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ホスピス・緩和ケア

心の揺れも含めて患者を支え抜く

第42回日本死の臨床研究会in新潟に行ってまいりました。
2年前に初めて参加したのが札幌、去年は秋田で一般参加。
3回目の今年は少し頑張ってポスター発表で参加してきました。
緩和ケアの師長さんとスタッフも同じくポスター発表で計3演題、クリニックから事例検討会1題と豊作でした。

研究会は2日間、講演会やシンポジウム、事例検討会の他にミュージカルなど多彩です。
どのセッションも興味深いタイトルがついてそそられます。

今回私が聞いたのは「人生の最晩年の生を支える」(桑田美代子さん)と「認知症と共に生きる人たちの人生を支える」(水野裕さん)の教育講演、それから「急性期病院での終末期患者との関わり〜意思決定支援のありかたを考える〜」(生田陽子さん)の事例検討会です。

それぞれ深いお話ばかりですが一つ印象に残ったのは・・

急性期病院で患者さんにバッドニュース(悪い知らせ)を伝える時の医療者側の覚悟について。
たとえば・・の話ですけど。
主治医はこれまでAさんの病気について検査し、一番適切と思われる治療を行ってきました。
しかしその治療には限界が来ており、積極的な治療は難しく、あとは穏やかに過ごせるような方法を考えた方がいいと考えています。
それは今いる病院ではなくて、別な場所(ホスピスや療養病棟や自宅)に移動することを意味しています。

Aさんご本人とご家族に病院に来ていただき、主治医から治療の限界や予後について説明します。
患者さんは驚き、がっかりし、お話を受け止められなかったり、主治医に見放された、と感じるかもしれません。

その時看護師はどんな関わりをしていますか?という問いがたてられました。

ある病院では外来看護師が説明の前日にその患者さんについて「予習」し、医師がどんな風に説明するかをあらかじめ話し合っておくということでした。看護師は説明に同席し、患者さんやご家族がどんな反応をしたのか、説明をどう受け止めたのか、理解した内容にズレはないのか、を観察します。「今日こんな大事なお話をしたからみんなで注意深くかかわってね」と他のスタッフも共有します。
もし医師の説明と理解との間にズレがあるかもと思ったら、気づいた看護師がオープンクエスチョンで確認します。

そして一旦病状を受け入れたとしても、時間が経つとAさんの心は揺れてくる。
「やっぱり先生はああいったけれども、もしかしたら他にも治療があるんじゃないか」
「転院するってあの時は決めたけど、やっぱり家に帰りたい」とか。
患者さんやご家族が「話したい」と思うタイミングをキャッチしてしっかりそこに向き合うことが大事です。

「そういう心の揺れも当然のこととして、看護師が患者を支え抜くんです」

と発言された方がいらして、その言葉がささりました。

病院によっては病状説明にそもそも看護師が入ってなかったり、面談の時間が夜遅くに行われるため同席したくても夜勤を投げ出してまでは入れないということがあります。
だから患者家族がどんな反応だったかもわからない、ということもあるんですよね。
これは急性期病院の構造的な問題と言えるでしょう。

重要な転換を強いられる場面には認定看護師が同席すると、その専門分野からアドバイスや対応を学ぶこともできるかもしれません。当たり前のことですが多職種との関係が日頃からできていると、何も看護師だけではなくチームで注意深く見守って、思いを話したいときにチームの誰かがキャッチして対応する。それがほんとのチーム医療だなと思います。

数年前まで急性期にいた身としては反省、反省です。
「看護師が支えぬく」なんて、とても言えなかった・・。
でもそここそが看護の本質だよなあ、と思います。

「死の臨床研究会」は、毎年こうして今の立ち位置で自己を振り返り、姿勢と心を立て直す、いい研究会です。
あまり知られてませんが、医師看護師ソーシャルワーカーなど他職種が参加しており、一般市民も参加できるんですよ。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
来年は神戸だそうです❣️

緩和ケアに集う人は穏やかでやさしい人が多い?


10月20日(土)第2回徳洲会グループ緩和ケアセミナーが開催されました。
全国のグループ病院から80名以上の緩和ケアに関わる医師・看護師・社会福祉士・理学療法士らの専門職が集いました。
緩和ケア病棟を持つ病院は少しずつ増えてきていますが、「緩和ケアチーム」で活動しているところも多く、急性期病院の中での緩和ケアの確立にご苦労されているところが共通していました。
四十防院長の基調講演のあと、当院でお世話になっている臨床宗教師・米本智昭さんと、当院を卒業して今帯広で初の緩和ケア病棟を立ち上げた、今井貴史先生の特別講演が行われました。

昼食後は6病院から取り組みの発表があったあと、事例に基づいた多職種連携のワークショップがあり、今日初めて会った人たちとは思えない和やかで患者さんファーストの意見交換がありました。

緩和ケアに集う人たちは、医療者の中でもとりわけ穏やかでやさしい人が集うのでしょうか?

私は2年前にこの病院に来た時に、数日間緩和ケア病棟を観察しスタッフについて回りました。患者さんが何を求めているか、に常に焦点をあてて多職種で話し合い行動する。この積み重ねが自然に行われていました。何気ない、よもやま話の中にも患者さんの周辺の情報交換があり、その人の人生や価値観を尊重しようとする姿勢がみんなに浸透していることに、正直驚いたものです。
看護師たちは、本当はこういう仕事をしたかったのではないのか?という気持ちになりました。
病名にかかわらず、患者さんのニーズに応じたケアを提供し、消耗を最小限に、回復を助ける、そのシンプルさが今とても複雑化しています。
抱えきれないほどの責務とルーティンワーク(それすらも本当に必要か確かめられてないものもある)に忙殺されて、今目の前にいる患者さんがどんな表情をしているかを見失っているとしたら、それは看護の本質からずいぶん離れていることになります。
患者さんの出来事のあちこちにアンテナを張って、今よりもよく生きられることに力を発揮するはずの看護師が、制度の漏れを防ぐことにアンテナを張ったり、組織の同調圧力などに負けて「よいケア」よりも「効率性」を優先せざるをえないというのは、自戒をこめて管理者の責任が大きいと思っています。

当院に転院してこられた患者さんが、前医を退院してくるとき、詰め所で「お世話になりました」とあいさつをしたのに詰め所内にいた看護師が誰一人顔も上げずパソコンに向かっていた、患者さんはそれ以上何も言わずに荷物を持って出てきました、という話を聞いたときに、私は憤りを通り越して情けなく悲しくなりました。
そんなことはあってはならないことです。

懇親会の最後に東大阪病院の院長が「ここに集っている人の中から、きっと次世代の院長・看護部長が出てくるでしょう。孤軍奮闘している人も多いが、ここに来れば仲間がいて、お互いケアを受けることができる。がんの人も心不全の人も老衰の人も、必要な人がみんな、緩和ケアを受けられるように頑張りましょう。」とおっしゃられて、こぶしに力がはいりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
前野総長もたいへんだったんだろうなあと歴史を感じます。

緩和ケアって何をするところですか?

「緩和ケアって何をするところですか?」という質問をいただきました。
最近、直球勝負の質問が多くタジタジが続きますね(^^)/

ひとことで言うと、治癒が困難ながんを患った患者さんに対して、苦痛とつらい症状をできる限り和らげて、その方らしく最後まで有意義に過ごすことができるように支える医療ケアのことを緩和ケアといいます。
患者さんを支えるご家族も困難に直面していますから、大切な人と大事な時間を過ごせるように、サポートしていきます。

人はがんと診断されるとまずがんを取り除いたり(手術)、小さくしたり(放射線や抗がん剤)という治療に向かっていきます。
がんの場所や程度、転移した部位により、治療も変化していきます。いわゆる末期がんでも治療がないわけではありませんが、戦って勝ち抜くことが難しくなるときがあります。

「これ以上治療するのは困難なので、あとは緩和ケアに行ってください」と前の主治医に言われ、絶望的になってこられる患者さんもいらっしゃいます。
もっと早い段階で緩和ケアを伝え、相談や見学をお勧めする過程があると、患者さんを傷つけることもないだろうになあと思いますがこの辺は医療者側の課題ですね。

緩和ケアに来られた患者さんとご家族には、それまでの病歴やその方の生きてこられた歴史、価値観とともに、これから何を希望されるかなど、じっくり時間をかけて伺います。
「こんなに私の話を聴いてくれた病院は初めてだ」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、私たちの緩和ケアはまず対話が基本です。
お話を伺った後、今あるつらい症状をできるだけ取り除くことに焦点を当てます。
痛みや吐き気、体のだるさ、抑うつ、不眠など不快な症状は、単に体の不調からだけではなく、心理的なことや社会的なことから来ている場合もあります。
そのため医師・看護師・ソーシャルワーカーを中心として薬剤師・理学療法士・臨床心理士・音楽療法士・ボランティアなどチームで患者さんを支えています。

ベッドで起きるのが精いっぱいだった方が苦痛から解放されて、車いすで動けるようになることもありますし、時にはご自宅へ帰られることもあります。
最後までその人が積極的に生き、心地よく過ごせるように、また命の終わり(旅立ち)を自然な過程で迎えられるようにと考えています。

現在日本では緩和ケア病棟にはがんと後天性免疫不全症候群の病名がついた人しか入れません。
どんな病名であれ、尊厳を大事にした最期を迎えるために誰でも緩和ケアが適応になるべきでしょう。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
もっと詳しくお知りになりたい方はこちらへどうぞ↓

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人間的な判断はチームで行う~柏木哲夫先生の講演から

ホームケアクリニック札幌は10年前に緩和ケア専門の在宅診療所として産声を上げました。
当院総長の前野先生と田中師長さん、ソーシャルワーカーの故提箸さんの3人でスタートし、10年の間に変化しながら、地域の中で必要とされていることをコツコツ丁寧に続けてきました。

先日札幌市中心部で10周年記念の講演会が行われました。
記念講演をされた柏木哲夫先生は日本のホスピスを築いてこられた方で、前野総長の師匠です。
ということは当院のマインドも柏木先生の教えから続いているもの、ということです。
本もたくさん出版されています。どの本も温かい言葉でつづられていて、人は死の間際までユーモアを持つことができると、先生の本で知りました。

そんな先生の講演を間近に聴くのは初めてです。
聴衆の半分は一般市民の方でしたので、先生は易しい言葉を選んでお話されました。

人間的な判断はチームで行う

患者さんを診るとき、当たり前のことですが医師は医学的判断、看護師は看護的判断をします。ソーシャルワーカーは社会制度から見た判断、理学療法士は身体運動機能からの判断となります。
それぞれは専門的ですが一つの方向からだとその人の全体像は見えません。

一人一人の専門職集団が、自分の領域から見聞きしたことを一つの場で話し合い、情報を共有することによってその人の全体像をとらえることができるのです。
全体像を人として見て関わるためには、偏らないでメンバーが何でもいえる場を作ること、そして他のメンバーの意見を受け止めて、リーダーがそれをまとめる必要があるのです。
これが今医療界で言われているチーム医療です。
でもこれがなかなかできてないことが多いのです。
医師も看護師もソーシャルワーカーもそのほかの職種も、対等にモノがいえないところがまだまだいっぱいあるのです。

柏木先生は「人間的な」とおっしゃいました。
人間的な判断をするには医学的専門的判断だけでは偏りが生じるので、様々な視点が必要なのです。
いいこともよくないこともありのまま受け止める寛容さを、チーム全体で持つというニュアンスが、先生のお話から感じられました。
それには、弱さを出してもいい場を保証し、見下したりせず穏やかに話し合える場にならないといけないのでしょう。
見栄やプライド、専門用語で覆って、意見を言うと批判に聞こえてしまうような場や、話す人は決まっていて一言もしゃべらない人がいるのでは、表面的な話に終わってしまうのです。
医療者は特に謙虚で素直になって、他者の話をよく聴く必要があります。

って「言うは易き、行なうは難し」ですね。
若い世代が、基礎教育のところから一人の患者さんについて対等に話し合うトレーニングを積むべきじゃないか?と思います。
人間とは?とか生きるとは?という話を柔らかい頭で話し合い、患者さんの話を聞くことにもっと時間を割いたらいいな。きっと。

そうしてお互いに聞きあうことで、人間性がはぐくまれていくのだと思います。

新人時代お世話になった矢崎先生も会場に!

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人の話をよく聴いてないことが多い私は、ちゃんと聴こうと思います。

ホスピスのこころでつながっている

ホスピスでは毎週水曜日の午後に音楽と飲み物を自由に楽しんでもらう時間を設けています。
音楽療法士の先生がピアノを弾き、飲み物のメニューから選んでボランティアさんが運んでくれる、カフェのような時間です。

「なにかリクエストはありませんか?」と音楽療法士の先生が呼びかけました。
とある患者さんが「リクエストしたいんだけど、曲名がなんていうかわかんないんだよ」
ともどかしそうにしています。
「朝ドラの「マッサン」で主人公のエリーさんが歌っていた、あの、よく聴く歌で・・。イギリス民謡じゃないかと思うんだけど?」

その場にいたドクターがスマホで検索し、画面を患者さんに見せたら「ああ、それそれ!」とおっしゃいました。
さらに画面を見て確認したナースが一名、ぴゅーーっと詰所にもどったかと思ったら、ほんの数分で戻ってきました。

「はい、先生!」と音楽療法士の先生に渡したのは、さっきリクエストのあったイギリス民謡の楽譜でした。
ネットで調べてプリントしたのです。
今、患者さんが聴きたいと思っている曲を叶えるためにどうすればいいかを瞬時に判断して結果を出す。
私はこのナース、デキる人だな~と思いました。

彼女はこんな風に、人が求めているものをすぐに察知して行動する人でした。
誰にも気さくで温かく、世話好きで涙もろいのにさっぱりした人でした。

でした、と過去形にするのは今月で当院を卒業するからです。
当院でしっかりとホスピスのこころを学び実践してきた彼女は、遠く九州の緩和ケアで働く予定です。
そこでまた人々を幸せにし、大きな木になることを遠くから見守っています。

長い間ありがとうございました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
しばらくみんなさみしいね。

ホスピスのこころ研究所設立~下稲葉康之先生の講演から感じたこと

6月23日(土)に私どもの病院の総長・前野宏がNPO法人「ホスピスのこころ研究所」を設立し、その記念講演会が札幌市内のホテルで開催されました。

左:下稲葉先生 右:前野総長

九州は福岡にある栄光病院というホスピスをおつくりになった、下稲葉康之先生をお迎えしました。
私はホスピスに関してはまだまだ初心者ですので、お会いするのもお話を聴くのも初めてでした。
今回のブログはその講演を聴いての備忘録的な内容で書こうと思います。

患者さんは人生の先輩である

医療者として苦痛を取り、心地よく癒して差し上げたい、と思っているものの、我々医療者はがんと診断されたこともなく、化学療法や手術を受けたこともなく、「これ以上治療できない」とも言われたことはありません。ましてや死も経験していません。

だからおひとりおひとりの患者さんが、我々にとってまだ未知の世界を先に進まれている、人生の先輩です。
私たちは人生の先輩たちのお話をただ謙虚に傾聴するしかありません。
「痛みや吐き気など、辛い症状をお持ちでしょうか?」
「今、どんなお気持ちでお過ごしでしょうか?」
とお尋ねし、そのお気持ちを受け止め、理解しようと努めるよりないのです。

私たちは医療者としてたくさんの患者さんを看送ってきました。
そんな私たちでも、自分ががんになったら、それらのことを冷静に受け止められるかはわかりません。
動揺したり、怒りを覚えたり、右往左往するかも知れません。
なってみて初めて分かることがたくさんあるでしょう。

患者と家族が死を前提として対話できること

私たちはコミュニケーションや信頼関係が大事だと知っています。
患者さんとコミュニケーションを交わし、家族とも交わしています。
けれどもそれだけでは未完成です。
患者と家族が「死を前提として」対話できることをお手伝いできるような役割と立場であると自覚しましょう。
家族だからうまく言えないことがある。
夫婦だからわかっているつもりで口に出さないことがある。
あなたを大事に思っている、愛している、言えなかったことをあとで後悔しないように。
信頼関係を結んで、そっときっかけを作るのです。
下稲葉先生はクリスチャンですが、それを患者さんに押し付けるようなことはされません。

むしろとても気をつけられて距離をおいていらっしゃいます。ただ患者さんとの対話の中で宗教的な問いかけがあるとそれにお答えしたり、求めがあると讃美歌をお歌いになって、慰められることがあるそうです。
曲名は聞き逃しましたが、患者さんの回診中にお歌いになった讃美歌の一節を、講演の中で歌って下さいました。
なんともやさしく心に沁み渡る声とことばでした。
先生が歌われる讃美歌を聴いて、患者さんの心がふっと柔らかく溶けるのが目に浮かぶようでした。

どんな形やきっかけでもいい。
患者さんとご家族が「死」という前提で垣根を越えた対話ができますように。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
なにより、信頼関係。

桜のじゅうたん踏みしめて ~ちょっと遅めのお花見会~

新鮮な空気。
強すぎない日光。
やわらかく流れる風。
桜の花びらのじゅうたん。

札幌ではお花見というと、5月の連休の頃を連想しますが、ここホスピスのお花見会は今年5月23日(水)に行われました。
連休あたりは混みますし、何より気候が安定してなくて寒いので。
なのでちょっと遅いかな~と思いつつ、今年は23日に決めたのです。

ソメイヨシノはもちろん終わってましたが、八重桜はまだまだ満開中。
平岡樹芸センターhttps://www.sapporo-park.or.jp/jyugei/

は人もまばらで空いています。(ラッキー!)
ここに患者さんとご家族と職員合わせて50名ほど、車4台でピストン輸送。

真ん中の広場でボランティアさんがテーブルを広げ、温かいお茶とコーヒーを用意して迎えてくれました。

「外出は数か月ぶり」という方。
「ここは亡くなった父と来た想い出の場所。」というご家族さん。
「まだ桜が見られるとは思わなかったわ。」と目を潤ませた方。

ちょっぴりビールを口にしたり、
にわか手品師になって大笑いしたり。

一緒に来られなかった方へ桜の花びらを集めて持ち帰る職員がいました。
訪問診療を終えて院長も途中から合流しました。

その日その瞬間を大事に大事に。
輝くような笑顔の写真をたくさん撮って、やさしい時間を共にしました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
もっといろいろできるといいなぁ。

”患者さんに寄りそう”ってよく言うけれど

4月21日札幌市内で「死の臨床・北海道支部春の研究会」があり、今年度から支部長になった田巻知宏先生(北海道消化器科病院)の特別講演とシンポジウムを聴いてきました。
田巻先生は東北の大震災後に、被災者の健康と心をサポートする「お医者さんのお茶っこ」という活動を今年の3月までされていたそうです。
また北海道に子供ホスピスを作るプロジェクトでも活動されていて、それらの幅広い実践活動が緩和ケアとも結びついているので、講演内容は深く広く考えさせられました。

グリーフ(悲嘆)は乗り越えるのではない

「私たちは人生の中でグリーフ(悲嘆)を何度となく経験します。亡くなるというだけじゃなく、大切な人と別れたり、物を失くしたり、愛着のある場所を離れたり。その人個人の歴史と将来に関わることです。グリーフを乗り越えるというのではなく、時間と共に受け入れていけるようになるものです。」
「回復のために必要な時間はその人により様々ですが、おおよそ2年から5年かかるといいます。その悲しみを忘れることはないけれど、少しずつ今この時が幸せだと感じられる時間が出てきて、ちょっとずつそれが長くなっていくことで人は回復していくのです」、と田巻先生はおっしゃいました。
なるほどな、自分自身のことを想い返してもそうだな、と納得します。

 

前のめりな寄り添いは時に迷惑なことがある

講演のあとシンポジウムがあり、おひとりの患者さんを病院~緩和ケア外来~在宅の連携で関わった経緯について、それぞれの立場から発表されました。

発表後の質疑応答の中で「患者さんに寄り添うってよく言うけど、前のめりな(医療者都合の)寄り添いは時に相手にとって迷惑なことがある」という発言も印象的でした。

私たちは必要なときにすうっとそばにいることができているだろうか?
忙しいことを理由にほんの数分だけ共に過ごすことを先延ばしにしてないだろうか?
あるいは相手が必要と自覚していなくても、先を見越して傍らにいることができているだろうか?
心が伴っているだろうか?

そしてそれは本当にその人の役に立っているのだろうか?
それは患者(家族)さんにしかわからない。

「患者さんの立場になって」というのと似てる。耳障りのいいコトバだけど、そもそも患者さんの立場になんかなれっこない。だから近づいて患者さんの思いを聴き、これでいいのかを確かめる、謙虚になって教えていただくということが大事なんだな、と改めて感じました。う~ん、正解なんてないよね。深いなあ。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「ああ、あれでよかったんだな」と思えるのはだいぶあとになってからわかったりするもんね。

ボランティアさんの作ってくれた寄せ植え。私はこのクリスマスローズが好きです。

ホスピス研修生を通して学ぶこと

ホスピスでは様々なところから研修生を受け入れておりまして、今年度は13名の方がおいでになりました。
短い方で1日~長くて1か月位の間、病院の寮に寝泊まりして研修されます。
滞在する間に一度院長・事務長・ホスピスナースと共にお食事をしながら感想などを聞かせていただくのですが、みなさんいろんなカルチャーショックを受けられていきます。

「ドクターが患者さんの家族構成や生活背景についてものすごくよく知っているのに驚いた」
「朝昼に行われる他職種カンファレンスの内容が濃い」
「自分のいまいる部署では対応できないようなことでも、患者さんの願いをかなえようとしている」
「回診で椅子を持って歩き、座って患者さんの話を聴く姿」
「時間の流れがゆっくり穏やかだけど、実は看護師はものすごく細かいことにアンテナを張っていて忙しい。忙しいのにそう見せないところがすごい」
「職員がみんな対等な感じ」

などが共通したところですが、先日いらした方がこんなことをおっしゃっていました。
「吸痰(痰を管を使って吸引すること)が少ないですよね。自分の病棟では亡くなる間際まで吸痰しているイメージがあるけど、ここではほとんどそういう姿はなくて驚きました」

それについて院長が「それはね、身体がむくむと(看護師に)怒られるからですよ」と控えめな声で答えました。

食事が摂れない⇒点滴をする⇒水分量が多くなる・代謝が悪くなる⇒体がむくむ⇒肺にも水がたまり痰が増える⇒痰を吸引する⇒患者さんは辛いという構図があるので、水分量を必要最小限に投与するように気を付けているそうなのです。

身体がむくんでくると、全身を観察している看護師から院長も怒られる・・とは私も初めて知りました。
しかも痰をさらに減らす秘策もあるそうで、緩和ケアの分野ではジョーシキなのだそうです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
研修生の鋭い視点を通して、私も勉強になりました。

死の場面に間に合わないことについて ~ご遺族のお話を聴く~

11/9のグリーフ(悲嘆)ケア勉強会は、いつもボランティアで来て下さっているKさんに講師をお願いし、当院でお母様を見送られたご遺族としての立場から、お話を聴かせていただきました。
普段の講義とは違って、机を取り払い、車座になって対話形式です。医師・看護師・ソーシャルワーカー・薬剤師・ケアマネージャー・介護福祉士・医事課・・・・ほとんどの職種が集まっていました。

私は途中から参加したのですが、Kさんのお母様が当院に入院されていたときに、お母様の臨終に間に合わなかったことについて話している最中でした。
Kさんは家庭やお仕事を持ちながら毎日面会にいらして、つらい症状が少しでもよくなるようにと、看護師と一緒に考えながらお母様へケアを行っていました。
「明日の状態を少しでもよくするための、今日のちょっとした行動」は、状況が厳しい中でも有意義だったと回想していらっしゃいました。

小康状態が続いていたある晩のこと、プライマリーナース(担当看護師)が夜勤の巡回をしているときに、kさんのお母様の呼吸が止まっているのを発見しました。
看護師にとっても予期せぬ急な状態の変化でした。

その瞬間に「どうしよう、あんなに毎日熱心なご家族なのに、死の場面に間に合うように察知して連絡することができなかった」ととっさに思ったそうです。
ご家族が病院に来られるのを待つ間、その看護師は
「どうして”今夜あたりだ”って言ってくれなかったの?わかっていたら夜帰らないで泊まったのに」とご家族から怒られ、非難されることを覚悟していたそうです。
しかしKさんは一言も看護師を責めることなく、亡くなった事実を受け止めたそうです。
それが看護師には不思議だった。責められて当然と思っていたから。

Kさんは「ここに入院してから旅立つまでの間、看護師さんは一緒に悩みながらケアしてくれた。そのプロセスがあったし、あらかじめ突然死が訪れることもあると聞いていたので、間に合わないというのはこういうことかと思った」のだそうです。

五感を働かせて観察する私たち医療者にも、残念ながら前兆をとらえきれない死がたくさんあります。可能な限りお一人ではなく、ご家族に見守られる中で旅立ちができるようにすることで、死の事実の納得と受け入れがしやすく出来たらと思うのは、どの医療者にも共通することだろうと思います。「死に目に会う」ことを大事にするのは、日本の死の美学かも知れません。

ただ、私は若かりし頃先輩からこんな風に教わったことがあります。
「”死ぬとき(タイミング)”はその人が選んでいる。みんなに囲まれて逝きたい人もいるけど、誰もいないときに静かに旅立ちたい人もいる。寝ている家族を起こさないように、夜中にひっそりと逝く人もいる。」と。

Kさんのお話を聴いて、当時のプライマリーナースは長い間の胸のつかえが取れた様に、ほっとした表情を浮かべていました。
ご遺族からこんな風なお話しを聴けるというのは、なかなかありません。
けれども、こうして大切な人を中心に話し合うことが、やっぱり明日のケアをよくすることにつながるのだと思います。
私たちにとっても、グリーフ・ケアになりました。

Kさん 貴重なお話をありがとうございました。

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