2019年6月
再び、幡野広志さんの本
病院機能評価の受審が終わったら、あれをしよう、これをしよう、と思っていたことの一つに幡野広志さんの新刊「 ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読む、がありました。
最初の本「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる 」もそうでしたが、私にとって幡野さんの本は電車の中で読むとか一章ずつ毎日読む本ではなくて、たっぷりと時間を取ることができる日に、静かで穏やかな場所で、しかも泣いてもいいような場所で一気に読む、という諸条件を整えてから読みたい本なのです。
決してベッドの中で寝ながら読んではイケマセン。
あ、でも正座はしなくていいです。
うるさいですね(笑)
休日の朝、お気に入りのカフェで一気読みしました。
そして、シビれるコトバに付箋を貼りたくなって、帰宅して二度読みしました。
がん患者さんが病気を知ってからどんな風に感じ、考え、何と戦い(病気以外にも戦うモノゴトがたくさんある)、どんな風に決定していくのか。何を一番大事にすべきなのか。
限られた時間だからこその説得力に満ちています。
それはがん患者ということに限らず、自分の人生を他人に振り回されずに掴み取っていくことを改めて考えさせられます。
ストレートで時に辛らつ、でも自然体な幡野さんの文章は、心にすうっと入ってしみこみます。
そして家族への愛情と悲しみ、こうなってわかった本当の人とのつながりをだいじにし、感謝の言葉が直球で伝わってきます。
がんじゃなくても、生きづらさを感じている人や、他人に振り回されて自分のことを後回しにしている人に読んでもらいたいです。
幡野さんは子どもが大きくなった時に「お父さんはこんなこと考えていた」と伝える記録として、写真や文章を残していると書いています。
体には病を受けているけれども、心は健康で研ぎ澄まされている。
これからも長くたくさん書き続けてほしいと願っています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
人生は失うことの連続だけど、ところどころ光に満ちている。
鼻腔いっぱいにイチゴの香り
6月も後半となり花壇の花がとりどり咲いています。
4F屋上「ふれあいそらのガーデン」にもプランターの花や野菜がすくすくと伸びて、風に揺れているところです。
先日ちょうどボランティアさんが作業しているところに、お花好きの患者さんがやってきて、しばしの間、花談義で盛り上がりました。
また、別の日にはプランターで育てたいちごが赤くなってきたので、病棟に運んで鑑賞したり摘み取っていただきました。
ある方は、摘み取ったイチゴの新鮮な香りを鼻に吸い込んで、驚いたように目を真ん丸にし、それからにっこりして「こんなところでイチゴさんに会えるなんてね」と喜んでくださいました。
感染予防やアレルギーの問題で、最近は病院から生花が遠ざけられる傾向にありますが、当院では4Fのサンルームなどでこうして植物を育てています。
認知症の方が水やりをしに来てくださったり、リハビリの休憩中に眺めたり。
楽しみの少ない病院で、思い思いに過ごしてくださっている。
先日ネットでこんなデータを見つけました。
https://www.mizuho-ir.co.jp/case/research/flower2012.html
花のある環境は不安やストレスを和らげ、活気を取り戻す効果がある。
いうまでもなく癒し効果があるものです。
「イチゴさんに出会えた」とおっしゃった患者さんも、お顔が和んでいらっしゃった。
つかの間病気であることを忘れてくれたなら幸いです。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
6/26(水)には病院前のイチゴ畑でイチゴ狩りをする予定です。
すいません、写真はご愛嬌。
抵抗勢力に負けない勇気
週末は「行動制限最小化研究会」に出て、当院の「カンフォータブル・ケア」の実践についてうちの棟方師長が発表してきました。
これで「カンフォータブル・ケア」3部作というか3段活用というか(笑)はひと段落しました。
最初は昨年法人内で行われた発表会だったのですが、ここでの評価はいまいちでした。
質の改善につながったのは確かなのにどうしてか伝わらなかった。けれども私たち、言いたいことが多すぎて整理できてなかったんですね。人に伝えるのにはもっとシンプルで直接的なほうがいいね、ということになってかなりそぎ落としたものに修正しました。
それをもって日本認知症ケア学会に挑戦し、発表することができたのです。
今回出席した「行動制限最小化研究会」は精神科領域の看護師さんたちの集まりなのですが、南敦司さんから呼んでいただき、一般病院の管理者として、カンフォータブル・ケアを導入した組織変革を主に発表させていただきました。
手前味噌ですが、私は今とても充実感と満足感いっぱいです。
現場の師長が提案し、導入し、成果をつかんで発表した。
体を通った言葉、つまり主体的に努力して体験した出来事は、説得力という重みをもって人に伝えることができるんです。してきたことをまとめ、人に伝えるためにどう表すか、師長さんたちのチャレンジをサポートしながらワクワクしていました。発表後に質問をいただけるのもありがたいことです。
そういう意味でこれらの発表は私にとって宝石のようなものなんです。
さて、行動制限最小化研究会でも参加者からご質問がありました。
「自分の部署でもカンフォータブル・ケアを取り入れたいが、変化に抵抗を示す人がいると思う。みんなが同じ方向を向くための方法を教えてほしい」というものです。
実は導入前の私たちも、同じ疑問を南さんに投げかけました。
小さな部署でも何か今までにないことをやろうとするとどうしても抵抗勢力というのはあるものです。
でも先にビジョンをよく考えて語り、どんなケアを提供する集団にしたいのか、そのために必要な技術としてこれを取り入れるよ、そうするとこんな未来が見える、ということをきちんと伝える。
そしてぶれずに続けると次第にそれがスタンダードになっていくのだと思います。
私たちも以前、患者さんのことを「ちゃん付け」していました。
長くつきあっているうちに親しみをこめてそうなっていたのです。
でもちゃん付けをやめ「いつも敬語」の原則を伝え続けて「〇〇さん」と言い直すようにしました。
「いつも笑顔」や「目線を合わせる」「ほめる」を意識するだけで、患者さんとのコミュニケーションが変化することを実感した職員は、自然にその態度を継続するようになります。
マーゲンチューブ(鼻から胃までの細いチューブで栄養剤を注入するもの)を患者さんが抜いてしまったとき、数年前は「また?」「まったくもう!」「じゃあ手にミトンはめよう」と患者さんの行動を抑制していました。
今は抜いてしまっても「ああ、すっきりしたお顔ですね」「嫌だったんですね」と言い、ご家族を含めてミトンをするかどうか、その都度話合います。ひと月に何十回もマーゲンチューブを抜く患者さんがいますが、今は「しかたのないこと、抜きたい気持ちはよ~くわかる」という風に私たちは理解してます。
そうしているうちに患者さんの周辺症状(怒ったり拒否したり叫ぶなど)はほとんど見かけなくなり、他所から転院してきた場合には「ここの方がおばあちゃんが穏やかなので、ずっと入院させてください」と言われることが多くなりました。
認知症「ふくじゅそう」外来の田村先生からも「あなた方のケアが良いから患者さんが落ち着いている」と認めていただき、こういう他者からの肯定も職員の自信につながっています。
組織文化の変革は勇気のいることですが、「良いこと」には賛同してくれる人がいるはず。
一人ではなく味方をつくって心を込めて繰り返し言い続ける。
良かったことを共有し、「ありがとう」とフィードバックする。
その小さな積み重ねできっと変わります。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
一つ目がいい評価だったら3度目はなかったかもなぁ。
できないと決めつけずに
Qさんは全身の筋肉が徐々に衰えていく病気にかかり、ベッドから降りることがない日々を送っています。
先日障がい者病棟で行ったイベント「手形でこいのぼりを作ろう」でベッドごとデイルームに連れ出されました。
このイベント、介護福祉士Sさんの発案です。
デイルームに集まって車いすで参加している方は、手に絵の具を塗られています。
赤や青に塗られた手形を大きな模造紙にてんでばらばらに押していて、これだけだと何ができるのかさっぱりわかりません。
でもみなさん目に微笑みをたたえて、何だか楽しそうです。
これだけ派手に手を汚す、というのは病院の生活では普通ないことで、皆さん何が起きるのかなというお顔をしていらっしゃいます。
私の横で田村先生が「手を汚すっていうのは脳にいい刺激になるんですよ」とつぶやいて行かれました。
小さな頃にした泥んこ遊びは、一度手が汚れてしまったら思い切りよく楽しむに限ります。
手形を押した後に師長さんから手相を見てもらい「生命線が長いですね~」と言われて実に楽しそうです。
そんな中、冒頭のQさんはベッド上でつまらないんじゃないかと声をかけると、震える指を動かして親指と人差し指で「OK」のサインを出してくれました。
ただそれだけのことですが、うれしかったんですと涙目になって師長さんが報告してくれました。
その後Qさんの手にも絵の具が塗られて、こいのぼりの絵にしっかり参加されたのだそうです。
私たち看護者は「患者さんにはできない」と一方的に決めつけて制限をかけたりすることがあります。
手指を使う場面を作らないで、先んじて介助してしまっていることもあると思います。
でも実は、患者さんはさまざまな力を持っている。
そのことをよくイベントで感じています。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
喜び合える感性を育もう