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ホスピス・緩和ケア

慰霊祭「こもれび」2022

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

このブログでも何度か書いておりますが、
https://wp.me/p84aZK-4u
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今年も慰霊祭「こもれび」を行いました。
当院と、隣接しているホームケアクリニック札幌・緩和ケア訪問看護ステーション札幌で、お看取りをさせていただいた患者様を偲ぶ会を開きました。
2019年まではご遺族の方もお呼びして、一緒に祭壇に花を手向け思い出を語る機会としておりましたが、コロナ禍になってからは職員だけで執り行っています。
お知らせを受けてお花をお届けくださったご遺族の方へ、この場を借りてお礼を申し上げます。
黙とうのあと前野総長のご挨拶、臨床宗教師・米本さんのお話があり、講堂は厳かな雰囲気に包まれました。

死を前にして、医療者に何ができるのでしょうか。
「このケアでよかったでしょうか?」と尋ねたい相手はもうここにいません。
が、そう問い続けていくことは私たちの課題です。
AさんによかったケアがBさんにもいいとは限らない。
おひとりおひとり違う人格・違う人生・違う痛みを持っておられる。
私たちもいつか行く「あの世」で、その答えが聞けるといいなと思います。

「こもれび」では今年もボランティアのTさんのお力をお借りして、職員が献花した花をそれぞれオアシスに挿し、アレンジメントを作成しました。

最後の整えをTさんがしてくださり、涼やかな夏花アレンジメントが5台完成しました。ご来院の機会がありましたら、ぜひご覧ください。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
来年こそはご遺族の方もご一緒にできますように。

疫病退散!節分イベント

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
今年も節分イベントを無事に終えました。
青鬼は今年もM先生です。
いつものことですが、イベント前はどちらかというとしぶしぶ青鬼を引き受けた、というご様子です。

しかし始まったとたんにどこからそんな声が出るの?というくらい野太い声で「鬼が来たぞ!」と張り上げるものですから、一緒に歩いている私の方が、心臓が止まりそうでした。

ボランティアさんが作ってくれた黄色いシマシマパンツを身につけて。
今年はシマシマエプロンを着たナースが、患者さんを起こして鬼に豆をぶつけるように指南しています。

折り紙のマスには煎り豆が用意されていて、ぶつけられた鬼は派手なリアクション。

今年は病棟が2つになりましたからイベントも2回ありました。
西病棟は赤鬼Nさん、東病棟は赤鬼Sさん。Sさんは7年連続出場です。
演じる人が楽しそうにしていると、ほかの人にも伝わりますね。

今日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
コロナウイルスをぶっ飛ばせ!

お知らせ, ホスピス・緩和ケア> | 更新日:2022-02-07

死別の悲しみ~緩和ケアセミナーから~

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
1月11日から降り続いた大雪の影響は、週をまたいでもまだ続いていて、路肩に積み上げられた雪は3メートルはあるんじゃないか(目測なので確かではないのですが)と思います。
今わたしは週の半分は歩いて通勤しているので、毎日歩道の状態が改善していくのが気持ちよく、感謝の念が湧いてきます。

さて先日地域緩和ケアセンターruyka(ルイカ)で、ナースのための緩和ケアセミナーが行われました。
「知ってほしい悲嘆ケア」と題して、当院教育師長の梶原陽子さんがファシリテーターをつとめました。
サブタイトルに「死別の悲しみを経験したご遺族の視点から」とあるように、在宅緩和ケアを受けられた患者さんのご遺族お二人にお越しいただきました。
梶原師長が死別の悲しみの経過について理論やデータを使ってレクチャーし、それについてご遺族の方に質問をしていく、という風に進行されました。

たとえば大切な方を亡くした直後は、悲しみに浸る時間もなく慌ただしいものですが、煩雑なものごとがある程度終わり、弔問客も来なくなったころから悲しみや寂しさが実感されるというデータがありました。大切な人を亡くした経験のある方はおわかりいただけるかと思います。

ご遺族の方は、日常の何気ない風景や習慣の中に「ああ、もういないんだ」と実感し、現実を突きつけられて悲しみが押し寄せてきました、と仰っていました。
これは亡くなって3週目以降のことであり、周囲の人たちは大概それまでには葬儀に出たりお悔やみを伝えたりしているため、なんとなく励ましたような気持ちになっているものです。
ご遺族も仕事に戻ったり、表面上は日常生活を取り戻してはいるのですが、ふとした瞬間にその人と過ごした暮らしの片りんを見つけて、急に涙がこみあげてくるのです。悲しみの強さや長さには個人差がありますけれども、およそ半年くらいの間はそういう感情の波が動くものとされています。
悲しみは無理をして抑え込むものでもなく、消す必要もありません。
本格的な悲しみはそのように時期が少し遅れて感じられるのだ、ということが改めてわかりました。

医療者は、第三者でありながら身内の一番近くにいてご家族丸ごとの様子を知っている存在です。ケアをする、というよりは一番近くにいさせてもらった医療者として、その後の気持ちを聴かせてもらう、ご遺族は話すことで心を整えていくことができる、そんな風につながっていけたらいいなと感じました。
ちなみに梶原師長は四十九日の頃に、ご遺族に電話をかけているそうです。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
このような場でお話してくださるご遺族とつながっているのも、在宅医療の強みですね。

地域緩和ケアセンターruykaホームページは

https://ruyka2021.wixsite.com/website

 

充実の秋~方波見康雄先生のこと~

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

今日は、先日当院で講演会をしてくださった、方波見康雄先生のことを書きたいと思います。北海道新聞に毎月一回連載されている、「いのちのメッセージ」。
私は愛読者の一人です。

方波見康雄先生は、よく患者さんとのかかわりを書いていらして、信頼と愛情が行間から滲み出しているように温かく感じられます。
御年95歳になられる今も、奈井江町の方波見医院で週に一度診察に出ていらっしゃると伺いました。講演会のスライドもご自分で作られ、スマホを使い、驚いてしまいました。
先生の講演を聴いたのは初めてでしたが、ひとつのものごとを科学者の立場から、あるいは感情という側面から、また一市民として探究されて、深く思索されていることがわかりました。

冬になると何も言わずにそっと医院の周りを除雪してくれる人がいて感謝していること、若くして亡くなった師長さんのことを想うと今でも涙が出ます、というお話に胸が温かくなりました。
そして「生涯現役」という言葉をこれほど考えたことも初めてでした。
組織の中にいると「定年」という期限を意識せざるを得ないのですが、自分の力でいつまで貢献できるのか、と考えさせられました。
先生が仰るには四季の中で春がはじまりではなくて、秋が大事なんだと。
花が終わって葉っぱが落ちて土に還り、種にいっぱいいろんな栄養分が詰まって充実しているから、翌年に向けてよい準備ができるんだ、と。
だから人生も秋の頃が充実しているんですよ、と。

人生にはいろいろな選択肢がありますけれども、方波見先生はご自分のことを「町医者」とおっしゃって、ずっと奈井江町の医療を守り続けていらした。
変わっていくことと、変わらないこと。
私などが言うのはおこがましい限りですが、尊いなあと思います。
2時間はあっという間で、先生の「伝えたい」エネルギーを強く感じました。
どうかお元気で、これからもお話を聴かせてください。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
次の世代が未来を作れるように。

今年も慰霊祭(こもれびの会)を開きました

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
私たちの病院では、グリーフ(悲嘆)ケアの一環として慰霊祭(こもれびの会)を毎年行っています。
こもれびの会は以前はご遺族もお招きしていたのですが、コロナのことがあって今年も職員だけで開催しました。
新しい病院の3Fのラウンジに祭壇を作りまして、以前は少し厳粛な雰囲気の中で献花を行っていましたが、昨年から職員それぞれが花を一輪ずつオアシスに挿してアレンジメントを作成する、という形になりました。
当院の花壇をプロデュースしてくださっているボランティアの土角さんに、花の選択と仕上げをお願いしました。

最初に前野総長があいさつし、臨床宗教師の米本さんが祈りについてのお話をしてくださり、それから順番に花を受け取って挿しました。
BGMは音楽療法士の工藤先生が弾いてくださる静かな調べ。
最後に院長が挨拶をしてセレモニーが終わった後、現場のスタッフがかわるがわる来ては花を挿していきました。
私は今年亡くなられたお一人の方を思い出していました。
以前ここで看護部長さんだった方です。前野先生が当院でホスピスを始めたころの善き理解者だったそうで、退職後にご自分で描いた絵を届けてくださり、私のことも励ましていただきました。
最期はご自分が育てたスタッフにその身を委ねてくださり、静かに旅立っていかれました。

慰霊祭はご遺族の慰めになるようにと考えられた会ですが、私たち医療者が立ち止まって故人とのかかわりを振り返り、心静かに命について考える時間でもあると、改めて思った次第です。
出来上がったアレンジメントは院内各所に置かれています。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
祈るという大切な時間。

お見事! ハロウィンイベント

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

秋のイベントはお月見からハロウィンに変わりつつあると感じた今年の秋。
この際ハロウィンの意味合いは深く考えるな!ということです。

つまりですね、クリスマスを祝った数日後にお寺で除夜の鐘を突き、そのあと神社に初もうでに行くのが当たり前と思っていた私たちですから、おそらくハロウィンは仮装して楽しく過ごす日、くらいライトな文化になりつつあるんでしょう。

「部長、今日14:30からですから。準備、私たちすごく頑張ったんです。絶対見に来てほしいです」とホスピスのクラークさんが熱く訴えていきました。
そりゃあすぐ行きますとも。数日前から飾りつけ頑張ってたもんね。
「昨日からさらにバージョンアップしてます。」
おお、期待大だね、と言いながらたどり着くとどっかーん。なんだこれ、すごい。

こないだまで入り口にかぼちゃのシール張るぐらいのかわいい飾りつけだったのに、なんだかテーマパーク?舞台?のような、なんじゃこりゃ感。
私は大好きですけど。
まーすごい。いつこんなことやっちゃったんだろうか。看護師さんは忙しいでしょうに。

いや、忙しくてもこういうエネルギーは別に湧いてでてくるみたいです。
まあ、みんな楽しそうに、いろんな恰好して。
物静かなナースだと思っていたFさんも、自宅からご持参のマイかぼちゃハットで、少し人が変わったようでして。
なんというか、うちの人たちはこういう催しものをするのが、とにかく楽しいみたいです。
患者さんがハロウィンをどう思っていらっしゃるか怖くて聞けませんけれども、「お見事!」と10回くらい言ってくださった方がいて、
「なんか、ありがとうございます!」なのです。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
楽しいことはいいことだな!

ホームホスピス北海道、始まる

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

20年ほども前の話です。訪問看護をしていた頃、ひとりのがん患者さん(仮名・山田さん)のご自宅に伺いました。
11月の冬の始まりは、札幌で最も寒く感じられる季節です。
玄関で靴を脱いで板の間に上がると、靴下を通してもその冷たさが足裏から全身にしみ込みました。突き当りの居間の扉を開けるとふわっと暖房の温かさが感じられてほっとします。よかった。暖房をつけててくれた、と安堵。

一人暮らしの山田さんは居間に布団を敷いて、周囲に必要なものをぐるりと置いて静かに暮らしていました。ティッシュや時計、耳かきやラジオ、日記とペン、茶渋のついた湯飲み。お菓子やパンの袋。
「ここしか火を焚いてないから、こっちに来て温まりなさい」と私を気遣ってくれました。
私は血圧や脈を測り、点滴を繋いで帰る。その30分ほどの時間を週に何度か過ごすだけでした。
徐々に体がしんどくなってきて、一人暮らしももう限界じゃないかと思い始めたころのことでした。そろそろご本人の考えを確認したほうがよさそうだなと思いながら訪問しました。

いつも通り血圧を測ってから、湯飲みに白湯を注いで渡すと
「僕が死んだらさ、この家もらってくれないかな」と突然仰いました。
びっくりしてなんの冗談かと聞き返すと
「いや、冗談なんかじゃないさ。ほんとにもらってくれないかなと思ってね」
山田さんは奥様をずいぶん前に亡くされています。息子さんたちは本州で仕事をしていて、もうこっちには帰ってこない、そんな事情も聞いてはいました。
「家なんてさ、建てるまでが楽しいんだよね。住む人がいなくなると途端に持て余す。2階なんてもう、何年も入ってないからどうなってるかわからないけどね」山田さんはふふっと笑いました。
未熟な私はとまどい、どうしてそんな風に思い至ったのかを聞くこともできませんでした。
「お気持ちだけありがたくいただきますね」とやんわりお返しして家を後にしました。
山田さんは冬の間に病院に運ばれ、息子さんが駆けつけてから旅立たれました。

あの家の中の様子や床の冷たかったことなどが急に記憶の底から蘇ったのは、先日「ホームホスピス北海道」を立ち上げた半澤博恵さんが当院に来られたからです。
ホームホスピスというのは九州・宮崎発祥で、一軒家を使わせていただいて、その家の家具や食器ををそのままに利用しながら、家で最期まで過ごすことを実現するものです。https://homehospice-jp.org/
使われなくなった部屋が誰かの部屋になり、台所からまな板とんとんと音が聞こえる。戸棚で眠っていた食器が活気づく。温かい空気が家に満ちて、人の気配が心地よい。
そんな風に使ってくれたら、家も喜ぶでしょう。

今なら山田さんの真意を聞くことができるなあと思うのですが。
所有へのこだわりから解放されて、家が生きる方へと考えたのかなあ。
じっくり聞いてみたいところです。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
いよいよ北海道でも、ホームホスピス。応援しています。
以前のブログにも書いてました。 https://wp.me/p84aZK-E9

あなたの「ふつう」とわたしの「ふつう」

こんにちは。
やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

緊急事態宣言が解けて、わたしたちの病院では朝礼を以前のように再開することにしました。

ある日の朝礼スピーチはホスピスの主任さんでした。
とても学びになる内容だったので、ここでちょっと紹介したいと思います。

『患者さんにケアをするときに、私はこんな質問を投げかけます。
「お風呂の温度はどのくらいがいいですか?」とか
「歯ブラシに歯磨き粉はどれくらいつけますか?」とか。
それに対してよくある答えが「普通でいいです」というものです。

私は「普通?普通ってなんだ?どれくらいがこの方の普通なんだろう?」と考えます。
その方の「普通」と私の「普通」は違う。

お風呂の温度はぬるめがいいか、熱めがいいか、もう少し詳しい情報をお尋ねする。

最終的に「これでいいですか?」と尋ねて「ちょうどいいです」と言ってもらえたら、その温度や量をスタッフで共有して、次も同じようにできるようにしておく。

そういう情報がスタッフみんなから集まると、その人らしい心地よい環境で暮らしていける。
日々のケアの中で、そうした小さな「その人にとっての普通」を集めていくことが大事なことなんじゃないかと思います』

朝礼に出ていた職員が何人も、うんうんとうなづいて聴いていました。
心がしんと鎮まり、背筋が伸びるようなスピーチでした。

患者さんが求めているケアだったかどうかは、患者さんに聞くことでしか評価はできない。
そして今日のケアが明日も心地よいかどうか、それも患者さんにしかわからない。
だから日々「これでよかったですか?」と問い続けていく。
ケアは奥深い。
そして絶対はなく、面白い。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
現場の優れた人に教わる、これもまたよろこびですね。

カナシイけれどカナシクはない

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

あんなに暑かった夏が過ぎて、一雨ごとに気温が下がり、気が付くとナナカマドの実が真っ赤に色づいて秋が始まっていました。もう9月も下旬です。うかうかしているとシュッと冬がやってくるかもしれません(いや、さすがにそこまで鈍感ではありませんね)。

当院では毎年秋の行事として「ひだまりの会」というご遺族の会を催しています。
今年はコロナ禍でもあり、また病院移転という環境の変化もあり、果たしてご遺族の方がいらっしゃるかどうかと危ぶんでいました。

当院では「患者さんとご家族を丸ごと一体に考える」ということをとても大事にしています。そのため、今やむなく行っている「面会制限」とか「付き添いの中止」といったことは、院内で何度も話しあいながら進めていますが、ずっと苦悩が続いています。
ご家族の方にとって、大切な人と過ごす時間が望んでいた形ではないことは、とても心苦しく思っています。そんな中わざわざ病院に足を運んでくださり、心から感謝しています。

病院の入り口すぐのところにある「シュヴァービング広場」でお迎えしました。
音楽療法士の工藤麻子先生が奏でるピアノの音色と、風にそよぐ緑の森が心地よく感じられる空間です。
今年は新たにオンラインでの対話会にも挑戦して、時間いっぱいお話を伺うことができました。その中で印象的だったのは、あるご家族の方が発した「カナシイけれどカナシクはない」という言葉です。
面会の時間は短くても、そこにはぎゅっと凝縮した気持ちの交流があったこと、お互いを思いやるエピソードがあったこと。だから今も自分の中に生きて共にいるという風に感じられるというお話でした。

タイトルに「カナシイけれどカナシクはない」とカナでは書いたのには、訳があります。
その方のお話からは「悲しい」とか「哀しい」の文字が持つ、痛み泣きたくなるような気持ちとは別に、「愛しい」(いとしくてかわいい)も感じられたからなのです。ネットで調べると「愛しい」も古文では「カナシイ」と読むとあると書かれていました。
どの漢字も当てはまるけれどどれが一番その方の心にフィットする漢字なのかは、その方にしかわかりません。私の感じでは「愛しいけれど悲しくはない」かなあという印象ですが、あえてカナで書かせていただきました。
大切な人へ十分なことができなかったお辛さや不全感のような気持ちが勝っているのでは、と思っていた私にとっては、これもまたご家族から教えられたことの一つとなりました。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
秋という季節は人を想う季節ですね。

ケアする人びと 公認心理師 阿曽加寿子さん

当院には医療の専門職者のほかに心やスピリチュアルなことを支える専門職が在籍しています。
「ケアする人びと」本日は公認心理師・阿曽加寿子さんをご紹介します。

私(工藤)は30歳くらいのとき、整形外科病棟に勤めていました。
整形外科というところは骨折や加齢による変性疾患を診るところなんですが、手術して痛みが取れて歩けるようになれば、すべての人がハッピーというわけではなく、人が回復するプロセスには身体的なものと心理的なものとのバランスが深く関わっていると感じました。
それで入院中にもっと心理的な援助ができたらと考えて、カウンセリングを学びに行ったことがあります。

カウンセリングで心の奥にあるものを緩めたり解放できたらと思ったのですが、それはずいぶん傲慢なことだったなあと今は思います。
もちろんカウンセリングが役に立つこともあるのですが、聴き方の姿勢としてはそれだけでは足りなくて、経験や手法だけの問題でもないと感じてはいたものの、その時は自分の中で消化できていませんでした。

今回公認心理師・阿曽先生のお話を伺って改めて感じたのは、心理的援助とは、相手のお話をニュートラルに聴いて、相手の方が何を求めておられるのか、それをキャッチして合わせていくことなんだなあという風に思ったのです。

ところで「公認心理師」という職業、ご存じですか?

ー以前は「臨床心理士」という資格だったのですが、2018年に国家資格になり「公認心理師」に変わりました。心の問題で支援の必要な方の相談や援助とともに、その方の関係者に対する相談、心の健康に対する教育や情報提供を仕事内容としています。
「臨床心理士」や「認定心理士」は民間資格で、「公認心理師」は国家資格です。ー

この、国家資格への変更があったこと自体がまだまだ知られていないと思います。
そしてどんなふうにホスピスや臨床と関わっている仕事なのか、詳しくは「ケアする人びと」をご覧ください。↓

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