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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

ご家族が認知症かも・・というときご相談ください

先日グループ病院の看護・介護部門の看護研究発表会が行われました。
新しい知識を学ぶとか、何か共通する物事を話し合うというときに、全国グループのスケールメリットを感じます。
当院からは外来の研究「認知症患者・家族との関わりについて考える」というテーマで発表がありました。

ふくじゅそう外来とは

当院には「ふくじゅそう外来」という風変わりな名前の外来があります。
認知症患者さんとそのご家族のための外来なのですが、認知症の方が「私は認知症じゃないかと思う。だから認知症を診てくれる病院にかかろう」と思うのはまれなことで、ほとんどの場合一緒に暮らしているご家族が異変に気づいて、どこに相談しようかと考えられます。

受診(病院で診察を受けること)することを決心したとして、「認知症の外来に行きますよ」というのはあまりにも直接的すぎて、「私は認知症なんかじゃない!なんてことを言うんだ!」と言われかねません。
それほどに認知症に関してはデリケートな側面があるため「もの忘れ外来」というようなネーミングをつけている病院がほとんどです。

当院でも抵抗感が少なく来られるよう「ふくじゅそう外来」という名前にしています。
ふくじゅそう外来ではコウノメソッドを取り入れ、「介護者保護主義」をコンセプトとし、共に暮らす介護者の負担軽減を重要な視点にしています。
認知症が進行すると単なるもの忘れにとどまらず、徘徊、火の不始末、もの盗られ妄想、暴力、異食(食べ物ではないものを食べる)、介護拒否などが起こることがあります。(個人差があります)
症状がひどくなるほど、介護者は対応に悩み苦しみ、周囲からの理解やサポートを必要としています。

介護者の関わりの変化で負担も軽減していく

認知症は残念ながら、現在のところ特効薬はありません。

「また忘れてる」「どうしてこんなこともできないの?」など、衰えて変化していく家族を理解できず、ついつらく当たってしまったりして、そのことに自己嫌悪を感じ介護者=家族の苦悩はどんどん深まっていきます。

しかし介護者が「大変だ」と感じていた症状は、薬の調整や関わり方のコツを知って対応すれば、落ち着いて過ごすことができるようになっていきます。それは結果的に介護者自身の心境の変化にもつながっていきます。

介護者自身が「負担だ」「どうしてこうなったの」「イライラする」など悲嘆や負の感情を抱いているより、「そういう病気だからしょうがない」と受け止め、「これはできなくなった、でもこんなことはできる」と、いい面に目を向けることによって、患者さんも安定していくのです。
外来の研究発表は「介護者の負担軽減の役に立ちたい」というコトバで締めくくられました。少しでも認知症の患者さんとご家族の力になれたら幸いです。

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。

ふくじゅそう外来に関する情報は

ふれあい平成26年3月20日号
ふれあい平成27年1月1日号
をご覧ください。

旅立つ場面に家族がそばにいられること

  • 私が看護学生のころの話です。
    「私はね、自分や自分の親ががんで死ぬとしたら、自分の子供たちに死ぬ瞬間立ち合わせてやりたいと思っている」と看護教員のT先生が話をされました。
    「臨床現場では、死ぬ瞬間救命処置をするために家族は部屋から追い出されることが多い。でも、予期していて、避けられないものなら、無駄な処置はせずに家族でその場面にいたいと思っている。特に今の時代、愛する人の死ぬ場面は、たとえどんな小さな子供であっても、見せてやりたいと思うの。」というようなことをその先生はお話しされました。

もう、30年くらい前の話です。

その後私は急性期の病院に就職し、臨終の場面では心電図モニターや点滴・酸素などがフル装備されており、呼吸の補助や心臓マッサージなどの蘇生処置を精一杯することが当然だと教わってきました。
蘇生の間はご家族には病室から出て頂きます。場所も狭いですし、心臓マッサージや呼吸の補助など医療者が動きやすくするためでありますが、もう一方でご家族にとっては蘇生のシーンそのものがショッキングな出来事だからです。

一定時間蘇生をし続けても回復が望めないと判断したとき、ご家族に病室にお入りいただいてモニター画面を見て説明をする、臨終とはそのような流れでした。医療者としても無力感を感じる瞬間です。

死ぬ瞬間をどこでどう迎えるかは誰にもわからない

私の頭の隅にT先生の言葉は残っていました。
59歳で母ががんで亡くなったとき、偶然ですが私は子供たちを立ち合わせていました。
蒸し暑い土曜の午後、幼稚園から子供たちを連れて母のもとに来ていました。

ぎりぎりまで家にいて、「(蘇生など)よけいなことは一切してほしくない」という母でしたので、入院した翌日でしたが点滴一本すら入っていませんでした。苦痛を取るための注射を一本打ったあと、主治医が診察に来るのを待っている間にすうっと命が閉じました。

息を引き取って数分後、父と私がひとしきり泣いたあとで、それまでじいっと部屋の隅にいた4歳の娘がとことこと近づき、母の枕元にぴょこんと飛び乗り、黙って母の頭をやさしく撫でたのでした。

死というコトバも概念もわからない年でしたが、ごく自然に子供たちはそのことを、しかもあっさりと受け入れてしまったのでした。周りで慌てたり泣いたりしていた大人たちを尻目に、なんと堂々とした受け入れの対応かと、わが子ながら驚いたのを覚えています。

大きくなった娘は、そのことを自分の体験としては覚えていません。
けれど折に触れて私が話すので「もう何回も聞いた」とあきれながら、記憶として刷り込まれているようです。

旅立ちという言葉

「死」という言葉を私たちは「旅立ち」という言葉に置き換えて使っています。
生々しさを払しょくし、柔らかい表現にという意味合いもありますが、死は誰にも訪れることであるから、医療者としては苦痛なく穏やかにその時が迎えられるように援助をすることが前提で、次の場所へ旅立つイメージを持つことが大事だなと私は解釈しています。

旅立つ場面に寄り添えることもあれば、みんなが寝ている隙に静かに旅立つ人もいます。それは(静かに寝ている人を起こしたくない)という患者さんの配慮だったのですよ、ということもあります。どんなにその人を愛し、思っていても、旅立つ時は思い通りにいかないもので、必ず何か後悔や思いが残ってしまうものです。

でもそうして何度も何度も繰り返し思い出して、生きている人が話をするというのが、「いつまでも心の中に生きている」ということであって、次の世代の子供や孫につながっていくことだなあと思うのです。
あの日が休みの日じゃなかったら、夜だったら、きっとあの場には立ち会えなかった。
私や私の子供たちが母の旅立つ場面に立ち会えたことは、とても有り難いことで、母からのギフトだと思っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
いつかT先生に会ってこの話をしたいと思っています。

病院の窓から冬の日の朝焼け

どんなタイミングでホスピス緩和ケア外来にかかればいいのでしょうか?

ホスピス・緩和ケアというと、「死を待つだけの場所」「治る希望のない最期の場所」とまだ多くの方が考えられているようです。

確かにホスピスという場所は死を迎える場所ではあるのですが、限られた時間を愛する人とともに大事に過ごし、「最後までその人らしく生き切る場所」であると私たちは捉えています。

人の生きる時間には限りがあり、すべての人は100%死んでいきます。
これだけは「絶対」と言っていいことです。
がんという病気に体の大部分が占有されたり、がんの状態そのものが進んで生命を脅かす状態になって、手術や放射線や抗がん剤などの積極的治療や、代替療法などが効果を出せなくなったとき、主治医から「緩和ケアを紹介します」と言われると、見放されたように感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

戦って戦いぬいて、これ以上の方法はもうなくて、紹介されてこられる方もいらっしゃいます。
それから痛みや辛い症状を抱えていらっしゃる方もいらっしゃいます。
あるいは、まだ診断を受けて初期の段階で、緩和ケアというところがどんなところなのか知りたいという方もいらっしゃいます。

緩和ケアにかかったら、もう積極的治療は選べないの?

やっぱりまだ病気ととことん戦いたい。
そうしたいと思ったら、いつでも相談できますし、適切な病院へ紹介することもできます。
新たな治療法を試してみたい、それもその方の意思決定ですから、私たちは支援します。
そんなことを言ったら医師に失礼にあたるのではないか、と思う方もいますが心配は無用です。

いつ、緩和ケアにかかればいいの?

結論から言うと、どのタイミングが適切かはその方によります。
そしてその方がどんなふうにこれからの時間を過ごしていきたいか、にもよります。

ただ、早く知って損した、ということはないようです。
むしろ早く知りたかった、もっと早く来ていたら有意義な時間を過ごせたのに、とおっしゃる方はいらっしゃいます。

緩和ケアに来たらもう退院はできないかというとそうでもありません。
痛みや吐き気などの辛い症状が取れることによって、体力の消耗がなくなり、動けるようになっておうちに帰る方もいらっしゃいます。

まず誰に相談するの?

 

当院ではメディカル・ソーシャル・ワーカーが窓口になり、病気とどのように戦って来て、今はどうご理解されているか、これから先どうしたいのかを、まずは詳しくお聞きします。

病気以外にも心配されていることをひとつひとつひも解いて、整理するお手伝いをさせていただいてます。そして医師・緩和ケア認定看護師らと情報を共有して、緩和ケア外来の診察を予約して頂くことになります。

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
まだまだコトバが足りなくて伝えきれませんが・・
死を考えることは、よりよい生を考えること、とわたしは考えています。

こんな朝礼やってます

あけましておめでとうございます。
札幌は穏やかな天気で年が明けました。

さて、今日は当院の日常風景をお伝えします。

よその病院では朝礼があるのでしょうか?
私たちの病院では朝8時半に、まずラジオ体操をしてから朝礼をしています。

真剣にやるとうっすら汗をかきます。

司会の人が挨拶したあと昨日の業務量を報告し、各部署からのお知らせなどをここで共有します。
新しい人が入ったらここで紹介したり、お別れする人もここで挨拶していきます。

そのあと3分間スピーチ。

年間でどの部署・どの職員が当たるかが決まっています。
基本的に何をしゃべってもいいことになっていて、趣味のことやおススメのお店のこと、最近ハマっていること、家族のこと、仕事で感じたことなど、さまざまです。
何を話題にするかにもその人なりの個性が出て興味深いです。

年末にはGさんがSMAP解散がどれほど口惜しいかについてアツく語ってくれましたし
年明けはSさんが「初夢はいつからいつまでに見た夢のことを言うか?」の豆知識をお話ししました。
Sさんは身近なことを調べてきて、データに基づいたお話をしてくれるので、いつもためになるのです。

 

出席している職員も真剣に聞き、スピーチが終わるとみんなから温かい拍手が送られて、ほっと一息です。

当院は「対等性」を大事にする文化があって、医師もその他の職員も、患者さんもご家族も対等であることが前提になっています。院長も「本当は院長って呼ばれるのは嫌なんだよね、でもそうはいかないよね」と言います。「先生、先生」と呼ばれて驕らないよう、ご自分のことを戒めているのと、医者になるまえにサラリーマン時代があったからと理解しています。だから私のことも「工藤さん」と呼んでくれます。
役職で呼ばれることは責任と自覚を促すことになりますが、一方ではよけいな鎧をまとうことにもなるなと改めて思いました。

あなたもわたしもただの人。
強みも弱みも持った普通の人。
それがスピーチの時の「何を言ってもいいんだよ」という雰囲気を生み出している気がします。

朝礼の最後には理念の唱和をします。

自分たちの理念がなんなのか、何を大事にしているかを毎日口にするのです。
暗記している人もいます。

私はこの基本方針の(4)と(5)が好きです。
暗記はしてませんが(笑)
こうして朝礼が終わり、職員はそれぞれの持ち場に帰っていきます。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今年も日常のこんな話をお届けしたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

朝ドラ「べっぴんさん」に見るドラッカー

注!ネタバレありです。年末年始にまとめて見ようと思っている方ご注意ください。

私は「あまちゃん」の頃から、朝の連続ドラマを録画して夜見るのを楽しみにしています。
夕ご飯を食べながら、15分という時間が、ちょうどいい気分転換になっています。

「まれ」「マッサン」「あさがきた」「ととねえちゃん」。
どれも仕事での苦難と成功が物語の軸になっていて、主人公は好きなこと、得意なことを仕事にして突き進んでいきます。

物語の展開とともに、「強みを活かす」「意思決定」「貢献」「時間管理」「集中」「イノベーション」など、ピーター・ドラッカーのキーワードを思い浮かべて見るようになりました。

「べっぴんさん」の主人公、すみれの夫ノリオさんは戦争から戻ってきて「坂東営業部」(という名前の会社)の社長にならんとしていました。それはすみれの婿養子だったからで、好きとか得意とかいうことよりも、「そう決まっていたから」でした。

苦手なことを克服する?

子供のころからなにを考えているかわからず、口数が少なかったノリオさんですが、社長になるためには、人前でしゃべったり、接待では道化役をしたりということに慣れなきゃいけません。「坂東営業部」で実質的な経営者である、義姉の夫のキヨシさんから、社長になるために様々な役割を与えられます。

しかし人前でしゃべることが苦手なノリオさんは、大事な時に体調を壊したりして、どうにもうまくいきません。
ノリオさんはあまり人前に出ず、会社の中で黙々と経理の仕事をしている方が得意なのです。

一方キヨシさんは、ノリオさんを立てて、自分は参謀役になろうとしていたのですが、ノリオさんが思うようにいかないのを見ていて内心歯がゆく思っていました。

好きなこと、得意なことに集中する

上手くできないこと、好きではないことを克服しようと頑張ることは悪いことではありません。が、そこに時間をかけるよりも、得意なことや好きなことをした方が、楽しいし、成果も上がります。

ノリオさんは自分が社長という立場に不向きだと言うことを知っていました。
周りの人も薄々そう思っていましたが、養子だから、会社を継がなきゃならない、という時代だったのでしょう。
苦手克服の無理をすることで、緊張と圧迫に輪をかけました。

12月24日土曜日の放送でようやくノリオさんが勇気を出して、坂東営業部を辞めることになりました。ちょうど主人公すみれの会社で経理の人が必要だった、というあたりは都合がいいようにも思いますが、まあドラマですのでご愛嬌。
よい機会を得て、得意なことに集中する。
人の役に立ち、貢献する。
ノリオさんの人生が変わり始めます。

そしてキヨシさんはいよいよ自分の番がやってきた、というところでしょう。
これで気兼ねなく自分で会社の舵取りをできる。
こちらの商売もうまく行く予感がします。

強みを活かす

ドラッカーの本には様々な名言がありますが、中でも私はこのコトバが大好きです。
自分と人の強みを発見し、いいコト、いいトコロを探すことを続け、楽しく仕事ができる環境を作りたいと思います。

今年も一年お世話になりました。
皆様どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

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O画伯のウエルカムボードも当院の強みのひとつ

病院で行うグリーフ(悲嘆)ケア~大切なご家族を亡くした悲しみに寄り添うことについて~

当院では大切なご家族を亡くされたご遺族にお手紙をお送りし、「ひだまりの会」「こもれびの会」という遺族会・慰霊祭を催しています。

私も今年着任したばかりなのでいずれも初めて参加したのですが、きっとご遺族の方も「何をするんだろう」と思いながら病院に来られたと思います。
詳しくは院長ブログやひだまりブログにも書かれていますのでこちらをお読みいただくとして・・

https://sapporominami.com/incho_blog/?p=1046

具体的には、病院の会議室を会場に、院長の挨拶とグリーフケアについてのお話を聞いていただき、そのあと黙とう・献花と続きます。フルートとピアノの生演奏が6曲ほど続いたあと終了となりました。その後茶話会を用意していましたので、十数名の方が職員と想い出を語り合うことができました。

11月に行われた慰霊祭「こもれびの会」に参加されたご家族の方々からアンケートが寄せられました。
私どもの開催した会合が、はたして心の安寧に役立ったのか、もっとよくするためにほかにできることはないか?とのご意見を頂戴するためのものでした。

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少し抜粋して紹介させていただくと・・
50名ほどの出席者の中で回答を寄せて頂いたのは30名弱、日時・場所・プログラムについてはおおむね「よかった」との回答をいただきました。

とくにフルートとピアノの生演奏については「心に沁みた」「音楽を通していろいろな思いが込み上げてきて涙が出た」「心が洗われるような演奏だった」という回答がたくさん寄せられました。

フルート奏者の方はご遺族でもあり、同じ立場でありながら音楽で人の心を癒そうとする様に、親密感と共にいたわる思いがひしひしと伝わってきました。音楽は言葉を尽くすよりもダイレクトに心に届くものですね。

悲しみの段階は人それぞれで、慰霊祭のご案内が送られてくることで悲しみを蘇らすことがあることを私たちは知っています。遺族会や慰霊祭は「行かなきゃならないもの」ではないので、来て下さった方たちは時間を作り、心構えをして、勇気を振り絞って来られたと考えて、私どもはお迎えしていました。

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「実は案内が来るたびに立ち直れず、時間が止まっているようでまだ深い悲しみに落ちていました。11/5勇気を出して参加してみてとてもよかったと思いました。なぜならアンケートを手にしても、落ち込みがなかった」と客観的に振り返ることが出来た方もいらっしゃいました。

「院長先生のお話にもあったように、悲しみやさびしさ、怒りの気持ちがありました。時間の経過とともに寂しさ、懐かしさ、後悔などいろいろな感情がわいてきます。でも慰霊祭に参加して、自分一人が経験しているわけじゃない、医療スタッフの方も亡くなった人のことを忘れたわけではないとわかってよかったです。参加者が心ひとつになって慰霊の気持ちを持つ時を共有できてとてもよかったです」

「病院で慰霊祭というのは普通のことなのか?初めてのことでわからなかったのですが、今回遺族という立場で思うことは死にゆく人に対してどういう心構えが必要なのか、遺されたものがどう受け止めたらいいのかをもっと知っておくべきだったと思いますし、学べたらいいなと思いました。院長先生のお話「グリーフの段階」は自分を客観視できてよかったです」

「仕事中の看護師さんが、白衣姿で献花に参加してくださり、感謝の気持ちでいっぱいです」

「慰霊祭で心に一区切りがつきました。前へ進むことができそうです」

 

など、さまざまなご意見をいただきました。
今年の札幌は異例の早い雪で、11月5日もべちゃべちゃの雨雪の日でした。
荒天にもかかわらずおいで下さった皆様、そしてアンケートをお寄せ下さりありがとうございました。
職員みんなで共有し、ご意見を参考にしていこうと思います。

 

畑にまつわるSTORY

この春から、私がお世話になった方に病院の玄関前の花壇のプロデュースをお願いしました。
なでしこ、マリーゴールド、カサブランカ、バラに朝顔、ダリア・・春から秋まで次々に花が咲くような仕掛けになっていて、飽きることがありません。
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欲が出て、病院脇の植え込みもきれいに整えて土を入れ、小さな菜園を作りました。
ししとう、ピーマン、ミニトマトなどを一株ずつ植えて野菜もたくさん収穫できました。

おかげで花壇や菜園を毎日楽しみにしてくださる方が増えました。
草取りなどをしていると、患者さんもご家族の方も、よく声をかけてくださいます。

「今は闘病中だけど、以前は家でたくさん野菜を作っていたんだ。キュウリやトマトがたくさんなって、近所に配って歩いたもんだよ」
「バラはよく観察して、虫や病気に気を付けるんだよ」
経験をもった方の一家言は学びになります。
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夏の終わりの昼下がり、一人のナースがじいっと花壇をみつめて言いました。
「部長がよく話しているのは、この花壇のことだったんですね。いつも出勤の時に通るのに、私はよく見もしないで通り過ぎてました。」
「そう、今は朝顔が見ごろだよ。ときどき立ち止まってみてごらん」
そんな会話をしました。
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彼女はしばらくの間、佇んでじっと花壇を見入っていました。
そしてこんな話を聞かせてくれました。

「○さんは毎日ミニトマトのところに車いすでお散歩に行ってました。日課だったんです。ある日のお食事にトマトがついてて、それがこの菜園で採れたものだと知って、○さん、お膳を見た瞬間号泣していました。笑い泣きしてトマトを食べたんです。毎日トマトの成長を楽しみにしていたけど、まさかご自分の食卓に載るとは思っていらっしゃらなかったんでしょうね。とても感激していらっしゃいました。」

生命の火を燃やし続けながら、野菜の成長と収穫を喜んでくださった○さん。
そしてそのことを私に伝えてくれるナースの感性。
そのナースはひととき、○さんの目になって菜園を眺め、そこで○さんは一体何を見て感じていたのだろうと、追体験しているかのようでした。
ありきたりなコトバでは表現しきれない思いがそのナースからにじみ出ていました。
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花も野菜も素人で、教えていただきながらの1年でした。
水や肥料、草むしり。日々観察し必要な手入れをするのは人を育てることにも通じ、ケアそのものでもありました。
一緒に活動してくれた仲間と、先日「畑の反省会」をランチョン会議で行いました。

患者さん・ご家族・職員同士のさまざまなコミュニケーションが生まれました。
野菜を収穫し、みんなで分け合っていただく喜びも感じました。
花や野菜を育てる、という新しい知識への喜びもありました。
単純に「花壇で患者さんに和んでもらえたら」という動機が、大きな成果につながりました。
ドラッカーの言葉で言うと「予期せぬ成功」の畑でした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
来年も楽しく畑、やります♫

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来年は、イチゴがなります♫

どんな手帳を使っていますか?

暮れの声を聴くころ、手帳のセミナーに行くことにしています。
きっかけは2年前、ドラッカーを学ぶ仲間から教えてもらいました。
そのころ私は手帳を使わず、スケジュール管理はYAHOOカレンダーで足りていました。

どこでも入力できるので重宝していました。のですが。

仲間から教わった手帳は「マンダラ手帳」http://www.myhou.co.jp/というもので、スケジュール管理もあるけれど、人生をどのように生きるか、を考える手帳だと言われて興味をもちました。
初心者は誰かに使い方をナビゲートしてもらった方がいいと言われ、それでセミナーに出かけることにしました。

そこではいくつかの質問を投げかけられました。

まずウィッシュリストを書く。なんでもいい。来年やりたい、と思っていることをとにかく思いつくままに書き出す。
どんな小さなことでもいい。3㌔痩せるとか、旅行に行くとか。月に一度外食をするとか。

たしか100行くらいあって、私は20個くらいしか書けないのに、周りの人は50も60もすらすらと書いていたように見えました。
そのあと、書いたウィッシュリストを8つに分類して蛍光ペンで色を塗ります。
分類は、「健康」「仕事」「お金」「家族」「社会」「人格」「学習」「遊び」の8項目になっていて、それぞれに自分で色を決めて下さいと先生に言われました。

「健康」は緑のイメージ。

「仕事」は気持ちがアガルようにピンクだな。

「お金」はいつもピーピーだから赤。

こんな感じで色を決めました。そして自分のウィッシュリストを1行ずつ分類していきました。
塗りながら気づきました。
私、ほぼピンク(仕事)の項目しかない・・・。

 

そのころはすべてが仕事中心でした。家に帰っても休みの日も。
週末は常に仕事を持ち帰り、何もしないまままた資料を職場に月曜日戻し、休んだ気もしないまま疲労だけが折り重なっていました。自分自身のセルフマネジメントがさっぱりできてなかったし、休みの日もON/OFFの切り替えができていませんでした。

 

手帳にはそのウィッシュリストを月に分けて実践行動として書き入れていきます。
月を書いたら今度は週の行動計画に落とし込みます。
計画通りに実行できたらチェックを入れます。実行したけどまだ終了していないものは翌週の計画に入れます。

毎週曜日を決めて、今週一週間のフィードバックと、翌週の行動計画を立てることを習慣化します。
私の場合大体日曜日の午後にカフェにこもってこの作業をします。

これがマンダラ手帳のだいたいのあらましです。

 

先生から月間の計画を立てるときに、

「今は仕事のことで一杯でも、月に一度でも「遊び」を意識的にいれましょう」
「8項目の色が必ず月のどこかに入っているようにしましょう」

と言われました。

そのころは「遊び」=オレンジ色 はほとんどなかったのですが、徐々に意識して「コンサートに行く」と書き入れました。書いて、オレンジ色を塗ると、それは楽しみな出来事としてインプットされるので、その日までにこの仕事を終わらせよう、とか、このときはすべてを忘れてうんと楽しもう、とか気構えが変わってくるのです。

それまでは「○○さんと食事」と書いても、それはその時間食事をする、ということの意味しかなかったのだけれど、オレンジ色を塗ることで「○○さんと会ってご飯を食べよう。どこで食べよう。何を話そう」と考えることが、とても楽しみになりました。

 

今年3年目になるその手帳に、今、来年の計画を書き出しています。
なんというか、今のウィッシュリストは感覚的にオレンジ(遊び)の方が多いかも知れません。
オレンジ(遊び)をたくさんするためにピンク(仕事)をしっかりやるよ、という気持で働いています。
というか、仕事も遊びもいっしょくたな感じかも知れません。

 

余白には気づいたこと、誰かが言ったいい言葉、胸が熱くなるような出来事を、なるべくすぐ書き留めることにしています。

自分に合ったいい手帳を使い、実践行動に移す、行動した結果をフィードバックすることは、時間管理になります。
私は「マンダラ手帳」を使うようになって3年、まだまだ修正の余地がたくさんあるけれど、人生の豊かさや密度の濃さは全然以前とは違うと感じています。いろいろな角度から人生を眺め、計画する思考が身に付くと、手帳の形にこだわらないような気もします。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今年もあともう少しですね。

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右が来年の手帳。赤にしてみました。

病院×アートの可能性とは?

11/29(火)第一回新築移転院内セミナーを行いました。

新築移転事業の成功の為に、「病院」「移転」などをテーマにさまざまなセミナーを開催することになりました。

その第一回目は「病院において癒しの空間をいかに創るか~病院アートの可能性~」というテーマで、「びょういんあーとぷろじぇくと」代表の日野間尋子さんをお招きしました。
日野間さんは病院の中に音楽や絵画・飾り付けなど多彩なアートを取り入れて、病院を快適な癒しの空間にすることをお仕事としていらして、臨床美術士・園芸療法士として国内外で活躍しておられる方です。

 

病院というところは病気やけがを治すところ。それだけでいいの?

 

最近新築された病院は、スタイリッシュで機能的な空間をつくられている所が多いですね。

医学的な思考や技術を持って患者さんの治療を行う病院に、アートは「創造的で柔和な問題解決の場をつくる」と日野間さんはいいます。

とかく私たち医療者は「エビデンスがあるのか」とか「治療成績としてはどれくらいなのか」という成果指標で評価する癖がついていますが、喧々囂々の議論の合間にアートでほっとする時間や空間を持ち、共有できたらそれは「創造的で柔和な」対話につながっていくのではないかと、私は思います。

それは単にきれいな絵を購入して飾る、ということだけでなしに制作者と患者さんと医療者が相互にアートを通じて交流することから始まるものだと思うのです。

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病院にはどこにでもアートの可能性はある

 

日野間さんの語る病院アートは既成概念を破り、病院の外にも中にも天井にも、縦横無尽に空間を使って自由な発想を表現するものでした。

もともとこういうことが大好きな私は講演を聴いていて胸がどきどき。
ああ、これやってみたい。
これもいいなあ。
今、うちの病院でもできるんじゃないか?

などと大いに触発されました。

数年前に訪れたニューヨークの病院では、CT室の壁に海中の絵が描かれていました。

CTのとき患者さんは天井や壁しか見ませんものね。

最近の新しい病院は、最初からデザインも素晴らしいですが、たとえ当院のような古い壁でも、広いキャンバスと考えれば、自由な発想でいろんなことができそうな気がします。

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人の手を通した温かさは病院だからこそ必要

 

当院のあちこちにある飾り付けは患者さんやご面会の方に大変好評で、職員も時々立ち止まって見ている人がいます。
手作りの温かさは見る人の心に染み入り、時に感動の涙をこぼすこともあります。

先日当院で行われた「ボールペン画の世界展」でも、制作者ご本人とご家族、医療者、見てくれたお客さんとの心の交流が深まりました。

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患者さんやご家族にはほんの一時でも病気を忘れさせてくれたり、職員には仕事の合間にほっとする空間だったり、アートが得意な職員は新たな着想を得る場所だったりします。

こういうことが、柔軟な頭と心、癒しにつながり何らかの影響があることを私たちは確実に体感しているのですが、採血データが良くなった、というように成果として表すのは難しいですね。

新病院建設の際には庭園も含めたアートプロジェクトとして、私たちの病院にも取り入れたい要素がたくさんありました。

日野間さん、ご講演ありがとうございました。

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お知らせ, アート> | 更新日:2016-11-30

保育士さんがいてくれるから働ける!(病院内保育所のお話)

 

保育園なしでは成り立たないママさん職員

当院の保育所は平成9年に開設され、来年で20周年になります。
はじまった当初から全職員のために開かれていたと聞き、ここで育った子供たちがたくさんいるんだなあと思いました。

かつて私も自分の子供たちを保育園に預けていました。

子育てしながら仕事をしていた時は、朝家で朝食・着替えと一仕事して、日中は職場で働き、夜家に帰ってからも夕食・お風呂・洗濯と一日中働いていた気がします。

これは今のお母さんたちと変わりないですね。

自分は夜勤明けでへとへとでも、子供は夜保育園で寝てきたので元気いっぱい。そのまま公園に行き、子供を遊ばせながら自分はベンチで居眠りしていたということもありました。

いいコトバも悪いコトバも、多少のケンカも覚えてくるし、賢くなってオムツからパンツにステップアップするのも保育園のおかげでした。

保育士が足りない原因のひとつは・・

ちょっと古いデータですが、平成19年度に病院の保育所を利用している子供は3万7千人(施設数2200)だったのが、平成20年度から急激に保育所の数が伸び、24年度には5万人(施設数2667)となっています。(平成24年度・厚生労働省)。
今はもっと増えているでしょうね。

院内保育所というのはそもそも看護師を確保するためのものでしたが、医師確保対策の一環として女性医師の働きやすい環境整備のため、平成20年から補助金が受けられるようになりました。

昼間だけ、平日だけの保育所と違って、病院職員の勤務はシフト制ですから、当然保育士さんも夜勤、夜勤明けなどで日中足りなくなるので、その分大目に配置が必要になるのです。

病院で患者さんが急変したり、緊急入院があると、看護師が残業になり、保育士さんもそれに伴い残業になります。
不規則な病院ならではの事情ですが、保育士さんが子供たちを安全に守ってくれるから、私たちは安心して働けるのです。

全国で保育士さんが足りないのは、きっと病院設置の保育所が増えたためでもありますね。

もっと安心して子育てできる世の中に

保育園があるおかげで成り立っている病院の仕事・・その陰で保育士さんたちの夜勤や残業につながっていると書きました。
双方がお互いに無理なくワークライフバランスを整えて働けたら、一番いいですね。

地域の中で幼稚園と保育園がドッキングして、夜勤や休日勤務にも対応できるようになったらいいなとか、看護師もそうですが、人数がたくさんほしいところに退職したベテランの保育士さんがパートで活躍してほしいなあとか、考えます。

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
子は大人の鏡。未来のすてきな大人を育てよう。

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