心の揺れも含めて患者を支え抜く
第42回日本死の臨床研究会in新潟に行ってまいりました。
2年前に初めて参加したのが札幌、去年は秋田で一般参加。
3回目の今年は少し頑張ってポスター発表で参加してきました。
緩和ケアの師長さんとスタッフも同じくポスター発表で計3演題、クリニックから事例検討会1題と豊作でした。
研究会は2日間、講演会やシンポジウム、事例検討会の他にミュージカルなど多彩です。
どのセッションも興味深いタイトルがついてそそられます。
今回私が聞いたのは「人生の最晩年の生を支える」(桑田美代子さん)と「認知症と共に生きる人たちの人生を支える」(水野裕さん)の教育講演、それから「急性期病院での終末期患者との関わり〜意思決定支援のありかたを考える〜」(生田陽子さん)の事例検討会です。
それぞれ深いお話ばかりですが一つ印象に残ったのは・・
急性期病院で患者さんにバッドニュース(悪い知らせ)を伝える時の医療者側の覚悟について。
たとえば・・の話ですけど。
主治医はこれまでAさんの病気について検査し、一番適切と思われる治療を行ってきました。
しかしその治療には限界が来ており、積極的な治療は難しく、あとは穏やかに過ごせるような方法を考えた方がいいと考えています。
それは今いる病院ではなくて、別な場所(ホスピスや療養病棟や自宅)に移動することを意味しています。
Aさんご本人とご家族に病院に来ていただき、主治医から治療の限界や予後について説明します。
患者さんは驚き、がっかりし、お話を受け止められなかったり、主治医に見放された、と感じるかもしれません。
その時看護師はどんな関わりをしていますか?という問いがたてられました。
ある病院では外来看護師が説明の前日にその患者さんについて「予習」し、医師がどんな風に説明するかをあらかじめ話し合っておくということでした。看護師は説明に同席し、患者さんやご家族がどんな反応をしたのか、説明をどう受け止めたのか、理解した内容にズレはないのか、を観察します。「今日こんな大事なお話をしたからみんなで注意深くかかわってね」と他のスタッフも共有します。
もし医師の説明と理解との間にズレがあるかもと思ったら、気づいた看護師がオープンクエスチョンで確認します。
そして一旦病状を受け入れたとしても、時間が経つとAさんの心は揺れてくる。
「やっぱり先生はああいったけれども、もしかしたら他にも治療があるんじゃないか」
「転院するってあの時は決めたけど、やっぱり家に帰りたい」とか。
患者さんやご家族が「話したい」と思うタイミングをキャッチしてしっかりそこに向き合うことが大事です。
「そういう心の揺れも当然のこととして、看護師が患者を支え抜くんです」
と発言された方がいらして、その言葉がささりました。
病院によっては病状説明にそもそも看護師が入ってなかったり、面談の時間が夜遅くに行われるため同席したくても夜勤を投げ出してまでは入れないということがあります。
だから患者家族がどんな反応だったかもわからない、ということもあるんですよね。
これは急性期病院の構造的な問題と言えるでしょう。
重要な転換を強いられる場面には認定看護師が同席すると、その専門分野からアドバイスや対応を学ぶこともできるかもしれません。当たり前のことですが多職種との関係が日頃からできていると、何も看護師だけではなくチームで注意深く見守って、思いを話したいときにチームの誰かがキャッチして対応する。それがほんとのチーム医療だなと思います。
数年前まで急性期にいた身としては反省、反省です。
「看護師が支えぬく」なんて、とても言えなかった・・。
でもそここそが看護の本質だよなあ、と思います。
「死の臨床研究会」は、毎年こうして今の立ち位置で自己を振り返り、姿勢と心を立て直す、いい研究会です。
あまり知られてませんが、医師看護師ソーシャルワーカーなど他職種が参加しており、一般市民も参加できるんですよ。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます????
来年は神戸だそうです❣️