2019年7月
看護の職人の技
医療者も人の子、自分も時々病気になったりします。
そして自分ごとになると、患者と医療者の両方の視点で自然と観察することになります。
先日他院で人間ドックを受けたドクターの話です。
内視鏡検査を受けた際に背中に手を当てて声をかけてくれたナースの手当てにとても感銘を受けた、という話をしてくれました。
そのナースは、胃カメラを受けるときはこの人の介助でお願いしたいと「指名」が入るほどの、卓越した技を持っています。
私も一度彼女の介助を受けたことがありますが、今カメラの先がどこらへんにあって、このあとどうなるかを教えてくれたり、ゲップが出せず苦しくて仕方ない時には「あとどのくらいで楽になりますよ」と予測を教えてくれました。
検査を受けている時間は永遠のように長く感じられましたが、背中に当たる彼女の掌の温度が皮膚から内部に温かく浸透して、そこだけぽっかりと温かく感じられます。
カメラがその辺にある、ということと温かくて気持ち良い、ということが一緒になって、自然と意識が集中します。
苦しく感じるときはリズミカルにさすってくれて、手の圧力が苦しさを軽くしてくれます。
不安な気持ちにぴったり寄り添うようにして、それにこたえるような手。
実に巧みな技です。
ナミダと鼻水とよだれで情けない姿をさらしながら、この人の言う通り素直に身をゆだねていれば、少しでも楽な方へと誘ってくれる、という気にさせてもらえるのでした。
そして終わった後に「お疲れさまでした。がんばりましたね」なんて言ってもらうと、子供に戻った気持ちでうれしくなるものです。
喉麻酔の時に感じる不安な気持ちから終わってほっとするまでの間、彼女が施してくれるケアの流れ。
こういうことは形にならないし、感じて終わったら忘れていくものだけれど、手を通して「ケアされた」という実感は後になっても体に
残ります。
そういう経験を仕事に戻ったときに患者さんに返していく。
こんな風に背中をさすってもらって楽になったなあという経験を。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
「君は何によって覚えられたいかね?」ードラッカーの言葉ー
北海道胆振東部地震からの学びをつなぐ
2018年胆振東部地震から早いものでもうすぐ1年になろうとしています。
地震後に書いたブログがきっかけで、北海道看護協会札幌第1支部の石井さんに声をかけていただき、先日医療安全交流会で発表してきました。
北海道科学大学准教授の石川幸司先生はDMAT(災害派遣医療チーム)隊員でもあり、EMIS(広域災害医療援助システム)の現場のお話をしてくださり、とても興味深く聞きました。
地震当時札幌市内の病院のEMIS登録は20%しかなかったことにまず驚きました。
当院は早くからEMISに登録していたおかげで、早々に助けていただいたとわかり、改めて感謝の気持ちがわきました。
午後からは札幌麻酔クリニック副院長の金谷潤子先生が「災害体験から学ぶ在宅医療の本質 大切なことはなんだろう?」をお話になりました。
災害時の備えももちろん大事だけれど、限られた資源を省エネで使うのは病院も在宅も同じ。使っている酸素の量をいつも通りいかなきゃいけないと慌てるのではなく、少し減らしてみて状態を観察して、大丈夫そうなら省エネモードで平常に戻るのを待つというのもありじゃないですか、というお話に大きくうなづきました。
ここにはふたつの意味が込められています。
看護師は酸素2㍑と指示されれば2㍑が守られているか、酸素飽和度は足りているか、ということを通常チェックするのですが、酸素飽和度が90%切っていても、案外患者さんによっては苦しいと感じてない、なんてことは実はよく経験するところです。
何が何でも2㍑を死守することに奔走するのではなく、1,5リットルでちょっと様子を見て大丈夫そうなら省エネモードで過ごしてみて、事態の収束を待つというのもありじゃないか、という意味です。
もう一つは人間の体というのは生きる力が備わっているものだから、平常時と同じケアにこだわらずに消耗を小さくしながら生きる力を支えるのが看護者の仕事じゃないの?ということ。
医師の指示を妄信するのではなく、日ごろから「本当にこれは必要か?」と疑ってみることも大事でしょう、という意味も込められています。
いずれにしてもこれは患者さんとの日ごろからの観察と信頼関係があってのことで、けっして酸素の確保を怠って患者さんに我慢を強いるという意味ではないので、読者の皆様は誤解なきようお願いしますね!
そういえば当院でも地震のあと患者さんに、夜間せん妄が増えたり怯えたりするんじゃないかと心配していましたが、実際は逆で、とても落ち着いていて普段より気を張っていらしたというか、そんな印象を受けました。
もしかして生存本能、のようなものでしょうか?
交流会はその後酸素供給会社さんや、道内あちこちの現場で対応した管理者たちの発表がありました。
みずからも被災者でありながら病院で指揮された管理者の方や、在宅で呼吸器をつけたお子さんを看るお母様の支援など、胸にぐっとくる発表を聴かせていただきました。
重厚にして温かい場に参加でき、いろんなヒントをいただいくことができありがたかったです。
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あなたは今どれくらい備えができてますか?
自由に跳ぶノミ
7月10日~11日までグループ病院の看護管理者対象の研修を行いました。
「強みを活かした人材育成」をテーマに、講師に山崎敏史先生をお招きしました。
実はこの研修は企画を含めると1年半越しです。
昨年9/6に北海道胆振東部地震が発生し、中止になったからです。
満を持してのこの研修、たぶん私が一番楽しみにしていたかも知れません。
山崎先生の講義はスライドを使って聴く・見る・考える・話す・共有するを何度も繰り返し行い、ひとつのキーワードが徐々にそしてあらゆる方向からしみこむようにできています。
誰もが知っている有名人の言葉を使ったり、映像を使ったり、泣いて笑って感情も揺さぶられました。
私が特に考えさせられたのはノミの映像です。
普通にしていると高さ30センチくらい跳ぶノミたちが、高さ10センチの瓶に入れられて、蓋をされて3日間閉じ込められてしまいます。3日後に蓋をあけたら、自由に跳べるはずの環境でもノミは10センチしか跳ばなくなってしまいました。
3日間、10センチの蓋に全身をぶつけて痛い思いをしたせいで、それ以上跳ぶことをあきらめてしまったとしかいいようがありません。
これを組織に置き換えると、あれはだめ、これはだめ、ここまでしかいけませんと線を引き、ひとりひとりの職員の自由な発想や行動を抑えていると、その線の中の条件でしか動けない人を作ることになります。
ひとりひとりいろんな強みや関心があって、やりたいこと得意なことはさまざまです。
秩序を管理するのも必要なことですが、求められるリーダーは、環境条件に関わらず仲間の能力と可能性を高め、自分自身も学び、発揮し続ける人じゃないか、ということを感じました。
組織が停滞していると感じたら、あるいは部下に何度同じことを伝えても聞いてくれないとしたら、自分自身の見方や捉え方が原因となっているかも知れない。
それが悪いというのではなく、他にどんな見方ができるかな、理想の状態にするには何を加えたらいいかな、を考えていこうということです。
行動を縛っている固定観念を、無理にではなくほぐしていくことを教わった気がします。
さてそのノミ、どうしたら元のように30センチ跳べるようになるでしょうか?
参加者からいくつか面白い考えが出てきました。
答えを書いてしまうと山崎先生のこれからの研修に差しさわりがあるので、ここではやめておきます(笑)
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大事な道具
昭和の男!という雰囲気を持つTさんは職人気質で頑固な方です。
一旦へそを曲げるとなかなか修正はできません。
「女子供のやるようなことは俺はやらん」と言ってイベントにも参加しませんでした。
お食事が徐々に喉を通らなくなって、食べたいけど食べられないという時に、たまたま七夕の会に車いすで来られたTさん。
「綿あめはいかがですか?」と手渡されて、一瞬きょとんとしましたが、何も言わずに受け取りました。
ぱくり。
ぱくり。
あら!おいしそうに食べてくださる!
「Tさん お味はいかがですか?」と尋ねたら
「懐かしいなあ」と小さな声でつぶやきました。
少し前までのTさんなら
「女子供の食べるもんなんかいらん」と突っ返されたでしょうけれども
ざらめの懐かしい味にふと幼かったころを思い出したのでしょうか。
口の中で溶けてしまうから「これだったら食べられる」と思ったのかな。
今年の七夕会では、この大事な綿あめ製造器が壊れていて、残念ながら綿あめがつくれませんでした。
去年酷使してしまったのが原因かも知れません。
私たちにとっては大事な道具。
新しく買ってもらいましょう。
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かき氷も人気があるんですよ。
あ・ぐり~んプロジェクト~いちご狩り2019~
今年もいちご狩りの日がやってきました。
5月の猛暑の影響か、いちごやジャガイモの成長が早い2019年。
6/26にいちご狩りと決めたものの、その2週間前から赤くなり始めていて、当日までにいちごがなくなっちゃったらどうしよう?と心配していました。
しかし小心者の心配をよそに、毎週毎週たくさんの実をつけてくれて、しかも今年はとても甘いいちごだったようです。
当日は入院中の患者さんが次々に訪れてくれて、みんなで分け合って食べていただきました。こんなにたくさんの患者さんと職員が来てくれたのは初めてかも。
2年前に始めたときは風が強く寒い日でして、降りてきたのは患者さんおひとりだけ。
「誰も行かないと部長がかわいそうだな」と同情してくれた(?)師長さんが連れてきてくれたのでした。
そんな始まりだった「あ・ぐり~んプロジェクト」も今や、朝からどの患者さんを連れ出そうかと看護職員が相談しあっているそうです。
外に連れ出して一緒にたたずむには、まあまあまとまった時間が必要です。
日ごろ分刻みで働いている看護師たちにとっては、プラスアルファの仕事となります。
それでも患者さんに目の前でいちごを食べていただき、おいしい笑顔を見て「ああ、来てよかったな」と思う瞬間を共有できることは、きっと価値ある時間になると思います。
病室に帰り際、大きな声で歌ったり、体操をしたり、介護福祉士たちも「がんばって外に出てきた患者さん」の気持ちを盛り上げてくれました。
ちょうどこの日インターネットサイトの「m3.com」さんが取材にいらしてました。職員と患者さんがわいわいしているのでとても驚いていました。そして「他の病院で同じような取り組みをしようと思ったときに、どうやったらこんな楽しいイベントになりますか?」と質問されたのですが、なかなか一言で答えられませんでした。
いちごを植えてお世話してくれるボランティアさん、施設管理の職員、理解してくれる院長・総長、そそるチラシを作ってくれてる事務職員や、当日連れてきてくれる職員たち、みんなの総力を合わせて成り立っていることなのです。
楽しいイベントの陰で、日々いちごが育つように肥料をやったり、虫やカラスを遠ざけたりする地道な活動があるからこそ、この日が迎えられています。
たぶんこの笑顔の時間をみんなで想像し、創造しているからでしょうね。
そしてお天気も味方になってくれました!
「やってみたい」という病院に言えるとしたら「小さく始めて」「続けること」と「楽しそうにしていると人は集まる」ってことですかね~とお答えしました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
来年もがんばるぞ~(^^)/