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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

楽しい×人のため=業績

今週ご紹介するのは「すいません、ほぼ日の経営」という本。
私は糸井重里さんの書いたものや考え方が好きでして、うんと若かったら「ほぼ日」で働きたいと思っていたほどです。
糸井さんのようなクリエイティブな方たちの集団で、楽しく仕事している会社がこのたび株式上場したので、なんとなくその堅苦しさとマッチしてない感じがしました。
しかし糸井さんのことだから、株式上場さえも楽しむつもりかな、と想像していました。
ここはネタバレになるので、書きません・・。
この本は経営者としての糸井さんをインタビューしたもので、最後の方に社長の糸井さんが、こんな経営者なんですけれども本なんか書いてもらってすいません、というようなことを書いていて、それもまた楽しからずやなのです。

私自身「仕事とは楽しいもの」という考えがベースにあるものですから、糸井さんのように楽しそうに仕事している人には、自然に惹かれてしまうのです。

少し前に当院に入職された方から「ここの身だしなみ基準を見せてください」と言われドキッとしました。
実は作ってないんです・・と正直に答えました。
私もここへきて4年目に入り、今年は規定や基準などを見直している最中です。
本来は身だしなみ基準は「あるべき」ものでしょうけれども、職員の身だしなみで何かこれまで不都合があっただろうか、、、否。
ちょっとだらしないなーというときはすぐ注意していたし、ものすごい髪の色の人とか派手な化粧の人もいない。
つまりはみなさん自律している職員なので、あえてそこに「身だしなみはこれこれこうしなさい」という校則みたいなものはいらないかな~と思っていました。

こういうところが私、ゆるい看護部長かも知れません。
患者さんやご家族さんから見て不愉快に感じるような姿はよくない身だしなみです。
看護職員は環境の一部ですので、存在そのものが不快になるようじゃ、そもそも人相手の仕事のセンスがないということです。
例がないと困るのなら、航空会社のCAを見習えば大丈夫です。

まあそれよりも患者さんを喜ばすのに次何しようか、とか新しい病院ではこうしたいよね、という話し合いの方が断然楽しい。

糸井さんも「ルールは少ないほうがいい」って書いていたのでうれしくなりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しいことで人のためになって業績につながれば、それが理想の経営だな。

医大生が看護体験に来ました!

今年も某医大の2年生が看護体験実習にいらっしゃいました。
年の頃は19歳か20歳。

数年前までは医師について見学していたのですが、チーム医療が叫ばれているこの頃、身近に一番接点があるのは看護師ということで、看護師の視点を体験してもらうというのが趣旨のようです。

私がその昔整形外科病棟の師長をしていた時のこと、研修医のオリエンテーション時にはリーダーナースにくっついてもらって、リーダーがいかにあらゆることにアンテナを張って患者さんの日常を守っているかを見てもらったり、足にギプスを巻き、松葉杖をついて日常を過ごす体験をしてもらったりしたなあと思い出します。

実習の終わりに学生さんから
「看護師さんの仕事が重労働だということがわかりました」
「詰め所にいる時間がもっと長いのかと思ったら、一人の患者さんから次つぎと回って結構長い時間ベッドサイドにいるんですね」
という感想をいただきました。

院長からは
「医療って、医者だけでは何もできない。MSW(社会福祉士)は患者さんや家族の話しをよく聴き取ってくれるから、僕たちは患者さんの背景がわかる。そして日常の患者さんのことを一番よくみているのは看護師だ。看護師の感性ってすごく大事で、将来doctorになった時に、治療計画の中に看護師から教えてもらったことを加味するといいよ」
というお話がありました。

私が目の前にいるから、ヨイショして言ったのではないと思います(^^ゞ
四十坊院長は普通の人が持っている暮らしの感覚や、人と人の対等性をとても大事にしている方なのです。
看護師含め職員の考えを尊重する姿勢が自然にできているので、ふだんから私たちはよく話し合うし、相互に助け合おうという気持ちになるのです。

車の両輪って言葉があるけど、バスの下にいっぱいタイヤがある感じでしょうか。
この信頼関係が、学生さんに伝わっているといいなと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今度は私が盛りすぎかな?

そのケアが本当によかったのかどうか

1月19日の土曜日、低気圧が去り札幌はいいお天気に恵まれました。
その日、北海道内のグループ病院と老健施設が集まって、看護介護研究発表会が開かれました。

当院からはホスピス病棟看護師のKさんが発表者として舞台に立ちました。
彼女は以前のブログにもちょっと登場したことがあります。↓
https://wp.me/p84aZK-4q

当院総長の前野先生は「僕たちはがんにかかったわけでもなく、ましてやがんの末期の経験はまだしていない。医療で助けることは、どこかで限界がくる。その時には寄り添うことしかできない。この方法でよかったかどうかは、患者さんに教えてもらうしかない。でも患者さんは亡くなってしまうから、問い続けて経験を積み重ねていくしかないんだ。」とよく職員に言います。

Kナースは自分がプライマリナースとして受け持った患者さんAさんについて事例研究を発表しました。受け持っている間、彼女はAさんの望む医療について、ジレンマを感じながらケアしていました。カンファレンスで話し合い、一人で抱えるのではなくみんなで共有しながら。そのケアの過程がAさんにとって、よかったのかどうかを検証したい、という思いがあって今回の発表につながりました。

Kナースはこの事例研究を昨年夏、院内でまず発表し、秋には「日本死の臨床研究会」でポスター発表、そして今回の発表会が3回目となり、今回が一番ギャラリーが多くておそらくとても緊張したと思います。
私は彼女の発表の声だけを聴き、その説得力ある声の強さにぐっときてしまいました。
ポスター発表という形式のため、聴衆の皆さんにステージ近くに移動してもらって聞いていただきましたが、Kさんの熱い思いは伝わったように感じました。

発表を終えて会場を出たときに病棟師長さんが「きっとAさん、会場の上から見てKさんのことを応援していたと思うよ」と言いました。
にこにこしながら「いいね!」ポーズをするAさんの姿が目に浮かんできました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
悩みながら体を通った言葉は心に届くね。

医療者と患者・家族をつなぐ人

連休の3日間、私は東京でNPO法人架け橋の医療対話推進者の研修に参加してきました。
架け橋理事長の豊田さんとは前職の時に一度、札幌でこの研修を開催したときにお会いしていましたが、研修受講は初めてのことでした。

豊田さんをはじめ、このNPOの活動を運営している方々の中には医療事故で大切なご家族を亡くされた人、医療事故を起こしてしまった当事者の方がいらっしゃって、「もう二度とこのような不幸な事故があってはならない」という切実な思いから、医療対話推進者を養成する講座を続けていらっしゃいます。
事故の詳細を語る講義を聴いていると、ほんの少しのかけ違いがきっかけで自分にも起こりうるかもしれない、という気持ちで胸がざわざわしました。

医療事故で5歳の息子さんを亡くされた豊田さんは、なぜこうなったのか、怒りと悲しみと自己嫌悪の渦の中にいました。そしてそういう人だからこそ医療者と患者・家族との間をつなぐ人になってほしいという当時の院長の勧めがあって、医療対話推進者の先駆けとなり、今に続いています。
そこに至るまでの様々な葛藤は想像することもできません。
豊田さんは長い年月をかけて「医療者も苦しんでいる」と理解し医療者と患者・家族双方に寄り添う活動をされています。

講義の中で印象に残ったのは、インフォームド・コンセントはよく「説明と同意」と訳されることが多く、一般的には病気についての説明・治療法・副作用・今後の予測などを医師が説明して患者が理解して治療計画書にサインしてもらう、という風に理解されています。しかしそれでは説明した=理解してなくても同意せざるをえなかったというシチュエーションも含まれるのです。
治療のメリット・デメリット、自院で行っている治療の最善はこれで、ほかの治療ならこんな方法がある、私があなただったらこの方法がいいと思う、どれにしますか?と尋ねて、患者が自らの価値観に基づいて遠慮なく質問し、治療を選択する。
こうして医療者と患者が「情報と決断の共有」をすることがインフォームド・コンセントであり、そうして決断したことを両者で小川を渡る感覚で進むのだ、と聞いてその言葉が腑に落ちました。

がんにたとえれば、がんと診断されて手術か・放射線か・抗がん剤かという治療方法についての選択肢が十分に説明されて、その中から今最善と思われる方向を患者さんが納得して選択し、よし、じゃあ一緒に頑張りましょう、と手をつないで一緒に小川を渡り前進する。
それからも行く道には様々な不具合が生じるけれども、そのたびに話し合って、また小川を一緒に渡る、そんなイメージが浮かびました。

翻って現場に置き換えると、特に急性期の大きな病院ほどその対話に時間をかけられずにいます。患者さんが疑問に感じても遠慮して言い出せなかったりするうちに、治療スケジュールの中に組み込まれて心が追い付かないまま進んでしまう。
看護師やほかの職種がそのとまどいをキャッチして「ちょっと待った!」「今困っていらっしゃいますか?」と言えるようでありたいし、その意見が尊重されるような職場風土であってほしいと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
誰もが聴ける人に。

NPO法人架け橋のHPはこちら↓

http://www.kakehashi-npo.com/

業務改善発表に行ってきます(^^)/

新年早々、うれしいニュースがありました。
内輪話で恐縮なのですが、昨年病棟で取り組んだ業務改善活動が優れているということで、法人の全国大会で発表するように、というお知らせが届きました。
全国にはグループ病院が70以上あり、各病院から一題ずつの業務改善報告が提出されました。
そこから法人本部で審査されて10演題に絞られ、当院のものが選ばれたのです。

取り組んだのは感染性ゴミの減量化です。
病院ではゴミの分別は大きく3つにわかれます。一つは紙などの可燃ゴミ、二つめは医療性のゴミ、たとえば注射薬を詰めるだけに使用した注射器とかアルコール綿など病院からしか出ないようなゴミ、そして三つめが血液や体液がついた医療性で感染の可能性のあるゴミです。
この3つめのゴミを感染性廃棄物といって、普通の可燃ゴミなどとは明確に分ける必要があるのです。容器も厚手の専用プラスチック容器で、専用シールが貼られています。ゴミ処理業者に出すときには蓋を閉めて中身がこぼれたりしないようにして出します。処理料金は一個あたり1000円以上かかります。

ゴミの分別には明確な決まりがありますが、忙しさに紛れてついふつうのゴミをポイっと感染性廃棄物の箱に入れてしまったり、ビニール袋に空気が入ったまま捨てたりすると、それだけで容器の嵩が増して、空気を捨てていることが結構あるのです。

これをもっとキチンとしようじゃないかと立ち上がったスタッフがいたのです。

まず現状を知ってもらうためにデータを取り、間違ったゴミは何かを明らかにし、写真を撮ってみんなに啓蒙しました。ビニールに入ったゴミは空気を抜いてコンパクトにまとめる作業を繰り返して、結果的にゴミはそれまでの半分に減りました。
金額にすると年間30万のコスト削減です。
その経過をまとめたものを院内で発表したところ、よい評価だったので、全国大会に提出することになりました。

ものすごくうれしく、誇らしい気持ちです。
関わった代表者3名と共に来月全国の発表会に出てまいります。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
こいつぁ春から縁起がいいわ????

2029年からの手紙

2019年札幌南徳洲会病院の新病院建設会議に参加されている皆さんへ

2029年1月5日の今日、私はカナダのイエローナイフというところに来ています。
雄大な自然の中のログハウスで、おいしいコーヒーをいただきながらこれを書いています。
私は昨年退職して海を渡り、昼間は食堂で働いて、夜はオーロラを眺める、夢のような生活をしています。
あの頃皆さんと一緒に新病院の建設を議論していたことを懐かしく思い出します。

あれから10年が経ち、四十坊院長の頭はすっかりロマンスグレーになりました。
相変わらず日ハムを応援するのを楽しみにしながら、今日も外来診察に出ています。
40名弱だったボランティアさんは今や200名を超え、職員より多いくらいです。

そのおかげで朝早くから夜遅くまで、あちらこちらでボランティアさんが見かけられます。連日のように音楽イベントが開かれ、朗読や傾聴、マッサージをしてくださっています。
1階の空間で、カフェを始めた元ボランティア・コーディネーターの鈴木さんが、おいしいコーヒーを淹れて、話術で笑わせてくれるので、お客さんがひっきりなしです。診察を受けに来た人もカフェにきたのかと勘違いするくらい、待ち時間を心地いい時間にしてくれています。
外にはアイスキャンドルが何十個も連なり、美しい光景が評判となって病院なのに見物客が増えました。
春からは菜園と果樹園の準備が始まります。桜の植樹も8回目となり、小さいけれど今年は桜並木の下でお茶会ができそうです。

あの頃はホスピスに研修生がよく来てくれてましたよね。
今は全国から院内のあらゆる部署に研修生が来てくださるようになりました。
外来も透析室も障がい者病棟も、よいケアを実践し続けてくれたからですね。
「入院するならこの病院」でトップテンに選ばれたのも皆さんのおかげです。
2018年に始めた緩和ケアセミナーやNPOホスピスのこころ研究所の活動が世に広まり、人生の最後の時をどう過ごすかを考える場として、私たちのケアを見に来る方が増えたのです。ありがたいことです。

前野総長は全国各地からお声がかかり、執筆や講演活動で忙しくなりましたが、楽しそうにしていますよ。下澤事務長は総長のスケジュール管理が結構大変そうですが、シュヴァービングの森をジョギングし、昆虫と戯れるのが癒しになっているようです。

今年は古民家を改修して、ホームケアクリニック札幌・藤原院長の念願だったホームホスピス「かあさんの家」を始めることになりました。病院ではなく、自宅でもなく、一人暮らしの方も安心して過ごし、穏やかな環境で旅立つことができる、そんな場所がいよいよ完成します。

今思うとあの頃、新しい病院についてみんなで話し合うのが一番楽しかったと思います。
そして前野先生がよくおっしゃってたように、その話し合ったプロセスがとても大事だったなって思います。建物が新しくなっても、そこに働く人の心が大事だから。
仲間を信じ、いつも目の前の患者さんにいいケアをしようと努力する、その小さな積み重ねが今につながっているのです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
新年初出勤前日の夜、こんな妄想が膨らみ眠れなくなりました。

今年のよかったことベスト3

今年もあと1週間ほどになりましたがどんな一年でしたか?
先日朝礼スピーチで話すことを考えるのに手帳を見返していました。
私は今年もたくさんの方に出会い、元気をいただき充実した一年でした。

看護部長として今年を振り返りまして1~3位までつけてみました。

よかったこと3位は、認知症対応ケア「カンフォータブルケア」を導入したこと。
ブログでも何度か紹介しましたが、障がい者病棟の方ではこのケア導入によって患者さんの症状が落ち着き、行動制限や薬の使用が減りました。それだけではなく、もっと患者さんを喜ばせることをしたいと、看護師や介護福祉士たちがイベントを企画実行し、結果的にアクティビティケアが増えました。
認知症ケアはこれからの日本の医療でもっとも基本となるものです。
認知症の方ががんを患った、認知症の方が骨折をした、持病を抱えた人が認知症になった。その方たちの治療を支えるにはベースとなる環境が、穏やかでやさしいこと、そこが一番大事じゃないかと思います。
私はホスピス緩和ケアとともに認知症緩和ケアの優れた病院にしようという気持ちが強まりました。

続いてよかったこと2位は
新築移転事業が本格的にスタートしたことです。
現在の病院は築30年以上経過し、あちこちから雨漏りがしたり、狭くて我慢していることが多々あります。
いよいよ設計が始まり、みんなで楽しく話し合って進んでいるところです。
私自身、病院の新築移転は2度目の経験ですので、以前の経験を生かして、今考えられる最高のものにしたいと思っています。

そしてよかったこと1位は。
少し逆説的な意味ですが9月の北海道胆振東部地震を経験したことです。
わからなかったことがわかり、やろうと思ってやってなかったことがわかり、なおかつ大きな被害にはならずに済んだ。これは教訓として与えてもらったものだと感じました。
あの時は自分の病院を、入院している患者さんを守ることで精いっぱいだったけれども、今度は地域の方をも守れるような、余力のある病院にしなければという使命さえ感じます。
新しい病院にはその思いも盛り込んでいくつもりです。
そしていまだ被災している方たちの生活が、一日も早く整うことを願っています。

さて、おかげさまでたくさんの方たちに支えられて、今年も大過なく終えることができそうです。
本当にありがとうございました。

皆様にとって新年が素晴らしい1年でありますように。
よいお年をお迎えください。

やさしさビタミンブログは新年1月7日から開始します。

病院の「おまあ指数」を考える

ドラッカーの「マネジメント」を学ぶ読書会で、以前こんな話を聴きました。

ウナギ屋さんで会計するときにお客様から
「おいしかったよ」
「また来るね」
「ありがとう」
という言葉をかけていただいたら、それを紙に書いてカウントしていくそうです。
それらの頭文字をとって、「おまあ指数」と呼びます。
おまあ指数がお店の評価であると受け止めるのだそうです。

それらの言葉をいただけるように、店員さんが何をしたらいいかと考え、行動するそうです。

それ、すごくシンプルでいいなあ。
調理する人は一番いい状態で食べてもらおうと努力するし、
ホールの人は心地よい空間を整え、明るい笑顔でお迎えしよう、と思うでしょうし。

「こうしなさい」という上からの指示命令ではなく、
自らどうしたらお客様に喜んでもらえるかを考え行動する。
これこそが目標管理ですね。

何か病院でも応用できそう。
病院は「在院日数」「治療成績」「手術件数」「ベッド稼働率」という数値目標で測られることが多いけれども、
本当に患者さんのためになったのか、満足していただいたのか、についての指標が少なくて(いや、私がわかってないだけかもですが)、年に一度の患者満足度調査だけではあまり効果的ではないと感じています。

「ありがとう」
「ここへきて良かった」
「やさしい病院だね」
などと言っていただけるとうれしいな~~

「あこや指数」⁈

でもせっかくだから、これは師長さんたちと話し合う材料にしよう

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しく行動できるのがいいよね~

心の揺れも含めて患者を支え抜く

第42回日本死の臨床研究会in新潟に行ってまいりました。
2年前に初めて参加したのが札幌、去年は秋田で一般参加。
3回目の今年は少し頑張ってポスター発表で参加してきました。
緩和ケアの師長さんとスタッフも同じくポスター発表で計3演題、クリニックから事例検討会1題と豊作でした。

研究会は2日間、講演会やシンポジウム、事例検討会の他にミュージカルなど多彩です。
どのセッションも興味深いタイトルがついてそそられます。

今回私が聞いたのは「人生の最晩年の生を支える」(桑田美代子さん)と「認知症と共に生きる人たちの人生を支える」(水野裕さん)の教育講演、それから「急性期病院での終末期患者との関わり〜意思決定支援のありかたを考える〜」(生田陽子さん)の事例検討会です。

それぞれ深いお話ばかりですが一つ印象に残ったのは・・

急性期病院で患者さんにバッドニュース(悪い知らせ)を伝える時の医療者側の覚悟について。
たとえば・・の話ですけど。
主治医はこれまでAさんの病気について検査し、一番適切と思われる治療を行ってきました。
しかしその治療には限界が来ており、積極的な治療は難しく、あとは穏やかに過ごせるような方法を考えた方がいいと考えています。
それは今いる病院ではなくて、別な場所(ホスピスや療養病棟や自宅)に移動することを意味しています。

Aさんご本人とご家族に病院に来ていただき、主治医から治療の限界や予後について説明します。
患者さんは驚き、がっかりし、お話を受け止められなかったり、主治医に見放された、と感じるかもしれません。

その時看護師はどんな関わりをしていますか?という問いがたてられました。

ある病院では外来看護師が説明の前日にその患者さんについて「予習」し、医師がどんな風に説明するかをあらかじめ話し合っておくということでした。看護師は説明に同席し、患者さんやご家族がどんな反応をしたのか、説明をどう受け止めたのか、理解した内容にズレはないのか、を観察します。「今日こんな大事なお話をしたからみんなで注意深くかかわってね」と他のスタッフも共有します。
もし医師の説明と理解との間にズレがあるかもと思ったら、気づいた看護師がオープンクエスチョンで確認します。

そして一旦病状を受け入れたとしても、時間が経つとAさんの心は揺れてくる。
「やっぱり先生はああいったけれども、もしかしたら他にも治療があるんじゃないか」
「転院するってあの時は決めたけど、やっぱり家に帰りたい」とか。
患者さんやご家族が「話したい」と思うタイミングをキャッチしてしっかりそこに向き合うことが大事です。

「そういう心の揺れも当然のこととして、看護師が患者を支え抜くんです」

と発言された方がいらして、その言葉がささりました。

病院によっては病状説明にそもそも看護師が入ってなかったり、面談の時間が夜遅くに行われるため同席したくても夜勤を投げ出してまでは入れないということがあります。
だから患者家族がどんな反応だったかもわからない、ということもあるんですよね。
これは急性期病院の構造的な問題と言えるでしょう。

重要な転換を強いられる場面には認定看護師が同席すると、その専門分野からアドバイスや対応を学ぶこともできるかもしれません。当たり前のことですが多職種との関係が日頃からできていると、何も看護師だけではなくチームで注意深く見守って、思いを話したいときにチームの誰かがキャッチして対応する。それがほんとのチーム医療だなと思います。

数年前まで急性期にいた身としては反省、反省です。
「看護師が支えぬく」なんて、とても言えなかった・・。
でもそここそが看護の本質だよなあ、と思います。

「死の臨床研究会」は、毎年こうして今の立ち位置で自己を振り返り、姿勢と心を立て直す、いい研究会です。
あまり知られてませんが、医師看護師ソーシャルワーカーなど他職種が参加しており、一般市民も参加できるんですよ。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
来年は神戸だそうです❣️

音楽の扉が開くとき

この秋公開の映画「ボヘミアン ラプソディー」が大ヒットしている。
映画館は中高年の人でいっぱいで、私の友人も2度3度と見に行く人がいて、とても評判がいい。私も近いうちに見に行こうと思っている。

特別クイーンが好きだったわけではないけれど、その時代に流れていた歌というのは、その時の出来事や周りにいた人との思い出をふとよみがえらせる力がある。

先日障がい者病棟に音楽ボランティアの方が2人来てくれた。
一人はヴァイオリンの橋田さんで、去年から当院でときどき演奏をしてくださっている。
もう一人は松本さんというピアノ奏者である。

お二人は札幌市内の室内管弦楽団で活躍されている方たちで、松本さんは指揮者とのこと。
午後から2Fと3Fの病棟でそれぞれ20分ずつ演奏をしてくださるのである。

病棟では看護師たちが患者さんを車いすやベッドでデイルームに連れ出して準備万端である。
患者さんの合間に座り、様子を見守りながら一緒に演奏を聴いている。
共に過ごす、寄り添って聴く。
職員がこれも仕事のうちと心得ているのが大事なのである。
私はこういう場面を後ろから見ていると幸せを感じる。

最初の曲、それは1960~70年代の映画のテーマ曲で、誰でも聞いたことがある曲だった。
曲が始まってすぐ、ある患者さんの目から涙がぽとりと落ちた。
何か琴線にふれたのだろうと思う。
介護福祉士がティッシュをさっと引きだして、優しい顔で涙を拭いていた。

患者さんの平均年齢は70代後半とすると、1970年代は20代~30代の頃だ。
戦後の物のない時代を乗り越えて、高度成長期に過ごし、仕事や恋愛、それからテレビや映画が面白かった時代だ。

そのあともTVのCMで聴いた曲がストレートに耳に届き、短い時間だったけれども充実した演奏会だった。
手拍子を打ち、それに演奏者がノッテくれて、会場が一体になった感じがした。
アンコールに応えて、クリスマスソングをジャズバラードで弾いてくれた時には、自分が病院にいることも忘れるくらいだった。


ありがたいことに当院では音楽ボランティアの方が何人も来てくださり、唱歌・軍歌・演歌・歌謡曲・クラシックにジャズと幅広く演奏してくださっている。
誰の心に何が届くかは演奏してみないとわからないし、自分が特別好きだと思ってなくても、時代の空気がふわりとよみがえって急に記憶の扉が開くこともある。
それが音楽のチカラだなと思う。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
開いた扉から、若かりしころのことをゆっくり聞いてみたいね。

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