札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ
顔が見えるだけじゃ足りない〜在宅看取りの壁と地域連携〜
3月18日土曜日の昼下がり、当院講義室で緩和ケア研修会を開きました。
地域で、施設で、病院でそれぞれご活躍されている医療介護の方たちが30名ほど集いました。
ご多忙の中をありがとうございました。
演者であるホームケアクリニック札幌の梶原師長は、私どもと同じ法人内の在宅緩和ケア充実診療所の師長として勤務しておりまして、この日は在宅緩和ケアの概要、在宅での看取り、地域における多職種連携について事例を交えて講義をしてくれました。
人生の最終段階をどこでどう過ごしたいか
同クリニックの調査では、がん患者は終末期に近いほど多くの症状が出現し、急速に日常生活動作が低下することが多いとされています。
言い換えれば、亡くなるぎりぎりの時までトイレに歩いたり、食事や会話ができるということです。
20年以上前に他界した私の母も、前日までトイレに起き、少量ながら食事もし、亡くなるぎりぎりまで話すことができていました。
自分で自分のことが賄えなくなったのは、本当に亡くなる前日くらいからのことでした。
人生の最終段階をどのように、どんな場所で過ごしたいと思うのか、元気な時から考えて、家族で話し合っておくことが必要だと思います。今はこうしたいと思っていても、家族の状況や病状、心境によって変化は大いにありえます。こうあらねば、と決める必要もありません。いつでも状況に合わせて変更できるのですから。
在宅で最期まで、と決心された方をケアするには、苦痛が緩和されていること、生活が成り立っていること、家族もケアされていること、安らかな最期だと思えるように、多職種でサポートすることが大切と強調されました。
在宅での看取りの壁(=看取りを阻むもの)
講義の後、
ケアマネジャー、看護師、ソーシャルワーカー、介護福祉士らがグループに分かれて
「在宅での看取りの壁(=阻むもの)」について語り合いました
そこで出て来た「壁」は何かと言いますと
◆「施設や事業所の方針」・・単純に、その施設で在宅での看取りをしているかしていないか
◆「人的資源」 ・・人手が不足している、あるいは知識や経験が不足している
◆「日頃の関係性・ ご本人と御家族の意向の食い違い」・・ご本人は家で過ごしたいと思っていても、家族に負担がかかるから遠慮して言えないでいるとか・・
◆「 夜間サービスを提供する人員の不足」・・気持ちはあっても夜間の人員が確保できてないとできないことですね
◆「死がタブー視されていて、看取りよりも生への頑張りを支援してしまいがち というジレンマ」・・病院や施設でよく起こりうること。
◆「病院スタッフの、在宅イメージの不足」・・一人暮らしの人に在宅は無理でしょ、と決めつけてしまう
今日から私たちができること
ではその壁を越えて何ができるか?
正直簡単なことではないですね。
ケアの提供者としては、在宅ケアの実際をもっと世間に広めなければ必要な方に届かないし、施設などでは看取りの知識や経験を増やすとともに、構造的な整備も必要です。急に施設の方針や人数は変えられないですが、個人レベルでは、まずは自分の家族や回りの人、ご近所さんの体調を気にかけ、普段から対話を重ねる、少々お節介な人になる、なんてことはすぐできそうです。
ケアの受け手としては、自分が人生の最終段階にどんな医療を受けたいか、あるいは受けたくない医療は何かを意思表示しておくことも大事なことだなと思っています。
終わりの挨拶で梶原師長が
「顔の見える連携ってよくいいますが、顔が見えるだけじゃ足りないんですよ。顔が見えて、なおかつこの人、この事業所に頼みたい、この人に預けたら安心だと思ってもらえるようにならないと」と締めました。
病院もまったくその通りだと思いました。
今日もこのブログをお読みいただきありがとうございます。
まずは自分の周りから地道にコツコツですね・・。
手から気が伝わるんです
先日、市内でとあるタッチ・ケアを学んできました。
私が学んできたのは、いわゆるツボを押すとか、筋肉をもみほぐすマッサージではなく、撫でるようにソフトで軽いマッサージです。
スウェーデン発祥で、そもそもは未熟児のケアからスタートしたそうで、心地よさ、人の手に委ねることの安心感などを味わうことができます。背中や手足に最低10分のケアで、免疫細胞が活性化したり、体温が上昇したり、便通が良くなったり、睡眠の質が変わったり・・と個人差はありますが、さまざまな効果があるようです。
10年近く前にこのケアを知り、いつか学びたいと思い続けていたのですが、ようやく実現しました。
2日間の講習のうち座学を半日、実践演習を一日半行いました。
先生の実演を見て、動画を見ながら見よう見まねでやってみました。
手の向き、圧力・スピード・リズム。
やさしく、しっかりと密着させて、なめらかに。
触れることでお互いの体温を感じて、
だんだん相手の背中や手がいとおしく思えてくるから不思議。
お相手は、その日初めてお会いした人ですけどね(笑)。
今度は私がお相手になりました。
午後は両手を同時に、先生と受講生からケアしていただきましたが、あまりの心地よさにだんだん眠くなって声が聞こえなくなっていきました。
こんなに手を大切に扱ってもらったり、背中をいたわってもらうなんて・・とありがたくなります。
その日は、帰宅した途端に体が重だるくなって、かつてないほど熟睡しました。
2日間で、基本の動きを学んできました。
職場のMさんに練習台になってもらっていますが、最初に背中のケアをさせてもらった直後に「施術してる間、どんな気持ちでやってるんですか?」と聞かれました。
どんな気持ち・・・「なんというか、今日もお仕事ご苦労様、と思ってやっているうちに、だんだん背中が愛おしくなるんだよね~」という返事をしたら
「なんか手から”気”が伝わるんですよ~」と言われました。
今日もこのブログをお読みいただき、ありがとうございます。
うっかりへんな”気”を発しないように気をつけよう~~
仕事を辞めずに憧れの土地でちょっとだけ暮らしてみる
当院は徳洲会グループの1病院で、北海道では6つ、全国では71病院と連携しています。
今日はグループ組織としてのメリットだな、と思う看護師の「キャリアアップ研修」についてご紹介したいと思います。
グループ病院といっても、ひとつひとつは規模も機能も違う病院です。急性期の患者さんを診る高度医療の大型病院もあれば、当院のような小規模な病院まで様々です。最近では「トラベルナース」と言って一定期間をあちこち移動して働く派遣ナースの職もありますが、普通、違う土地で高度医療を学ぶとか、離島に行くということは、つまり今働いている組織を辞めて、引っ越しをして移り住むことが前提になります。
「移住」という大きな決断までしなくても、1週間とか1か月とかの期間をそこに住んで職場体験してみたいと言う人は、結構いるんじゃないのかなと思います。
「キャリアアップ研修」というのは、病院の中で得意な分野があって、なおかつ外部からの見学者を受け入れできる、というところが登録します。
毎年徳洲会本部から「キャリアアップ研修」を受け入れる病院は手上げしてくださいと声がかかるので、当院では毎年ホスピス緩和ケア病棟が手上げをしています。グループ内で最初にできたホスピスですし、日頃から見学者の多い部署でもあるので、広く門戸を開けているのです。
他院では、たとえば心臓血管内治療の先駆的な千葉西総合病院や、人工関節センターを持つ湘南鎌倉病院などの高度急性期治療に関わるものから、離島では屋久島徳洲会病院の「もののけ研修」などのユニークなものまでさまざまです。
キャリアアップ研修のリストは各病院に配布され、スタッフから希望者を募ります。
部署の状況などを考え併せて、所属長から推薦されると、看護部長同士で時期などを連絡調整する仕組みになっています。
南の島・温暖な気候・雪のない生活に憧れます
私もスタッフだったら、沖縄・離島・四国のあたりは今でも行って見たい・・
雪のない冬、白い砂浜、海辺でのんびり。
あ、遊びじゃありませんね。
さてこの2月と3月、冬の札幌に、大阪と神奈川からおひとりずつ研修に来られました。
2月の真冬のさなかに(でも雪まつりのときに)来ていただいた大阪のナースには、「札幌に着いたらまず最初に靴屋に行って滑らない靴を買って下さいね」とお教えしました。
院内を案内すると、そこここにある飾り付けを観ては感激してくださいました。
3月は神奈川からのナースでしたがもともとは東北出身ということで、冬道は慣れたもの。安心しました。
お二人とも日頃は急性期病棟の中で緩和ケアを行っている方々なのですが、当院の印象を尋ねると
「ドクターや他職種とのカンファレンスで、みんなが対等に話し合っていることに驚いた」
「ドクターと情報共有ができているので、患者さんへの対応が早い」
「廊下で会う職員がみんな親切で心地よい」
という感想をいただきました。
1週間という期間はあっという間ですけれど、途中ホームケアクリニックで在宅ホスピスも見学し、ちょっぴり札幌観光もできて、充実していたのではないかと思います。
当院からもキャリアアップ研修に誰か行かないかな~と思っています。
百聞は一見にしかず、ですからね!
今日もこのブログをお読みいただきありがとうございます。
グループ病院以外からも広く見学者を受け入れていますので、希望があればご相談ください。
年度末評価、やってるところです。
早いもので今年ももう3月になりました。
年度末ということもあって、目標を達成したかの評価や新年度の計画を立てる時期でもあり何かとあわただしい毎日です。
看護部でも各委員会・各部署の評価を話し合っているところです。
小さな病院なのでさまざまな決め事は、たいがい小回りよく進みますが、物事によっては年単位で時間のかかることもあれば、思っていたよりもぐんと伸びしろを大きく進むこともあります。
たとえば患者さんのベッド周りをもっと整理整頓して、処置のために医療者が使う物品をコンパクトにまとめようという意図があって、看護部感染予防の委員会がそれに着手しました。
PPE(personal protective equipment:個人用防護具の意味)ホルダーという、手袋やマスク、ビニールエプロンなど看護者が日常的に使う備品を、以前は患者さんの床頭台に置いていたのを、お部屋の入口に設置することにしました。病室に入る際に装着していける利便性と感染制御の機能性、一か所に集約できるため無駄が省けること、患者さんのスペースを本来の目的で使うこと、見た目にすっきりすることなどが目的です。
しかし看護師たちのこれまでの動線を変えることになりますし、ホルダー自体それなりの値段がします。
値段を調べ、どこに設置するかを数え、全ての部署が一斉に開始できるようにと委員長が腐心しました。
そして各部署にいる委員たちが、ベッド周りの点検・整備をしてくれているので、ほぼ1年かけておおむね当初の目的が達成されるようになりました。
院内全体の委員長(田村先生)からも「この1年でずいぶんよくなったよ。ベッド周りがすっきりした。」とお褒めの言葉をいただき、気をよくしているところです。
もうひとつ、昨年途中から新たにできた「認知症ケア委員会」。
診療報酬の改定によって、認知症ケアの充実を目的として立ち上げた委員会ですが、各部署の委員とドクター・医事課など他職種が集まって月に一度会議をしています。
電子カルテ上のシステムを整え、対応マニュアルを作り、勉強会などを開くほか、現在は各部署で対応に苦慮する患者さんを、ケース・カンファレンスで共有しあって、どんな対応が望ましいか話し合いラウンド(巡回)し始めたところです。
半年足らずでここまで活動の幅が広がるとは、私も予想外でした。
これも毎月の会議の内容を緻密に考え準備してくれる人がいるおかげ。
そして認知症ケアについては「ふくじゅそう外来」を開いている、田村先生がいることが当院の大きな強みになっています。
どちらも田村先生が委員長の委員会デシタ(^^)。
そしてどちらも「なされるべきは何か」を考えて行動する委員会です。
成果を上げるのは、こういうことなんだなあ。
今日もこのブログをお読みいただきありがとうございます。
まだまだやることいっぱいです。
もうひとつのボランティア(職員編)
前回までボランティアグループせらの活動についてお話しましたが、今日はちょっと番外編を。
せらの活動が危うくなって、一番困ったのが「飾り付け」でした。
春夏秋冬、季節の行事などを題材にした飾り付けは、絵心とセンスが大事なのです。
これまでの作品を写真に撮って保存してくれているので、それを見ながら再現することは可能だ・・とは聞いていたのですが、見るのとやるのとでは大違い。実際私はやってみて自分がこのことにまったく向かないということを改めて発見しました。
万一できる人がいなかったら、困ったな・・と考えていたところ、救う神がいたのです・・職員の中に。
mナースは当院のホスピスの飾り付けを見て就職を決めたというくらい、飾り付けに思い入れがあって、イラストもとても上手な人。
飾り付けする人がいなくて困っていると話したところ「やってみたい」と言ってくれてスタートしました。これまでにない斬新な発想で、次々話題作を制作してくれました。
常に飾り付けのことが頭のどこかにあるので、街中のディスプレイなども参考にして歩いているそうです。
検査技師Tさんは独学で始めた切り絵が楽しくて、2Fの新館のコーナーをいつも飾ってくれています。
小さな先端のカッターを器用に用いて、美しい切り絵で物語の一シーンのような世界を制作しています。ひとつひとつがこまかく、よくできているのでじっくりみたくなります。
フエルトのリスちゃんとメジロちゃんが登場人物となり、見る人が自由に空想する楽しさがあります。
クラークSさんは手作り小物が上手で、まあるく、あったかく、ほのぼのした空間を作ってくれます。
人形の表情がにやにや、わくわくした感じでなんともユーモラス。人柄が出ています。
クラークSさんと協働しているのがSナース。ときどき、こんな独創的なことをしてくれます。
病院にお勤めの人はわかると思いますが、太巻きの中身は採血のスピッツ(試験管)!
さて、トリはこの方。Fさん。
仕事柄たくさんのコード類がお部屋にあると思われます。こういうセンス、大好きです。
職員の中に、こんなにセンスのある人が、そして技術のある人がいてほんとありがたいことです。
そしてそれぞれに楽しんで、主体的にしているってことが何よりうれしいことです。
ボランティアでも、仕事でも、自分のしたことで誰かが幸せを感じたり楽しい時間を過ごしてもらえるというのは、ヨロコビにつながります。「楽しい仕事は楽しごと」と誰かが言ってたっけ。
今日もこのブログをお読みいただきありがとうございます。
なされるべきことが、得意なことだと、その仕事は楽しい。
病院内に社会の風が吹き抜ける~ボランティアせらの活動~(下)
本当は退職して悠々自適な生活&大好きなリフレクソロジーをする予定だった鈴木さん。
ボランティア・コーディネーターになってくれないかとお願いしたところ、快く引き受けてくれて勇気100倍になりました。
せらのコンセプトを明確にする
さっそく、せらのコンセプトを明確にするところから話し合いを始めました。
「ほっとできる場をつくる」ーうんうん
「いつでも誰でもが立ち寄れる場をつくる」-うんうん
「ホスピスだけじゃなくて、病院全体を活動の場にしよう。」
「定期的なミーティングをして」
「当面はお茶会と飾り付けの維持継続だけど、人数が増えたら活動範囲を広げて、いずれはコーディネーターをボランティアさんから立てられるといいね」
「5月に辞めることが決まっていたメンバーさんに、感謝の気持ちを表す会合を開こう」
感謝をちゃんと伝えよう
ということで感謝のつどいを企画。
職員からのメッセージを募り、それをメッセージツリーに張って贈ろうということになりましたがツリーの台紙、どうするの?ってことになって、なんとここで鈴木さんがイラストも上手だということが判明。わ~びっくり。いくつ才能持ってるんですか!
そうして長年頑張ってくださった皆様に感謝の気持ちを、お贈りしたのでした。
募集説明会から対話を深める
その後募集説明会を開いたり、人づてでnewメンバーが増えました。
説明会は少しずつバージョンアップし、最近は可能な限り理事長や院長にもお話しをしてもらっています。私たちの病院のありようと、ボランティアに関する考え方を聞いていただいたあと、実際に活動しているところを見ていただいてます。水曜日の午後のお茶会、そしてボランティア室での作業、飾り付けの様子など。そして茶話会を開き、なぜボランティア活動を始めようと思ったのか、どんなことが得意かについて詳しくお話を伺います。
その人の考え方・価値観が少しわかりますし、病院の求めている活動と同じ歩みができそうかをすり合わすことができます。お互いの考えを聞きあうことで、ボランティアさん同士が親しくなるのも早いような気がします。
最近のせら
だんだん人数が増えてきたので、最近は鈴木さんが活動メニューを作ってくれるようになりました。
メンバーはそれを見て次回は何をしようか、自分で選択することができます。鈴木さんは先々の行事も頭に入れながら、「そろそろクリスマスカードの準備」とか「車いすをピカピカにする日」とか楽しみながら続けられる工夫をしてくれています。
危機を乗り越えて
おかげさまでせらは存続の危機から1年が経過し、現在登録数は17名になりました。
活動の場所は一般病棟や透析室、花壇にもひろがりました。
なにより「ここへ来ると楽しい」と皆さんおっしゃってくださいます。
「私は冬の間は来れないからね」と言っていたHさんは、冬の間休まずタクシーで来て下さいます。
やりがいを持って通うHさんを見て、息子さんが「母さん、ボランティアに行くのに転んでけがしたら何にもならないからね、タクシー代は必要経費だよ」と言ってくれたそうなのです。そうまでして来て下さるHさんとその息子さんに、私は心の中で手を合わせています。
病院らしくない病院を作る、これが私たちの新病院コンセプトでもありますが、ボランティアさんが持ち込んでくれる社会の風が病院内を吹き抜けて、患者さんもご家族も職員もボランティアも、共に支え合いながら進んでいくことができたらいいなあと思っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
手前味噌ですが私の撮った写真、なんとも温かい、いい笑顔だと思いませんか?
病院内に社会の風が吹き抜ける〜ボランティアせらの活動〜(上)
当院には「せら」という名前のボランティアグループが活動しています。
2003年に前野理事長(当時は院長)が緩和ケア病棟を開設し、その後せらが結成されました。せらという名前は、「ケ・セラ・セラ」のセラ、「セラピー」のセラ、そして「せせらぎ」のせらから由来しています。結成当初のお茶会には淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生がお越し下さって、ずいぶん勇気づけられたと伺っています。
せらの活動は、緩和ケア病棟で開かれるお茶会や、イベントのお手伝い、季節の飾りつけ、縫い物など、現在に至るまで続いています。季節の飾りつけは、温かく全体のバランスも整ったアートとなっており、患者さんやご家族だけでなく職員も立ち止まって見入っています。
デイルームで毎週開かれるお茶会は、患者さんもご家族も楽しみにして下さっています。
フルートやピアノの生演奏を聴きながら、カフェのように好きな飲み物を注文できて、のんびり過ごすことができるのです。
医師や看護師らも同席して、楽しく語らいながらお茶を飲んでいると、病院にいることを忘れてしまいそうです。
ボランティアさんたちは、揃いのエプロンをつけ、注文を取りに来て、飲み物を作って優しい笑顔でテーブルに運んでくれます。
お部屋の入口には戸口飾りといって、手作りアクセサリーがぶら下がっています。
これらのことは、職員だけでは到底できることではありません。ボランティアさんたちが作り出す世界や空間は、社会の中で日常生活を送っていることを思い出させてくれるとともに、人の手のぬくもりややさしさが感じられて「ほっ」とするものです。
せら存続の危機
昨年私がこの病院に来た時、せらは存続の危機にありました。かつて10名以上いたメンバーは、年齢や体調、ご家族の介護など様々な事情で、7名ほどになっていました。そのうちお茶会に毎回来られる方は4名しかおらず、自分が休むと他の人が困るという理由で無理を押して来てくださっていました。来れるときに来て、楽しく活動するはずのボランティアがまるで義務のようになり、メンバーは皆疲れていました。5月までにさらに人数が減り、毎週行われていたお茶会の運営や季節の飾りつけが危うくなりました。
そこで、みなさんからいろいろお話を聞き、方向性を幹部で話し合いました。
病院側の対応にも反省すべきところが多々ありました。自律して活動しているせらの皆さんに頼り切って、コミュニケーションが不足していたのがその原因でした。
過去を省みて、これからのボランティア活動について、どんな方針をもって進めていくのか見直すチャンスでもありました。
せらの活動は、私たちの病院にとってなくてはならないものです。病気と闘う患者さんとご家族が、ほんのひとときでも病気を忘れ、社会の空気を感じることが、今を生きていく上でとても大事なことなのです。
ですから病院側とせらとの間をつなぎ、対話する仕組みをつくること、新たなメンバーを募集し、ゆとりを持って活動できるようにするのが急務でした。
ボランティア・コーディネーターの誕生
組織の基盤を作るためにコーディネーターという役割をもった人を作ることにしました。
病院のこともわかっていて、新たなボランティアさんたちに院内のことや活動を説明し、一緒に動いてくれる人。親切で明るく、楽しい人。ボランティアさん一人一人の得意なことを引き出して、活動に結び付けてくれる人。
こんな条件のそろった人、めったにいないものですが、幸運なことに私たちの仲間に、その人はいたのです。
その人、鈴木さんは仕事をしながら何年もかけて「英国式リフレクソロジー」を学び、自らボランティアとして活動しようとしていた人でした。
https://sapporominami.com/nurse/voice/
(つづく)
「あなたはがんです」と診断を受けたら
病院のFBにもUPしたのですが、ちゃんとまとめておきたくなりました。
1月27日(金) 豊洲市場前に建つ マギーズ東京に行って来ました。
マギーズ東京という所、一言で説明すると、がんに関するあらゆる相談窓口です。
自分や家族ががんと診断を受けた時、誰しも頭が真っ白になり、治療法のこと、仕事のこと、家族のことなど様々な心配不安が沸き起こってきます。病気のことは医師や看護師に訊くことはできても、お金のことや家族のことなどは相談しにくいものだと思います。
看護師の私だって、そのときどんな反応をするか自分では予測がつきません。病気の知識があっても自分事となるときっと迷い悩むだろうと思うし、お金のことなどは、相談する相手をだれにしようか悩むだろうと思います。
家に帰って一人になった時に、様々な感情と共に疑問や不安が思い浮かぶ。その時に気軽に相談できる場所がないという発想で、マギーズは出来ました。
詳しくはhttp://maggiestokyo.org/
相談するのは患者本人でも家族でも友人でもいい。
相談を聴いてくれるのはがんの専門看護師や臨床心理士などの専門家。予約はないので待つこともあるけれど、待ち人同士がお互いの話をして、偶然同じ病気や似た体験をしたことから急速に親しくなることもあるそうです。正しい情報を取り入れるというだけではなく、気持ちを聞きあい心を穏やかにし、問題を整理して自分らしい意思決定を支援してくれる場所、そんな場所なのです。
相談するのは患者さんだけではなく、ご家族や友人ということもあり、その立場や病状の度合いは問いません。
いちばん身近な家族だからこそ、逆に言いにくい、話し合えないということもあります。直接治療に当たる医療者にはセカンドオピニオンを切り出しにくい、ということもあるでしょう。こんな時は、距離の遠い第三者が良い、という場合があります。
マグカップにたっぷりのお茶とお菓子をふるまわれて、テラスのベンチや室内のゆったりしたソファに座れば、くつろいだ気分でお話ができそうです。
建物は大きなガラス窓と木のぬくもりを感じる作りで、自然の光がたっぷり入って温かです。奥に広めのキッチンがあり、何か身体に良いものも作れそう。広めのベンチは小さな子供の遊び場にしたり、少し横になって休みたい方のベッドにもなります。
どの場所も、ちょっとした優しさが感じられます。そしてなんと相談は無料なのです。
夢を叶えるには・・・呟くんですよ(^_^)
創設者の秋山正子先生は全国に「暮らしの保健室」を作られて、地域の方々に健康に関する情報提供や相談業務を広めて来られました。
東京だけじゃなくて、全国にマギーズ・センターがあったらいいですよね。
本当は私たち医療者が日常的に相談業務にもっと時間をさければいいのだけど、もっと敷居が低くて、「こんなこと相談してもいいですか?」という言葉に「大丈夫!なんでも言ってみてください」と言える場所があればいいなあと思います。
マギーズを設立するのにも色々な困難があったのではないかと思いますが、「やろうと思ったら、黙ってたらダメ。呟くんですよ。」と茶目っ気たっぷりにおっしゃいました。想いをつぶやくことで誰かが応援してくれる、そして夢の実現に繋がると、私は受け取りました。
そして頭の中に新病院と共に、いろんなアイデアのタネがフワッと浮かびました。
がんの相談だけでなく、介護や認知症のご家族の相談、合間にマッサージやリフレクソロジーを受けられて、独り暮らしの高齢者の食堂を作って、ちょっとしたコミュニティになって、たまに音楽やアートのワークショップ・・・いつもの妄想ワールド・・(^_^)
帰りがけにもう一度、先生から「呟くんですよ。」とささやかれました。
これはもう、神の啓示に近いんじゃないかと思いますがどうでしょう?
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
やっぱり世のため人のため、愛ある活動はそれだけで応援したくなるものですね。
ご家族が認知症かも・・というときご相談ください
先日グループ病院の看護・介護部門の看護研究発表会が行われました。
新しい知識を学ぶとか、何か共通する物事を話し合うというときに、全国グループのスケールメリットを感じます。
当院からは外来の研究「認知症患者・家族との関わりについて考える」というテーマで発表がありました。
ふくじゅそう外来とは
当院には「ふくじゅそう外来」という風変わりな名前の外来があります。
認知症患者さんとそのご家族のための外来なのですが、認知症の方が「私は認知症じゃないかと思う。だから認知症を診てくれる病院にかかろう」と思うのはまれなことで、ほとんどの場合一緒に暮らしているご家族が異変に気づいて、どこに相談しようかと考えられます。
受診(病院で診察を受けること)することを決心したとして、「認知症の外来に行きますよ」というのはあまりにも直接的すぎて、「私は認知症なんかじゃない!なんてことを言うんだ!」と言われかねません。
それほどに認知症に関してはデリケートな側面があるため「もの忘れ外来」というようなネーミングをつけている病院がほとんどです。
当院でも抵抗感が少なく来られるよう「ふくじゅそう外来」という名前にしています。
ふくじゅそう外来ではコウノメソッドを取り入れ、「介護者保護主義」をコンセプトとし、共に暮らす介護者の負担軽減を重要な視点にしています。
認知症が進行すると単なるもの忘れにとどまらず、徘徊、火の不始末、もの盗られ妄想、暴力、異食(食べ物ではないものを食べる)、介護拒否などが起こることがあります。(個人差があります)
症状がひどくなるほど、介護者は対応に悩み苦しみ、周囲からの理解やサポートを必要としています。
介護者の関わりの変化で負担も軽減していく
認知症は残念ながら、現在のところ特効薬はありません。
「また忘れてる」「どうしてこんなこともできないの?」など、衰えて変化していく家族を理解できず、ついつらく当たってしまったりして、そのことに自己嫌悪を感じ介護者=家族の苦悩はどんどん深まっていきます。
しかし介護者が「大変だ」と感じていた症状は、薬の調整や関わり方のコツを知って対応すれば、落ち着いて過ごすことができるようになっていきます。それは結果的に介護者自身の心境の変化にもつながっていきます。
介護者自身が「負担だ」「どうしてこうなったの」「イライラする」など悲嘆や負の感情を抱いているより、「そういう病気だからしょうがない」と受け止め、「これはできなくなった、でもこんなことはできる」と、いい面に目を向けることによって、患者さんも安定していくのです。
外来の研究発表は「介護者の負担軽減の役に立ちたい」というコトバで締めくくられました。少しでも認知症の患者さんとご家族の力になれたら幸いです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ふくじゅそう外来に関する情報は
ふれあい平成26年3月20日号
ふれあい平成27年1月1日号
をご覧ください。
旅立つ場面に家族がそばにいられること
- 私が看護学生のころの話です。
「私はね、自分や自分の親ががんで死ぬとしたら、自分の子供たちに死ぬ瞬間立ち合わせてやりたいと思っている」と看護教員のT先生が話をされました。
「臨床現場では、死ぬ瞬間救命処置をするために家族は部屋から追い出されることが多い。でも、予期していて、避けられないものなら、無駄な処置はせずに家族でその場面にいたいと思っている。特に今の時代、愛する人の死ぬ場面は、たとえどんな小さな子供であっても、見せてやりたいと思うの。」というようなことをその先生はお話しされました。
もう、30年くらい前の話です。
その後私は急性期の病院に就職し、臨終の場面では心電図モニターや点滴・酸素などがフル装備されており、呼吸の補助や心臓マッサージなどの蘇生処置を精一杯することが当然だと教わってきました。
蘇生の間はご家族には病室から出て頂きます。場所も狭いですし、心臓マッサージや呼吸の補助など医療者が動きやすくするためでありますが、もう一方でご家族にとっては蘇生のシーンそのものがショッキングな出来事だからです。
一定時間蘇生をし続けても回復が望めないと判断したとき、ご家族に病室にお入りいただいてモニター画面を見て説明をする、臨終とはそのような流れでした。医療者としても無力感を感じる瞬間です。
死ぬ瞬間をどこでどう迎えるかは誰にもわからない
私の頭の隅にT先生の言葉は残っていました。
59歳で母ががんで亡くなったとき、偶然ですが私は子供たちを立ち合わせていました。
蒸し暑い土曜の午後、幼稚園から子供たちを連れて母のもとに来ていました。
ぎりぎりまで家にいて、「(蘇生など)よけいなことは一切してほしくない」という母でしたので、入院した翌日でしたが点滴一本すら入っていませんでした。苦痛を取るための注射を一本打ったあと、主治医が診察に来るのを待っている間にすうっと命が閉じました。
息を引き取って数分後、父と私がひとしきり泣いたあとで、それまでじいっと部屋の隅にいた4歳の娘がとことこと近づき、母の枕元にぴょこんと飛び乗り、黙って母の頭をやさしく撫でたのでした。
死というコトバも概念もわからない年でしたが、ごく自然に子供たちはそのことを、しかもあっさりと受け入れてしまったのでした。周りで慌てたり泣いたりしていた大人たちを尻目に、なんと堂々とした受け入れの対応かと、わが子ながら驚いたのを覚えています。
大きくなった娘は、そのことを自分の体験としては覚えていません。
けれど折に触れて私が話すので「もう何回も聞いた」とあきれながら、記憶として刷り込まれているようです。
旅立ちという言葉
「死」という言葉を私たちは「旅立ち」という言葉に置き換えて使っています。
生々しさを払しょくし、柔らかい表現にという意味合いもありますが、死は誰にも訪れることであるから、医療者としては苦痛なく穏やかにその時が迎えられるように援助をすることが前提で、次の場所へ旅立つイメージを持つことが大事だなと私は解釈しています。
旅立つ場面に寄り添えることもあれば、みんなが寝ている隙に静かに旅立つ人もいます。それは(静かに寝ている人を起こしたくない)という患者さんの配慮だったのですよ、ということもあります。どんなにその人を愛し、思っていても、旅立つ時は思い通りにいかないもので、必ず何か後悔や思いが残ってしまうものです。
でもそうして何度も何度も繰り返し思い出して、生きている人が話をするというのが、「いつまでも心の中に生きている」ということであって、次の世代の子供や孫につながっていくことだなあと思うのです。
あの日が休みの日じゃなかったら、夜だったら、きっとあの場には立ち会えなかった。
私や私の子供たちが母の旅立つ場面に立ち会えたことは、とても有り難いことで、母からのギフトだと思っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
いつかT先生に会ってこの話をしたいと思っています。