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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

ケアする人をケアする

4月に入職された職員も早3ヵ月になろうとしています。
新しい職場では緊張もするし、今までとは違ったやり方に慣れる必要があるし、新たな人間関係も構築しなければならない。
4月5月はみなさん、気が張って疲れていたことでしょう。
そこで教育委員会のメンバーが、新しい人たちを慰労しようという目的で、茶話会を催しました。

ケーキとお茶を用意して、私は最初の挨拶だけで、あとは自室に引っ込みます。
だって部長がいると緊張させますからね。(というのも教育委員の意図です)

そこでいろんなとまどいや迷いを吐き出してもらって、先輩に支援してもらったり、同期の仲間がより親しくなったりするきっかけになればと思います。

それから今年はボランティア・コーディネーターで英国式リフレクソロジストの鈴木さんから、リフレ無料体験券をプレゼントされました。
鈴木さんのリフレクソロジーは私も受けたことがありますが、仕事が終わったあとに30分、寝台に横になって彼女のケアを受けていると、気持ちよくてついうっとり眠ってしまいそうになります。終わった後は足のむくみが取れ、軽くなったように感じました。

彼女のケアを受けてみて「あ、自分はこんなに疲れていたんだ」と認識する人もいますし、終わってすっきりした表情で帰宅していった人もいるそうです。
看護職の働く環境はまだまだ改善の余地たっぷり。
こうやってみんなの力を借りて、職員同士心と体を少しでもケアできたらいいな~と思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
看護者がhappyじゃないと患者さんもhappyにできないっしょ!(北海道弁)

昨日よりももっといいケアを~紙おむつテクニックを学ぶ~

医療と看護は日進月歩。数年前常識だと言われていたことが今は非常識になっていることが結構あります。
たとえば身体に傷があると、傷口を消毒していましたが、このごろは消毒よりも洗浄が大事だとされています。
寝たきりになるとできやすい褥瘡(=床ずれ)への対処法はこの30年の間に劇的に変わってきました。

私が新人看護師だったころの褥瘡処置は、赤外線ランプというライトで傷を乾かして、軟膏を塗ったガーゼを当てていたというと、今時のナースはびっくりするでしょうね。

さて新しい知識や技術は外で学んで来ることが多いのですが、私どもの病院では外から先生をお呼びして現場のケアをダイレクトに変化させていく、そんな取り組みもしています。
今月はおむつメーカーの方に病棟に来ていただき、紙おむつと尿取りパッドの当て方のテクニックを教わっています。
最近のおむつは機能性が高くなっており、その人の排尿状態や量に合わせて選択肢も増え、一回量が多い人とかゆるい便で漏れる状態を、ある程度うまくキャッチできるようになっています。
しかし私たち看護者は経験的におむつを「当てて」使っているので、おむつの選択や手技がその患者さんにフィットしていないケースがあるのです。

「この方は股関節が拘縮していて、どうしても体が右側に傾いてしまうので、右に漏れやすい」など、看護師や介護福祉士たちは患者さんの特徴をよくとらえています。
インストラクターが「そういう場合は尿取りパッドはこの大きさを選び、じゃばらを作って尿を吸収しやすくして、ギャザーはやさしく・・」という説明をみんな前のめりになって聴いています。普段使っている尿取りパッドが折り紙のように形を変え、ちょっとしたテクニックで最大の効果を引き出すことができると教わりました。

学んだことはすぐ実践できること。
今日から早速トライしてみて、うまく行くといいよね。
もれなかったら、シーツ交換の時間分、他のことできるしね。
患者さんも看護者も、笑顔になれたらいいよね。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
最近の看護基礎教育ではこのおむつの手技は教えているのかな?

自室から見える夕焼け

 

南青洲産野菜初収穫!

5月31日(水)の午後、「あ・ぐり~んプロジェクト」の3回目が行われました。
苗や種を植えるのも今回までで、あとは日々の手入れをしながら収穫を待つのみです。
4Fの「ふれあい空のガーデン」前には5名の患者さんとご家族、職員が集まりました。
プランターに植えたラディシュがちょうど食べごろになったので、集まっていただいた患者さんに一つずつ手で収穫していただきました。
雑作もなく簡単に抜くことができる方もいれば、手に力が入らない方もいますので、ご家族や職員が少しお手伝いして全部で10個ほど採れました。

ついでにプランターで育てているイチゴの受粉作業もしてもらい、普段とは違う患者さんの表情を知ることができました。


そして一通り終わったあとで、参加者のおひとりが
「今日は楽しかったですね。私、ここにきて良かったです。皆さんはどこのお部屋にいる方か、今日初めてお会いした方ばかりですので握手をしてください」とおっしゃって、近くにいる方に手を伸ばしました。
それを聴いて、別の患者さんも
「じゃあ私も握手してもらおう」とおっしゃって、和気あいあい、全員と握手をしあいました。

最初の方が
「じゃあ今日はこれでおしまい、またお会いしましょう」と言って拍手して、そこにいた方がみんな笑顔になり、拍手して終わりました。
なんともすばらしいクロージングです。
ひとつのイベントが大きく膨らんで、次回への期待と余韻が広がりました。
こんな風になることは予想もしておらず、皆さんが笑顔でお部屋に帰る姿を見て、仕掛け人の私は胸がアツくなったのです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ラディッシュはもちろん、給食に出ましたよ!

Out of the box ! 外へ出でよ!たくさん学んでたくさん感じて、帰っておいで。

植物と関わるようになってから、思考が深まってきました。
当たり前のことですが、種から急に作物にはならないわけでして、芽が出るのをじいっと待つ時間が必要ですし、適した土壌、光、水、養分を与えて病害虫から守り、植物ごとにそれぞれ育ち方があるのだと教わっています。

同じ様な環境を与えていても、場所が変われば育ち方に差が出て、いったい何が違うのかと頭を悩ませます。
ただ風が強ければ風よけを工夫し、雨が降る前に肥料を土に混ぜ、トマトは脇芽をかく。
こうしたひと手間を加えて、きっと来週には大きくなっているはずだと信頼し、翌週背丈がぐんっと伸びていたりすると、声なき植物が期待に応えてくれたようで、かわいくてたまらないものですね。

いくつになっても興味のあることを学んで元気にのびのびと育ち、他者のために貢献できる。
仲間や上司と信頼関係で結ばれている。
強みが仕事の一部になっている。
これが私の目指す日本一幸せに働ける病院の姿です。

全ての人に公平に、必要なタイミングで水や肥料を差し出したいと思ってますが、自分の目利きがまだまだ不十分です。
ただ今年はひとり、またひとりと何人か外に出して知識の泉を浴び、他者と関わり、学ぶ喜びを感じてきてほしいと思っています。
きっとその体験が養分となって、ぐんっと背が伸びてくると思います。
そして留守を守る他のスタッフもまた、成長する機会を得ます。

「Out of the box」は私が研修で教わった言葉です。
その時はブレイン・ストーミングをしていたので、既成概念を打ち破り、自由な発想で何を言ってもいい、という意味合いで使われた言葉でした。

学びが刺激となって、海外に飛び出した人もおります。
それはその人の成長のプロセスですから、(職場としては悲しいけれども)とても喜ばしいことです。
何がきっかけになるかわかりません。誰と出会うかによっても変化しますし。
それを運命というか必然というか。
私がそういうチャンスをかつての上司からいただいたように、同じことをバトン渡ししていこうと思っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
その一歩を踏み出す勇気が大事ですね。

 

「人生フルーツ」、観てきました。

巷で評判の映画「人生フルーツ」をようやく、観てきました。
90歳と87歳のご夫婦の、スローライフのドキュメンタリーで、ナレーションは樹木希林さん。
これだけでもかなりそそられるのですが、観終わった後からずうっと考えに耽っております。
この映画は、いろんな切り口から誰かと話したくなる。
まるで自分がこのご夫婦の知り合いにでもなったみたいに。

ご夫婦は愛知県の昔開発された「ニュータウン」の一角に、住んでいます。
ご主人は過去住宅公団の建築家として、高度成長期に都市計画に携わっていました。自然と共生し、ところどころに雑木林を作って風の通り道のあるデザインにしたいと考えていたのに、経済性と効率優先で、無機質な団地群になってしまいました。
そのアンチテーゼとして、自分の関わったニュータウンの一角に土地を買い、平屋の家を建て、雑木林を育てながら長く住んでいるのです。

枯葉やコンポストで作ったたい肥を土に漉き込んで、野菜や果物を作る。
できた作物で手間をかけた食事を作る。
(土鍋のシチューや手作りおやつがなんておいしそうな!)
買い物は対面販売の店で、信頼してる人から買う。
お店の人に「美味しかった」とお礼の手紙を書く。
そこここにユーモアと、いたわりのコトバ。知恵と工夫。

こんな丁寧な暮らしぶりが続くのだけど、観ていて全然飽きることがありません。
とにかくお二人ともよく動き、よく働き、手も頭も使い、笑顔が絶えません。
まぶしいほどにお元気で、健康です。

経済性と合理性の渦の中に、私も長いことおりました。
人生も仕事も、本当に大事なことは何かな、と考えさせられます。
「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」という映画の中のコトバに、過去を深く恥じ入る私です。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あんまり書くとネタバレになるので、興味をそそられたらぜひ観に行って下さいませ。
札幌はシアターキノで。

http://www.theaterkino.net/sakuhin.html

病院だけど、もっと普段の暮らしを取りいれたいのです

「あれは俺の植えた葉っぱか?」△△さんが、窓の外を指さしています。
ーはい、そうですよ。
「ちゃんと水、やってくれるんだろうな。それが大事なんだぞ」
ーはい、わかっております。ちゃんと毎日見に来て水やりしますから。

5月10日水曜日、4Fのサンルームでプランターに花や野菜の種を植えました。

屋上テラスには「ふれあい空のgarden」というすてきな名前がつきました。
病棟師長と車いすの患者さんが5人来てくれて、みんなでわいわいしながら一緒に土をいじりました。

バジルの種は風で飛んでしまうから、泥団子の中に種を入れて、プランターに埋め込みます。
「おにぎりみたいに丸めてね」とボランティアさんが言うと

□□さんが泥団子を口に入れそうになって慌ててみんなに止められました。
「おにぎり」という言葉がわかるってことです。


「あ・ぐり~んプロジェクト」はまさしくこんな光景を期待していました。
患者さんは病気を持っているけれども、24時間病人というわけではない。
むしろ退屈な日常を繰り返している人もたくさんいらっしゃる。

冒頭の方のように
「あれは俺の葉っぱだ」と言って、毎日見に行ったり。
ときどき一緒に水やりをして、成長具合を確認しに来たり。

採れた野菜を「旨いな」と食べていただきたい。

病院の中にももっと暮らしの生活感と主体性を。
家で暮らしてた頃のようなモノゴトを。

私どもの病院はケアに重点を置く病院なので
もっといろんなことに自由度があってもいいと思うのです。
患者さんも、看護師もね。

今日もこのブログをお読みいただきありがとうございます。
早く音声でカルテ記録できるようにならないかなぁ!

 

会いたいと思ったら会いに行く。「そのうち」はもうないかも知れないから。

ゴールデン・ウィークはいかがお過ごしでしたか?
札幌は夏のような陽気になり、ちょうど桜が満開になりました。
私はおかげさまで暦通りのお休みをいただき、遠出はせず家の片づけなどをしながら過ごしました。

先月、私は一日の間にしばらくぶりの人に会う機会が2度もありました。
2度とも、会おうと思って時間を作ってくれた人がいたからできたこと。
日中は高校卒業以来三十数年ぶり、夜は以前の職場の仲間がおおよそ十年ぶり。

どちらもきっかけはFB(フェイスブック)でした。
昨年、私はとある決心をして、FBに自分の写真を出し友達以外にも公開しました。
続いて病院の看護部ホームページを作り、自分のブログ(これですね)を始めました。
ここに至るまではずいぶん勇気がいりましたけれども、おかげで高校卒業以来の友人たちと急速に仲が良くなったり、過去に一緒に働いた人たちと旧交を温めたりして、連絡が取りやすくなりました。
「会いたいね」
「よし会おう」

そう決まると私はすぐ行動するたちなので、スケジュールを確認したりお店を決めたりが楽しい時間になりました。
離れていた年月は「かくかくしかじかで」、今を生きるものとして新たに向き合っている、そんな気がしました。
FBの良いところは、最近の様子や発言から今のその人がわかるということですね。
昔話をしながらも、妙に最近のことはよく知っているから自然と波長が合わせられる、ちょっと不思議な感覚です。
会わなかった長い期間は、特段問題ではない。

久しぶりに会った人たちとは、まるで昨日まで一緒にいたかのように深い話をし、共に戦った(笑)日々を懐かしく思い返しました。
「会いたいね」が「いつかね」とか「そのうちね」って言ったら実現しない。
会いたいと思ったら会う。会いに行く。

「よし!行こう」って決心する。
その場で日にちだけ決めて手帳に書きこむ。
「そのうち」はもうないかもしれないから。

最近は年齢のせいか、特にそう思うのです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人のご縁ってほんとに有り難きこと。感謝、です。

あ・ぐり~んプロジェクト始動!

4月26日、病院玄関横にある小さなスペースに、ジャガイモ「キタアカリ」を10個植えました。
「あ・ぐり~んプロジェクト」の最初のイベントです。

昨年、花壇とこの小さな畑からたくさんの恵みをいただきました。
患者さん・ご家族・職員がしばしの間足を止めて花を見る。畑の作物を見る。
リハビリの目標地点になる。
収穫した野菜をみんなで分け合っていただく。

ボランティアさんと施設管理の職員とでほとんどお世話をしていただきましたが、今年はもう少しいろんな方にかかわっていただきたい。
そして患者さんやご家族の方にも土に触れられる機会を作りたい。
そんな気持ちで小さなイベントをすることに。
ついては、いいネーミングはないものかと募集したところ、総務課からいいのが出ました。

「agriculture × greening = あ・ぐり~ん」

agriculture「農業」という意味のアグリカルチャーと
greening 「緑化」と言う意味を掛け合わせた造語です。

花壇・畑の他に4Fのベランダにもプランターで植物を育てる予定になっています。
放置状態だった松の木も、寄せ植えで変身。

水やりに気を使いますが、きっと誰か手伝ってくれるでしょう(笑)。
ほんの10分くらい、水やりをしながら植物を見るだけで、心持ちが優しくなる気がします。

次回の「あ・ぐり~んプロジェクト」は5月10日(水)14:00~を予定しています。
どうか雨風のない、穏やかな日でありますように。

今日もこのブログをお読みいただきありがとうございます。
今年もちょっぴり自給自足、目指してます。

病院ボランティアのごほうびとは?

こんにちは。
今日もボランティアさんのお話です。なぜそんなにボランティアさんのことを書くのかって?
私の中では外来や病棟と同じ、ひとつの部署と同じと思って愛を感じています。
それくらい、かけがえのない存在なのです。そして無償で来て下さる皆さんをいつも尊敬し、感謝しています。

今日はそんな中、深い言葉を教わったので、書いておきたくなりました。

当院で7年もボランティアをしてくださっているKさんが、こんな話をしてくれました。
「ボランティアを7年続けて思うのは、ボランティアは他者からの賞賛をじぶんのご褒美にしてはだめなのよ。他者からの賞賛をヨロコビにしていたら、賞賛がないと続かないの。形の見えないご褒美を自分でみつけられることが必要なの。自分にしか見つけられないご褒美がここにはあるんだよね。だから7年も続いている。」

これはすごく深いコトバだと思いました。

私はボランティアのヨロコビって、誰かの役に立ち、誰かに喜んでもらうこと。
それが純粋に次への燃料になって、小さな炎を燃やし続けているんだと思っていたから。
その活動がボランティアさん自身の生きがい・やりがいにつながるようにと院長たちも意識してくれています。
何かをする⇒役に立つ⇒喜んでもらえる⇒また次につながる
ここに人と人とのコミュニケーションがあって、心がふれあい、支援したつもりが自分の心もあったかくなって「ようし、また喜んでもらおう」となるわけですね。

Kさんがおっしゃっているのは、「ありがとう」などと明確に返していただかなくても、自ら手ごたえを見つけてつかむということで、今まで私がイメージしていたこととは少し違う視点や価値観を教わった気がします。

だから、今の私では考えが浅くて「なるほど!」とはいかない。
なにせ私自身がボランティア、継続したことないから・・(恥)。
もうちょっと教えてもらわなきゃ・・いや頭ではきっとわからないことなんでしょう。

だって7年ですから!
体を通った言葉はほんとに重みがある!

そしてほかのボランティアさんたちにも質問してみたくなりました。
ボランティアを続けている理由について。ボランティアのヨロコビについて。
きっといろんな答えが返ってくるに違いない、と思うのです。

 

今日もこのブログをお読み頂きありがとうございます。
何事も奥が深いですね~。

自分を真ん中に置いて

私の高校時代の同窓生が旅立ったことを、友人のフェイスブックで知りました。

クラスが違ったので、あまり接点はありませんでしたが、明るくて笑顔の素敵な人で、部活で活躍していたのを記憶しています。
仲の良かった人たちのコメントを読んでいるだけで、気配り上手な優しい人だったことが伝わってきました。

やりたいことも、やりかけのこともたくさんあっただろうと思います。
役割も責任も持っていただろうと思います。
彼女が生きたくても生きられなかった、今日を与えられたことに感謝したいと思いました。
彼女が「もし元気になれたらみんなに伝えたい」と遺した言葉が心に沁みたので、転載させていただきます。
読み返したいコトバがここにぎゅっと、つまっています。

 

「自分勝手でもいい。
宇宙に委ねて、自由でもいい。
楽に生きていいんだよ。
自分の人生を送っていいんだよ。
どんな人生を送る?
ワクワクしていいんだよ。
それを考えるんだ。
今度は、ちゃんと自分を
真ん中に置いてね。
弱さを見せていいんだよ。
楽に生きていいんだよ。
先ずは、弱さを出しやすい人に、そこから一歩ずつだ。
焦らず、一歩ずつだ。
直ぐには変わらないよ。
出来ることから始める。
自分の弱さを認めるんだ。
どんな自分でもいい、できなくてもいい。
ダメな自分でもいいんだ。」

彼女の言葉は一つひとつ、考えさせられるのですが、「今度は、ちゃんと自分を真ん中に置いてね」というコトバが引っかかりました。
自分らしく生きられる人生を、自ら意思決定して生きているかい?
そんな風に問いかけられた気がします。

今日もこのブログをお読みいただきありがとうございます。合掌。

 

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