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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

新しい制服

年が明けてカウントダウンカレンダーも180日を切り、いよいよいろんなことがこれから忙しくなり始めます。
実は昨年(2020)の春ごろから、看護部のユニフォームを新調しようと話し合いを重ねておりました。

ユニフォームというのは着る当人たちにとっていろいろな思いがあります。
一つは着やすくて動きやすいこと。
ポケットがいくつかついていること。
かっこいいこと。

でもね、着る側だけのことを言っていたのではやっぱり足りなくて。
患者さんから見てどうあったらいいのかってことを話し合いました。
高齢者の方から見て、看護師だってことがわかりやすく、声をかけやすい感じが大事だよねって。
それから「ホスピスのこころを大切にする」病院なので、やさしさとか親しみという感覚を大事にしたいなあと思ったわけです。
昔は看護師と言えば白衣にナースキャップというのが、わかりやすい記号でしたよね。
でもそのせいで緊張感を感じさせてしまって、血圧が上がってしまう人もいるのです。

それからみるとカタログのユニフォームは色とりどりでデザインもさまざま。
隔世の感があります。
部署によって制服を変えるとチームの一体感や結束力が強まるようですが、それもあえてしませんでした。
看護部職員はどこの部署でも同じスタイル。
小さな病院ですからね。
ただし色は選べるようにしました。
色で個性を出しつつ、全体としてはひとつの方向へ。
この言葉は、某師長さんの受け売りですけどね。

そして袖に新しい病院のロゴをつける予定です。
これはいつも素敵なデザインを考えてくれるUさんの作品。
新病院移転に先駆けて、4月から新しくなります。

新病院は、木を基調とした穏やかな色調の建物になります。
その中で色とりどりのさわやかな制服をまとい、院内をきびきびと動き回る人たち。
考えるだけでワクワクします。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
制服写真はまだ先のお楽しみに取っておきます。

2021年の初めに、今の気持ちを書いておこう

新年を迎えて、新たな時間をいただいたような気がします。
みなさまどんなお正月を迎えましたか?

私は例年のおせち作りをすっぱり止めて、心が安らぐことを優先し、よく眠り、食べたいものを食べ、それから手帳の整理をして過ごしました。
あ、大泉洋さんのことが心配で、生まれて初めて紅白を、最初から最後まで見たことも付け加えておきます 笑。

手帳の整理は年末恒例行事です。
年の終わりにはその一年のことを振り返ってから、新しい手帳を書き始めるのが頭の整理に役だっています。
今日は年が改まったので今の気持ちを記しておきたくなりました。

去年の手帳の終わり「今年1年を漢字一文字で表すと?」という質問にちょっとだけ悩みました。
直感で浮かんだのは「緊」か「守」か。
私の職場では感染者は出ておりません。
けれどもニアミスのようなことはしょっちゅう起きています。
2月から何度も臨時会議を開いて、考えうる対策はやってますが、クラスター発生病院のお話を聞くと、いくらPCR検査を水際でしても見えないところからするっと入り込むのがこのウイルスの特徴で、完全に防ぐことは不可能です。
いつ自分たちに起きてもおかしくない、その時に最善最良を尽くして患者と職員を守れるか。

積極的にコロナ感染者を治療している医療者の話を聞くと、自分は看護管理者としての本当の苦労がわかっていないような気持ちになります。
日々職員が手指消毒し、無言でお弁当を食べ、手すりをアルコールで拭き、自宅で静かに過ごしてルールを守ってくれている。
どこの医療者も、職場や家庭でストレスの高い状態が続いています。
防御ばかりで戦略的に「これで良し」と言い切れないまま、この不全感と緊張感がこれからも続きます。
日本でもワクチン接種は今年中にできるのか、その安全性は、効果は、などと考えても仕方ないですが、確かなことがひとつでも欲しいと思います。
その一方で本当に必要なものは何か、身近なところで幸せを感じたり、対話の大切さを学んだ一年でもありました。
まあ、そんなわけで正直に語ると今の私は院内にウイルスが入り込むことを恐れ、怯えています。
ですので去年の一文字は「守」かな、しかもその字はぶるぶると震えている。
そんな気持ちで手帳を閉じました。

さて2021年の手帳はどんな文字を書きましょうか。

「今年一年どんな年にしたいか漢字一文字で表すと?」を考えます。
7月は私どもにとってビッグイベント、新病院への移転があります。
緩和ケア病棟が増え一般病棟が合体し、透析のベッドが増えます。
その前4月には希望を胸にした職員が来てくれます。
新しい病院に来てくれた患者さんと職員に「ここへ来てよかったな」と心から思ってもらえるように、中身を磨いてみんなで移ろうと思います。
コロナウイルスに縛られた日常は、今年の終わりに何か少しでも打ち破ることができているでしょうか。
こんな臆病な看護管理者ですが、みんなの力を借りてなんとか乗り越えられるはず!と思っています。

そんなわけで今年の一文字は「進」にします。
見えない鎧を身につけて、スクラムを組みながら一歩ずつ踏みしめて進むしかありません。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
一年の始まりは「願い」と「誓い」をセットで考えたらいいんですって。

クリスマスの出前

早いもので2020年もあと数日ですね。

この一年はコロナウイルスに翻弄され、未だ緊張状態が続いたまま新年を迎えます。
友人が「今年の年末は、ただの月末だ」とつぶやいていました。
忘年会など一年の締めくくりがないので、ほんとにそんな感じです。

そんな中、院内あちこちでクリスマスのイベントがひっそりと行なわれました。
先月からいたるところでクリスマスの飾りつけや、カードの作成が始まっていたんです。

ホスピスでは音楽療法士工藤先生の弾くピアノをBGMに、ツリーを台車に載せお部屋まで出前しました。
ツリーというのはホールにどっかりと鎮座しているもの、ですよね。
その発想を捨て、台車に載せて運ぶんだと言う頭の柔らかさ。
手の空いたスタッフが、ソファをささっと廊下に出して、ツリーの場所を確保します。
こういうところがチームの良さですね。
フェイスシールドをつけたサンタクロースは息苦しそうですが、頭にも電飾をつけて笑いを誘いました。
赤鼻のトナカイがバルーンアートを配り、別のトナカイは靴下に入ったプレゼントを患者さんにお渡ししました。

別な病棟では看護師たちが手作りのそりを携えて各病室を回り、カードを読み上げて一緒に記念写真をパチリ。
この日のために、天使の羽を手作りしてきたナースもいました。

同じような毎日の繰り返しだけれど、今日だけは童心に帰ってサンタクロースの存在を信じ、スタッフの妙な変装にクスっと笑う。
ある方は少し涙ぐむ。
患者さんたちの豊かな表情(苦笑かな?)を見せていただきました。

誰かが誰かを思って喜ばせようとすることって、見ていても温かいもの。
日々の仕事の合間に、いろいろ準備してくれたスタッフにありがとう。
みんなでわいわいとやるのもいいけれど、こうしてお一人ずつ対応していくのも、個が引き立っていいなと思いました。
でも来年はご家族も一緒に、楽しめますように。

今年も一年、このブログに来ていただきありがとうございました。
みなさま良いお年をお迎えください。

断られたのにうれしいメール

師走もあと10日ばかりですが、看護部では来春に就職を希望される方との面接をしているところです。
当院は小さな病院なので、4月といってもさほど多くの方が来る病院ではありません。
ただ今年に限っては来年の移転を見越して「緩和ケア」に興味のある方を大募集しております。
以前も書きましたが、私はこの病院のことを広く人に知ってもらいたくて、2016年の11月から「やさしさビタミン・ブログ」を始めました。
毎週月曜日に更新すると自分で決めて、おかげさまで早4年が経過しました。
ありがたいことに病院を見学される方のほとんどは、ホームページを見ており、時々ですけど「ビタミンブログを楽しみにしています」と言ってくださる方もいます。
私は日々のことをほわほわと書いているだけですが、そう言っていただけると嬉しくなります。

そんな中、見学会にお申込みいただいた方から、キャンセルのメールが届きました。
当院に興味をお持ちいただき、見学会に申し込んでいたのだけど、いろいろ考えてやめることにしたという、残念なお知らせでした。

しかしメールはさらに続きます。
その方は棟方師長と一緒に書いたカンフォータブル・ケアの記事(雑誌「精神科看護」12月号)をお読みになってくださり、自らカンフォータブル・ケアに取り組んでみたのだそうです。
(過去の記事→)https://wp.me/p84aZK-Rj
そうしたら、いつも目が三角になっていた認知症の患者さんが、その日は目がまあるくなって穏やかに過ごされた、のだそうです。
忘れていた看護の基本を思い出すことができた、と書かれていました。
そして自分自身がカンフォータブル・ケアを実践していくことで、今の職場でも広めていけるのかなと思ったのだそうです。

これは、私にはとてつもなくうれしい言葉でした。
自分の書いたものを通じて、一人の看護師さんが実践して手ごたえを感じてくださるなんて、書き手冥利に尽きます。
職場は違っても、それぞれに目の前にいらっしゃる患者さんを幸せにするなんて!最幸です。

それで今度は雑誌の編集者にこのメールのことをお伝えしたんです。
そうしたら編集者の方も、自分たちが作った雑誌がどんなふうに読まれて、果たして役にたっているのかどうかわからなくなる時がある、だからこういう反応をいただけるととてもうれしい、とおっしゃっていただけました。

「一粒で二度おいしい」
この方のメールは私と棟方師長と、雑誌の編集者を幸せな気持ちにしてくれました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ご縁に感謝です。

自分の感受性を守る

今年もあと残り2週間ほどとなりました。
師走の喧騒やクリスマスはひっそりと、静かな12月です。

先日読んだコラムに、最新のアメリカ映画とドラマの製作について書かれていました。
それによると映画の方は、コロナウイルスを忘れるような内容を作る一方で、テレビドラマはコロナウイルスと闘う内容の方が、リアリティがあるそうなんです。
確かに医療ドラマは、マスクや防護具が映像の中に入ってないと、今は嘘くさいだろうなあと思います。

私のブログはコロナウイルスのことはなるべく遠ざけています。
日常の「ほっこり」を書いて和むひと時にしたいのと、正直に言うと私自身が現実逃避したいからです。
コロナウイルスのおかげで、毎日がスリリングです。
ナースたちともちょっと和むような話をして、緊張感を和らげたいと思っているのですが、これがなかなか・・自分自身が擦り減らないようにするので結構、精いっぱいだったりします。

だから一日の終わりはゆっくり食事し、本を読み、時には瞑想したりしています。
寝る前はネットフリックスで「宇宙兄弟」を一話ずつ見ています。
その代わりSNSとオンライン対話は気分が乗ったときだけ、にしています。

今は自分が心から欲することや、心地いいと感じることだけをしてみる。
したくないなあと思うことはやめてみる。
やめても困らないことは、そもそもしなくていいことかも知れません。

見えない相手と防御だけで戦い続けるのはエネルギーを消耗します。
逃げも一手と考えて、自分の感受性を守りましょう。


先日ある師長さんから「指サック使ってください」と、こんなのをいただきました。
「はにさっく」といいます。
もったいなくて使えません。

幸い院内にはクリスマスの飾りが満載です。
せめてもの気分だけはジングルベルでにこやかに。

いつもこのブログに来てくださりありがとうございます。
あなたのほっこりは何ですか?

足音を聞かせなさい

「足音を聞かせなさい」とは
だいぶ前に新聞のコラムで読んだ言葉です。
出勤前にあわただしく読んだのでうる覚えですが、コラムの作者はある時から畑を始めました。
身近に畑のことをいろいろ教えてくれる先生がいて、冒頭の言葉はその先生のことばです。
「日々畑に行って、何もなくとも植物に足音を聞かせなさい」というような話でした。

なんと含蓄のある言葉だろう、と私は思いました。


植物を育てるのだから、日々何もないとは言えず、虫に食われていないか、病気になってないか、水は足りているか、観察と手入れが大切です。
「植物にあなたの足音を聞かせる」ことによって、まるで植物が「あ、いつもの人が来た」と聞き分けるかのようなイメージが浮かびます。
触ってもらった植物はうれしくなるし、ちょっと弱っていた植物は虫を取り除いてもらってほっとする。
それから畑をやる以上、最後まで責任もってやりなさいよ、という叱咤激励にも聞こえる。
植物だってあなたの行動をちゃんと見聞きしているよ、という戒めにも聞こえる。

日々そんなことをくりかえす間に、足音をききわけた植物が次第に大きく美しく育っていく。
きちんと見守っていたら期待に応えてくれるよ、という励ましでもある。

「足音を聞かせなさい」というのは、「毎日畑に行って水やりをし観察しなさい」という命令ではなく、その人の自発性というか、自律性をくすぐる言葉のように聞こえます。
植物の周りを「ただ歩いて見回っている」のではなく、足音を聞かせるんだと意識することによって、対象への心持が変わる気がします。

さくさく(歩く音)
おはよう
今日はいいお天気だね
さくさく(歩く音)
立ち止まる
ぷちっ(何かを手折る音)
ちょろちょろ(水の音)
さくさく

足音を聞き分け「あ!いつもの人が来た!」「ねえねえお水ちょうだい」と沸き立つ植物たちの様子が、脳内でアニメーションとなって動き出します。
正直言うと「今日は雨の予報だから」と言うときは朝の水やりをさぼっていたもので・・。
大いに反省しました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
つまりは看護と管理にも通じるもので。

わたしも、欲が出ました

ヨシタケシンスケさんのエッセイに「欲が出ました」という本があります。
人があまり気が付かないようなところを掘り下げた文章とかわいいイラストで、ついクスっと笑ってしまう本です。
今日はその題名にあやかって、書いてみます。

もう3年以上も前になりますが、私どもの病院で「認知症対応カンフォータブル・ケア」を取り入れました。
過去のブログにもその経緯を何度か書いたのですが、このたびその取り組みが「精神科看護」という雑誌に掲載されました。
呼びかけてくれた棟方師長さんと、看護管理者の私にそれぞれ書いてほしいというご依頼、ありがたくお受けしました。
頼まれごとは試されごとですものね。

そして軽い打ち合わせだけでお互い書きだしたのですが、結果的には同じことを違う視点から書いた形になりました。
実践したことってこうなっちゃうんですね。
3年間を総まとめという感じで、out putしてすっきりした私たちです。

カンフォータブル・ケアというのは、認知症の方に対して「快」の刺激による対応を心がけることと、相手に敬意を払い温かく接することを中心としています。
看護職者は環境の一部なので、これが常にキープできるように、そして劣化しないようにこれからも気をつけていきたい、と思っています。

当院は緩和ケアを前面に出しているのですが、私は高齢者医療の場としても質のよいケアをしている病院だ、と認知されたいのです。
自分の中だけでそう思っていても、言葉で表していかないと人には伝わらない。

何をもってそう表せるだろうか。
独自性を出すにはどうしたらいいのだろうか。
てなことを、連休中は家にこもって考えておりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「自分の親を預けたいと思う病院」だよなあ。

頭をやわらかく

先日法人グループの中で業務改善発表会が行われました。
毎年札幌と仙台を交互に行き来して開催したのを、今年はオンラインで開催することになりました。
11施設からの発表はどれも現場の困りごとを題材にしていて、興味深いものがありました。当院からは患者さんの排便について薬に頼らず自然の力を使うテーマで発表されました。
業務改善発表会とは、いま起きている現象を違う視点から捉えなおし、データを活用して分析し、改良した結果どうだったのかを表すものです。
日ごろ臨床で働いていると、ルーティンワーク的な業務に慣らされてしまい「そもそもこれってなんのためにするんだっけ?」ということを考えずに、いわば思考停止のまま何年も過ぎてしまうことがあります。

先週のブログでご紹介したような「POOマスター」も、カチカチに固まった私たちの思考をほぐしてくれるものでした。
本来の患者さんの体が持つ力を引き出そうよ、そうすると患者さんも看護師もハッピーだよ、という至極当たり前の結果をもたらすのです。

その日の発表会で1位に選ばれたのは、看護師の前残業(始業前に早く来て先に残業すること)を減らすことに取り組んだものでした。
今日の受け持ち患者さんの情報を早く収集して、スタンバイしておきたい。
それは真面目な看護師たちに受け継がれてきた習慣で、働くスタイルだったりします。
先輩が早く出勤しているのに自分があとから来るなんて、という気持ちも働くかも知れません。
けれどもそのために前残業が習慣化するのはよくないのではないか、と主任たちは考えました。
これも「スタート時間をちょっとずらす」だけでずいぶん効果が出たという結論でしたが、「ちょっとずらす」ことを論理的に説明して、上と下に納得してもらうエネルギーが、相当必要だったろうな~と想像します。

「こうあらねば」とか「いままでずっとこうやってきた」とかいう声も聴きつつ、頭をやわらかくして業務を改良していく。
無駄な時間が減った分、患者さんのベッドサイドに行く時間が増えて、患者さんをどれだけハッピーにしたのか。
そう考えるとテーマは無限にありますね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
だからいろんな本を読み、人と対話するのが役に立つんだな。

人を幸せにするケア・POOマスターが2人誕生!

お食事しながらこのブログを開いた方にはごめんなさい。
今日は「便」がテーマのお話です。
石川県で保健師をしている榊原千秋さんと出会ったのは2年前。とある講演会の後の懇親会で、私はたまたま榊原さんの真向かいに座りました。
初対面だったので、お互いの仕事を自己紹介したときに、榊原さんが排便ケアのPOOマスターという取り組みをしていると教えていただきました。
病院や施設にいる高齢者の多くは排便がスムーズではなく、下剤を服用したり、3、4日便が出なければ浣腸をかけて出しています。
私も長年看護師をしていて便を柔らかくする薬と、腸の蠕動を促す薬を調節するのが当たり前と考えてきたのですが、薬に頼ると量が増えていきますし、その人の持つ排泄の力が失われてしまうのだそうです。
排便のメカニズムやその人の排便習慣を観察して、適切なケアを提供できると、気持ちよく出すことができる。
すっきりすると自然と食欲が湧き、元気になっていくもの。
その力を取り戻すために「POOマスター」(POOは“うんち“の意味)という講座を立ち上げ、全国で指導されていたのが、榊原さんだったのです。

私はお話にぐいぐい引き込まれました。
便秘と下痢を繰り返したり、おむつで排泄される方が看護師のケアで「気持ちよく」排泄できたら、どんなにいいでしょう。排泄は人間の尊厳にかかわることですし、できるなら人の手を介さず、自然にすっきりしたいものです。

「工藤さん、札幌で講座を開くときはきっとスタッフを来させてね。スタッフも元気になる講座だから」とにっこり笑っておっしゃったので「はい、わかりました」と即答しました。
このキラキラしたオーラは只者ではない。
実践に裏打ちされた自信と誇りに満ちている。
私はアンテナがピンと立って「絶対スタッフを出そう」と心に決めていたのです。

そして2020年。
当院から2名のナースが無事この講座を修了しました。
こういう時は関心のある人が行くのが一番です。
POOマスター講座は、単なる座学と違い、学んだことを実践して次の回を迎えるようなプログラムになっています。
当然「自分だったらどうやってこのことをみんなに伝えようか」と能動的な受講になるでしょう。
副主任Oさんの講義は、榊原さんが乗り移ったような迫力がありました。

そのあと日をあけて2度目の講座の後は患者さんの排便日誌をつけて、それに合ったケアを提供するという宿題でした。
詳しいことは割愛しますけれども、はっきり申しますね。
これは確実に患者さんを幸せにするケアです。

二人の受け持ち患者さんが教えてくださいました。
「やや硬めのいいうんこがすっきりと出て気持ち良かった」と。
健康な人にとっては当たり前の言葉ですが、これは私たちにとって、とても価値ある言葉なんです。

そして彼女たちの看護記録が明らかに変わりました。
お見せできないのが残念ですけど、排泄ケアのプロフェッショナルの記録です。
いろんなケアのプロがいて、だんだん高齢者ケアがアップしていく。
患者さんが喜んでくださると看護師も喜び、もっとよくしてあげたいと思う。
ご縁が結んでくれたケアに感謝です。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
POOマスターについてご興味のある方はこちら↓

https://sorabuta.com/wp/product/poo_unchicchi/

新たな「こもれびの会(慰霊祭)」の様式

当院では毎年秋に「こもれびの会」という慰霊祭を行っています。
当院で旅立たれた患者様のご遺族をお呼びして、院内で慰霊を行う式典です。
毎年40名くらいの方が集って下さり、職員の顔を見て懐かしんでいただいたり、近況を教えていただいたりします。
いつもなら黙とうの後、院長から「悲嘆について」のお話や、ピアノとフルートの生演奏を聴いていただき、祭壇に献花をして厳かに行われていました。

今年はコロナウイルスの感染拡大のため、ご遺族をお呼びするのはあきらめ、その代り職員だけで慰霊祭を開こうということになりました。
そこにご遺族がいらっしゃるようにして、前野総長、臨床宗教師の米本智昭さんのお話が続きました。

そして今年は献花に新しいアイデアが生まれました。
これまでは祭壇の上に一人一輪の白いカーネーションを置く形でしたが、今年は祭壇に4つの花器を用意し、一人一輪の花をそこに挿してみんなでアレンジメントを作り上げる、というものです。
当日勤務していた100名ほどの職員が、仕事の合間に会場を訪れて参加しました。

このアイデア、園芸療法士としてボランティアに来てくださっている、Tさんにご協力いただきました。
花の選択から、ふさわしい花器の準備、花の挿し方まで教えていただき、最後に手直しをして美しく彩りのやさしいアレンジメントが4つ完成したのです。
出来上がったものは、外来受付と各病棟に飾られました。
この様子は後日ひだまりブログでもお知らせする予定です。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
これもひとつの新しい様式です。

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