お知らせ
病院の「おまあ指数」を考える
ドラッカーの「マネジメント」を学ぶ読書会で、以前こんな話を聴きました。
ウナギ屋さんで会計するときにお客様から
「おいしかったよ」
「また来るね」
「ありがとう」
という言葉をかけていただいたら、それを紙に書いてカウントしていくそうです。
それらの頭文字をとって、「おまあ指数」と呼びます。
おまあ指数がお店の評価であると受け止めるのだそうです。
それらの言葉をいただけるように、店員さんが何をしたらいいかと考え、行動するそうです。
それ、すごくシンプルでいいなあ。
調理する人は一番いい状態で食べてもらおうと努力するし、
ホールの人は心地よい空間を整え、明るい笑顔でお迎えしよう、と思うでしょうし。
「こうしなさい」という上からの指示命令ではなく、
自らどうしたらお客様に喜んでもらえるかを考え行動する。
これこそが目標管理ですね。
何か病院でも応用できそう。
病院は「在院日数」「治療成績」「手術件数」「ベッド稼働率」という数値目標で測られることが多いけれども、
本当に患者さんのためになったのか、満足していただいたのか、についての指標が少なくて(いや、私がわかってないだけかもですが)、年に一度の患者満足度調査だけではあまり効果的ではないと感じています。
「ありがとう」
「ここへきて良かった」
「やさしい病院だね」
などと言っていただけるとうれしいな~~
「あこや指数」⁈
でもせっかくだから、これは師長さんたちと話し合う材料にしよう
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しく行動できるのがいいよね~
心の揺れも含めて患者を支え抜く
第42回日本死の臨床研究会in新潟に行ってまいりました。
2年前に初めて参加したのが札幌、去年は秋田で一般参加。
3回目の今年は少し頑張ってポスター発表で参加してきました。
緩和ケアの師長さんとスタッフも同じくポスター発表で計3演題、クリニックから事例検討会1題と豊作でした。
研究会は2日間、講演会やシンポジウム、事例検討会の他にミュージカルなど多彩です。
どのセッションも興味深いタイトルがついてそそられます。
今回私が聞いたのは「人生の最晩年の生を支える」(桑田美代子さん)と「認知症と共に生きる人たちの人生を支える」(水野裕さん)の教育講演、それから「急性期病院での終末期患者との関わり〜意思決定支援のありかたを考える〜」(生田陽子さん)の事例検討会です。
それぞれ深いお話ばかりですが一つ印象に残ったのは・・
急性期病院で患者さんにバッドニュース(悪い知らせ)を伝える時の医療者側の覚悟について。
たとえば・・の話ですけど。
主治医はこれまでAさんの病気について検査し、一番適切と思われる治療を行ってきました。
しかしその治療には限界が来ており、積極的な治療は難しく、あとは穏やかに過ごせるような方法を考えた方がいいと考えています。
それは今いる病院ではなくて、別な場所(ホスピスや療養病棟や自宅)に移動することを意味しています。
Aさんご本人とご家族に病院に来ていただき、主治医から治療の限界や予後について説明します。
患者さんは驚き、がっかりし、お話を受け止められなかったり、主治医に見放された、と感じるかもしれません。
その時看護師はどんな関わりをしていますか?という問いがたてられました。
ある病院では外来看護師が説明の前日にその患者さんについて「予習」し、医師がどんな風に説明するかをあらかじめ話し合っておくということでした。看護師は説明に同席し、患者さんやご家族がどんな反応をしたのか、説明をどう受け止めたのか、理解した内容にズレはないのか、を観察します。「今日こんな大事なお話をしたからみんなで注意深くかかわってね」と他のスタッフも共有します。
もし医師の説明と理解との間にズレがあるかもと思ったら、気づいた看護師がオープンクエスチョンで確認します。
そして一旦病状を受け入れたとしても、時間が経つとAさんの心は揺れてくる。
「やっぱり先生はああいったけれども、もしかしたら他にも治療があるんじゃないか」
「転院するってあの時は決めたけど、やっぱり家に帰りたい」とか。
患者さんやご家族が「話したい」と思うタイミングをキャッチしてしっかりそこに向き合うことが大事です。
「そういう心の揺れも当然のこととして、看護師が患者を支え抜くんです」
と発言された方がいらして、その言葉がささりました。
病院によっては病状説明にそもそも看護師が入ってなかったり、面談の時間が夜遅くに行われるため同席したくても夜勤を投げ出してまでは入れないということがあります。
だから患者家族がどんな反応だったかもわからない、ということもあるんですよね。
これは急性期病院の構造的な問題と言えるでしょう。
重要な転換を強いられる場面には認定看護師が同席すると、その専門分野からアドバイスや対応を学ぶこともできるかもしれません。当たり前のことですが多職種との関係が日頃からできていると、何も看護師だけではなくチームで注意深く見守って、思いを話したいときにチームの誰かがキャッチして対応する。それがほんとのチーム医療だなと思います。
数年前まで急性期にいた身としては反省、反省です。
「看護師が支えぬく」なんて、とても言えなかった・・。
でもそここそが看護の本質だよなあ、と思います。
「死の臨床研究会」は、毎年こうして今の立ち位置で自己を振り返り、姿勢と心を立て直す、いい研究会です。
あまり知られてませんが、医師看護師ソーシャルワーカーなど他職種が参加しており、一般市民も参加できるんですよ。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
来年は神戸だそうです❣️
音楽の扉が開くとき
この秋公開の映画「ボヘミアン ラプソディー」が大ヒットしている。
映画館は中高年の人でいっぱいで、私の友人も2度3度と見に行く人がいて、とても評判がいい。私も近いうちに見に行こうと思っている。
特別クイーンが好きだったわけではないけれど、その時代に流れていた歌というのは、その時の出来事や周りにいた人との思い出をふとよみがえらせる力がある。
先日障がい者病棟に音楽ボランティアの方が2人来てくれた。
一人はヴァイオリンの橋田さんで、去年から当院でときどき演奏をしてくださっている。
もう一人は松本さんというピアノ奏者である。
お二人は札幌市内の室内管弦楽団で活躍されている方たちで、松本さんは指揮者とのこと。
午後から2Fと3Fの病棟でそれぞれ20分ずつ演奏をしてくださるのである。
病棟では看護師たちが患者さんを車いすやベッドでデイルームに連れ出して準備万端である。
患者さんの合間に座り、様子を見守りながら一緒に演奏を聴いている。
共に過ごす、寄り添って聴く。
職員がこれも仕事のうちと心得ているのが大事なのである。
私はこういう場面を後ろから見ていると幸せを感じる。
最初の曲、それは1960~70年代の映画のテーマ曲で、誰でも聞いたことがある曲だった。
曲が始まってすぐ、ある患者さんの目から涙がぽとりと落ちた。
何か琴線にふれたのだろうと思う。
介護福祉士がティッシュをさっと引きだして、優しい顔で涙を拭いていた。
患者さんの平均年齢は70代後半とすると、1970年代は20代~30代の頃だ。
戦後の物のない時代を乗り越えて、高度成長期に過ごし、仕事や恋愛、それからテレビや映画が面白かった時代だ。
そのあともTVのCMで聴いた曲がストレートに耳に届き、短い時間だったけれども充実した演奏会だった。
手拍子を打ち、それに演奏者がノッテくれて、会場が一体になった感じがした。
アンコールに応えて、クリスマスソングをジャズバラードで弾いてくれた時には、自分が病院にいることも忘れるくらいだった。
ありがたいことに当院では音楽ボランティアの方が何人も来てくださり、唱歌・軍歌・演歌・歌謡曲・クラシックにジャズと幅広く演奏してくださっている。
誰の心に何が届くかは演奏してみないとわからないし、自分が特別好きだと思ってなくても、時代の空気がふわりとよみがえって急に記憶の扉が開くこともある。
それが音楽のチカラだなと思う。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
開いた扉から、若かりしころのことをゆっくり聞いてみたいね。
カンフォータブル・ケアをやってよかった3つのこと
このブログにもたびたび登場していただいている、「カンフォータブル・ケア」の本がついに発売されました。
私たちは29年の春先に業界紙に載っていた著者の南敦司さんを知り、突撃電話で講義をお願いしました。
快く引き受けてくださってその年の9月に院内で職員向けに研修会を開いてもらって、カンフォータブル・ケアの可能性を感じました。
よかったこと1 誰でもすぐできる
パーソン・センタード・ケアもユマニチュードも手法に違いはありますが患者さんの問題を探すのではなくて、患者さんの持てる力を引き出し、しっかりと向き合うという点では共通しているものと思います。ただカンフォータブル・ケアは誰でも取り掛かりやすく、お金もかからず、道具もいらない。
私たちの意識と行動を変えることで認知症ケアが楽しく楽になる、患者さんもハッピーになると信じて、ただひたすら素直に実践してきました。
よかったこと2 同じ時間を楽しくするアクティビティ・ケア
その結果いくつかの副産物がありまして
たとえば「いちご狩り」というイベントをすると患者さんがとても喜んでくださる。
土に触れてその場でいちごを洗って食べる、というなにげないことで普段見ない笑顔を見ます。
その笑顔を見た職員は、ようし、もっとなにか喜んでもらえることはないかな?と思って、イベントを企画するようになる。これが日ごろの「何もすることのない時間」を「何か楽しいことがあるみたい」な時間に変えるんですね。
これが「アクティビティ・ケア」というものだと本を読んで改めてわかりました。
よかったこと3 行動制限が減る!
それからこのケアをするようになって、行動を制限するようなことが減り、鎮静化するような薬の使用も減りました。
カンフォータブル・ケアとはこれらの複合的な作用もひっくるめたことだと本を読んで改めて認識したところです。
本には南さんが現在の病院に着任したころのことが赤裸々に書かれていますし、だからこそ今いるスタッフに信頼して任せている様子がわかります。
そして「あるある」な具体例が満載ですので、実践的な本になっています。
当院の看護師たちも「問題行動」に着目するのではなく、「どんなケアが効果的だったか」を話合うようになってきました。
この流れは清々しいものがあり、特に2つの障がい者病棟の師長たちにこの経過を語らせたら、二人とも自信をもってアツく語ります(笑)
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ぜひお手元に。
裏方のチカラ
以前一緒に働いていた総務課長さんは「総務課は職員が働きやすくなるために存在している」と言い切っていました。
医局や看護部などの専門職は患者さんに直接働きかける職種で、医事課は医療行為に対してきちんと報酬をいただくために存在する。その人たちが働きやすいように環境を整えるのは総務課の仕事。だから裏方役に徹して業者さんに偉そうな口をきいてはダメだとよく言っていました。
裏方も場数を踏むことで鍛えられ、研ぎ澄まされていきます。
お客様を(出演者を)温かくお迎えし、必要なものを過不足なく用意し、しかるべき時間に余裕をもってスタンバイする。
準備が9割。そして当日はあらゆる方向にアンテナを張って、1割のアドリブが要る。
滞りなく最後までスムーズだった、ということが大事で、形には残らないけどお客様が喜んで帰られたら、それが報酬みたいなものです。
先日ホスピス緩和ケア研修に来られた方は、ウエルカムボードについてこうおっしゃっていた。
「遠くからやってきて、右も左もわからず明日からどんな研修するんだろうと不安だった。でも玄関に入った途端この看板があって、え?私のこと?私のためにわざわざこんな看板書いてくれたの?って思って感動しました。ああ、ここにいていいんだ、迎え入れてもらったと感じました。看板一枚で私、ここに転勤したくなりました。そして写真を撮って、郷里の親や兄弟みんなにこの看板を送ったんです。そしたらみんなも喜んでくれて。」
それから先日当院で初めて開いたELNEC-Jという2日間の研修会でも、総務課がスキのない準備をしてくれたおかげで、講師たちがずいぶんと動きやすかったと思います。資料のファイルから当日の受付、おやつのセッティングまで心意気が感じられます。
「研修に来て、こんなにかわいいネームプレートは見たことがない」と絶賛され、私も少し鼻高々になりました。
いつもこのブログに来ていただきありがとうございます。
一人でできることなんて限られてる。感謝しかありません。
明日への力になれば
私どもの病院では年に一度、慰霊祭「こもれびの会」というのを開いています。
当院で亡くなられた患者さんのご遺族に連絡を取り、お越しくださった方々と秋の土曜の午後、献花をして共に故人を偲び、思い出を語り合う時間です。
悲しみの深さは人によってさまざまで、受け入れるまでの段階を行きつ戻りつしながら、日にちという時間がかかります。
人によってはすぐに仕事に戻らなくてはならなくて、しっかりと悲しみを感じる暇さえない方もおられます。逆にふとした瞬間に故人を思い出して涙し、日常を取り戻すことが難しい方もいらっしゃいます。
大切な方を失った病院には、なかなか足が向かない方もいらっしゃると思います。
絶対行かなければならないものではないので、気持ちが向かなければそれはそれでよいのです。
会の当日、悲しみに沈んで家に閉じこもりがちだった方が、病院からの連絡を機に少し勇気をもって来てくださり、職員と再会を抱き合って喜ぶ姿がありました。
仕事帰りに毎日面会に来られていたご家族さん、亡くなるまでの数日間ずっとそばで付き添っていらしたご家族さん、旅立つときにそばにいられなかったご家族さん、それぞれの思いがありました。
あれからどうしていましたか?
体調崩していませんか?
(亡くなられた)お父さん、こんなこと言ってみんなを笑わせてましたよね。
なんて話を泣き笑いしながら語り合い、まるで同窓会のようでした。
人生のある時間を共有し、時に病気と闘い、涙し、支えあった時間。
少々図々しいかもしれませんが、私たちはご家族とチームだったと感じております。
私たちも皆さんの言葉に癒され、力をいただきました。
明日からの日々が、ちょっとでも過ごしやすくなっていただければ幸いです。
今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
皆様に心の安寧が訪れますように。
将来どんな職業に就きたいですか?
「拝啓 赤とんぼの群れが飛ぶ季節となりました。
先日は私たちの職業体験学習にご協力いただきありがとうございました。
今回の体験で私は多くのことを学ばせていただきました。
中でも印象に残っていることは「職についてから何になるのかが大切」というお話です。
そのお話を聞いたとき、私はその通りだと思いました。
きっかけは何だってよくて、なってからどんな働きをするか。それが社会人として生きていく上での大切なことだと実感しました。
院内見学や体験学習などとても貴重な体験をさせていただき、心から感謝しています。訪問が終わってからも私たちは興奮が冷めず、職業体験についての話をたくさんしていました。
本当に楽しかったです。」
楽しく終わってよかった。これは先日当院で行われた、職業体験学習にきた中学生のお礼のお手紙です。丁寧な字で心を込めて書いてくれたのがよく伝わります。
「職についてから何になるのかが大切」という言葉は深い言葉です。
「14歳のハローワーク」という本が一時ヒットしましたが、頭のやわらかいときに、さまざまな仕事を知るというのは良い機会だと思います。
育った環境や自分を取り巻く大人がどんな職業かは子供に影響しますし、身近にいない職業は想像しにくいものです。
先日一級建築士の方とお話したときに、私はふと建築士になるためにどんな勉強をするのか、ネットで調べてみました。学校を出たあとで数年実務経験を積まないと受験資格が得られないそうで、医療職とは違うのですね。(というか、医療職もそうした方がいいかも知れません)
建て主とチームで話し合いながら、何もないところから一つの建物を完成させていく、その過程には対話が欠かせないとお聞きしました。
希望を聞き、精一杯希望に合わせるけれども、時には折り合いをつけなければならないこともある。その時には信頼関係が重要である。最後に納得のいく建物が完成して、ひとつの作品となっていく。できた作品について、目を輝かせて話す建築士の方を見ていて、子供のころ私の周りには建築士の方はいなくて職業選択の候補にもならなかったし、頭の出来が違いすぎてなりたくてもなれなかっただろうけれど、モノを作る仕事もいいなあと思ったのでした。
仕事を熱く語る副主任たちのおかげで、中学生が興奮して冷めないほどの、よい体験につながって、私もうれしいです。この中から数年後「あの時の職業体験が楽しくて、看護師になりました」っていう人がいたら本望です。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
生まれ変わったら何になりたい?
楽しく続けて、ユル〜く続ける。
「部長、今日はこれから不定期開催のお茶会をやります」と電話がかかってきました。
今年になってから、障がい者病棟でもいろいろ、イベントをやっています。
「何曜日って決めちゃうと義務的になるし、急な出来事でできなくなるとがっかりさせてしまうから、今日は落ち着いてるし、いいな!っていうときに突然やることにしたんです」と師長さん。
いいな、そういう考え方。
日にちを決めて準備をするやり方もオッケーだし、こういうユルさもオッケー。
本質は人を喜ばせることにあるから。
以前は「突然縁日」をやっていました。
わたあめとかき氷だけの。
今回のお茶会はミルクコーヒーとカルピス。
コーヒーはちゃんとカップとソーサーで出されます。
おやつは小魚と豆のお菓子。
介護福祉士のSさんが前に立ち、絵本を取り出して読み語りを始めました。
へええ、こんなことする人だとは知らなかったな。
新しい才能発見!
看護師たちも患者さんの傍らに座り、話しかけて、笑って、い~い感じです。
もうひとつの病棟では先日モーツアルトのCDをかけながら、優雅なお茶会をしていました。
嚥下体操っていうのをしてた日もあったな。
企画する人は楽しそう。
人を喜ばせようって気持ちがあると、その仕事は楽しい。笑顔の連鎖。
写真をお見せしたいけど、ブログではちょっとね。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
何か、まだまだいっぱい、いろいろできそうな予感。
緩和ケアに集う人は穏やかでやさしい人が多い?
10月20日(土)第2回徳洲会グループ緩和ケアセミナーが開催されました。
全国のグループ病院から80名以上の緩和ケアに関わる医師・看護師・社会福祉士・理学療法士らの専門職が集いました。
緩和ケア病棟を持つ病院は少しずつ増えてきていますが、「緩和ケアチーム」で活動しているところも多く、急性期病院の中での緩和ケアの確立にご苦労されているところが共通していました。
四十防院長の基調講演のあと、当院でお世話になっている臨床宗教師・米本智昭さんと、当院を卒業して今帯広で初の緩和ケア病棟を立ち上げた、今井貴史先生の特別講演が行われました。
昼食後は6病院から取り組みの発表があったあと、事例に基づいた多職種連携のワークショップがあり、今日初めて会った人たちとは思えない和やかで患者さんファーストの意見交換がありました。
緩和ケアに集う人たちは、医療者の中でもとりわけ穏やかでやさしい人が集うのでしょうか?
私は2年前にこの病院に来た時に、数日間緩和ケア病棟を観察しスタッフについて回りました。患者さんが何を求めているか、に常に焦点をあてて多職種で話し合い行動する。この積み重ねが自然に行われていました。何気ない、よもやま話の中にも患者さんの周辺の情報交換があり、その人の人生や価値観を尊重しようとする姿勢がみんなに浸透していることに、正直驚いたものです。
看護師たちは、本当はこういう仕事をしたかったのではないのか?という気持ちになりました。
病名にかかわらず、患者さんのニーズに応じたケアを提供し、消耗を最小限に、回復を助ける、そのシンプルさが今とても複雑化しています。
抱えきれないほどの責務とルーティンワーク(それすらも本当に必要か確かめられてないものもある)に忙殺されて、今目の前にいる患者さんがどんな表情をしているかを見失っているとしたら、それは看護の本質からずいぶん離れていることになります。
患者さんの出来事のあちこちにアンテナを張って、今よりもよく生きられることに力を発揮するはずの看護師が、制度の漏れを防ぐことにアンテナを張ったり、組織の同調圧力などに負けて「よいケア」よりも「効率性」を優先せざるをえないというのは、自戒をこめて管理者の責任が大きいと思っています。
当院に転院してこられた患者さんが、前医を退院してくるとき、詰め所で「お世話になりました」とあいさつをしたのに詰め所内にいた看護師が誰一人顔も上げずパソコンに向かっていた、患者さんはそれ以上何も言わずに荷物を持って出てきました、という話を聞いたときに、私は憤りを通り越して情けなく悲しくなりました。
そんなことはあってはならないことです。
懇親会の最後に東大阪病院の院長が「ここに集っている人の中から、きっと次世代の院長・看護部長が出てくるでしょう。孤軍奮闘している人も多いが、ここに来れば仲間がいて、お互いケアを受けることができる。がんの人も心不全の人も老衰の人も、必要な人がみんな、緩和ケアを受けられるように頑張りましょう。」とおっしゃられて、こぶしに力がはいりました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
前野総長もたいへんだったんだろうなあと歴史を感じます。
緩和ケアって何をするところですか?
「緩和ケアって何をするところですか?」という質問をいただきました。
最近、直球勝負の質問が多くタジタジが続きますね(^^)/
ひとことで言うと、治癒が困難ながんを患った患者さんに対して、苦痛とつらい症状をできる限り和らげて、その方らしく最後まで有意義に過ごすことができるように支える医療ケアのことを緩和ケアといいます。
患者さんを支えるご家族も困難に直面していますから、大切な人と大事な時間を過ごせるように、サポートしていきます。
人はがんと診断されるとまずがんを取り除いたり(手術)、小さくしたり(放射線や抗がん剤)という治療に向かっていきます。
がんの場所や程度、転移した部位により、治療も変化していきます。いわゆる末期がんでも治療がないわけではありませんが、戦って勝ち抜くことが難しくなるときがあります。
「これ以上治療するのは困難なので、あとは緩和ケアに行ってください」と前の主治医に言われ、絶望的になってこられる患者さんもいらっしゃいます。
もっと早い段階で緩和ケアを伝え、相談や見学をお勧めする過程があると、患者さんを傷つけることもないだろうになあと思いますがこの辺は医療者側の課題ですね。
緩和ケアに来られた患者さんとご家族には、それまでの病歴やその方の生きてこられた歴史、価値観とともに、これから何を希望されるかなど、じっくり時間をかけて伺います。
「こんなに私の話を聴いてくれた病院は初めてだ」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、私たちの緩和ケアはまず対話が基本です。
お話を伺った後、今あるつらい症状をできるだけ取り除くことに焦点を当てます。
痛みや吐き気、体のだるさ、抑うつ、不眠など不快な症状は、単に体の不調からだけではなく、心理的なことや社会的なことから来ている場合もあります。
そのため医師・看護師・ソーシャルワーカーを中心として薬剤師・理学療法士・臨床心理士・音楽療法士・ボランティアなどチームで患者さんを支えています。
ベッドで起きるのが精いっぱいだった方が苦痛から解放されて、車いすで動けるようになることもありますし、時にはご自宅へ帰られることもあります。
最後までその人が積極的に生き、心地よく過ごせるように、また命の終わり(旅立ち)を自然な過程で迎えられるようにと考えています。
現在日本では緩和ケア病棟にはがんと後天性免疫不全症候群の病名がついた人しか入れません。
どんな病名であれ、尊厳を大事にした最期を迎えるために誰でも緩和ケアが適応になるべきでしょう。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
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