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自己紹介

プライドと貧乏性

こんにちは、やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
新年が始まったと思ったらもう4月。早いものですね。

当院にも今年新たに9名入職されました。
毎年思うのですが、数ある病院、会社の中から当院を選んでいただきうれしく思います。
みなさんが幸せに働けるような組織でありたい、そしてその手でケアを受ける患者さんやご家族が幸せでありますようにと、そんな風に願っています。

さて、今年に入り対面での会議が増えてきました。
先日東京に出張した際に、泊ったホテルで「全国旅行支援クーポン」をいただきました。2千円分のお買い物クーポンです。初めてのことで素直にうれしい。使用期限は翌日の23:59まで。
クーポンは紙のままお店に出してもいいし、アプリに入れてもいい、そのように書いてありました。アプリをスマホにいれたものの、時間がなくてクーポンのチャージまではできませんでした。
翌日私はお店に立ち寄り、レジでクーポンを紙のまま出したのですが、店員さんから「うちはアプリじゃないと使えないんです」と言われました。
ふ~とため息。
アプリまでは入れたが、チャージはできてない旨を伝えると「ゆっくりやってください、大丈夫ですから」とのこと。幸い後ろに誰も並んでいないので、「じゃあやってみます」と取り掛かりました。しかし焦っているせいか、QRコードが読み込めなかったりエラーが連続して時間ばかりかかります。私はあきらめて現金で支払いました。

店を出てから気持ちがもやもやしました。落ち着いて焦らない状況でやればできるはずなのに、ここで諦めるのはなんだかくやしい。プライド&貧乏性。こんな仕組み、スマホを持ってない人には使えないじゃないか。だいたい紙でもいいって書いてあるのに、アプリしか使えないってどういうこと?心で悪態をつきます(笑)

目的の駅に着いてトイレに立ち寄ると10人くらいの行列。気長に待つ間、先ほどのアプリを再挑戦。ようやくチャージできました。トイレを済ませるとちょうど向かいにお店がありまして、ここで無事に2千円、使いきったのでした。
モヤモヤが晴れて、すっきり。しょうもないプライドです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ここであきらめるか・立ち向かうかが分かれ目だ!(大げさ)

中村哲先生のドキュメンタリー映画

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

10月の終わりに、映画「荒野に希望の灯をともす」を観てきました。
映画館で見るのはなんと1年ぶり。普段はネットフリックスなども見ますが、やっぱり映画館で、その世界に集中するというのがよいですね。
せっかく映画会員になったのに一度も行くチャンスがなかったのですが、この映画は見逃したくない!と心に決めて朝早く出かけました。
中村哲先生のことは、前野総長も四十坊院長も時々朝礼で話されるし、アフガニスタンで診療をするために福岡徳洲会病院で研修を受けに来られたことがある、という話も聞いていたので、親近感を持っていました。
本では読んでいましたが、中村先生の生き方や残していったものの全体像がよくわかりました。
先生を駆り立てたものは何だったのか、生きるために何が求められていたのか、政府に頼らず自ら支援するさまを、見ることができました。
病気を診て治療する、診療所を増やす、にとどまらず、生きるための水を確保する。
干ばつにより月面のようになった砂漠に、用水路を作る。
中村先生の目指すことに賛同した人が、一緒になって働く姿はなんとも清々しいものでした。
中村先生は凶弾に倒れましたが、天からの恵みは今も人々を支えています。
水と土、光。これで作物が実り、人の命が守られる。

恵まれた環境に生きていることに、それなのに不安や不満が蔓延している世の中に対して、いろいろと考えさせられました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
チャンスがあれば、多くの人に見てもらいたいな。

コーチングからキャリアの源を学ぶ

こんにちは。
やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

先日コーチングの勉強に行ってきました。
キャリアの指針を見つけるという副題がついていて、とても興味をそそられました。
キャリアといっても看護師としての転職の話だけではありません。
幼い頃に何になりたかったのか、看護師という仕事を選んだきっかけ、実際になってみてどうだったのか、そして今現在に至るまでにどんな機会を得て、意思決定をしてきたのかを振り返る学びでした。

私は幼いころ絵本を描く人になりたいと思っていました。
母が時々本を買い与えてくれて、それが私の年齢や興味にぴったり合ったものだったので、本好きな子供になりました。
父は寝る前にお話を聴かせてくれました。「昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」というはじまりは一緒で、そのあとは創作話でした。内容はいつも思い付きで、話の筋はあっちへこっちへと飛び、急に「続きはまた明日」と打ち切られることもあるし、父の方が先に寝てしまうこともありました。
「おじいさんとおばあさんは仮の姿で、実は宇宙人でした」と言われると、小さい私はワクワクして眠れず、「それで?続きは?」とせがんだものです。
打ち切られたお話の続きを考えるのが癖になり、未だに小説を読んだあとには妄想が膨らんで寝られなくなります。

幼いころにワクワクしたことというのは、働くことにまつわる過程と生き方に、どこかつながっているのかも知れません。
管理者がコーチングを学び、自分と一緒に働く仲間のことに関心を寄せていくと、普段は気づかない強みを発見する手掛かりになるなと思っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
図書館司書にもなりたかったなあ。

本当に大切なこと

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

この間までの大雪と渋滞はなんだったんだ、というくらい気温が上がり、空き地の残雪がどんどん消えていく札幌です。
街路樹の根元に咲く黄水仙やムスカリの鮮やかな色に、春の芽吹きを感じますね。
でもまだ朝晩は寒い日もあるので体調を崩さないようにお気をつけください。

普段私のブログを読んでくださっている方から「工藤さん、最近文章が変わってきたね」と言われました。

最近これまでのことを振り返ったり、これからの人生をどう生きるかについて考えています。
人間は着実に死に向かっています。
が、普段は生と死が連続していることなど考えもしません。
限られた時間の中で、健康で動ける時間はさらに限られています。
その時間を一体何に費やすのか、ということを最近よく考えるようになりました。
ドラッカーの「何によって覚えられたいかね?」という問いと近いかもしれません。
コロナウイルスの登場によって、人と人の心がやや遠のいた感がある一方で、だからこそつながりは大事にしたいという思いが、両方錯綜しています。
きっとそんな心持が文章にも表れてしまったのでしょうか。自分ではよくわかりませんが。

先日ホスピス病棟に、額装された「書」がいくつか届きました。
病棟で亡くなられた方のご遺族が「ここ(アートコーナー)にぴったりだと思う」ものを何枚か寄贈してくださったのです。
私を含めて書の見方を知る人はほとんどおりませんが、筆の力強さとか文字の味わいみたいなことを感じながら、一枚一枚見せていただきました。
スタッフがあれこれ相談しながら、1枚選出したのは「絆」の一文字。
これに決めたのは「やっぱり亡くなられた患者さんとの絆を感じたから」とのこと。
そして病棟のスタッフ同士が、今こそ絆を強めているのではないかなと、私には感じられたのでした。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
本当に大切なことは、目には見えないんだよ、とは星の王子様に出てくることば。

初ファイターズ観戦@札幌ドーム!

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

12月にプロ野球日本ハムファイターズの新監督に就任したBIG BOSSこと新庄監督。
私は監督就任会見を見てから、にわかファイターズファンになりました。
野球にはまったく関心がなくこれまで生きてきたのですが、選手を育て、お客さんを楽しませることを第一に考える新庄監督の言葉がとても心に響き、急に野球を見たい、監督を見たいという気持ちにさせられました。
朝礼でその話をしましたら「いままで球場に誘ってもすぐ断っていたくせに、急に変わるんだなあ」と院長に呆れられました。
はい、熱しやすく冷めやすいと自覚しております。

ちょうど病院の広報誌の原稿にそんなことを書きましたら、それを読んだ方からオープン戦のチケットをプレゼントしていただきました。
なんという幸せ。Mさん、ありがとうございます!

数えきれないほど札幌ドームで観戦してきた本物ファンのMさんに案内していただき、3月6日、オープン戦に初めて行ってまいりました。

試合前に捕手の鶴岡慎也さんの引退セレモニーが行われ、ダルビッシュ投手を始めとした、昔のチームメイトからのメッセージや胴上げなど、選手のことを知らない私でも、見ているだけで胸がきゅんとしました。
試合が始まるとあっという間に時間が過ぎて、おしゃべりしてる間に今川選手のホームランを見逃したりもしました。途中BIG BOSSがベンチから出てきて観客席に向かって手を振ったりすると、場内が拍手で包まれ、やはりスターの華やかな雰囲気になりました。

Mさんによれば、コロナ禍になってからは推しの選手の名前が書かれたタオルをかざすような静かな応援に変わったそうで、「本当はもっと応援自体が楽しいんですよ」と教えてくれました。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
まずは推しの選手を見つけようと思います。

朋あり、遠方より来たる

遠方からの友人が病院を見学に来てくれました。
医療者であり、がんサバイバーでもあるその友人。
辛口毒舌を期待した私ですが「ここで働きたい、いやこの病室に住みたい」と言ってもらえて正直ほっとしました。
がんであることがわかってから、そのときどきの状況を教えてくれるので、私もためらわずに話をすることができます。
病気の状態やその時々の心境は、教えてもらわないとわからないものですが、教えたくない、話したくないということもあるでしょう。
そんな時は黙って寄り添っていられたらいいなと思います。
まあ、寄り添うことをゆるしてもらえたなら、ですけれど。

なんにせよ久しぶりのリアルおしゃべり。
ランチでもと入ったお店はことごとく混んでいて、あやうくランチ難民になるところでした。
北海道内のコロナ感染者はこのところ10人以下。
また自粛生活が再開されるかもしれない空隙に、私たちは向かい合ってゆっくりとランチを味わいました。
こうして、心から大切に思う相手と、語り合いたい人と、共にする時間のなんと愛おしいことでしょうか。

「がんになって、考え方が変わったと思うことはある?」と聞いてみました。
友人は「ん~」としばらく考えてから
「あんまり先のことは考えなくなった、かな」と言いました。
いろんな意味が含まれた言葉だなと感じました。
職業人としては、遠い先の約束はしにくくなったのかと想像しています。
思えばこの旅も、LINEでちょっと会話した後、数日後に「行くからね」と連絡がきました。
会いたいと思ったらその日が大安吉日。
いつかそのうち、なんて言わないで、そう思ったら行くとき。
今度は私が行くからね、と再会を約束したのでした。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
何気ない一日が光輝いて。

ゆずしごと

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
今日は仕事から少し離れたお話ですが。

先日兄の家の庭で採れたゆずが段ボールで送られてきました。
自宅用に取り分けた後、職場に運んでゆず好きな人に持っていってもらうことにしました。

すると意外なことに声をかけたほとんどの人がゆず好きな人で、このゆずで何をするか(作るか)という話をみなさんしてくれるのです。
絵を描く、というのは前野先生。
事務長は焼酎にぎゅっと絞る。
ジャムを作ると言う人数名。
ゆずはちみつを作ってゆず湯を飲む。
お風呂に入れる。
鍋物をゆずポン酢で食べる。
お漬物に刻んだゆずを入れる。
ただもらっただけで、テンション上がる!という人も。
ゆずピールにしようとしたが、乾く間もなくすぐに食べてしまいました、という人も。
こんなにもゆず好きな人がいるんだなあ。
そして同じゆずというものに対して、見事にみんな違う視点で見ているんだなあ、と感心しました。

私は半分ジャムにして、半分はゆずぽんで湯豆腐をいただきました。
ジャムは少し手間はかかるんですが、アクを取りながらコトコト煮ている時間が好きなんです。そして家中にゆずのさわやかな香りが広がって、鼻腔いっぱいに吸い込み、きもちまですっきりします。
ジャムは瓶のまま冷凍して、冬の間トーストに載せたりヨーグルトに混ぜたりして楽しみます。

持ち込んだゆずはあっという間に売り切れ、現在追加発注中です 笑。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
お兄ちゃん、来年も頼む。

くよくよしない

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
札幌は夏から秋に変わリ、陽の落ちるのも早くなってきました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか?

パソコンで作ったいろんなファイルをUSBに保存していたのですが、先日自宅のパソコンで開こうとすると開けなくなっていました。職場のパソコンでも同じ。
あらあら困りました。

そこにはこれから予定している講義のパワーポイントとか、データなどが入っていたのです。
「クラウドに入れておけばどこからでも見られますよ」というのは知っているのですが、私のようなパソコン能力の低い者にとっては、なんとなく不安なもので、あえてUSBだけに保存したのが仇となりました。まあ、ときどきこういうことをやるんです。

これは少し前に見た映画「スノーデン」の影響かも知れません。パソコンで仕事をしているだけなのに、カメラの向こうからこちらを覗かれ、データを暴かれるような気がしてくるのです。(国家の重要人物でもないのに図々しいですね)

パソコンが職場に入ってきたのは1998年くらいだったでしょうか。詰め所に鮮やかなブルーのimacが設置されたときはなんてかわいくてスタイリッシュなんだろうと思い、自宅用にも同じものを買いました。あの頃はフロッピーで保存してましたね。
あれから20年以上経ち、自宅のパソコンも何台目かになりますが、相変わらず最低限の機能しか使ってない気がします。
大人になってからパソコンやスマホが登場して、必死についてきた私は、覚えたことだけを頑固にやり続けていて、もっと便利な機能がたくさんあるのを知らずにいます。
時々、SE(システムエンジニア)さんに教えてもらうのですがさっぱり身に付きません。
何かを新しくしたらシステムをインストールしてアップデートして・・・この繰り返しに追いつかなくなっています。(とほほ)

さて、失くしてしまったものをいつまで悔やんでいても仕方ありません。
くよくよせずにもう一度最初から作りましょう。
きっと以前のよりいいものができると信じて。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
写真は札幌芸術の森で開催中の「キース・ヘリング展」。空いていて写真撮影可でしたよ。

週末の楽しみ

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
新病院に来てようやく3週目に入ります。こまごまとした不具合はあるものの、少しずつ修正しながら進んでいます。

おかげさまでなんにも予定のない休みを過ごすことができるようになりました。
週末になると、まとめて朝のテレビ小説「おかえりモネ」を見ています。(ご注意!ネタバレあり)
苦労の女一代記ではなく、主人公ほか登場人物がみんな東北大震災の悲しみをまとっていて、それが少しずつストーリーの中で明らかになっていくときに、胸がひりひりとして泣かされます。これは朝見たら化粧が崩れて仕事に行けないですね~。
やりたいことというよりは、とにかく島から出たかったモネちゃんが、気象に興味を持ち「誰かの役に立てるなら」という価値を見出した時、ぐんと前進する姿を応援したくなります。これぞ朝ドラの王道ですね。
7/16で前半が終了しましたが、菅波先生とくっつきそうでくっつかなかった、これもまた伏線回収が後半にあるのかと期待させてくれます。
小さなことですが、菅波先生の診察室に、カレンダーが3か月分かかっているのにお気づきの方はいらっしゃいますか? ドクターが次の予約や薬を処方するときに、先々の日付と曜日を知るのに、だいたい今月を含めて3か月分のカレンダーをかけていることが多いです。医療監修を調べてみると、やまと在宅診療所というところがモデルで、実際に東京と登米市を行き来して往診をしているそうです。

菅波先生もモネちゃんから影響を受けて、絶対やらないと言っていた在宅診療に興味を持ち始めました。治療をしないと言い張るがんの患者さんに「患者の心は日々変わるもの、治療について迷ってもいいんですよ。」と言葉をかけ、もしかしてこの先在宅緩和ケアに入り込むのかなと期待している自分がいます。菅波先生にも過去に何か辛い出来事があったのかと思うのですが、それはきっと東京編で出てきそうです。

今週もこのブログに来てくださりありがとうございます。
前半の総集編も近々ありますよ~(回し者ではありません)

父の命日

命日が近いからか、珍しく父の夢を見た。
とはいっても父の顔は一度も出てこない。
夢の中で私はきれいな総合病院で働いていて、どこかの病棟で師長をしている。
父はその病院の最上階・循環器科病棟に入院している。

外来患者やお見舞い客やらが行き交う1Fフロア。
天井は吹き抜けになっていて、交差したエスカレーターの近くに私は立っている。
急いでどこかへ行こうとしていたが、胸ポケットに入っているPHSが鳴って立ち止まった。

電話の向こうで父の病棟の看護師が言いにくそうにしている。
父はシャワーに入りたいと言い「許可が出ていないから無理です」と看護師に言われたのだけど、「こんなに元気になったんだから大丈夫だ」と言い張り押し問答になっているのだそうだ。
どうしてもだめなら家に帰って入るから、外泊か退院させてくれと言うので看護師が困っているのだという。

私はその光景が目に浮かぶようだった。父の顔は笑っているけど、きっと目は真剣だ。腕の点滴も抜かんばかりの、ただならぬ空気が漂っているだろう。
「わかりました、今すぐに行きます」と言いながらも、私は今処理しなければならない仕事をどうしようか考えている。これをまず誰かに託してから父の病棟に行くとなると、どんなに急いでも20分はかかる。
エレベーターは呪いたくなるほど遅いから、階段を駆け上がるしかない。ここから5階分。そのあと父の病棟はさらに3階分。うへえ。
まだ1階にいるのに太ももの乳酸がたまるような気がした。

父の説得は、娘の私とて容易ではない。
「お父さん、心臓の手術をしてまだ1日しか経ってないから、お風呂はまだだめなんだって」
「風呂じゃない、シャワーだ」憮然として言う。
「シャワーも一緒よ。まだ心臓に負担がかかるから許可できないんだって」
「手術は成功したんだろ。俺はもう大丈夫だ。どこも痛くないし、ほら、今日の血圧だって126の80だ。優秀だろ。苦しくもなんともない。ここの先生は名医だ」
「それはまだ心臓に負担がかかることをしてないからよ。シャワーは負担がかかるの!」
だんだん私の口調がきつくなる。はずかしい。
そばでやり取りをじりじりしながら見守っている看護師・・3年目か4年目くらいだろうか。私が説得できるまでこの場を離れられないのだ。人前で、親子のみっともないやり取りを延々と続けるのも情けないものだ。
こんな時、看護師としての立場と娘としての立場で揺れ動く。いや、もうひとつあった。師長としての立場もだ。

それで私は妥協策を提案する。
「あのね、私が父に付き添ってシャワーに入るのなら許可にならないかしら?」看護師の方に向かって言う。
え?というような顔をして看護師は目を大きく開けた。
「いや、あの、それは先生に聞いてみないと・・」看護師はしどろもどろになる。
「なんで娘と入らなきゃならないんだ。そんなの俺はいやだぞ。それなら入らない!」
「あら、そうなの? お父さん。じゃあ許可が出るまで待てる?」と聞きながら私は看護師にこっそり目で合図を送った。
「何日経ったら入れるんだ?」不承不承という感じで父が尋ねる。
「普通は3日目からですので、明後日になります」
「明後日?そんなに待たせるのか・・」
ぶつぶつ言う父の言葉をさえぎって私は看護師に礼を言い、彼女をここから解放した。
父をなだめ看護師に気を使い、ああ、面倒くさい。
でもこれが患者の求めていることなんだ。
それはあの看護師にもわかってもらいたい。
決められた予定通りにケアするだけが、正しいんじゃないってことを。

父が亡くなって10年、リアルな夢だった。
倒れて1か月、意識不明のまま旅立っていった。
介護の苦労を娘にさせたくなかったのだろう、娘孝行のお父さんだと親せきには言われた。
けれども少しは苦労させてもらいたかった。日に日に衰えていく筋肉を見て悲しくなった。どんな状態でもいいから、生きていてほしかったと思うのは、身勝手だろうか。

きれい好きでダンディだった父。
シャワーに入れぬまま亡くなったのは、さぞかし無念だったろう。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
めったに親の夢を見ない、親不孝者です。

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