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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

お見舞いの定義って・・

「お見舞いの定義って何ですか?」と聞かれて、私はとっさに答えられませんでした。

「お見舞いとコミュニケーション」をテーマに、市内の大学生さんが当院を見学にいらっしゃいました。
お話を伺っていくうちに出てきた質問です。

当院では職員とボランティアさんが院内にさまざまな飾りつけや絵画・園芸による癒しの空間を作ってくれています。
患者さんやご家族、職員もしばし立ち止まって作品に見入ります。
作品から自分が子供だった頃や、子育てをしていた時を思い出したり、季節を感じたりすることがあり、コミュニケーションの一つのきっかけになっています。

それから当院では患者さんの写真をよく撮影します。
イベントはもちろんのこと、誕生日やお孫さんがお見舞いに来た時など、写真を撮ってプリントし、ベッドから見えるところに貼って思い出を楽しんでいます。
お見舞いに来られたご家族にも、楽しそうな表情を共有していただけるので、患者&家族&職員のコミュニケーションツールとしては、今のところ最強だと思っています。

さて冒頭の言葉。
一般の方にとって病院は縁遠い場所です。
近しい方が入院したときに初めて、お見舞いとは・・を考えるのでしょうね。
お見舞いのマナーは本やネットで調べられますが、患者さんの容態や、大部屋ならお部屋の雰囲気によって、お見舞いの人がどんな振る舞いをしたらよいか、声の音量はどれくらいまで許容されるかは、場や関係性で違いますので正解はありません。

お見舞いにはそのほか季節のお見舞い(残暑お見舞い)とか陣中見舞い、「ちょっと一発お見舞いしてやるか」などぶっそうな使い方もあります。
先日の地震後には震災見舞いをいただきました。ありがとうございます!

個人的には先日知人が入院している病院にお見舞いに行ってきました。
手術後数日経っていましたので、手術にまつわる患者体験を聞かせていただきました。
お見舞い客をうれしく思うかはご病気やけがの程度、タイミングにもよります。
誰にも会いたくない、自分の姿を見られたくないということもあるでしょうし。

身近な方にお見舞いに行ってもよいかどうか、行くならどんな時間帯がいいのかを尋ねておいたらよいですね。何か必要なものがあれば(あるいは持ち込んではだめなもの)聞いて準備ができますし。

お見舞いの定義は「病気やけがをしている人を案じ、励ましたり元気づけようとする行動」ということでどうでしょうか?
ありきたりですけど。
人を案ずる気持ちは形でもなく、時間でもないような気がします。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
医療関係者じゃない方のお話って、ためになるな!

一番大事なのは患者さんを安心させること

今回の地震では非常時にとるべきリーダーシップについても考えさせられました。

普段はスタッフの意見を吸い上げるフラット型のリーダーシップを心がけていますが、非常時はやはり専制君主型の方が物事が早く的確に進みます。
限られた時間内に情報をとらえて、素早く意思決定することが求められるし、
決定したことは具体的で明確に伝えなければならない。
今回活躍したのは現場の師長さんたちでした。

電気が使えないし、水も制限がある。
できるケアは限られている。
いつも通りの温かいタオルは提供できないし、お風呂にも入れられない。
食べる・出す(排泄する)・寝るをしっかり確保してこの危機を乗り切ることが最優先です。
「一番大事なのは患者さんを安心させること。」
こう、言い切った師長さんがおりました。
私はそれを聞いて逆に覚悟が決まった感じがしました。
情けないですが私は予想外のことに瞬発力で対応するのは得意ではありません。
だからこの師長さんの言葉で「よし!」と背中を強く支えられた気がしました。

電動ベッドのギャッジが上がらないのは、代わりに布団を丸めて背中に差し入れる。
暗闇で怖がっていたら、患者さんのそばにいるようにする。
体は拭けなくても口腔ケアはいつも通り。
状況は刻々と変化するので、その流れをつかみつつ、言うべきことはシンプルに。

「一人暮らしのスタッフで、ご飯を確保できていないんです。」
「子供を置いてくるのが不安で連れてきました。今一緒に働いてくれてます」
非常時に働くスタッフへの気遣いも忘れずに、伝えてくれる。
ありがたいことです。

この期間看護師たちの患者さんを守る集中力が高かったせいか、大きな事故もなかったのです。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
師長さんたちの緊張もかなり強かっただろうになあと思います。

北海道胆振東部地震 その3

9月8日(土)地震発生から3日目。
朝7時。院内にいつも通りの光が戻っていた。
昨日までのことがまるで夢だったかのようだ。
すでに電子カルテのサーバーは起動し、いつでも開始できるように準備されていた。
昨日最大の問題だった透析も無事できるようになって、ずいぶんみんなの表情が明るく見えた。

たださすがに2日目ともなると、入院中の患者さんは少し不安定になってきている様子だという。
そして一晩を緊張して乗り越えた看護師たちには、相当なプレッシャーだっただろうと思う。
熊本地震の時には最初の地震よりも2日後に大きな地震が来て、あとからのものが本震だった。
それで北海道にもこれから大きな本震がくるという情報が、まことしやかにSNS上で拡散しているそうだ。
こういう情報におびえ、傷つく人がいる。
私のスマホは圏外になることが多く、電池も減るのでSNSはほとんど見ていなかったから、そんな話が飛び交っているとは知らなかった。

「夜勤に出る前に、もし今日大きな余震があって、病院が倒壊したら、私はここで最期を迎えるんだなと思ったんです。そんなことは絶対口に出しては言えないけど、家を出る前に子供をぎゅっとハグしてきました。だから夜が明けてほんとにうれしい。」
という看護師の言葉を聞き、目が熱くなった。
そういわれると私も、昨日の朝体調の悪い家人を残して気になりながら出勤したのだった。
自分と仕事を優先させて家族を置いてきた、という気持ちがやっぱり心の隅にある。
でもこういう仕事はいっぱいある。
適当な言葉が見つからず、ご苦労さんとしか言えない。

8:00 ミーティング。
事務長が昨夜からの経緯を説明し、無事ライフラインが復旧したことをみんなで喜んだ。
院長・副院長・私からも職員へのコメントを一言ずつ。
電子カルテは各部署で立ち上げてよい。レントゲン・検査・透析は正常化した。
今日から外来・入院診療はすべて平常通りとした。

引き続き師長たちとSEで、停電中に入退院した患者の登録、カルテの記入についてミーティングを行った。
この教訓を冷めないうちに記録して、自分たちの災害マニュアルを早急に作りましょうと話し合った。
いまさらながら地震発生直後、各自がどのように病院まで到着したのかを聞きあい、誰が最初に病院に到着したかで盛り上がった。

結果から言えばたった2日間の停電だった。
けれども渦中にいる間は情報が途絶し、いったいいつまでこの状態が続くのかまったく予測ができなかった。
そして不十分だった備えに対する教訓はたくさんある。
多数の外傷患者が発生していたら。冬だったら。猛暑の時期だったら。もっと停電や断水が長引いたら。
院内の患者とスタッフとだけではなく地域を守れるか。
現場のスタッフからも意見を吸い上げようと思う。

よかったなと思うのは、
副院長のEMIS登録、病院祭用の食材・飲み物があり、職員のまかないや配給にできたこと、関連病院が早く通電し、透析室を借りられたこと、冬じゃなかったこと、夜明けが近かったこと、計画停電のあとだったこと、新築移転の設計前だったこと、なにより職員に大きな被害がでなかったこと、建物が倒壊・損傷しなかったことがあげられる。
当院は普段からなんでも話し合う風土なので、お互いを思いやりひとりひとりが自分にできることを精一杯した。
緊迫した時にありがちな、強い口調で怒鳴ったりするようなことは皆無だった。
SE・資材など一人部署で重要なポジションの人にはどうしても仕事が集中する。そこはサポートが必要だった。
医事課の男性陣は力仕事~運転~電話かけまであらゆる仕事を柔軟に対応してくれた。
ケアマネージャーたちの配膳は明るく熟練して、こんな事態の中でもほほえましい光景だった。
ご家族の協力のおかげで、仕事に出られた看護師が多数。
それから自分の家も被災しているのに休みに仕事に来てくれた人たちが多数。
手前味噌だけれど、こういう人達に支えられて、今回の危機を乗り切ることができ、改めて素晴らしいチームワークだと感謝している。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
外からもたくさんのご支援と励ましをありがとうございました。
まだ余震があるかもしれないので油断は禁物ですが、どなた様にも一日も早く生活が平常に戻りますようにお祈りしています。(終)

北海道胆振東部地震 その2

9月7日(金)地震2日目
朝7:30 全体ミーティング
事務長は昨日の混乱状態を整理し、ホワイトボードを全員が共有しやすく整理していた。
これからも災害に備えて、必要項目を明確にし、職員一人一人のアクションカードを作ることにしようと話し合った。
病棟の患者さんは事故もなく安静に過ごされたよう。
暗闇の中を必死で守ってくれた師長さんやスタッフに感謝。
夜勤スタッフの疲労が強いが、気が張っている。休みのスタッフも自主的に来てくれたおかげで配膳や食事介助はスムーズに進む。
停電断水で保育所が使えず、子連れで働くスタッフも数名。子供は5人。
急きょ家族控室を使い、臨時保育室にした。保育士は確保できなかったので女性職員に頼んで対応してもらった。
今日の透析予定の方は昨日のうちに中止の連絡をしていたが、このあと電気と水の復旧がいつになるかで明日の対応は変わる。
送迎している患者さんにも、車が到着する時間を連絡しなければならない。
透析室副主任は当院で行う場合と他院で行う場合の2段構えで調整を考え、患者さん宅と職員に連絡していた。

9:00 全体ミーティング
停電がまだ続くと考えて今日の私の作戦は
*病棟の明りの確保(でも売ってないだろうな・・)
*明日以降の保育園をどうするか
をまず解決することにした。
水道はその日中に給水車が来て、貯水槽に直接水を入れてくれることになった。
EMISから夕方までに「電源車」が来て病院の電気を復旧してくれるという情報が入った。

さらに自衛隊が来て軽油をドラム缶で置いて行ってくれた。
少し心の余裕ができた。
夕方に電源車が来る→透析に使う水の機械の確認→19時にはどこで透析をするか決定できる。
確実なことがわかってから透析の患者さんに連絡しようということになった。

保育園は日曜まで院内臨時保育所をつかうことにして、保育士さんの手配をおこなった。
関連病院へ連絡し、遅ればせながら状況報告をした。
そこはすでに前日から電気が復旧していたので、懐中電灯と電池をお借りできることになった。(やった!)
配膳作業は昨日一日の経験があって、みんな熟練した。

手の空いている職員がこぞって階段に並びバケツリレー方式で手渡しする。
「はい、2階で~す」「は~い」「はい、3階で~す」という感じ。
仕事で買い物に行けない職員もいるため、食堂ではまかない食となった。

たまたま翌日に病院祭をする予定だったので、鶏もも肉を大量に購入していたから、栄養科で唐揚げと大量の卵焼き、野菜スープ、主食はおかゆを鍋ごと置いてくれた。同じく祭用の飲料水やお中元でいただいた缶ジュース、お菓子も職員に配給された。

昨日閉めていた売店は患者・付き添う家族・職員のためだけに開くことにした。
すでにスーパーやコンビニは商品在庫がなく、当院のような小さな売店でさえ自宅用に買い占めようとする人が来ていた。

レスピレータの患者さんを送って空いたベッドを、昨日から外来にとどまっていた在宅酸素の方の入院ベッドに使っていただく。
それから電気が復活したあとに、転院したレスピレータ患者さんを受け入れる段取りをMSW(医療ソーシャルワーカー)と検討。
だが透析が決定しないと車の手配ができない。

院内で行きかう職員に一人一人声をかけ、家の被害状況を立ち話で確認する。
食器棚が倒れた、タンスが傾いた、という人は結構いるけれど、幸いけがをした人はいない。
よかった半面、緊張やプレッシャー、やりにくい仕事のストレスから見えない疲労があるだろう。
平常になるまでどれくらいかかるかわからないから、最小限でうまく機能できるようにと願うばかり。

16:30本日の最終ミーティング
給水車のおかげで、当面の水は確保できた。
ただ電源車が16時くらいに到着と言っていたのが大幅に遅れる見込みとなった。
これでは電子カルテはまだまだ使えず、透析も当院でできる見込みが薄くなった。
夜半に電気が使えるようになったとしても、SE(システムエンジニア)は昨日から泊まり込んでおり、すでに36時間くらい経過している。
疲労を考えて電子カルテの確認作業は明日朝からにしようと決定した。
透析場所の決断も夜中近くなるので、患者さんには「当院でやるつもりでお仕度しておいてください。当院でできない場合だけご連絡します」と手分けして電話した。

夕方関連病院からLEDのヘッドライトと懐中電灯が大量に届いた。
ありがたい。
夜勤者に説明して配布。みんな喜んでくれた。

19:40病院を出た。
帰りにスーパーに寄ったが、生鮮食品はほとんどなし。あらゆる棚に「一人1つまで」と書かれている。
瓶のジュースと果物を少しと、お菓子を購入した。我が家は乾麺など食糧があり、数日前に知人から野菜をいただいたばかりだったのが幸いした。
一旦溶けた食材もあるが、気にせず食べる。水・電気・ガスが通っているので、ぜいたくは言うまい。1週間くらいすれば流通も正常化するだろう。

20:30帰宅後に病院から普通に電気が復活したと連絡をもらった。なんと電源車が来るより先に復旧。なんにせよありがたい。これで透析の問題が一挙解決した。続いて師長さんたちに連絡。皆安堵してた。ほっとしたが気持ちが高ぶっていたのか寝つきが悪かった。夜半に余震。
(つづく)

北海道胆振東部地震発生 その1

2018.9.6 朝3:08に発生した北海道胆振東部地震。
突き上げられる揺れが長く続き、すぐに目が覚めた。
直感的に震度5ぐらいはあると感じ、テレビをつけると速報で震度6という。
急いで服に着替え、ざっと支度を整えた。
病院まで信号は一つもついておらず、真っ暗闇だった。
そろそろと運転しながらも、街灯がないのできれいな星空だなと思いながら走っていた。
病院前の旧国道に入る。私の前に数台の車がいて、下り坂をゆっくり進んでいると、前の車が途中で停車しては右折しだした。
なぜ直進しないのだろう。私の前の車が全部右折するのでこれは何かあるなと思い、停車して車を降りた。目視するが暗くてよく見えない。
ただ真っ暗な中に道路が濡れたようにぬらぬらと光っているのが見えた。
道路がゆがんでいるようにも見える。
他の車に倣って私も右折することにした。
そうしたら右折した車が引き返してくる。
この先も通れないのか?
何が起きてる?
と思って窓を開けた瞬間「部長、この先は液状化していて通れません。サブロク(国道36号線)に回って迂回したほうがいいです」と、職員が車から顔を出して教えてくれた。

病院につくと院内は当然真っ暗で、ばらばらと職員が集まり始めていた。
この時はまだ非常電源が作動していたので、各病棟の詰め所も明るかったし、廊下にも非常灯の小さい明りがついていた。
床頭台から物が落下したりはしたが、患者さんには大きな影響はなく、混乱もなかったので、とりあえずほっとした。

最初のミーティングは朝4時に行われた。
1Fフロントに職員が集まって、事務長がホワイトボードに情報を書き出し共有した。
水は貯水槽にある程度入っている。
非常電源のリミットは残り2時間で、燃料の軽油を補充すれば1時間くらい延びるということだった。
このときは、停電があんなに長く続くとは思っていなかった。
当然電子カルテのサーバーはダウン。
PHSと電話は使える。できること、できないことがはっきりしだした。

夜明けが来て病院前の道路が冠水しているとわかった。
単なる水ではなく泥流になっている。泥に埋まって抜けられない車がいる。
厨房は半地下にあるため、人海戦術で朝食のお膳を病棟に上げた。
夜中に集まった職員のために近くのコンビニに買い出しに行ったが、途中の道路でもマンホールが道路から突出していたり、すでに断水している住民が公園に水くみに来たりしていた。

5:00全体ミーティング
手書きの紙カルテを使うことにした。
検査・レントゲン・透析は電気がなければまったく動けないので最少人数にして自宅待機となった。
今日の外来対応はかかりつけとwalk inのみ。
入院のベッドを確認。満床に近い状態だったけれど、2~3名分はなんとか確保できる。
その後2時間おきくらいに全体ミーティングをした。
停電が長引きそうだとわかり、自家発電のための軽油を手配したいが、スタンドがすでに込み始めていて、簡単には買えなくなってきた。
病院から10キロ以上離れているスタンドでようやく確保ができることになったが、信号が消えているので、買って帰るまでに2~3時間かかった。
自家発電に補給するとすぐに次の軽油を買いに行かなければ間に合わない、という自転車操業になってきた。

副院長がEMIS(広域災害救急医療情報システム)に当院の状況をスマホから登録していた。
複数名の人工呼吸器の患者さんが入院していて、この不安定な電気の状態では患者さんの安全を守れないのではないかと話し合った。
患者さんにとっては慣れた看護師から離れることになるし、転院は相当な負荷がかかるけれども、電気がなければ医療者が手作業で呼吸を補助し続けることになる。いつ復旧するかわからない状況ではリスクが大きすぎる。情けないが安全が優先だ。
EMISを通じてDMAT(災害時医療派遣チーム)から連絡があり、患者さんを電力の安定した北大病院へお願いすることにした。DMATはdoctorも含め救急車で到着し、近くの公園に来ているドクターヘリまで運び、ピストン輸送してくださるということだった。


エレベータが使えないので患者さんをひとりひとり担架で運び、全員が救急車に乗ったのは夕方17時を過ぎていた。
「すぐまた会えるからね」と師長が患者さんに手を振って、送り出した。
電気さえあれば。軽油さえ安定的に供給できれば。悔しい気持ちは正直言ってある。
患者さんにとっても見知らぬ病院に行くのは不安だったろう。

でもこれは最善の選択だった。
なぜならその直後に、2機あった非常電源のうち1機が、オーバーヒート前の自動制御システムのため、停止したからだった。そういう機能があることも正直知らなかった。それで2階病棟の詰め所や廊下の電気は完全に消え、暗闇になってしまった。
そして壁についている吸引器の吸引圧が低下して、動作が不安定になった。
間一髪だった。

同時進行で透析患者の移送が始まっていた。当院では透析はできないので、関連病院の設備を借りて、15時過ぎから透析を行うことになったのだ。
自宅にいる方と入院中の方を順次移送して、全員終了したのは22時過ぎだった。

副院長・事務長・資材課・師長1名・施設管理の職員ら数名が泊まり込むことになった。
職員の食糧がないことを案じて、帰宅した職員が大きな食パンを届けてくれた。
このころ中央区や厚別区で一部電気が来たという情報が入り、病院周辺でもすぐ隣まで電気が来ていたが、なぜか病院には来なかった。同じ区内で復旧はまだらだった。
こうなったら最悪長期戦を想定して動くしかない。
保健所や厚労省からも直接お電話をいただいたが、電気さえくれば、あらゆることが解決するのに。

あとは暗闇との闘いだった。
(つづく)

今年もジャガイモたくさん採れました

8月29日は芋ほりの日。
ひと月前から行事用のカレンダーに書かれていたので、みなさん楽しみにしていたようです。

前々日に3F病棟のナースから「芋ほりをしたらやっぱりふかしたジャガイモを食べて終わりたいよね」という声が上がりました。
そっか。そうだよね。ただ芋ほりだけじゃつまんないよね。

ということで栄養科の管理栄養士さんに、当日芋ほりをした直後に出来立てのじゃがバターを一口食べられるようにお願いしたところ、快諾していただきました。
いつもありがとう~~。

ボランティア・コーディネーターの鈴木さんにこの話をしたら、じゃがバターは持ちやすい容器で、使い捨てのスプーンをつけてボランティアさんが準備してくれることになりました。

さて当日何人くらいの方が来てくれるのか・・と思ったら職員が入れ替わり立ち代わり、車いすの患者さんを連れ出してくれて、ええっと途中から数えられなくなってしまったのですが、たぶん20~30人の間の方たちが来てくださいました。

[院長も見に来ました]

 

職員も楽しそうだし、患者さんも笑顔です。
順番にジャガイモを掘り出してもらって、小さいのから大きいのまで全部で120個ほど採れました。

[ひとつ採れた!]

 

今年は天候不順だったので心配でしたが、皆さんの熱意かな?期待に応えてくれたジャガイモたちです。

紙コップを小さく切った容器に、ふかしたおイモが一口分。
外の新鮮な空気を吸いながら、みんなで食べたじゃがバター。
おいしいと言ってくださって、喜んでいただいて、楽しいイベントでした。

今年もいろんな人に助けられたなあ。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
毎年ちょっとずつ進化しています。

人間的な判断はチームで行う~柏木哲夫先生の講演から

ホームケアクリニック札幌は10年前に緩和ケア専門の在宅診療所として産声を上げました。
当院総長の前野先生と田中師長さん、ソーシャルワーカーの故提箸さんの3人でスタートし、10年の間に変化しながら、地域の中で必要とされていることをコツコツ丁寧に続けてきました。

先日札幌市中心部で10周年記念の講演会が行われました。
記念講演をされた柏木哲夫先生は日本のホスピスを築いてこられた方で、前野総長の師匠です。
ということは当院のマインドも柏木先生の教えから続いているもの、ということです。
本もたくさん出版されています。どの本も温かい言葉でつづられていて、人は死の間際までユーモアを持つことができると、先生の本で知りました。

そんな先生の講演を間近に聴くのは初めてです。
聴衆の半分は一般市民の方でしたので、先生は易しい言葉を選んでお話されました。

人間的な判断はチームで行う

患者さんを診るとき、当たり前のことですが医師は医学的判断、看護師は看護的判断をします。ソーシャルワーカーは社会制度から見た判断、理学療法士は身体運動機能からの判断となります。
それぞれは専門的ですが一つの方向からだとその人の全体像は見えません。

一人一人の専門職集団が、自分の領域から見聞きしたことを一つの場で話し合い、情報を共有することによってその人の全体像をとらえることができるのです。
全体像を人として見て関わるためには、偏らないでメンバーが何でもいえる場を作ること、そして他のメンバーの意見を受け止めて、リーダーがそれをまとめる必要があるのです。
これが今医療界で言われているチーム医療です。
でもこれがなかなかできてないことが多いのです。
医師も看護師もソーシャルワーカーもそのほかの職種も、対等にモノがいえないところがまだまだいっぱいあるのです。

柏木先生は「人間的な」とおっしゃいました。
人間的な判断をするには医学的専門的判断だけでは偏りが生じるので、様々な視点が必要なのです。
いいこともよくないこともありのまま受け止める寛容さを、チーム全体で持つというニュアンスが、先生のお話から感じられました。
それには、弱さを出してもいい場を保証し、見下したりせず穏やかに話し合える場にならないといけないのでしょう。
見栄やプライド、専門用語で覆って、意見を言うと批判に聞こえてしまうような場や、話す人は決まっていて一言もしゃべらない人がいるのでは、表面的な話に終わってしまうのです。
医療者は特に謙虚で素直になって、他者の話をよく聴く必要があります。

って「言うは易き、行なうは難し」ですね。
若い世代が、基礎教育のところから一人の患者さんについて対等に話し合うトレーニングを積むべきじゃないか?と思います。
人間とは?とか生きるとは?という話を柔らかい頭で話し合い、患者さんの話を聞くことにもっと時間を割いたらいいな。きっと。

そうしてお互いに聞きあうことで、人間性がはぐくまれていくのだと思います。

新人時代お世話になった矢崎先生も会場に!

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人の話をよく聴いてないことが多い私は、ちゃんと聴こうと思います。

看護師、地域へ出る

病院の中で働いていると、私たち看護職員はまったくもって井の中の蛙です。
病院の中には様々なルールや日課があり、看護師たちはそれに則って仕事をしています。
入院病棟はある意味集団生活の場でもあるので、入院されている方にもその日課に協力していただいておりますが、ご自宅のような気楽な環境には遠く及びません。
国の方針も病院は減らして、地域で暮らすことを支える方へと向かっています。
そこで病院の看護師はもっと地域に出て施設や訪問看護師のことを知った方がいい、ということで
昨年(平成29年度)から、向かいの関連施設である特別養護老人ホーム・ケア付き住宅・デイサービス・ホームケアクリニック札幌さんにご協力いただきまして、月に1~2名の見学研修を受けさせていただいています。

お向かいの連携施設です。


1〜3日間の短い時間ですが、入居されている方が入院中とは違う明るい笑顔で過ごされている姿を見せていただき、看護師たちはうれしい驚きを感じて帰ってきます。
以下に感想の抜粋を載せてみました。

*外来では社会資源をうまく活用できていない方も多く、その人その家族に合った社会資源を多職種と連携してつなげていけたらと感じた。
*入居者が必要な情報を共有できるようにサマリーの内容を充実していきたい。
*知らず知らずのうちに考え方が固まっていたことに気付くことができた。看護師を続けていく上で、視野を広げるいいきっかけになった。
*施設では医療材料が限られているので、ご家族に負担がかからないように工夫をしていた。。
*在宅では、患者さんのお宅にお邪魔させていただいている、という雰囲気が非常に伝わった。ホストは患者さんで、私たちはゲストの立場になる。
*施設から病院に入院した場合には、普段の生活リズムを崩さないような生活への配慮が必要だと感じた。
*(入院していても)楽しい気分で過ごせるような対応がいいなあと思いました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
この気づきを消さないように・・一人ひとりが大事な力です。

続・楽しい時間を創り出すって楽しい


先週3F病棟で初の「お茶会」が開かれましたが、「お茶会」なんていう静かなネーミングとは違って、盆踊り大会でした。

詰め所前の小さなデイルームは天井から「祭」の文字がぶら下がり、中央には手づくりの太鼓が用意されました。CDからは北海盆唄が流れています。
音楽の背景には打ち上げ花火の音が入ってて効果的です。
法被を着た職員と車イスの患者さん、ボランティアさんやご家族を巻き込んで、狭いながらも楽しい盆踊りでした。
たまたま指示を出しに来たドクターも、そこを通るために踊ってくれて、みんな大笑い。

懐かしい音楽が心に触れたのか、涙ぐむ患者さんもいらっしゃいました。
30分程入れ替わり踊った後は、太鼓を病室に運んで患者さんに叩いてもらったり、写真を撮ったりしました。
バチの代わりのめん棒を握って、リズム良く叩く方。
太鼓をお腹にのせてご家族が叩いて体で振動を感じる方。
それぞれに楽しんでいただけたかなぁと思います。

そのうち、どこからか甘い匂いが立ち込めて来ました。

2F病棟では縁日企画で綿あめとかき氷のサービスが始まっていました。
気温は高くない日でしたが湿度が高かったので、かき氷に人気が集まると思いきや、綿あめの方がよく売れました。
ここにも先ほどのドクターが参加していました。

翌日、盆踊りの考案者に聞いてみました。
「最初のお茶会が盆踊りだとは思わなかった。発想がいいよね~。どうして盆踊りだったの?」
「丁度お盆だったから盆踊りをやりたいなあと思ったんです。スタッフにも協力してもらい、ご家族にも伝えて、ベッドから出られない方の所へは太鼓を持って行くからねって言っていたんです。」
「太鼓はどうやって作ったの?」
「段ボールと100均の壁紙で・・」

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
心を自由にして可能性を広げよう。

楽しい時間を創り出すって楽しい

毎週水曜日に行われるホスピスのお茶会。
ホスピス以外の患者さんやご家族にも楽しんでいただいてますが、何せスペースが狭いので、ゆったりとくつろぐという感じではなく、いつも申し訳ないなと思っております。

それで去年から障害者病棟でもハーモニカの演奏会を単発で開いて、より多くの方に参加して頂けるように企画してきました。
ホスピスのお茶会と同じ時間帯に行うので、ボランティア・コーディネーターの鈴木さんは大忙しです。院内を走り回ってどちらも事故なく上手くいくように見回っていました。

そんな時「病棟独自のお茶会をやってみたいんだけどいいですか?」と病棟師長より提案がありました。

病気が安定して、その人なりの健康度合いが維持できるようになると、病院の日常は退屈なものです。楽しんで出来ることや、興味のあることが出来たら、笑顔になるし、認知症の方にも気持ちのいい刺激になります。

すでに2階病棟ではカラオケ大会をしていましたが、今月3階病棟でもお茶会を開くことになりました。看護師と介護福祉士、ボランティアさんが一緒に考えていて、何をするかはまだ私も知りません、というか秘密裏に準備していて当日のお楽しみだそうです。
飲み物はちゃんと落としたホットコーヒーとカルピスの2種類。

この辺り、私はなーんにも口を出しません。
人を喜ばせようとすることには自由な発想が湧いてきます。
そして終わった後もきっとさらなるエネルギーが湧いてくるでしょう。
患者さんと職員の笑顔。それが楽しみです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
もっと看護師の自由度を上げよう!

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