北海道胆振東部地震 その3
9月8日(土)地震発生から3日目。
朝7時。院内にいつも通りの光が戻っていた。
昨日までのことがまるで夢だったかのようだ。
すでに電子カルテのサーバーは起動し、いつでも開始できるように準備されていた。
昨日最大の問題だった透析も無事できるようになって、ずいぶんみんなの表情が明るく見えた。
たださすがに2日目ともなると、入院中の患者さんは少し不安定になってきている様子だという。
そして一晩を緊張して乗り越えた看護師たちには、相当なプレッシャーだっただろうと思う。
熊本地震の時には最初の地震よりも2日後に大きな地震が来て、あとからのものが本震だった。
それで北海道にもこれから大きな本震がくるという情報が、まことしやかにSNS上で拡散しているそうだ。
こういう情報におびえ、傷つく人がいる。
私のスマホは圏外になることが多く、電池も減るのでSNSはほとんど見ていなかったから、そんな話が飛び交っているとは知らなかった。
「夜勤に出る前に、もし今日大きな余震があって、病院が倒壊したら、私はここで最期を迎えるんだなと思ったんです。そんなことは絶対口に出しては言えないけど、家を出る前に子供をぎゅっとハグしてきました。だから夜が明けてほんとにうれしい。」
という看護師の言葉を聞き、目が熱くなった。
そういわれると私も、昨日の朝体調の悪い家人を残して気になりながら出勤したのだった。
自分と仕事を優先させて家族を置いてきた、という気持ちがやっぱり心の隅にある。
でもこういう仕事はいっぱいある。
適当な言葉が見つからず、ご苦労さんとしか言えない。
8:00 ミーティング。
事務長が昨夜からの経緯を説明し、無事ライフラインが復旧したことをみんなで喜んだ。
院長・副院長・私からも職員へのコメントを一言ずつ。
電子カルテは各部署で立ち上げてよい。レントゲン・検査・透析は正常化した。
今日から外来・入院診療はすべて平常通りとした。
引き続き師長たちとSEで、停電中に入退院した患者の登録、カルテの記入についてミーティングを行った。
この教訓を冷めないうちに記録して、自分たちの災害マニュアルを早急に作りましょうと話し合った。
いまさらながら地震発生直後、各自がどのように病院まで到着したのかを聞きあい、誰が最初に病院に到着したかで盛り上がった。
結果から言えばたった2日間の停電だった。
けれども渦中にいる間は情報が途絶し、いったいいつまでこの状態が続くのかまったく予測ができなかった。
そして不十分だった備えに対する教訓はたくさんある。
多数の外傷患者が発生していたら。冬だったら。猛暑の時期だったら。もっと停電や断水が長引いたら。
院内の患者とスタッフとだけではなく地域を守れるか。
現場のスタッフからも意見を吸い上げようと思う。
よかったなと思うのは、
副院長のEMIS登録、病院祭用の食材・飲み物があり、職員のまかないや配給にできたこと、関連病院が早く通電し、透析室を借りられたこと、冬じゃなかったこと、夜明けが近かったこと、計画停電のあとだったこと、新築移転の設計前だったこと、なにより職員に大きな被害がでなかったこと、建物が倒壊・損傷しなかったことがあげられる。
当院は普段からなんでも話し合う風土なので、お互いを思いやりひとりひとりが自分にできることを精一杯した。
緊迫した時にありがちな、強い口調で怒鳴ったりするようなことは皆無だった。
SE・資材など一人部署で重要なポジションの人にはどうしても仕事が集中する。そこはサポートが必要だった。
医事課の男性陣は力仕事~運転~電話かけまであらゆる仕事を柔軟に対応してくれた。
ケアマネージャーたちの配膳は明るく熟練して、こんな事態の中でもほほえましい光景だった。
ご家族の協力のおかげで、仕事に出られた看護師が多数。
それから自分の家も被災しているのに休みに仕事に来てくれた人たちが多数。
手前味噌だけれど、こういう人達に支えられて、今回の危機を乗り切ることができ、改めて素晴らしいチームワークだと感謝している。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
外からもたくさんのご支援と励ましをありがとうございました。
まだ余震があるかもしれないので油断は禁物ですが、どなた様にも一日も早く生活が平常に戻りますようにお祈りしています。(終)