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2017年11月

認知症対応カンフォタブル・ケアに取り組みます

少し前のことになりますが9月28日、旭山病院でご活躍中の南敦司師長さんをおよびして、「カンフォタブルケア」について研修会を開催しました。
この研修はある師長さんの発案で実現したもの。道内の医療系雑誌「ベストナース」に掲載された南さんの記事を読み、「この人の話が聴きたい」と言ってくれたのです。こういう発案ってとても大事です。

南さんは関西ご出身で、以前は向こうで病棟師長さんをされていました。
そこで働いていた時に、看護師の厳しい言動や対応によって認知症の患者さんのいわゆる「周辺症状」が引き起こされていることに気が付きました。周辺症状と言うのは、認知症患者さんが不快なことをコトバでうまく表現できないために、徘徊や介護の拒否・異食などで現れる症状のことです。
そこで南さんは認知症の病態生理を徹底的に看護師に教え、看護師の表情や態度を「快刺激」に変える指導を行ったところ、患者さんの周辺症状が落ち着き、穏やかに過ごせるようになったそうです。

そして看護チームの連帯感やコミュニケーションが非常によくなり、チームビルディングにも効果があることがわかったそうなのです。

札幌に移ってこられて、現在いらっしゃる病棟でも実行していったところ、やはり同じ効果が生まれ、患者さんが穏やかになり、看護師たちもイキイキとケアするようになってきました。患者さんによいケアをしていることが広まって、見学者やそこを目指して就職を希望する人が増えたのだそうです。

南さんの講義は身振り手振りを大きく表現するだけじゃなく、近くの人とワークショップも行うので、非常に具体的でわかりやすく、飽きさせません。特別なことは何もいらない。ただ私たち看護者の姿勢や態度を変えていくこと。その人の問題点ではなく、できること、好きなことを探して行動すること。その人を尊重し人生を肯定していくこと。
あら、これはホスピスだってどこだって一緒じゃないか!あったりまえのことじゃないか!
同じくはできてないけど、ウチの病院もかなりいい線行ってると思う。

そして南さんは北海道全体にこのケアを広げて、認知症患者さんが暮らしやすい世の中にしたいんだと公言しているので、なんだか聞いている私たちも、力をもらった気持ちになりました。

うれしいのは研修後にウチの師長さんたちが「あのケアをぜひやりましょう」と言ってくれたこと、そしてアンケートの回答にも前向きメッセージが一杯書かれていたことです。
うん、今がチャンス。南さん ありがとうございました!

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
どの場所に来ても「ここへ来てよかった」と言われるように。

働く場を楽しくするにはどうしたらいいか

私、楽しくゴキゲンに働くのを信条としています。
だから楽しそうに働いている人が好きでして、
糸井重里さんみたいに楽しいことを仕事にしているのが理想なのです。
楽しみながら仕事しながら学んでいる、というのが最高です。

「プレイフル・シンキング 仕事を楽しくする思考法」(上田信行:宣伝会議)
は、尊敬する勝原裕美子さんの講義で紹介された本です。

一度読んで、それから時々ちょこちょこと読み返しています。
示唆に富んだ言葉が随所に書かれていて、親切にも太字になっています。

「プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう。どんな状態であっても、自分とその場にいる人やモノを最大限に活かして、新しい意味を創りだそうとする姿勢」であり、プレイフルな状態を生み出すための思考法が「プレイフル・シンキング」だと書かれています。

私自身、仕事が大好きで、看護師という職業は自分に合っていると思ってこれまでやってきました。
スペシャリストになりたいと思った時もありましたが、タイミングが合わず、勧められるまま管理の方へやってきました。
「どうせやるなら管理のスペシャリストに」という気持もあり、ドラッカーの勉強を始めたところ、すっかりハマってしまいました。
「成果を上げる能力は身につけることができる」と書いてあると、学んでみたくなりますもんね。

いろんな制約があるけれど、看護の仕事は患者さんの日常生活を支える小さな積み重ねの連続なので、その小さなことをいかに大事に続けられるか、とかその行為そのものに意味を見いだせるかだと思うのです。
口腔ケアを、「口腔ケアという看護業務」ではなく、いかに効果的に行って患者さんにさっぱりしてもらうか、合併症を予防できるか、笑顔を引き出す関わりになったかな、と思いながらやってみる。
AさんでうまくいったらBさんにも。
仲間にも広めてみんなでやってみる。
この連続。

そうして時々自分のしてきたことを振り返る。
得意な分野をもっと学んでみる。チャンスをつかむ。

看護師の世界はほんとに時間に余裕がないのです。
やらねばならぬことが目いっぱいあるし、看護師たちはみんなまじめだから、ちゃんとやろうと頑張るので。
毎日走り続けて頑張っている人たちに、時々立ち止まって考えて、楽しく仕事して、成長していける環境を作ること。
そして新たな楽しみを創りだして行けたら最高ですね。
そういう楽しさを現場の師長たちと一緒に「しかけて」いきたいと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
私の友達には天然のプレイフル・シンキングの人が多いな~。
すぐネガティブに陥りやすい私はうらやまし。

死の場面に間に合わないことについて ~ご遺族のお話を聴く~

11/9のグリーフ(悲嘆)ケア勉強会は、いつもボランティアで来て下さっているKさんに講師をお願いし、当院でお母様を見送られたご遺族としての立場から、お話を聴かせていただきました。
普段の講義とは違って、机を取り払い、車座になって対話形式です。医師・看護師・ソーシャルワーカー・薬剤師・ケアマネージャー・介護福祉士・医事課・・・・ほとんどの職種が集まっていました。

私は途中から参加したのですが、Kさんのお母様が当院に入院されていたときに、お母様の臨終に間に合わなかったことについて話している最中でした。
Kさんは家庭やお仕事を持ちながら毎日面会にいらして、つらい症状が少しでもよくなるようにと、看護師と一緒に考えながらお母様へケアを行っていました。
「明日の状態を少しでもよくするための、今日のちょっとした行動」は、状況が厳しい中でも有意義だったと回想していらっしゃいました。

小康状態が続いていたある晩のこと、プライマリーナース(担当看護師)が夜勤の巡回をしているときに、kさんのお母様の呼吸が止まっているのを発見しました。
看護師にとっても予期せぬ急な状態の変化でした。

その瞬間に「どうしよう、あんなに毎日熱心なご家族なのに、死の場面に間に合うように察知して連絡することができなかった」ととっさに思ったそうです。
ご家族が病院に来られるのを待つ間、その看護師は
「どうして”今夜あたりだ”って言ってくれなかったの?わかっていたら夜帰らないで泊まったのに」とご家族から怒られ、非難されることを覚悟していたそうです。
しかしKさんは一言も看護師を責めることなく、亡くなった事実を受け止めたそうです。
それが看護師には不思議だった。責められて当然と思っていたから。

Kさんは「ここに入院してから旅立つまでの間、看護師さんは一緒に悩みながらケアしてくれた。そのプロセスがあったし、あらかじめ突然死が訪れることもあると聞いていたので、間に合わないというのはこういうことかと思った」のだそうです。

五感を働かせて観察する私たち医療者にも、残念ながら前兆をとらえきれない死がたくさんあります。可能な限りお一人ではなく、ご家族に見守られる中で旅立ちができるようにすることで、死の事実の納得と受け入れがしやすく出来たらと思うのは、どの医療者にも共通することだろうと思います。「死に目に会う」ことを大事にするのは、日本の死の美学かも知れません。

ただ、私は若かりし頃先輩からこんな風に教わったことがあります。
「”死ぬとき(タイミング)”はその人が選んでいる。みんなに囲まれて逝きたい人もいるけど、誰もいないときに静かに旅立ちたい人もいる。寝ている家族を起こさないように、夜中にひっそりと逝く人もいる。」と。

Kさんのお話を聴いて、当時のプライマリーナースは長い間の胸のつかえが取れた様に、ほっとした表情を浮かべていました。
ご遺族からこんな風なお話しを聴けるというのは、なかなかありません。
けれども、こうして大切な人を中心に話し合うことが、やっぱり明日のケアをよくすることにつながるのだと思います。
私たちにとっても、グリーフ・ケアになりました。

Kさん 貴重なお話をありがとうございました。

緩和ケアセミナー裏話

11月3日に「第1回徳洲会緩和ケアセミナー」を当院が事務局となって開催しました。
内容については他の方が書くと思ったので、私は裏側の話を書こうと思います。

[開始前のミーティングです]

徳洲会グループは救急医療やへき地医療を支えることを主体にしてきた組織で、緩和ケアを始めたのは当院が最初でした。院内でも「緩和ケア」「ホスピス」という概念を理解されるまでに理事長は相当ご苦労されたと聞いています。
それが時代の変化とともに徐々に緩和ケアが広まり、グループの中にも緩和ケア病棟や緩和ケアチームを持つところが増えてきたので、そろそろ全体で集まって学び合う場が必要ではないかと考え、理事長の発案で開催となりました。

[前野理事長の基調講演]

当院には大きな会議場がないため、札幌徳洲会病院をお借りすることになりました。
慣れない環境・100人位の参加人数・講演依頼・抄録作成・当日の職員の配置・職員への説明・・通常業務をしながらの準備です。
事務局のリーダーにはK君が抜擢されました。
Kくんはネクタイと靴を新調して気合を入れました。

会場は8Fの講堂と2Fの会議室を利用します。前日に、係りの職員が連絡を取り合うのにLINEのグループを急きょ作ることになりました。
19人の職員がこのグループに入り、それぞれの持ち場の状況を報告するツールになりました。
「8割会場に入ってます。誘導受付は引き続きお願いします」
「了解です」
「あと何人来てないか教えてください」
「まだ到着されてない方はあと3名です」
「会場暑いですか?」
「ちょうどいいです」
「ランチ会場の設営完了してます」
「誰かi-phoneの充電器持ってませんか?」
「充電器持ってますよ」
「充電器渡しました」「もらいました。ありがとうございます」
などの連絡が飛び交います。

私はLINEって便利だなとしみじみ思いました。離れていても、みんながお互いのことを理解し、助け合おうという意識がうかがえました。ランチ会場の設営状況も写真で送ってくれるので、全員が共通認識できました。このやりとりを確認しつつセミナーを見守っていました。

[ 分科会ではアツい討議 ]

セミナーが無事終了し、お客様が懇親会に向かわれたあとの片づけ作業にも
「8Fごみ袋がないです」
「今行きます」などと連絡が飛び交う中、
「院長から一言!熱かった。みんなの気持ちが!」という労いのコトバが入り、事務長からも「完了したら連絡ください。ラインの中でみんなでオー!したい」と入りました。
「みんなお疲れ様!」「お疲れ様!」「お疲れ様!」
の連呼の後、理事長から
「本当に今日はご苦労さま。集まった皆さんが良い会だった。また来ますと言ってくれました。皆さんの準備のおかげです。この会をやってよかったね」との言葉が入りました。
最後にリーダーのK君が
「理事長、皆さん今日はお疲れ様でした。個々の能力が発揮され南青洲の良いところが全面に出たセミナーになったと思います。みなさんの協力のおかげです。感謝の気持ちで一杯です。この団結力をこれからの南青洲の業務にも生かして行きましょう。本当に、本日はありがとうございました。みなさんゆっくり休んでください」
という挨拶が入りました。
この経験はK君の一生の宝になるに違いないと思いました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
涙もろい私は、LINEを読み返すたび胸熱くなるのです。