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ホスピス・緩和ケア

こんな楽しいこと、私ばっかりいいですか?

コロナ禍でも季節の行事はやっちゃうのが当院のいいところ。
恒例の節分鬼コスプレ。研修に来たばかりの先生たちもシマシマパンツを穿いてもらいました。
今年の青鬼はM先生、マスクもアイシールドも青でキメテマス。
赤鬼は今年もSさん。
Sさんは「毎年私ばかり赤鬼をやらせてもらって、こんな楽しいこと、私一人で独占してていいのでしょうか? 他にやりたい人いたらやっていいんですよ」と呼び掛けたものの、スタッフは「いえいえ、Sさんが一番適任。とても楽しそうにやってるから続けてください」。
ということで今年もSさんはつま先まで赤い靴を履いてかわいい赤鬼に扮しました。

患者さんにはあらかじめ折り紙の枡に入った炒り豆が配られていて、鬼が登場したらぶつけてください、と打ち合わせてあります。

さてさていざ出陣です。
最初はやや控えめなトーンで「鬼が来たぞ~」とお部屋に入っていきました。
音楽療法士のK先生が節分の歌をキーボードを弾き、お祭りっぽくなってきました。
お部屋に入るごとにM先生もだんだんノッてきて、声もひっくり返ってしまうので、みんなずっこけてしまいます。

患者さんから豆をぶつけられてはみんなで大笑い。
鬼たちが出て行ったあとは、Iさんがホウキとチリトリを手に、転がった豆を回収。
これも大事、大事。

翌日は3Fの病棟です。
こちらは看護師と補助者たちが鬼やおかめに扮して、お部屋を練り歩きました。
Kさんが赤いセーターにシマシマパンツ、赤い棍棒を手に持ち、なんだかかっこいい!
仕掛け人のJさんは堂々とした鬼の風格があります。
副主任とMさんはおかめのお面をかぶり、手作りの裃を身につけて、若干不気味・・。

午睡中の患者さんは目をまん丸くしてびっくり。
手に握りやすいボール状の豆を用意し、鬼に向かって投げてもらいました。

こんな風にくすっと笑ってもらうことが、免疫力の一助になるのでは?
そしてやっぱりこんな遊びがある方が、心の余白があっていいですよね。
患者さんも24時間患者というわけではないですから。
病院らしくない病院を目指している私たち、これからも続きます。

今日もこのブログに来てくださいありがとうございます。
それにしてもうちの人たちはコスプレが好きなんだな~。

新たな「こもれびの会(慰霊祭)」の様式

当院では毎年秋に「こもれびの会」という慰霊祭を行っています。
当院で旅立たれた患者様のご遺族をお呼びして、院内で慰霊を行う式典です。
毎年40名くらいの方が集って下さり、職員の顔を見て懐かしんでいただいたり、近況を教えていただいたりします。
いつもなら黙とうの後、院長から「悲嘆について」のお話や、ピアノとフルートの生演奏を聴いていただき、祭壇に献花をして厳かに行われていました。

今年はコロナウイルスの感染拡大のため、ご遺族をお呼びするのはあきらめ、その代り職員だけで慰霊祭を開こうということになりました。
そこにご遺族がいらっしゃるようにして、前野総長、臨床宗教師の米本智昭さんのお話が続きました。

そして今年は献花に新しいアイデアが生まれました。
これまでは祭壇の上に一人一輪の白いカーネーションを置く形でしたが、今年は祭壇に4つの花器を用意し、一人一輪の花をそこに挿してみんなでアレンジメントを作り上げる、というものです。
当日勤務していた100名ほどの職員が、仕事の合間に会場を訪れて参加しました。

このアイデア、園芸療法士としてボランティアに来てくださっている、Tさんにご協力いただきました。
花の選択から、ふさわしい花器の準備、花の挿し方まで教えていただき、最後に手直しをして美しく彩りのやさしいアレンジメントが4つ完成したのです。
出来上がったものは、外来受付と各病棟に飾られました。
この様子は後日ひだまりブログでもお知らせする予定です。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
これもひとつの新しい様式です。

臨床宗教師 米本智昭さん 苦しみを共に感じて寄り添う人

当院には医療職者のほかに、ひとの心や魂を支える専門職が在籍しています。
「ケアする人びと」今日は「臨床宗教師」の米本智昭さんを紹介したいと思います。

―「臨床宗教師」という職業について説明していただけますか?

簡単に言うと「公的な場で活動する宗教者」のことをいいます。
昔はお寺も公共の場でしたが、東日本大震災をきっかけに、この活動が広がってきました。

―臨床宗教師になろうと思ったきっかけはなんですか?
遺族ケアももちろん大事ですが、生きていく間いっぱい苦しみを抱えていて、その苦しみを一緒に感じて一緒に答えを探しに行くこと、もともと生と死をつなげたいという気持ちがあって、亡くなってからではなくてその前の物語を知っていれば、たとえばお葬式だって自分の知っている身内のように涙を流しながら送ることができると思っています。

―東日本大震災での活動について教えてくださいー
3・11の後の宗教者は、自分の利害じゃなくて本当に苦しんでいる人たちに寄り添いたいという風に思いました。そこで宗教者と宗教学者が手を取り合って臨床宗教師というのが誕生したんですよね。
東北の震災の、一度に多くの人を見送らなければならなかった人の、残った人たちの苦しさ・・無念で亡くなった人たちを宗教者として弔う。
多くの宗教者たちが手をつないで、できることがあると感じたのがきっかけなんですよね。

―「臨床」って付くのはなぜなんですか?
岡部武先生と言う東北大学を出たドクターが在宅ホスピスをやっていらして、「死にゆく人にとって医師はなにもできない。暗闇に降りていく人にその先を示してあげられるのは宗教者だ」と言って、それで「臨床宗教師」が必要だ、と言ってくれたんですよね。ですから医療者側からの提言と言うか、それが先にあってそのあとに大震災が起きたんです。
ですからそこから公的な場で活動するという中に、病院も当然含まれていくという形になった。病院に入ることだけが臨床宗教師ではなくて、現実的にそういう要請があったし、そうおっしゃっる方がいたんですね。ただ急に宗教者に来て下さいと言って来たとして、いろいろなことを踏まえた人じゃなきゃ難しい場面もあったでしょうし、「宗教者はちょっと・・(困る)」という体験をお持ちのお医者さんのお話を聴くこともあります。
ですから現場の方に私たちは寄り添わせていただいて、受け入れて頂けるように変化していこう、という感じです。

―ここではどんな活動をしているか教えてください。
13時頃に来て13:30からのカンファレンスに同席しています。カンファレンスのあとに私を必要としてくれている人がいたら、師長さんから声がかかる。そのお部屋に担当ナースと医師と一緒に行って「初めまして」から入っていく。スタッフから一緒に考えてほしいんですと言われることもあります。

―カンファレンスで意見を求められることは?
あります。心がけていることは(自分が)医療者じゃないので、医療的な意味での介入ではなくて、その人らしさやその人の人生について焦点を当てたことをことを言わないとならないと考えています。
たとえば医療的には当たり前の行為だったとしても、その人の人生にとってはあるいは家族にとっては普通ではないことがあります。
その人の尊厳を考えた時にそれは正しいのか、医療行為としては正しくても患者さんは我慢しますし、そのルールに従わなければならない。
ということは(カンファレンスで)言うようにしているし、必要なことですよね。

米本さんが当院の職員になられてから早1年。今や欠かせない存在となっています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
詳しくは「ケアする人びと」の欄をご覧ください。

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雨雲の調節

私の母は54歳でがんと診断され、59歳の時に亡くなった。
「入院すると主体性が奪われるから、できるだけ入院したくない」と言い、亡くなる前日まで家で過ごしていた。家での暮らしは父が支えていて、慣れない食事の支度からトイレまで、つきっきりで看護をしていた。
自分で動けなくなってからは、葬儀のことや遺影に使う写真を母が自分で決め、それをひとつひとつ父が形にしていった。
今なら在宅緩和ケア診療所や訪問看護があるし、家で旅立つこともできる。
当時だってできなくはなかったが、死期を悟った母はおそらく家族の負担を考えて自ら入院を希望し、わずか1日で旅立っていったのだ。

亡くなってしばらくの間、父は呆けたようになっていた。
体が一回りしぼんでしまったかのように精気を失い、時間をどう使えばよいのかわからなくなってしまったようだった。
伴侶を失い、話し相手を失い、食べさせる喜びをいっぺんに失ったのだ。
「毎晩夜中の2時ころに、母さんをおぶってトイレに連れて行ってたんだ。眠くて辛いときもあったけどな、今それがなくなって、朝まで眠れるはずなんだが、毎晩2時になると目が覚めるんだよ。トイレに連れて行かなきゃって・・・困ったもんだな」

ゆっくりする間を与えず私たちは引っ越しの準備に父を巻き込み、スープが冷めないどころかあっついままの距離で暮らすようになった。
家で主夫業をお願いし、やがて地域の活動に自ら進んで行くようになっていった。
その時はグリーフ(悲嘆)ケアという言葉さえも知らなかったが、父が生きる力を持ち直して本当にありがたかった。

お墓参りに行くと、それまで雨が降っていてもお墓の前では必ず雨が止んだ。
お墓参りを終えて車に乗り込むと、待っていたかのようにサーっと雨が降り出すことが何度かあった。
「不思議だよね、誰か晴れ男か晴れ女なんだね」と言うと、父はあの世にいる母と連絡を取り合い、墓参りの間だけ雨雲を調節するよう頼んでおいたんだ、と笑っていた。

その父も鬼籍に入ってもう9年が過ぎた。
いまだにお墓参りに行くと雨に遭わずに済んでいるのは、父と母が調節してくれているおかげなのだろう。
空を見上げてありがとうと言う。家族にしかわからない話だ。

先日当院が主催する遺族会「ひだまりの会」に出席して、ご遺族の方の心境を聴かせていただいた。
当たり前だけど喪失の感じ方はその人それぞれで、温かい思い出を振り返る方もいらっしゃるし、頭がまっしろになったまま時間が止まっている方もいらっしゃる。
喪失感との向き合い方はいつか必ずこうなる、というものでもないし、正解もない。
ただここへ集って思いを分かち合ってくださり、心から感謝いたします。
私たちもみなさんのこと、気にかけています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
時間と共に少しずつ、悲しみが抱えやすくなっていきますように。

静かな個展

札幌はひと雨ごとに気温が下がり、街路樹も紅葉してきています。
すっかり季節は秋になりましたね。

今私どもの病院のサンルームには油絵が10点ほど飾られています。
富良野のニングルの森、オンネトー湖と雄阿寒岳などいつか見た風景や、琵琶湖の蓮の群生やこんもりした川辺の紫陽花など、温かく心が休まる絵ばかりです。
この病院で以前看護部長をされていたSさんが、退職後の趣味で絵を始められました。

季節の変わり目にいつもお持ちいただいて、外来の待合室を彩っていただいていたのを、今回まとめて展示し静かな個展を開いています。
リハビリ中の患者さんがときどき足を止めて、絵に見入っている姿を見るとうれしくなります。
「ここに行ったことがあるよ」とお話くださると、自然と会話も弾みます。

9月・10月と私どもでは「ひだまりの会」というご遺族の会を催します。
故人を偲び、闘病を支えられたご家族を労う会ですが、私ども医療者にとってもご遺族にお会いするのは、共に伴走した「同士」をお迎えする気持ちで胸が高鳴ります。
大切なご家族が亡くなられた場所にまた足を踏み入れるのは、勇気がいることでしょう。
通り道に飾られた絵で心休まることができたら・・。
と、いつも陰で支えてくれているボランティア・コーディネーターの鈴木さんが、これらの絵を運び、飾ってくれました。

今年はコロナの影響で、ひだまりの会も慰霊祭も規模を小さくして行います。
けれども大切な人を思う気持ちはいつもと変わりません。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
どうかゆったりした時を過ごせますように。

コロナの年の七夕祭

ホスピスの七夕祭り、今年はどうしようか。
コロナウイルス感染拡大のさなかにある今年は、イベントを中止するのが当たり前になっています。
やらない、というのは簡単なのですが、
状況を見てその都度判断したいと思っています。

3密にならないように時間と空気と接触のあり方をあらかじめ決めたらできるんじゃないか、とホスピスの須藤師長・ボランティアコーディネーターの鈴木さんと話し合いました。

去年までのお祭りの写真を見ると3密そのものです。
こういう光景に対する私たちの見方が、すっかり変わってしまったのを実感します。

一度にたくさん人が出ないようにして
でも露店風なことは行う。

患者さんはお一人ずつご案内して、楽しんでいただいたらどうか、ということになりました。

それから
人間織姫と彦星に登場してもらい、七夕の短冊の前で記念写真を撮るのはどうか、という案が出て「それいいね~」となりました。
短冊も押し花のシールが貼られたオリジナルです。

ボランティア衣装部がデザイン・製作・着付けをしてくれました。
人間〇〇はひな祭りやハロウィン、節分などでおなじみ。
得意中の得意かもしれません。
今までなかったのが不思議なくらいですが、これまでは露店に注力していたので考え付かなかったのでしょう。
これもひとつのイノベーション。

開始時間を待ちきれない患者さんがお部屋から出てきて、楽しそうに参加されていました。
お部屋にいらっしゃる患者さんのところへは、織姫と彦星が訪問し一緒に記念写真を撮らせていただきました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ケガの功名というか、転んでもタダでは起きない私たちです。

アサガオ

「〇さんのアサガオの種、無事にご家族にお送りすることができました。少し種が余ったのでどこかで使いませんか?」と声をかけられた。

ホスピスのナースで植物を育てるのが上手な人がいる。
食べ終わったパプリカやアボカドの種を発芽させて、日当たりの良いホスピスの端っこで育てている。わたしも真っ赤なパプリカをひとついただいたことがあるが、大きさといい、なかなか立派なものだった。
パイナップルやバジル、オジギソウに四つ葉のクローバー。
他にも名も知らぬ植物がたくさん置いてあり、小さな植物園のようである。患者さんに水やりをかって出てくださる方がいて、とても助かっている。

〇さんのアサガオも手入れがいいせいか、年中彩りを与えてくれている。
大ぶりの青く美しい花が終わると「ご遺族にお渡しするために種ができるのを待っています」と書かれたプレートが下がり、種が自然に落ちてしまわぬように、小さな袋がかけてあった。

それをまめにひとつひとつ採取して、ようやくまとまった数になったので、〇さんのご遺族にお送りしたのだという。

半月型の茶色い種はいかにも充実した姿をして、小箱に入れられていた。
来年、新しい病院で咲かせましょう。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
まめさがとても、大事だね。

音楽療法士「私も竜宮城の一員に」

当院は多職種で患者さんのケアに深くかかわっております。
珍しい職種の方もいらっしゃるので、いつか一人一人を詳しく紹介したいと思っていました。
ホームページのホスピスのページに「ケアする人びと」というコーナーができたので、詳細はそちらを見ていただこうと思っています。

ここではダイジェスト版でお伝えします。
トップバッターは音楽療法士 工藤麻子さん。

―音楽療法士になったきっかけー

音楽教室の講師をして間もなくの頃、好きなアーティストの記事の中に音楽療法という言葉が出てきました。これから医者と協力して音楽療法をやってみようと思う、という記事でした。
「音楽療法って何だろう」「誰に聞いたらいいのだろう」と調べたんです。
翌年から札幌で勉強会がある事を知り、行ってみたのが始まりです。

―今、当院でされている活動について教えてくださいー

週に一度出勤し、医療スタッフのカンファレンスに同席しています。14時からお茶会に併せて音楽の時間があります。ピアノを弾き、一緒に歌ったりリクエストに応じたり一緒に演奏を楽しんだりしています。
そのあとフロアに来られなかった患者さんのお部屋に伺って、個別に音楽を演奏しています。

―個別のお部屋ではどんな風にしているんですかー

事前に看護師さんが患者さんに「音楽の出前がありますよ。好きな曲を弾いてくれますよ」とお声がけしてくれて、要望のあった人のところに行くようになっています。
リクエスト曲を事前にいただけると楽譜を準備してきちんと練習して行くことができます。あるいは「誰が好き」とアーティスト名を言ってくださると助かりますね。患者さんの歌に伴奏をつけたり、私が弾く曲を聴いていただいたり。

―忘れられないエピソードを教えてくださいー

何年も前の話ですが「私はここでゆっくり過ごさせてもらいたいと思ってここに来ました」という方がいました。
「ここの人たちはみんな優しくて、自由に、好きなように時間を過ごさせてもらっています。まるで竜宮城のような場所だと思う。音楽も楽しくてすごいね」って言ってくださって。
それから『おくりびと』という映画の話をされて
「あれは亡くなった人を送る人の話だけれど、ここは生きている人を自由にさせてくれて優しくしてくれて。ここの人たちこそ、おくりびとだと思います」と仰いました。
同感でしたし、その時に、私も竜宮城の一員になれるように頑張ろうと思い現在に至っています。

続きはこちらへどうぞ↓

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今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
みんなヒーローだ。

アツクカタルin仙台

週末は仙台に来ています。
法人グループは全国に病院がありまして、地域ごとブロックごとに分かれて普段合同の研修会を開いてます。
今日は年に一度の業務改善発表会。北海道と東北ブロック合同で催しておりまして、今年は開催地が東北ということで、やってまいりました。
今回当院から発表するのは、緩和ケア病棟の認定看護師さんです。
この日のために1年前から準備してきました。
病院というところは、病気と症状に目が行きがちですが、私どもの病院はそれと同じ位に、その方が生きてきた人生や価値観、社会生活というものを大事にしていきたいと考えています。
それを具現化するための取り組みについてまとめたものです。
パワーブレックファストを食べて、いざ!行ってまいります。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
仙台は雪がなくていいなあ。

モニターがない、ということ

研修された方から、終わりごろに感想を聴くのを楽しみにしています。
先日も緩和ケア研修に来られたナースに、印象に残ったことは何ですかと尋ねてみましたら「(心電図)モニターがないこと」と言われました。

患者さんの命の残り時間が少ないと判断したら、たいていの一般的な病院では、体にモニターをつけて、心電図の波形がピッピッピと音を立てています。
これが病室にあると、ご家族はモニターをじっと見てしまいます。
波形の形が変わったり、アラームが鳴ったりするとドキドキするものですね。
心拍数も数字で出ているので、どうしても画面から目が離せなくなってしまいます。
そうしてご家族はモニター画面で生命の終わりを知ることになります。
私自身、長く急性期病院にいたので、それが普通のことだと思っていました。


当院の緩和ケア病棟にはモニターはありません。
置いていません、という言い方が正しいのかな?

ご家族はそばにいて、じっと患者さんのお顔を見ています。
呼吸の状態を見て、声をかけて、最後の時を共に寄り添って過ごします。
大きく息をついた、あれ、止まったかな、いやまた息を吸った。
手を握る。身体をさする。話しかける。

痛みや苦しいところがないと、命が閉じる瞬間は自然で穏やかです。
人が産まれる時も呼吸を合わせ、見守りますよね。
何もすることがなくても、ただそこにいるということ。
こういう時間を過ごせるように症状を緩和できていたら
モニターはいらないのです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
実は他にもないものがあります。

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