医療者と患者・家族をつなぐ人
連休の3日間、私は東京でNPO法人架け橋の医療対話推進者の研修に参加してきました。
架け橋理事長の豊田さんとは前職の時に一度、札幌でこの研修を開催したときにお会いしていましたが、研修受講は初めてのことでした。
豊田さんをはじめ、このNPOの活動を運営している方々の中には医療事故で大切なご家族を亡くされた人、医療事故を起こしてしまった当事者の方がいらっしゃって、「もう二度とこのような不幸な事故があってはならない」という切実な思いから、医療対話推進者を養成する講座を続けていらっしゃいます。
事故の詳細を語る講義を聴いていると、ほんの少しのかけ違いがきっかけで自分にも起こりうるかもしれない、という気持ちで胸がざわざわしました。
医療事故で5歳の息子さんを亡くされた豊田さんは、なぜこうなったのか、怒りと悲しみと自己嫌悪の渦の中にいました。そしてそういう人だからこそ医療者と患者・家族との間をつなぐ人になってほしいという当時の院長の勧めがあって、医療対話推進者の先駆けとなり、今に続いています。
そこに至るまでの様々な葛藤は想像することもできません。
豊田さんは長い年月をかけて「医療者も苦しんでいる」と理解し医療者と患者・家族双方に寄り添う活動をされています。
講義の中で印象に残ったのは、インフォームド・コンセントはよく「説明と同意」と訳されることが多く、一般的には病気についての説明・治療法・副作用・今後の予測などを医師が説明して患者が理解して治療計画書にサインしてもらう、という風に理解されています。しかしそれでは説明した=理解してなくても同意せざるをえなかったというシチュエーションも含まれるのです。
治療のメリット・デメリット、自院で行っている治療の最善はこれで、ほかの治療ならこんな方法がある、私があなただったらこの方法がいいと思う、どれにしますか?と尋ねて、患者が自らの価値観に基づいて遠慮なく質問し、治療を選択する。
こうして医療者と患者が「情報と決断の共有」をすることがインフォームド・コンセントであり、そうして決断したことを両者で小川を渡る感覚で進むのだ、と聞いてその言葉が腑に落ちました。
がんにたとえれば、がんと診断されて手術か・放射線か・抗がん剤かという治療方法についての選択肢が十分に説明されて、その中から今最善と思われる方向を患者さんが納得して選択し、よし、じゃあ一緒に頑張りましょう、と手をつないで一緒に小川を渡り前進する。
それからも行く道には様々な不具合が生じるけれども、そのたびに話し合って、また小川を一緒に渡る、そんなイメージが浮かびました。
翻って現場に置き換えると、特に急性期の大きな病院ほどその対話に時間をかけられずにいます。患者さんが疑問に感じても遠慮して言い出せなかったりするうちに、治療スケジュールの中に組み込まれて心が追い付かないまま進んでしまう。
看護師やほかの職種がそのとまどいをキャッチして「ちょっと待った!」「今困っていらっしゃいますか?」と言えるようでありたいし、その意見が尊重されるような職場風土であってほしいと思います。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
誰もが聴ける人に。
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