札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ
再び、幡野広志さんの本
病院機能評価の受審が終わったら、あれをしよう、これをしよう、と思っていたことの一つに幡野広志さんの新刊「 ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読む、がありました。
最初の本「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる 」もそうでしたが、私にとって幡野さんの本は電車の中で読むとか一章ずつ毎日読む本ではなくて、たっぷりと時間を取ることができる日に、静かで穏やかな場所で、しかも泣いてもいいような場所で一気に読む、という諸条件を整えてから読みたい本なのです。
決してベッドの中で寝ながら読んではイケマセン。
あ、でも正座はしなくていいです。
うるさいですね(笑)
休日の朝、お気に入りのカフェで一気読みしました。
そして、シビれるコトバに付箋を貼りたくなって、帰宅して二度読みしました。
がん患者さんが病気を知ってからどんな風に感じ、考え、何と戦い(病気以外にも戦うモノゴトがたくさんある)、どんな風に決定していくのか。何を一番大事にすべきなのか。
限られた時間だからこその説得力に満ちています。
それはがん患者ということに限らず、自分の人生を他人に振り回されずに掴み取っていくことを改めて考えさせられます。
ストレートで時に辛らつ、でも自然体な幡野さんの文章は、心にすうっと入ってしみこみます。
そして家族への愛情と悲しみ、こうなってわかった本当の人とのつながりをだいじにし、感謝の言葉が直球で伝わってきます。
がんじゃなくても、生きづらさを感じている人や、他人に振り回されて自分のことを後回しにしている人に読んでもらいたいです。
幡野さんは子どもが大きくなった時に「お父さんはこんなこと考えていた」と伝える記録として、写真や文章を残していると書いています。
体には病を受けているけれども、心は健康で研ぎ澄まされている。
これからも長くたくさん書き続けてほしいと願っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人生は失うことの連続だけど、ところどころ光に満ちている。
鼻腔いっぱいにイチゴの香り
6月も後半となり花壇の花がとりどり咲いています。
4F屋上「ふれあいそらのガーデン」にもプランターの花や野菜がすくすくと伸びて、風に揺れているところです。
先日ちょうどボランティアさんが作業しているところに、お花好きの患者さんがやってきて、しばしの間、花談義で盛り上がりました。
また、別の日にはプランターで育てたいちごが赤くなってきたので、病棟に運んで鑑賞したり摘み取っていただきました。
ある方は、摘み取ったイチゴの新鮮な香りを鼻に吸い込んで、驚いたように目を真ん丸にし、それからにっこりして「こんなところでイチゴさんに会えるなんてね」と喜んでくださいました。
感染予防やアレルギーの問題で、最近は病院から生花が遠ざけられる傾向にありますが、当院では4Fのサンルームなどでこうして植物を育てています。
認知症の方が水やりをしに来てくださったり、リハビリの休憩中に眺めたり。
楽しみの少ない病院で、思い思いに過ごしてくださっている。
先日ネットでこんなデータを見つけました。
https://www.mizuho-ir.co.jp/case/research/flower2012.html
花のある環境は不安やストレスを和らげ、活気を取り戻す効果がある。
いうまでもなく癒し効果があるものです。
「イチゴさんに出会えた」とおっしゃった患者さんも、お顔が和んでいらっしゃった。
つかの間病気であることを忘れてくれたなら幸いです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
6/26(水)には病院前のイチゴ畑でイチゴ狩りをする予定です。
すいません、写真はご愛嬌。
抵抗勢力に負けない勇気
週末は「行動制限最小化研究会」に出て、当院の「カンフォータブル・ケア」の実践についてうちの棟方師長が発表してきました。
これで「カンフォータブル・ケア」3部作というか3段活用というか(笑)はひと段落しました。
最初は昨年法人内で行われた発表会だったのですが、ここでの評価はいまいちでした。
質の改善につながったのは確かなのにどうしてか伝わらなかった。けれども私たち、言いたいことが多すぎて整理できてなかったんですね。人に伝えるのにはもっとシンプルで直接的なほうがいいね、ということになってかなりそぎ落としたものに修正しました。
それをもって日本認知症ケア学会に挑戦し、発表することができたのです。
今回出席した「行動制限最小化研究会」は精神科領域の看護師さんたちの集まりなのですが、南敦司さんから呼んでいただき、一般病院の管理者として、カンフォータブル・ケアを導入した組織変革を主に発表させていただきました。
手前味噌ですが、私は今とても充実感と満足感いっぱいです。
現場の師長が提案し、導入し、成果をつかんで発表した。
体を通った言葉、つまり主体的に努力して体験した出来事は、説得力という重みをもって人に伝えることができるんです。してきたことをまとめ、人に伝えるためにどう表すか、師長さんたちのチャレンジをサポートしながらワクワクしていました。発表後に質問をいただけるのもありがたいことです。
そういう意味でこれらの発表は私にとって宝石のようなものなんです。
さて、行動制限最小化研究会でも参加者からご質問がありました。
「自分の部署でもカンフォータブル・ケアを取り入れたいが、変化に抵抗を示す人がいると思う。みんなが同じ方向を向くための方法を教えてほしい」というものです。
実は導入前の私たちも、同じ疑問を南さんに投げかけました。
小さな部署でも何か今までにないことをやろうとするとどうしても抵抗勢力というのはあるものです。
でも先にビジョンをよく考えて語り、どんなケアを提供する集団にしたいのか、そのために必要な技術としてこれを取り入れるよ、そうするとこんな未来が見える、ということをきちんと伝える。
そしてぶれずに続けると次第にそれがスタンダードになっていくのだと思います。
私たちも以前、患者さんのことを「ちゃん付け」していました。
長くつきあっているうちに親しみをこめてそうなっていたのです。
でもちゃん付けをやめ「いつも敬語」の原則を伝え続けて「〇〇さん」と言い直すようにしました。
「いつも笑顔」や「目線を合わせる」「ほめる」を意識するだけで、患者さんとのコミュニケーションが変化することを実感した職員は、自然にその態度を継続するようになります。
マーゲンチューブ(鼻から胃までの細いチューブで栄養剤を注入するもの)を患者さんが抜いてしまったとき、数年前は「また?」「まったくもう!」「じゃあ手にミトンはめよう」と患者さんの行動を抑制していました。
今は抜いてしまっても「ああ、すっきりしたお顔ですね」「嫌だったんですね」と言い、ご家族を含めてミトンをするかどうか、その都度話合います。ひと月に何十回もマーゲンチューブを抜く患者さんがいますが、今は「しかたのないこと、抜きたい気持ちはよ~くわかる」という風に私たちは理解してます。
そうしているうちに患者さんの周辺症状(怒ったり拒否したり叫ぶなど)はほとんど見かけなくなり、他所から転院してきた場合には「ここの方がおばあちゃんが穏やかなので、ずっと入院させてください」と言われることが多くなりました。
認知症「ふくじゅそう」外来の田村先生からも「あなた方のケアが良いから患者さんが落ち着いている」と認めていただき、こういう他者からの肯定も職員の自信につながっています。
組織文化の変革は勇気のいることですが、「良いこと」には賛同してくれる人がいるはず。
一人ではなく味方をつくって心を込めて繰り返し言い続ける。
良かったことを共有し、「ありがとう」とフィードバックする。
その小さな積み重ねできっと変わります。
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一つ目がいい評価だったら3度目はなかったかもなぁ。
できないと決めつけずに
Qさんは全身の筋肉が徐々に衰えていく病気にかかり、ベッドから降りることがない日々を送っています。
先日障がい者病棟で行ったイベント「手形でこいのぼりを作ろう」でベッドごとデイルームに連れ出されました。
このイベント、介護福祉士Sさんの発案です。
デイルームに集まって車いすで参加している方は、手に絵の具を塗られています。
赤や青に塗られた手形を大きな模造紙にてんでばらばらに押していて、これだけだと何ができるのかさっぱりわかりません。
でもみなさん目に微笑みをたたえて、何だか楽しそうです。
これだけ派手に手を汚す、というのは病院の生活では普通ないことで、皆さん何が起きるのかなというお顔をしていらっしゃいます。
私の横で田村先生が「手を汚すっていうのは脳にいい刺激になるんですよ」とつぶやいて行かれました。
小さな頃にした泥んこ遊びは、一度手が汚れてしまったら思い切りよく楽しむに限ります。
手形を押した後に師長さんから手相を見てもらい「生命線が長いですね~」と言われて実に楽しそうです。
そんな中、冒頭のQさんはベッド上でつまらないんじゃないかと声をかけると、震える指を動かして親指と人差し指で「OK」のサインを出してくれました。
ただそれだけのことですが、うれしかったんですと涙目になって師長さんが報告してくれました。
その後Qさんの手にも絵の具が塗られて、こいのぼりの絵にしっかり参加されたのだそうです。
私たち看護者は「患者さんにはできない」と一方的に決めつけて制限をかけたりすることがあります。
手指を使う場面を作らないで、先んじて介助してしまっていることもあると思います。
でも実は、患者さんはさまざまな力を持っている。
そのことをよくイベントで感じています。
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喜び合える感性を育もう
再び・なぜカンフォータブルケアなのか?に答えます
週末は京都で開催された日本認知症ケア学会に参加してきました。2年前から取り組んできた認知症対応カンフォータブルケアについて、効果があったことを発表するためです。機能評価受審が迫る中、師長さん2人との共同研究は忙しい中でも楽しいものでした。
口演した病棟師長さんはとても緊張していましたが、練習の甲斐あって落ち着いた声でゆっくりと発表でき、見ていた私もホッとひと安心しました。
終わって質問が2、3ありました。
そのひとつに「どうして(他のケア技術ではなく)カンフォータブルケアを選んだのか?」という問いがありました。詳しくは過去のブログを読んで頂ければ幸いですけれども、振り返って考えるとこれはきっかけを作ってくれたM師長さんの直感だったと思います。
直感で決めた!カンフォータブル・ケア
職種に関係なくみんなで取り組める。
言葉がやさしく敷居が低い感じ。
当たり前のことばかりで難しいと感じない。
特別な道具や高い研修費がかからない。
そして南さんの「現場のケアを良くしたい」という情熱。
みんなでこれに取り組んだら、患者さんだけじゃなく自分達もポジティブに仕事ができるんじゃないか、と信じられる何か。
こんなところが小規模の当院に合っていたと直感したのです。
ただし南さんは「みんなで同じ思いで取り組まないとうまくいかない。誰かが、私はやらない、と言い出すと台無しになる。」とおっしゃってました。だから私達は全員にこの研修を受けてもらって、意義を理解し共感してもらうことからできるだけ丁寧に始めました。
患者さんに良いケアを提供して周辺症状が良くなっていく。
それが実感できたことで、スタッフはこのシンプルなものを、まっすぐ受け取ってくれたのだと思います。
この2年間私達はカンフォータブルケアに取り組んで、成果を実感しました。患者さんの笑顔が増えて、薬の量と行動制限が減りました。看護師の言葉は変化し介護福祉士達はイベントを提供して患者さんを喜ばせようと一所懸命やってくれています。
お金のない病院や施設ほど向いている
研修にお金をかけられない中小の病院や高齢者施設ほど、カンフォータブルケアは導入しやすいように思います。
南さんご自身は全国にこの取り組みを広めたい、現場をよくしたい、という一心で活動されてますから。
現場の様子を見たい!という方は是非見学にお越し下さい。
まだまだ発展途上ではありますが、何かを感じていただける程度にはなってると自負しています。
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どれが一番とか正しいとかでなく。
病室でイチゴ狩り⁉
今年もボランティアの方々と職員のおかげで「あ・ぐり~んプロジェクト」の土づくりや種まきが一通り終わりました。
年々段取りがよくなって、患者さんの寝間着を泥で汚すようなこともなく、疲れさせずに楽しく過ごすことができるようになったな、と感じています。
病院前の植え込みには今年もいちごとじゃがいも「きたあかり」が植えられて、ここ最近の日当たりと追肥が功を奏してイチゴの花も大きく、ぐんぐん茎が伸びてきています。
昨年は6月下旬にいちご狩りの日だったのですが、当日は強い風が吹いてとても寒い日でした。
それで患者さんには1Fフロアに集まっていただき、ボランティアさんがイチゴを摘んできてくれて、その場で採れたてイチゴをひとつふたつと食べていただきました。
長雨の影響で、味はどうかなと心配していましたが、小粒で甘いイチゴになったようです。
屋上「ふれあいそらのガーデン」ではプランターでもイチゴを育てています。
2年前ホスピスで療養されている方のところへプランターごと運び、ベッドサイドでもイチゴ狩りをしていただきました。
患者さんにとってはベッドサイドでイチゴ狩りなんて思いがけないことでしたので、大変驚かれて、喜んでいただきました。
今年もお陽さまをたっぷり浴びた新鮮なイチゴの香りを、届けられますように頑張りたいと思います。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
病院らしくないことをこれからも。
ボランティアさん感謝の集い2019
少し前になりますが4月24日、ボランティアグループ「せら」のみなさんと感謝の集いを開きました。
2016年の1月着任してひと月ほどたったころ、私はボランティアさんたちにご挨拶しようとお声をかけていました。そのころは毎週水曜の午後ホスピスでお茶会を開くのと病棟内の飾りつけをしていただいてたのですが、人数は登録7名ほどで、毎週来られていた方が3~4名くらいでした。
挨拶したのと同時に「この春でボランティアを辞めようと思っています」と次々言われ、「え~?どうしよう!」と焦ったのがついこの間のような気がします。
ホスピスでは水曜日のお茶会を楽しみにしている方が大勢いらっしゃるので、なんとかお茶会だけでも存続を・・と必死に募集をかけて、ボランティア養成講座を開いたりしたのも懐かしい思い出です。
それから数年、今では30名以上の方が熱心に活動を支えてくださっています。
みなさんへの感謝の気持ちを表すために年に一度、ささやかなこの集いを必ず開催しています。
リフレクソロジー1000回を表彰!
そのボランティアの中心になっていただいている、元師長の鈴木孝子さんは、仕事をしながら「英国式リフレクソロジー」というマッサージの資格を取り、定年退職後はボランティア・コーディネーターをしながら、患者さん・ご家族・職員にそのマッサージを施してくれています。私も数回受けたことがありますが、むくんだ足が軽くなり、おしゃべりで心が軽くなり、全身癒されて家路に着くことができました。
このたびその活動が昨年の11月で1000回を超えましたので、表彰状を院長から渡されました。
いつも明るく、おやじギャグを飛ばしながら、ボランティアさんをまあるくまとめてくださり、感謝しています。
ボランティア活動は多彩・院内全体に広がる
ボランティア「せら」の活動は今や院内全体に渡っています。
お茶会・イベント・飾りつけ・裁縫・園芸・音楽・傾聴・お掃除とそれぞれが得意なことをしていただいて、活動後のおしゃべりに花を咲かせ、ここへ来るのを楽しみにしてくださっています。
職員もボランティアさんの活動から何かを感じているし、ボランティアさんも職員と同じ研修会に参加したりしてまるで病院職員と同じような存在になっています。
私は会場を準備しながら、今、ボランティアさんが一人もいないこの病院は想像できないな、と思いました。
もしボランティアさんがいなければ、病院の中はたちまち色彩のない、殺風景な景色になってしまうでしょう。
物理的にも心情的にも。それくらい、重要な存在です。
去年の活動のスライドを見て振り返りながら、なんて素敵な人たちが集まってるんだろうなとつくづく感じました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「ここへ来るのが楽しい。わくわくする」というコトバが最高にうれしいです。
なお今年もボランティアを募集します!詳しくはこちらをご覧ください↓
居酒屋ばぁば ~人生フルーツその後~
元号が変わり、史上初の10連休となったゴールデンウィークですが、病院は途中5月2日に通常診療をしました。
年末年始も連休も、病院は24時間365日の仕事。
患者さんを守ってくれる職員がいるから、私は夜寝ることができる。
おかげさまと感謝しています。
お休み中、ネットであれこれ調べているときに偶然映画「人生フルーツ」の奥様・津端英子さんの「その後」を見つけました。
この映画、今もシアターキノ(札幌)で月一で上映されています。
軽やかなピアノの音楽を背景に、津端さんご夫妻の日常生活が淡々と描かれています。
畑を作り、実がなって、枯葉で肥料を作り、また畑に漉き込む。
できた作物で手作りの料理をし、お菓子を作る。
周囲の人に手書きのはがきを送る。作物を分けて送る。
その生活の延長上にごくごく自然な形で死が訪れる。
死は特別なことではなく、時計が止まるように。
ナレーターは樹木希林さん。穏やかな言葉が映像に深みと味わいをつけてくれます。
「人生フルーツ」のその後、英子さんはどうされているんだろう。
あの大きな家で今も畑を守り、日々を丁寧に暮らしているのだろうか。
よけいなお世話ですが、勝手に心配していました。
2017年の動画ですが、この「居酒屋ばぁば」、英子さんと樹木希林さんの女子会です。
お二人の結婚観や人生観が伝わってきます。
英子さんの大事にしている、「ときをためる暮らし」。
私にはとてもできないけれども、少なくともちゃんとしたものを食べることや自分の体の声を聴くこと、家族を大事にすることは心がけようと思ったのでした。
https://joholinear.com/all-about-tsubata-hideko/
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今は鬼籍に入った樹木希林さんの、内田裕也さんを想う気持ちもいいんだな。
主任昇格のお祝いをしました
先日、この春昇格した主任さん、異動してきた副主任さんたちとお祝いの会を開きました。
当院は看護師総数60名の、小ぢんまりした病院です。
4年前に私がここに着任したときは、各部署の責任者はいたけれども、その下の主任・副主任はほとんどいませんでした。
「これはやりがいがあるなあ」と思ったものです。
看護師の世界は終身雇用というよりは、興味のある分野で転職を繰り返す人が多く、女性が多いのでライフステージによって働き方や場所を変えざるを得ない人も多いです。
そんな中、次の世代の看護部長になるかも知れない人を育てるというのは責任のある、楽しい仕事です。
病院の方向性ははっきりしているし、そこで貢献できる人かどうか、そこが一番のポイントです。
リーダーシップのタイプがどうのこうの、はあまり気にしない。
表現がはっきり明るく華やかなリーダーもいれば、静かに言葉を選ぶリーダーもいる。おっちょこちょいだけど患者さん思いで誠実なリーダーもいる。
いろんなタイプの人がいて、それぞれの考えを言える場があって、お互いに支えられたり影響されたり。
それでいいと思っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
一緒にご飯食べるのって大事だよね。
人生最期に聴きたい曲はなんですか?
4月20日札幌かでる2・7のホールで、NPO「ホスピスのこころ研究所」の講演会が開かれました。
小森康永先生の講演会とアンサンブルグループ奏楽さんの演奏会があり、小森先生がリクエストされた曲がレナード・コーエンの「ハレルヤ」でした。
https://www.youtube.com/watch?v=YrLk4vdY28Q
奏楽さんの、チェロとピアノの哀切なメロディはどこかで聞き覚えがあると思い、家に帰って調べたところ、私が聴いていたのはジェフ・バックリーという夭折のアーティストのカバーで、その哀愁のあるギターと声は、耳に残っています。
「ER 緊急救命室」や「クリミナルマインド」「The OC」など大好きな海外ドラマの中で使われていた曲でした。
https://www.youtube.com/watch?v=y8AWFf7EAc4
ドラマでは、懸命に頑張っても報われないような時、物事や人の気持ちは変わっていくから止められないという時に、悲しみや無力感を味わったあと、それでも人生は続いていくんだ、と前を見るようなシーンで使われることが多い気がします。
歌詞の和訳も調べてみましたが、正直私にはちょっと理解不能。
ただ「ハレルヤ」は主をほめたたえよという、神への感謝や喜びを表す言葉ですから、歌い上げる感じで終わるのが、涙を拭いて立ち上がるイメージに合っている気がします。
レナード・コーエンとジェフ・バックリーの曲も全く別物のように聞こえます。たくさんのアーティストがこの曲をカバーしているので、聴き比べてみると面白いです。
「2chellos」の演奏するこちらがとても心癒されます。
https://www.youtube.com/watch?v=Z3649dq6boA
サビの部分は中島みゆきさんの「ヘッドライト テールライト」と同じメロディで、それも「聞いたことがある」感じになるのかも知れません。
もし自分が死ぬときに好きな音楽を聴きながら旅立てるのなら、この曲ともう一曲、この方も夭折のアーティスト、イズラエル・カマカヴィヴォオレのウクレレと切ない歌声の「オーバーザレインボウ」
https://www.youtube.com/watch?v=y5JicO2bKec
を聴きながら逝きたいとひそかに思っています。
あ、実はこれも「ER 緊急救命室」でマーク・グリーン先生が脳腫瘍で亡くなるシーンに使われています。
はい、影響されやすいです(^^ゞ
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あなたが人生最期に聴きたい曲はなんですか。