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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

やさしい手、やさしいコトバ

歯医者に通うようになってもう4年目になります。
治療は最初の1年位で終わり、今は定期チェックとクリーニングだけに通っています。
先日「工藤さん磨き方が上手になりましたね。定期チェックの間隔をもうひと月延ばしましょう」とお褒めのコトバをいただきました。

私はこの歯科衛生士さん(Sさん)に絶対的な信頼を置いています。
治療していた1年間は、その都度日替わりの衛生士さんでした。
その中でひとりだけ、コトバのかけかたと手の触れ方が特別やさしい人がいました。

歯医者というところは寝椅子に座って身体を預け、「痛かったら合図してください」と言われる場所です。金属的な器械の音に気圧されて、完全に主体性はなくなり、いつ痛くなるのか、あるいは痛くなく済むのかもわからないので、終始身を固くしてじっと構えているしかありません。

そういう患者の心理と緊張をちゃんと推し量り、Sさんは「今は息をついて、力を緩めていいですよ」とか「さあこれからまた口を大きく開けてください」という構えをこまめに教えてくれるのです。私は素直にそれに従い、緊張と弛緩を繰り返しました。

毎回治療が済むと、他の歯のメンテナンスがあります。

Sさんは「この音、怖い感じがしますよね」と共感したうえで、「今日はこれを使うのは前の歯だけですから」と覚悟をつけさせてくれようとする。
器具を口に入れる瞬間の、手指の添え方がやさしい。
終わりころになると「あともう少しで終わります。」と目途を伝えてくれる。
Sさんは毎日毎日何十人も同じことを繰り返す。でも受け手の患者はそれぞれ違うわけで、今日その人は1回の治療に来ただけです。
あたりまえだけど、今目の前にいる患者のことを思って同じ声掛けを繰り返すのですね。
そこに一切の手抜きはなく、それが手とコトバを通して伝わってくるから、Sさんに安心して委ねることができるのです。

治療が完了してあとは定期チェックに通うことになった時に、私は考えました。
メンテナンスは歯科衛生士さんの仕事だから、できることならずっとSさんにやってもらいたい。
この人だったら私はストレスなく通える。
わがままかも知れないが、ダメもとで「歯科衛生士さんを指名できるでしょうか?」と尋ねてみると、できると言う。
私は小躍りする気持ちでした。

それから3年になります。
今のところ虫歯もなく、歯周病もなし。ありがたい。
万一この人が別なところに転職したら、ついて行こうと思っています。

翻ってわが医療の場でも、やっぱり信頼できる人は同じ。
正しい知識と技術を兼ね備えた土台があって、それを伝えるコトバや手がやさしく丁寧であること。
これに尽きますね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
仕事は人格につながっていると思う。

夜更けの事情

毎晩夜中の3時頃になると起きだして、ベッドの横にある床頭台(”しょうとうだい”と言います。引出の付いた物入れのこと)に入っているものを、出してはしまい、しまっては出す、を繰り返しているのは76歳のS子さん。

大部屋なので他の方が物音で目を覚ましてしまい、ついにうるさいと苦情を言われてしまいました。

当直の時に観察していると、確かに3時になると起きてベッドサイドにかがみこみ、戸をあけて中に入っている着替えの包みや洗面道具を出したりしまったり。
腰椎が折れて、入院した時には痛みで動けなかったとは思えない屈み方です。

看護師がやんわり止めようとする声は耳に入りません。
眼はぱっちりしているけれど、視点がここにないのです。
今なら「せん妄だね」と理解できるのですが。

「30分くらいでぴったり止めて、いつのまにかまた寝るんです」と受持ちナース。

後日ご家族に聴いてみましたら、ご自宅でコンビニを経営されていて、夜中の3時ころにお弁当が届くそうなのです。
息子さん夫婦が夜ぐっすり休めるようにとS子さんが夜中に起きて、工場から届くお弁当を受け取り、お店の食品棚に陳列するところまでを毎日の日課にしていたのだとか。
腰の骨が折れて入院しても習慣が消えずに続いていたんですね。
その様子を聞いて、息子さんが涙ぐみました。

数日後、痛みが落ち着いているということで、S子さんはご自宅に帰って行かれました。
約20年前の話ですが時々思い出すのです。

AI(人工知能)時代に看護の仕事は生き残れるか?

最近私はスーパーで買い物をするときに「セルフレジ」があるとそちらに行くようにしています。最初はもたもた、あたふたしましたが、今はだいぶ慣れました。普通のレジが大行列しているときは便利だし、バーコードを読み取る「ぴっ!」っていうのもなかなか楽しいのです。

いずれスーパーのレジの仕事はなくなっていくんだろうなと思います。

医療にもAIが入ってきていますが、その人の遺伝子や検査結果、画像と今起きている症状から予測される診断を上げることはもうすぐそこまできています。すでに微細ながんの細胞をみつけたり、その人に一番合った抗がん剤を選択したりもできるようです。
看護の場面では、バイタルサインのモニタリングから重症化を防いだり、認知症の方を見守り行動を予測して転倒事故を防いだり、車いすの自動運転で外出、なんてのもできそうです。その人の排泄のパターンを読み取り、そろそろトイレに誘導なんていうのもいいな。
看護師の看護記録は音声認識で記録され、傷の治癒は写真で確認していく。救急蘇生も音声ガイドがあれば慌てずに処置ができるかも知れません。

一人暮らしの高齢者のお宅にはロボットがいて、薬の管理や日常生活の見守りや話相手になったり、緊急時には救急車に連絡してくれるなど、在宅での療養生活を支えてくれると安心が増しますね。

昨年行ったデンマークでは、個人の暮らしや健康に関する情報がすでにクラウド化されていて、日本でいうと病院・かかりつけ医・歯科医・訪問看護ステーション・高齢者施設・ケアマネ・薬局らと相互につながり支え合うことができていました。市民一人ひとりもそこにアクセスして自分の健康管理を行いながら、必要な指導を受けられるようになると病院の役割は変わっていくでしょう。

さて、医者や看護師の仕事はなくなるでしょうか?

私はそうは思いません。AIによって診断や状態の把握のスピードは高まるでしょうが、診断名と治療法について総合的に説明し、患者さんが納得のいく方向を選択するのを支えるのは医者だと思うし、痛さ辛さをわかろうとする看護師のやさしい手は必要だと思うから。ましてやグリーフケア(悲嘆のケア)などはロボットには、まだまだまかせられないでしょう。
むしろ、看護本来のやるべきことに専念できるかも知れない、と期待しています。
機械に一部とってかわられても、医療者に求められるのは高いコミュニケーション能力と、全人的な関わりなんですね。
逆に言うと、コミュニケーションや思想・哲学・芸術についての教育がもっと必要になるかも知れません。

そんなことを妄想した2018年のお正月。
今年もこのブログにきていただきありがとうございます。
皆様にとって善き一年となりますよう、願っております。

 

2017年、何したかな?とふりかえる

2017年もあと数日ですね。
今年はどんな年だったのか、備忘録として書いておこうと思います。

「安らぎと信頼の看護を提供する」というのが看護部の目標でした。
病院の目標が「Healing」ですから、患者さん・ご家族へのケアに何らかの癒し的な要素が加わればいいなということと、やっぱり安全面で信頼できる看護でありたいという風に考えたものです。

病院にはいくつか物品をそろえていただきました。たとえば・・
新しいエアマットに切り替えていただきました。角度調節や熱がこもらないような機能があり、患者さん一人ずつの状態に合わせてセットできるようになりました。また各お部屋にはPPE(個人防護用具)ボードをつけてもらいました。これまでは患者さんの床頭台のスペースに置いたりしましたが、床頭台はあくまで患者さんのものですから、そこには置かず、出入口に一か所ボードをつけて、マグネットで手袋・エプロン・マスクを整えました。おかげでこれらの物品の回転も良くなりました。それからサクション(吸引)用ワゴンを購入し、物品類をひとまとめにすることができました。

「これがPPEホルダー」

 

ケアに関する勉強会も多数行いました。前年度の教育委員の人たちが、研修会についてのアンケートを取って、職員のニーズに合ったものを企画運営してくれたおかげで、優れた講師の方たちをお呼びして実のある研修になりました。それぞれの委員たちがユニークなスクリーンセーバーを作ってくれて、ミスにつながらないように注意喚起してくれたり、師長さんが主導で朝礼や終礼の在り方を変えてくれたりしました。こういった「モノ」と、「知識や技術の向上」との積み重ねにより、褥瘡の発生率・転倒転落の件数などが前年度より減少しています。

「吸引グッズのワゴン」

 

それからボランティアグループ「せら」のことも欠かせません。今年は人数が拡大し、活動内容もずいぶん広がりました。
職員向けに若石式リフレをしていただいたり、お掃除隊・ハーモニカやバイオリンの演奏などの機会が増えたほか、「あぐり~ん・プロジェクト」でイチゴ狩りや芋掘りなどを行いました。コーディネーター鈴木さんのリフレも、患者さんやご家族に好評です。また院内の飾り付けは職員も交えて、昨年よりも、ものすごく充実しました。

「キタアカリの花」

 

新年も、こうした小さなことをミルフィーユのように重ねて行きたいと思います。
ご縁をいただいた方、さまざまなお心遣いをしてくださった方、心から感謝しています。
今年1年本当にお世話になりました。
みなさまよいお年をお迎えください!

「出番を待つお正月飾り」

Special thanks to
*口腔ケア 葭内歯科:歯科衛生士の武藤さん *グリーフケア:フルート奏者の工藤さん *エンゼルケア:緩和ケア認定看護師の市川さん *おむつケア:大王製紙の松橋さん *カンフォータブルケア:旭山病院の南さん *ストレスケア:上前さん
*セラピー犬のみなさん *札幌徳洲会病院認定看護師:井畑さん・藤原さん・松田さん・田中さん *音楽療法:中山先生
*病院祭 ISD個性心理学コーナー:廣瀬さん・樋口さん・棚川さん・池田さん・小川さん、元ボランティアの伊藤さんと三島さん
*正文舎の白藤さん *フランスベッド株式会社の吉村さん *秋田:外旭川病院の寺永さん
このほかたくさんの方にお世話になりました。

家の力はすごいな!

今年看護部でやってきたことの1つに、介護施設と在宅緩和ケアを見学するという計画がありました。
百聞は一見にしかずと思い、お向かいの施設とホームケアクリニック札幌にお願いして、3〜5日間の見学を7名のスタッフがさせていただきました。
ことわざ通り、想像していた世界とは違っていたことがたくさんあったようで、レポートには新鮮な驚きが書かれていました。
ちょっとご紹介します。

「実際に訪問させていただいた患者様やご家族は本当にいいお顔をされていました。入院中は食事が摂れなかったのに、自宅に帰ったら食べられるようになった。笑顔が戻って生き生きしている。しっかりとした症状コントロールが出来ていることが大前提で苦痛が最小限に援助できているからだと思います。
入院中の患者様にご家族が面会に来られた際にはねぎらいの言葉をかけ、一緒に過ごす時間が穏やかであるように患者様の様子を共有するなどしてもっとコミュニケーションをとっていきたいです。また、今後自宅退院される方には自宅での生活を考え、今以上に細かく準備や指導などをご家族を含めて援助していきたいです。」

「家の力はすごいな!
在宅での看取りとは「療養生活の線上の最期に死がある」という言葉も印象的だった。」

「在宅では患者さんは居間の中や居間の隣にベッドを置いて、庭を見たり家族の動きを感じて過ごすことが出来ていた。朝起きた時に「今日は何ができるのか、何をしたいか」を考え、家事をされている方もいた。在宅では家族の役割が重要だけれども、家族を支える医師や訪問看護の支えがあれば、自分の思うとおりに過ごすことができるのだと実感した。」

「施設は生活の場であり病院とは違うという認識は持っていましたがそれ以上のものを感じました。病気を持っている人とそのご家族が安心して長く生活できるように、病院からのサマリーはもっと工夫が必要だと思いました。
以前入院していた方が元気に笑顔で過ごしている姿を見ることができました。
限られた医療材料しかなく、工夫しながら対応していることがわかりました。病院は恵まれていると思いました。」

この新鮮な驚きと学びは看護師としての厚みにつながるでしょう!
研修させていただいた施設とクリニックには大感謝です!

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
この取り組みは来年も続けたいな(^^)

簡単な仕事じゃないって知っているよ

朝礼スピーチで、あるママさんナースの話したことです。

「わたしは夜勤の時には家族の夕食の支度をして仕事に行き、夜勤明けで帰ったらその日の夕食を支度をしています。
ですが、あるとき夜勤明けでぐっすり眠ってしまって、気が付いたら夕方を過ぎていて、息子がすでに帰宅していました。
あら、大変、ごはんができてなくてごめんねって言ったら息子が
「簡単な仕事じゃないって知っているよ」
と言ったのです。
日頃家族同志で感謝の言葉など言ったことはないのですが、息子が「簡単な仕事じゃないって知っている」と言ってくれたこの言葉がすごくうれしくて、言葉って大事だなと思いました。
私も一番身近な家族に、感謝の気持ちをもっと伝えようと思いました。」

私はこういうスピーチにぐっときてしまいます。

(お母さんのしている仕事は)「簡単な仕事じゃないって知っているよ」(だから今日は特別疲れているんだね。お疲れ様。いつもごはん作ってくれてありがとう)
そういう思いが込められた言葉なんでしょうね。
夜勤のある仕事をしてずっと家族を支えて、きちんと食事を整えてきた母の姿を見てきたからこそ、の息子さんの言葉ですね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
感謝の気持ち、照れずに言おう!

病院名変更の朝がきました!

今年も早師走になりました。12月1日は、私たちにとって歴史の1ページに刻まれる日でした。
旧札幌南青洲病院は医療法人徳洲会 札幌南徳洲会病院へと変わりました。

経緯については院長のブログで↓
https://sapporominami.com/incho_blog/?p=1317

当日の朝礼は、札幌南徳洲会病院として職員に辞令が交付されました。
朝礼を行う講義室は、いつもより多くの職員が参加してわいわいとにぎやかです。

理事長から「総長」になった前野先生より、院長以下所属長一人一人に辞令が手渡されました。

院長はみんなに向けてこぶしを固め、元気に頑張るぞ!というメッセージを送りました。
私は順番を間違え、副院長を差し置いて、張り切って前に出てしまって大失敗!
ごめんなさ~い!ああ、恥ずかし~い!

辞令交付が終わり、前野先生の挨拶がありました。
去年の「日本死の臨床研究会」の事務局、今年は「第1回徳洲会緩和ケアセミナー」そして今回の「生協解散~事業譲渡」と様々な山を乗り越えてきた僕たちは、これから徳洲会という組織全体に緩和ケアを広めていくのがミッションなんだ、という前野先生の言葉に、心がアツくなりました。

これからが新病院に向けての本当の始まり。
日本一のいい病院にしよう。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。

認知症対応カンフォタブル・ケアに取り組みます

少し前のことになりますが9月28日、旭山病院でご活躍中の南敦司師長さんをおよびして、「カンフォタブルケア」について研修会を開催しました。
この研修はある師長さんの発案で実現したもの。道内の医療系雑誌「ベストナース」に掲載された南さんの記事を読み、「この人の話が聴きたい」と言ってくれたのです。こういう発案ってとても大事です。

南さんは関西ご出身で、以前は向こうで病棟師長さんをされていました。
そこで働いていた時に、看護師の厳しい言動や対応によって認知症の患者さんのいわゆる「周辺症状」が引き起こされていることに気が付きました。周辺症状と言うのは、認知症患者さんが不快なことをコトバでうまく表現できないために、徘徊や介護の拒否・異食などで現れる症状のことです。
そこで南さんは認知症の病態生理を徹底的に看護師に教え、看護師の表情や態度を「快刺激」に変える指導を行ったところ、患者さんの周辺症状が落ち着き、穏やかに過ごせるようになったそうです。

そして看護チームの連帯感やコミュニケーションが非常によくなり、チームビルディングにも効果があることがわかったそうなのです。

札幌に移ってこられて、現在いらっしゃる病棟でも実行していったところ、やはり同じ効果が生まれ、患者さんが穏やかになり、看護師たちもイキイキとケアするようになってきました。患者さんによいケアをしていることが広まって、見学者やそこを目指して就職を希望する人が増えたのだそうです。

南さんの講義は身振り手振りを大きく表現するだけじゃなく、近くの人とワークショップも行うので、非常に具体的でわかりやすく、飽きさせません。特別なことは何もいらない。ただ私たち看護者の姿勢や態度を変えていくこと。その人の問題点ではなく、できること、好きなことを探して行動すること。その人を尊重し人生を肯定していくこと。
あら、これはホスピスだってどこだって一緒じゃないか!あったりまえのことじゃないか!
同じくはできてないけど、ウチの病院もかなりいい線行ってると思う。

そして南さんは北海道全体にこのケアを広げて、認知症患者さんが暮らしやすい世の中にしたいんだと公言しているので、なんだか聞いている私たちも、力をもらった気持ちになりました。

うれしいのは研修後にウチの師長さんたちが「あのケアをぜひやりましょう」と言ってくれたこと、そしてアンケートの回答にも前向きメッセージが一杯書かれていたことです。
うん、今がチャンス。南さん ありがとうございました!

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
どの場所に来ても「ここへ来てよかった」と言われるように。

働く場を楽しくするにはどうしたらいいか

私、楽しくゴキゲンに働くのを信条としています。
だから楽しそうに働いている人が好きでして、
糸井重里さんみたいに楽しいことを仕事にしているのが理想なのです。
楽しみながら仕事しながら学んでいる、というのが最高です。

「プレイフル・シンキング 仕事を楽しくする思考法」(上田信行:宣伝会議)
は、尊敬する勝原裕美子さんの講義で紹介された本です。

一度読んで、それから時々ちょこちょこと読み返しています。
示唆に富んだ言葉が随所に書かれていて、親切にも太字になっています。

「プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう。どんな状態であっても、自分とその場にいる人やモノを最大限に活かして、新しい意味を創りだそうとする姿勢」であり、プレイフルな状態を生み出すための思考法が「プレイフル・シンキング」だと書かれています。

私自身、仕事が大好きで、看護師という職業は自分に合っていると思ってこれまでやってきました。
スペシャリストになりたいと思った時もありましたが、タイミングが合わず、勧められるまま管理の方へやってきました。
「どうせやるなら管理のスペシャリストに」という気持もあり、ドラッカーの勉強を始めたところ、すっかりハマってしまいました。
「成果を上げる能力は身につけることができる」と書いてあると、学んでみたくなりますもんね。

いろんな制約があるけれど、看護の仕事は患者さんの日常生活を支える小さな積み重ねの連続なので、その小さなことをいかに大事に続けられるか、とかその行為そのものに意味を見いだせるかだと思うのです。
口腔ケアを、「口腔ケアという看護業務」ではなく、いかに効果的に行って患者さんにさっぱりしてもらうか、合併症を予防できるか、笑顔を引き出す関わりになったかな、と思いながらやってみる。
AさんでうまくいったらBさんにも。
仲間にも広めてみんなでやってみる。
この連続。

そうして時々自分のしてきたことを振り返る。
得意な分野をもっと学んでみる。チャンスをつかむ。

看護師の世界はほんとに時間に余裕がないのです。
やらねばならぬことが目いっぱいあるし、看護師たちはみんなまじめだから、ちゃんとやろうと頑張るので。
毎日走り続けて頑張っている人たちに、時々立ち止まって考えて、楽しく仕事して、成長していける環境を作ること。
そして新たな楽しみを創りだして行けたら最高ですね。
そういう楽しさを現場の師長たちと一緒に「しかけて」いきたいと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
私の友達には天然のプレイフル・シンキングの人が多いな~。
すぐネガティブに陥りやすい私はうらやまし。

死の場面に間に合わないことについて ~ご遺族のお話を聴く~

11/9のグリーフ(悲嘆)ケア勉強会は、いつもボランティアで来て下さっているKさんに講師をお願いし、当院でお母様を見送られたご遺族としての立場から、お話を聴かせていただきました。
普段の講義とは違って、机を取り払い、車座になって対話形式です。医師・看護師・ソーシャルワーカー・薬剤師・ケアマネージャー・介護福祉士・医事課・・・・ほとんどの職種が集まっていました。

私は途中から参加したのですが、Kさんのお母様が当院に入院されていたときに、お母様の臨終に間に合わなかったことについて話している最中でした。
Kさんは家庭やお仕事を持ちながら毎日面会にいらして、つらい症状が少しでもよくなるようにと、看護師と一緒に考えながらお母様へケアを行っていました。
「明日の状態を少しでもよくするための、今日のちょっとした行動」は、状況が厳しい中でも有意義だったと回想していらっしゃいました。

小康状態が続いていたある晩のこと、プライマリーナース(担当看護師)が夜勤の巡回をしているときに、kさんのお母様の呼吸が止まっているのを発見しました。
看護師にとっても予期せぬ急な状態の変化でした。

その瞬間に「どうしよう、あんなに毎日熱心なご家族なのに、死の場面に間に合うように察知して連絡することができなかった」ととっさに思ったそうです。
ご家族が病院に来られるのを待つ間、その看護師は
「どうして”今夜あたりだ”って言ってくれなかったの?わかっていたら夜帰らないで泊まったのに」とご家族から怒られ、非難されることを覚悟していたそうです。
しかしKさんは一言も看護師を責めることなく、亡くなった事実を受け止めたそうです。
それが看護師には不思議だった。責められて当然と思っていたから。

Kさんは「ここに入院してから旅立つまでの間、看護師さんは一緒に悩みながらケアしてくれた。そのプロセスがあったし、あらかじめ突然死が訪れることもあると聞いていたので、間に合わないというのはこういうことかと思った」のだそうです。

五感を働かせて観察する私たち医療者にも、残念ながら前兆をとらえきれない死がたくさんあります。可能な限りお一人ではなく、ご家族に見守られる中で旅立ちができるようにすることで、死の事実の納得と受け入れがしやすく出来たらと思うのは、どの医療者にも共通することだろうと思います。「死に目に会う」ことを大事にするのは、日本の死の美学かも知れません。

ただ、私は若かりし頃先輩からこんな風に教わったことがあります。
「”死ぬとき(タイミング)”はその人が選んでいる。みんなに囲まれて逝きたい人もいるけど、誰もいないときに静かに旅立ちたい人もいる。寝ている家族を起こさないように、夜中にひっそりと逝く人もいる。」と。

Kさんのお話を聴いて、当時のプライマリーナースは長い間の胸のつかえが取れた様に、ほっとした表情を浮かべていました。
ご遺族からこんな風なお話しを聴けるというのは、なかなかありません。
けれども、こうして大切な人を中心に話し合うことが、やっぱり明日のケアをよくすることにつながるのだと思います。
私たちにとっても、グリーフ・ケアになりました。

Kさん 貴重なお話をありがとうございました。

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