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冬休みに読む「ライオンのおやつ」

私の周りには本好きな人がいっぱいいます。
先日「これ読んでみて」と前野先生から渡されたのは、小川糸さんの「ライオンのおやつ」です。
前野先生大絶賛です。
朝礼でも勧めていて、職員みんなに読んでもらうために、この本を数冊買って病院に置いておく、とまで言っていました。
そして「こういうホスピスを作りたいんだ」と。
ああ、ホスピスの話なんですね、というと
「いや、病院の話じゃないんだ」。
「??」


最初に貸してもらった私は、お正月休みに読もうとゆっくり考えていたのですが、借りた2日後には「読んだ? どうだった?」と感想を聞かれたので焦ってしまいました。

これは旅立つ人の物語ですが、つらいものではありません。
むしろ最後こんな風に旅立てるのなら、私もこの本に書かれてあるホスピスに行きたいと思いました。
瀬戸内の温暖な気候。美しい海。レモンやブドウ。自然の中の小径。

主人公には死を前にして、さまざまな症状が立ち現れてきます。
例えばせん妄という意識障害は、私たち医療者はとても気を付けるところです。
時空間の認識がわからなくなり、筋力や体力の低下もあって、転倒しやすくなるからです。
そのせん妄状態と思われる描写さえも、小説の中では甘やかで幸せな時間なのです。
こんな世界にいるのなら私はせん妄状態の人を、じゃましないでそっとしておいてあげたいと思うようになりました。

登場人物は優しく、自然な成り行きを大事にしてくれて、湿っぽくはありません。
それから、こういうホスピスを作りたいという、前野先生の気持ちもよ~くわかりました。
医療の場ではありませんが、医療も確かに必要としていて、最期まで生ききることの支えのひとつとなっている。
私たち医療者ができることなど、わずかなことだなあと思いました。

それから全編食べ物の話が出てきます。
そのどれもが温かい情景とともに、湯気や香りが感じられました。
「ライオンのおやつ」という題名も、読むとしみじみわかります。
私はその中でも毎朝土鍋で炊くお粥さんがおいしそうで。
もしこんなホスピスができるなら、私はそのお粥さんを炊くおばあさんになりたいと思ったのでした。

死と、その先にある未来へ希望が持てる本です。

今年もこのブログにたくさんの方が来てくださいました。
ありがとうございました。
どなた様も、よいお年をお迎えください。

余韻の続く小説「平場の月」

しばらくぶりにいい小説を読みました。
このところ小説から遠ざかっていたので新鮮でもありまして。

主人公は50代の女性です。
「平場」という言葉は初めて知ったのですが、文字通り「平たい場所」とか「普通の場」という意味があり、小説の登場人物も目立たないごく普通の生活をしている一市民で、特別大きな事件が起こるわけではありませんが、日々の生活と心情の中にひたひたと迫りくるものがありました。
早く全部を読みたいのに(またそうできる分量なのに)、主人公の気持ちをゆっくり味わいたい気持ちになり(あるいは友人の気持ちになったり)結末は冒頭に出てくるので、読みたいのに読み終わりたくないという相反した感情になってしまうという、不思議な小説でした。

今これをお読みの方は、あらすじも書かずに何を言ってるかわからないと思います。
キーワードなんかを書くと陳腐になりそうで・・自分の筆力のなさをすみません・・。

話し言葉が小見出しにもなっていて、「ちょうどよくしあわせなんだ」とか「誰に助けを求めるかは自分で決めたいんだ」とかシビレル言葉が随所にありました。
物語に通底しているのは「自分のことは最期まで自分で決めたい。自分で選びたい」という人間の尊厳であり、日々の暮らしの中にこそ幸せがあり、それを小さく刻んでは味わっていくということでした。
読後しばらく余韻が続きました。

今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
予備知識なく読んだほうが喜びが大きいかも。

再び、幡野広志さんの本

病院機能評価の受審が終わったら、あれをしよう、これをしよう、と思っていたことの一つに幡野広志さんの新刊「 ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読む、がありました。

最初の本「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる 」もそうでしたが、私にとって幡野さんの本は電車の中で読むとか一章ずつ毎日読む本ではなくて、たっぷりと時間を取ることができる日に、静かで穏やかな場所で、しかも泣いてもいいような場所で一気に読む、という諸条件を整えてから読みたい本なのです。
決してベッドの中で寝ながら読んではイケマセン。
あ、でも正座はしなくていいです。

うるさいですね(笑)

休日の朝、お気に入りのカフェで一気読みしました。
そして、シビれるコトバに付箋を貼りたくなって、帰宅して二度読みしました。

がん患者さんが病気を知ってからどんな風に感じ、考え、何と戦い(病気以外にも戦うモノゴトがたくさんある)、どんな風に決定していくのか。何を一番大事にすべきなのか。
限られた時間だからこその説得力に満ちています。
それはがん患者ということに限らず、自分の人生を他人に振り回されずに掴み取っていくことを改めて考えさせられます。

ストレートで時に辛らつ、でも自然体な幡野さんの文章は、心にすうっと入ってしみこみます。
そして家族への愛情と悲しみ、こうなってわかった本当の人とのつながりをだいじにし、感謝の言葉が直球で伝わってきます。

がんじゃなくても、生きづらさを感じている人や、他人に振り回されて自分のことを後回しにしている人に読んでもらいたいです。

幡野さんは子どもが大きくなった時に「お父さんはこんなこと考えていた」と伝える記録として、写真や文章を残していると書いています。
体には病を受けているけれども、心は健康で研ぎ澄まされている。
これからも長くたくさん書き続けてほしいと願っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人生は失うことの連続だけど、ところどころ光に満ちている。

「やるべき」仕事「やれる」仕事、そして「やりたい」仕事

サイボウズの社長青野慶久さんの本「会社というモンスターが僕たちを不幸にしているのかも知れない」を読みました。
仕事には「やるべき」仕事、「やりたい」仕事、「やれる」仕事があって、それらの交点を探して自分の意思によって決めた、と覚悟することが楽しい仕事につながる、と書かれています。
会社の新入社員は、組織の考えで働く場所を決められて、必ずしも希望通りの場所に配置されるとは限りませんが、与えられた場所で懸命にトレーニングしていくうちに、それが「やるべき」で「やれる」仕事となり、「やりたい」ことが広がっていく可能性を秘めています。

病院にいても、同じことがあります。
医師や放射線技師などの医療技術者と違って、看護師はその病院の診療科や全体の人数によって、配置を変えられることがあります。

私自身も新卒の時に外科系に行きたいと思っていたのに内科に配属されて、がっかりしたことがありました。
けれども内科は検査データと症状をじっくり見ることが求められるので、看護師としての観察力は鍛えられるし、ある意味結果は明快なところがあって、面白いとあとから気づきました。
自分がやりたいと思うことが必ずしも向いているかはわかりません。
むしろ若いときは得意不得意にかかわらずなんでも経験したほうが、自分で気づいてない分野に目覚めるかもしれないですね。

いろいろな経験を積み、自分の思う方向と違う方へ流されたとしても、そこで自分が役に立ち、誰かを喜ばせることができたら、「ま、ちょっと違ったけど、これでもいいか」と思えることもあります。

その仕事に納得がいかないとき、どうして自分が納得していないのか、深く考えてみることが大事です。
「やりたい」「やれる」「やるべき」のどれかが欠けているはずだ、と青野さんは言っています。

納得いかない違和感を覚えるときこそ、考えるときです。
この後も与えられた場所で楽しく働けるのか、自分の夢を押し通して環境を変えるのか。
どの道を選んでも責任は自分で取る。
人のせいにしているうちは本物の働く喜びを手に入れることはできません。
組織の価値観と相いれない、と思ったらそれはもう環境を変えるしかない。
そして、転職せざるを得ないとなったときに、初めて自分の市場価値に気づくのです。

しかもこの仕事、患者さんを対象にしているので、ただ自分のためだけに「やりたい」のだとすると、すぐメッキがはがれてしまいます。
患者さんのためになるのかどうか、が根底にないと結構簡単にバレてしまいます。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
やっぱり真摯さ、だと思う。

楽しい×人のため=業績

今週ご紹介するのは「すいません、ほぼ日の経営」という本。
私は糸井重里さんの書いたものや考え方が好きでして、うんと若かったら「ほぼ日」で働きたいと思っていたほどです。
糸井さんのようなクリエイティブな方たちの集団で、楽しく仕事している会社がこのたび株式上場したので、なんとなくその堅苦しさとマッチしてない感じがしました。
しかし糸井さんのことだから、株式上場さえも楽しむつもりかな、と想像していました。
ここはネタバレになるので、書きません・・。
この本は経営者としての糸井さんをインタビューしたもので、最後の方に社長の糸井さんが、こんな経営者なんですけれども本なんか書いてもらってすいません、というようなことを書いていて、それもまた楽しからずやなのです。

私自身「仕事とは楽しいもの」という考えがベースにあるものですから、糸井さんのように楽しそうに仕事している人には、自然に惹かれてしまうのです。

少し前に当院に入職された方から「ここの身だしなみ基準を見せてください」と言われドキッとしました。
実は作ってないんです・・と正直に答えました。
私もここへきて4年目に入り、今年は規定や基準などを見直している最中です。
本来は身だしなみ基準は「あるべき」ものでしょうけれども、職員の身だしなみで何かこれまで不都合があっただろうか、、、否。
ちょっとだらしないなーというときはすぐ注意していたし、ものすごい髪の色の人とか派手な化粧の人もいない。
つまりはみなさん自律している職員なので、あえてそこに「身だしなみはこれこれこうしなさい」という校則みたいなものはいらないかな~と思っていました。

こういうところが私、ゆるい看護部長かも知れません。
患者さんやご家族さんから見て不愉快に感じるような姿はよくない身だしなみです。
看護職員は環境の一部ですので、存在そのものが不快になるようじゃ、そもそも人相手の仕事のセンスがないということです。
例がないと困るのなら、航空会社のCAを見習えば大丈夫です。

まあそれよりも患者さんを喜ばすのに次何しようか、とか新しい病院ではこうしたいよね、という話し合いの方が断然楽しい。

糸井さんも「ルールは少ないほうがいい」って書いていたのでうれしくなりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しいことで人のためになって業績につながれば、それが理想の経営だな。

医療者と患者・家族をつなぐ人

連休の3日間、私は東京でNPO法人架け橋の医療対話推進者の研修に参加してきました。
架け橋理事長の豊田さんとは前職の時に一度、札幌でこの研修を開催したときにお会いしていましたが、研修受講は初めてのことでした。

豊田さんをはじめ、このNPOの活動を運営している方々の中には医療事故で大切なご家族を亡くされた人、医療事故を起こしてしまった当事者の方がいらっしゃって、「もう二度とこのような不幸な事故があってはならない」という切実な思いから、医療対話推進者を養成する講座を続けていらっしゃいます。
事故の詳細を語る講義を聴いていると、ほんの少しのかけ違いがきっかけで自分にも起こりうるかもしれない、という気持ちで胸がざわざわしました。

医療事故で5歳の息子さんを亡くされた豊田さんは、なぜこうなったのか、怒りと悲しみと自己嫌悪の渦の中にいました。そしてそういう人だからこそ医療者と患者・家族との間をつなぐ人になってほしいという当時の院長の勧めがあって、医療対話推進者の先駆けとなり、今に続いています。
そこに至るまでの様々な葛藤は想像することもできません。
豊田さんは長い年月をかけて「医療者も苦しんでいる」と理解し医療者と患者・家族双方に寄り添う活動をされています。

講義の中で印象に残ったのは、インフォームド・コンセントはよく「説明と同意」と訳されることが多く、一般的には病気についての説明・治療法・副作用・今後の予測などを医師が説明して患者が理解して治療計画書にサインしてもらう、という風に理解されています。しかしそれでは説明した=理解してなくても同意せざるをえなかったというシチュエーションも含まれるのです。
治療のメリット・デメリット、自院で行っている治療の最善はこれで、ほかの治療ならこんな方法がある、私があなただったらこの方法がいいと思う、どれにしますか?と尋ねて、患者が自らの価値観に基づいて遠慮なく質問し、治療を選択する。
こうして医療者と患者が「情報と決断の共有」をすることがインフォームド・コンセントであり、そうして決断したことを両者で小川を渡る感覚で進むのだ、と聞いてその言葉が腑に落ちました。

がんにたとえれば、がんと診断されて手術か・放射線か・抗がん剤かという治療方法についての選択肢が十分に説明されて、その中から今最善と思われる方向を患者さんが納得して選択し、よし、じゃあ一緒に頑張りましょう、と手をつないで一緒に小川を渡り前進する。
それからも行く道には様々な不具合が生じるけれども、そのたびに話し合って、また小川を一緒に渡る、そんなイメージが浮かびました。

翻って現場に置き換えると、特に急性期の大きな病院ほどその対話に時間をかけられずにいます。患者さんが疑問に感じても遠慮して言い出せなかったりするうちに、治療スケジュールの中に組み込まれて心が追い付かないまま進んでしまう。
看護師やほかの職種がそのとまどいをキャッチして「ちょっと待った!」「今困っていらっしゃいますか?」と言えるようでありたいし、その意見が尊重されるような職場風土であってほしいと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
誰もが聴ける人に。

NPO法人架け橋のHPはこちら↓

http://www.kakehashi-npo.com/

カンフォータブル・ケアをやってよかった3つのこと

このブログにもたびたび登場していただいている、「カンフォータブル・ケア」の本がついに発売されました。

私たちは29年の春先に業界紙に載っていた著者の南敦司さんを知り、突撃電話で講義をお願いしました。
快く引き受けてくださってその年の9月に院内で職員向けに研修会を開いてもらって、カンフォータブル・ケアの可能性を感じました。

よかったこと1 誰でもすぐできる

パーソン・センタード・ケアもユマニチュードも手法に違いはありますが患者さんの問題を探すのではなくて、患者さんの持てる力を引き出し、しっかりと向き合うという点では共通しているものと思います。ただカンフォータブル・ケアは誰でも取り掛かりやすく、お金もかからず、道具もいらない。
私たちの意識と行動を変えることで認知症ケアが楽しく楽になる、患者さんもハッピーになると信じて、ただひたすら素直に実践してきました。

よかったこと2 同じ時間を楽しくするアクティビティ・ケア

その結果いくつかの副産物がありまして
たとえば「いちご狩り」というイベントをすると患者さんがとても喜んでくださる。
土に触れてその場でいちごを洗って食べる、というなにげないことで普段見ない笑顔を見ます。
その笑顔を見た職員は、ようし、もっとなにか喜んでもらえることはないかな?と思って、イベントを企画するようになる。これが日ごろの「何もすることのない時間」を「何か楽しいことがあるみたい」な時間に変えるんですね。
これが「アクティビティ・ケア」というものだと本を読んで改めてわかりました。

ベッドの上で土に触れる

イチゴが実る

よかったこと3 行動制限が減る!

それからこのケアをするようになって、行動を制限するようなことが減り、鎮静化するような薬の使用も減りました。
カンフォータブル・ケアとはこれらの複合的な作用もひっくるめたことだと本を読んで改めて認識したところです。
本には南さんが現在の病院に着任したころのことが赤裸々に書かれていますし、だからこそ今いるスタッフに信頼して任せている様子がわかります。
そして「あるある」な具体例が満載ですので、実践的な本になっています。

当院の看護師たちも「問題行動」に着目するのではなく、「どんなケアが効果的だったか」を話合うようになってきました。
この流れは清々しいものがあり、特に2つの障がい者病棟の師長たちにこの経過を語らせたら、二人とも自信をもってアツく語ります(笑)

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ぜひお手元に。

幡野広志さんの本のこと

今日は幡野広志さんという方が書いた「ぼくが子供のころ、ほしかった親になる」という本について、おすすめしたいと思います。
きっかけは糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」で知りました。
35歳のカメラマン。
2歳の息子がいる。
多発性骨髄腫で余命3年と言われた。
本の帯には谷川俊太郎さんの言葉。
これだけでそそられました。

いわゆる闘病記とかではないし、お涙頂戴的なつくりでもない。
もっと、どちらかというと乾いている。
がん患者となって自分は変わらないのに周囲の様相が変わっていくことに、幡野さんは驚きながらも冷静に観察している。
がんになったことで周囲から安易なアドバイスをされることが多くなったという。
少しでも良くなってほしい、長く生きてほしい一心で言ってくれる友人知人。
それらは善意の優しい手だが、幡野さんの思いとは少し違う。
ブログでがんを公表するとさらに善意が増えたという。
サプリメントや怪しげな代替療法を教えてくれる人。
これをすればよくなると勧める宗教の勧誘。

それには根拠もないし、当事者の体験でもないものも多くある。
それを幡野さんは「優しい虐待」と評する。
うわべだけのやさしさや、怪しげな売り込みがひたひたと近づいてくる。
藁をもつかむ気持ちのがん患者の心にそっと近づき、「インスタントラーメンにお湯を注ぐように」気軽にアドバイスする人を幡野さんは鋭く見分ける。

私は実はこの本を読んでいない。
発売してすぐになかなか手に入らない本となり、アマゾンに頼んで
北海道胆振東部地震が起きる前日にようやく届いた。
地震のあれやこれやは一応収まったのだけど、自分自身の心身のバランスがもうちょっと静かになってから読みたいと思っている。

なぜ本の中身を知っているかというと、幡野さんのツイッターを追っているから。
そこには本の読者の感想が載っているし、幡野さんのつぶやきを読んでいると人柄がわかるから。
そして糸井さんとの対談を読んだりしていると、おのずとわかってくる。

だから、もう少し待ってから一気に読もうと思っている。

この本は幡野さんの息子さんに向けて書いているのと同じくらい、私たちに向けても書かれている。
生きること、愛すること、死ぬまで成長し続ける存在であること。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
もっと詳しく知りたい方向けにはこちらをどうぞ。

https://shuchi.php.co.jp/article/5554

 

イトイさんちのブイヨンちゃん

糸井重里さんの飼い犬「ブイヨン」ちゃんが今年の3月に旅立って早1か月が過ぎました。
「ほぼ日刊イトイ新聞」に写真で出ていて、ボール遊びしている姿だったり、お昼寝してたり、タオルに潜り込んでオブジェのようになる「梱包芸術」の姿を見ていたから、まるで隣の家の子のように勝手に思っていました。

ブイヨンを喪ってからのイトイさんは、その日その時の心情を「ほぼ日刊イトイ新聞」に書いています。
「くっつく、なでる、いっしょに寝る。そういうことだけで愛しているつもりだったぼくは、実はほんとに愛していたんだと、知ることになった。目の前から消えてさえも、ぼくらはすっごく仲良しだ」(3月27日)

夫婦で新幹線で旅に出るときも、いつもはお弁当を買うときに一人は車内でキャリーケースに入ったブイヨンといっしょにいる必要があったのだけど、初めて二人で一緒にお弁当を選んでいる。ブイヨンがいないことでできるようになったこともあるけれど、だからこそブイヨンの不在を改めて感じる、という内容には、思わず涙腺が緩みます。
糸井さんは書くことでブイヨンを想い、ココロの中を吐きだし、悲しみを味わい客観的になっていく。
その文章を読む私たち読者も追体験している、そして勝手に隣に座っている気持ちになる。

一度も会ったことはないのに、不思議ですけどね。

それでつい、本を買って思い出に浸っています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
何度でも、本なら読み返すことができる。

水俣を歩く

わけあって熊本に行く用事ができ、思いがけず一日フリーな時間が出来ました。
さて、どう行動しようかなと思ってスマホで検索をしかけたら、ニュースで「苦海浄土」の作者・石牟礼道子さんの訃報を知りました。
それで、熊本から水俣はどれくらいの距離だろうと調べると、JRで約1時間半くらいとわかったので、すぐに出かけることにしました。
10年程前に札幌で「水俣病展」があったのをきっかけに、病気の原因を追究した熊本大学の原田教授や写真家のユージン・スミスさん、桑原史成さんのことを知り、興味を持っていたのですが、すっかり忘れていました。

時代は1950年代の高度成長期。
水俣病とは、チッソという会社が、化学製品の原料を製造する過程で出るメチル水銀を海に流したことから、海が汚染され、そこで採れた魚介を食べた住民が中枢神経・感覚器を障害され、全身をけいれんさせながら亡くなっていくという公害病です。
治療法のない奇病・伝染病と言われて差別に会い、父親が病気にかかると仕事を失い、生活も困窮しました。
妊婦が知らずに食べていると胎盤を通じて胎児に吸収され、胎児性の水俣病となりました。
当時は同じ町内に、漁民とチッソに勤める会社員が暮らしており、会社員は羨望の存在だったそうです。
けれども徐々に会社が流している廃液が問題じゃないかと噂され、漁民が海を守るために反対運動を起こすと、会社員の家族がそれを阻止しようとして争いごとになりました。
同じ市民が対立する中、市の税収の半分は会社のおかげで潤っているという構図。
経済優先の日本社会の縮図がここにありました。
その後、国と県と会社を相手にした裁判が繰り返され、いまだに続いています。

私が忘れられないのは桑原史成さんの写真で、胎児性患者の上村智子さんが成人を迎えた時の家族写真でした。
智子さんは赤い着物を着てにっこり笑ったお父さんに抱きかかえられていました。家族や親せきがみんな笑顔で、智子さんを覗き込むように、幸せな表情をして映っている写真でした。
お母さんは「智子は宝子だ」とおっしゃいました。この子が私が食べた水銀毒を一人で吸ってくれたから、自分や弟妹も助かった。智子さんは皆の命の恩人だ、と。だから家族の中で大切にされ、暮らしたのだろうと思います。
病気や裁判の痛々しい写真の中にあって、そこだけ光り輝く温かさを放っていました。
背景にどれほどの苦悩苦痛があったのか、想像もできません。

水俣病資料館は汚染された海を埋め立てたところに建っていました。
サッカー場やバラ園、道の駅もあり、犬の散歩をする人や観光客らしきグループがいました。
水俣の海は2009年に安全宣言が出され、漁が再開されたそうです。
水俣病の公式確認から実に56年ぶりのことでした。

今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
以前は読み終わらなかった「苦海浄土」に再チャレンジしようと思います。

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