お知らせ
認知症の事例検討会が楽しく終了しました。
M男さんは、看護師がおむつを替えようとすると腕を振り回して怒り、体に触らせてくれませんでした。
ご自分が病院にいることもおそらく分かっておらず、治療の説明はまったく耳に届いていません。
気に入らないことがあるとすぐ怒り出して手元にあるものを投げつけ、目をぎらぎらとさせて飛び掛からんばかりに威嚇するので、看護師はほとほと手を焼いていました。
ただ怒りがエネルギーを消費するせいか、食事の食べっぷりは見事です。
お膳を置くかおかないうちに器に入っているものをひとつずつ空にしていきます。
ごはんつぶ一つ残さずきれいに完食。
M男さんは看護師から絶賛されて、この時だけは笑顔になったのです。
今ならこの認知症は「前頭側頭葉型認知症(ピック病)」だとわかるのですが、20年位前はそういう分類はなかったので、看護師に殴り掛かる手を数人で押さえつけ、抑制して点滴をし、おむつを取り替え、夜は薬で眠ってもらうことが当たり前でした。
体に起きている病気を治療するために、認知症が治療しづらくさせている側面があったのです。
今は認知症に対する対応の仕方も変わり、その人の生活環境を整えることで穏やかに過ごせるようになることがわかってきています。
ただ看護師だけではやっぱり情報も対応も足りないので、MSWから生活背景を教えてもらったり、看護補助者の方が生活習慣をよく知っていたりするので、それらの情報をまとめつつ、心地よかったことは何か、を探し続けていく必要があるのです。
先日行われた認知症事例検討会には、病院の向かいにある高齢者施設職員やケアマネージャーが参加してくれて、興味深い話し合いになりました。
お家では朝遅く起きるので、朝ご飯を食べないという人にとっては、病院の日課で朝早く起こされ、朝ご飯を強要されるのは不愉快なことでしょう。
当然、不機嫌になり食事は拒絶の態度につながります。
ごはんは一日2食でいいというなら、それでいいのです。
病院の看護師は病院の日課が身に沁みついていますので、3食食べていただくことが当たり前と思いがちです。
しかし看護師自身も休みの日に、ゆっくり朝寝坊して朝昼兼用のごはん、ということはよくあることです。
ここに「病院の中の正しい生活」と患者さんの日常のズレがあるのです。
よく「患者さんの気持ちを尊重して」ということが言われますが、「病院の中の正しい生活」という価値観を一度立ち止まって考える必要があるでしょう。
自分や家族の身に置き換えるとわかることも、多職種の意見を聴くことで、腑に落ちるものです。
大事なのは行ったケアを振り返って、もっといい対応はなかったか、その人に適切な環境だったかを問い続けることなのです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
私が認知症になるのなら・・・と考えても仕方ないな。
寄りそうこころの一年に
新年度の計画を発表する時期になりました。
新年度を考えるのは楽しみでもあり、言葉にするエネルギーがいるので、少し心が重い時期でもあります。
私は自分がいつかこの病院を離れて後継者につないでいくことについて、考えています。
組織の存続を線で引いてみて、ご縁とタイミングがあってここにいるんだとよく思います。
A地点からB地点まで。そのあとは別な看護部長がバトンをもらってC地点へ。
駅伝のようにたすきをつないで組織が続いていく。
同じ路線を継承するのがいいのか、旧来にとらわれず斬新なアイデアで新しい風を吹かせるのか。
いろんな妄想をしつつ、私なりに次世代を担うマネージャーを育てているつもりです。
時代の流れに合わせて、変化しながら組織が続いていくってすごいことです。
失敗や成功を積み重ねながら、去年より今年、昨日より今日へとつながってきたんですから。
新年度の病院の目標が「寄りそう」に決まりました。
寄りそうということ。
寄りそわせていただくには、そもそも信頼関係が必要でして。
傍らに座って共に時間を過ごすこと。
患者さんのそばに寄りそっている職員に「いいケアをしているね」と応援すること。
ゆっくりそばにいられなくとも、ほんの数分でもしっかりそばにいること。
やさしく背中や手足に触れること。
ハグすること。
そばにいなくても心で寄りそい、想いをはせること。
その人の人生を大事に思うこと。
私が「寄りそう」という言葉から連想するのはこんな情景です。
少しできているところもあるんだけど、もっとみんながこのことを大事なケアだと思って実践するにはどうしたらよいか、ディスカッションがいるなあと思いました。
そこで先日の師長会で、今年度の振り返りとともに、新年度取り組むことは何か、「寄りそう」という言葉をどう解釈し、私たちの定義にするかを話し合いました。
みんなでブレーン・ストーミングを約1時間半。
日ごろから何を言ってもいい風土なので、書くのが間に合わないくらいみんなから言葉が飛び交いました。
そして「寄りそう」という言葉については、患者さんやご家族さんはもちろん、共に働く仲間に対しても寄りそい思いあう風土にしたい。
一人がみんなのために、みんなが一人のために、それを実現させたいね、という話になりました。
そして最終的に看護部の目標は「寄りそうこころ」に決まりました。
寄りそうこころを持った看護師を育てましょう。
寄りそうこころでケアしましょう。
寄りそってお互いにおもいやりましょう。
「こころ」に、そんな思いが込められました。
魂が、入ったなと思う瞬間です。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
昼寝をしてると傍らにオカメインコが寄りそってくれています。
自分の衰えを認めることについて
ある日のこと、私は地下鉄で札幌中心部へ行こうとしていました。
ICカードをチャージしようと思って誰もいない券売機に向かい、そこでお財布から千円札を2枚とカードを取り出しました。
チャージをするのにまず画面の押すボタンを間違え、
やりなおして今度はお札の入れ方が悪かったのかもう一度やり直しになりました。
機械からお札が戻ってきて、初期画面に戻るまで間が空きました。
そうしたらいつのまにか後ろにいた若い女性が
「あの、先にいいですか?」と言いながら、私と券売機の間にするりと入って切符を買って行ってしまいました。
何だか、心に黒雲が浮かぶような嫌な気分になりました。
地下鉄に乗ってその「黒雲」はなんだろうと考えました。
自分では遅くしようと思っていないのに、結果的に遅くなって他の人の迷惑になったこと。
以前なら券売機に行く前にお財布やカードを準備してもっと素早くできただろうこと。
(今日は誰も並んでないから、と気持ちが緩んでいた)
後ろに人がいる気配をまったく感じ取れなかったこと。(隙だらけ!)
若いときは私もこういうシチュエーションでは「全くおばさんは機械に弱いからなあ」とじりじりして待っていただろうに、あの女性はほんの数分も待たずに、なんというか、爽やかに横入りしたこと。
それをただ見ているしかなかった自分の情けなさ。
そういうことがないまぜになって「黒雲」になったんですね、きっと。
たまにしか乗らない券売機の画面を一瞬で理解することはできないし、できなくなっちゃったんだ、という自分の衰えを受け入れなきゃいけないんだなと思いました。
軽い風邪が治りにくくなったり、取り扱い説明書がさっぱり理解できなくなったり。
長い距離や階段を歩けなくなったり。そういうことと似ている。
それでもパソコンやスマホになんとか付いていってるのは、結構頑張っているんじゃないかと思います。
私たちの世代は人生の途中からパソコンやスマホが出てきて、それ以前の時代を知っている。
電話を持ち歩かなかった時代は、人が来るのをじっと待っていたり、どこかへ行くのに時刻表で調べていた時代。
そのことを知っているから、今がとても便利だとわかるけれども、生まれた時からネットがある世代の人たちは脳科学的に何か違いができるんではないかなと思う。
少なくとも、券売機の前でもたもたしている人にはもうちょっと寛容でいてほしいなあと思う。
なんでもIT化が進むと、こういうもたもたした人が増えるのですよ。
逆に言うと病院は高齢者が多いのだから、もっとやさしい説明を心がけなくちゃ、ね。
この話を30代の人としたら、「オートーチャージにしたらいいじゃないですか~。そしたらいちいち券売機行かなくていいんですよ」と言われました。
そ、そ、そうですね。
こうして世の中はどんどん進んでいくのですね。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
これでもその昔、新人類って言われてたんだけどね。
楽しい×人のため=業績
今週ご紹介するのは「すいません、ほぼ日の経営」という本。
私は糸井重里さんの書いたものや考え方が好きでして、うんと若かったら「ほぼ日」で働きたいと思っていたほどです。
糸井さんのようなクリエイティブな方たちの集団で、楽しく仕事している会社がこのたび株式上場したので、なんとなくその堅苦しさとマッチしてない感じがしました。
しかし糸井さんのことだから、株式上場さえも楽しむつもりかな、と想像していました。
ここはネタバレになるので、書きません・・。
この本は経営者としての糸井さんをインタビューしたもので、最後の方に社長の糸井さんが、こんな経営者なんですけれども本なんか書いてもらってすいません、というようなことを書いていて、それもまた楽しからずやなのです。
私自身「仕事とは楽しいもの」という考えがベースにあるものですから、糸井さんのように楽しそうに仕事している人には、自然に惹かれてしまうのです。
少し前に当院に入職された方から「ここの身だしなみ基準を見せてください」と言われドキッとしました。
実は作ってないんです・・と正直に答えました。
私もここへきて4年目に入り、今年は規定や基準などを見直している最中です。
本来は身だしなみ基準は「あるべき」ものでしょうけれども、職員の身だしなみで何かこれまで不都合があっただろうか、、、否。
ちょっとだらしないなーというときはすぐ注意していたし、ものすごい髪の色の人とか派手な化粧の人もいない。
つまりはみなさん自律している職員なので、あえてそこに「身だしなみはこれこれこうしなさい」という校則みたいなものはいらないかな~と思っていました。
こういうところが私、ゆるい看護部長かも知れません。
患者さんやご家族さんから見て不愉快に感じるような姿はよくない身だしなみです。
看護職員は環境の一部ですので、存在そのものが不快になるようじゃ、そもそも人相手の仕事のセンスがないということです。
例がないと困るのなら、航空会社のCAを見習えば大丈夫です。
まあそれよりも患者さんを喜ばすのに次何しようか、とか新しい病院ではこうしたいよね、という話し合いの方が断然楽しい。
糸井さんも「ルールは少ないほうがいい」って書いていたのでうれしくなりました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しいことで人のためになって業績につながれば、それが理想の経営だな。
医大生が看護体験に来ました!
今年も某医大の2年生が看護体験実習にいらっしゃいました。
年の頃は19歳か20歳。
数年前までは医師について見学していたのですが、チーム医療が叫ばれているこの頃、身近に一番接点があるのは看護師ということで、看護師の視点を体験してもらうというのが趣旨のようです。
私がその昔整形外科病棟の師長をしていた時のこと、研修医のオリエンテーション時にはリーダーナースにくっついてもらって、リーダーがいかにあらゆることにアンテナを張って患者さんの日常を守っているかを見てもらったり、足にギプスを巻き、松葉杖をついて日常を過ごす体験をしてもらったりしたなあと思い出します。
実習の終わりに学生さんから
「看護師さんの仕事が重労働だということがわかりました」
「詰め所にいる時間がもっと長いのかと思ったら、一人の患者さんから次つぎと回って結構長い時間ベッドサイドにいるんですね」
という感想をいただきました。
院長からは
「医療って、医者だけでは何もできない。MSW(社会福祉士)は患者さんや家族の話しをよく聴き取ってくれるから、僕たちは患者さんの背景がわかる。そして日常の患者さんのことを一番よくみているのは看護師だ。看護師の感性ってすごく大事で、将来doctorになった時に、治療計画の中に看護師から教えてもらったことを加味するといいよ」
というお話がありました。
私が目の前にいるから、ヨイショして言ったのではないと思います(^^ゞ
四十坊院長は普通の人が持っている暮らしの感覚や、人と人の対等性をとても大事にしている方なのです。
看護師含め職員の考えを尊重する姿勢が自然にできているので、ふだんから私たちはよく話し合うし、相互に助け合おうという気持ちになるのです。
車の両輪って言葉があるけど、バスの下にいっぱいタイヤがある感じでしょうか。
この信頼関係が、学生さんに伝わっているといいなと思います。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今度は私が盛りすぎかな?
そのケアが本当によかったのかどうか
1月19日の土曜日、低気圧が去り札幌はいいお天気に恵まれました。
その日、北海道内のグループ病院と老健施設が集まって、看護介護研究発表会が開かれました。
当院からはホスピス病棟看護師のKさんが発表者として舞台に立ちました。
彼女は以前のブログにもちょっと登場したことがあります。↓
https://wp.me/p84aZK-4q
当院総長の前野先生は「僕たちはがんにかかったわけでもなく、ましてやがんの末期の経験はまだしていない。医療で助けることは、どこかで限界がくる。その時には寄り添うことしかできない。この方法でよかったかどうかは、患者さんに教えてもらうしかない。でも患者さんは亡くなってしまうから、問い続けて経験を積み重ねていくしかないんだ。」とよく職員に言います。
Kナースは自分がプライマリナースとして受け持った患者さんAさんについて事例研究を発表しました。受け持っている間、彼女はAさんの望む医療について、ジレンマを感じながらケアしていました。カンファレンスで話し合い、一人で抱えるのではなくみんなで共有しながら。そのケアの過程がAさんにとって、よかったのかどうかを検証したい、という思いがあって今回の発表につながりました。
Kナースはこの事例研究を昨年夏、院内でまず発表し、秋には「日本死の臨床研究会」でポスター発表、そして今回の発表会が3回目となり、今回が一番ギャラリーが多くておそらくとても緊張したと思います。
私は彼女の発表の声だけを聴き、その説得力ある声の強さにぐっときてしまいました。
ポスター発表という形式のため、聴衆の皆さんにステージ近くに移動してもらって聞いていただきましたが、Kさんの熱い思いは伝わったように感じました。
発表を終えて会場を出たときに病棟師長さんが「きっとAさん、会場の上から見てKさんのことを応援していたと思うよ」と言いました。
にこにこしながら「いいね!」ポーズをするAさんの姿が目に浮かんできました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
悩みながら体を通った言葉は心に届くね。
医療者と患者・家族をつなぐ人
連休の3日間、私は東京でNPO法人架け橋の医療対話推進者の研修に参加してきました。
架け橋理事長の豊田さんとは前職の時に一度、札幌でこの研修を開催したときにお会いしていましたが、研修受講は初めてのことでした。
豊田さんをはじめ、このNPOの活動を運営している方々の中には医療事故で大切なご家族を亡くされた人、医療事故を起こしてしまった当事者の方がいらっしゃって、「もう二度とこのような不幸な事故があってはならない」という切実な思いから、医療対話推進者を養成する講座を続けていらっしゃいます。
事故の詳細を語る講義を聴いていると、ほんの少しのかけ違いがきっかけで自分にも起こりうるかもしれない、という気持ちで胸がざわざわしました。
医療事故で5歳の息子さんを亡くされた豊田さんは、なぜこうなったのか、怒りと悲しみと自己嫌悪の渦の中にいました。そしてそういう人だからこそ医療者と患者・家族との間をつなぐ人になってほしいという当時の院長の勧めがあって、医療対話推進者の先駆けとなり、今に続いています。
そこに至るまでの様々な葛藤は想像することもできません。
豊田さんは長い年月をかけて「医療者も苦しんでいる」と理解し医療者と患者・家族双方に寄り添う活動をされています。
講義の中で印象に残ったのは、インフォームド・コンセントはよく「説明と同意」と訳されることが多く、一般的には病気についての説明・治療法・副作用・今後の予測などを医師が説明して患者が理解して治療計画書にサインしてもらう、という風に理解されています。しかしそれでは説明した=理解してなくても同意せざるをえなかったというシチュエーションも含まれるのです。
治療のメリット・デメリット、自院で行っている治療の最善はこれで、ほかの治療ならこんな方法がある、私があなただったらこの方法がいいと思う、どれにしますか?と尋ねて、患者が自らの価値観に基づいて遠慮なく質問し、治療を選択する。
こうして医療者と患者が「情報と決断の共有」をすることがインフォームド・コンセントであり、そうして決断したことを両者で小川を渡る感覚で進むのだ、と聞いてその言葉が腑に落ちました。
がんにたとえれば、がんと診断されて手術か・放射線か・抗がん剤かという治療方法についての選択肢が十分に説明されて、その中から今最善と思われる方向を患者さんが納得して選択し、よし、じゃあ一緒に頑張りましょう、と手をつないで一緒に小川を渡り前進する。
それからも行く道には様々な不具合が生じるけれども、そのたびに話し合って、また小川を一緒に渡る、そんなイメージが浮かびました。
翻って現場に置き換えると、特に急性期の大きな病院ほどその対話に時間をかけられずにいます。患者さんが疑問に感じても遠慮して言い出せなかったりするうちに、治療スケジュールの中に組み込まれて心が追い付かないまま進んでしまう。
看護師やほかの職種がそのとまどいをキャッチして「ちょっと待った!」「今困っていらっしゃいますか?」と言えるようでありたいし、その意見が尊重されるような職場風土であってほしいと思います。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
誰もが聴ける人に。
NPO法人架け橋のHPはこちら↓
業務改善発表に行ってきます(^^)/
新年早々、うれしいニュースがありました。
内輪話で恐縮なのですが、昨年病棟で取り組んだ業務改善活動が優れているということで、法人の全国大会で発表するように、というお知らせが届きました。
全国にはグループ病院が70以上あり、各病院から一題ずつの業務改善報告が提出されました。
そこから法人本部で審査されて10演題に絞られ、当院のものが選ばれたのです。
取り組んだのは感染性ゴミの減量化です。
病院ではゴミの分別は大きく3つにわかれます。一つは紙などの可燃ゴミ、二つめは医療性のゴミ、たとえば注射薬を詰めるだけに使用した注射器とかアルコール綿など病院からしか出ないようなゴミ、そして三つめが血液や体液がついた医療性で感染の可能性のあるゴミです。
この3つめのゴミを感染性廃棄物といって、普通の可燃ゴミなどとは明確に分ける必要があるのです。容器も厚手の専用プラスチック容器で、専用シールが貼られています。ゴミ処理業者に出すときには蓋を閉めて中身がこぼれたりしないようにして出します。処理料金は一個あたり1000円以上かかります。
ゴミの分別には明確な決まりがありますが、忙しさに紛れてついふつうのゴミをポイっと感染性廃棄物の箱に入れてしまったり、ビニール袋に空気が入ったまま捨てたりすると、それだけで容器の嵩が増して、空気を捨てていることが結構あるのです。
これをもっとキチンとしようじゃないかと立ち上がったスタッフがいたのです。
まず現状を知ってもらうためにデータを取り、間違ったゴミは何かを明らかにし、写真を撮ってみんなに啓蒙しました。ビニールに入ったゴミは空気を抜いてコンパクトにまとめる作業を繰り返して、結果的にゴミはそれまでの半分に減りました。
金額にすると年間30万のコスト削減です。
その経過をまとめたものを院内で発表したところ、よい評価だったので、全国大会に提出することになりました。
ものすごくうれしく、誇らしい気持ちです。
関わった代表者3名と共に来月全国の発表会に出てまいります。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
こいつぁ春から縁起がいいわ????
2029年からの手紙
2019年札幌南徳洲会病院の新病院建設会議に参加されている皆さんへ
2029年1月5日の今日、私はカナダのイエローナイフというところに来ています。
雄大な自然の中のログハウスで、おいしいコーヒーをいただきながらこれを書いています。
私は昨年退職して海を渡り、昼間は食堂で働いて、夜はオーロラを眺める、夢のような生活をしています。
あの頃皆さんと一緒に新病院の建設を議論していたことを懐かしく思い出します。
あれから10年が経ち、四十坊院長の頭はすっかりロマンスグレーになりました。
相変わらず日ハムを応援するのを楽しみにしながら、今日も外来診察に出ています。
40名弱だったボランティアさんは今や200名を超え、職員より多いくらいです。
そのおかげで朝早くから夜遅くまで、あちらこちらでボランティアさんが見かけられます。連日のように音楽イベントが開かれ、朗読や傾聴、マッサージをしてくださっています。
1階の空間で、カフェを始めた元ボランティア・コーディネーターの鈴木さんが、おいしいコーヒーを淹れて、話術で笑わせてくれるので、お客さんがひっきりなしです。診察を受けに来た人もカフェにきたのかと勘違いするくらい、待ち時間を心地いい時間にしてくれています。
外にはアイスキャンドルが何十個も連なり、美しい光景が評判となって病院なのに見物客が増えました。
春からは菜園と果樹園の準備が始まります。桜の植樹も8回目となり、小さいけれど今年は桜並木の下でお茶会ができそうです。
あの頃はホスピスに研修生がよく来てくれてましたよね。
今は全国から院内のあらゆる部署に研修生が来てくださるようになりました。
外来も透析室も障がい者病棟も、よいケアを実践し続けてくれたからですね。
「入院するならこの病院」でトップテンに選ばれたのも皆さんのおかげです。
2018年に始めた緩和ケアセミナーやNPOホスピスのこころ研究所の活動が世に広まり、人生の最後の時をどう過ごすかを考える場として、私たちのケアを見に来る方が増えたのです。ありがたいことです。
前野総長は全国各地からお声がかかり、執筆や講演活動で忙しくなりましたが、楽しそうにしていますよ。下澤事務長は総長のスケジュール管理が結構大変そうですが、シュヴァービングの森をジョギングし、昆虫と戯れるのが癒しになっているようです。
今年は古民家を改修して、ホームケアクリニック札幌・藤原院長の念願だったホームホスピス「かあさんの家」を始めることになりました。病院ではなく、自宅でもなく、一人暮らしの方も安心して過ごし、穏やかな環境で旅立つことができる、そんな場所がいよいよ完成します。
今思うとあの頃、新しい病院についてみんなで話し合うのが一番楽しかったと思います。
そして前野先生がよくおっしゃってたように、その話し合ったプロセスがとても大事だったなって思います。建物が新しくなっても、そこに働く人の心が大事だから。
仲間を信じ、いつも目の前の患者さんにいいケアをしようと努力する、その小さな積み重ねが今につながっているのです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
新年初出勤前日の夜、こんな妄想が膨らみ眠れなくなりました。
今年のよかったことベスト3
今年もあと1週間ほどになりましたがどんな一年でしたか?
先日朝礼スピーチで話すことを考えるのに手帳を見返していました。
私は今年もたくさんの方に出会い、元気をいただき充実した一年でした。
看護部長として今年を振り返りまして1~3位までつけてみました。
よかったこと3位は、認知症対応ケア「カンフォータブルケア」を導入したこと。
ブログでも何度か紹介しましたが、障がい者病棟の方ではこのケア導入によって患者さんの症状が落ち着き、行動制限や薬の使用が減りました。それだけではなく、もっと患者さんを喜ばせることをしたいと、看護師や介護福祉士たちがイベントを企画実行し、結果的にアクティビティケアが増えました。
認知症ケアはこれからの日本の医療でもっとも基本となるものです。
認知症の方ががんを患った、認知症の方が骨折をした、持病を抱えた人が認知症になった。その方たちの治療を支えるにはベースとなる環境が、穏やかでやさしいこと、そこが一番大事じゃないかと思います。
私はホスピス緩和ケアとともに認知症緩和ケアの優れた病院にしようという気持ちが強まりました。
続いてよかったこと2位は
新築移転事業が本格的にスタートしたことです。
現在の病院は築30年以上経過し、あちこちから雨漏りがしたり、狭くて我慢していることが多々あります。
いよいよ設計が始まり、みんなで楽しく話し合って進んでいるところです。
私自身、病院の新築移転は2度目の経験ですので、以前の経験を生かして、今考えられる最高のものにしたいと思っています。
そしてよかったこと1位は。
少し逆説的な意味ですが9月の北海道胆振東部地震を経験したことです。
わからなかったことがわかり、やろうと思ってやってなかったことがわかり、なおかつ大きな被害にはならずに済んだ。これは教訓として与えてもらったものだと感じました。
あの時は自分の病院を、入院している患者さんを守ることで精いっぱいだったけれども、今度は地域の方をも守れるような、余力のある病院にしなければという使命さえ感じます。
新しい病院にはその思いも盛り込んでいくつもりです。
そしていまだ被災している方たちの生活が、一日も早く整うことを願っています。
さて、おかげさまでたくさんの方たちに支えられて、今年も大過なく終えることができそうです。
本当にありがとうございました。
皆様にとって新年が素晴らしい1年でありますように。
よいお年をお迎えください。
やさしさビタミンブログは新年1月7日から開始します。