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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

今までのケアでいいのかな・・? 認知症ケア事例検討会開催!

先日院内で「認知症ケア事例検討会」が行われました。
院内全体では初の試み。企画者も手探りで準備し、当日を迎えました。
事前に病棟・外来・ケアマネージャーがそれぞれ「この対応でいいのだろうか?」と悩んでいた事例を整理してスライドを持ち寄りました。

当院「ふくじゅそう外来」(認知症外来)の担当医である田村先生が司会進行をしてくださり、ミニレクチャーを交えながら会は進みました。
事例の概要を発表した後、3つのグループに分かれました。
参加者は自分の興味のあるテーマの方へ座り、膝を突き合わせて互いの話に耳を傾けます。
看護師・ソーシャルワーカー・介護福祉士・ケアマネージャーらがそれぞれの立場から事例発表者への質問を投げかけて、一緒に考え、時間は短いながらも密度の濃い話し合いになりました。

認知症ケアには、共通する温かい対応を基本としながら、その人個人に対する個別の対応が求められます。
何が心地よかったか、何をしていたら笑顔になったのか、誰がどう対応したらきちんと薬が飲めたのか、ご家族の心がどうやったら安定するのか、うまく行ったことを共有して積み上げていくのが遠くて近い道です。
具体性は人によって違うため、自分たちで見つけて共有していくしかないのです。

話し合いを終えて「いままでやっていたケアでは十分ではないのでは?と感じて今日とりあげましたが、皆さんの話を聴いて、今のまま続けて行っていいんだと思うようになりました。」
と明るい笑顔で話した一人の発表者。
いろんな角度から意見をもらって、最後は肯定感で終わることができて良かったなあと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
初めての試みって緊張するね。

水俣を歩く

わけあって熊本に行く用事ができ、思いがけず一日フリーな時間が出来ました。
さて、どう行動しようかなと思ってスマホで検索をしかけたら、ニュースで「苦海浄土」の作者・石牟礼道子さんの訃報を知りました。
それで、熊本から水俣はどれくらいの距離だろうと調べると、JRで約1時間半くらいとわかったので、すぐに出かけることにしました。
10年程前に札幌で「水俣病展」があったのをきっかけに、病気の原因を追究した熊本大学の原田教授や写真家のユージン・スミスさん、桑原史成さんのことを知り、興味を持っていたのですが、すっかり忘れていました。

時代は1950年代の高度成長期。
水俣病とは、チッソという会社が、化学製品の原料を製造する過程で出るメチル水銀を海に流したことから、海が汚染され、そこで採れた魚介を食べた住民が中枢神経・感覚器を障害され、全身をけいれんさせながら亡くなっていくという公害病です。
治療法のない奇病・伝染病と言われて差別に会い、父親が病気にかかると仕事を失い、生活も困窮しました。
妊婦が知らずに食べていると胎盤を通じて胎児に吸収され、胎児性の水俣病となりました。
当時は同じ町内に、漁民とチッソに勤める会社員が暮らしており、会社員は羨望の存在だったそうです。
けれども徐々に会社が流している廃液が問題じゃないかと噂され、漁民が海を守るために反対運動を起こすと、会社員の家族がそれを阻止しようとして争いごとになりました。
同じ市民が対立する中、市の税収の半分は会社のおかげで潤っているという構図。
経済優先の日本社会の縮図がここにありました。
その後、国と県と会社を相手にした裁判が繰り返され、いまだに続いています。

私が忘れられないのは桑原史成さんの写真で、胎児性患者の上村智子さんが成人を迎えた時の家族写真でした。
智子さんは赤い着物を着てにっこり笑ったお父さんに抱きかかえられていました。家族や親せきがみんな笑顔で、智子さんを覗き込むように、幸せな表情をして映っている写真でした。
お母さんは「智子は宝子だ」とおっしゃいました。この子が私が食べた水銀毒を一人で吸ってくれたから、自分や弟妹も助かった。智子さんは皆の命の恩人だ、と。だから家族の中で大切にされ、暮らしたのだろうと思います。
病気や裁判の痛々しい写真の中にあって、そこだけ光り輝く温かさを放っていました。
背景にどれほどの苦悩苦痛があったのか、想像もできません。

水俣病資料館は汚染された海を埋め立てたところに建っていました。
サッカー場やバラ園、道の駅もあり、犬の散歩をする人や観光客らしきグループがいました。
水俣の海は2009年に安全宣言が出され、漁が再開されたそうです。
水俣病の公式確認から実に56年ぶりのことでした。

今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
以前は読み終わらなかった「苦海浄土」に再チャレンジしようと思います。

人生100年を考える

「4 0 ~ 5 0代の人は 、働きはじめたとき 、 6 0代で引退するつもりだっただろう 。しかし 、あなたの職業人生は 、少なくともあと 2 5年続く可能性が高い 。しかも 、これから訪れようとしているのは 、スキルの価値が瞬く間に変わる時代だ 。そういう時代には 、手持ちのスキルでよしとせず 、新しいスキルの習得に力を注がなくてはならない 。」(序文より引用)

「Life shift 100年時代の人生戦略」をようやく読み終えました。
この本はいろんな切り口から誰かと話したくなる本です。

かつて私の上司は、定年を機にすっぱりと職を離れました。
ずっと働きづめでしたので、それまで出来なかったことに精を出し、自由を謳歌して過ごされていました。
社会とのつながりを保ちつつ、会社人生との区切りをハッキリさせた生き方は私の憧れでした。

上司の引退からすでに10年ほど経ちました。日本は健康寿命が伸びて、引退後の時間が長くなりました。
有能で、まだまだ元気に働ける人が定年というルールによって第一線を退かなければならないというのは勿体ないことです。
そして引退後に年金だけで暮らしが成り立つかどうかもわかりません。
どれだけ貯金が必要かもわかりませんし、貯まった額でこれからの老いと病気に対処していけるのか、身の処しかたには心構えがいるものです。

この本によると、人生は100年で考える時代になりました。
教育・仕事・引退後という従来の人生3クールのパターンから、引退後も働く4クール、途中で学び直す5クールへと多様化しています。
生きるために必死だった時代を過ぎ、今は思春期の時期が長くなっていて、所謂「成人」と呼ぶにふさわしい年齢は30才位に延びています。
長い仕事人生にさらにスキルアップの期間を持ち、定年後の次のステージをもっと専門的か、あるいは別な仕事で変身するために備えておく必要があると書かれています。
ピーター・ドラッカーも同じ話をしていますが、より具体的で現実に迫っており、既存の概念を変えようと明言しています。

看護師の場合、仕事の方向性によって認定看護師や専門看護師に進む時には、一定期間職を休んで大学などへ行くことがあります。
そのような時の生活や給与の保障制度はなく、所属する組織が個別に判断する状態です。
半年間の認定看護師課程に進むために、仕事を辞めざるを得ず、貯金を300万はたいて資格を取った人を知っています。
彼女はその後別な病院に就職し、取った資格を活かして大活躍しています。
元所属していた病院にとってはこれは大きな損失ですね。

暴論かもしれませんが、私は看護師たちが皆興味のある何らかの認定資格を取ればいいと思っています。
診療報酬が、とか専従で、とかに関わらず何らかの専門分野を極めた人が普通に配置されていて、現場のケアをよくするために活躍していたら、それだけでも患者さんにとっては大きな福音だと思うのです。
誰でも、学びたい時に公平に学ぶことが出来て、その間の職場も人が補充され、給与も保障される。
学び終えたら安心して元の場所に戻ることが出来るような、組織を超えた公的な仕組みがあるといいのになあ・・と思います。

今日もこのブログにきていただき、ありがとうございます。
やるべきことがやりたいことになればシアワセ。

カンフォータブルケアのその後

こんにちは。札幌南徳洲会病院の工藤です。
昨年から私たちの病院では認知症高齢者への「カンフォータブルケア」を取り入れることにしました。(その経緯はこちら↓)

認知症対応カンフォタブル・ケアに取り組みます

南さんの講義に感銘を受けた私たちは、師長たち6名で南さんの職場を実際に見学させていただきました。そこで朝と夕方のミーティングにカンフォータブルケアの秘訣があるということを知りました。

朝礼では今日患者さんに話しかけるコトバを一人のスタッフが発表します。
「今日はすっきりしたお天気ですね」というようなコトバを。
明るいフレーズを意識的に考えるそうです。
そのコトバを他のスタッフも復唱します。
そして二人ペアになって、笑顔の確認をするのです。

笑顔とコトバ。
この二つを明るくポジティブなものにして、働く側の姿勢を形作ってから患者さんのところへ飛び出て行きます。

患者さんの元へ行ったスタッフはそれぞれが「今日はすっきりしたお天気ですね」と声をかけます。認知症の患者さんはそのコトバを聞き、「ああ、今日はすっきりしたお天気なんだ」と思うでしょう。そこにいる方皆が同じコトバを聞き、忘れ、また別の人から聞く。声をかける人は笑顔。この繰り返しがすばらしいと感じました。

終礼では、「今日のいいこと」を発表し合います。
「今日は○○さんが昭和歌謡を歌って笑顔を見せてくれた」
「今日は△△さんがいつもより食欲があってうれしかった」
というようなことを。
これは「嫌な気持ちを(家に)持って帰らない」で、「忙しかったけどよくがんばった」という肯定的な気持ちで仕事を終えることが大事なんだと南さんは言いました。
「ああ、疲れた」とつぶやくと、聞いている周りの人も「ほんと疲れた」とテンションが下がるのです。

だから否定的な言葉ではなく、みんなよくやったね、そうだね、と互いをたたえ合って終わりにする。

これはすごくいい!

そこで私たちもこの朝礼と終礼を取り入れることにしました。
特に終礼では「今日良かったことを発表する」というのが定着してきました。
「今日はころびそうな人がたくさんいる中、誰ひとり転ばなかった。みんな頑張ったね」
「今日はひとり欠員がいたけど、みんなで協力してちゃんと終わったことに感謝します」

時には旅立たれた方のことを想い、しんみりと語り合うこともあります。

「今日のいいこと」は当番ではありません。
誰が当たるかわからないので、スタッフは心の中で今日のいいことを探しています。
「あ、今日はこれ言おう!」とネタを見つけた人はそのことを発表するのを実は意識して終礼を迎えるのです。

よいコトバを意識して発することが習慣になると、行動も変わる。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
私はワクワクしながら、そこのところに注目しています。

坂本すがさんの講義を聴いてきました!

こんにちは。札幌南徳洲会病院の工藤です。
平成30年1月19日、サードレベル10期生の特別講義を聴講してきました。
サードの修了生は、何年経っても講義の聴講ができるのです。ウレシイ特典です。
特別講義は受講生の希望を聞いて、大学が調整してくれるのですが、今回の講師は日本看護協会前会長の坂本すがさんでした。
その話を知ったとき「すごーい!坂本すがさんを呼ぶなんて」と思いました。
私にとっては遠い雲の上の方です。
数年前、北海道看護協会の支部の仕事をしている間に2回ほど看護協会の総会に行ってきました。壇上でお話をする坂本会長のお話を聴きましたが、言葉の端はしに飾らない人柄が表れて、「この人が上司だったらどんな職場だろうなあ」と思ったものです。

特別講義では、ご自身の体験をベースにしながら、看護管理者とはどんな存在か、社会の変化について、将来に向けたビジョン、これからの管理者に期待することなどをユーモアたっぷりに語ってくださいました。
「人の話は本当にそうか?!と批判的に聞け」
「自分の内なる言葉で語れないと人は動かせない」
「自分の病院のことばっかりじゃなく、この地域はどうあるべきか考えていくリーダーが必要」
「50代からセカンドキャリアの準備を」
など、キーワードを一杯もらいました。

一番心に残ったのは、
「仕事は楽しくないと意味がない」という言葉です。
自分で問いを立てながら自分の考えを持ち、わくわくしながらアクションを起こし、人間力を鍛えろ、という続きにおっしゃったコトバでした。

そして読みたくなる本の話題もたくさんされたので、今年の課題図書にしようと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
せっかく本も持っていたのに!サインもらいたかったな。

認定看護管理者サードレベルの実習生とのご縁

こんにちは。札幌南徳洲会病院の工藤です。
1月15日・16日の2日間、札幌市立大学で開講している認定看護管理者サードレベルの10期生がお二人、当院の実習に来られました。
こんな小さな病院に、ご縁をありがとうございます。

看護師もキャリアを積むうち、自分の専門性を高めたり、なんでもできるジェネラリストの方向に進んだり、ふと自分はどの方向に進むのか、キャリアを考えるときがあります。
「ずっとこの道でいいのか」「この病院(施設)で働き続けるか」
看護管理者も一人の人間なので、自分の不得意なことにコンプレックスを感じたり、この道でいいのかと悩み迷ったりします。

私はこのサードレベルの3期修了生です。
北海道の看護管理者研修はファーストレベル・セカンドレベルが北海道看護協会で行われ、サードだけが札幌市立大学で行われます。
大学に行ってない私は、大学という場所に身を置くことがうれしかったりしました。

そしてファースト・セカンドとは違ってサードは答えなき答えを見つける場所と言ったらいいでしょうか。禅問答のような質問が飛んできて、自分が何を持っていて何をどう考えているのか(考えていないのか)を突き付けられる場所でした。
目の前の事象だけに振り回されるな、そして小手先で解決しようとするなと教わった気がします。軸をしっかりと持ち、自分の思想を持ち、それを人に伝えて理想とする看護の場を実現するために、私は何をするのか。それを論理的に考える、トレーニングの場だったのです。

ちゃんと世の中のことを知ろうとしてなかったよな。
身の回りで起きていることを俯瞰して考えられてなかったよな。
そして知識のなさ、本をろくに読んでないこと、エトセトラ。
友が皆、我より偉く見える・・。
ガーンとなり、2期目が終わるころ(サードレベルは3期に分かれています)にはひどく落ち込みました。

でも仲間に支えられ、先生方の教えに導かれなんとか卒業できました。

遠くから来てくれた後輩たちには、私の知っていること、体験したことは、へなちょこで情けないことも含めてアウトプットできたと思います。
管理者も一人の人間。看護部長だからって完璧ってことはありえない。
生きてる限り、学びの途中なんだと割り切っていくしかない。
結局は自分の得意なことと周りの人の力を借りながら前に進むしかない。

彼らがどんな管理者になっていくのかな~
互いの話を聴き合いながら、私もたっぷりエネルギーをいただきました。
この人たちが日本の看護業界を変える人かも知れない、そう思うとワクワクするのです。
いやいや負けちゃいられません。私は日本一のいい病院創るつもりですよ!

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
アウトプットは自分の振り返りになるね。

やさしい手、やさしいコトバ

歯医者に通うようになってもう4年目になります。
治療は最初の1年位で終わり、今は定期チェックとクリーニングだけに通っています。
先日「工藤さん磨き方が上手になりましたね。定期チェックの間隔をもうひと月延ばしましょう」とお褒めのコトバをいただきました。

私はこの歯科衛生士さん(Sさん)に絶対的な信頼を置いています。
治療していた1年間は、その都度日替わりの衛生士さんでした。
その中でひとりだけ、コトバのかけかたと手の触れ方が特別やさしい人がいました。

歯医者というところは寝椅子に座って身体を預け、「痛かったら合図してください」と言われる場所です。金属的な器械の音に気圧されて、完全に主体性はなくなり、いつ痛くなるのか、あるいは痛くなく済むのかもわからないので、終始身を固くしてじっと構えているしかありません。

そういう患者の心理と緊張をちゃんと推し量り、Sさんは「今は息をついて、力を緩めていいですよ」とか「さあこれからまた口を大きく開けてください」という構えをこまめに教えてくれるのです。私は素直にそれに従い、緊張と弛緩を繰り返しました。

毎回治療が済むと、他の歯のメンテナンスがあります。

Sさんは「この音、怖い感じがしますよね」と共感したうえで、「今日はこれを使うのは前の歯だけですから」と覚悟をつけさせてくれようとする。
器具を口に入れる瞬間の、手指の添え方がやさしい。
終わりころになると「あともう少しで終わります。」と目途を伝えてくれる。
Sさんは毎日毎日何十人も同じことを繰り返す。でも受け手の患者はそれぞれ違うわけで、今日その人は1回の治療に来ただけです。
あたりまえだけど、今目の前にいる患者のことを思って同じ声掛けを繰り返すのですね。
そこに一切の手抜きはなく、それが手とコトバを通して伝わってくるから、Sさんに安心して委ねることができるのです。

治療が完了してあとは定期チェックに通うことになった時に、私は考えました。
メンテナンスは歯科衛生士さんの仕事だから、できることならずっとSさんにやってもらいたい。
この人だったら私はストレスなく通える。
わがままかも知れないが、ダメもとで「歯科衛生士さんを指名できるでしょうか?」と尋ねてみると、できると言う。
私は小躍りする気持ちでした。

それから3年になります。
今のところ虫歯もなく、歯周病もなし。ありがたい。
万一この人が別なところに転職したら、ついて行こうと思っています。

翻ってわが医療の場でも、やっぱり信頼できる人は同じ。
正しい知識と技術を兼ね備えた土台があって、それを伝えるコトバや手がやさしく丁寧であること。
これに尽きますね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
仕事は人格につながっていると思う。

夜更けの事情

毎晩夜中の3時頃になると起きだして、ベッドの横にある床頭台(”しょうとうだい”と言います。引出の付いた物入れのこと)に入っているものを、出してはしまい、しまっては出す、を繰り返しているのは76歳のS子さん。

大部屋なので他の方が物音で目を覚ましてしまい、ついにうるさいと苦情を言われてしまいました。

当直の時に観察していると、確かに3時になると起きてベッドサイドにかがみこみ、戸をあけて中に入っている着替えの包みや洗面道具を出したりしまったり。
腰椎が折れて、入院した時には痛みで動けなかったとは思えない屈み方です。

看護師がやんわり止めようとする声は耳に入りません。
眼はぱっちりしているけれど、視点がここにないのです。
今なら「せん妄だね」と理解できるのですが。

「30分くらいでぴったり止めて、いつのまにかまた寝るんです」と受持ちナース。

後日ご家族に聴いてみましたら、ご自宅でコンビニを経営されていて、夜中の3時ころにお弁当が届くそうなのです。
息子さん夫婦が夜ぐっすり休めるようにとS子さんが夜中に起きて、工場から届くお弁当を受け取り、お店の食品棚に陳列するところまでを毎日の日課にしていたのだとか。
腰の骨が折れて入院しても習慣が消えずに続いていたんですね。
その様子を聞いて、息子さんが涙ぐみました。

数日後、痛みが落ち着いているということで、S子さんはご自宅に帰って行かれました。
約20年前の話ですが時々思い出すのです。

AI(人工知能)時代に看護の仕事は生き残れるか?

最近私はスーパーで買い物をするときに「セルフレジ」があるとそちらに行くようにしています。最初はもたもた、あたふたしましたが、今はだいぶ慣れました。普通のレジが大行列しているときは便利だし、バーコードを読み取る「ぴっ!」っていうのもなかなか楽しいのです。

いずれスーパーのレジの仕事はなくなっていくんだろうなと思います。

医療にもAIが入ってきていますが、その人の遺伝子や検査結果、画像と今起きている症状から予測される診断を上げることはもうすぐそこまできています。すでに微細ながんの細胞をみつけたり、その人に一番合った抗がん剤を選択したりもできるようです。
看護の場面では、バイタルサインのモニタリングから重症化を防いだり、認知症の方を見守り行動を予測して転倒事故を防いだり、車いすの自動運転で外出、なんてのもできそうです。その人の排泄のパターンを読み取り、そろそろトイレに誘導なんていうのもいいな。
看護師の看護記録は音声認識で記録され、傷の治癒は写真で確認していく。救急蘇生も音声ガイドがあれば慌てずに処置ができるかも知れません。

一人暮らしの高齢者のお宅にはロボットがいて、薬の管理や日常生活の見守りや話相手になったり、緊急時には救急車に連絡してくれるなど、在宅での療養生活を支えてくれると安心が増しますね。

昨年行ったデンマークでは、個人の暮らしや健康に関する情報がすでにクラウド化されていて、日本でいうと病院・かかりつけ医・歯科医・訪問看護ステーション・高齢者施設・ケアマネ・薬局らと相互につながり支え合うことができていました。市民一人ひとりもそこにアクセスして自分の健康管理を行いながら、必要な指導を受けられるようになると病院の役割は変わっていくでしょう。

さて、医者や看護師の仕事はなくなるでしょうか?

私はそうは思いません。AIによって診断や状態の把握のスピードは高まるでしょうが、診断名と治療法について総合的に説明し、患者さんが納得のいく方向を選択するのを支えるのは医者だと思うし、痛さ辛さをわかろうとする看護師のやさしい手は必要だと思うから。ましてやグリーフケア(悲嘆のケア)などはロボットには、まだまだまかせられないでしょう。
むしろ、看護本来のやるべきことに専念できるかも知れない、と期待しています。
機械に一部とってかわられても、医療者に求められるのは高いコミュニケーション能力と、全人的な関わりなんですね。
逆に言うと、コミュニケーションや思想・哲学・芸術についての教育がもっと必要になるかも知れません。

そんなことを妄想した2018年のお正月。
今年もこのブログにきていただきありがとうございます。
皆様にとって善き一年となりますよう、願っております。

 

2017年、何したかな?とふりかえる

2017年もあと数日ですね。
今年はどんな年だったのか、備忘録として書いておこうと思います。

「安らぎと信頼の看護を提供する」というのが看護部の目標でした。
病院の目標が「Healing」ですから、患者さん・ご家族へのケアに何らかの癒し的な要素が加わればいいなということと、やっぱり安全面で信頼できる看護でありたいという風に考えたものです。

病院にはいくつか物品をそろえていただきました。たとえば・・
新しいエアマットに切り替えていただきました。角度調節や熱がこもらないような機能があり、患者さん一人ずつの状態に合わせてセットできるようになりました。また各お部屋にはPPE(個人防護用具)ボードをつけてもらいました。これまでは患者さんの床頭台のスペースに置いたりしましたが、床頭台はあくまで患者さんのものですから、そこには置かず、出入口に一か所ボードをつけて、マグネットで手袋・エプロン・マスクを整えました。おかげでこれらの物品の回転も良くなりました。それからサクション(吸引)用ワゴンを購入し、物品類をひとまとめにすることができました。

「これがPPEホルダー」

 

ケアに関する勉強会も多数行いました。前年度の教育委員の人たちが、研修会についてのアンケートを取って、職員のニーズに合ったものを企画運営してくれたおかげで、優れた講師の方たちをお呼びして実のある研修になりました。それぞれの委員たちがユニークなスクリーンセーバーを作ってくれて、ミスにつながらないように注意喚起してくれたり、師長さんが主導で朝礼や終礼の在り方を変えてくれたりしました。こういった「モノ」と、「知識や技術の向上」との積み重ねにより、褥瘡の発生率・転倒転落の件数などが前年度より減少しています。

「吸引グッズのワゴン」

 

それからボランティアグループ「せら」のことも欠かせません。今年は人数が拡大し、活動内容もずいぶん広がりました。
職員向けに若石式リフレをしていただいたり、お掃除隊・ハーモニカやバイオリンの演奏などの機会が増えたほか、「あぐり~ん・プロジェクト」でイチゴ狩りや芋掘りなどを行いました。コーディネーター鈴木さんのリフレも、患者さんやご家族に好評です。また院内の飾り付けは職員も交えて、昨年よりも、ものすごく充実しました。

「キタアカリの花」

 

新年も、こうした小さなことをミルフィーユのように重ねて行きたいと思います。
ご縁をいただいた方、さまざまなお心遣いをしてくださった方、心から感謝しています。
今年1年本当にお世話になりました。
みなさまよいお年をお迎えください!

「出番を待つお正月飾り」

Special thanks to
*口腔ケア 葭内歯科:歯科衛生士の武藤さん *グリーフケア:フルート奏者の工藤さん *エンゼルケア:緩和ケア認定看護師の市川さん *おむつケア:大王製紙の松橋さん *カンフォータブルケア:旭山病院の南さん *ストレスケア:上前さん
*セラピー犬のみなさん *札幌徳洲会病院認定看護師:井畑さん・藤原さん・松田さん・田中さん *音楽療法:中山先生
*病院祭 ISD個性心理学コーナー:廣瀬さん・樋口さん・棚川さん・池田さん・小川さん、元ボランティアの伊藤さんと三島さん
*正文舎の白藤さん *フランスベッド株式会社の吉村さん *秋田:外旭川病院の寺永さん
このほかたくさんの方にお世話になりました。

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