2023年4月
プラチナナースと夏ばっぱ
こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
「プラチナナース」ということばが出始めたのはいったいいつだったのでしょうか。
看護協会が先だと思いますが、厚労省も言い出してるし、定年退職した後も働き続けるベテランナースのことが、いつの頃からかこう呼ばれるようになりました。労働人口の減少、医療現場の人手不足、年金だけでは暮らせない現実。さまざまな要因があって、こんなネーミングで持ち上げられたようですが、自分事としてそう呼ばれるとしたら、この言葉は相当気恥ずかしいですね。
当院にも数名、定年後も継続してプラチナナースたちが働いています。
ベテランがいるって患者さんにも後輩にも、安心につながりますね。
体力・経験・経済的なことを考えて、みんなが幸せに働けるようにと願っています。
その中のひとり、Qさんが夜勤も含めた仕事を継続してくれることになりました。
長年慣れているとはいえ、この仕事は体力勝負。
Qさんは「いい仕事をするために」ジムに通って、体力と柔軟性を磨いているとのこと。ほんと、すごいなあ。
テラスで幾種類もの植物を育て、何度も胡蝶蘭を蘇らせる達人でもあります。
こうして1年、また1年と経験を重ねながら患者さんのケアに当たってくれている、本当にありがたいことです。そして同じ仕事で現役を貫いていく、というのは尊いことだなあと思います。同時に、新しく入職される方の中には「看護師人生の最後を、ここで働きたい」と言ってくださる方もいて、心が震えます。
私は、職員がみんな健康で、ほどほどの忙しさで、患者さんへのケアにやりがいを持って、休みを満喫できるような、そういう病院にしたいんですよね。WELL-BEING。もう、それに尽きる。職員が幸せに働けること。それが患者さんへのケアにつながっている。
この春から朝ドラで「あまちゃん」を再放送していますね。
これに出てくる“夏ばっぱ”(=宮本信子さん)に、Qさん似ているんですよ。
いつまでもみんなのお母さんとして、元気でいてください。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
さあ、どうする?定年!
コーヒーと看護
こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
特別コーヒー通というわけではありませんが、カフェ巡りが大好きです。
先日、札幌から2時間くらいのところにある、知り合いのコーヒー店に行ってきました。
車を降りた途端鼻腔を刺激する香ばしい香り!お店に入ると20種類くらいの豆の入った木箱が並んでいます。その生豆を丁寧により分けて、その場でお好みに焙煎してくれるコーヒー屋さんです。木の温もりいっぱいの店内は、一瞬で居心地がいいとわかります。お店の方に温かく迎えられて、窓側の席に座りました。
どんなコーヒーが好きか聞かれて、酸味の少ない、濃いめのコーヒーが好きと答えました。
豆によって酸味や苦みは限定されるのかと思っていたのですが、どうやらそうではないらしい。豆の種類ももちろん関係するけれど、浅く炒るか、深く炒るかによっても味わいが変わるのだそうです。さらにコーヒーの淹れ方もいろいろあるから、自分がベストだと思うコーヒーを探しあてるには相当な数を飲まないと・・っていうことですね。
まだまだ出会ってないコーヒーがいっぱいあるわけですね。奥が深いです、コーヒー道。
私の頭の中には豆の種類と浅炒り・中炒り・深炒りのエクセルの表が思い浮かんでしまいました(笑)。これこれの豆でこのような味に提供できますよ、という風におススメするのかとおもいきや、「いえいえ違います。お客さんがどんなコーヒーをお好きなのか、まずはその方の好みをお聞きします。それに合ったコーヒーを淹れるんです。」
「あ、そっか。逆ですね」
「看護と一緒ですね」とママさんは笑います。
あちゃあ~、まいりました。コーヒーを飲みに来て新たな視点を教えていただきました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ガトーショコラがまた美味しくて。
分人
こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
コロナが始まってから3年余り、全然本を読むことができなかったのですが、最近また読めるようになってきました。
看護師という仕事をしていると、自分や家族が病気になったときに視点が変わり、自分がどの立ち位置で物を見て対応しようとしているのか、わからなくなる時があります。
そんなとき作家の平野啓一郎さんの本を読み、腑に落ちるものがありました。
家族と一緒の時の自分と、会社にいるときの自分は同じだろうか?高校時代の友人といるときの自分は?と考えると、自分の中にいろんな顔があり、それらは矛盾していない。それを平野さんは「分人」ということばで表しました。
つまりわたし、工藤昭子という人間は普段は「看護師」であり、「看護部長」であり、働いている病院は緩和ケアや認知症ケアなどを行う病院であって、働いている一日の大半はそう認識されているのですが、自分や家族が病気になると途端に自分ごととしてとらえるため、「一患者」や「患者の家族」という「分人」の側面で認識されるということです。
平野さんは「分人とは、対人関係ごとの様々な自分のことである」と書いています。そして「一人の人間は複数の分人のネットワーク」だというところが、腑に落ちたのでした。
たとえば患者として医療者との間にトラブルがあったとき「こんなことは患者としては不愉快だな」と思う一方で、「こういう状況は医療者側もつらいよね」と共感するような出来事があったとします。
こんなとき私の中で「どっちの立ち位置(患者か医療者か)で物を見たらいいんだ?」と少々混乱が生じるわけです。
逆にすごくいいケアをしてもらったときに、一人の人として「ありがとう」と言いたいだけなのに、そこに看護管理者としての目線が邪魔をすることもあります。素直になれないのは単に性格の問題かも知れませんが・・。
「看護師の私」と「患者としての私」の間を、行ったり来たりしながら人間性を高める勉強をさせてもらっている。
仕事を通じて自分にはできない別な人生を学ばせてもらい、違う価値観に気づかせてもらっている。
そのことを謙虚に学ぶことが大事なのかな、と思います。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございました。
「自分探し」ってことばもあったよね。
プライドと貧乏性
こんにちは、やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
新年が始まったと思ったらもう4月。早いものですね。
当院にも今年新たに9名入職されました。
毎年思うのですが、数ある病院、会社の中から当院を選んでいただきうれしく思います。
みなさんが幸せに働けるような組織でありたい、そしてその手でケアを受ける患者さんやご家族が幸せでありますようにと、そんな風に願っています。
さて、今年に入り対面での会議が増えてきました。
先日東京に出張した際に、泊ったホテルで「全国旅行支援クーポン」をいただきました。2千円分のお買い物クーポンです。初めてのことで素直にうれしい。使用期限は翌日の23:59まで。
クーポンは紙のままお店に出してもいいし、アプリに入れてもいい、そのように書いてありました。アプリをスマホにいれたものの、時間がなくてクーポンのチャージまではできませんでした。
翌日私はお店に立ち寄り、レジでクーポンを紙のまま出したのですが、店員さんから「うちはアプリじゃないと使えないんです」と言われました。
ふ~とため息。
アプリまでは入れたが、チャージはできてない旨を伝えると「ゆっくりやってください、大丈夫ですから」とのこと。幸い後ろに誰も並んでいないので、「じゃあやってみます」と取り掛かりました。しかし焦っているせいか、QRコードが読み込めなかったりエラーが連続して時間ばかりかかります。私はあきらめて現金で支払いました。
店を出てから気持ちがもやもやしました。落ち着いて焦らない状況でやればできるはずなのに、ここで諦めるのはなんだかくやしい。プライド&貧乏性。こんな仕組み、スマホを持ってない人には使えないじゃないか。だいたい紙でもいいって書いてあるのに、アプリしか使えないってどういうこと?心で悪態をつきます(笑)
目的の駅に着いてトイレに立ち寄ると10人くらいの行列。気長に待つ間、先ほどのアプリを再挑戦。ようやくチャージできました。トイレを済ませるとちょうど向かいにお店がありまして、ここで無事に2千円、使いきったのでした。
モヤモヤが晴れて、すっきり。しょうもないプライドです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
ここであきらめるか・立ち向かうかが分かれ目だ!(大げさ)