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初ファイターズ観戦@札幌ドーム!

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。

12月にプロ野球日本ハムファイターズの新監督に就任したBIG BOSSこと新庄監督。
私は監督就任会見を見てから、にわかファイターズファンになりました。
野球にはまったく関心がなくこれまで生きてきたのですが、選手を育て、お客さんを楽しませることを第一に考える新庄監督の言葉がとても心に響き、急に野球を見たい、監督を見たいという気持ちにさせられました。
朝礼でその話をしましたら「いままで球場に誘ってもすぐ断っていたくせに、急に変わるんだなあ」と院長に呆れられました。
はい、熱しやすく冷めやすいと自覚しております。

ちょうど病院の広報誌の原稿にそんなことを書きましたら、それを読んだ方からオープン戦のチケットをプレゼントしていただきました。
なんという幸せ。Mさん、ありがとうございます!

数えきれないほど札幌ドームで観戦してきた本物ファンのMさんに案内していただき、3月6日、オープン戦に初めて行ってまいりました。

試合前に捕手の鶴岡慎也さんの引退セレモニーが行われ、ダルビッシュ投手を始めとした、昔のチームメイトからのメッセージや胴上げなど、選手のことを知らない私でも、見ているだけで胸がきゅんとしました。
試合が始まるとあっという間に時間が過ぎて、おしゃべりしてる間に今川選手のホームランを見逃したりもしました。途中BIG BOSSがベンチから出てきて観客席に向かって手を振ったりすると、場内が拍手で包まれ、やはりスターの華やかな雰囲気になりました。

Mさんによれば、コロナ禍になってからは推しの選手の名前が書かれたタオルをかざすような静かな応援に変わったそうで、「本当はもっと応援自体が楽しいんですよ」と教えてくれました。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
まずは推しの選手を見つけようと思います。

朋あり、遠方より来たる

遠方からの友人が病院を見学に来てくれました。
医療者であり、がんサバイバーでもあるその友人。
辛口毒舌を期待した私ですが「ここで働きたい、いやこの病室に住みたい」と言ってもらえて正直ほっとしました。
がんであることがわかってから、そのときどきの状況を教えてくれるので、私もためらわずに話をすることができます。
病気の状態やその時々の心境は、教えてもらわないとわからないものですが、教えたくない、話したくないということもあるでしょう。
そんな時は黙って寄り添っていられたらいいなと思います。
まあ、寄り添うことをゆるしてもらえたなら、ですけれど。

なんにせよ久しぶりのリアルおしゃべり。
ランチでもと入ったお店はことごとく混んでいて、あやうくランチ難民になるところでした。
北海道内のコロナ感染者はこのところ10人以下。
また自粛生活が再開されるかもしれない空隙に、私たちは向かい合ってゆっくりとランチを味わいました。
こうして、心から大切に思う相手と、語り合いたい人と、共にする時間のなんと愛おしいことでしょうか。

「がんになって、考え方が変わったと思うことはある?」と聞いてみました。
友人は「ん~」としばらく考えてから
「あんまり先のことは考えなくなった、かな」と言いました。
いろんな意味が含まれた言葉だなと感じました。
職業人としては、遠い先の約束はしにくくなったのかと想像しています。
思えばこの旅も、LINEでちょっと会話した後、数日後に「行くからね」と連絡がきました。
会いたいと思ったらその日が大安吉日。
いつかそのうち、なんて言わないで、そう思ったら行くとき。
今度は私が行くからね、と再会を約束したのでした。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
何気ない一日が光輝いて。

ゆずしごと

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
今日は仕事から少し離れたお話ですが。

先日兄の家の庭で採れたゆずが段ボールで送られてきました。
自宅用に取り分けた後、職場に運んでゆず好きな人に持っていってもらうことにしました。

すると意外なことに声をかけたほとんどの人がゆず好きな人で、このゆずで何をするか(作るか)という話をみなさんしてくれるのです。
絵を描く、というのは前野先生。
事務長は焼酎にぎゅっと絞る。
ジャムを作ると言う人数名。
ゆずはちみつを作ってゆず湯を飲む。
お風呂に入れる。
鍋物をゆずポン酢で食べる。
お漬物に刻んだゆずを入れる。
ただもらっただけで、テンション上がる!という人も。
ゆずピールにしようとしたが、乾く間もなくすぐに食べてしまいました、という人も。
こんなにもゆず好きな人がいるんだなあ。
そして同じゆずというものに対して、見事にみんな違う視点で見ているんだなあ、と感心しました。

私は半分ジャムにして、半分はゆずぽんで湯豆腐をいただきました。
ジャムは少し手間はかかるんですが、アクを取りながらコトコト煮ている時間が好きなんです。そして家中にゆずのさわやかな香りが広がって、鼻腔いっぱいに吸い込み、きもちまですっきりします。
ジャムは瓶のまま冷凍して、冬の間トーストに載せたりヨーグルトに混ぜたりして楽しみます。

持ち込んだゆずはあっという間に売り切れ、現在追加発注中です 笑。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
お兄ちゃん、来年も頼む。

くよくよしない

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
札幌は夏から秋に変わリ、陽の落ちるのも早くなってきました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか?

パソコンで作ったいろんなファイルをUSBに保存していたのですが、先日自宅のパソコンで開こうとすると開けなくなっていました。職場のパソコンでも同じ。
あらあら困りました。

そこにはこれから予定している講義のパワーポイントとか、データなどが入っていたのです。
「クラウドに入れておけばどこからでも見られますよ」というのは知っているのですが、私のようなパソコン能力の低い者にとっては、なんとなく不安なもので、あえてUSBだけに保存したのが仇となりました。まあ、ときどきこういうことをやるんです。

これは少し前に見た映画「スノーデン」の影響かも知れません。パソコンで仕事をしているだけなのに、カメラの向こうからこちらを覗かれ、データを暴かれるような気がしてくるのです。(国家の重要人物でもないのに図々しいですね)

パソコンが職場に入ってきたのは1998年くらいだったでしょうか。詰め所に鮮やかなブルーのimacが設置されたときはなんてかわいくてスタイリッシュなんだろうと思い、自宅用にも同じものを買いました。あの頃はフロッピーで保存してましたね。
あれから20年以上経ち、自宅のパソコンも何台目かになりますが、相変わらず最低限の機能しか使ってない気がします。
大人になってからパソコンやスマホが登場して、必死についてきた私は、覚えたことだけを頑固にやり続けていて、もっと便利な機能がたくさんあるのを知らずにいます。
時々、SE(システムエンジニア)さんに教えてもらうのですがさっぱり身に付きません。
何かを新しくしたらシステムをインストールしてアップデートして・・・この繰り返しに追いつかなくなっています。(とほほ)

さて、失くしてしまったものをいつまで悔やんでいても仕方ありません。
くよくよせずにもう一度最初から作りましょう。
きっと以前のよりいいものができると信じて。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
写真は札幌芸術の森で開催中の「キース・ヘリング展」。空いていて写真撮影可でしたよ。

週末の楽しみ

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
新病院に来てようやく3週目に入ります。こまごまとした不具合はあるものの、少しずつ修正しながら進んでいます。

おかげさまでなんにも予定のない休みを過ごすことができるようになりました。
週末になると、まとめて朝のテレビ小説「おかえりモネ」を見ています。(ご注意!ネタバレあり)
苦労の女一代記ではなく、主人公ほか登場人物がみんな東北大震災の悲しみをまとっていて、それが少しずつストーリーの中で明らかになっていくときに、胸がひりひりとして泣かされます。これは朝見たら化粧が崩れて仕事に行けないですね~。
やりたいことというよりは、とにかく島から出たかったモネちゃんが、気象に興味を持ち「誰かの役に立てるなら」という価値を見出した時、ぐんと前進する姿を応援したくなります。これぞ朝ドラの王道ですね。
7/16で前半が終了しましたが、菅波先生とくっつきそうでくっつかなかった、これもまた伏線回収が後半にあるのかと期待させてくれます。
小さなことですが、菅波先生の診察室に、カレンダーが3か月分かかっているのにお気づきの方はいらっしゃいますか? ドクターが次の予約や薬を処方するときに、先々の日付と曜日を知るのに、だいたい今月を含めて3か月分のカレンダーをかけていることが多いです。医療監修を調べてみると、やまと在宅診療所というところがモデルで、実際に東京と登米市を行き来して往診をしているそうです。

菅波先生もモネちゃんから影響を受けて、絶対やらないと言っていた在宅診療に興味を持ち始めました。治療をしないと言い張るがんの患者さんに「患者の心は日々変わるもの、治療について迷ってもいいんですよ。」と言葉をかけ、もしかしてこの先在宅緩和ケアに入り込むのかなと期待している自分がいます。菅波先生にも過去に何か辛い出来事があったのかと思うのですが、それはきっと東京編で出てきそうです。

今週もこのブログに来てくださりありがとうございます。
前半の総集編も近々ありますよ~(回し者ではありません)

父の命日

命日が近いからか、珍しく父の夢を見た。
とはいっても父の顔は一度も出てこない。
夢の中で私はきれいな総合病院で働いていて、どこかの病棟で師長をしている。
父はその病院の最上階・循環器科病棟に入院している。

外来患者やお見舞い客やらが行き交う1Fフロア。
天井は吹き抜けになっていて、交差したエスカレーターの近くに私は立っている。
急いでどこかへ行こうとしていたが、胸ポケットに入っているPHSが鳴って立ち止まった。

電話の向こうで父の病棟の看護師が言いにくそうにしている。
父はシャワーに入りたいと言い「許可が出ていないから無理です」と看護師に言われたのだけど、「こんなに元気になったんだから大丈夫だ」と言い張り押し問答になっているのだそうだ。
どうしてもだめなら家に帰って入るから、外泊か退院させてくれと言うので看護師が困っているのだという。

私はその光景が目に浮かぶようだった。父の顔は笑っているけど、きっと目は真剣だ。腕の点滴も抜かんばかりの、ただならぬ空気が漂っているだろう。
「わかりました、今すぐに行きます」と言いながらも、私は今処理しなければならない仕事をどうしようか考えている。これをまず誰かに託してから父の病棟に行くとなると、どんなに急いでも20分はかかる。
エレベーターは呪いたくなるほど遅いから、階段を駆け上がるしかない。ここから5階分。そのあと父の病棟はさらに3階分。うへえ。
まだ1階にいるのに太ももの乳酸がたまるような気がした。

父の説得は、娘の私とて容易ではない。
「お父さん、心臓の手術をしてまだ1日しか経ってないから、お風呂はまだだめなんだって」
「風呂じゃない、シャワーだ」憮然として言う。
「シャワーも一緒よ。まだ心臓に負担がかかるから許可できないんだって」
「手術は成功したんだろ。俺はもう大丈夫だ。どこも痛くないし、ほら、今日の血圧だって126の80だ。優秀だろ。苦しくもなんともない。ここの先生は名医だ」
「それはまだ心臓に負担がかかることをしてないからよ。シャワーは負担がかかるの!」
だんだん私の口調がきつくなる。はずかしい。
そばでやり取りをじりじりしながら見守っている看護師・・3年目か4年目くらいだろうか。私が説得できるまでこの場を離れられないのだ。人前で、親子のみっともないやり取りを延々と続けるのも情けないものだ。
こんな時、看護師としての立場と娘としての立場で揺れ動く。いや、もうひとつあった。師長としての立場もだ。

それで私は妥協策を提案する。
「あのね、私が父に付き添ってシャワーに入るのなら許可にならないかしら?」看護師の方に向かって言う。
え?というような顔をして看護師は目を大きく開けた。
「いや、あの、それは先生に聞いてみないと・・」看護師はしどろもどろになる。
「なんで娘と入らなきゃならないんだ。そんなの俺はいやだぞ。それなら入らない!」
「あら、そうなの? お父さん。じゃあ許可が出るまで待てる?」と聞きながら私は看護師にこっそり目で合図を送った。
「何日経ったら入れるんだ?」不承不承という感じで父が尋ねる。
「普通は3日目からですので、明後日になります」
「明後日?そんなに待たせるのか・・」
ぶつぶつ言う父の言葉をさえぎって私は看護師に礼を言い、彼女をここから解放した。
父をなだめ看護師に気を使い、ああ、面倒くさい。
でもこれが患者の求めていることなんだ。
それはあの看護師にもわかってもらいたい。
決められた予定通りにケアするだけが、正しいんじゃないってことを。

父が亡くなって10年、リアルな夢だった。
倒れて1か月、意識不明のまま旅立っていった。
介護の苦労を娘にさせたくなかったのだろう、娘孝行のお父さんだと親せきには言われた。
けれども少しは苦労させてもらいたかった。日に日に衰えていく筋肉を見て悲しくなった。どんな状態でもいいから、生きていてほしかったと思うのは、身勝手だろうか。

きれい好きでダンディだった父。
シャワーに入れぬまま亡くなったのは、さぞかし無念だったろう。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
めったに親の夢を見ない、親不孝者です。

2021年の初めに、今の気持ちを書いておこう

新年を迎えて、新たな時間をいただいたような気がします。
みなさまどんなお正月を迎えましたか?

私は例年のおせち作りをすっぱり止めて、心が安らぐことを優先し、よく眠り、食べたいものを食べ、それから手帳の整理をして過ごしました。
あ、大泉洋さんのことが心配で、生まれて初めて紅白を、最初から最後まで見たことも付け加えておきます 笑。

手帳の整理は年末恒例行事です。
年の終わりにはその一年のことを振り返ってから、新しい手帳を書き始めるのが頭の整理に役だっています。
今日は年が改まったので今の気持ちを記しておきたくなりました。

去年の手帳の終わり「今年1年を漢字一文字で表すと?」という質問にちょっとだけ悩みました。
直感で浮かんだのは「緊」か「守」か。
私の職場では感染者は出ておりません。
けれどもニアミスのようなことはしょっちゅう起きています。
2月から何度も臨時会議を開いて、考えうる対策はやってますが、クラスター発生病院のお話を聞くと、いくらPCR検査を水際でしても見えないところからするっと入り込むのがこのウイルスの特徴で、完全に防ぐことは不可能です。
いつ自分たちに起きてもおかしくない、その時に最善最良を尽くして患者と職員を守れるか。

積極的にコロナ感染者を治療している医療者の話を聞くと、自分は看護管理者としての本当の苦労がわかっていないような気持ちになります。
日々職員が手指消毒し、無言でお弁当を食べ、手すりをアルコールで拭き、自宅で静かに過ごしてルールを守ってくれている。
どこの医療者も、職場や家庭でストレスの高い状態が続いています。
防御ばかりで戦略的に「これで良し」と言い切れないまま、この不全感と緊張感がこれからも続きます。
日本でもワクチン接種は今年中にできるのか、その安全性は、効果は、などと考えても仕方ないですが、確かなことがひとつでも欲しいと思います。
その一方で本当に必要なものは何か、身近なところで幸せを感じたり、対話の大切さを学んだ一年でもありました。
まあ、そんなわけで正直に語ると今の私は院内にウイルスが入り込むことを恐れ、怯えています。
ですので去年の一文字は「守」かな、しかもその字はぶるぶると震えている。
そんな気持ちで手帳を閉じました。

さて2021年の手帳はどんな文字を書きましょうか。

「今年一年どんな年にしたいか漢字一文字で表すと?」を考えます。
7月は私どもにとってビッグイベント、新病院への移転があります。
緩和ケア病棟が増え一般病棟が合体し、透析のベッドが増えます。
その前4月には希望を胸にした職員が来てくれます。
新しい病院に来てくれた患者さんと職員に「ここへ来てよかったな」と心から思ってもらえるように、中身を磨いてみんなで移ろうと思います。
コロナウイルスに縛られた日常は、今年の終わりに何か少しでも打ち破ることができているでしょうか。
こんな臆病な看護管理者ですが、みんなの力を借りてなんとか乗り越えられるはず!と思っています。

そんなわけで今年の一文字は「進」にします。
見えない鎧を身につけて、スクラムを組みながら一歩ずつ踏みしめて進むしかありません。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
一年の始まりは「願い」と「誓い」をセットで考えたらいいんですって。

休暇は自分の断捨離

1月半ばからしばらくお休みを頂き、旅行に行ってまいりました。
大自然の中で数日間、昼間は雪の中を散策し夜はオーロラを追いかけるという贅沢な時間を過ごしました。
ネットにはあえて距離を置き、人々の暮らしぶりや歴史など興味深く見聞きし、それから長編小説を2冊読みました。
土地の食べ物を時間をかけてじっくりと味わい、丁寧にストレッチをして身体が喜ぶことをしていました。

普段私は1週間ごとの行動計画を立てて過ごし、週末にそれを振り返って翌週の計画を立てるということを繰り返しています。
けれども、この休暇の間はとにかく心の赴くまま行動する。
寝たい時は寝る。
入りたいときにお風呂に入る。

「アレしなくちゃ、コレしてないわ」の呪縛を解いて、したいことだけをする。
本当にしたいことって何だろう。

自分に問いかけ、
カラッポになった1週間でした。
体も心も休息って大事だなあ。
わかっていたことだけれど、素直にそう思いました。

これも寛大な上司に恵まれ、留守を守ってくれる師長さん達がいるおかげです。
戻って最初の朝の歩き回りでは、何もかもが愛しい。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
スペースをあけないと新しいことも入らないですね。

居酒屋ばぁば ~人生フルーツその後~

写真は過去のポスターです


元号が変わり、史上初の10連休となったゴールデンウィークですが、病院は途中5月2日に通常診療をしました。
年末年始も連休も、病院は24時間365日の仕事。
患者さんを守ってくれる職員がいるから、私は夜寝ることができる。
おかげさまと感謝しています。

お休み中、ネットであれこれ調べているときに偶然映画「人生フルーツ」の奥様・津端英子さんの「その後」を見つけました。

この映画、今もシアターキノ(札幌)で月一で上映されています。
軽やかなピアノの音楽を背景に、津端さんご夫妻の日常生活が淡々と描かれています。
畑を作り、実がなって、枯葉で肥料を作り、また畑に漉き込む。
できた作物で手作りの料理をし、お菓子を作る。
周囲の人に手書きのはがきを送る。作物を分けて送る。
その生活の延長上にごくごく自然な形で死が訪れる。
死は特別なことではなく、時計が止まるように。
ナレーターは樹木希林さん。穏やかな言葉が映像に深みと味わいをつけてくれます。
「人生フルーツ」のその後、英子さんはどうされているんだろう。
あの大きな家で今も畑を守り、日々を丁寧に暮らしているのだろうか。
よけいなお世話ですが、勝手に心配していました。

2017年の動画ですが、この「居酒屋ばぁば」、英子さんと樹木希林さんの女子会です。
お二人の結婚観や人生観が伝わってきます。
英子さんの大事にしている、「ときをためる暮らし」。
私にはとてもできないけれども、少なくともちゃんとしたものを食べることや自分の体の声を聴くこと、家族を大事にすることは心がけようと思ったのでした。

https://joholinear.com/all-about-tsubata-hideko/

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
今は鬼籍に入った樹木希林さんの、内田裕也さんを想う気持ちもいいんだな。

自分の衰えを認めることについて

ある日のこと、私は地下鉄で札幌中心部へ行こうとしていました。
ICカードをチャージしようと思って誰もいない券売機に向かい、そこでお財布から千円札を2枚とカードを取り出しました。
チャージをするのにまず画面の押すボタンを間違え、
やりなおして今度はお札の入れ方が悪かったのかもう一度やり直しになりました。
機械からお札が戻ってきて、初期画面に戻るまで間が空きました。
そうしたらいつのまにか後ろにいた若い女性が
「あの、先にいいですか?」と言いながら、私と券売機の間にするりと入って切符を買って行ってしまいました。

何だか、心に黒雲が浮かぶような嫌な気分になりました。

地下鉄に乗ってその「黒雲」はなんだろうと考えました。
自分では遅くしようと思っていないのに、結果的に遅くなって他の人の迷惑になったこと。
以前なら券売機に行く前にお財布やカードを準備してもっと素早くできただろうこと。
(今日は誰も並んでないから、と気持ちが緩んでいた)
後ろに人がいる気配をまったく感じ取れなかったこと。(隙だらけ!)
若いときは私もこういうシチュエーションでは「全くおばさんは機械に弱いからなあ」とじりじりして待っていただろうに、あの女性はほんの数分も待たずに、なんというか、爽やかに横入りしたこと。
それをただ見ているしかなかった自分の情けなさ。
そういうことがないまぜになって「黒雲」になったんですね、きっと。

たまにしか乗らない券売機の画面を一瞬で理解することはできないし、できなくなっちゃったんだ、という自分の衰えを受け入れなきゃいけないんだなと思いました。

軽い風邪が治りにくくなったり、取り扱い説明書がさっぱり理解できなくなったり。
長い距離や階段を歩けなくなったり。そういうことと似ている。
それでもパソコンやスマホになんとか付いていってるのは、結構頑張っているんじゃないかと思います。

私たちの世代は人生の途中からパソコンやスマホが出てきて、それ以前の時代を知っている。
電話を持ち歩かなかった時代は、人が来るのをじっと待っていたり、どこかへ行くのに時刻表で調べていた時代。
そのことを知っているから、今がとても便利だとわかるけれども、生まれた時からネットがある世代の人たちは脳科学的に何か違いができるんではないかなと思う。

少なくとも、券売機の前でもたもたしている人にはもうちょっと寛容でいてほしいなあと思う。
なんでもIT化が進むと、こういうもたもたした人が増えるのですよ。
逆に言うと病院は高齢者が多いのだから、もっとやさしい説明を心がけなくちゃ、ね。

この話を30代の人としたら、「オートーチャージにしたらいいじゃないですか~。そしたらいちいち券売機行かなくていいんですよ」と言われました。
そ、そ、そうですね。
こうして世の中はどんどん進んでいくのですね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
これでもその昔、新人類って言われてたんだけどね。

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