お知らせ
認知症対応カンフォタブル・ケアに取り組みます
少し前のことになりますが9月28日、旭山病院でご活躍中の南敦司師長さんをおよびして、「カンフォタブルケア」について研修会を開催しました。
この研修はある師長さんの発案で実現したもの。道内の医療系雑誌「ベストナース」に掲載された南さんの記事を読み、「この人の話が聴きたい」と言ってくれたのです。こういう発案ってとても大事です。
南さんは関西ご出身で、以前は向こうで病棟師長さんをされていました。
そこで働いていた時に、看護師の厳しい言動や対応によって認知症の患者さんのいわゆる「周辺症状」が引き起こされていることに気が付きました。周辺症状と言うのは、認知症患者さんが不快なことをコトバでうまく表現できないために、徘徊や介護の拒否・異食などで現れる症状のことです。
そこで南さんは認知症の病態生理を徹底的に看護師に教え、看護師の表情や態度を「快刺激」に変える指導を行ったところ、患者さんの周辺症状が落ち着き、穏やかに過ごせるようになったそうです。
そして看護チームの連帯感やコミュニケーションが非常によくなり、チームビルディングにも効果があることがわかったそうなのです。
札幌に移ってこられて、現在いらっしゃる病棟でも実行していったところ、やはり同じ効果が生まれ、患者さんが穏やかになり、看護師たちもイキイキとケアするようになってきました。患者さんによいケアをしていることが広まって、見学者やそこを目指して就職を希望する人が増えたのだそうです。
南さんの講義は身振り手振りを大きく表現するだけじゃなく、近くの人とワークショップも行うので、非常に具体的でわかりやすく、飽きさせません。特別なことは何もいらない。ただ私たち看護者の姿勢や態度を変えていくこと。その人の問題点ではなく、できること、好きなことを探して行動すること。その人を尊重し人生を肯定していくこと。
あら、これはホスピスだってどこだって一緒じゃないか!あったりまえのことじゃないか!
同じくはできてないけど、ウチの病院もかなりいい線行ってると思う。
そして南さんは北海道全体にこのケアを広げて、認知症患者さんが暮らしやすい世の中にしたいんだと公言しているので、なんだか聞いている私たちも、力をもらった気持ちになりました。
うれしいのは研修後にウチの師長さんたちが「あのケアをぜひやりましょう」と言ってくれたこと、そしてアンケートの回答にも前向きメッセージが一杯書かれていたことです。
うん、今がチャンス。南さん ありがとうございました!
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
どの場所に来ても「ここへ来てよかった」と言われるように。
働く場を楽しくするにはどうしたらいいか
私、楽しくゴキゲンに働くのを信条としています。
だから楽しそうに働いている人が好きでして、
糸井重里さんみたいに楽しいことを仕事にしているのが理想なのです。
楽しみながら仕事しながら学んでいる、というのが最高です。
「プレイフル・シンキング 仕事を楽しくする思考法」(上田信行:宣伝会議)
は、尊敬する勝原裕美子さんの講義で紹介された本です。
一度読んで、それから時々ちょこちょこと読み返しています。
示唆に富んだ言葉が随所に書かれていて、親切にも太字になっています。
「プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう。どんな状態であっても、自分とその場にいる人やモノを最大限に活かして、新しい意味を創りだそうとする姿勢」であり、プレイフルな状態を生み出すための思考法が「プレイフル・シンキング」だと書かれています。
私自身、仕事が大好きで、看護師という職業は自分に合っていると思ってこれまでやってきました。
スペシャリストになりたいと思った時もありましたが、タイミングが合わず、勧められるまま管理の方へやってきました。
「どうせやるなら管理のスペシャリストに」という気持もあり、ドラッカーの勉強を始めたところ、すっかりハマってしまいました。
「成果を上げる能力は身につけることができる」と書いてあると、学んでみたくなりますもんね。
いろんな制約があるけれど、看護の仕事は患者さんの日常生活を支える小さな積み重ねの連続なので、その小さなことをいかに大事に続けられるか、とかその行為そのものに意味を見いだせるかだと思うのです。
口腔ケアを、「口腔ケアという看護業務」ではなく、いかに効果的に行って患者さんにさっぱりしてもらうか、合併症を予防できるか、笑顔を引き出す関わりになったかな、と思いながらやってみる。
AさんでうまくいったらBさんにも。
仲間にも広めてみんなでやってみる。
この連続。
そうして時々自分のしてきたことを振り返る。
得意な分野をもっと学んでみる。チャンスをつかむ。
看護師の世界はほんとに時間に余裕がないのです。
やらねばならぬことが目いっぱいあるし、看護師たちはみんなまじめだから、ちゃんとやろうと頑張るので。
毎日走り続けて頑張っている人たちに、時々立ち止まって考えて、楽しく仕事して、成長していける環境を作ること。
そして新たな楽しみを創りだして行けたら最高ですね。
そういう楽しさを現場の師長たちと一緒に「しかけて」いきたいと思います。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
私の友達には天然のプレイフル・シンキングの人が多いな~。
すぐネガティブに陥りやすい私はうらやまし。
死の場面に間に合わないことについて ~ご遺族のお話を聴く~
11/9のグリーフ(悲嘆)ケア勉強会は、いつもボランティアで来て下さっているKさんに講師をお願いし、当院でお母様を見送られたご遺族としての立場から、お話を聴かせていただきました。
普段の講義とは違って、机を取り払い、車座になって対話形式です。医師・看護師・ソーシャルワーカー・薬剤師・ケアマネージャー・介護福祉士・医事課・・・・ほとんどの職種が集まっていました。
私は途中から参加したのですが、Kさんのお母様が当院に入院されていたときに、お母様の臨終に間に合わなかったことについて話している最中でした。
Kさんは家庭やお仕事を持ちながら毎日面会にいらして、つらい症状が少しでもよくなるようにと、看護師と一緒に考えながらお母様へケアを行っていました。
「明日の状態を少しでもよくするための、今日のちょっとした行動」は、状況が厳しい中でも有意義だったと回想していらっしゃいました。
小康状態が続いていたある晩のこと、プライマリーナース(担当看護師)が夜勤の巡回をしているときに、kさんのお母様の呼吸が止まっているのを発見しました。
看護師にとっても予期せぬ急な状態の変化でした。
その瞬間に「どうしよう、あんなに毎日熱心なご家族なのに、死の場面に間に合うように察知して連絡することができなかった」ととっさに思ったそうです。
ご家族が病院に来られるのを待つ間、その看護師は
「どうして”今夜あたりだ”って言ってくれなかったの?わかっていたら夜帰らないで泊まったのに」とご家族から怒られ、非難されることを覚悟していたそうです。
しかしKさんは一言も看護師を責めることなく、亡くなった事実を受け止めたそうです。
それが看護師には不思議だった。責められて当然と思っていたから。
Kさんは「ここに入院してから旅立つまでの間、看護師さんは一緒に悩みながらケアしてくれた。そのプロセスがあったし、あらかじめ突然死が訪れることもあると聞いていたので、間に合わないというのはこういうことかと思った」のだそうです。
五感を働かせて観察する私たち医療者にも、残念ながら前兆をとらえきれない死がたくさんあります。可能な限りお一人ではなく、ご家族に見守られる中で旅立ちができるようにすることで、死の事実の納得と受け入れがしやすく出来たらと思うのは、どの医療者にも共通することだろうと思います。「死に目に会う」ことを大事にするのは、日本の死の美学かも知れません。
ただ、私は若かりし頃先輩からこんな風に教わったことがあります。
「”死ぬとき(タイミング)”はその人が選んでいる。みんなに囲まれて逝きたい人もいるけど、誰もいないときに静かに旅立ちたい人もいる。寝ている家族を起こさないように、夜中にひっそりと逝く人もいる。」と。
Kさんのお話を聴いて、当時のプライマリーナースは長い間の胸のつかえが取れた様に、ほっとした表情を浮かべていました。
ご遺族からこんな風なお話しを聴けるというのは、なかなかありません。
けれども、こうして大切な人を中心に話し合うことが、やっぱり明日のケアをよくすることにつながるのだと思います。
私たちにとっても、グリーフ・ケアになりました。
Kさん 貴重なお話をありがとうございました。
緩和ケアセミナー裏話
11月3日に「第1回徳洲会緩和ケアセミナー」を当院が事務局となって開催しました。
内容については他の方が書くと思ったので、私は裏側の話を書こうと思います。
徳洲会グループは救急医療やへき地医療を支えることを主体にしてきた組織で、緩和ケアを始めたのは当院が最初でした。院内でも「緩和ケア」「ホスピス」という概念を理解されるまでに理事長は相当ご苦労されたと聞いています。
それが時代の変化とともに徐々に緩和ケアが広まり、グループの中にも緩和ケア病棟や緩和ケアチームを持つところが増えてきたので、そろそろ全体で集まって学び合う場が必要ではないかと考え、理事長の発案で開催となりました。
当院には大きな会議場がないため、札幌徳洲会病院をお借りすることになりました。
慣れない環境・100人位の参加人数・講演依頼・抄録作成・当日の職員の配置・職員への説明・・通常業務をしながらの準備です。
事務局のリーダーにはK君が抜擢されました。
Kくんはネクタイと靴を新調して気合を入れました。
会場は8Fの講堂と2Fの会議室を利用します。前日に、係りの職員が連絡を取り合うのにLINEのグループを急きょ作ることになりました。
19人の職員がこのグループに入り、それぞれの持ち場の状況を報告するツールになりました。
「8割会場に入ってます。誘導受付は引き続きお願いします」
「了解です」
「あと何人来てないか教えてください」
「まだ到着されてない方はあと3名です」
「会場暑いですか?」
「ちょうどいいです」
「ランチ会場の設営完了してます」
「誰かi-phoneの充電器持ってませんか?」
「充電器持ってますよ」
「充電器渡しました」「もらいました。ありがとうございます」
などの連絡が飛び交います。
私はLINEって便利だなとしみじみ思いました。離れていても、みんながお互いのことを理解し、助け合おうという意識がうかがえました。ランチ会場の設営状況も写真で送ってくれるので、全員が共通認識できました。このやりとりを確認しつつセミナーを見守っていました。
セミナーが無事終了し、お客様が懇親会に向かわれたあとの片づけ作業にも
「8Fごみ袋がないです」
「今行きます」などと連絡が飛び交う中、
「院長から一言!熱かった。みんなの気持ちが!」という労いのコトバが入り、事務長からも「完了したら連絡ください。ラインの中でみんなでオー!したい」と入りました。
「みんなお疲れ様!」「お疲れ様!」「お疲れ様!」
の連呼の後、理事長から
「本当に今日はご苦労さま。集まった皆さんが良い会だった。また来ますと言ってくれました。皆さんの準備のおかげです。この会をやってよかったね」との言葉が入りました。
最後にリーダーのK君が
「理事長、皆さん今日はお疲れ様でした。個々の能力が発揮され南青洲の良いところが全面に出たセミナーになったと思います。みなさんの協力のおかげです。感謝の気持ちで一杯です。この団結力をこれからの南青洲の業務にも生かして行きましょう。本当に、本日はありがとうございました。みなさんゆっくり休んでください」
という挨拶が入りました。
この経験はK君の一生の宝になるに違いないと思いました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
涙もろい私は、LINEを読み返すたび胸熱くなるのです。
畑と看護と人生と
昨年(2016年)1月にここに着任してから、もうすぐ2年が経とうとしています。早いものです。
ここへきて自分がしたことの一つが花壇と畑です。したことと言っても、ホンの一部分ですけど。
自宅で家庭菜園をしている師匠と、園芸療法士として活躍している方が、ボランティアとして全体の計画や準備をしてくださり、職員と私が日常の水やりなどを行う。時々患者さんに関わってもらって種を植えたり受粉を手伝ってもらったりする。実を収穫し、栄養課で調理してもらって、職員も患者さんもいただく。そこにはうれしい楽しいのコミュニケーションがあります。
2年でこのサイクルができて、一番楽しませてもらったのは実は私なんじゃないかと思います。
先日園芸療法士の土角さんの「花と緑で人を支える園芸療法」と題した講義を聞いて、自分なりに感じたことを書きたいと思います。
「園芸療法」とは植物や植物のある環境、植物を育てる活動を日々の暮らしに取り入れ、心身機能の改善・社会参加・認知症予防・介護予防などに活用する方法です。その効果は気分転換やリラクゼーション、集中力の改善、季節や時間の感覚を取り戻すこと、基本的欲求の充足、達成感、満足感、コミュニケーション能力の向上など多岐に渡ります。
患者さんとご家族から、感謝の言葉をいくつもいただいたのも、活動を続ける大きな励みになりました。
水やりのために外へ出て、花を観察する。ほんの10分位の時間ですが、ただそれだけでずいぶん気分転換になりました。
心が穏やかになり、花を愛でて実を収穫するということがずいぶんと心の栄養になった気がします。
日々の様子を観察し「病気かな?」「水が足りないかな?」「日差しが強すぎるかな?」とアセスメントして行動するのは看護ケアにも似ています。看護は観察に始まり観察に終わるというけれども、日々見ている中で「あれ?」と気づくことが大事です。
芽が出て花が咲いて、やがて朽ちていく姿を見ることは、人の一生にもつながります。
咲き終えて落ちた花殻を拾いながら、人間もいきいきと活動できる時間は限られており、今を大事に生きて身体の声を聴き、変化への備えをして行こうと思いました。
こんな風に、植物と関わることは生きることそのものへの深い思索とつながっていました。
もっと若いときからそのことに気づいていたら、生き方は変わっていたかも知れません。
土角さんの講義を聞いて来年の活動に追加したいことができました。
ひとつは、土づくりのところから患者さんに関わってもらおうということ。
それから夏野菜の収穫は主に私がやっていたのだけど、この満足感を患者さんに味わってもらおうということ。
そして新病院に移転したら・・あんな花壇、こんな畑・・と妄想は広がるばかりです。
畑が仕事の一部なんて看護部長は、おそらく日本中探してもそういないのではないかと思います。
それを許してくれている、理事長・院長に感謝してます。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
やったことがないことでも、いい導きがあると興味が持てるね。
働かないアリにも意義がある
先日の看護学会で「働くアリと働かないアリの”ありよう”からみる個性と組織の存続」というテーマの講演を聞きました。
講師は北海道大学大学院農学研究院生物生態体系准教授の長谷川英祐先生でした。
なんで看護学会でアリの話??と思いながら聞いてみると・・
アリにも働くアリと働かないアリがいて、働くアリだけを集めてコロニー(巣)を作ると働かないアリが出てくるし、働かないアリだけを集めても働くアリが出てくるというお話でした。全員働けば仕事の効率がよくなってみんなで楽に暮らせるんじゃないかと思うのですが、全員で100%働けばいっぺんに疲れてしまう。誰かが疲れて停滞するときに、普段働かないアリが働くことで、組織が維持存続できるのだというのです。それは(こうなったとき働く、という)個別の「反応閾値」によって決まるそうです。
病院組織もそうかもしれません。
私が仕事をしてきたどの組織でも、常に隅々にアンテナを張って、きっちり仕事をする人と、一見休んでる(遊んでる)ようにみられる人とがいます。一日中走り回って仕事しているときに、のんきに宅配ピザの話をしている人がいると、私は「なんであの人はもっと働かないんだろう?」と腹を立てていました。
しかし、昨年自分が当院へ来てからは、私自身が「働かない人」になっているように思います。なぜかってここのルールや人間関係などが見えない間、ひと渡り見回したときの印象は、自立した看護集団だなと思ったからです。そうすると「私がやらねば」みたいな気持ちは霧散霧消して、内部環境をもっとよくするために、さて、次は何をしようかなと思える。あるいは外に向かって何かをしようと思える。
けれども、何か内部にピンチが起きたらば、いつでもなんでもするよ、という気持はある。できるかどうかは別としてね(笑)
これが働かないアリの気持ちにちょっと近いかも知れません。
だから、働かないアリがいるってことは少し余力があるっていうことじゃないかと思うのです。
転職してきた人もコロニーの違いを感じるだろうと思います。それまでのコロニーでは100%働いてきたけれども、別な場所へ行くとルールや人を覚えるまでは一時的に自分の能力は十分発揮できない状況になります。日々コロニーの状況を観察しながら、自分の働き方を探り、求められているのは何かを考える期間が必要です。何が得意なのかを理解され、適切な役割や目標を見つけたり与えられたりして、自分らしさを100%発揮できたら、「働かされてる」というのではなく、幸せに働く、ということになるのでしょうね。
この話をある人にしたところ、みんなが100%働いて「働かない奴はだめだ」みたいに目を光らせているよりは、「いざと言うときは頼むよ」というくらいのアソビがあった方が、きっと組織は長持ちするのだと思う、という風に言われました。
つまり私もあなたも認め合う組織になるってことが大事なんですね。
参考まで⇒https://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000001082_all.html
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
日々是感謝。
なぜ間もなくお迎えが来る人に時間とエネルギーを注ぐのですか?
ぐさりと刺されるような問いですが、これは先日行われた「日本死の臨床研究会」のシンポジウムのテーマでした。
もともとはあるジャーナリストがマザー・テレサに向けて発した質問だったそうです。
この問いには正解はなく、考えるプロセスが大事。これから医療の道に進む学生さんに、緩和ケアについて説明する気持ちで、皆さんも考えてくださいと司会の小澤竹俊先生(めぐみ在宅クリニック)が言われました。
私は長いこと急性期医療の場にいたので、救急車で運ばれてくる患者さんの治療や処置が優先されることが当たり前、スピードと効率、もれなくなされるべきことができていることが成果だと捉えられていました。そして治療ができない状態というのは医療における敗北というようなニュアンスが、なんとなくですがありました。
自分がスタッフだったときも、患者さんの最期の時にじっくり関わりたいという気持もありましたが、頭の中は次にすることで一杯であって、常に時間に追われっぱなしで、心からその場に向き合えずにいました。
中堅の看護師が退職する時、「もっとじっくり患者さんに関わりたい」という風に言われる背景には、こういう困難感も含まれていたのだと思います。
ですから、私は昨年この病院に来て緩和ケアの実際をこの目で見た時に、これは「じっくり関わりたい」看護師たちが、心からやりたいと思っている仕事ではないか?と思いました。
患者さんの傍らに座り、辛い場所に手を当てる。
五感を働かせて患者さんを知ろうとし、その方が望み、喜んでくれるような援助をする、ということを。
本来それが当たり前のケア、なんですけどね。
シンポジストの市橋亮一先生(総合在宅クリニック)は、現代医療の背景を「トリアージ主義・延命主義」と述べ、「生産性」や「治る人は治す」ということが重視される中では、残り時間の少ない、治らない病気の人に対して「やることがない」という風に考えられてしまっているのだろうと述べられました。
しかし人生で体験する苦痛がその時期に集約され、そこを支える資源が少なく、限られた時間だからこそ、幸せと思える人生を生き切ることを支える私たちの仕事は、無限にあるのだとおっしゃり、私は大きくうなづいたのです。
全ての人が100%死を体験します。
がんであっても、がんでなくても。
最期を選ぶことは叶わないけれども必ず死が訪れる。
自分の想いを伝えられて、少なからず死や死後の準備ができると考えれば、がんで逝きたいと私は思う。
人生の最終段階は人と人の暖かいつながりの中で、愛と感謝に満ちて、「いい人生だった」と感じてもらえるひと時にしたいと思います。
そういう時間を支えるのが私たちの仕事だし、ひとりとして同じ人生はないし、だからこそこの仕事は魅力的なんだろうとも思います。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
安心してゆだねられる、あたたかいHOMEでありたい。
日本死の臨床研究会in秋田に行ってきました
このところインプットするものが多くて、速やかにアウトプットしないとどんどん忘れていく工藤(^^ゞです。
10月7~8日、秋田で行われた「第41回日本死の臨床研究会」に行ってまいりました。
昨年は当院が事務局をした会なので、今年は参加者としてたっぷり浸かってこようと思っていました。
秋田空港から市内に向かうバスの運転手さんが、「今日はね2500人のお客さんが来るんですよ。すごいんですよ」ととてもうれしそうに話していたのが印象的。
会場は3つの建物、7つの会場に分かれるので、どの会合に向かうかはあらかじめ考えてから行きました。
初日は「マギーズ東京」の秋山正子先生の出るシンポジウムに向かったところ、エレベータに秋山先生が乗り込んでいらしてなんと二人っきりに!光栄です!とお声をかけて、次の階でそのお背中を見送りました。I’m happy!
午後からは秋田市内の病院で、ボランティア・コーディネーターを20年も続けておられる方の講演を聞きました。
御年70代後半かと思いますが、常勤として毎日出勤されて、連日80名の活動を運営されているそうです。すご~い!
痛みや症状緩和、ADLとセルフケアの改善までは医療者の関わりが重要だけれども、そのあとの日常そのものの改善や、社会生活の取り入れはボランティアとご家族の役割が大事だと説明されました。これはマズローのニーズ論にも似て、なるほどと思いました。ホスピスで行われる行事やアクティビティは非常に数が多く、「何がその方の希望かわからないので、多岐にわたって準備している」そうです。
座右の銘は「人生とは他者の生に貢献することの中に本質を持つ(アドラー)」とおっしゃり「地位や名誉やお金ではなく、相手に求められていることを一心に行うことで、真に自分を育み他者に貢献することになるんだ」という言葉に、膝を打つ心持ちになりました。
20年もの間、ボランティア・コーディネーターを続けていられるのは、「活動が楽しく、生きがいを感じる」からであり、努力の成果を相手に求めるのではなく、自分を育むためだとおっしゃいます。
その言葉は以前当院でフルート演奏のボランティアをされているKさんが、
「ボランティアを7年続けて思うのは、ボランティアは他者からの賞賛をじぶんのご褒美にしてはだめなのよ。他者からの賞賛をヨロコビにしていたら、賞賛がないと続かないの。形の見えないご褒美を自分でみつけられることが必要なの。自分にしか見つけられないご褒美がここにはあるんだよね。だから7年も続いている。」とおっしゃった言葉とぴったり符合して、ますます膝を叩きたくなったのです。
その夜の懇親会で、もちろん講師の方にご挨拶させていただきました。
そして当院のお話をさせていただいて、ずいぶん勇気づけていただきました。
よおし、まだまだやることあるぞ~と思った夜でした。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
発信は素早く。心がアツいうちに。
学ぶ楽しさを!看護管理研修
先日、道内グループ病院の師長を対象に、管理研修が行われました。
今年はこういう研修の企画者側にいます。
忙しい中、現場を部下に託して勉強に来るわけですから、最高に魅力的な研修を企画しなきゃね、と腕まくりして準備したのです。
私はイベントとか研修とかを考えるのが結構好きでして、参加者にどうやって楽しんでもらおうかなあとか、この講義がしみ込むにはどうしたらいいかなあとか、参加者がいかに体感できる研修にするかという視点で、いつも作ろうとしています。
院内研修は人材育成の場であり、顧客へのサービスでもありますから。
7月の研修は副主任を、9月は師長、11月は主任を対象にしています。
年度初めに北海道ブロック長と念入りに打ち合わせし、研修の目的・目標をしっかり作りました。
構造が明確だと、何をすべきかわかりやすいですね。
そしてその意図を伝えて、応えてくださった素晴らしい講師の皆様・・濃い内容の講義に感謝しかありません。
自分の企画構想以上に講義内容が充実して、受講生が食い入るように聞き入っているのを見ると、後ろでついニマニマしてしまいます。
ついでに、先生方の講義の技術というか、人を引き付ける手法や技術をちょっとでも盗もうと思ったりして・・。
学習する人たちのレディネス(準備段階)は様々ですが、共通するのは組織の理念や使命を理解して、現場でひとりひとりが良いケアを実践することに尽きます。
そのために知っていてほしい知識は何か、身につけてほしいことは何か、プラス学ぶ楽しさや交流することで得られるものを体感してもらいたい。
そして「よし、元気もらった!明日からも頑張る」って思って帰ってもらいたい。
できれば「お、なんかちょっと変わったね。最近いい感じだね」と周りが気付くようになるといいなと思います。
だから事後レポートは「明日から私は何をする?」というのがテーマになっています。
それぞれの上役の方にはぜひともそこのところをしっかり読んでいただいて、それをテーマに対話をしてもらいたいなあと思います。
受講生が学びから何を実践しようと決心したのか、実際やってみてどうだったのか、が話に上って初めて研修が完成するのだと思います。
アンケートには
「管理者として行うべきことが、行動レベルで認識できた。業務に行き詰っている中で、とてもよいリフレッシュになった」
「グループ間の顔の見える交流はとても大切だと思いました」
「とても身にしみた意見や講義、もう少し早く参加する機会がいただけたら、目標管理や労務管理を深く考え実践できたのではと感じています」
などと書かれており、企画者冥利に尽きたのでした。
今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
えーと、自画自賛てやつです。図々しいですね。
手放す勇気と快感と
個人的な話で恐縮ですが、この春から自宅の断捨離を始めています。
家一軒丸ごと、片づけてます。
休みの度に使っていないものを片づけては処分していますが、使ってないから=いらないとはいかないのが面倒なところでして、これを「執着」とか「愛着」というのでしょうね。
他人から見るとなんの価値もないものですが、私にとっては歴史に残る子供の作品(笑)だったりして。
「愛おしい」という気持は自分だけのもので、捨てがたいものです。
私の断捨離はこれからの、たぶん長くなるであろう、老年期を過ごすために今年やろうと決心しました。
ですから本当に必要なものを厳選して、少量だけ持つことを目標にしています。
今流行のミニマリストには到底なれそうにはありませんが、心意気だけは「起きて半畳、寝て一畳」のつもりで片づけています。
朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の主人公、谷田部みね子ちゃんの住んでいるお部屋は、住み始めたころから見ると地味に家財道具が増えています。最初は布団一組と少量の着替えくらいしかなかったのが、折り畳み式のちゃぶ台や電気スタンドなどが置かれて、ちょっとした小物が増えてきています。演出のこだわりですね。
ただ持ち物スペースは質素で、実に掃除しやすそうです。
昔訪問看護をしていた時に、一人暮らしの高齢者が入院してご自宅に帰れなくなるのを機に、家財道具を処分する苦労を何度となく聞いていました。離れて暮らすご家族が、ときどき来ては片づける際に、「あ、それは捨てないで、大事な思い出なの」「あ、それは○○さんにいただいた大事なものなの」と言われてなかなか片付かないとか、喧嘩になったとか。
その気持ち、今はよくわかります。
だからこそ、元気なうちに自分で始末をつけたほうがいい。
捨てるか捨てないか、決めるのは自分でした方がいい。
離れて暮らすお子さんは、さりげなく「これもらっていい?」なんて聞いて持っていくといい。
そして自宅に持ってきてから処分すると角が立たないですね。
でもまあ、やたら時間がかかりますが。
私は自分で買い集めたかわいい食器を処分するのが結構きつかったです。
ぎりぎりまで迷って、自分では処分せず、業者さんに頼みました。
業者さんが無造作に食器を取り出し、麻袋にがしゃんがしゃんと放り込む音は、隣の部屋にいて聞かないようにしていました。
そんなにも愛着のあった食器でしたが、翌日はもう何とも思いませんでした。
ある意味、執着から解放されたのかも知れません。
逆に、それはちょっとした快感でした。
今日もこのブログに来て下さりありがとうございます。
ひとつ買ったら、ひとつ捨てる覚悟で。が理想だけど言うは易く行うは難し・・・。