緩和ケアに集う人は穏やかでやさしい人が多い?
10月20日(土)第2回徳洲会グループ緩和ケアセミナーが開催されました。
全国のグループ病院から80名以上の緩和ケアに関わる医師・看護師・社会福祉士・理学療法士らの専門職が集いました。
緩和ケア病棟を持つ病院は少しずつ増えてきていますが、「緩和ケアチーム」で活動しているところも多く、急性期病院の中での緩和ケアの確立にご苦労されているところが共通していました。
四十防院長の基調講演のあと、当院でお世話になっている臨床宗教師・米本智昭さんと、当院を卒業して今帯広で初の緩和ケア病棟を立ち上げた、今井貴史先生の特別講演が行われました。
昼食後は6病院から取り組みの発表があったあと、事例に基づいた多職種連携のワークショップがあり、今日初めて会った人たちとは思えない和やかで患者さんファーストの意見交換がありました。
緩和ケアに集う人たちは、医療者の中でもとりわけ穏やかでやさしい人が集うのでしょうか?
私は2年前にこの病院に来た時に、数日間緩和ケア病棟を観察しスタッフについて回りました。患者さんが何を求めているか、に常に焦点をあてて多職種で話し合い行動する。この積み重ねが自然に行われていました。何気ない、よもやま話の中にも患者さんの周辺の情報交換があり、その人の人生や価値観を尊重しようとする姿勢がみんなに浸透していることに、正直驚いたものです。
看護師たちは、本当はこういう仕事をしたかったのではないのか?という気持ちになりました。
病名にかかわらず、患者さんのニーズに応じたケアを提供し、消耗を最小限に、回復を助ける、そのシンプルさが今とても複雑化しています。
抱えきれないほどの責務とルーティンワーク(それすらも本当に必要か確かめられてないものもある)に忙殺されて、今目の前にいる患者さんがどんな表情をしているかを見失っているとしたら、それは看護の本質からずいぶん離れていることになります。
患者さんの出来事のあちこちにアンテナを張って、今よりもよく生きられることに力を発揮するはずの看護師が、制度の漏れを防ぐことにアンテナを張ったり、組織の同調圧力などに負けて「よいケア」よりも「効率性」を優先せざるをえないというのは、自戒をこめて管理者の責任が大きいと思っています。
当院に転院してこられた患者さんが、前医を退院してくるとき、詰め所で「お世話になりました」とあいさつをしたのに詰め所内にいた看護師が誰一人顔も上げずパソコンに向かっていた、患者さんはそれ以上何も言わずに荷物を持って出てきました、という話を聞いたときに、私は憤りを通り越して情けなく悲しくなりました。
そんなことはあってはならないことです。
懇親会の最後に東大阪病院の院長が「ここに集っている人の中から、きっと次世代の院長・看護部長が出てくるでしょう。孤軍奮闘している人も多いが、ここに来れば仲間がいて、お互いケアを受けることができる。がんの人も心不全の人も老衰の人も、必要な人がみんな、緩和ケアを受けられるように頑張りましょう。」とおっしゃられて、こぶしに力がはいりました。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
前野総長もたいへんだったんだろうなあと歴史を感じます。