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マネジメント

今年を漢字一文字で表すと?

2020年 明けましておめでとうございます。
今年の札幌は驚くほど雪が少なくて、積雪ゼロで大晦日を迎えました。
私は大みそかから3日までお休みをいただき、ゆっくりさせていただきました。
師長だったころはよく大晦日の管理当直を志願したものです。
元旦の当直明けに銭湯に行き、2日3日は大学駅伝を見る。
これが至福の時間でした。

年始めに今年の手帳に予定を入れたり、計画を立てるのが好きなのですが、いろいろやりたいことがあってまとまりません。
一年で達成できることって案外多くはありません。
持続可能で楽しくて実のあることをしようと思うと、唸ってペンが止まります。

そんな時はネットで気分転換。
ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)で「今年のあなたを漢字一文字で表すと」というおみくじをやっていたのでボタンを押してみましたら
「技」ワザ
と出ました。
まあ、遊びみたいなものですが、なんとなくこれにかっこつけて考えてみると

卓越した技を手に入れる
優れた技を披露する・学ぶ場を作る
優れた技で患者さんを幸せにする

てなことが浮かんできました。
看護師たちや介護福祉士たちがそれぞれ得意なことで優れた技を身につける。
口腔ケアの上手な人~。
おむつ交換がモレなく手際のよい人~。
注射のうまい人~。
話を聴くのが上手な人~。
とにかく笑顔が最高にいい人~。
それをお互いリスペクトしあって共有していく。

そして今年は新築移転に向けた重要な年。
そこから連想する漢字は

「備」来たるべきときに備えて様々な準備をする年

「蓄」みんなの心をひとつにして力を蓄える年

「盛」新築移転をとにかく楽しんで盛り上げる年

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あなたの一文字は何ですか?

早朝ラウンドはゴキゲンの源

朝のラウンドが好きです
といってもゴルフの話じゃありませんよ
ラウンドってかっこいい言い方してますけど、ただの歩き回りです
私はだいたい朝7時過ぎくらいに出勤して花達を一回り点検し
週に1,2回は院内を歩き回ることにしています

目的はいくつかあって、ひとつは夜勤者をねぎらうこと
当院は2交代制の夜勤なので、一晩中患者さんを守ってくれている
あなたのおかげで私は夕べ眠ることができました、
ありがとう
そんな気持ちで声をかけています

忙しかった夜も
落ち着いていた夜も
眠れない患者さんがいた夜も
救急で運ばれた人がいた夜も
くたびれた夜も
誰かが旅立った悲しみの夜も

くりかえしくりかえし
守ってくれる人がいる
仕事とはいえ、ありがたいことだなと思う

それから
スタッフが何かちょこっと話してくれるときがあります
研修の提案だったり
仲間を思いやる言葉だったり
お礼の言葉だったり

私はそれらを忘れないように手帳に書き留めておきます
いつか叶えられるように
やさしい気持ちが伝えられるように
また何かできるように

そして患者さんがどんな朝を迎えているか
よく眠れたか
寒くなかったか
匂いや
空気を感じながら
歩くのが好きなのです

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます
始まりがよいとゴキゲンです

強みを活かすことについて

強みを活かすというドラッカーの言葉が好きです。
でも最近の学びで、私の考えている強みはかなり範囲が広いということがわかりました。

ことばで表せば
得意。長所。取柄。好き。特技。関心がある。
ほかにもあるかな。

好きこそものの上手なれ。
ということばがあるけれど、好きなことをず~っとしていって、強みになる。
イチローさんとか錦織圭さんとか。
好きでもそんなに上手にはなれない人も多い。
私は楽器を演奏するのが好きだけど、うまくはなれない。でも好き。

努力しなくてもできちゃうこともある。
絶対音感を持っているとか。
ドリカムの吉田美和さんのように、子供の頃から普通に歌ってるだけで歌がうまかった人は、どんどん磨きをかけていって今があるんでしょうね。

それまでまったく未知の分野だったのに、何かのきっかけで強い関心が湧いて、そのことを勉強するうちに専門家になっていく場合もある。
災害を経験して、防災について勉強するうちにDMATの隊員になるとか。
家族ががんになって、学んでいくうちにがん患者のサポートをするようになるとか。

学校で学んだこともなく、関心もなかったけれど、仕事で何度も繰り返しやるようになってうまくなる。
看護師の注射技術なんてそういうものですね。

ひとりひとりの強みは目覚めているものもあれば、眠っているものもあり。
気づいてないだけのものもあれば、ちょっとしたきっかけで急に開花するものもある。

関心ごとは聞いてみないとわからない。
そしていいタイミングでそれをキャッチし、チャンスにつなげないと。

どうしてこんなことを言うかというと
うちの看護補助者さんたちの、イベントに現れるアイデアが多彩だからなんです。
しかもお金がかからないように工夫してくれていて、ありがたいやら涙ぐましいやら。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
自由に楽しく。

北海道胆振東部地震からの学びをつなぐ

2018年胆振東部地震から早いものでもうすぐ1年になろうとしています。

地震後に書いたブログがきっかけで、北海道看護協会札幌第1支部の石井さんに声をかけていただき、先日医療安全交流会で発表してきました。

北海道科学大学准教授の石川幸司先生はDMAT(災害派遣医療チーム)隊員でもあり、EMIS(広域災害医療援助システム)の現場のお話をしてくださり、とても興味深く聞きました。
地震当時札幌市内の病院のEMIS登録は20%しかなかったことにまず驚きました。
当院は早くからEMISに登録していたおかげで、早々に助けていただいたとわかり、改めて感謝の気持ちがわきました。


午後からは札幌麻酔クリニック副院長の金谷潤子先生が「災害体験から学ぶ在宅医療の本質 大切なことはなんだろう?」をお話になりました。
災害時の備えももちろん大事だけれど、限られた資源を省エネで使うのは病院も在宅も同じ。使っている酸素の量をいつも通りいかなきゃいけないと慌てるのではなく、少し減らしてみて状態を観察して、大丈夫そうなら省エネモードで平常に戻るのを待つというのもありじゃないですか、というお話に大きくうなづきました。

ここにはふたつの意味が込められています。
看護師は酸素2㍑と指示されれば2㍑が守られているか、酸素飽和度は足りているか、ということを通常チェックするのですが、酸素飽和度が90%切っていても、案外患者さんによっては苦しいと感じてない、なんてことは実はよく経験するところです。
何が何でも2㍑を死守することに奔走するのではなく、1,5リットルでちょっと様子を見て大丈夫そうなら省エネモードで過ごしてみて、事態の収束を待つというのもありじゃないか、という意味です。

もう一つは人間の体というのは生きる力が備わっているものだから、平常時と同じケアにこだわらずに消耗を小さくしながら生きる力を支えるのが看護者の仕事じゃないの?ということ。
医師の指示を妄信するのではなく、日ごろから「本当にこれは必要か?」と疑ってみることも大事でしょう、という意味も込められています。

いずれにしてもこれは患者さんとの日ごろからの観察と信頼関係があってのことで、けっして酸素の確保を怠って患者さんに我慢を強いるという意味ではないので、読者の皆様は誤解なきようお願いしますね!

そういえば当院でも地震のあと患者さんに、夜間せん妄が増えたり怯えたりするんじゃないかと心配していましたが、実際は逆で、とても落ち着いていて普段より気を張っていらしたというか、そんな印象を受けました。

もしかして生存本能、のようなものでしょうか?

交流会はその後酸素供給会社さんや、道内あちこちの現場で対応した管理者たちの発表がありました。
みずからも被災者でありながら病院で指揮された管理者の方や、在宅で呼吸器をつけたお子さんを看るお母様の支援など、胸にぐっとくる発表を聴かせていただきました。
重厚にして温かい場に参加でき、いろんなヒントをいただいくことができありがたかったです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
あなたは今どれくらい備えができてますか?

自由に跳ぶノミ

7月10日~11日までグループ病院の看護管理者対象の研修を行いました。
「強みを活かした人材育成」をテーマに、講師に山崎敏史先生をお招きしました。

実はこの研修は企画を含めると1年半越しです。
昨年9/6に北海道胆振東部地震が発生し、中止になったからです。
満を持してのこの研修、たぶん私が一番楽しみにしていたかも知れません。

山崎先生の講義はスライドを使って聴く・見る・考える・話す・共有するを何度も繰り返し行い、ひとつのキーワードが徐々にそしてあらゆる方向からしみこむようにできています。
誰もが知っている有名人の言葉を使ったり、映像を使ったり、泣いて笑って感情も揺さぶられました。

私が特に考えさせられたのはノミの映像です。
普通にしていると高さ30センチくらい跳ぶノミたちが、高さ10センチの瓶に入れられて、蓋をされて3日間閉じ込められてしまいます。3日後に蓋をあけたら、自由に跳べるはずの環境でもノミは10センチしか跳ばなくなってしまいました。
3日間、10センチの蓋に全身をぶつけて痛い思いをしたせいで、それ以上跳ぶことをあきらめてしまったとしかいいようがありません。

これを組織に置き換えると、あれはだめ、これはだめ、ここまでしかいけませんと線を引き、ひとりひとりの職員の自由な発想や行動を抑えていると、その線の中の条件でしか動けない人を作ることになります。

ひとりひとりいろんな強みや関心があって、やりたいこと得意なことはさまざまです。
秩序を管理するのも必要なことですが、求められるリーダーは、環境条件に関わらず仲間の能力と可能性を高め、自分自身も学び、発揮し続ける人じゃないか、ということを感じました。

組織が停滞していると感じたら、あるいは部下に何度同じことを伝えても聞いてくれないとしたら、自分自身の見方や捉え方が原因となっているかも知れない。
それが悪いというのではなく、他にどんな見方ができるかな、理想の状態にするには何を加えたらいいかな、を考えていこうということです。
行動を縛っている固定観念を、無理にではなくほぐしていくことを教わった気がします。

さてそのノミ、どうしたら元のように30センチ跳べるようになるでしょうか?
参加者からいくつか面白い考えが出てきました。
答えを書いてしまうと山崎先生のこれからの研修に差しさわりがあるので、ここではやめておきます(笑)

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。

山崎先生のお仕事はこちらをご覧ください↓

http://www.link-c.co.jp/

抵抗勢力に負けない勇気

週末は「行動制限最小化研究会」に出て、当院の「カンフォータブル・ケア」の実践についてうちの棟方師長が発表してきました。
これで「カンフォータブル・ケア」3部作というか3段活用というか(笑)はひと段落しました。
最初は昨年法人内で行われた発表会だったのですが、ここでの評価はいまいちでした。
質の改善につながったのは確かなのにどうしてか伝わらなかった。けれども私たち、言いたいことが多すぎて整理できてなかったんですね。人に伝えるのにはもっとシンプルで直接的なほうがいいね、ということになってかなりそぎ落としたものに修正しました。
それをもって日本認知症ケア学会に挑戦し、発表することができたのです。
今回出席した「行動制限最小化研究会」は精神科領域の看護師さんたちの集まりなのですが、南敦司さんから呼んでいただき、一般病院の管理者として、カンフォータブル・ケアを導入した組織変革を主に発表させていただきました。

手前味噌ですが、私は今とても充実感と満足感いっぱいです。
現場の師長が提案し、導入し、成果をつかんで発表した。
体を通った言葉、つまり主体的に努力して体験した出来事は、説得力という重みをもって人に伝えることができるんです。してきたことをまとめ、人に伝えるためにどう表すか、師長さんたちのチャレンジをサポートしながらワクワクしていました。発表後に質問をいただけるのもありがたいことです。
そういう意味でこれらの発表は私にとって宝石のようなものなんです。

さて、行動制限最小化研究会でも参加者からご質問がありました。
「自分の部署でもカンフォータブル・ケアを取り入れたいが、変化に抵抗を示す人がいると思う。みんなが同じ方向を向くための方法を教えてほしい」というものです。

実は導入前の私たちも、同じ疑問を南さんに投げかけました。

小さな部署でも何か今までにないことをやろうとするとどうしても抵抗勢力というのはあるものです。
でも先にビジョンをよく考えて語り、どんなケアを提供する集団にしたいのか、そのために必要な技術としてこれを取り入れるよ、そうするとこんな未来が見える、ということをきちんと伝える。
そしてぶれずに続けると次第にそれがスタンダードになっていくのだと思います。

私たちも以前、患者さんのことを「ちゃん付け」していました。
長くつきあっているうちに親しみをこめてそうなっていたのです。
でもちゃん付けをやめ「いつも敬語」の原則を伝え続けて「〇〇さん」と言い直すようにしました。
「いつも笑顔」や「目線を合わせる」「ほめる」を意識するだけで、患者さんとのコミュニケーションが変化することを実感した職員は、自然にその態度を継続するようになります。

マーゲンチューブ(鼻から胃までの細いチューブで栄養剤を注入するもの)を患者さんが抜いてしまったとき、数年前は「また?」「まったくもう!」「じゃあ手にミトンはめよう」と患者さんの行動を抑制していました。
今は抜いてしまっても「ああ、すっきりしたお顔ですね」「嫌だったんですね」と言い、ご家族を含めてミトンをするかどうか、その都度話合います。ひと月に何十回もマーゲンチューブを抜く患者さんがいますが、今は「しかたのないこと、抜きたい気持ちはよ~くわかる」という風に私たちは理解してます。

そうしているうちに患者さんの周辺症状(怒ったり拒否したり叫ぶなど)はほとんど見かけなくなり、他所から転院してきた場合には「ここの方がおばあちゃんが穏やかなので、ずっと入院させてください」と言われることが多くなりました。
認知症「ふくじゅそう」外来の田村先生からも「あなた方のケアが良いから患者さんが落ち着いている」と認めていただき、こういう他者からの肯定も職員の自信につながっています。

組織文化の変革は勇気のいることですが、「良いこと」には賛同してくれる人がいるはず。
一人ではなく味方をつくって心を込めて繰り返し言い続ける。
良かったことを共有し、「ありがとう」とフィードバックする。
その小さな積み重ねできっと変わります。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
一つ目がいい評価だったら3度目はなかったかもなぁ。

寄りそうこころの一年に

新年度の計画を発表する時期になりました。
新年度を考えるのは楽しみでもあり、言葉にするエネルギーがいるので、少し心が重い時期でもあります。

私は自分がいつかこの病院を離れて後継者につないでいくことについて、考えています。
組織の存続を線で引いてみて、ご縁とタイミングがあってここにいるんだとよく思います。
A地点からB地点まで。そのあとは別な看護部長がバトンをもらってC地点へ。
駅伝のようにたすきをつないで組織が続いていく。
同じ路線を継承するのがいいのか、旧来にとらわれず斬新なアイデアで新しい風を吹かせるのか。
いろんな妄想をしつつ、私なりに次世代を担うマネージャーを育てているつもりです。

時代の流れに合わせて、変化しながら組織が続いていくってすごいことです。
失敗や成功を積み重ねながら、去年より今年、昨日より今日へとつながってきたんですから。

新年度の病院の目標が「寄りそう」に決まりました。

寄りそうということ。

寄りそわせていただくには、そもそも信頼関係が必要でして。
傍らに座って共に時間を過ごすこと。
患者さんのそばに寄りそっている職員に「いいケアをしているね」と応援すること。
ゆっくりそばにいられなくとも、ほんの数分でもしっかりそばにいること。
やさしく背中や手足に触れること。
ハグすること。
そばにいなくても心で寄りそい、想いをはせること。
その人の人生を大事に思うこと。

私が「寄りそう」という言葉から連想するのはこんな情景です。
少しできているところもあるんだけど、もっとみんながこのことを大事なケアだと思って実践するにはどうしたらよいか、ディスカッションがいるなあと思いました。

そこで先日の師長会で、今年度の振り返りとともに、新年度取り組むことは何か、「寄りそう」という言葉をどう解釈し、私たちの定義にするかを話し合いました。
みんなでブレーン・ストーミングを約1時間半。
日ごろから何を言ってもいい風土なので、書くのが間に合わないくらいみんなから言葉が飛び交いました。
そして「寄りそう」という言葉については、患者さんやご家族さんはもちろん、共に働く仲間に対しても寄りそい思いあう風土にしたい。
一人がみんなのために、みんなが一人のために、それを実現させたいね、という話になりました。

そして最終的に看護部の目標は「寄りそうこころ」に決まりました。
寄りそうこころを持った看護師を育てましょう。
寄りそうこころでケアしましょう。
寄りそってお互いにおもいやりましょう。

「こころ」に、そんな思いが込められました。
魂が、入ったなと思う瞬間です。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
昼寝をしてると傍らにオカメインコが寄りそってくれています。

2029年からの手紙

2019年札幌南徳洲会病院の新病院建設会議に参加されている皆さんへ

2029年1月5日の今日、私はカナダのイエローナイフというところに来ています。
雄大な自然の中のログハウスで、おいしいコーヒーをいただきながらこれを書いています。
私は昨年退職して海を渡り、昼間は食堂で働いて、夜はオーロラを眺める、夢のような生活をしています。
あの頃皆さんと一緒に新病院の建設を議論していたことを懐かしく思い出します。

あれから10年が経ち、四十坊院長の頭はすっかりロマンスグレーになりました。
相変わらず日ハムを応援するのを楽しみにしながら、今日も外来診察に出ています。
40名弱だったボランティアさんは今や200名を超え、職員より多いくらいです。

そのおかげで朝早くから夜遅くまで、あちらこちらでボランティアさんが見かけられます。連日のように音楽イベントが開かれ、朗読や傾聴、マッサージをしてくださっています。
1階の空間で、カフェを始めた元ボランティア・コーディネーターの鈴木さんが、おいしいコーヒーを淹れて、話術で笑わせてくれるので、お客さんがひっきりなしです。診察を受けに来た人もカフェにきたのかと勘違いするくらい、待ち時間を心地いい時間にしてくれています。
外にはアイスキャンドルが何十個も連なり、美しい光景が評判となって病院なのに見物客が増えました。
春からは菜園と果樹園の準備が始まります。桜の植樹も8回目となり、小さいけれど今年は桜並木の下でお茶会ができそうです。

あの頃はホスピスに研修生がよく来てくれてましたよね。
今は全国から院内のあらゆる部署に研修生が来てくださるようになりました。
外来も透析室も障がい者病棟も、よいケアを実践し続けてくれたからですね。
「入院するならこの病院」でトップテンに選ばれたのも皆さんのおかげです。
2018年に始めた緩和ケアセミナーやNPOホスピスのこころ研究所の活動が世に広まり、人生の最後の時をどう過ごすかを考える場として、私たちのケアを見に来る方が増えたのです。ありがたいことです。

前野総長は全国各地からお声がかかり、執筆や講演活動で忙しくなりましたが、楽しそうにしていますよ。下澤事務長は総長のスケジュール管理が結構大変そうですが、シュヴァービングの森をジョギングし、昆虫と戯れるのが癒しになっているようです。

今年は古民家を改修して、ホームケアクリニック札幌・藤原院長の念願だったホームホスピス「かあさんの家」を始めることになりました。病院ではなく、自宅でもなく、一人暮らしの方も安心して過ごし、穏やかな環境で旅立つことができる、そんな場所がいよいよ完成します。

今思うとあの頃、新しい病院についてみんなで話し合うのが一番楽しかったと思います。
そして前野先生がよくおっしゃってたように、その話し合ったプロセスがとても大事だったなって思います。建物が新しくなっても、そこに働く人の心が大事だから。
仲間を信じ、いつも目の前の患者さんにいいケアをしようと努力する、その小さな積み重ねが今につながっているのです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
新年初出勤前日の夜、こんな妄想が膨らみ眠れなくなりました。

病院の「おまあ指数」を考える

ドラッカーの「マネジメント」を学ぶ読書会で、以前こんな話を聴きました。

ウナギ屋さんで会計するときにお客様から
「おいしかったよ」
「また来るね」
「ありがとう」
という言葉をかけていただいたら、それを紙に書いてカウントしていくそうです。
それらの頭文字をとって、「おまあ指数」と呼びます。
おまあ指数がお店の評価であると受け止めるのだそうです。

それらの言葉をいただけるように、店員さんが何をしたらいいかと考え、行動するそうです。

それ、すごくシンプルでいいなあ。
調理する人は一番いい状態で食べてもらおうと努力するし、
ホールの人は心地よい空間を整え、明るい笑顔でお迎えしよう、と思うでしょうし。

「こうしなさい」という上からの指示命令ではなく、
自らどうしたらお客様に喜んでもらえるかを考え行動する。
これこそが目標管理ですね。

何か病院でも応用できそう。
病院は「在院日数」「治療成績」「手術件数」「ベッド稼働率」という数値目標で測られることが多いけれども、
本当に患者さんのためになったのか、満足していただいたのか、についての指標が少なくて(いや、私がわかってないだけかもですが)、年に一度の患者満足度調査だけではあまり効果的ではないと感じています。

「ありがとう」
「ここへきて良かった」
「やさしい病院だね」
などと言っていただけるとうれしいな~~

「あこや指数」⁈

でもせっかくだから、これは師長さんたちと話し合う材料にしよう

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しく行動できるのがいいよね~

大丈夫。みんな一緒に頼むよ。

私はピーター・ドラッカーの本を使った読書会で、月に1度勉強しています。
もう5年くらいになるでしょうか。

読書会のメンバーは5~10人位で、異業種の集まりです。
それぞれが「経営者の条件」という本の、決まった章を事前に読んできて集まります。
読んだ中で自分が一番ぴんときた文章に線を引き、どうしてそこに線を引いたのかについて、話をします。
体験としていろいろ感じてはいても、いわゆる概念化できてない、コトバとしてうまくまとめられていないことがたくさんあるのですが、ドラッカーの本には「そうそう、それそれ!」って思うことがぴたっと明確に記されています。

一年かけて一冊の本を読んで話し合い、翌年また「まえがき」からスタートするのですが、まったく飽きることがなく、去年は引っかからなかったコトバに線を引くこともあれば、「やっぱりこの文章がすきだなあ」と思うこともあるし、まるで初めて読んだかのような新鮮さを味わうこともあります。
そして参加者はそれぞれ違う仕事をしていますが、悩む事柄は一緒だったりするので、自分の身に置き換えて考えることがとても勉強になります。

先日は、ある方が自分の率いるチームメンバーがみんなバラバラな方向を向いていて、同じ方向を向かせるにはどうしたらいいか、という話をされました。
それぞれは能力の高い人たちなのに、一緒に協力して一つのものを作り上げようという空気がなく、困っているという話でした。

それについて別の方が「リーダーが、”このチームはバラバラだ”と思っているといつまでもバラバラなんだよね。リーダー自身が”大丈夫。みんないっしょに頼むよ。”と思えばひとつになるんだ。”あなたの強みはこれこれだから、それを使ってね”と一人一人に伝えたらいいんだよ」と、柔らかにおっしゃいました。

そのコトバは私の体の中にするりと入ってきました。
自分の見方、思いひとつだなあと思うことは私もしばしばあります。
人の心や向き合い方を変えようと思うとうまくいかない、というのもよく経験してます。
「こうするべきだと思うからこうしてね」じゃなくて、
「私はこう思うんだよね。それを一緒にやってもらいたいんだ。手伝ってくれる?」という風に伝えたら、自分も楽に伝えられる気がします。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
スポーツみていてもそんな感じがする。青学とかカーリング娘とか。

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