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2017年10月

畑と看護と人生と

昨年(2016年)1月にここに着任してから、もうすぐ2年が経とうとしています。早いものです。
ここへきて自分がしたことの一つが花壇と畑です。したことと言っても、ホンの一部分ですけど。

自宅で家庭菜園をしている師匠と、園芸療法士として活躍している方が、ボランティアとして全体の計画や準備をしてくださり、職員と私が日常の水やりなどを行う。時々患者さんに関わってもらって種を植えたり受粉を手伝ってもらったりする。実を収穫し、栄養課で調理してもらって、職員も患者さんもいただく。そこにはうれしい楽しいのコミュニケーションがあります。
2年でこのサイクルができて、一番楽しませてもらったのは実は私なんじゃないかと思います。

先日園芸療法士の土角さんの「花と緑で人を支える園芸療法」と題した講義を聞いて、自分なりに感じたことを書きたいと思います。

「園芸療法」とは植物や植物のある環境、植物を育てる活動を日々の暮らしに取り入れ、心身機能の改善・社会参加・認知症予防・介護予防などに活用する方法です。その効果は気分転換やリラクゼーション、集中力の改善、季節や時間の感覚を取り戻すこと、基本的欲求の充足、達成感、満足感、コミュニケーション能力の向上など多岐に渡ります。
患者さんとご家族から、感謝の言葉をいくつもいただいたのも、活動を続ける大きな励みになりました。

水やりのために外へ出て、花を観察する。ほんの10分位の時間ですが、ただそれだけでずいぶん気分転換になりました。
心が穏やかになり、花を愛でて実を収穫するということがずいぶんと心の栄養になった気がします。
日々の様子を観察し「病気かな?」「水が足りないかな?」「日差しが強すぎるかな?」とアセスメントして行動するのは看護ケアにも似ています。看護は観察に始まり観察に終わるというけれども、日々見ている中で「あれ?」と気づくことが大事です。

芽が出て花が咲いて、やがて朽ちていく姿を見ることは、人の一生にもつながります。
咲き終えて落ちた花殻を拾いながら、人間もいきいきと活動できる時間は限られており、今を大事に生きて身体の声を聴き、変化への備えをして行こうと思いました。
こんな風に、植物と関わることは生きることそのものへの深い思索とつながっていました。
もっと若いときからそのことに気づいていたら、生き方は変わっていたかも知れません。
     

土角さんの講義を聞いて来年の活動に追加したいことができました。
ひとつは、土づくりのところから患者さんに関わってもらおうということ。
それから夏野菜の収穫は主に私がやっていたのだけど、この満足感を患者さんに味わってもらおうということ。
そして新病院に移転したら・・あんな花壇、こんな畑・・と妄想は広がるばかりです。

畑が仕事の一部なんて看護部長は、おそらく日本中探してもそういないのではないかと思います。
それを許してくれている、理事長・院長に感謝してます。
     

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
やったことがないことでも、いい導きがあると興味が持てるね。

 

働かないアリにも意義がある

先日の看護学会で「働くアリと働かないアリの”ありよう”からみる個性と組織の存続」というテーマの講演を聞きました。
講師は北海道大学大学院農学研究院生物生態体系准教授の長谷川英祐先生でした。

なんで看護学会でアリの話??と思いながら聞いてみると・・
アリにも働くアリと働かないアリがいて、働くアリだけを集めてコロニー(巣)を作ると働かないアリが出てくるし、働かないアリだけを集めても働くアリが出てくるというお話でした。全員働けば仕事の効率がよくなってみんなで楽に暮らせるんじゃないかと思うのですが、全員で100%働けばいっぺんに疲れてしまう。誰かが疲れて停滞するときに、普段働かないアリが働くことで、組織が維持存続できるのだというのです。それは(こうなったとき働く、という)個別の「反応閾値」によって決まるそうです。

病院組織もそうかもしれません。
私が仕事をしてきたどの組織でも、常に隅々にアンテナを張って、きっちり仕事をする人と、一見休んでる(遊んでる)ようにみられる人とがいます。一日中走り回って仕事しているときに、のんきに宅配ピザの話をしている人がいると、私は「なんであの人はもっと働かないんだろう?」と腹を立てていました。

しかし、昨年自分が当院へ来てからは、私自身が「働かない人」になっているように思います。なぜかってここのルールや人間関係などが見えない間、ひと渡り見回したときの印象は、自立した看護集団だなと思ったからです。そうすると「私がやらねば」みたいな気持ちは霧散霧消して、内部環境をもっとよくするために、さて、次は何をしようかなと思える。あるいは外に向かって何かをしようと思える。
けれども、何か内部にピンチが起きたらば、いつでもなんでもするよ、という気持はある。できるかどうかは別としてね(笑)

これが働かないアリの気持ちにちょっと近いかも知れません。
だから、働かないアリがいるってことは少し余力があるっていうことじゃないかと思うのです。

転職してきた人もコロニーの違いを感じるだろうと思います。それまでのコロニーでは100%働いてきたけれども、別な場所へ行くとルールや人を覚えるまでは一時的に自分の能力は十分発揮できない状況になります。日々コロニーの状況を観察しながら、自分の働き方を探り、求められているのは何かを考える期間が必要です。何が得意なのかを理解され、適切な役割や目標を見つけたり与えられたりして、自分らしさを100%発揮できたら、「働かされてる」というのではなく、幸せに働く、ということになるのでしょうね。

この話をある人にしたところ、みんなが100%働いて「働かない奴はだめだ」みたいに目を光らせているよりは、「いざと言うときは頼むよ」というくらいのアソビがあった方が、きっと組織は長持ちするのだと思う、という風に言われました。

つまり私もあなたも認め合う組織になるってことが大事なんですね。
参考まで⇒https://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000001082_all.html

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
日々是感謝。

なぜ間もなくお迎えが来る人に時間とエネルギーを注ぐのですか?

ぐさりと刺されるような問いですが、これは先日行われた「日本死の臨床研究会」のシンポジウムのテーマでした。
もともとはあるジャーナリストがマザー・テレサに向けて発した質問だったそうです。

この問いには正解はなく、考えるプロセスが大事。これから医療の道に進む学生さんに、緩和ケアについて説明する気持ちで、皆さんも考えてくださいと司会の小澤竹俊先生(めぐみ在宅クリニック)が言われました。

私は長いこと急性期医療の場にいたので、救急車で運ばれてくる患者さんの治療や処置が優先されることが当たり前、スピードと効率、もれなくなされるべきことができていることが成果だと捉えられていました。そして治療ができない状態というのは医療における敗北というようなニュアンスが、なんとなくですがありました。
自分がスタッフだったときも、患者さんの最期の時にじっくり関わりたいという気持もありましたが、頭の中は次にすることで一杯であって、常に時間に追われっぱなしで、心からその場に向き合えずにいました。
中堅の看護師が退職する時、「もっとじっくり患者さんに関わりたい」という風に言われる背景には、こういう困難感も含まれていたのだと思います。

ですから、私は昨年この病院に来て緩和ケアの実際をこの目で見た時に、これは「じっくり関わりたい」看護師たちが、心からやりたいと思っている仕事ではないか?と思いました。
患者さんの傍らに座り、辛い場所に手を当てる。
五感を働かせて患者さんを知ろうとし、その方が望み、喜んでくれるような援助をする、ということを。
本来それが当たり前のケア、なんですけどね。

シンポジストの市橋亮一先生(総合在宅クリニック)は、現代医療の背景を「トリアージ主義・延命主義」と述べ、「生産性」や「治る人は治す」ということが重視される中では、残り時間の少ない、治らない病気の人に対して「やることがない」という風に考えられてしまっているのだろうと述べられました。

しかし人生で体験する苦痛がその時期に集約され、そこを支える資源が少なく、限られた時間だからこそ、幸せと思える人生を生き切ることを支える私たちの仕事は、無限にあるのだとおっしゃり、私は大きくうなづいたのです。

全ての人が100%死を体験します。
がんであっても、がんでなくても。
最期を選ぶことは叶わないけれども必ず死が訪れる。
自分の想いを伝えられて、少なからず死や死後の準備ができると考えれば、がんで逝きたいと私は思う。

人生の最終段階は人と人の暖かいつながりの中で、愛と感謝に満ちて、「いい人生だった」と感じてもらえるひと時にしたいと思います。
そういう時間を支えるのが私たちの仕事だし、ひとりとして同じ人生はないし、だからこそこの仕事は魅力的なんだろうとも思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
安心してゆだねられる、あたたかいHOMEでありたい。

[ 病院前は落ち葉のじゅうたん ]

日本死の臨床研究会in秋田に行ってきました

このところインプットするものが多くて、速やかにアウトプットしないとどんどん忘れていく工藤(^^ゞです。

10月7~8日、秋田で行われた「第41回日本死の臨床研究会」に行ってまいりました。
昨年は当院が事務局をした会なので、今年は参加者としてたっぷり浸かってこようと思っていました。
秋田空港から市内に向かうバスの運転手さんが、「今日はね2500人のお客さんが来るんですよ。すごいんですよ」ととてもうれしそうに話していたのが印象的。

この人たちは発表者。頑張ったね!

 

会場は3つの建物、7つの会場に分かれるので、どの会合に向かうかはあらかじめ考えてから行きました。
初日は「マギーズ東京」の秋山正子先生の出るシンポジウムに向かったところ、エレベータに秋山先生が乗り込んでいらしてなんと二人っきりに!光栄です!とお声をかけて、次の階でそのお背中を見送りました。I’m happy!

真ん中の人も発表者。おつかれさま~

 

午後からは秋田市内の病院で、ボランティア・コーディネーターを20年も続けておられる方の講演を聞きました。
御年70代後半かと思いますが、常勤として毎日出勤されて、連日80名の活動を運営されているそうです。すご~い!

痛みや症状緩和、ADLとセルフケアの改善までは医療者の関わりが重要だけれども、そのあとの日常そのものの改善や、社会生活の取り入れはボランティアとご家族の役割が大事だと説明されました。これはマズローのニーズ論にも似て、なるほどと思いました。ホスピスで行われる行事やアクティビティは非常に数が多く、「何がその方の希望かわからないので、多岐にわたって準備している」そうです。
座右の銘は「人生とは他者の生に貢献することの中に本質を持つ(アドラー)」とおっしゃり「地位や名誉やお金ではなく、相手に求められていることを一心に行うことで、真に自分を育み他者に貢献することになるんだ」という言葉に、膝を打つ心持ちになりました。

ババヘラアイスと言います。

 

20年もの間、ボランティア・コーディネーターを続けていられるのは、「活動が楽しく、生きがいを感じる」からであり、努力の成果を相手に求めるのではなく、自分を育むためだとおっしゃいます。
その言葉は以前当院でフルート演奏のボランティアをされているKさんが、
「ボランティアを7年続けて思うのは、ボランティアは他者からの賞賛をじぶんのご褒美にしてはだめなのよ。他者からの賞賛をヨロコビにしていたら、賞賛がないと続かないの。形の見えないご褒美を自分でみつけられることが必要なの。自分にしか見つけられないご褒美がここにはあるんだよね。だから7年も続いている。」とおっしゃった言葉とぴったり符合して、ますます膝を叩きたくなったのです。

その夜の懇親会で、もちろん講師の方にご挨拶させていただきました。
そして当院のお話をさせていただいて、ずいぶん勇気づけていただきました。
よおし、まだまだやることあるぞ~と思った夜でした。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
発信は素早く。心がアツいうちに。

学ぶ楽しさを!看護管理研修

先日、道内グループ病院の師長を対象に、管理研修が行われました。
今年はこういう研修の企画者側にいます。
忙しい中、現場を部下に託して勉強に来るわけですから、最高に魅力的な研修を企画しなきゃね、と腕まくりして準備したのです。
私はイベントとか研修とかを考えるのが結構好きでして、参加者にどうやって楽しんでもらおうかなあとか、この講義がしみ込むにはどうしたらいいかなあとか、参加者がいかに体感できる研修にするかという視点で、いつも作ろうとしています。
院内研修は人材育成の場であり、顧客へのサービスでもありますから。

7月の研修は副主任を、9月は師長、11月は主任を対象にしています。
年度初めに北海道ブロック長と念入りに打ち合わせし、研修の目的・目標をしっかり作りました。
構造が明確だと、何をすべきかわかりやすいですね。
そしてその意図を伝えて、応えてくださった素晴らしい講師の皆様・・濃い内容の講義に感謝しかありません。

自分の企画構想以上に講義内容が充実して、受講生が食い入るように聞き入っているのを見ると、後ろでついニマニマしてしまいます。
ついでに、先生方の講義の技術というか、人を引き付ける手法や技術をちょっとでも盗もうと思ったりして・・。

学習する人たちのレディネス(準備段階)は様々ですが、共通するのは組織の理念や使命を理解して、現場でひとりひとりが良いケアを実践することに尽きます。
そのために知っていてほしい知識は何か、身につけてほしいことは何か、プラス学ぶ楽しさや交流することで得られるものを体感してもらいたい。
そして「よし、元気もらった!明日からも頑張る」って思って帰ってもらいたい。
できれば「お、なんかちょっと変わったね。最近いい感じだね」と周りが気付くようになるといいなと思います。
だから事後レポートは「明日から私は何をする?」というのがテーマになっています。

それぞれの上役の方にはぜひともそこのところをしっかり読んでいただいて、それをテーマに対話をしてもらいたいなあと思います。
受講生が学びから何を実践しようと決心したのか、実際やってみてどうだったのか、が話に上って初めて研修が完成するのだと思います。

アンケートには
「管理者として行うべきことが、行動レベルで認識できた。業務に行き詰っている中で、とてもよいリフレッシュになった」
「グループ間の顔の見える交流はとても大切だと思いました」
「とても身にしみた意見や講義、もう少し早く参加する機会がいただけたら、目標管理や労務管理を深く考え実践できたのではと感じています」
などと書かれており、企画者冥利に尽きたのでした。

今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
えーと、自画自賛てやつです。図々しいですね。