話に胸が温かくなりました。
そして「生涯現役」という言葉をこれほど考えたことも初めてでした。
組織の中にいると「定年」という期限を意識せざるを得ないのですが、自分の力でいつまで貢献できるのか、と考えさせられました。
先生が仰るには四季の中で春がはじまりではなくて、秋が大事なんだと。
花が終わって葉っぱが落ちて土に還り、種にいっぱいいろんな栄養分が詰まって充実しているから、翌年に向けてよい準備ができるんだ、と。
だから人生も秋の頃が充実しているんですよ、と。

人生にはいろいろな選択肢がありますけれども、方波見先生はご自分のことを「町医者」とおっしゃって、ずっと奈井江町の医療を守り続けていらした。
変わっていくことと、変わらないこと。
私などが言うのはおこがましい限りですが、尊いなあと思います。
2時間はあっという間で、先生の「伝えたい」エネルギーを強く感じました。
どうかお元気で、これからもお話を聴かせてください。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
次の世代が未来を作れるように。

今年も慰霊祭(こもれびの会)を開きました

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
私たちの病院では、グリーフ(悲嘆)ケアの一環として慰霊祭(こもれびの会)を毎年行っています。
こもれびの会は以前はご遺族もお招きしていたのですが、コロナのことがあって今年も職員だけで開催しました。
新しい病院の3Fのラウンジに祭壇を作りまして、以前は少し厳粛な雰囲気の中で献花を行っていましたが、昨年から職員それぞれが花を一輪ずつオアシスに挿してアレンジメントを作成する、という形になりました。
当院の花壇をプロデュースしてくださっているボランティアの土角さんに、花の選択と仕上げをお願いしました。

最初に前野総長があいさつし、臨床宗教師の米本さんが祈りについてのお話をしてくださり、それから順番に花を受け取って挿しました。
BGMは音楽療法士の工藤先生が弾いてくださる静かな調べ。
最後に院長が挨拶をしてセレモニーが終わった後、現場のスタッフがかわるがわる来ては花を挿していきました。
私は今年亡くなられたお一人の方を思い出していました。
以前ここで看護部長さんだった方です。前野先生が当院でホスピスを始めたころの善き理解者だったそうで、退職後にご自分で描いた絵を届けてくださり、私のことも励ましていただきました。
最期はご自分が育てたスタッフにその身を委ねてくださり、静かに旅立っていかれました。

慰霊祭はご遺族の慰めになるようにと考えられた会ですが、私たち医療者が立ち止まって故人とのかかわりを振り返り、心静かに命について考える時間でもあると、改めて思った次第です。
出来上がったアレンジメントは院内各所に置かれています。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
祈るという大切な時間。

お見事! ハロウィンイベント

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

秋のイベントはお月見からハロウィンに変わりつつあると感じた今年の秋。
この際ハロウィンの意味合いは深く考えるな!ということです。

つまりですね、クリスマスを祝った数日後にお寺で除夜の鐘を突き、そのあと神社に初もうでに行くのが当たり前と思っていた私たちですから、おそらくハロウィンは仮装して楽しく過ごす日、くらいライトな文化になりつつあるんでしょう。

「部長、今日14:30からですから。準備、私たちすごく頑張ったんです。絶対見に来てほしいです」とホスピスのクラークさんが熱く訴えていきました。
そりゃあすぐ行きますとも。数日前から飾りつけ頑張ってたもんね。
「昨日からさらにバージョンアップしてます。」
おお、期待大だね、と言いながらたどり着くとどっかーん。なんだこれ、すごい。

こないだまで入り口にかぼちゃのシール張るぐらいのかわいい飾りつけだったのに、なんだかテーマパーク?舞台?のような、なんじゃこりゃ感。
私は大好きですけど。
まーすごい。いつこんなことやっちゃったんだろうか。看護師さんは忙しいでしょうに。

いや、忙しくてもこういうエネルギーは別に湧いてでてくるみたいです。
まあ、みんな楽しそうに、いろんな恰好して。
物静かなナースだと思っていたFさんも、自宅からご持参のマイかぼちゃハットで、少し人が変わったようでして。
なんというか、うちの人たちはこういう催しものをするのが、とにかく楽しいみたいです。
患者さんがハロウィンをどう思っていらっしゃるか怖くて聞けませんけれども、「お見事!」と10回くらい言ってくださった方がいて、
「なんか、ありがとうございます!」なのです。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
楽しいことはいいことだな!

ホームホスピス北海道、始まる

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

20年ほども前の話です。訪問看護をしていた頃、ひとりのがん患者さん(仮名・山田さん)のご自宅に伺いました。
11月の冬の始まりは、札幌で最も寒く感じられる季節です。
玄関で靴を脱いで板の間に上がると、靴下を通してもその冷たさが足裏から全身にしみ込みました。突き当りの居間の扉を開けるとふわっと暖房の温かさが感じられてほっとします。よかった。暖房をつけててくれた、と安堵。

一人暮らしの山田さんは居間に布団を敷いて、周囲に必要なものをぐるりと置いて静かに暮らしていました。ティッシュや時計、耳かきやラジオ、日記とペン、茶渋のついた湯飲み。お菓子やパンの袋。
「ここしか火を焚いてないから、こっちに来て温まりなさい」と私を気遣ってくれました。
私は血圧や脈を測り、点滴を繋いで帰る。その30分ほどの時間を週に何度か過ごすだけでした。
徐々に体がしんどくなってきて、一人暮らしももう限界じゃないかと思い始めたころのことでした。そろそろご本人の考えを確認したほうがよさそうだなと思いながら訪問しました。

いつも通り血圧を測ってから、湯飲みに白湯を注いで渡すと
「僕が死んだらさ、この家もらってくれないかな」と突然仰いました。
びっくりしてなんの冗談かと聞き返すと
「いや、冗談なんかじゃないさ。ほんとにもらってくれないかなと思ってね」
山田さんは奥様をずいぶん前に亡くされています。息子さんたちは本州で仕事をしていて、もうこっちには帰ってこない、そんな事情も聞いてはいました。
「家なんてさ、建てるまでが楽しいんだよね。住む人がいなくなると途端に持て余す。2階なんてもう、何年も入ってないからどうなってるかわからないけどね」山田さんはふふっと笑いました。
未熟な私はとまどい、どうしてそんな風に思い至ったのかを聞くこともできませんでした。
「お気持ちだけありがたくいただきますね」とやんわりお返しして家を後にしました。
山田さんは冬の間に病院に運ばれ、息子さんが駆けつけてから旅立たれました。

あの家の中の様子や床の冷たかったことなどが急に記憶の底から蘇ったのは、先日「ホームホスピス北海道」を立ち上げた半澤博恵さんが当院に来られたからです。
ホームホスピスというのは九州・宮崎発祥で、一軒家を使わせていただいて、その家の家具や食器ををそのままに利用しながら、家で最期まで過ごすことを実現するものです。https://homehospice-jp.org/
使われなくなった部屋が誰かの部屋になり、台所からまな板とんとんと音が聞こえる。戸棚で眠っていた食器が活気づく。温かい空気が家に満ちて、人の気配が心地よい。
そんな風に使ってくれたら、家も喜ぶでしょう。

今なら山田さんの真意を聞くことができるなあと思うのですが。
所有へのこだわりから解放されて、家が生きる方へと考えたのかなあ。
じっくり聞いてみたいところです。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
いよいよ北海道でも、ホームホスピス。応援しています。
以前のブログにも書いてました。 https://wp.me/p84aZK-E9

世界でたった一つの、私だけの服

病院にボランティアさんがいることを、私たちは「社会の風が入る」と言っています。
医療者でもなく患者でもない、ごく普通の人が、普通の格好をして普段の暮らしを院内に持ち込むことで、患者さんは当たり前の日常を感じることができます。
そして医療者も普通に生活する人の感覚を取り戻すことができるのです。

ボランティアグループ”せら”の中でソーイング(裁縫)チームは、入院患者さんの暮らしの環境を確実に豊かにしてくれています。
イベント時の着ぐるみで笑いを取り、ベッド周りに彩りを添え、輸液ポンプの「医療的な姿」を温かく消し、ふんわりあったかなぬくもりを感じさせてくれる存在です。

世の中お金を出せばなんでも買える。でも本当にそうでしょうか。
病気のために既成の服が合わなくなった方がいます。
このデザインが気にいってたのに。この柄が好きだったのに。
脚のリンパが腫れて入らなくなったズボンやスカート。お腹が張って傷つきやすくなった皮膚。
そういう患者さんの洋服を直すことで、もう一度おしゃれを楽しむことができる。

ソーイングチームの中心Kさんは、着られなくなった患者さんの洋服を上手に再生してくれます。
肌を傷つけないようにウエストにはゴムを緩めに入れて柔らかな綿で覆ったり、縫い目が肌に触れないように工夫してくれます。
既製品では得ることのない、細やかな気遣いで、世界にたったひとつの価値ある洋服になるのです。
ポイントは①買わずに作る ②味のあるリサイクル ③世界にたった一つの価値あるもの、なのです。

患者さんや職員に喜ばれた形あるものは数知れず。
作ったものが誰かの体験となって記憶に残っていきます。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
自分のすることが誰かの役に立つって幸せですよね~。

あなたの「ふつう」とわたしの「ふつう」

こんにちは。
やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

緊急事態宣言が解けて、わたしたちの病院では朝礼を以前のように再開することにしました。

ある日の朝礼スピーチはホスピスの主任さんでした。
とても学びになる内容だったので、ここでちょっと紹介したいと思います。

『患者さんにケアをするときに、私はこんな質問を投げかけます。
「お風呂の温度はどのくらいがいいですか?」とか
「歯ブラシに歯磨き粉はどれくらいつけますか?」とか。
それに対してよくある答えが「普通でいいです」というものです。

私は「普通?普通ってなんだ?どれくらいがこの方の普通なんだろう?」と考えます。
その方の「普通」と私の「普通」は違う。

お風呂の温度はぬるめがいいか、熱めがいいか、もう少し詳しい情報をお尋ねする。

最終的に「これでいいですか?」と尋ねて「ちょうどいいです」と言ってもらえたら、その温度や量をスタッフで共有して、次も同じようにできるようにしておく。

そういう情報がスタッフみんなから集まると、その人らしい心地よい環境で暮らしていける。
日々のケアの中で、そうした小さな「その人にとっての普通」を集めていくことが大事なことなんじゃないかと思います』

朝礼に出ていた職員が何人も、うんうんとうなづいて聴いていました。
心がしんと鎮まり、背筋が伸びるようなスピーチでした。

患者さんが求めているケアだったかどうかは、患者さんに聞くことでしか評価はできない。
そして今日のケアが明日も心地よいかどうか、それも患者さんにしかわからない。
だから日々「これでよかったですか?」と問い続けていく。
ケアは奥深い。
そして絶対はなく、面白い。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
現場の優れた人に教わる、これもまたよろこびですね。

とっても大事なトイレの話

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
今日は新しい病院のトイレについてのお話です。

昔病棟で働いていたころ、180センチくらいの背の高い高齢男性が入院してきました。病気のために体重が落ち、太ももの筋肉が痩せてぺたぺたになっていました。153センチの私は車いすでトイレまでその方を移動し、立ち上がりを介助しました。その方は柵につかまりながら向きを変えて、どすんと落ちるように便座に座りました。その方の脚が長いのに対して便座がとても低いのです。トイレに座るだけでけがをするんじゃないかとハラハラしていました。トイレが終わっても今度は立ち上がるのに一苦労です。
「便器がもうちょっと高ければなあ」と言いながら、すまなそうにしていました。

そんな記憶がずっと引っ掛かっていました。新しい病院を作るときにどこか一カ所でいいから、便座からの立ち上がりを補助するトイレが欲しいと思っていました。今それが2Fの病棟にあります。

病室のトイレは背もたれつきで、前かがみになって踏ん張りたいときのために肘置きのバーもついています。

それからホスピス個室のトイレはドアが大きく開口するものにしました。
普通はベッドから車いす、車いすから便座へと2度移動を繰り返すのですが、ここではベッドからダイレクトに便座に近づけることが可能です。

在宅で闘病していた母も、亡くなる前日まで父がおぶってトイレに行っていました。
「病院のトイレは“みんなのトイレ”だから、自分が入っているときに使いたくて待っている人がいるかと思うと、入院自体が嫌になるのよね」と言っていました。
個室は自分専用のトイレ。
「これだったら入院してもいいよ」と言ってくれただろうかな。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
誰に気兼ねすることなく、ごゆっくりとどうぞ。

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