札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ
裏方のチカラ
以前一緒に働いていた総務課長さんは「総務課は職員が働きやすくなるために存在している」と言い切っていました。
医局や看護部などの専門職は患者さんに直接働きかける職種で、医事課は医療行為に対してきちんと報酬をいただくために存在する。その人たちが働きやすいように環境を整えるのは総務課の仕事。だから裏方役に徹して業者さんに偉そうな口をきいてはダメだとよく言っていました。
裏方も場数を踏むことで鍛えられ、研ぎ澄まされていきます。
お客様を(出演者を)温かくお迎えし、必要なものを過不足なく用意し、しかるべき時間に余裕をもってスタンバイする。
準備が9割。そして当日はあらゆる方向にアンテナを張って、1割のアドリブが要る。
滞りなく最後までスムーズだった、ということが大事で、形には残らないけどお客様が喜んで帰られたら、それが報酬みたいなものです。
先日ホスピス緩和ケア研修に来られた方は、ウエルカムボードについてこうおっしゃっていた。
「遠くからやってきて、右も左もわからず明日からどんな研修するんだろうと不安だった。でも玄関に入った途端この看板があって、え?私のこと?私のためにわざわざこんな看板書いてくれたの?って思って感動しました。ああ、ここにいていいんだ、迎え入れてもらったと感じました。看板一枚で私、ここに転勤したくなりました。そして写真を撮って、郷里の親や兄弟みんなにこの看板を送ったんです。そしたらみんなも喜んでくれて。」
それから先日当院で初めて開いたELNEC-Jという2日間の研修会でも、総務課がスキのない準備をしてくれたおかげで、講師たちがずいぶんと動きやすかったと思います。資料のファイルから当日の受付、おやつのセッティングまで心意気が感じられます。
「研修に来て、こんなにかわいいネームプレートは見たことがない」と絶賛され、私も少し鼻高々になりました。
いつもこのブログに来ていただきありがとうございます。
一人でできることなんて限られてる。感謝しかありません。
明日への力になれば
私どもの病院では年に一度、慰霊祭「こもれびの会」というのを開いています。
当院で亡くなられた患者さんのご遺族に連絡を取り、お越しくださった方々と秋の土曜の午後、献花をして共に故人を偲び、思い出を語り合う時間です。
悲しみの深さは人によってさまざまで、受け入れるまでの段階を行きつ戻りつしながら、日にちという時間がかかります。
人によってはすぐに仕事に戻らなくてはならなくて、しっかりと悲しみを感じる暇さえない方もおられます。逆にふとした瞬間に故人を思い出して涙し、日常を取り戻すことが難しい方もいらっしゃいます。
大切な方を失った病院には、なかなか足が向かない方もいらっしゃると思います。
絶対行かなければならないものではないので、気持ちが向かなければそれはそれでよいのです。
会の当日、悲しみに沈んで家に閉じこもりがちだった方が、病院からの連絡を機に少し勇気をもって来てくださり、職員と再会を抱き合って喜ぶ姿がありました。
仕事帰りに毎日面会に来られていたご家族さん、亡くなるまでの数日間ずっとそばで付き添っていらしたご家族さん、旅立つときにそばにいられなかったご家族さん、それぞれの思いがありました。
あれからどうしていましたか?
体調崩していませんか?
(亡くなられた)お父さん、こんなこと言ってみんなを笑わせてましたよね。
なんて話を泣き笑いしながら語り合い、まるで同窓会のようでした。
人生のある時間を共有し、時に病気と闘い、涙し、支えあった時間。
少々図々しいかもしれませんが、私たちはご家族とチームだったと感じております。
私たちも皆さんの言葉に癒され、力をいただきました。
明日からの日々が、ちょっとでも過ごしやすくなっていただければ幸いです。
今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
皆様に心の安寧が訪れますように。
将来どんな職業に就きたいですか?
「拝啓 赤とんぼの群れが飛ぶ季節となりました。
先日は私たちの職業体験学習にご協力いただきありがとうございました。
今回の体験で私は多くのことを学ばせていただきました。
中でも印象に残っていることは「職についてから何になるのかが大切」というお話です。
そのお話を聞いたとき、私はその通りだと思いました。
きっかけは何だってよくて、なってからどんな働きをするか。それが社会人として生きていく上での大切なことだと実感しました。
院内見学や体験学習などとても貴重な体験をさせていただき、心から感謝しています。訪問が終わってからも私たちは興奮が冷めず、職業体験についての話をたくさんしていました。
本当に楽しかったです。」
楽しく終わってよかった。これは先日当院で行われた、職業体験学習にきた中学生のお礼のお手紙です。丁寧な字で心を込めて書いてくれたのがよく伝わります。
「職についてから何になるのかが大切」という言葉は深い言葉です。
「14歳のハローワーク」という本が一時ヒットしましたが、頭のやわらかいときに、さまざまな仕事を知るというのは良い機会だと思います。
育った環境や自分を取り巻く大人がどんな職業かは子供に影響しますし、身近にいない職業は想像しにくいものです。
先日一級建築士の方とお話したときに、私はふと建築士になるためにどんな勉強をするのか、ネットで調べてみました。学校を出たあとで数年実務経験を積まないと受験資格が得られないそうで、医療職とは違うのですね。(というか、医療職もそうした方がいいかも知れません)
建て主とチームで話し合いながら、何もないところから一つの建物を完成させていく、その過程には対話が欠かせないとお聞きしました。
希望を聞き、精一杯希望に合わせるけれども、時には折り合いをつけなければならないこともある。その時には信頼関係が重要である。最後に納得のいく建物が完成して、ひとつの作品となっていく。できた作品について、目を輝かせて話す建築士の方を見ていて、子供のころ私の周りには建築士の方はいなくて職業選択の候補にもならなかったし、頭の出来が違いすぎてなりたくてもなれなかっただろうけれど、モノを作る仕事もいいなあと思ったのでした。
仕事を熱く語る副主任たちのおかげで、中学生が興奮して冷めないほどの、よい体験につながって、私もうれしいです。この中から数年後「あの時の職業体験が楽しくて、看護師になりました」っていう人がいたら本望です。
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生まれ変わったら何になりたい?
楽しく続けて、ユル〜く続ける。
「部長、今日はこれから不定期開催のお茶会をやります」と電話がかかってきました。
今年になってから、障がい者病棟でもいろいろ、イベントをやっています。
「何曜日って決めちゃうと義務的になるし、急な出来事でできなくなるとがっかりさせてしまうから、今日は落ち着いてるし、いいな!っていうときに突然やることにしたんです」と師長さん。
いいな、そういう考え方。
日にちを決めて準備をするやり方もオッケーだし、こういうユルさもオッケー。
本質は人を喜ばせることにあるから。
以前は「突然縁日」をやっていました。
わたあめとかき氷だけの。
今回のお茶会はミルクコーヒーとカルピス。
コーヒーはちゃんとカップとソーサーで出されます。
おやつは小魚と豆のお菓子。
介護福祉士のSさんが前に立ち、絵本を取り出して読み語りを始めました。
へええ、こんなことする人だとは知らなかったな。
新しい才能発見!
看護師たちも患者さんの傍らに座り、話しかけて、笑って、い~い感じです。
もうひとつの病棟では先日モーツアルトのCDをかけながら、優雅なお茶会をしていました。
嚥下体操っていうのをしてた日もあったな。
企画する人は楽しそう。
人を喜ばせようって気持ちがあると、その仕事は楽しい。笑顔の連鎖。
写真をお見せしたいけど、ブログではちょっとね。
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何か、まだまだいっぱい、いろいろできそうな予感。
緩和ケアに集う人は穏やかでやさしい人が多い?
10月20日(土)第2回徳洲会グループ緩和ケアセミナーが開催されました。
全国のグループ病院から80名以上の緩和ケアに関わる医師・看護師・社会福祉士・理学療法士らの専門職が集いました。
緩和ケア病棟を持つ病院は少しずつ増えてきていますが、「緩和ケアチーム」で活動しているところも多く、急性期病院の中での緩和ケアの確立にご苦労されているところが共通していました。
四十防院長の基調講演のあと、当院でお世話になっている臨床宗教師・米本智昭さんと、当院を卒業して今帯広で初の緩和ケア病棟を立ち上げた、今井貴史先生の特別講演が行われました。
昼食後は6病院から取り組みの発表があったあと、事例に基づいた多職種連携のワークショップがあり、今日初めて会った人たちとは思えない和やかで患者さんファーストの意見交換がありました。
緩和ケアに集う人たちは、医療者の中でもとりわけ穏やかでやさしい人が集うのでしょうか?
私は2年前にこの病院に来た時に、数日間緩和ケア病棟を観察しスタッフについて回りました。患者さんが何を求めているか、に常に焦点をあてて多職種で話し合い行動する。この積み重ねが自然に行われていました。何気ない、よもやま話の中にも患者さんの周辺の情報交換があり、その人の人生や価値観を尊重しようとする姿勢がみんなに浸透していることに、正直驚いたものです。
看護師たちは、本当はこういう仕事をしたかったのではないのか?という気持ちになりました。
病名にかかわらず、患者さんのニーズに応じたケアを提供し、消耗を最小限に、回復を助ける、そのシンプルさが今とても複雑化しています。
抱えきれないほどの責務とルーティンワーク(それすらも本当に必要か確かめられてないものもある)に忙殺されて、今目の前にいる患者さんがどんな表情をしているかを見失っているとしたら、それは看護の本質からずいぶん離れていることになります。
患者さんの出来事のあちこちにアンテナを張って、今よりもよく生きられることに力を発揮するはずの看護師が、制度の漏れを防ぐことにアンテナを張ったり、組織の同調圧力などに負けて「よいケア」よりも「効率性」を優先せざるをえないというのは、自戒をこめて管理者の責任が大きいと思っています。
当院に転院してこられた患者さんが、前医を退院してくるとき、詰め所で「お世話になりました」とあいさつをしたのに詰め所内にいた看護師が誰一人顔も上げずパソコンに向かっていた、患者さんはそれ以上何も言わずに荷物を持って出てきました、という話を聞いたときに、私は憤りを通り越して情けなく悲しくなりました。
そんなことはあってはならないことです。
懇親会の最後に東大阪病院の院長が「ここに集っている人の中から、きっと次世代の院長・看護部長が出てくるでしょう。孤軍奮闘している人も多いが、ここに来れば仲間がいて、お互いケアを受けることができる。がんの人も心不全の人も老衰の人も、必要な人がみんな、緩和ケアを受けられるように頑張りましょう。」とおっしゃられて、こぶしに力がはいりました。
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前野総長もたいへんだったんだろうなあと歴史を感じます。
緩和ケアって何をするところですか?
「緩和ケアって何をするところですか?」という質問をいただきました。
最近、直球勝負の質問が多くタジタジが続きますね(^^)/
ひとことで言うと、治癒が困難ながんを患った患者さんに対して、苦痛とつらい症状をできる限り和らげて、その方らしく最後まで有意義に過ごすことができるように支える医療ケアのことを緩和ケアといいます。
患者さんを支えるご家族も困難に直面していますから、大切な人と大事な時間を過ごせるように、サポートしていきます。
人はがんと診断されるとまずがんを取り除いたり(手術)、小さくしたり(放射線や抗がん剤)という治療に向かっていきます。
がんの場所や程度、転移した部位により、治療も変化していきます。いわゆる末期がんでも治療がないわけではありませんが、戦って勝ち抜くことが難しくなるときがあります。
「これ以上治療するのは困難なので、あとは緩和ケアに行ってください」と前の主治医に言われ、絶望的になってこられる患者さんもいらっしゃいます。
もっと早い段階で緩和ケアを伝え、相談や見学をお勧めする過程があると、患者さんを傷つけることもないだろうになあと思いますがこの辺は医療者側の課題ですね。
緩和ケアに来られた患者さんとご家族には、それまでの病歴やその方の生きてこられた歴史、価値観とともに、これから何を希望されるかなど、じっくり時間をかけて伺います。
「こんなに私の話を聴いてくれた病院は初めてだ」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、私たちの緩和ケアはまず対話が基本です。
お話を伺った後、今あるつらい症状をできるだけ取り除くことに焦点を当てます。
痛みや吐き気、体のだるさ、抑うつ、不眠など不快な症状は、単に体の不調からだけではなく、心理的なことや社会的なことから来ている場合もあります。
そのため医師・看護師・ソーシャルワーカーを中心として薬剤師・理学療法士・臨床心理士・音楽療法士・ボランティアなどチームで患者さんを支えています。
ベッドで起きるのが精いっぱいだった方が苦痛から解放されて、車いすで動けるようになることもありますし、時にはご自宅へ帰られることもあります。
最後までその人が積極的に生き、心地よく過ごせるように、また命の終わり(旅立ち)を自然な過程で迎えられるようにと考えています。
現在日本では緩和ケア病棟にはがんと後天性免疫不全症候群の病名がついた人しか入れません。
どんな病名であれ、尊厳を大事にした最期を迎えるために誰でも緩和ケアが適応になるべきでしょう。
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非常時だからこそ寄り添う
地震からひと月が経ちました。
まだ時々余震があるので、安心とはいえないのですが、防災に関することをあれこれ、整えている最中です。
先日師長会議の中で、災害時に普段やっている業務内容の中で何を優先するか、について話し合いました。
ポストイットに項目をかき出して、重要×緊急度が両方高いものから低いものまでを並べてみました。
一番優先されるのは生命にかかわることで、人工呼吸器や酸素吸入・吸引・つらい症状に対する処置などが筆頭。
2番目は人間として生きるための基本的ニードで、水・食べ物・排泄・寝ることです。
3番目はすぐではなくてもいいけれど、体を清潔にすることや合併症の予防など。
最後は入浴やリハビリテーションとなりました。
病院によっても多少違ってきますし、病院の中のほかの部署でもやってみるといいかなと思います。
話し合いの中で、つらいと思う症状にはやはり待ったなしの対応が求められると、ホスピスの師長が言いました。
それから優先度3番目に「癒しのケア(寄り添うことやタッチング)」が入っていましたが、状況によってはこれが1番に上がる場合もある」と病棟の副主任が言いました。
実際9月6日の時にも「すべてを投げ出しても今はそばにいて寄り添うことが大事だ」と言い切った師長がおりました。
じゃあ、普段していることで本当に大事なことは何なのかなと、逆に考えさせられます。
やれ転倒防止だ、やれ看護記録だと看護師たちのやるべきことが本当に多すぎて、どうしても効率重視にならざるをえなくなっています。
ばたばたと走っているスタッフの前に、じっくり寄り添っているスタッフや手のマッサージをしている人がいたら、「なにやってんの?座ってる暇あったら手伝ってよ!」と厳しい一言も出かねないのが病院という現場です。
でもこの師長さんたちは、患者さんとちゃんと向き合おうとし、そのことを共有しあえるんだなと思ってうれしくなりました。
そしてもうひとつ、地震の夜に看護師Aさんがある患者さんに言った言葉。
「大丈夫、〇〇さん一人くらい、私かついで逃げるから。安心して!」
といったそうな。
その言葉を聞いて「すごく安心したんだ。ここに来て本当に良かった」とおっしゃってくださったそうで。
患者さんにどんなケアを提供するのかをポジティブに考えられるって、すご~く大切なことだと思うのです。
いわゆる業務優先じゃなくって良かった。
いい人がいっぱいいるなあ。
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こういうことで、感動するんです。
幡野広志さんの本のこと
今日は幡野広志さんという方が書いた「ぼくが子供のころ、ほしかった親になる」という本について、おすすめしたいと思います。
きっかけは糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」で知りました。
35歳のカメラマン。
2歳の息子がいる。
多発性骨髄腫で余命3年と言われた。
本の帯には谷川俊太郎さんの言葉。
これだけでそそられました。
いわゆる闘病記とかではないし、お涙頂戴的なつくりでもない。
もっと、どちらかというと乾いている。
がん患者となって自分は変わらないのに周囲の様相が変わっていくことに、幡野さんは驚きながらも冷静に観察している。
がんになったことで周囲から安易なアドバイスをされることが多くなったという。
少しでも良くなってほしい、長く生きてほしい一心で言ってくれる友人知人。
それらは善意の優しい手だが、幡野さんの思いとは少し違う。
ブログでがんを公表するとさらに善意が増えたという。
サプリメントや怪しげな代替療法を教えてくれる人。
これをすればよくなると勧める宗教の勧誘。
それには根拠もないし、当事者の体験でもないものも多くある。
それを幡野さんは「優しい虐待」と評する。
うわべだけのやさしさや、怪しげな売り込みがひたひたと近づいてくる。
藁をもつかむ気持ちのがん患者の心にそっと近づき、「インスタントラーメンにお湯を注ぐように」気軽にアドバイスする人を幡野さんは鋭く見分ける。
私は実はこの本を読んでいない。
発売してすぐになかなか手に入らない本となり、アマゾンに頼んで
北海道胆振東部地震が起きる前日にようやく届いた。
地震のあれやこれやは一応収まったのだけど、自分自身の心身のバランスがもうちょっと静かになってから読みたいと思っている。
なぜ本の中身を知っているかというと、幡野さんのツイッターを追っているから。
そこには本の読者の感想が載っているし、幡野さんのつぶやきを読んでいると人柄がわかるから。
そして糸井さんとの対談を読んだりしていると、おのずとわかってくる。
だから、もう少し待ってから一気に読もうと思っている。
この本は幡野さんの息子さんに向けて書いているのと同じくらい、私たちに向けても書かれている。
生きること、愛すること、死ぬまで成長し続ける存在であること。
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もっと詳しく知りたい方向けにはこちらをどうぞ。
https://shuchi.php.co.jp/article/5554
お見舞いの定義って・・
「お見舞いの定義って何ですか?」と聞かれて、私はとっさに答えられませんでした。
「お見舞いとコミュニケーション」をテーマに、市内の大学生さんが当院を見学にいらっしゃいました。
お話を伺っていくうちに出てきた質問です。
当院では職員とボランティアさんが院内にさまざまな飾りつけや絵画・園芸による癒しの空間を作ってくれています。
患者さんやご家族、職員もしばし立ち止まって作品に見入ります。
作品から自分が子供だった頃や、子育てをしていた時を思い出したり、季節を感じたりすることがあり、コミュニケーションの一つのきっかけになっています。
それから当院では患者さんの写真をよく撮影します。
イベントはもちろんのこと、誕生日やお孫さんがお見舞いに来た時など、写真を撮ってプリントし、ベッドから見えるところに貼って思い出を楽しんでいます。
お見舞いに来られたご家族にも、楽しそうな表情を共有していただけるので、患者&家族&職員のコミュニケーションツールとしては、今のところ最強だと思っています。
さて冒頭の言葉。
一般の方にとって病院は縁遠い場所です。
近しい方が入院したときに初めて、お見舞いとは・・を考えるのでしょうね。
お見舞いのマナーは本やネットで調べられますが、患者さんの容態や、大部屋ならお部屋の雰囲気によって、お見舞いの人がどんな振る舞いをしたらよいか、声の音量はどれくらいまで許容されるかは、場や関係性で違いますので正解はありません。
お見舞いにはそのほか季節のお見舞い(残暑お見舞い)とか陣中見舞い、「ちょっと一発お見舞いしてやるか」などぶっそうな使い方もあります。
先日の地震後には震災見舞いをいただきました。ありがとうございます!
個人的には先日知人が入院している病院にお見舞いに行ってきました。
手術後数日経っていましたので、手術にまつわる患者体験を聞かせていただきました。
お見舞い客をうれしく思うかはご病気やけがの程度、タイミングにもよります。
誰にも会いたくない、自分の姿を見られたくないということもあるでしょうし。
身近な方にお見舞いに行ってもよいかどうか、行くならどんな時間帯がいいのかを尋ねておいたらよいですね。何か必要なものがあれば(あるいは持ち込んではだめなもの)聞いて準備ができますし。
お見舞いの定義は「病気やけがをしている人を案じ、励ましたり元気づけようとする行動」ということでどうでしょうか?
ありきたりですけど。
人を案ずる気持ちは形でもなく、時間でもないような気がします。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
医療関係者じゃない方のお話って、ためになるな!
一番大事なのは患者さんを安心させること
今回の地震では非常時にとるべきリーダーシップについても考えさせられました。
普段はスタッフの意見を吸い上げるフラット型のリーダーシップを心がけていますが、非常時はやはり専制君主型の方が物事が早く的確に進みます。
限られた時間内に情報をとらえて、素早く意思決定することが求められるし、
決定したことは具体的で明確に伝えなければならない。
今回活躍したのは現場の師長さんたちでした。
電気が使えないし、水も制限がある。
できるケアは限られている。
いつも通りの温かいタオルは提供できないし、お風呂にも入れられない。
食べる・出す(排泄する)・寝るをしっかり確保してこの危機を乗り切ることが最優先です。
「一番大事なのは患者さんを安心させること。」
こう、言い切った師長さんがおりました。
私はそれを聞いて逆に覚悟が決まった感じがしました。
情けないですが私は予想外のことに瞬発力で対応するのは得意ではありません。
だからこの師長さんの言葉で「よし!」と背中を強く支えられた気がしました。
電動ベッドのギャッジが上がらないのは、代わりに布団を丸めて背中に差し入れる。
暗闇で怖がっていたら、患者さんのそばにいるようにする。
体は拭けなくても口腔ケアはいつも通り。
状況は刻々と変化するので、その流れをつかみつつ、言うべきことはシンプルに。
「一人暮らしのスタッフで、ご飯を確保できていないんです。」
「子供を置いてくるのが不安で連れてきました。今一緒に働いてくれてます」
非常時に働くスタッフへの気遣いも忘れずに、伝えてくれる。
ありがたいことです。
この期間看護師たちの患者さんを守る集中力が高かったせいか、大きな事故もなかったのです。
今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
師長さんたちの緊張もかなり強かっただろうになあと思います。