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2018年12月

今年のよかったことベスト3

今年もあと1週間ほどになりましたがどんな一年でしたか?
先日朝礼スピーチで話すことを考えるのに手帳を見返していました。
私は今年もたくさんの方に出会い、元気をいただき充実した一年でした。

看護部長として今年を振り返りまして1~3位までつけてみました。

よかったこと3位は、認知症対応ケア「カンフォータブルケア」を導入したこと。
ブログでも何度か紹介しましたが、障がい者病棟の方ではこのケア導入によって患者さんの症状が落ち着き、行動制限や薬の使用が減りました。それだけではなく、もっと患者さんを喜ばせることをしたいと、看護師や介護福祉士たちがイベントを企画実行し、結果的にアクティビティケアが増えました。
認知症ケアはこれからの日本の医療でもっとも基本となるものです。
認知症の方ががんを患った、認知症の方が骨折をした、持病を抱えた人が認知症になった。その方たちの治療を支えるにはベースとなる環境が、穏やかでやさしいこと、そこが一番大事じゃないかと思います。
私はホスピス緩和ケアとともに認知症緩和ケアの優れた病院にしようという気持ちが強まりました。

続いてよかったこと2位は
新築移転事業が本格的にスタートしたことです。
現在の病院は築30年以上経過し、あちこちから雨漏りがしたり、狭くて我慢していることが多々あります。
いよいよ設計が始まり、みんなで楽しく話し合って進んでいるところです。
私自身、病院の新築移転は2度目の経験ですので、以前の経験を生かして、今考えられる最高のものにしたいと思っています。

そしてよかったこと1位は。
少し逆説的な意味ですが9月の北海道胆振東部地震を経験したことです。
わからなかったことがわかり、やろうと思ってやってなかったことがわかり、なおかつ大きな被害にはならずに済んだ。これは教訓として与えてもらったものだと感じました。
あの時は自分の病院を、入院している患者さんを守ることで精いっぱいだったけれども、今度は地域の方をも守れるような、余力のある病院にしなければという使命さえ感じます。
新しい病院にはその思いも盛り込んでいくつもりです。
そしていまだ被災している方たちの生活が、一日も早く整うことを願っています。

さて、おかげさまでたくさんの方たちに支えられて、今年も大過なく終えることができそうです。
本当にありがとうございました。

皆様にとって新年が素晴らしい1年でありますように。
よいお年をお迎えください。

やさしさビタミンブログは新年1月7日から開始します。

病院の「おまあ指数」を考える

ドラッカーの「マネジメント」を学ぶ読書会で、以前こんな話を聴きました。

ウナギ屋さんで会計するときにお客様から
「おいしかったよ」
「また来るね」
「ありがとう」
という言葉をかけていただいたら、それを紙に書いてカウントしていくそうです。
それらの頭文字をとって、「おまあ指数」と呼びます。
おまあ指数がお店の評価であると受け止めるのだそうです。

それらの言葉をいただけるように、店員さんが何をしたらいいかと考え、行動するそうです。

それ、すごくシンプルでいいなあ。
調理する人は一番いい状態で食べてもらおうと努力するし、
ホールの人は心地よい空間を整え、明るい笑顔でお迎えしよう、と思うでしょうし。

「こうしなさい」という上からの指示命令ではなく、
自らどうしたらお客様に喜んでもらえるかを考え行動する。
これこそが目標管理ですね。

何か病院でも応用できそう。
病院は「在院日数」「治療成績」「手術件数」「ベッド稼働率」という数値目標で測られることが多いけれども、
本当に患者さんのためになったのか、満足していただいたのか、についての指標が少なくて(いや、私がわかってないだけかもですが)、年に一度の患者満足度調査だけではあまり効果的ではないと感じています。

「ありがとう」
「ここへきて良かった」
「やさしい病院だね」
などと言っていただけるとうれしいな~~

「あこや指数」⁈

でもせっかくだから、これは師長さんたちと話し合う材料にしよう

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
楽しく行動できるのがいいよね~

心の揺れも含めて患者を支え抜く

第42回日本死の臨床研究会in新潟に行ってまいりました。
2年前に初めて参加したのが札幌、去年は秋田で一般参加。
3回目の今年は少し頑張ってポスター発表で参加してきました。
緩和ケアの師長さんとスタッフも同じくポスター発表で計3演題、クリニックから事例検討会1題と豊作でした。

研究会は2日間、講演会やシンポジウム、事例検討会の他にミュージカルなど多彩です。
どのセッションも興味深いタイトルがついてそそられます。

今回私が聞いたのは「人生の最晩年の生を支える」(桑田美代子さん)と「認知症と共に生きる人たちの人生を支える」(水野裕さん)の教育講演、それから「急性期病院での終末期患者との関わり〜意思決定支援のありかたを考える〜」(生田陽子さん)の事例検討会です。

それぞれ深いお話ばかりですが一つ印象に残ったのは・・

急性期病院で患者さんにバッドニュース(悪い知らせ)を伝える時の医療者側の覚悟について。
たとえば・・の話ですけど。
主治医はこれまでAさんの病気について検査し、一番適切と思われる治療を行ってきました。
しかしその治療には限界が来ており、積極的な治療は難しく、あとは穏やかに過ごせるような方法を考えた方がいいと考えています。
それは今いる病院ではなくて、別な場所(ホスピスや療養病棟や自宅)に移動することを意味しています。

Aさんご本人とご家族に病院に来ていただき、主治医から治療の限界や予後について説明します。
患者さんは驚き、がっかりし、お話を受け止められなかったり、主治医に見放された、と感じるかもしれません。

その時看護師はどんな関わりをしていますか?という問いがたてられました。

ある病院では外来看護師が説明の前日にその患者さんについて「予習」し、医師がどんな風に説明するかをあらかじめ話し合っておくということでした。看護師は説明に同席し、患者さんやご家族がどんな反応をしたのか、説明をどう受け止めたのか、理解した内容にズレはないのか、を観察します。「今日こんな大事なお話をしたからみんなで注意深くかかわってね」と他のスタッフも共有します。
もし医師の説明と理解との間にズレがあるかもと思ったら、気づいた看護師がオープンクエスチョンで確認します。

そして一旦病状を受け入れたとしても、時間が経つとAさんの心は揺れてくる。
「やっぱり先生はああいったけれども、もしかしたら他にも治療があるんじゃないか」
「転院するってあの時は決めたけど、やっぱり家に帰りたい」とか。
患者さんやご家族が「話したい」と思うタイミングをキャッチしてしっかりそこに向き合うことが大事です。

「そういう心の揺れも当然のこととして、看護師が患者を支え抜くんです」

と発言された方がいらして、その言葉がささりました。

病院によっては病状説明にそもそも看護師が入ってなかったり、面談の時間が夜遅くに行われるため同席したくても夜勤を投げ出してまでは入れないということがあります。
だから患者家族がどんな反応だったかもわからない、ということもあるんですよね。
これは急性期病院の構造的な問題と言えるでしょう。

重要な転換を強いられる場面には認定看護師が同席すると、その専門分野からアドバイスや対応を学ぶこともできるかもしれません。当たり前のことですが多職種との関係が日頃からできていると、何も看護師だけではなくチームで注意深く見守って、思いを話したいときにチームの誰かがキャッチして対応する。それがほんとのチーム医療だなと思います。

数年前まで急性期にいた身としては反省、反省です。
「看護師が支えぬく」なんて、とても言えなかった・・。
でもそここそが看護の本質だよなあ、と思います。

「死の臨床研究会」は、毎年こうして今の立ち位置で自己を振り返り、姿勢と心を立て直す、いい研究会です。
あまり知られてませんが、医師看護師ソーシャルワーカーなど他職種が参加しており、一般市民も参加できるんですよ。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
来年は神戸だそうです❣️

音楽の扉が開くとき

この秋公開の映画「ボヘミアン ラプソディー」が大ヒットしている。
映画館は中高年の人でいっぱいで、私の友人も2度3度と見に行く人がいて、とても評判がいい。私も近いうちに見に行こうと思っている。

特別クイーンが好きだったわけではないけれど、その時代に流れていた歌というのは、その時の出来事や周りにいた人との思い出をふとよみがえらせる力がある。

先日障がい者病棟に音楽ボランティアの方が2人来てくれた。
一人はヴァイオリンの橋田さんで、去年から当院でときどき演奏をしてくださっている。
もう一人は松本さんというピアノ奏者である。

お二人は札幌市内の室内管弦楽団で活躍されている方たちで、松本さんは指揮者とのこと。
午後から2Fと3Fの病棟でそれぞれ20分ずつ演奏をしてくださるのである。

病棟では看護師たちが患者さんを車いすやベッドでデイルームに連れ出して準備万端である。
患者さんの合間に座り、様子を見守りながら一緒に演奏を聴いている。
共に過ごす、寄り添って聴く。
職員がこれも仕事のうちと心得ているのが大事なのである。
私はこういう場面を後ろから見ていると幸せを感じる。

最初の曲、それは1960~70年代の映画のテーマ曲で、誰でも聞いたことがある曲だった。
曲が始まってすぐ、ある患者さんの目から涙がぽとりと落ちた。
何か琴線にふれたのだろうと思う。
介護福祉士がティッシュをさっと引きだして、優しい顔で涙を拭いていた。

患者さんの平均年齢は70代後半とすると、1970年代は20代~30代の頃だ。
戦後の物のない時代を乗り越えて、高度成長期に過ごし、仕事や恋愛、それからテレビや映画が面白かった時代だ。

そのあともTVのCMで聴いた曲がストレートに耳に届き、短い時間だったけれども充実した演奏会だった。
手拍子を打ち、それに演奏者がノッテくれて、会場が一体になった感じがした。
アンコールに応えて、クリスマスソングをジャズバラードで弾いてくれた時には、自分が病院にいることも忘れるくらいだった。


ありがたいことに当院では音楽ボランティアの方が何人も来てくださり、唱歌・軍歌・演歌・歌謡曲・クラシックにジャズと幅広く演奏してくださっている。
誰の心に何が届くかは演奏してみないとわからないし、自分が特別好きだと思ってなくても、時代の空気がふわりとよみがえって急に記憶の扉が開くこともある。
それが音楽のチカラだなと思う。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
開いた扉から、若かりしころのことをゆっくり聞いてみたいね。