札幌南徳洲会病院 看護部

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札幌南徳洲会病院看護部長 工藤昭子の やさしさビタミンブログ

明日への力になれば

私どもの病院では年に一度、慰霊祭「こもれびの会」というのを開いています。
当院で亡くなられた患者さんのご遺族に連絡を取り、お越しくださった方々と秋の土曜の午後、献花をして共に故人を偲び、思い出を語り合う時間です。

悲しみの深さは人によってさまざまで、受け入れるまでの段階を行きつ戻りつしながら、日にちという時間がかかります。
人によってはすぐに仕事に戻らなくてはならなくて、しっかりと悲しみを感じる暇さえない方もおられます。逆にふとした瞬間に故人を思い出して涙し、日常を取り戻すことが難しい方もいらっしゃいます。

大切な方を失った病院には、なかなか足が向かない方もいらっしゃると思います。
絶対行かなければならないものではないので、気持ちが向かなければそれはそれでよいのです。

会の当日、悲しみに沈んで家に閉じこもりがちだった方が、病院からの連絡を機に少し勇気をもって来てくださり、職員と再会を抱き合って喜ぶ姿がありました。
仕事帰りに毎日面会に来られていたご家族さん、亡くなるまでの数日間ずっとそばで付き添っていらしたご家族さん、旅立つときにそばにいられなかったご家族さん、それぞれの思いがありました。
あれからどうしていましたか?
体調崩していませんか?
(亡くなられた)お父さん、こんなこと言ってみんなを笑わせてましたよね。
なんて話を泣き笑いしながら語り合い、まるで同窓会のようでした。

人生のある時間を共有し、時に病気と闘い、涙し、支えあった時間。
少々図々しいかもしれませんが、私たちはご家族とチームだったと感じております。
私たちも皆さんの言葉に癒され、力をいただきました。
明日からの日々が、ちょっとでも過ごしやすくなっていただければ幸いです。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
皆様に心の安寧が訪れますように。

 

将来どんな職業に就きたいですか?

「拝啓 赤とんぼの群れが飛ぶ季節となりました。
先日は私たちの職業体験学習にご協力いただきありがとうございました。
今回の体験で私は多くのことを学ばせていただきました。
中でも印象に残っていることは「職についてから何になるのかが大切」というお話です。
そのお話を聞いたとき、私はその通りだと思いました。
きっかけは何だってよくて、なってからどんな働きをするか。それが社会人として生きていく上での大切なことだと実感しました。
院内見学や体験学習などとても貴重な体験をさせていただき、心から感謝しています。訪問が終わってからも私たちは興奮が冷めず、職業体験についての話をたくさんしていました。
本当に楽しかったです。」

楽しく終わってよかった。これは先日当院で行われた、職業体験学習にきた中学生のお礼のお手紙です。丁寧な字で心を込めて書いてくれたのがよく伝わります。
「職についてから何になるのかが大切」という言葉は深い言葉です。

「14歳のハローワーク」という本が一時ヒットしましたが、頭のやわらかいときに、さまざまな仕事を知るというのは良い機会だと思います。
育った環境や自分を取り巻く大人がどんな職業かは子供に影響しますし、身近にいない職業は想像しにくいものです。

先日一級建築士の方とお話したときに、私はふと建築士になるためにどんな勉強をするのか、ネットで調べてみました。学校を出たあとで数年実務経験を積まないと受験資格が得られないそうで、医療職とは違うのですね。(というか、医療職もそうした方がいいかも知れません)
建て主とチームで話し合いながら、何もないところから一つの建物を完成させていく、その過程には対話が欠かせないとお聞きしました。
希望を聞き、精一杯希望に合わせるけれども、時には折り合いをつけなければならないこともある。その時には信頼関係が重要である。最後に納得のいく建物が完成して、ひとつの作品となっていく。できた作品について、目を輝かせて話す建築士の方を見ていて、子供のころ私の周りには建築士の方はいなくて職業選択の候補にもならなかったし、頭の出来が違いすぎてなりたくてもなれなかっただろうけれど、モノを作る仕事もいいなあと思ったのでした。

仕事を熱く語る副主任たちのおかげで、中学生が興奮して冷めないほどの、よい体験につながって、私もうれしいです。この中から数年後「あの時の職業体験が楽しくて、看護師になりました」っていう人がいたら本望です。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
生まれ変わったら何になりたい?

 

楽しく続けて、ユル〜く続ける。

「部長、今日はこれから不定期開催のお茶会をやります」と電話がかかってきました。
今年になってから、障がい者病棟でもいろいろ、イベントをやっています。

「何曜日って決めちゃうと義務的になるし、急な出来事でできなくなるとがっかりさせてしまうから、今日は落ち着いてるし、いいな!っていうときに突然やることにしたんです」と師長さん。

いいな、そういう考え方。
日にちを決めて準備をするやり方もオッケーだし、こういうユルさもオッケー。
本質は人を喜ばせることにあるから。

以前は「突然縁日」をやっていました。
わたあめとかき氷だけの。

今回のお茶会はミルクコーヒーとカルピス。
コーヒーはちゃんとカップとソーサーで出されます。
おやつは小魚と豆のお菓子。

介護福祉士のSさんが前に立ち、絵本を取り出して読み語りを始めました。
へええ、こんなことする人だとは知らなかったな。
新しい才能発見!
看護師たちも患者さんの傍らに座り、話しかけて、笑って、い~い感じです。

もうひとつの病棟では先日モーツアルトのCDをかけながら、優雅なお茶会をしていました。
嚥下体操っていうのをしてた日もあったな。

企画する人は楽しそう。
人を喜ばせようって気持ちがあると、その仕事は楽しい。笑顔の連鎖。

写真をお見せしたいけど、ブログではちょっとね。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
何か、まだまだいっぱい、いろいろできそうな予感。

プランターのイチゴの花が咲いてたよ。

緩和ケアに集う人は穏やかでやさしい人が多い?


10月20日(土)第2回徳洲会グループ緩和ケアセミナーが開催されました。
全国のグループ病院から80名以上の緩和ケアに関わる医師・看護師・社会福祉士・理学療法士らの専門職が集いました。
緩和ケア病棟を持つ病院は少しずつ増えてきていますが、「緩和ケアチーム」で活動しているところも多く、急性期病院の中での緩和ケアの確立にご苦労されているところが共通していました。
四十防院長の基調講演のあと、当院でお世話になっている臨床宗教師・米本智昭さんと、当院を卒業して今帯広で初の緩和ケア病棟を立ち上げた、今井貴史先生の特別講演が行われました。

昼食後は6病院から取り組みの発表があったあと、事例に基づいた多職種連携のワークショップがあり、今日初めて会った人たちとは思えない和やかで患者さんファーストの意見交換がありました。

緩和ケアに集う人たちは、医療者の中でもとりわけ穏やかでやさしい人が集うのでしょうか?

私は2年前にこの病院に来た時に、数日間緩和ケア病棟を観察しスタッフについて回りました。患者さんが何を求めているか、に常に焦点をあてて多職種で話し合い行動する。この積み重ねが自然に行われていました。何気ない、よもやま話の中にも患者さんの周辺の情報交換があり、その人の人生や価値観を尊重しようとする姿勢がみんなに浸透していることに、正直驚いたものです。
看護師たちは、本当はこういう仕事をしたかったのではないのか?という気持ちになりました。
病名にかかわらず、患者さんのニーズに応じたケアを提供し、消耗を最小限に、回復を助ける、そのシンプルさが今とても複雑化しています。
抱えきれないほどの責務とルーティンワーク(それすらも本当に必要か確かめられてないものもある)に忙殺されて、今目の前にいる患者さんがどんな表情をしているかを見失っているとしたら、それは看護の本質からずいぶん離れていることになります。
患者さんの出来事のあちこちにアンテナを張って、今よりもよく生きられることに力を発揮するはずの看護師が、制度の漏れを防ぐことにアンテナを張ったり、組織の同調圧力などに負けて「よいケア」よりも「効率性」を優先せざるをえないというのは、自戒をこめて管理者の責任が大きいと思っています。

当院に転院してこられた患者さんが、前医を退院してくるとき、詰め所で「お世話になりました」とあいさつをしたのに詰め所内にいた看護師が誰一人顔も上げずパソコンに向かっていた、患者さんはそれ以上何も言わずに荷物を持って出てきました、という話を聞いたときに、私は憤りを通り越して情けなく悲しくなりました。
そんなことはあってはならないことです。

懇親会の最後に東大阪病院の院長が「ここに集っている人の中から、きっと次世代の院長・看護部長が出てくるでしょう。孤軍奮闘している人も多いが、ここに来れば仲間がいて、お互いケアを受けることができる。がんの人も心不全の人も老衰の人も、必要な人がみんな、緩和ケアを受けられるように頑張りましょう。」とおっしゃられて、こぶしに力がはいりました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
前野総長もたいへんだったんだろうなあと歴史を感じます。

緩和ケアって何をするところですか?

「緩和ケアって何をするところですか?」という質問をいただきました。
最近、直球勝負の質問が多くタジタジが続きますね(^^)/

ひとことで言うと、治癒が困難ながんを患った患者さんに対して、苦痛とつらい症状をできる限り和らげて、その方らしく最後まで有意義に過ごすことができるように支える医療ケアのことを緩和ケアといいます。
患者さんを支えるご家族も困難に直面していますから、大切な人と大事な時間を過ごせるように、サポートしていきます。

人はがんと診断されるとまずがんを取り除いたり(手術)、小さくしたり(放射線や抗がん剤)という治療に向かっていきます。
がんの場所や程度、転移した部位により、治療も変化していきます。いわゆる末期がんでも治療がないわけではありませんが、戦って勝ち抜くことが難しくなるときがあります。

「これ以上治療するのは困難なので、あとは緩和ケアに行ってください」と前の主治医に言われ、絶望的になってこられる患者さんもいらっしゃいます。
もっと早い段階で緩和ケアを伝え、相談や見学をお勧めする過程があると、患者さんを傷つけることもないだろうになあと思いますがこの辺は医療者側の課題ですね。

緩和ケアに来られた患者さんとご家族には、それまでの病歴やその方の生きてこられた歴史、価値観とともに、これから何を希望されるかなど、じっくり時間をかけて伺います。
「こんなに私の話を聴いてくれた病院は初めてだ」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、私たちの緩和ケアはまず対話が基本です。
お話を伺った後、今あるつらい症状をできるだけ取り除くことに焦点を当てます。
痛みや吐き気、体のだるさ、抑うつ、不眠など不快な症状は、単に体の不調からだけではなく、心理的なことや社会的なことから来ている場合もあります。
そのため医師・看護師・ソーシャルワーカーを中心として薬剤師・理学療法士・臨床心理士・音楽療法士・ボランティアなどチームで患者さんを支えています。

ベッドで起きるのが精いっぱいだった方が苦痛から解放されて、車いすで動けるようになることもありますし、時にはご自宅へ帰られることもあります。
最後までその人が積極的に生き、心地よく過ごせるように、また命の終わり(旅立ち)を自然な過程で迎えられるようにと考えています。

現在日本では緩和ケア病棟にはがんと後天性免疫不全症候群の病名がついた人しか入れません。
どんな病名であれ、尊厳を大事にした最期を迎えるために誰でも緩和ケアが適応になるべきでしょう。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
もっと詳しくお知りになりたい方はこちらへどうぞ↓

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非常時だからこそ寄り添う

地震からひと月が経ちました。
まだ時々余震があるので、安心とはいえないのですが、防災に関することをあれこれ、整えている最中です。

先日師長会議の中で、災害時に普段やっている業務内容の中で何を優先するか、について話し合いました。
ポストイットに項目をかき出して、重要×緊急度が両方高いものから低いものまでを並べてみました。
一番優先されるのは生命にかかわることで、人工呼吸器や酸素吸入・吸引・つらい症状に対する処置などが筆頭。
2番目は人間として生きるための基本的ニードで、水・食べ物・排泄・寝ることです。
3番目はすぐではなくてもいいけれど、体を清潔にすることや合併症の予防など。
最後は入浴やリハビリテーションとなりました。

病院によっても多少違ってきますし、病院の中のほかの部署でもやってみるといいかなと思います。
話し合いの中で、つらいと思う症状にはやはり待ったなしの対応が求められると、ホスピスの師長が言いました。
それから優先度3番目に「癒しのケア(寄り添うことやタッチング)」が入っていましたが、状況によってはこれが1番に上がる場合もある」と病棟の副主任が言いました。
実際9月6日の時にも「すべてを投げ出しても今はそばにいて寄り添うことが大事だ」と言い切った師長がおりました。

じゃあ、普段していることで本当に大事なことは何なのかなと、逆に考えさせられます。
やれ転倒防止だ、やれ看護記録だと看護師たちのやるべきことが本当に多すぎて、どうしても効率重視にならざるをえなくなっています。

ばたばたと走っているスタッフの前に、じっくり寄り添っているスタッフや手のマッサージをしている人がいたら、「なにやってんの?座ってる暇あったら手伝ってよ!」と厳しい一言も出かねないのが病院という現場です。

でもこの師長さんたちは、患者さんとちゃんと向き合おうとし、そのことを共有しあえるんだなと思ってうれしくなりました。

そしてもうひとつ、地震の夜に看護師Aさんがある患者さんに言った言葉。
「大丈夫、〇〇さん一人くらい、私かついで逃げるから。安心して!」
といったそうな。
その言葉を聞いて「すごく安心したんだ。ここに来て本当に良かった」とおっしゃってくださったそうで。

患者さんにどんなケアを提供するのかをポジティブに考えられるって、すご~く大切なことだと思うのです。
いわゆる業務優先じゃなくって良かった。
いい人がいっぱいいるなあ。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
こういうことで、感動するんです。

幡野広志さんの本のこと

今日は幡野広志さんという方が書いた「ぼくが子供のころ、ほしかった親になる」という本について、おすすめしたいと思います。
きっかけは糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」で知りました。
35歳のカメラマン。
2歳の息子がいる。
多発性骨髄腫で余命3年と言われた。
本の帯には谷川俊太郎さんの言葉。
これだけでそそられました。

いわゆる闘病記とかではないし、お涙頂戴的なつくりでもない。
もっと、どちらかというと乾いている。
がん患者となって自分は変わらないのに周囲の様相が変わっていくことに、幡野さんは驚きながらも冷静に観察している。
がんになったことで周囲から安易なアドバイスをされることが多くなったという。
少しでも良くなってほしい、長く生きてほしい一心で言ってくれる友人知人。
それらは善意の優しい手だが、幡野さんの思いとは少し違う。
ブログでがんを公表するとさらに善意が増えたという。
サプリメントや怪しげな代替療法を教えてくれる人。
これをすればよくなると勧める宗教の勧誘。

それには根拠もないし、当事者の体験でもないものも多くある。
それを幡野さんは「優しい虐待」と評する。
うわべだけのやさしさや、怪しげな売り込みがひたひたと近づいてくる。
藁をもつかむ気持ちのがん患者の心にそっと近づき、「インスタントラーメンにお湯を注ぐように」気軽にアドバイスする人を幡野さんは鋭く見分ける。

私は実はこの本を読んでいない。
発売してすぐになかなか手に入らない本となり、アマゾンに頼んで
北海道胆振東部地震が起きる前日にようやく届いた。
地震のあれやこれやは一応収まったのだけど、自分自身の心身のバランスがもうちょっと静かになってから読みたいと思っている。

なぜ本の中身を知っているかというと、幡野さんのツイッターを追っているから。
そこには本の読者の感想が載っているし、幡野さんのつぶやきを読んでいると人柄がわかるから。
そして糸井さんとの対談を読んだりしていると、おのずとわかってくる。

だから、もう少し待ってから一気に読もうと思っている。

この本は幡野さんの息子さんに向けて書いているのと同じくらい、私たちに向けても書かれている。
生きること、愛すること、死ぬまで成長し続ける存在であること。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
もっと詳しく知りたい方向けにはこちらをどうぞ。

https://shuchi.php.co.jp/article/5554

 

お見舞いの定義って・・

「お見舞いの定義って何ですか?」と聞かれて、私はとっさに答えられませんでした。

「お見舞いとコミュニケーション」をテーマに、市内の大学生さんが当院を見学にいらっしゃいました。
お話を伺っていくうちに出てきた質問です。

当院では職員とボランティアさんが院内にさまざまな飾りつけや絵画・園芸による癒しの空間を作ってくれています。
患者さんやご家族、職員もしばし立ち止まって作品に見入ります。
作品から自分が子供だった頃や、子育てをしていた時を思い出したり、季節を感じたりすることがあり、コミュニケーションの一つのきっかけになっています。

それから当院では患者さんの写真をよく撮影します。
イベントはもちろんのこと、誕生日やお孫さんがお見舞いに来た時など、写真を撮ってプリントし、ベッドから見えるところに貼って思い出を楽しんでいます。
お見舞いに来られたご家族にも、楽しそうな表情を共有していただけるので、患者&家族&職員のコミュニケーションツールとしては、今のところ最強だと思っています。

さて冒頭の言葉。
一般の方にとって病院は縁遠い場所です。
近しい方が入院したときに初めて、お見舞いとは・・を考えるのでしょうね。
お見舞いのマナーは本やネットで調べられますが、患者さんの容態や、大部屋ならお部屋の雰囲気によって、お見舞いの人がどんな振る舞いをしたらよいか、声の音量はどれくらいまで許容されるかは、場や関係性で違いますので正解はありません。

お見舞いにはそのほか季節のお見舞い(残暑お見舞い)とか陣中見舞い、「ちょっと一発お見舞いしてやるか」などぶっそうな使い方もあります。
先日の地震後には震災見舞いをいただきました。ありがとうございます!

個人的には先日知人が入院している病院にお見舞いに行ってきました。
手術後数日経っていましたので、手術にまつわる患者体験を聞かせていただきました。
お見舞い客をうれしく思うかはご病気やけがの程度、タイミングにもよります。
誰にも会いたくない、自分の姿を見られたくないということもあるでしょうし。

身近な方にお見舞いに行ってもよいかどうか、行くならどんな時間帯がいいのかを尋ねておいたらよいですね。何か必要なものがあれば(あるいは持ち込んではだめなもの)聞いて準備ができますし。

お見舞いの定義は「病気やけがをしている人を案じ、励ましたり元気づけようとする行動」ということでどうでしょうか?
ありきたりですけど。
人を案ずる気持ちは形でもなく、時間でもないような気がします。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
医療関係者じゃない方のお話って、ためになるな!

一番大事なのは患者さんを安心させること

今回の地震では非常時にとるべきリーダーシップについても考えさせられました。

普段はスタッフの意見を吸い上げるフラット型のリーダーシップを心がけていますが、非常時はやはり専制君主型の方が物事が早く的確に進みます。
限られた時間内に情報をとらえて、素早く意思決定することが求められるし、
決定したことは具体的で明確に伝えなければならない。
今回活躍したのは現場の師長さんたちでした。

電気が使えないし、水も制限がある。
できるケアは限られている。
いつも通りの温かいタオルは提供できないし、お風呂にも入れられない。
食べる・出す(排泄する)・寝るをしっかり確保してこの危機を乗り切ることが最優先です。
「一番大事なのは患者さんを安心させること。」
こう、言い切った師長さんがおりました。
私はそれを聞いて逆に覚悟が決まった感じがしました。
情けないですが私は予想外のことに瞬発力で対応するのは得意ではありません。
だからこの師長さんの言葉で「よし!」と背中を強く支えられた気がしました。

電動ベッドのギャッジが上がらないのは、代わりに布団を丸めて背中に差し入れる。
暗闇で怖がっていたら、患者さんのそばにいるようにする。
体は拭けなくても口腔ケアはいつも通り。
状況は刻々と変化するので、その流れをつかみつつ、言うべきことはシンプルに。

「一人暮らしのスタッフで、ご飯を確保できていないんです。」
「子供を置いてくるのが不安で連れてきました。今一緒に働いてくれてます」
非常時に働くスタッフへの気遣いも忘れずに、伝えてくれる。
ありがたいことです。

この期間看護師たちの患者さんを守る集中力が高かったせいか、大きな事故もなかったのです。

今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。
師長さんたちの緊張もかなり強かっただろうになあと思います。

北海道胆振東部地震 その3

9月8日(土)地震発生から3日目。
朝7時。院内にいつも通りの光が戻っていた。
昨日までのことがまるで夢だったかのようだ。
すでに電子カルテのサーバーは起動し、いつでも開始できるように準備されていた。
昨日最大の問題だった透析も無事できるようになって、ずいぶんみんなの表情が明るく見えた。

たださすがに2日目ともなると、入院中の患者さんは少し不安定になってきている様子だという。
そして一晩を緊張して乗り越えた看護師たちには、相当なプレッシャーだっただろうと思う。
熊本地震の時には最初の地震よりも2日後に大きな地震が来て、あとからのものが本震だった。
それで北海道にもこれから大きな本震がくるという情報が、まことしやかにSNS上で拡散しているそうだ。
こういう情報におびえ、傷つく人がいる。
私のスマホは圏外になることが多く、電池も減るのでSNSはほとんど見ていなかったから、そんな話が飛び交っているとは知らなかった。

「夜勤に出る前に、もし今日大きな余震があって、病院が倒壊したら、私はここで最期を迎えるんだなと思ったんです。そんなことは絶対口に出しては言えないけど、家を出る前に子供をぎゅっとハグしてきました。だから夜が明けてほんとにうれしい。」
という看護師の言葉を聞き、目が熱くなった。
そういわれると私も、昨日の朝体調の悪い家人を残して気になりながら出勤したのだった。
自分と仕事を優先させて家族を置いてきた、という気持ちがやっぱり心の隅にある。
でもこういう仕事はいっぱいある。
適当な言葉が見つからず、ご苦労さんとしか言えない。

8:00 ミーティング。
事務長が昨夜からの経緯を説明し、無事ライフラインが復旧したことをみんなで喜んだ。
院長・副院長・私からも職員へのコメントを一言ずつ。
電子カルテは各部署で立ち上げてよい。レントゲン・検査・透析は正常化した。
今日から外来・入院診療はすべて平常通りとした。

引き続き師長たちとSEで、停電中に入退院した患者の登録、カルテの記入についてミーティングを行った。
この教訓を冷めないうちに記録して、自分たちの災害マニュアルを早急に作りましょうと話し合った。
いまさらながら地震発生直後、各自がどのように病院まで到着したのかを聞きあい、誰が最初に病院に到着したかで盛り上がった。

結果から言えばたった2日間の停電だった。
けれども渦中にいる間は情報が途絶し、いったいいつまでこの状態が続くのかまったく予測ができなかった。
そして不十分だった備えに対する教訓はたくさんある。
多数の外傷患者が発生していたら。冬だったら。猛暑の時期だったら。もっと停電や断水が長引いたら。
院内の患者とスタッフとだけではなく地域を守れるか。
現場のスタッフからも意見を吸い上げようと思う。

よかったなと思うのは、
副院長のEMIS登録、病院祭用の食材・飲み物があり、職員のまかないや配給にできたこと、関連病院が早く通電し、透析室を借りられたこと、冬じゃなかったこと、夜明けが近かったこと、計画停電のあとだったこと、新築移転の設計前だったこと、なにより職員に大きな被害がでなかったこと、建物が倒壊・損傷しなかったことがあげられる。
当院は普段からなんでも話し合う風土なので、お互いを思いやりひとりひとりが自分にできることを精一杯した。
緊迫した時にありがちな、強い口調で怒鳴ったりするようなことは皆無だった。
SE・資材など一人部署で重要なポジションの人にはどうしても仕事が集中する。そこはサポートが必要だった。
医事課の男性陣は力仕事~運転~電話かけまであらゆる仕事を柔軟に対応してくれた。
ケアマネージャーたちの配膳は明るく熟練して、こんな事態の中でもほほえましい光景だった。
ご家族の協力のおかげで、仕事に出られた看護師が多数。
それから自分の家も被災しているのに休みに仕事に来てくれた人たちが多数。
手前味噌だけれど、こういう人達に支えられて、今回の危機を乗り切ることができ、改めて素晴らしいチームワークだと感謝している。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
外からもたくさんのご支援と励ましをありがとうございました。
まだ余震があるかもしれないので油断は禁物ですが、どなた様にも一日も早く生活が平常に戻りますようにお祈りしています。(終)

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