https://sapporominami.com/nurse/

文字の大きさ変更

サイトマップ
0118830602

カテゴリー一覧

病院の日常風景

続・楽しい時間を創り出すって楽しい


先週3F病棟で初の「お茶会」が開かれましたが、「お茶会」なんていう静かなネーミングとは違って、盆踊り大会でした。

詰め所前の小さなデイルームは天井から「祭」の文字がぶら下がり、中央には手づくりの太鼓が用意されました。CDからは北海盆唄が流れています。
音楽の背景には打ち上げ花火の音が入ってて効果的です。
法被を着た職員と車イスの患者さん、ボランティアさんやご家族を巻き込んで、狭いながらも楽しい盆踊りでした。
たまたま指示を出しに来たドクターも、そこを通るために踊ってくれて、みんな大笑い。

懐かしい音楽が心に触れたのか、涙ぐむ患者さんもいらっしゃいました。
30分程入れ替わり踊った後は、太鼓を病室に運んで患者さんに叩いてもらったり、写真を撮ったりしました。
バチの代わりのめん棒を握って、リズム良く叩く方。
太鼓をお腹にのせてご家族が叩いて体で振動を感じる方。
それぞれに楽しんでいただけたかなぁと思います。

そのうち、どこからか甘い匂いが立ち込めて来ました。

2F病棟では縁日企画で綿あめとかき氷のサービスが始まっていました。
気温は高くない日でしたが湿度が高かったので、かき氷に人気が集まると思いきや、綿あめの方がよく売れました。
ここにも先ほどのドクターが参加していました。

翌日、盆踊りの考案者に聞いてみました。
「最初のお茶会が盆踊りだとは思わなかった。発想がいいよね~。どうして盆踊りだったの?」
「丁度お盆だったから盆踊りをやりたいなあと思ったんです。スタッフにも協力してもらい、ご家族にも伝えて、ベッドから出られない方の所へは太鼓を持って行くからねって言っていたんです。」
「太鼓はどうやって作ったの?」
「段ボールと100均の壁紙で・・」

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
心を自由にして可能性を広げよう。

楽しい時間を創り出すって楽しい

毎週水曜日に行われるホスピスのお茶会。
ホスピス以外の患者さんやご家族にも楽しんでいただいてますが、何せスペースが狭いので、ゆったりとくつろぐという感じではなく、いつも申し訳ないなと思っております。

それで去年から障害者病棟でもハーモニカの演奏会を単発で開いて、より多くの方に参加して頂けるように企画してきました。
ホスピスのお茶会と同じ時間帯に行うので、ボランティア・コーディネーターの鈴木さんは大忙しです。院内を走り回ってどちらも事故なく上手くいくように見回っていました。

そんな時「病棟独自のお茶会をやってみたいんだけどいいですか?」と病棟師長より提案がありました。

病気が安定して、その人なりの健康度合いが維持できるようになると、病院の日常は退屈なものです。楽しんで出来ることや、興味のあることが出来たら、笑顔になるし、認知症の方にも気持ちのいい刺激になります。

すでに2階病棟ではカラオケ大会をしていましたが、今月3階病棟でもお茶会を開くことになりました。看護師と介護福祉士、ボランティアさんが一緒に考えていて、何をするかはまだ私も知りません、というか秘密裏に準備していて当日のお楽しみだそうです。
飲み物はちゃんと落としたホットコーヒーとカルピスの2種類。

この辺り、私はなーんにも口を出しません。
人を喜ばせようとすることには自由な発想が湧いてきます。
そして終わった後もきっとさらなるエネルギーが湧いてくるでしょう。
患者さんと職員の笑顔。それが楽しみです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
もっと看護師の自由度を上げよう!

転職を考えている看護師さんへ

看護師が転職を考える時、何が理由になっているでしょうか?
女性の多い職場なので、結婚・妊娠・出産のライフイベントや、親の介護などで働き方を見直すタイミングだったり、環境を変えたいとか、人間関係に疲れて、など色々な理由がありますね。
医学的に違う分野を学びたいとか、ステップアップを考えている人もいます。

給与や休みの数、残業時間がどれくらいか、といったことももちろん大事な条件です。ハローワークや看護協会、転職サイトなどでもある程度の情報は捉えることができます。
しかしその病院や施設がどんな理念をもっているか、どう実現させようとしているかは、話を聞いてみないとなんともわかりません。

ましてや病院や部署の雰囲気といったものは、現場に行かないとわからないものです。
ですので私は数年前から転職活動をする方に、こんなことをオススメしています。

ネットや看護協会などでまず下調べすること。それから直感が働いた病院に直接行ってみること。
可能なら面会客を装って、院内をぶらぶらと見学し、その雰囲気、看護師が患者にどんな話しかけ方をしているか、看護師同士がどんな会話をしているかに聞き耳をたてる。
イライラ、トゲトゲしてないか、来訪者であるあなたに笑顔で挨拶してくれるかどうか、どんなニオイや空気感が漂っているか。

働く諸条件とその場の雰囲気をある程度つかんでから、病院見学を申し込み、看護部長の話を聞くといいと思う。
トップが何を大事にしているかは、ホームページには載ってないこともあるから。
自分の知りたいことをメモにまとめていってね。

当院の待合室


先週のブログに書かせてもらったナースに「この病院に就職したきっかけは?」と聞いてみました。
彼女も転職の契機があって、緩和ケアで働きたいと考え情報収集していました。
最終的に3つの病院に絞り、一つずつ病院巡りをして、何をするでもなく外来待合室に佇んで、雰囲気を感じるということをやったそうなんです。
私の考えと似ていたので驚きました。

3つの中で唯一、看護師が彼女の所にやって来て「どうしましたか?」と尋ねた病院があったのです。
彼女はこのことだけで当院を就職先に選びました。
と、いう風に書くと何か自慢話のように聞こえるかも知れませんが、当院は小さな病院なので、待合室は一目で見渡せますから、診察を待っている人は大体わかるのです。そして割と年齢層の高い方が来られる病院なので、20代の女性が外来にポツンと座っていると、結構目立ちます。
それで、たぶん声をかけられたのだと思います。

そんないい誤解もあって、すてきなご縁ができました。
ほんのちょっとのタイミングだったりします。
うんと忙しければ、違う対応だったかも知れませんしね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
転職を考えている人にいいタイミングと幸せが訪れますように。

セクショナリズムの端緒を摘み取る

これは入院している患者さんが別の病棟に移るときの話。

A病棟とB病棟の看護師が患者さんについての申し送り(引き継ぎ)をします。
A病棟看護師は「こういう治療を受けて今はこんな様子です。そちらの病棟で引き続きこれこれのケアを継続してください」というような話をします。
病態が複雑だと長くなりますが、だいたい5〜10分程度かかります。
B病棟の看護師はそれを聞き取り、わからない点を確認し、その後患者さんはB病棟へと移っていきます。

その申し送りの場面で、B病棟の看護師さんがとても感じが悪かった。
受け答えが粗雑でなんだかイライラしているみたい。
質問もつんけんしていて、嫌な感じ。
A病棟の看護師はそんな人に大事な患者さんを預けるのが嫌だなと思いました。

その様子を見ていた先輩ナースは「B病棟の○○看護師感じわるい~」と師長に報告しました。
そして「うちのかわいい後輩ナースに対してあの態度はないわ!」と立腹しています。
他の先輩ナースも話を聴きつけ一緒になって同調し始めました。

師長は申し送りをしたナースから話を聞きました。
普段その看護師はとても感じがよく、挨拶もちゃんとしているので、そんなはずはないと師長は思いました。
そして「なにか事情があるかも知れないから、一度のことでそう大騒ぎするもんじゃない」とみんなをたしなめました。

その後、感じが悪いと言われた看護師さんは、自分のお子さんが保育園で初めて熱を出していたので、早退する前に仕事を早く終わらせなければと焦っていたことがわかりました。
プロである以上、私生活が仕事に影響するようではもちろん困るのですが、同情できる部分もあったわけです。

私はその一連の話を聴いて、師長さんがセクショナリズムの端緒をしっかり掴まえたなと思いました。
放っておけば「B病棟の○○看護師」は「感じ悪い」というレッテルが張られたことでしょう。
さらには「前にもそういうことがあった」「△△看護師もそうだった」「B病棟はいつも感じが悪い」と悪いところ探しに発展することがあります。
悪評はそのうち独り歩きをして固定化する危険性をはらんでいます。

A病棟とB病棟は専門性も役割も違いますが、いがみ合うことは何の益ももたらさない。
かえって不要なエネルギーを使わせてしまう。
こういうことは案外至る所で起きるから、芽が小さいうちに摘み取らないとあとあと大きくなってからだと始末に悪い。
アンテナを張りスタッフの声に耳を傾け、正しき方向へ向かうように促す。

まるでトマトの脇芽のようですね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あ、これは人から聞いた、よその病院の話。

看護師の世界に「安定」はない

師長だったときも、看護部長になってからも、私はいつも「安定する」ことを求めていたように思います。
自部署に人が定着して、それぞれがスキルアップして、まとまりのあるチームになって、いいケアをして・・・ということをずうっと夢見ていました。
しかし毎年思うのはこの世界は「安定」というのはないな、ということ。
医療は進化し、人は変わり、IT化されて忙しさは加速する。
看護師たちの職場はほぼ女子の職場なので、どうしても女性のライフスタイルが優先する。
そして自分自身をとってみても、人生が安定したためしはないなということ。
モノゴトは常に動き、人の心は変わり、周辺状況はいつも山あり谷あり、なんです。
それを不安に思ったり、なげいてもしょうがない。

安定を崩す事柄に振り回されたり、「どうしてわかってくれないの?」と思うこともあったけど、流れを思い通りにすることなんてできないですね。
ただ最近わかってきたことは、自分がその日その一瞬を楽しくして過ごすよう意識していると、そしてその積み重ねを続けると、何かが変わっていくと感じる時があります。

先日ホスピスでティータイム・コンサートがありました。
ショパンのワルツなど、耳に慣れたやさしい曲を、ピアニストの村松さんが弾いてくれました。
看護補助スタッフが障害者病棟の患者さんを連れてきてくれて、横に座って一緒にお茶していきます。
ボランティア・コーディネーターの鈴木さんも、患者さんの手を握って眼を閉じて聴いています。
ボランティアの佐久間さんは、患者さんの手を優しくマッサージしながらなんとも優しい表情をしています。
昔ピアノを弾いていたという患者さんは、曲に合わせて指を動かしていました。

寝たきりだった患者さんをリクライニングの車いすに移動して、師長さんと受持ちナースがやってきました。
座るだけでもしばらくぶりのその患者さんに「わ~ひさしぶり。よくいらっしゃいましたね」と声をかけると、ゆっくりとピースサインをしてくださいました。
動きにくかった手を持ち上げて、裏ピースをやっとなんとかできるようになった、そのことを涙ぐんで喜ぶナースたち。
その様子に私もぐっときてしまいます。

あとから写真を見てみると、患者さんや職員、ボランティアさんがとても豊かな、良い表情をしていました。
誰かを想って何かをして、一緒に喜んで笑っている姿に、そしてこの瞬間に遭遇していることに、私は素直に幸せを感じました。

約一時間後、まったく別なことで心が揺るがされましたけどね・・安定しないというのはそういう意味でもあります。笑

演奏を終えて。ピアニスト村松さんとボランティア・コーディネーターの鈴木さん

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人生は、だから面白いんですね。

今年もあ!ぐり~んプロジェクト始動!

spring has come!
今年も畑の季節がやってまいりました。
一昨年から病院周囲の小さなスペースを使って、野菜や花壇を作って楽しんでいます。
去年はそれに「あ!ぐり~んプロジェクト」という名前を付けて面白がっていました。
患者さんも24時間病気のことばかり考えたり戦っているわけじゃない。
ほんのちょっとした、いつもと違うことが楽しいと思ってもらえたら、その日は少しいい日になるに違いない。
なんてことを考えてました。

「今日は午後2時から種イモを植えるよ」と朝礼や通りすがりに言って歩きました。
そしたら2時前に温かい上着を着た患者さんが何人も車いすで来てくれました。
同じ数だけ職員も一緒です。

あらかじめ掘り返した土の中に種イモを入れました。
昔は私も野菜作ってたの・・といいながら器用にベストポイントに着地。

今年もキタアカリ

隣ではイチゴがいくつか花を咲かせています。
筆を使って授粉をお願いしました。

「収穫したら俺も食べていいのか?」
「もちろんです。」
「おお!じゃあ一杯たべるぞ!」

あっという間の10分間でした。
雨がぽちっと降りだしてちょうどいい頃合い。

「去年は私と患者さん一人だったんです。それが今年は詰所のみんなが誰を連れていくか、何時に着替えるかってみんなでわいわいして降りてきたんです。患者さんが笑顔でお部屋に帰るのを見たら、自分たちも行きたくなるんですよね。それがうれしくて・・・」
と目をうるうるさせてくれた師長さん。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
その目を見てこちらまでうるうる・・。

30秒の家族ケア

もう年度が替わってしまったのですが、3月に看護部教育委員会で計画した「家族ケア」の講義がありました。29年度はこの「家族ケア」とグリーフケア委員会で企画した「グリーフケア」の研修とがぴったりマッチして、看護者がどのようにご家族を支えるかを看護師側とご家族の声から聴くことができました。

看護師が看護師になる理由の中には家族や親しい人の、病気にまつわる体験をきっかけにしていることがよくあります。「家族ケア」で講義をしてくれたナースQさんも、お母様の旅立ちのプロセスに家族ケアの物語がありました。
Qさんは入院していたお母様に対し、看護師でありながら今一歩近づけない、体に触れられない気持ちでいました。
患者さんだったらなんということもない行為も、家族であるがゆえに手が出せない気持ちだったのです。
そして危篤のお母様をそばで見守りながら、何もできない自分を責めていました。固い椅子に座って夜通し付き添った朝方、看護補助者の方が顔を拭くための熱いタオルを一本Qさんに手渡しました。

「ほれ、お母さんの顔、拭いてやんな」と一言声をかけられて、彼女は突き動かされるようにそのタオルでお母様の顔を拭くことができたのです。
Qさんは「今考えると初対面の家族に、”ほれ”はないだろうと思います。けれども私にはあのときの補助者の方が、”この娘さんは一晩中母親に付き添っているけれども、何もできないでいるんだな。きっかけがあれば何かできたと思うかな”、と一瞬で見抜いたんじゃないかと思います」と話しました。

この補助者の方がそこまで鋭い視点を持っていたかどうかはわかりませんが、とにかくQさんはその人の一言に救われ、行動ができたのですね。それが30秒の家族ケアだったと彼女は話してくれました。
「さあ家族ケアをしましょう」という構えではなく、日常の中の様々な場面に家族ケアのチャンスはあると語っているのです。

本年度の教育委員会もこの「家族ケア」を引き続きやっていこうということになりました。
「うちの病院だからこそ、ここは大事にしていきたいよね。こういう話は何回聴いてもいいよね」というコトバが教育委員の中から出たのが私にはうれしいことでした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
関心を寄せることなんだよな~。

 

病いという経験を語ること・聴くこと

「病いは経験である」というコトバを最近頭の中で反芻しています。
アーサー・クラインマンという精神科医で医療人類学者の著書「病いの語り」の冒頭に書かれたコトバです。
急性であれ、慢性であれ、それまでの日常に未知の経験が加わることが病いですから、それはその人・その家族にとって個別の経験となるものです。その時々で何を選択するのがいいのか、どう解釈するのがいいのかを模索しながら、それでも人生は進んで行きます。

個人的なことで恐縮ですが私は昨年から突然全身に皮膚トラブルを発症しました。
特に手荒れがひどくていまも治療中ですが、悪化と軽快を繰り返しています。
体質的なものなので「治る」ということはなく、つきあっていくしかない慢性状態になりました。

これとてひとつの経験です。
重い病気の方に比べればたいしたことはないのですが、手荒れがひどくて常にどこか割れて出血していること、洗髪の時が一番つらいこと、保湿が大事で常に綿手袋をしなくてはならないこと、水を使う食事の支度や片付けが億劫になったことなど、日常生活に少なくない変化がありました。

今はアトピー性皮膚炎で苦しむ方の気持ちが少しわかるようになりました。

ときどき看護師たちが「部長さん手はよくなりましたか?」と聞いてくれます。
忙しい彼女たちにいろいろ語ることはしませんが、そうして自分ごとに関心を寄せてくれるだけで、心がふわっと丸くなるのを感じます。弱っているときには経験を聴いてもらうことが、なによりのケアになると思います。

逆に、ご家族にがんと診断された方から驚愕の心持で相談を寄せられることがあります。
これは専門家としての意見を求められている場合もあれば、「この驚きを聴いて受け止めてほしい」という場合もあります。
私はがんの専門家ではありませんが、「この人に聞いてみよう」と思っていただける以上、できるだけ力になりたいと思います。

他者の病の経験をお聴きして近づき、自分ごとにも重ねてより深く考える。
終わりのない学びです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「ここに来たらよく話を聴いてもらった」っていいよね!

道聞かれ顔

業界紙を読んでいたら、記事の中で「道聞かれ顔」というコトバが目に留まりました。
街中で「この人には道を聞いてもよさそう」とか「道を聞かれたがっている」という、ホスピタリティに溢れた表情のことを言うそうです。

「わたし街中を歩いているとよく道を聞かれる」という人、身近にいますよね。
柔和な笑顔で、まあなんというか「世のため人のため」オーラの出てる人と言ったらいいか。

<大阪で桜満開>

患者さんの話を聴くためには医療者も「道聞かれ顔」であることが大切だと記事には書かれていました。
看護学生の時にはベッドサイドで患者さんの話を一所懸命聞いていたのに、臨床現場に入って数年すると目の前の仕事に追われて「私に聞かないで・話しかけないで」モードになってしまう。忙しすぎるんです。どこもかしこも。

昔師長になりたてのころ、1年目の看護師が夕方詰所に戻ってくるなり、こう言いました。
「これじゃ私 ”処置屋”だわ。処置なんてロボットにやってもらいたい。なんのために看護師になったかわからない。」
やってあげたい、聴いてあげたいはたくさんあるのに、最小限の内容で終わる日々。
私はこの看護師とコトバが忘れられません。

さらにさかのぼって、私が新卒だったときのこと。
アコガレの先輩ナースFさんは、夜勤に入ると「今日は○号室の△さんの話を聴く日だから、しばらく戻ってこないからね。先にごはん食べてて」と言いました。
Fさんはまず全部の部屋を回って、ナースコールで呼ばれないようにきちんと一人ひとりの患者さんを看て、整えていました。
それから詰所から見える場所で、△さんとふたり、ベンチに座って21時の消灯をすぎてもじっくりお話を聴いていました。

患者さんの話を引き出すための時間を作り、中断されないように他の患者さんのこともしっかり手当しておく。
なんてかっこいいんだろう。こんな看護師になりたいと思ったシーンでした。

効率化も大事だけれど、何かを効率化するのはもっと患者さんが語ろうと思える余裕や空間を持つためでありたいものです。
診療報酬の改定で入退院支援に力を入ると点数が大きくつくようになりました。
入院前にしっかり説明して患者さんの持つ不安を解消し、情報を早く収集して病棟と共有することで、病棟看護師の負担が減るだろうと言われています。
すべての病院に適合するわけではありませんが、このシステムがうまく稼働すれば「道聞かれ顔」を増やすことになるかも知れないですね。

<新築病院の内覧会で>


今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
記録ものの音声入力。早く一般化されてほしいな。

夜更けの事情

毎晩夜中の3時頃になると起きだして、ベッドの横にある床頭台(”しょうとうだい”と言います。引出の付いた物入れのこと)に入っているものを、出してはしまい、しまっては出す、を繰り返しているのは76歳のS子さん。

大部屋なので他の方が物音で目を覚ましてしまい、ついにうるさいと苦情を言われてしまいました。

当直の時に観察していると、確かに3時になると起きてベッドサイドにかがみこみ、戸をあけて中に入っている着替えの包みや洗面道具を出したりしまったり。
腰椎が折れて、入院した時には痛みで動けなかったとは思えない屈み方です。

看護師がやんわり止めようとする声は耳に入りません。
眼はぱっちりしているけれど、視点がここにないのです。
今なら「せん妄だね」と理解できるのですが。

「30分くらいでぴったり止めて、いつのまにかまた寝るんです」と受持ちナース。

後日ご家族に聴いてみましたら、ご自宅でコンビニを経営されていて、夜中の3時ころにお弁当が届くそうなのです。
息子さん夫婦が夜ぐっすり休めるようにとS子さんが夜中に起きて、工場から届くお弁当を受け取り、お店の食品棚に陳列するところまでを毎日の日課にしていたのだとか。
腰の骨が折れて入院しても習慣が消えずに続いていたんですね。
その様子を聞いて、息子さんが涙ぐみました。

数日後、痛みが落ち着いているということで、S子さんはご自宅に帰って行かれました。
約20年前の話ですが時々思い出すのです。

1 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15