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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

エンゼルケアの研修会

7/31に院内で「エンゼルケア」の研修がありました。
講師の緩和ケア認定看護師市川佳代さん(千葉徳洲会病院)とは、昨年院長とグループ病院を見学した際に、初めてお会いしました。
別な仕事で市川さんの札幌出張を知った私は、図々しくも当院での講義をお願いしたのです。

「エンゼルケア」というのは看護師の用語で、患者さんが亡くなられた後に体を清潔に整え、点滴など身体に入った医療器具を取り除き、メイクをすることを指しますが、広い意味ではご家族の悲しみへの対応も含まれていて、生物学的な「死」よりも前から少しずつ準備教育を始めるとともに、自然な状態への整えと、ご家族が死を受容するための援助を行うものなのです。

市川さんは緩和ケア認定看護師としてご勤務中に、ご自身のお母様ががんの末期であることを知りました。
職場の理解と協力を得て、在宅で看護し自分で看取る決心をしました。
その生活とお見送りした体験が、写真で克明に記録されていました。
ご家族やお母様のご友人たちが集まり、ともに過ごした日々がスライドに映し出されました。
趣味でフラダンスをしていたお母様の死に装束は、一番似合っていたドレスでした。
市川さん渾身のメイクでとても明るく満ち足りたお姿となり、その後のハワイでの散骨に至るまでが、一貫した納得の「エンゼルケア」でした。

こうして講義室に集まった私たちは、市川さんとお母様の最期の日々を追体験させていただきました。
最期の時までを精一杯生き抜いた、一人の女性の息をのむようなお話でした。
一方、看護師として娘として、様々な角度からお母様の姿を見つめ、思いを込め、最善のケアをやりきった姿がそこに映し出されていました。
うらやましい!すばらしい!私はこんなことできなかったなぁ!

市川さんは自分の体の斜め横を手でぐるぐるしながら「今もこのへんに母が漂っていて、ちゃんと私がお話しできるように支えてくれているんです」と茶目っけたっぷりにお話しするのですが、聞いている私にもお母様が笑って隣にいるような気配が感じられ、それが幽霊だとしても温かくほほえましい光景に映りました。
これが生きている人の中にいつまでも生き続ける、ということだなあと思うのです。

市川さんの講義は、終わった後になんだか人と話したくなります。
皆、何かしら誰かを失った喪失感を抱えながら生きていると思うから。
普段はそのことに蓋をして、仕事をしたり生活したりしている。
でも、ときどきこうして蓋を開けて、泣いたり懐かしんだりして悲しみをちゃんと味わうことも大事だなと思います。

市川さん、来ていただいて本当によかった。
グループ病院にこんなに優秀で素敵なナースがいることに感謝します。
また来年もぜひ続きを聞かせてください。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「大切なのはどれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」(マザー・テレサ)

アコガレの、勝原裕美子さんの講演を聞いてきました!

8/5(土)に、私のあこがれの勝原裕美子さんの講演に出かけてきました。
「キャリア開発を考える」というテーマで、市立札幌病院で行われました。
友人に誘ってもらって、外部の人間なのに一番いい席をget(笑)。

今年の春ごろ、勝原さんの亡くなられたお父様が夢に出てきて、「これまでの事、どれか一つでも欠けていたら、今のおまえはない。まだ終わっていない。お前の人生はこれからや」と声をかけられたのだそうです。
夢から覚めた勝原さんはすぐにその言葉を書き留めて、おそらくなんどもその言葉を噛みしめ、ご自分のキャリアを振り返り、20年前に今の仕事や生活を想像できていたか?想像通りでないなら、何がそうさせたのか?を自問したといいます。

こんな風に導入が始まり、看護師になる前から定年後まで、段階的に看護職が進んできたプロセスをたどりながら、お話は進みました。
看護師には、大きな病院であれば最初に配属された部署や異動した部署によって経験を積む他、自分の興味のある分野を究めてスペシャリストになる道や、管理職に進む道など、さまざまな方向性があります。
非常に有能で人柄も素晴らしい人だけれども、家庭との両立を最優先に考えて、パートで働き続けている人も、私はたくさん知っています。

何を選ぶかは、人それぞれ、ですね。

ある友人は40歳を過ぎてから看護師を目指し、家族と離れ離れに暮らしながら免許を取得しました。働きながら50歳を過ぎてから大学~大学院へと進み、60歳を超えた今現在は非常勤で働きながらも、様々なことを学び、セカンドステージを自ら作り出そうと模索しています。そんな友人に敬意を払いつつも、次のステージに向けて何かお手伝いできないかといつも思っています。
私自身も後継者を育てて次のステージに何をするかを考え準備しなきゃと思いますし、働く職員ひとりひとりのことにももっと対話が必要だなと思いました。

勝原さんの講義は、具体的で答えたくなるような質問が随所に織り込まれ、自分の体験を思い出し、重ね合わせて聞くことができました。
最近私は、人と面談するときには、より具体的で分解された質問がすごく大事だなと思っています。
「こうしてみたら?」ではなく、その人が自ら答えを見つけて進んでいけるような問い。
しかし自分で問いを作るのは結構難しいものです。
勝原さんの資料にはたくさんのヒントが詰まっていました。

そんなことからも、わたしにとってこの講義はまた宝物のひとつになりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ちゃっかり写真とサインといただきました。これも宝物です!

市立病院のアジサイ。素敵です。

昨日よりもっといいケアを~赤ちゃん人形”たあたん”がキタ~

こんにちは。いいケアをするためには何でもしたいと思う、看護部長の工藤です。

先日フランスベット株式会社さんのご厚意により、赤ちゃん人形”たあたん”をしばらくお借りすることになりました。
おなかのボタンを押すとスイッチが入り、手に触れると「ふんぎゃあ」と泣き、足に触れると「けらけら」と笑う。
座らせると目を開け、寝かせると目を閉じます。泣いた時にぎゅうっと抱きしめると泣き止む、優れものです。
重さは1.5キロで本物の赤ちゃんよりはずっと軽く、筋力の衰えたお年寄りでも抱っこが出来ます。

認知症ケアに効果のあるダイバージョナル・セラピー

認知症を伴う高齢者のために、最近「ダイバージョナル・セラピー」というというものが知られてきました。
ダイバージョナル・セラピーとは、オーストラリアやニュージーランドで発展してきたもので、レジャーやライフスタイルに関わる分野での個別ケアとして公的に認められているものです。
個人が自ら楽しいと思える経験を通じて、ひとりひとりのQOL(クオリティオブライフ=生活の質)を向上させようというのが狙いです。

詳しくは

http://www.homecare-yamaguchi.co.jp/diversional-therapy/

そのプログラムは、ダンスやアートや庭つくり、海辺の散歩、音楽やお茶会、読書など多様にあり、個人からグループでのかかわりまで様々です。
定期的に生活の中に取り入れていくことで、ケアの受け手がポジティブに行動したり、笑顔が増えたり夜間の良眠が得られたりという、成果が得られているそうです。

記憶を呼び覚まし、幼い子を守る動作へとつながる

赤ちゃん人形”たあたん”は、「ドール・セラピー」と言って、「赤ちゃん」という存在がそばにいると認識すると、「自分が守ってやらねば」という気持ちにさせ、お世話をするような行動を引き出したりするのだそうです。
抱き心地がよく、そばにいることで愛情を感じたりすることから、子育てをした過去の記憶を呼び覚ましたりするようです。
職員もこの赤ちゃんを抱くと泣き声や笑い声で思わずにっこり。
つい「あ~よしよし」などとあやしてしまいます。

どの方にもというわけにはいきませんが、この人形がコミュニケーションのひとつとして、お役に立てればと思います。

いつもこのブログに来ていただきありがとうございます。
詰所のカウンターに置いてあると「ぎょっ」としますが、患者さんにはおおむね好評です。

みつけたいのは自分の強み・他人の強み

自宅のベランダでえんどう豆を育てています。
花が咲き、実をつけるようになるといつも思うことがあります。
いつも見ている位置から収穫していると、翌日違う方向から見たら昨日はまったく気づかなかったところにさやの大きい実を見つけることがあることです。


昨日あるだけ収穫したと思ったのに、葉っぱの陰にかくれていて、発見できなかった。
ほんの少し角度を変えて違う方から見たら発見できたかも知れないのに。
見落とした自分がいます。

これは人に対しても同じことが言えて、人はだいたいお互いの要求によってコミュニケートするものだけど、そこには見えない側面がいくつもあるということ。
いつも不機嫌な表情で仕事をしている上司が、家ではとても子煩悩だとか。
あるいは普段無口でいるけどイラストがとっても上手な人だとか。

ちょっとした言葉のかけ違いや感情のすれ違いで「あの人はもうだめ、嫌い」とレッテルを張ってしまうと、なかなかそこの位置からはいい側面は発見できないものです。
理解のある上司や同僚ばかりとは限らないけど、うまく行かない関係性を環境のせいや人のせいにしていると、何も発展はない。
この人のいいところは何か?
この人の得意なことは何か?
をいつも観察して考えているのだけど、見てるだけじゃわからないことも多くて。
もっと聴いて、対話しないとね。
って思う。

そうはいっても、対話ですべて解決すると言うほど、おめでたい人間でもありません。
何年もの間、廊下ですれ違っておはようと挨拶しても一度も返事をしてくれなかった人もいます。
そういう人のお葬式は、絶対に行かないと心に決めています(笑)。

お互いの強みを理解してそこに焦点を当てる働き方ができれば、「日本一幸せに働ける病院が作れる」と私は信じています。

いつもこのブログに来ていただきありがとうございます。
口で言うほどには、まだまだできてない私です。

私の終末期はこうしてほしい~医療事前指示書について

7月15日北星学園大学で開催された、日本在宅ケア学会学術集会の市民講座に行ってきました。
尊敬するスーディ神崎和代先生(いわき明星大学教授)が「最期まで安心して暮らすための在宅ケア」という題名で講演し、先生の書かれた「医療事前指示書」について書き方を解説されるというので、楽しみにして行きました。

「終活」とか「エンディング・ノート」など、人生の終い方についての本やイベントが流行しています。
遺言書やエンディングノートはいわば「亡くなってからの」指示書ですが、この医療事前指示書はもっとその前の段階での指示書になります。
実を言うと私も32歳の時からいわゆる「遺言書」を毎年書いていました(^^ゞ
ま、その話は別の機会にするとして。

「医療事前指示書」とは、何らかの理由で自分で自分自身の医療に関する意思決定ができない事態に備えて、あらかじめそれを文書にして書き記し、書いたことを誰かに知らせて託すことまで、を指すものです。

私たちは事故や病気などで急に重篤な状態に陥ったり、あるいは徐々に進行する認知症のために、自らの治療について「こうしてください」とか「不必要な延命治療は要りません」という意思を、人に言えなくなることがあります。
そのとき医療者はご家族の方に「(このあとの治療を)どうしますか?」と尋ねることになります。
命に係わる重要な意思決定を迫られたご家族は、迷い、悩まれます。
生きて、元の姿に戻ってほしいと願い、意思決定をされるのです。

今はインターネットで様々な医療の情報を得ることが出来るようになりましたので、患者さんの選択の幅も広がりました。
人工呼吸器や胃瘻の装着、過剰な医療の拒否についても、あらかじめご本人が意思決定されたものとわかるなら、ご家族も迷いなく選択できるでしょう。

医療事前指示書にはもうひとつ、「医療委任状」という側面もあります。
「最期を迎えたい場所」について国民の55%が「自宅で死にたいと思っている」が、実際に自宅で亡くなる人約12%、病院で死亡する人75.2%という調査結果があります。(厚生労働省平成28年資料「在宅医療の現状」から)
つまり、実際には終末期を自宅で過ごしたいという希望はあっても伝えていない人、希望する在宅医療サービスがその地域で受けられない人、家族の介護負担などで思うとおりに行かない人などがたくさんいるということです。

病気や寿命をコントロールすることはむずかしいですが、回復の見込みがないとわかったときに、「自分はこうしてほしい」とあらかじめ書いた意思を表明し、伝え、尊重してもらうことは可能です。
そして内容についてご家族とよく話し合っておいて、書いた指示書をどこに保管したかを家族がわかっていることが大事です。
「お父さん、こう言っていたよね。そういえばあの棚の引き出しに入れておいたね」と言っていつでも取り出して見ることができれば、それはご本人に代わって家族が意思を尊重することにつながるのです。

 

医療事前指示書について
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b217333.html

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
この件についてはまた書きたいと思っています。

ホスピスの七夕会に想う

昨年の七夕会は流しそうめんをして、ずいぶん驚いたものだけど、今年はお祭りにするという。
まったくいろんなことを考えるよね、ホスピスのナースたち。
どんな内容かは当日のお楽しみ、私は一切口を出しません。

あ、今回は法被を買ってほしいと頼まれましたっけ。
来月の病院祭でも使えるし。
院長、ありがとうございます!(^^)!

ひと月ほど前から短冊飾りが用意されて、少しずつ準備がされていましたが、当日朝イチのラウンドで、ホスピスのデイルームが一気に様変わり。大きな文字が飾り付けられて、期待が高まります。
たこやき・わたあめ・かき氷・スイカ・ヨーヨー釣り。


段ボールで作ったくじ引きもあります。
きっと夜中に作ったんだネ。ごくろうさま。

音楽療法士のK先生が、ピアノを弾いて幕開けです。
研修医の先生や事務の実習生、それから釧路から見学に来てくれた看護師さんたちの力も借りて、皆がそれぞれの持ち場で最高のモノを作り、すてきな笑顔でおもてなしをしようとしています。
研修医の先生のコーヒーを運ぶ姿がやけにスマート!(カフェでアルバイトの経験があったとか)


ボランティアさんは、「今年のスイカの切り方を見てください!」と言います。
たしかに!進化系ですね。持ちやすくて楽しい!


しばらくして師長さんがピアノの前に座り、「上を向いて歩こう」を弾きはじめました。
「え?師長さんが?」とみんなが注目し、弾き終えた瞬間大きな拍手が沸きました。
狭い会場に集った患者さんやご家族、職員たちに一体感がふわっと立ち上った感じがしました。

 

ケアワーカーさんが他病棟の患者さんを連れてきてくれて、たこやきやかき氷を味わっていただきました。
手が硬縮している患者さんにわたあめを差し向けると、わたあめの割りばしを受け取ろうと体を前にしようとします。
ご家族の方がそれを支えてなんとか持つ格好にして、わたあめにパクリ。
こういう瞬間を写真に撮り、プレゼントをする。
その写真を病室に飾ると、その場に居合わせなかった人にもうれしさが伝わって、見ている人も笑顔になります。

「わたあめなんて子供の頃以来だった。おいしいもんだな~」と男性の患者さん。
「食事があんまり食べられなかったのに、かき氷が美味しくてつい全部食べられました」とご家族。

味や体験や楽しかったことが心に残り、写真を見てまた思い出し、そうして日々紡いでいく。
時にはそのことが薬よりも効果的だったりします。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人のヨロコビが自分たちのヨロコビになるね。これこそが最高の報酬。

「音楽療法の可能性」講演会を聞きました

6月28日、音楽療法士でNPO法人「和・ハーモニー音楽療法研究会」代表の中山ヒサ子さんの講演会が院内で行われました。

20世紀初頭から医療分野では音楽療法のニーズがあり、戦争によってアメリカで急速に発達したことなど、歴史的背景の説明がありました。
日本ではようやく認知され出したところで、アメリカとの間にはすでに50年位の差があるそうです。
緩和ケアだけではなく、認知症・パーキンソン病・人工呼吸器装着の方にもストレスを軽減するエビデンス(根拠)が証明されているそうです。
透析中に音楽を聞いていると、透析時間が短く感じられるとか。
手術中に執刀医の好きな音楽が流れると、手術が順調に進むのは私が看護学生だったころから知られていました。
なんとなく、わかりますよね?

音楽療法というのは、患者さんが希望する音楽や歌を奏でて一方的に慰めるというものではなく、
対象者が自分で花を摘むのを支える、相互人間関係的プロセスだと中山先生はおっしゃいました。
中山先生が以前入院されて、ベッドから起き上がることもできないときには、音楽はなんの慰めにもならなかった、むしろ音が体に刺さる感じがしたそうです。どんなに柔らかい音ややさしい音色であっても、その人にとって受け入れられる状況になければ、すてきな音楽も害となりうる、だからその音が対象者にとって効果的かどうかを、表情やしぐさから読み取り、害になるとわかったら音は出さないのだそうです。

音楽療法も万能ではないのです。と中山さんはきっぱりとおっしゃいました。

そのお話を聞いて思い出したことがありました。
私は30代の後半に「うつ」になったことがありまして、約3か月くらい仕事を休んでいました。
休んで最初の頃は家族以外の人とはほとんど接触できず、日常の様々な音が癇に障り、特にテレビの音、女性の甲高い声が聞こえるととても不快な気持ちになりました。

2か月ほど経って、だいぶ元気になってきた頃、職場の人が私をコンサートに誘ってくれました。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という映画が少し前に流行っていて、私はこの映画の音楽と、出演していたバンドメンバーの個々のストーリーが好きでした。そのグループがキューバから札幌に来るというのです。


もう80歳代のメンバーもいるため、札幌で見られるのはこれが最後かも知れないということで、私もリハビリを兼ねて「じゃあ行ってみる」という気持で出かけたのですが、公演が始まったとき私は早くも来たことを後悔していました。
まさしく、音が体に刺さる、という感覚に近いものがありました。
刺激が強すぎたのです。
それでも、誘ってくれた人たちに申し訳ないなあという気持で最後までいたのですが、公演内容はほとんど記憶にありません。
せっかくなのに、もったいないことをしました。
でも、それは行ってみたからわかったことでもあるのです。
「まだあなたには早いよ」と体が教えてくれたんですね。そう感じ取れたということが大事な体験だったと今は思います。
好きな音楽でも残念ながらこういうことはある。
逆に、聞いたことのない音楽が癒しにつながる可能性もあるってことです。
何事もやってみないとわかりません。

中山さんのお話を聞いて、音楽やアートなど、患者さんの回復と癒しを支えるものを「ご自分で摘めるように支える」ことが大事だなと、学びました。これは今当院で取り組んでいる「あ・ぐり~んプロジェクト」にも言えることです。
押し付けではなく、あくまでご本人の気持ちがそこに動いたとき、きっと何かが生まれるのでしょう。
中山さん、すばらしい講演でした。ありがとうございました!

中山さん・音楽療法についてはこちら↓
http://wa-harmony.music.coocan.jp/

 

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
快か不快か?
伝えられない人の気持ちを察するための、五感を鍛えておかなきゃね。

 

命をいただく

起きて、食べて、出して、寝る。
身体をキレイにして、しゃべって、笑って、寝る。

毎日、こんな当たり前の日常が続くと私たちは思っている。
老病生死という4つの苦から人間は逃れられないとお釈迦様は言い、病院というところはいわばそのことを生業としている。

春先に種から植えた赤カブができて、給食のサラダにほんの数枚スライスして入っていた。
「これはこの前ここで採れた赤カブですよ」
「へええ、ほうかい。どおれ。(食べる)新鮮だねえ」

イチゴ畑からイチゴをもいで、水でばしゃばしゃっと洗って、その場でパクリ。
「どうお?甘い?」
コトバが出てこなくても、顔をみればそれがおいしいんだとわかる。

おいしくいただく。
育てた命をいただく。
食べたら、出す。
満足して、寝る。
当たり前すぎて忘れてるけど、自分で食べられるって幸せなことだな。

 

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「あ・ぐり~んプロジェクト」は支えて下さる人がいて、成り立っています。
感謝です!

ケアする人をケアする

4月に入職された職員も早3ヵ月になろうとしています。
新しい職場では緊張もするし、今までとは違ったやり方に慣れる必要があるし、新たな人間関係も構築しなければならない。
4月5月はみなさん、気が張って疲れていたことでしょう。
そこで教育委員会のメンバーが、新しい人たちを慰労しようという目的で、茶話会を催しました。

ケーキとお茶を用意して、私は最初の挨拶だけで、あとは自室に引っ込みます。
だって部長がいると緊張させますからね。(というのも教育委員の意図です)

そこでいろんなとまどいや迷いを吐き出してもらって、先輩に支援してもらったり、同期の仲間がより親しくなったりするきっかけになればと思います。

それから今年はボランティア・コーディネーターで英国式リフレクソロジストの鈴木さんから、リフレ無料体験券をプレゼントされました。
鈴木さんのリフレクソロジーは私も受けたことがありますが、仕事が終わったあとに30分、寝台に横になって彼女のケアを受けていると、気持ちよくてついうっとり眠ってしまいそうになります。終わった後は足のむくみが取れ、軽くなったように感じました。

彼女のケアを受けてみて「あ、自分はこんなに疲れていたんだ」と認識する人もいますし、終わってすっきりした表情で帰宅していった人もいるそうです。
看護職の働く環境はまだまだ改善の余地たっぷり。
こうやってみんなの力を借りて、職員同士心と体を少しでもケアできたらいいな~と思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
看護者がhappyじゃないと患者さんもhappyにできないっしょ!(北海道弁)

昨日よりももっといいケアを~紙おむつテクニックを学ぶ~

医療と看護は日進月歩。数年前常識だと言われていたことが今は非常識になっていることが結構あります。
たとえば身体に傷があると、傷口を消毒していましたが、このごろは消毒よりも洗浄が大事だとされています。
寝たきりになるとできやすい褥瘡(=床ずれ)への対処法はこの30年の間に劇的に変わってきました。

私が新人看護師だったころの褥瘡処置は、赤外線ランプというライトで傷を乾かして、軟膏を塗ったガーゼを当てていたというと、今時のナースはびっくりするでしょうね。

さて新しい知識や技術は外で学んで来ることが多いのですが、私どもの病院では外から先生をお呼びして現場のケアをダイレクトに変化させていく、そんな取り組みもしています。
今月はおむつメーカーの方に病棟に来ていただき、紙おむつと尿取りパッドの当て方のテクニックを教わっています。
最近のおむつは機能性が高くなっており、その人の排尿状態や量に合わせて選択肢も増え、一回量が多い人とかゆるい便で漏れる状態を、ある程度うまくキャッチできるようになっています。
しかし私たち看護者は経験的におむつを「当てて」使っているので、おむつの選択や手技がその患者さんにフィットしていないケースがあるのです。

「この方は股関節が拘縮していて、どうしても体が右側に傾いてしまうので、右に漏れやすい」など、看護師や介護福祉士たちは患者さんの特徴をよくとらえています。
インストラクターが「そういう場合は尿取りパッドはこの大きさを選び、じゃばらを作って尿を吸収しやすくして、ギャザーはやさしく・・」という説明をみんな前のめりになって聴いています。普段使っている尿取りパッドが折り紙のように形を変え、ちょっとしたテクニックで最大の効果を引き出すことができると教わりました。

学んだことはすぐ実践できること。
今日から早速トライしてみて、うまく行くといいよね。
もれなかったら、シーツ交換の時間分、他のことできるしね。
患者さんも看護者も、笑顔になれたらいいよね。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
最近の看護基礎教育ではこのおむつの手技は教えているのかな?

自室から見える夕焼け

 

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