お知らせ
休暇は自分の断捨離
1月半ばからしばらくお休みを頂き、旅行に行ってまいりました。
大自然の中で数日間、昼間は雪の中を散策し夜はオーロラを追いかけるという贅沢な時間を過ごしました。
ネットにはあえて距離を置き、人々の暮らしぶりや歴史など興味深く見聞きし、それから長編小説を2冊読みました。
土地の食べ物を時間をかけてじっくりと味わい、丁寧にストレッチをして身体が喜ぶことをしていました。
普段私は1週間ごとの行動計画を立てて過ごし、週末にそれを振り返って翌週の計画を立てるということを繰り返しています。
けれども、この休暇の間はとにかく心の赴くまま行動する。
寝たい時は寝る。
入りたいときにお風呂に入る。
「アレしなくちゃ、コレしてないわ」の呪縛を解いて、したいことだけをする。
本当にしたいことって何だろう。
自分に問いかけ、
カラッポになった1週間でした。
体も心も休息って大事だなあ。
わかっていたことだけれど、素直にそう思いました。
これも寛大な上司に恵まれ、留守を守ってくれる師長さん達がいるおかげです。
戻って最初の朝の歩き回りでは、何もかもが愛しい。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
スペースをあけないと新しいことも入らないですね。
水やりの時間
ボランティアの方が丹精込めた鉢がサンルームに並んでいる。
週に一度畑の師匠が来て手入れをしてくれて、それ以外の水やりはだいたい私と事務職さんの仕事である。
「暇な看護部長」だと思われているかも知れないが、ここで花を愛でる人のために、枯らすわけにはいかないのだ。と、勝手に使命に燃えている(笑)
時々患者さんとご家族さんが連れ立ってここを使ってくださっている。
古くて小さな病院なので、これといって素敵な場所もないのだが、この場所は陽当たりもよくぽかぽかしていて
「わあ。おかあさん、こんないい場所があったよ。お花がきれいに咲いているね」なんていう声が聞こえると、柱の陰でにんまりしてしまう。
朝「オハヨー」と声をかけながら水をかける。
ここは温かいので、水さえきちんと与えていれば、維持していける。
それでもその植物の個性があり、毎日水を必要とするもの、一日おきでいいものがある。
見ていればなんとなくその加減がわかってくる。
最初の頃はまったくわからなくて水のやりすぎ・あるいは渇きでダメにしかけた鉢がいくつかあった。
「最近は水加減がわかってきたようだね」と師匠からお褒めの言葉をもらった。
そしてたまに肥料入りの水を与えると、次の日葉がぐんと伸び、つやつや光る様子がうれしい。
人間社会も同じだなと思う。
安全で安心な場があれば、それだけで人はのびのびとする。
しかしちょっとでも安全が脅かされるような要因があると、弱ったり曲がったりする。
太陽の光が同じように降り注いでも、素直に受け取れないようになってしまう。
けれどもたまにもらう肥料は、欲しているものならば、ぐんとパワーになるものだ。
最近読んだ灰谷健次郎さんの本にこんなことが書いてあった。
「目をあけるということは、いつ、どこででも詩をみつけてやろうと、すばやく心をひらいておくということです。もっとくだいていうと、詩をかいてやろうという気持ちをたやさずもっているということです。先生がつくってみなさいといったのではじめて、あれやこれやかんがえてみるというのでは、詩はどこにもおちてないということになります。詩はだれにでもひろえるけれど、そのためには、しっかり目をあけていなくてはならないということを、わすれないようにしてください」
~「せんせい けらいになれ」~
この文章の「詩」ということばを「人の良いところ」に置き換えてみる。
こんな風に植物は私の思索の時間にもなるのです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
水やりの 時間がいとし 仕事前(^^ゞ
心の蓋を開けるパラレルチャート
医療者だから一般の人よりはずっと「死」を見てきてはいるのだけど、自分の家族のこととなるとうまくできなかったりするものだ。
父を亡くして10年近くになる。
いろいろな後悔が今もある。
患者さんを見る時に父と重ね合わせてみることもあるが、そういう話は誰ともしたことがない。
感傷的で感情的なものごとだから、仕事上では蓋をしている。
それが医療者としてのひとつの切り替えスイッチなのだが・・。
NPO法人ホスピスのこころ研究所では、昨年から小森康永先生に数回お越しいただき、今回も講演前日に院内勉強会を開いていただいた。
今回のテーマは「パラレルチャート」という聞きなれないものである。
パラレルチャートとは、ナラティブ・メディスンの提唱者リタ・シャロンが医学生教育のために開発したものである。カルテに書くこととは別に医療者自身の患者に対する連想や感情を記述し、それを信頼できるグループ内で共有することで、自分たちの診療を省察し、自分たちの挫折感や悲嘆などの感情にうまく対処できるようになることが期待される、とある。※1
医師・看護師・ソーシャルワーカー・理学療法士らが事前に心に残る患者さんや出来事について振り返り、それぞれに文章を書いてきた。
それを順番に朗読し、みんなで聴きあい、小森先生や参加者がそれぞれにコメントや質問をして深めていった。
普段の仕事でも私たちは結構対話している方だと思うが、ここまで深く患者さんやご家族に対する自分の思いを書いたり話したりすることはない。
発表者は朗読するうちに感情が溢れたり、それを聴いている方も共感の涙を流したりして、会場の空気がアツくなった。
普段の仕事では見られない別の側面を発見して、その人に急に親近感が湧いたりもする。
「何を言ってもいいんだよ」という場でなければこんな風には話せない。
聴いていると、自分がかかわった患者さんの事や亡くなった父のことを想いだし、自分も書いてみたいという気持ちになる。
あの場にいてそう感じた人は多いのではないかと思う。
自分と他者の体験の間で揺れながら振り返る、というのが心地よい。
小森先生も「まず書く、ということが大事なんです。しばらくして読んでまた書く。自分の中の変化を見ることができる」とおっしゃっていた。
会が終わったあと、みんないつまでも名残惜しくしゃべったり泣いたりハグしていた。
いい光景だったな。
※1 小森康永先生の「ナラティブ・オンコロジーをやってみた」:N:ナラティヴとケア 第5号 2014年1月から一部引用しました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
感性・・鍛えないとね。
お椀出せ 茶碗出せ
用事があってボランティア室に入り、ふと壁のホワイトボードを見て吹き出してしまいました。
ちょうどひと月前の12月に、病院の忘年会がありまして。
当院では委託業者の方やボランティアさんも忘年会に参加してくださるのですが、今回ボランティアさんたちが余興で歌って踊ってくださったのです。
そのエネルギーとパワーにみんな驚かされました。
ステージまで行進して、壇上で踊る人、舞台脇で合唱する人、歌詞を大きく書いたのを持つ人に分かれ(これも何か適材適所な感じで)、息ぴったりだったんです。
練習は3回ほどしかしていないそうですが、グループ名の「セラ」からの発想で「聖者の行進」を替え歌にしていることだけはわかりました。
ホワイトボードに貼ってあったのはその替え歌の歌詞でして。
「1 お椀出せ 茶碗出せ
お椀出せ 茶碗出せ
手元 足元 アララ
おぼつかないけど
2 お椀出せ 茶碗だせ
お楽しみ お茶会
看護師さんと先生ラララ
ありがとうございます
3 お椀出せ 茶碗出せ
思い出に 残る
命の唄 歌って
ケセラセラ せら」
私はボランティアさんに頼まれて夢中で動画を撮っていたので、なんて歌っているのか実はわからなかったんですけど、歌詞を見てひとりで大爆笑してしまいました。
聖者の行進の歌い出し
「Oh when the saints, go marching in」が原詩ですが
まるでタモリ倶楽部の「空耳アワー」のように聞こえる! 笑
こんなことを見つけるのも日々の幸せです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
まったくもって、かないません。
今年を漢字一文字で表すと?
2020年 明けましておめでとうございます。
今年の札幌は驚くほど雪が少なくて、積雪ゼロで大晦日を迎えました。
私は大みそかから3日までお休みをいただき、ゆっくりさせていただきました。
師長だったころはよく大晦日の管理当直を志願したものです。
元旦の当直明けに銭湯に行き、2日3日は大学駅伝を見る。
これが至福の時間でした。
年始めに今年の手帳に予定を入れたり、計画を立てるのが好きなのですが、いろいろやりたいことがあってまとまりません。
一年で達成できることって案外多くはありません。
持続可能で楽しくて実のあることをしようと思うと、唸ってペンが止まります。
そんな時はネットで気分転換。
ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)で「今年のあなたを漢字一文字で表すと」というおみくじをやっていたのでボタンを押してみましたら
「技」ワザ
と出ました。
まあ、遊びみたいなものですが、なんとなくこれにかっこつけて考えてみると
卓越した技を手に入れる
優れた技を披露する・学ぶ場を作る
優れた技で患者さんを幸せにする
てなことが浮かんできました。
看護師たちや介護福祉士たちがそれぞれ得意なことで優れた技を身につける。
口腔ケアの上手な人~。
おむつ交換がモレなく手際のよい人~。
注射のうまい人~。
話を聴くのが上手な人~。
とにかく笑顔が最高にいい人~。
それをお互いリスペクトしあって共有していく。
そして今年は新築移転に向けた重要な年。
そこから連想する漢字は
「備」来たるべきときに備えて様々な準備をする年
「蓄」みんなの心をひとつにして力を蓄える年
「盛」新築移転をとにかく楽しんで盛り上げる年
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あなたの一文字は何ですか?
冬休みに読む「ライオンのおやつ」
私の周りには本好きな人がいっぱいいます。
先日「これ読んでみて」と前野先生から渡されたのは、小川糸さんの「ライオンのおやつ」です。
前野先生大絶賛です。
朝礼でも勧めていて、職員みんなに読んでもらうために、この本を数冊買って病院に置いておく、とまで言っていました。
そして「こういうホスピスを作りたいんだ」と。
ああ、ホスピスの話なんですね、というと
「いや、病院の話じゃないんだ」。
「??」
最初に貸してもらった私は、お正月休みに読もうとゆっくり考えていたのですが、借りた2日後には「読んだ? どうだった?」と感想を聞かれたので焦ってしまいました。
これは旅立つ人の物語ですが、つらいものではありません。
むしろ最後こんな風に旅立てるのなら、私もこの本に書かれてあるホスピスに行きたいと思いました。
瀬戸内の温暖な気候。美しい海。レモンやブドウ。自然の中の小径。
主人公には死を前にして、さまざまな症状が立ち現れてきます。
例えばせん妄という意識障害は、私たち医療者はとても気を付けるところです。
時空間の認識がわからなくなり、筋力や体力の低下もあって、転倒しやすくなるからです。
そのせん妄状態と思われる描写さえも、小説の中では甘やかで幸せな時間なのです。
こんな世界にいるのなら私はせん妄状態の人を、じゃましないでそっとしておいてあげたいと思うようになりました。
登場人物は優しく、自然な成り行きを大事にしてくれて、湿っぽくはありません。
それから、こういうホスピスを作りたいという、前野先生の気持ちもよ~くわかりました。
医療の場ではありませんが、医療も確かに必要としていて、最期まで生ききることの支えのひとつとなっている。
私たち医療者ができることなど、わずかなことだなあと思いました。
それから全編食べ物の話が出てきます。
そのどれもが温かい情景とともに、湯気や香りが感じられました。
「ライオンのおやつ」という題名も、読むとしみじみわかります。
私はその中でも毎朝土鍋で炊くお粥さんがおいしそうで。
もしこんなホスピスができるなら、私はそのお粥さんを炊くおばあさんになりたいと思ったのでした。
死と、その先にある未来へ希望が持てる本です。
今年もこのブログにたくさんの方が来てくださいました。
ありがとうございました。
どなた様も、よいお年をお迎えください。
We wish your Merry Christmas!
「今日はこれからサンタクロースになるんです」
先週の水曜日、会議が終わると病棟の副主任さんがこう言って急いで帰っていった。
「どれどれ何をするの? 」とばかり、追いかける私です。
赤い衣装を身につけた副主任さんを中心に、看護師たちが赤い帽子をかぶって病棟の廊下を練り歩いています。
クリスマスカードを手に持ち、病室をひとつひとつ訪問しては患者さんにカードを渡して一緒に写真を撮っていました。
ボランティアさんが「ホットコーヒーか冷たいカルピスはいかがですか?」と尋ねています。
コーヒーメーカーで落とした、本格コーヒーの方が人気がありました。
別なお部屋ではベッドサイドで看護師が絵本を朗読していました。
同じお部屋の人にも聞こえるように、ベッドを中心に寄せてありました。
クリスマスカードのプレゼントは、ずいぶん前から行われていたようです。
届いたカードにボランティアさんがシールやリボンで装飾をつけて、各部署に配布されます。
部署では看護師たちが患者さんひとりひとりにメッセージを書いて、届けられます。
12月20日の夜にはキャロリング(caroling)も行われました。
キャロリングとは、クリスマス・イブの日に教会に集まった子供たちが家々を回ってクリスマス・キャロルを歌う慣習のことを言います。
当院では当日参加できる職員やボランティアを募集します。
今年も職員が聖歌隊となり、病室の前でクリスマスソングを数曲歌いました。
こちらも前野先生がマエストロとして毎年行っている、恒例の行事です。
カードを渡したり歌を歌っていると、患者さんからも愛を感じ、共にハッピーな気持ちになるものです。
今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
すべての方に祝福を。
もうすぐクリスマス
早いものでもう師走も半ば。
大きめのイベントが一つまたひとつと終わり、なんとなくほっとして一息ついています。
年末に向けて、あとはクリスマス会が残るのみとなりました。
ホスピスではクリスマスパーティの計画が着々と進んでおります。
昨年は北海道地震があってその影響が今年にも続いておりましたが、月日の経つのは早いですね。
いろんなイベントを終えるたびに一息ついて、振り返れば着実に前進しているなという風に思います。
それもよいスタッフがいてくれるから。
おかげさまです。
感謝の気持ちをちゃんと返していかないと、と思っています。
いろんなことがもう、当たり前になってしまっています。
院内の飾りつけや、外の方へのおもてなし。
当たり前になると感動・感激・感謝が薄れてしまう。
みなさん普通の仕事プラスアルファでされている。
「それは私の仕事ですか?」などという人はいません。
小さな病院だから?
それもありますね。
でもそれだけじゃないです。
当たり前と思っちゃいけません。
来年は移転前最後の年となります。
いろいろ、いろいろ、考えています。
もう少ししたらそのひとつ、病院のロゴができる予定です。
私たちのホスピスマインドを表したものを製作中。
お楽しみに。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
まだまだ来週も続きますよ(^^)/
ようこそ、聞き書き部へ
聞き書き部という部活動を立ち上げました。
2~3か月に一回集まる、というゆる~い活動です。
私が「聞き書き」というものに興味を持ったのは約20年位前のこと。
ある方の勧めで山崎朋子さんの「サンダカン八番娼館」という本を読んだのがきっかけです。
第一次大戦中貧困のために売春婦として海外に売られ、戦後故郷に戻ったものの苦難の一生を終えた「からゆきさん」のお話です。
山崎朋子さんは「からゆきさん」のところに赴き、お願いしてお話を聴かせてもらいました。
信頼関係を築き、しばらく一緒に住まわせてもらって、どんな体験をしたのかどんな暮らしぶりなのかを聞き書きした本です。
天草という土地や農村の貧しい暮らしなどが伝わってきて、庶民の苦難の歴史に衝撃を受けました。
さて医療者という職業は、仕事上患者さんやご家族からその人の人生を聴かせてもらえる職業で、さまざまなストーリーを知ることができます。
家族には照れくさくて言えないようなことも医療者には言えたりしますし、若いころの武勇伝などが語られることもあります。
そんな言葉を紙に残しておけたらいいなあという気持ちがずっと前からあって、でもなかなか行動に移すことまで至りませんでした。
札幌で聞き書きの「いとしい会」を主宰しておられる森旬平さんとご縁を得て、講義を聞きに行ってきました。森さんは全国に聞き書きを広めようとしておられる小田豊二さんの愛弟子で、聞き書きの始め方をわかりやすく講義していました。
病院の職員やボランティアさんの中に、こういうことに関心がありそうな人の顔が浮かび、図々しくも院内で講義をお願いしてみましたら、森さん即決OKをくださいました。
そんなことから部活として会を始めたのです。
初回は私を含めて9人の参加がありました。小さく始めて楽しみながら、ゆるく長く続けたいと思っています。
今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
どんなものができるかな~♬
認知症カンフォータブルケア研修生を受け入れました!
認知症対応カンフォータブル・ケアを始めて2年が経ちました。
実践はスタッフの中に浸透してきたと感じたので、今年は次のステップとして、他の病院から研修生を受け入れる、ということを計画しました。
以前このブログでご紹介したように、法人グループには「ベストプラクティス研修」といって、自院では学べないが他病院で学ぶことのできる研修の仕組みがあります。
これに手あげをしたのが4月。
果たして研修に来てくれる人はいるのかな〜〜と思ったら、なんと大阪と石垣島から応募がありました。
これはうれしい!がぜんはりきる私たちです。
日頃実践していることを見てもらうには言語化が必要です。
大まかなスケジュールは私の方で立てましたが、研修生をお迎えするのは現場です。
丁度前の週に千葉の病院で自らベストプラクティス研修を受けてきた師長さんが、
「今度は私がしっかりとおもてなししますね!」とたのもしいことを言ってくれました。
研修中は私もウロウロして柱の影からそっと見守りました。
やってみてよ〜くわかったのは、現場スタッフの一人一人が日々のケアでよくやってくれていること。それを生き生きと伝えていることでした。
5日間の研修を終えて「職場の雰囲気がどこも温かくて、カンファレンスではみなさんが自由に発言していてびっくりしました。自分のいる場所で取り入れるとしたら、まずは敬語、言葉づかいだなと思います」
という感想をいただき嬉しく思います。
一方、人に見ていただくということは、自らを振り返る機会にもなります。
みんなが善きオーラに満ちて、いい緊張感を感じました。
肯定されることでますますみんなのモチベーションが上がったことと思います。
研修に来てくださってありがとう。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
うちのブランドになるといいなあ!